平成17(行ウ)329 退去強制令書発付処分取消等請求事件

裁判年月日・裁判所
平成19年4月13日 東京地方裁判所 警察関係
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判決文本文26,409 文字)

主文 裁決行政庁が原告に対して平成17年1月24日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。 処分行政庁が原告に対して平成17年1月24日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。 訴訟費用は被告の負担とする。 事実 及び理由第1請求主文同旨第2事案の概要本件は,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国審査官から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条4号ロ(不法残留)に該当する旨の認定を受け,次いで,東京入管特別審理官から同認定に誤りがない旨の判定を受け,さらに,法務大臣から入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受けたミャンマー連邦(ミャンマー連邦は,平成元年に名称をビルマ連邦社会主義共和国から改称したものであるが,以下,改称の前後を区別することなく,同国を「ミャンマー」という。)の国籍を有する男性である原告が,東京入管主任審査官からミャンマーを送還先とする退去強制令書の発付(以下「本件退令処分」という。)を受けたため,本件裁決及び本件退令処分は,原告が難民に該当するにもかかわらず,その事実を誤認して,原告が難民に該当しないとの判断の下に されたものであるから違法であるなどと主張して,本件裁決及び本件退令処分の各取消しを求める事案である。 前提事実本件の前提事実は,次のとおりである。なお,証拠により容易に認めることのできる事実は,その旨付記しており,それ以外の事実は,当事者間に争いがない。 (1)原告の身分事項原告は,昭和▲年(▲年)▲月▲日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人の男性である。(甲18,乙1,3)(2)原告の入国及び在留の 者間に争いがない。 (1)原告の身分事項原告は,昭和▲年(▲年)▲月▲日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人の男性である。(甲18,乙1,3)(2)原告の入国及び在留の状況ア原告は,平成2年10月1日,タイ王国(以下「タイ」という。)のバンコクから,新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し,東京入管成田支局(現在の成田空港支局)入国審査官から,入管法所定の在留資格を「就学」,在留期間を「6月」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (乙1,2)イ原告は,平成2年11月16日,居住地を東京都江東区α××番13-×××号とする外国人登録法に基づく新規登録を受けた。(乙1,3)ウ原告は,平成3年4月10日,在留期間を「6月」とする在留期間の更新の許可を受け,同年9月26日及び同年12月7日,それぞれ在留期間を「3月」とする同許可を受け,同4年3月30日,在留資格を「研修」,在留期間を「3月」とする在留資格の変更の許可を受け,同年6月29日及び同年12月18日,それぞれ在留期間を「6月」とする在留期間の更 新の許可を受けた。 原告は,その後,在留期間の更新又は在留資格の変更の許可を受けることなく,在留期限である平成5年6月30日を超えて,本邦に不法に残留することとなった。 (乙1,3)エ原告は,本邦上陸後,日本語学校に通学して,平成4年3月ころ,同学校を卒業した後,コンピューターの専門学校に通学したが,学資が賄えず,1年半ほどして退学した。その傍ら,原告は,飲食店及び居酒屋の店員,ホテルの従業員,解体作業員等として稼働し,おおむね月額18万円から23万円程度の報酬を得ていた。(乙14)(3)原告の退去強制手続ア原告は,平成16年11月28日,入管法違反(不法残留)容疑により警視庁駒込警察署 員等として稼働し,おおむね月額18万円から23万円程度の報酬を得ていた。(乙14)(3)原告の退去強制手続ア原告は,平成16年11月28日,入管法違反(不法残留)容疑により警視庁駒込警察署警察官に現行犯逮捕された後,東京入管入国警備官に引き渡された。(乙5ないし7)イ東京入管入国警備官は,平成16年11月29日,原告について違反調査を実施し,その結果,原告が入管法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同令書を執行して原告を東京入管収容場に収容し,原告を同号ロ該当容疑者として,東京入管入国審査官に引き渡した。(乙9ないし11)ウ東京入管入国審査官は,平成16年12月1日,同月6日及び同月9日,原告について違反審査を実施し,その結果,同日,原告が入管法24条4 号ロに該当する旨の認定を行い,これを通知したところ,原告は,同日,特別審理官による口頭審理を請求した。(乙12ないし15)エ東京入管主任審査官は,平成16年12月20日,原告の収容期間を30日間延長した。(乙10)オ東京入管特別審理官は,平成17年1月4日,原告について口頭審理を実施し,その結果,同日,東京入管入国審査官の認定に誤りがない旨判定し,これを通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙16ないし18)カ法務大臣は,平成17年1月24日,原告の異議の申出には理由がない旨の本件裁決をし,その通知を受けた東京入管主任審査官は,同日,原告に本件裁決を通知するとともに,同日付けでミャンマーを送還先とする本件退令処分をし,東京入管入国警備官は,同日,退去強制令書を執行して原告を東京入管収容場に収容した。(乙19ないし22)キ原告は,平成17年6月3日,入国 に,同日付けでミャンマーを送還先とする本件退令処分をし,東京入管入国警備官は,同日,退去強制令書を執行して原告を東京入管収容場に収容した。(乙19ないし22)キ原告は,平成17年6月3日,入国者収容所東日本入国管理センターに移収された後,同年9月27日,仮放免された。(乙22,37,38)(4)原告の難民認定申請手続原告は,平成16年12月10日,法務大臣に対し,難民の認定申請をしたところ,法務大臣は,平成17年1月24日付けで,難民の認定をしない処分をした。原告は,同月27日,同処分について異議の申出をしたが,これに対し,法務大臣は,同年5月13日,理由がない旨の決定をした。(乙1) 争点 本件の主な争点は,次のとおりである。 (1)原告の難民該当性の有無具体的には,本件裁決及び本件退令処分がされた平成17年1月24日当時,原告は,ミャンマー及び我が国における政治活動並びにミャンマー政府から迫害を受けるがい然性の高い民族及び家系に属することなどを理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者であるということができるか。 (2)本件裁決の適法性具体的には,本件裁決がされた平成17年1月24日当時,原告について,ミャンマーに送還されれば迫害を受けるおそれがあったことなどを理由に,本件裁決が違法なものであるということができるか。 (3)本件退令処分の適法性具体的には,本件裁決が違法であるとして,これを前提とする本件退令処分も違法となるか。 争点に関する当事者の主張の要旨(1)争点(1)(原告の難民該当性の有無)について(原告の主張)アミャンマーの一般情勢(ア)ミャンマーにおける政治の変遷aミャンマーでは,昭和37年,ネウィンが軍事 事者の主張の要旨(1)争点(1)(原告の難民該当性の有無)について(原告の主張)アミャンマーの一般情勢(ア)ミャンマーにおける政治の変遷aミャンマーでは,昭和37年,ネウィンが軍事クーデターにより全権を掌握し,ビルマ社会主義計画党によってミャンマーを一党支配した。同63年3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が体制に対して 命懸けの抵抗を始め,同年8月後半から同年9月前半にかけて最も民主化運動が高揚した。しかし,同月18日,ミャンマー国軍(以下「国軍」という。)の幹部20人を構成員とする国家法秩序回復評議会(以下「SLORC」という。)による軍事政権の成立が宣言され,それまで建前上は政治の表舞台に立つことがなかった国軍が政治権力を行使することになった。 b国民民主連盟(以下「NLD」という。)は,その書記長であったアウンサンスーチーが平成元年7月から自宅に軟禁されていたにもかかわらず,同2年5月27日,ミャンマーにおいて30年振りに複数政党が参加して実施された総選挙において,軍事政権の後押しした民族統一党(NUP)に圧勝した。しかし,SLORCは,NLDに政権を委譲しなかった。軍事政権は,NLDを合法的な政党と認めているものの,その日常の政治活動を阻止し,明白な法的根拠のないままに国内各所の多くの党事務所を閉鎖したり,厳しい治安対策と脅威によって政治活動を抑圧している。例えば,アウンサンスーチーについては,同8年後半から再び自宅外へ出る自由及び訪問者を受け入れる自由を次第に制限するようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするアウンサンスーチーを強制的に自宅に連れ戻すという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁措置を採り続け,同14年5月6日,ようやく軟 同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするアウンサンスーチーを強制的に自宅に連れ戻すという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁措置を採り続け,同14年5月6日,ようやく軟禁状態を解いた。また,同15年5月30日には,アウンサンスーチーらNLD党員が襲撃される事件があり,アウンサンスーチー らNLD党員が軍施設等に拘束され,その後釈放されたものの,自宅軟禁状態が現在まで続いている。現在も,NLDのメンバーらや国民の政治活動等の自由には制約が課されたままである。 (イ)ミャンマーにおける人権の抑圧の状況aミャンマーでは,国民及び政治活動家を尋問のために家族に通知することなく逮捕するので,これらの者が数時間から数週間にわたり行方不明となることがある。 bミャンマーでは,拘留者を尋問するときの手段として拷問を用いている。 cミャンマーでは,司法機関は行政機関から独立しておらず,政治的な裁判の場合には,裁判は公開されていない。 dミャンマー政府は,多くの国民の移動及び活動を綿密に監視しており,治安部隊関係者は,選択的に,私的な通信及び手紙を遮り,無令状で私有地及びその他の財産の捜索を行っている。 イ原告の個別的事情(ア)カチン民族の状況a原告は,ミャンマーにおける少数民族であるカチン民族に属している。カチン民族は,ミャンマーにおける多数民族であるビルマ民族とは異なる独自の文化を有しており,ミャンマー北部のカチン州と,シャン州の北部山岳地帯に居住している。カチン民族は,中華人民共和国(以下「中国」という。)の雲南省にも居住している。 bカチン民族の3分の2はキリスト教徒であるとされ,ミャンマーの 植民地時代には,西欧的生活になじむカチン民族が軍隊に多く採用されたことなどから,軍隊によって鎮圧の対象 雲南省にも居住している。 bカチン民族の3分の2はキリスト教徒であるとされ,ミャンマーの 植民地時代には,西欧的生活になじむカチン民族が軍隊に多く採用されたことなどから,軍隊によって鎮圧の対象となるビルマ民族との間にあつれきが生ずるようになった。 cミャンマーの独立後は,カチン民族が多く居住している地域の一部がシャン州に併合されたことや,連邦国家とは名ばかりで,ビルマ民族中心の中央集権国家の色彩が濃かったことから,カチン民族の間には,ミャンマー政府及びビルマ民族に対する根強い不満が残った。 (イ)P1及びP2についてa昭和36年ころ,カチン民族により,P1及びP2が結成され,州境の在り方や中央集権支配に対する不満,当時の政権がキリスト教徒の反対を無視し,憲法を改正してまで仏教を国教化しようとしたことへの反発から,ミャンマー政府に対する武力闘争が開始された。 bP1及びP2の創設者及び代表者であったP3は,原告の姉であるP4(ただし,カチン民族としての名称はP5。)の夫であるが,昭和50年,ミャンマー政府から派遣されたスパイにより暗殺され,その墓所も国軍により爆破された。 cP1及びP2により構成されるカチン民族独立政府は,平成6年3月24日,ミャンマー政府と停戦協定を締結したが,このことは,かえってカチン民族による組織的抵抗の弱体化やミャンマー政府による統制の強化を招くなど,カチン民族にとって,ミャンマー政府による迫害のおそれが消滅することを意味するものではない。 dなお,平成17年10月20日にカチン民族の居住地域である北部 軍管区の司令部で行われた作戦会議の報告書によれば,停戦協定があるため,あからさまな攻撃はしないものの,国軍がカチン民族を全滅させる意図の下,表面には見えない方法でカチン民族に打撃を与えようと 軍管区の司令部で行われた作戦会議の報告書によれば,停戦協定があるため,あからさまな攻撃はしないものの,国軍がカチン民族を全滅させる意図の下,表面には見えない方法でカチン民族に打撃を与えようとしていることが明らかである。 eそして,国軍は,停戦協定締結後も,現在に至るまで,P2の兵士やカチン民族の一般市民を殺害する事件を起こしている。 (ウ)原告の家族及び家系等についてa原告の姉であるP4は,単にP3の妻であるというだけにとどまらず,夫の存命中は,主にタイのバンコクに居住してP2の兵士に必要な衣料類を調達する役割を担ったほか,そのキャンプ地にも足を運ぶなどして,P1及びP2の活動を支えた。 また,P4は,P3の死後,しばらくは亡夫の代わりにP1及びP2を代表して国際会議に出席するなどしていた。 その後,P4は,平成11年にタイのチェンマイでP6を設立するなどして,カチン民族の女性の迫害状況を世界に向かって明らかにする活動を行っており,その活動はミャンマー政府の施策に対する国際舞台での批判を本質としている。 こうしたP4の活動は,当然,ミャンマー政府に把握されている。 b原告はドゥーワ(封建領主)の家系に生まれた者であり,原告の父は地域の首長として,P1及びP2を支援し,そのため,ミャンマー政府から弾圧されることがしばしばであった。すなわち,原告の家系は,ドゥーワであることにより,もともとミャンマー政府から注目さ れやすい。 そして,P4を除く原告の兄弟たちについても,ある者はミャンマー政府により投獄されたり,ある者はミャンマー政府の迫害を逃れて海外で居住したりし,その一族の中には,海外で難民認定や在留特別許可を受けた者もいる。 (エ)原告の活動についてa原告は,昭和63年3月,高等学校を卒業したものの,当時の社会情 の迫害を逃れて海外で居住したりし,その一族の中には,海外で難民認定や在留特別許可を受けた者もいる。 (エ)原告の活動についてa原告は,昭和63年3月,高等学校を卒業したものの,当時の社会情勢下,学校閉鎖により大学に進学できなかったため,カチン民族の権利向上のための活動をしたいと思い,陸路,タイに赴き,カチン民族の自立を呼び掛ける活動をしていたP4や,同じく原告の姉であるP7と相談した後,同年7月,ミャンマー国内で民主化運動が始まっていると聞いて,ミャンマーに帰国した。 b原告は,昭和63年7月に帰国すると,故郷で民主化のための活動を始め,高校生約15人を組織して,ビラを配布したり,デモ行進に参加するなどした。 c原告は,平成元年5月ころ,再び,タイに居住するP4らを訪れ,今後の活動について相談するなどした。 d原告は,故郷にいると身の危険を感じるようになり,海外に逃亡する準備を始めた。そこで,原告は,ヤンゴンに行き,平成元年12月ころ,ブローカーに5000チャットを支払って旅券が発給されるよう依頼し,同2年5月,更にブローカーに現金を支払って旅券の発給を受けた。そして,原告は,まず,タイのバンコクに行き,P4や原 告の兄であるP8の尽力により,就学ビザを取得し,同年10月1日に来日した。 e原告は,平成9年にP9に入会するまでの間は,我が国にカチン民族の団体がなかったため,特定の団体に所属せず,その間,以前からの知り合いであるミャンマーとタイの国境地帯で活動する人たちに対する援助活動をしたり,P10日本支部の会合に出席したりするなどしていた。 f原告は,平成9年にP9に入会し,その活動に参加した。なお,原告の兄であるP11は,かつてP9日本支部の副書記を務めており,また,P4の息子は,P9本部の事務局長を設立以 りするなどしていた。 f原告は,平成9年にP9に入会し,その活動に参加した。なお,原告の兄であるP11は,かつてP9日本支部の副書記を務めており,また,P4の息子は,P9本部の事務局長を設立以来8年間にわたって務めた。 その後,我が国におけるカチン民族の団体は,P9から,P12へ,そしてP13へと発展していったところ,原告は,そのいずれの団体にも参加している。 原告は,現在,P13において,25人の運営委員の1人であり,労働問題を担当している。 また,原告は,P13の上部団体であるP14においても,P13を代表して運営委員に選出され,労働問題を担当している。 ウ以上によれば,原告は,人種若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するといえるから,難民に該当する。 (被告の主張) ア原告は,昭和63年7月及び8月当時,ミャンマーにおいて反政府活動に参加した旨主張するが,原告が行ったとする活動は,ビラ配りやデモ活動といった程度のものであり,ミャンマーにおいて国中で民主化運動が行われていた当時の社会情勢に照らすと,特段目立った活動でないことは明らかである。この程度の活動を行った者についてまでミャンマー政府が関心を寄せていたとは認められず,ましてや,18年以上も経過した現在においてもなお,当時の活動を理由としてミャンマー政府が原告に関心を寄せているとはおよそ認められない。 さらに,原告は,自己名義の旅券をミャンマー政府から発給されているところ,旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対し当該国政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,更にはその者の引取りを保証する文 航を希望する自国民に対し当該国政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,更にはその者の引取りを保証する文書であるから,ミャンマー政府が反政府活動を理由に原告を敵視していたのであれば,旅券の取得は容易ではなかったものと考えられる。なぜなら,ミャンマーでは,旅券発給審査及び出国審査は,国軍を始めとする国家機関の最高幹部の関与の下,申請者の経歴や活動状況を踏まえて,安全保障の観点から極めて厳格に行われており,また,ミャンマー政府は反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否しているとして国際連合から憂慮を表明されているところであって,現にミャンマー政府が反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否しているという実例があるからである。したがって,自己名義の旅券を発給された原告がミャンマー政府から何らかの関心を寄せられてい た事実はなく,このことは,原告が旅券取得後にヤンゴンからタイのバンコクに向けて,空路,問題なく出国していることからも明らかである。 そして,原告は,タイに3回赴きながら,いずれもタイでひ護を求めるようなことをせず,うち2回はミャンマーに帰国さえしている。原告がミャンマーを出発し,タイのバンコクから来日した理由について,原告がミャンマーにいては危険を感じたからであるということをうかがわせる状況は存在しない。 イ原告は我が国における政治活動を理由に,ミャンマー政府が原告を迫害の対象として敵視している旨主張するが,反政府団体と称する組織への加入や,資金援助等の事実があっても,ミャンマー国外でこれらの活動に従事しているミャンマー人は極めて多数存在し,この程度の活動をもって,原告がミャンマー政府から反政府活動家として 体と称する組織への加入や,資金援助等の事実があっても,ミャンマー国外でこれらの活動に従事しているミャンマー人は極めて多数存在し,この程度の活動をもって,原告がミャンマー政府から反政府活動家として認識され,敵視されているなどとは到底認めることができない。 ウ原告は,平成2年10月1日に本邦に上陸した後も,14年2か月以上もの長期間にわたって,難民の認定申請をすることも,我が国に対してひ護を求めることもなく,東京都内の飲食店で稼働するなどしており,不法就労に専心していたものである。仮に,原告が真にミャンマー政府による迫害を恐れてミャンマーを出国したのであれば,渡航先国及び我が国において直ちに公の機関のひ護を求め,そうでなくとも,難民として保護を求めるための方策や手続についての情報を収集しようとするのが当然であるにもかかわらず,そのような経過をたどることなく,原告は,14年以上もの長期間にわたって,難民の認定申請等をしなかった。このような状況 からしても,原告が迫害を恐れてミャンマーを出国したなどとは認められず,原告が難民に該当しないことは明らかである。 エまた,原告は,原告がカチン民族に属することをもって,迫害を受けるおそれがあると主張するかのようであるが,カチン民族であるというだけでミャンマー政府から迫害の対象とされるとは認めることができない。 オさらに,原告は,P4がカチン民族の指導的な地位にあり,活発な反政府活動を行っていることなどから,その弟である原告が難民に該当する旨主張するが,この点につき,P4は,その証人尋問において,原告の兄弟であるP15及びP11がミャンマーにおいて逮捕されたところ,このように逮捕されるのは活動をしている人物のみであり,実際,P15及びP11の家族までは逮捕されなかったことを証言し,これら原告 の兄弟であるP15及びP11がミャンマーにおいて逮捕されたところ,このように逮捕されるのは活動をしている人物のみであり,実際,P15及びP11の家族までは逮捕されなかったことを証言し,これら原告の兄弟がP4の弟であることを理由に逮捕されたとは証言していないのであるから,原告がP4の弟であることを理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると認めることはできない。 カ以上によれば,原告が難民であると認めることはできない。 (2)争点(2)(本件裁決の適法性)について(原告の主張)原告が難民に該当するにもかかわらず,原告に在留特別許可を認めなかった本件裁決には,裁決行政庁である法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した違法がある。 (被告の主張)原告は,退去強制事由である入管法24条4号ロに該当するから,法律上 当然に退去強制されるべき外国人であるところ,前述のとおり,原告がミャンマーに送還されても迫害のおそれがあるとは認められず,かつ,他に在留を認めるべき特別の事情があることも認められないから,本件裁決には何らの違法もないというべきである。 (3)争点(3)(本件退令処分の適法性)について(原告の主張)原告は難民であり,本件裁決が違法である以上,本件退令処分も違法である。 (被告の主張)退去強制手続において,法務大臣から「異議の申出には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はないのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も当然に適法であるというべきである。 第3争点に対する判断 証拠(該当箇所に併記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めるこ いのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も当然に適法であるというべきである。 第3争点に対する判断 証拠(該当箇所に併記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。 (1)ミャンマーの政治状況等アミャンマーは,昭和23年1月4日に独立したが,同37年3月,ネウィン将軍がクーデターを決行し,同将軍が率いる国軍が全権を掌握した。 同年7月にはビルマ社会主義計画党が結成され,さらに,同39年3月の国家統制法により,他の政党が禁止された。 イ昭和63年3月以降,ヤンゴンで学生らの反政府デモが日増しに拡大して警察や国軍と衝突し,同年8月8日には,学生や市民による反政府ゼネストが全国で行われるなど,大規模な民主化運動が起こった。しかし,その民主化運動は,国軍によって弾圧され,同年9月18日,軍事クーデターにより,SLORCが全権を掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。 ウSLORCは,平成元年7月,アウンサンスーチーを国家破壊分子法違反を理由に自宅軟禁し,その政治活動を禁止した。 エ平成2年5月27日,ミャンマーにおいて約30年振りに複数政党参加による総選挙が施行され,アウンサンスーチーの率いるNLDが485議席中392議席を獲得して勝利したにもかかわらず,SLORCは,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,NLDに政権を委譲しなかった。 オSLORCは,平成8年5月,NLD主催の議員総会や党集会の前に多数のNLD関係者を拘束して,議員総会や党集会の開催を妨害した。 カ平成8年10月23日,ヤンゴンの学生約500人が警官の学生への暴力に抗議しデモを行ったのを始めとして,各地で学生デモが発生し,同年12月半ばまで続いたが,SLORCは学生を強制排除した。同9年1月18日, 0月23日,ヤンゴンの学生約500人が警官の学生への暴力に抗議しデモを行ったのを始めとして,各地で学生デモが発生し,同年12月半ばまで続いたが,SLORCは学生を強制排除した。同9年1月18日,NLD党員6人を含む活動家20人が同8年12月のデモを扇動したとして禁錮7年の実刑判決を受け,同9年1月28日,NLD党員5人を含む活動家14人が同様の判決を受けた。 キ平成8年12月25日,ヤンゴンの仏教寺院において爆弾が爆発して死 傷者を出すという事件があり,SLORCは,同事件に全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)及びカレン民族同盟(KNU)が関与している疑いがあると発表した。また,同9年4月6日,SLORCの第2書記であるP16中将の自宅に小包が届き,これが爆発して同人の長女が死亡するという事件が起こった。 クSLORCは,平成8年末から同9年にかけて,NLD党員ら多数を拘束し,20人以上のNLDの議員に辞職を強制した。 ケSLORCは,平成9年11月15日,国家平和発展評議会(以下「SPDC」という。)に改組された。 コアウンサンスーチーは,平成8年後半から再び自宅外に出る自由及び訪問者を受け入れる自由を次第に制限されるようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするのを強制的に自宅に連れ戻されるという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁の措置が採られ続けていたが,同14年5月6日,ようやく軟禁状態が解かれた。しかし,同15年5月30日には,アウンサンスーチーを含むNLDの構成員がSPDCの支持者に襲撃され,アウンサンスーチー及びP17NLD副議長らが警察に身柄を拘束される事件が起きた。 サミャンマーにおいては,人権尊重の理念が浸透しているとはいい難く,アメリカ合 成員がSPDCの支持者に襲撃され,アウンサンスーチー及びP17NLD副議長らが警察に身柄を拘束される事件が起きた。 サミャンマーにおいては,人権尊重の理念が浸透しているとはいい難く,アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)国務省のレポート(平成13年版)によれば,SPDCによるし意的逮捕及び拘留,政治問題に関する公開裁判の拒否,非常事態法,非合法結社法,常習犯取締法及び国家破 壊分子取締法といった拡大解釈可能な法律の誤釈,政治目的遂行のための法廷操作,治安警察による囚人,拘留者及び一般市民に対する拷問,むち打ち及び虐待等の人権抑圧状況が存在すると報告されている。 (2)原告の個別的事情ア身分事項等について(ア)原告が昭和▲年▲月▲日にミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人の男性であることは,前記前提事実(1)のとおりである。 (イ)原告は,大正2年生まれの父と,父よりも15歳ぐらい年下の母との間の11人兄弟(①長女,②2女,③3女,④4女,⑤5女,⑥6女,⑦長男,⑧2男,⑨3男,⑩4男及び⑪5男の順)の4男として,シャン州クッカイ郡区βで生まれた。(甲18,乙14,原告本人)(ウ)原告は,ミャンマーのカチン州と,シャン州の北部に多く居住するカチン民族に属するところ,「カチン民族の歴史的政治的背景」について,原告の姉(2女)であるP4が代表を務めるP6が平成17年5月に発行した冊子「○○」の記載を引用すると(ただし,日本語版による。),下記のとおりである。(甲1,18,60,証人P4,原告本人)記カチン民族は複数の少数部族で構成され,主にビルマの北東部に居住し,さらには中国やインドの一部地域にも居住しています。ビルマに住むカチン民族の数はおよそ100万~150万人と見られていま す。伝統 ン民族は複数の少数部族で構成され,主にビルマの北東部に居住し,さらには中国やインドの一部地域にも居住しています。ビルマに住むカチン民族の数はおよそ100万~150万人と見られていま す。伝統的に丘陵地帯に住む人々は焼畑耕作で生計をたて,かつては村や氏族単位での支配体制が敷かれていました。イギリス領ビルマの時代(1886年~1948年)には,ほとんどのカチン民族居住地域が「辺境地域」として統治され,この時期にカチン民族の間にキリスト教が広まりました。 1948年のビルマ独立に伴ってビルマ北端部34,379平方マイルの山岳地帯がカチン州と制定されました。カチン民族はシャン州にも居住しています。 独立後,多くのカチン民族はビルマ中央政府による差別的政策に不満を募らせていきました。この不満は1961年のカチン民族武力抵抗運動を引き起こし,後にもっとも大きな民族抵抗運動の一つとされるP1へと発展しました。数十年にわたる武力紛争が続き,高地に住んでいた多くのカチン民族が平地へと追いやられました。今日ではカチン州総人口の80%以上が平地地方に住んでいます。P1はビルマ軍事政府と1994年に休戦合意を結び,一定地域において独自の行政権と軍備を持つ権利を認められました。ビルマ共産党の一部から派生し,カチン州と中国の国境地帯北東部で活動する新民主軍[カチン](theNewDemocraticArmy [kachin][NDA-K])と1991年にP1から分離しシャン州北部で活動するカチン防衛軍(KDA)も,それぞれ軍事政権との間で休戦協定を結びました。 残念ながら休戦合意は長期にわたる民族紛争を引き起こした根本的原因である政治問題の解決はもたらしませんでした。ビルマの他地域 と同じように,カチン州の人々も軍事独裁政権の下で民主主義的権利 た。 残念ながら休戦合意は長期にわたる民族紛争を引き起こした根本的原因である政治問題の解決はもたらしませんでした。ビルマの他地域 と同じように,カチン州の人々も軍事独裁政権の下で民主主義的権利である「自らの政府を選ぶ権利」を否定されています。軍事政府は休戦合意を利用してカチン州での軍隊を増強させました。ビルマ軍の数は1994年から3倍にも膨れ上がり,50を超えるビルマ軍歩兵部隊がカチン州に駐在しています。ビルマ軍は特にP1の軍事基地近辺で展開し,軍隊増強によって地元住民への負担も重くなる一方です。 住民は軍人による土地の押収,強奪,強制労働や多くの人権侵害に直面しています。 (エ)原告の父は,約22か村のドゥーワ(かつて地方の封建領主であった者のカチン民族における世襲的称号)である。ドゥーワは,P2の支持者層であるところ,P2は反共産主義の団体でもあったため,原告の父がミャンマーの共産党武装組織等から抹殺される危険を感じたことなどから,昭和50年ころ,原告の家族は,ナウンチョー郡区γに移住し,現在も原告の両親は同所で居住している。(甲18,23,証人P4,原告本人)イ原告の姉であるP4について(ア)P4は,昭和▲年▲月▲日に生まれ,同45年4月4日にP3と結婚した。P3は,同36年2月5日に設立されたP1及びP2の創設者及び代表者であり,P2は,当時,国軍と抗戦状態にあった。なお,P3は,ドゥーワの家柄の出身者である。 P4は,結婚直後の昭和45年から平成2年まで、タイのバンコクに居住し(P3はP2の軍隊と共に転戦していた。),P3の存命中は, P2の兵士のために武器や衣料品の調達等の後方支援活動などをしていたが,昭和▲年▲月▲日にP3が暗殺されたことなどから,タイ政府のひ護を受けることになり,同54年にはタイ国籍 P3の存命中は, P2の兵士のために武器や衣料品の調達等の後方支援活動などをしていたが,昭和▲年▲月▲日にP3が暗殺されたことなどから,タイ政府のひ護を受けることになり,同54年にはタイ国籍を取得した(タイにおけるP4の名称は,P18である。)。この間,P4は,P3の死亡により,一時的にP2を代表して,同51年にアメリカのワシントンで開催された反共産主義連合の大会に招待されて,これに出席するなどの活動をしており,また,現在でも,P4のためにP2が設置した専用宿泊所がミャンマーと中国との国境付近に存在する。 なお,P4は,人づてに,①P3は,国軍のネウィン将軍がP2に潜入させたスパイによって暗殺されたこと,②P3の墓所はカチン州に設けられたものの,その後,国軍によって爆破されたことなどを聞いている。 (甲12,24,証人P4)(イ)P4は,ミャンマー国内が政治的に不安定な状況になり,ミャンマーからのカチン民族の越境者が増加したことから,そのような人たちを支援するため,平成2年からタイのチェンマイに移住し,同11年9月9日又は12月9日にP6を設立し,その幹部又は代表者となった。また,P4は,11民族の組織等から構成されるP19にP6の代表者として参加し,さらに,同16年に設立されたP20(その前身は,同13年8月に設立されたP21である。)の構成員ともなった。P20は,ミャンマーにおける軍事政権(SPDC),民主化勢力(NLD)及び少数民族の3者協議による対話の過程を通じて,政治紛争の平和的解決 を目指し,少数民族の意見を集約する機関として設立された団体である。 その外,P4は,同16年3月には,アメリカの国連本部で行われた女性の安全に関する会議(CSW)に出席し,ミャンマー国内におけるカチン民族の女性に対する迫害状況 する機関として設立された団体である。 その外,P4は,同16年3月には,アメリカの国連本部で行われた女性の安全に関する会議(CSW)に出席し,ミャンマー国内におけるカチン民族の女性に対する迫害状況について報告するなどした。 なお,P6は,平成17年5月には,前記ア(ウ)記載の冊子を発行し,同冊子は,アメリカやEU諸国,アセアン諸国で配布されたところ,同冊子に記載されたP6による勧告を引用すると(ただし,日本語版による。),下記のとおりである。 (甲1,50.60,66,証人P4)記P6は次の勧告を行う。 ビルマの軍事政権(国家平和開発協議会-SPDC)に対し・全土において直ちに停戦を実施し,少数民族居住地域に駐屯するビルマ陸軍部隊を完全撤退させること。 ・国民民主連盟,少数民族の正当な代表者との三者協議を直ちに開始し,意味のある政治改革プロセスに着手すること。 中国に対し・ビルマの軍事政権に対し政治的経済的影響力を行使して,ビルマが真の政治改革プロセスに着手し,それによって将来中国のビルマとの関係がビルマにおける安定と持続的で平等な発展に寄与することが可能となり,また中国にも影響を及ぼしている人身売買といった社会問題の発生を防ぐ一助となるよう働きかけること。 ・中国に売られた婦女子が,実効性のある支援プログラムによって彼女らの人権が確実に保護され推進されるよう取り計らうこと。 国際社会に対し・SPDCに圧力をかけ,全土において停戦を実施させ,少数民族居住地域に駐屯するビルマ陸軍部隊を完全撤退させ,三者協議を開始させること。 ・ビルマで実施されている人身売買禁止戦略を検討し,それが人身売買の根本原因に取り組む内容であること,現政権を合法化する目的に利用されていないことを確認すること。 ・人身売買に対する認識を高める ・ビルマで実施されている人身売買禁止戦略を検討し,それが人身売買の根本原因に取り組む内容であること,現政権を合法化する目的に利用されていないことを確認すること。 ・人身売買に対する認識を高めるための地域社会に根ざした実効性のあるイニシアチブを支援し,被害婦女子に対する支援策を講ずること。 ウその外の原告の兄弟について(ア)長女である原告の姉(P22)は,P23の活動家であった夫の死後,ミャンマーで居住している。(甲18,23)(イ)3女である原告の姉P7は,現在,P2の活動家である夫と共に,タイで居住している。(甲18,23,51の1及び2)(ウ)4女である原告の姉(P24)は,現在,ミャンマーとの国境付近の中国で居住しているが,その消息は不明である。(甲18,23)(エ)5女である原告の姉(P25)は,現在,副牧師である夫と共に,ミャンマーで居住している。(甲18,23)(オ)6女である原告の姉(P26)は,現在,所在不明である。(甲1 8,23)(カ)長男である原告の兄P15は,ミャンマー政府により,平成2年ころから同6年ころまで投獄され,更に同11年に投獄されて同12年に釈放されたものの,同15年に死亡した。。 なお,原告及びP4は,上記各投獄については,何らかの政治的な理由(政治的文書の所持等)によるものと聞かされており,上記死亡については,獄中で受けた拷問により内臓が損傷を受けたための衰弱死であると聞かされている。 (甲18,23,24,証人P4,原告本人)(キ)2男である原告の兄(P27)は,反政府活動を行った後,現在,台湾で居住している。(甲18,23,55の1及び2)(ク)3男である原告の兄P11は,平成3年ころ,本邦に上陸し,同9年ころにはP9日本支部の副書記に就任するなどしていたが 動を行った後,現在,台湾で居住している。(甲18,23,55の1及び2)(ク)3男である原告の兄P11は,平成3年ころ,本邦に上陸し,同9年ころにはP9日本支部の副書記に就任するなどしていたが,同10年ころ,退去強制されてミャンマーに帰国した後,ミャンマー政府により同12年ころから1年間以上投獄され,仮釈放後,行方不明となった。 なお,原告及びP4は,上記投獄については,何らかの政治的な理由(政治的文書の所持等)によるものと聞かされている。 (甲18,23,24,58,原告本人)(ケ)5男である原告の弟(P28)は,ミャンマー政府に対して反政府活動をしない旨の誓約書を提出した上,現在,両親と共にミャンマーで居住している。(甲18,23)エ原告の経歴等について (ア)原告は,昭和62年3月,高等学校を卒業した(原告本人尋問の結果によれば,原告は,当時,その居住する地域が内戦状態にあったため,通常よりも,4,5年は卒業時期が遅れた旨供述している。)。 その後,原告は,昭和63年3月ころ,タイに赴いてP4に会うなどした後,同年7月ころミャンマーに帰国し,折から国内で民主化運動の機運が熟する社会情勢(前記(1)イ)を背景にして,γの実家に地元の高校生約15人を集め,P29及びP30のラジオニュースを聴いて,その情報や,現政権の一党支配打倒などの政治的意見等を記載したビラを作成し,近隣の7か村の住民や付近の幹線道路を往来する自動車の運転手等にそれを配布するとともに,近くの町で行われるデモ行進に複数回参加するなどしていたが,同年9月18日の軍事クーデター(前記(1)イ)以降,学生活動家が逮捕されているという話を聞いて,平成元年5月ころから2か月余りタイに赴いてP4に会うなどした後,ミャンマーに帰国して,同年12月ころ,ヤンゴンに の軍事クーデター(前記(1)イ)以降,学生活動家が逮捕されているという話を聞いて,平成元年5月ころから2か月余りタイに赴いてP4に会うなどした後,ミャンマーに帰国して,同年12月ころ,ヤンゴンにおいてブローカーを介し,ミャンマーを出国するために旅券発給の申請をした。そして,原告は,ブローカーに合計2万チャットを支払うなどして,同2年5月ころ,ミャンマー政府発行の旅券を入手し,その後,2,3週間してから,空路,タイのバンコクに行って,我が国への入国手続をし,同年9月30日にバンコクを出発して,前記前提事実(2)アのとおり,同年10月1日,本邦に上陸した。 (甲18,42,43の1,原告本人)(イ)原告は,本邦上陸後,平成16年11月28日に逮捕(前記前提事 実(3)ア)されるまでの間,タイに居住する原告の姉(2女のP4又は3女のP7)を介するなどして,年2回ほど,ミャンマーとタイの国境地帯で民主化運動をする活動家たちに7万円ないし10万円を送金していた。送金先の団体は,現在,P31と称し,同17年4月12日付けで,原告が同団体の資金提供者として知られていることなどを記載した書面(甲22)を作成している。 (甲18,22,乙14,原告本人)(ウ)原告は,平成9年ころ,P9に入会した。 P9は,平成6年2月ころにP2と国軍との間に和平協定が締結された後の同年6月,教育,健康,経済,文化及び宗教に関するカチン民族の社会又は生活の質の向上,特に長年にわたって内戦の被害を受け続けてきた地域の開発などを目的として設立された団体であり(なお,P9の組織化にはP4も関与しており,設立時から8年間は,P4の息子がその事務局長を務めた。),同9年ころには,その日本支部も設立された。原告の兄(3男)であるP11がP9日本支部の副書記であったこ の組織化にはP4も関与しており,設立時から8年間は,P4の息子がその事務局長を務めた。),同9年ころには,その日本支部も設立された。原告の兄(3男)であるP11がP9日本支部の副書記であったことは前記ウ(ク)のとおりであるが,原告が何らかの部門の責任者になったことはない。 (甲11,18,45,49,58,乙36,原告本人)(エ)P9のミャンマー国内での活動は,P9の構成員が逮捕されたことなどにより滞り,P9日本支部の活動も平成17年1月以降は停止同然となった。我が国に滞在するP9日本支部及びP12の構成員は,P13の構成員として活動することとなり,原告も,同年にP13に入会す るとともに,P13の上部団体(P13を含む8団体で構成される団体)であるP14に入会した。原告は,同年11月13日,P14の労働問題担当委員に選出されたほか,P13の労働問題担当委員も兼務している。(甲18,49,67,68,原告本人) 争点(1)(原告の難民該当性の有無)について(1)難民の意義についてア入管法61条の2第1項は,「法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があつたときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定…(略)…を行うことができる。」と規定している。そして,入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと規定している。 イ難民条約1条A(2)は,「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあ している。 イ難民条約1条A(2)は,「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は,難民条約の適用上, 「難民」という旨規定している。 ウ難民議定書1条2は,難民議定書の適用上,「難民」とは,難民条約1条A(2)の規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。 エしたがって,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうこととなる。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受ける であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。 (2)原告の難民該当性についてア原告の政治活動等について(ア)ミャンマーにおける政治活動等について 前記1の認定事実(以下「認定事実」という。)(2)エ(ア)によれば,原告は,ミャンマーにおいて,昭和63年7月ころから数か月程度,ビラを配布したり,デモ行進に参加するなどの政治活動をしていたことが認められるが,当時,ミャンマーにおける民主化運動には,各地域及び各階層から多数の国民が参加したことがうかがわれるところ(認定事実(1)イ参照),原告の上記政治活動の期間が比較的短期であることや,原告の組織した高校生の人数も15人程度であること,ビラを配布した地域もさほど広範囲ではないこと,デモ行進への参加も主導的な地位にあってしたものと認めるに足りる証拠はないことなどに照らすと(なお,認定事実(2)エ(ア)によれば,原告はブローカーに合計2万チャットを支払うなどしているものの,ミャンマー政府から旅券の発給を受け,空路,ミャンマーを出国するに至っていることが認められる。),原告のミャンマーにおける政治活動そのものを理由として,原告がミャンマー政府から迫害されるおそれがあると認めることはできない(また,実際に,原告がミャンマー国内において何らかの迫害を受けたことがあるとはうかがわれない。)。 (イ)我が国における政治活動等について認定事実(2)エ(イ)及 れがあると認めることはできない(また,実際に,原告がミャンマー国内において何らかの迫害を受けたことがあるとはうかがわれない。)。 (イ)我が国における政治活動等について認定事実(2)エ(イ)及び(ウ)によれば,原告は,ミャンマーの民主化運動をする政治団体に継続的かつ反復的に一定程度の資金援助を行っており,また,平成9年ころにP9に入会したことが認められるが,原告が資金援助を行った政治団体の活動実績等の詳細を明らかにする証拠はなく,その資金援助がどれほどミャンマー政府にとって不快なものである かを推認することが可能となる諸事情を認定することができないし,また,原告は,P9において何らかの部門の責任者という立場にあったことはなく,P9に所属して外見的に明らかな政治活動をしたことを認めるに足りる証拠がないことなどに照らすと,原告の我が国における政治活動そのものを理由として,原告がミャンマー政府から迫害されるおそれがあると認めることはできない(なお,原告は,同17年にP13及びP14に入会しているが,前記前提事実(3)のとおり,原告は同16年11月28日から同17年9月27日まで,現行犯逮捕や,収容令書及び退去強制令書の執行により,その身柄を拘束されていたのであるから,少なくとも,本件裁決及び本件退令処分時である同年1月24日当時において,原告がP13及びP14に関連する具体的な活動をしていなかったことは明らかである。)。 (ウ)以上によれば,平成17年1月24日当時において,原告の政治活動そのものだけを理由として,原告が難民に該当すると認めることはできない。 イ原告が属する民族及び家系等について(ア)認定事実(2)ア(ウ)のとおり,原告は,ミャンマーにおける少数民族であるカチン民族に属しているが,証人P4が,「等しくすべて 認めることはできない。 イ原告が属する民族及び家系等について(ア)認定事実(2)ア(ウ)のとおり,原告は,ミャンマーにおける少数民族であるカチン民族に属しているが,証人P4が,「等しくすべてのカチン民族に対して迫害があるということではないだろうと思います。」,「政府の迫害と申し上げたのは,厳しく監視をされる,あるいは処罰をされるというのは,カチン民族であって政治活動をしているような人というのは,そういう対象になる。」などと証言していること(証人P 4)や,さらに,平成4年から同8年までの間,国際連合人権委員会ミャンマー担当特別報告者を務めたP32大学法科大学院教授P33作成の陳述書(乙42)に,「およそ少数民族に属するというだけで直ちに難民該当性が認められるというわけではない」と記載されていることなどからして,原告がカチン民族であることだけを理由として,原告が難民に該当すると認めることはできない(実際に,原告がミャンマー国内において何らかの迫害を受けたことがうかがわれないことは,前記ア(ア)のとおりである。)。 (イ)しかしながら,認定事実(2)イによれば,原告は,かつて国軍と対立していたP1及びP2の創設者であるP3の妻であったP4を姉とし,P4は,タイ政府のひ護を受けてタイ国籍を取得した上,平成11年にP6を設立し,P19やP20の構成員を兼ねるなどして,ミャンマー政府にとって不快なものであると優に推認される政治活動を行っていることが認められるところ,原告は,カチン民族の中でもミャンマー政府から特に注目される家系に属するものと認めるのが相当である。 ただし,P4の兄弟,すなわち原告の兄弟のうちにも,現在,ミャンマーで居住している者がおり(認定事実(2)ウ),その者がミャンマー政府により何らかの迫害を受けていると認め のと認めるのが相当である。 ただし,P4の兄弟,すなわち原告の兄弟のうちにも,現在,ミャンマーで居住している者がおり(認定事実(2)ウ),その者がミャンマー政府により何らかの迫害を受けていると認めるに足りる証拠がないことからすると,P4の兄弟であるという理由だけで直ちにミャンマー政府から迫害されるおそれがあると認めることはできないが,一方において,認定事実(2)ウのとおり,原告の兄弟のうち,長男P15がミャンマー政府により2回投獄されて,その後,死亡するに至っていること,3男P 11が我が国でP9日本支部の副書記を務め,同10年ころに退去強制されてミャンマーに帰国した後,ミャンマー政府により投獄されて,現在,行方不明であることなどからすれば,認定事実(1)に係るミャンマーの政治状況等の下,原告が我が国においてP9に所属していたこと(認定事実(2)エ(ウ))や,ミャンマー及び我が国において一定程度の政治的活動を行っていたこと(認定事実(2)エ(ア)ないし(ウ))などの事情とあいまって,同17年1月24日当時に原告がミャンマーに帰国したとすれば,ミャンマー政府により身柄を拘束されて,拷問を伴う尋問を受けたり,更には原告の兄たちと同様に投獄されるなどして迫害を受ける恐怖を抱くような客観的事情が存在していたと認めるのが相当である。 (ウ)以上を総合すれば,結局のところ,原告については,本件裁決及び本件退令処分がされた平成17年1月24日当時,人種若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する難民に該当していたものということができる。 争点(2)(本件裁決の適法性)について(1)まず,法務大臣の裁量権について検討する。 ア憲法22条1項は,日本国内におけ に理由のある恐怖を有する難民に該当していたものということができる。 争点(2)(本件裁決の適法性)について(1)まず,法務大臣の裁量権について検討する。 ア憲法22条1項は,日本国内における居住及び移転の自由を保障するにとどまっており,憲法は,外国人の日本へ入国する権利や在留する権利等について何ら規定しておらず,日本への入国又は在留を許容すべきことを義務付けている条項は存在しない。このことは,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別な条約がない限り,外国 人を受け入れるかどうか,受け入れる場合にいかなる条件を付するかについては,当該国家が自由に決定することができるとされていることと考えを同じくするものと解される。したがって,憲法上,外国人は,日本に入国する自由が保障されていないことはもとより,在留する権利ないし引き続き在留することを要求する権利を保障されているということはできない。 このように外国人の入国及び在留の許否は国家が自由に決定することができるのであるから,我が国に在留する外国人は,入管法に基づく外国人在留制度の枠内においてのみ憲法に規定される基本的人権の保障が与えられているものと解するのが相当である(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁,最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁参照)。 イ入管法2条の2,7条等は,憲法の上記の趣旨を前提として,外国人に対し原則として一定の期間を限り特定の資格により我が国への上陸,在留を許すものとしている。したがって,上陸を許された外国人は,その在留期間が経過した場合は当然我が国から退去しなければならないことになる。 そして,入管法21条は,当該外国人が在 り我が国への上陸,在留を許すものとしている。したがって,上陸を許された外国人は,その在留期間が経過した場合は当然我が国から退去しなければならないことになる。 そして,入管法21条は,当該外国人が在留期間の更新を申請することができることとしているが,この申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り,これを許可することができる。」ものと定められている。これらによると,入管法においても,在留期間の更新が当該外国人の権利として保障されていないことは明らかであり,法務大臣は,更新事由の有無の判断につき広範な裁量権を 有するというべきである(前掲昭和53年10月4日最高裁大法廷判決参照)。 ウまた,入管法50条1項4号(ただし,平成17年法律第66号による改正前は同項3号)は,入管法49条1項所定の異議の申出を受理したときにおける同条3項所定の裁決に当たって,異議の申出が理由がないと認める場合でも,法務大臣は在留を特別に許可することができるとし,入管法50条3項は,上記の許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなす旨定めている。 しかし,①前記のように外国人には我が国における在留を要求する権利が当然にあるわけではないこと,②入管法50条1項柱書き及び同項4号(上記改正前は同項3号)は,「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に在留を特別に許可することができると規定するだけであって,この在留特別許可の判断の要件,基準等については何ら定められていないこと,③入管法には,そのほか,上記在留特別許可の許否の判断に当たって考慮しなければならない事項の定めなど上記の判断をき束するような規定は何も存在しないこと,④在留特別許可の判断の対象となる者は,在留期間更新の場合のように適法に在留している 可の許否の判断に当たって考慮しなければならない事項の定めなど上記の判断をき束するような規定は何も存在しないこと,④在留特別許可の判断の対象となる者は,在留期間更新の場合のように適法に在留している外国人とは異なり,既に入管法24条各号の規定する退去強制事由に該当し,本来的には退去強制の対象となる外国人であること,並びに⑤外国人の出入国管理は,国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,外交関係の安定,労働市場の安定等,種々の国益の保持を目的として行われるものであって,このような国益の保持の判断については,広く情報を収集し,時宜に応じた専門的・ 政策的考慮を行うことが必要であり,時には高度な政治的判断を要することもあり,特に,既に退去強制されるべき地位にある者に対してされる在留特別許可の許否の判断に当たっては,このような考慮が必要であることを総合勘案すると,上記在留特別許可を付与するか否かの判断は,法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられていると解すべきである。そして,その裁量権の範囲は,在留期間更新許可の場合よりも更に広範であると解するのが相当である。 したがって,これらの点からすれば,在留特別許可を付与するか否かについての法務大臣の判断が違法とされるのは,その判断が全く事実の基礎を欠き,又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した場合に限られるというべきである。 (2)そこで,以上の判断の枠組みに従って,原告に在留特別許可を付与しないとした裁決行政庁である法務大臣の判断に裁量権の逸脱又は濫用があるといえるか否かについて検討する必要があるところ,原告は,入管法2条3号の2に規定する「難民」に該当するというべきであるから,これを前提として,本件裁決の違法性の有無について 権の逸脱又は濫用があるといえるか否かについて検討する必要があるところ,原告は,入管法2条3号の2に規定する「難民」に該当するというべきであるから,これを前提として,本件裁決の違法性の有無について検討する。 (3)裁決行政庁の判断についてア原告は,前記前提事実のとおり,その在留期限である平成5年6月30日を超えて,本邦に不法に残留した者であり,入管法24条4号ロ所定の退去強制事由に該当するというべきである。 イしかしながら,入管法上の難民の意義及び性質等からすると,当該外国 人が入管法上の難民に当たるか否かは,法務大臣が在留を特別に許可することをせずに入管法49条1項に基づく異議の申出に理由がない旨の裁決をするか否かについて判断する場合に当然に考慮すべき極めて重要な考慮要素であるというべきである。そして,前記のとおり,原告は,入管法2条3号の2に規定する「難民」に該当するというべきである。 ところが,被告の本件訴えにおける主張からすれば,裁決行政庁が原告が入管法上の難民に該当する者であることを考慮せずに本件裁決を行ったことは明らかである。すなわち,本件裁決は,原告が入管法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ない。 したがって,本件裁決は,裁決行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。 ウさらに,難民条約32条1は,「締約国は,国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか,合法的にその領域内にいる難民を追放してはならない。」と規定し,難民条約33条1は,「締約国は,難民を,いかなる方法によつても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還 締約国は,難民を,いかなる方法によつても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と規定している。 裁決行政庁は,原告が入管法上の難民に該当するのであるから,本件裁決が上記各規定に反する結果とならないかについても吟味する必要があったところ,このような吟味をしたことをうかがわせる事情はない。 したがって,この点においても,本件裁決は,裁決行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。 (4)以上によれば,本件裁決は,裁決行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分であるから,取消しを免れない。 争点(3)(本件退令処分の適法性)について法務大臣は,入管法49条1項による異議の申出を受理したときには,異議の申出が理由があるかどうかを裁決して,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときには,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条5項)。 しかしながら,上記のような退去強制令書発付処分の前提となる裁決が違法である場合には,これに従ってされた退去強制令書発付処分も違法であるというほかない。そして,本件裁決が違法であることは前記3のとおりであるから,本件退令処分も違法であり,取消しを免れない。 結論 よって,原告の請求は,いずれも理由があるから認容することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第38部 裁判長裁判官杉原則彦裁判官 も理由があるから認容することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第38部 裁判長裁判官杉原則彦裁判官島村典男裁判官市原義孝は、差し支えにつき、署名押印することができない。 裁判長裁判官杉原則彦

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