令和6(う)68 過失運転致死

裁判年月日・裁判所
令和7年3月18日 札幌高等裁判所 破棄自判 札幌地方裁判所 令和4(わ)127
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判決文本文21,685 文字)

主文 原判決を破棄する。 被告人は無罪。 理由 第1 本件控訴の趣意等 本件控訴の趣意は、弁護人吉田康紀(主任)及び同東浩作共同作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官金山洋文作成の答弁書に、それぞれ記載されたとおりである(以下、略称等は概ね原判決に従う。)。 本件は過失運転致死の事案であり、原判決が認定した罪となるべき事実の概要は以下のとおりである。すなわち、被告人は、平成31年3月30日午 後7時31分頃、普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を運転し、北海道苫小牧市(住所省略)先の市道(本件道路)を南東方面(勇払方面)から北西方面(JRD駅方面)へ向かい直進して進行していたところ、当時は夜間のため見通しが悪かったものの、なお歩行者が存在しうる時間帯であった上、本件道路沿いには多数の民家等が隣接して立ち並び、本件道路の両 側にはそれぞれ歩道が設置されていたほか、進路前方には信号機の設置された幹線道路と交差する交差点があり、進路右方にはT字状に交差する市道が走っていたのであるから、本件道路を横断する歩行者も存在しうる状況にあったところ、このような場合、自動車の運転者としては、走行中の自車を歩行者に衝突させないよう前方左右を注視し、進路の安全を確認しながら進行 すべき自動車運転上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、前方左右を注視せず、進路の安全を十分に確認しないまま漫然と時速約45キロメートルで進行したものであり、このような被告人の過失ある行為により、折から進路前方を右方から左方に向かい横断歩行中の当時75歳の被害者に気付かず、被害者に自車前部を衝突させて、自車ボンネット上に跳ね上げてフロ ントガラス上に衝突させた上、路上に転倒させ、よって、被害者に頸髄損 方から左方に向かい横断歩行中の当時75歳の被害者に気付かず、被害者に自車前部を衝突させて、自車ボンネット上に跳ね上げてフロ ントガラス上に衝突させた上、路上に転倒させ、よって、被害者に頸髄損傷 等の傷害を負わせ、その頃、同所において、同頸髄損傷により死亡させたという事案(以下「本件事故」ということがある。)である。 論旨は、訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張である(以下、控訴趣意書の記載順序にかかわらず、法律上実務上の取扱いに従い、前者の主張から検討する。)。訴訟手続の法令違反の主張の概要は、検察官も原審弁護人 (当審の弁護人と同一である。)も本件事故の衝突地点として主張していなかった地点(後記B地点)を、心証開示や訴因変更等を経ることもなく衝突地点と認定し、同地点を前提に原判示の過失を認定して過失運転致死罪の成立を認めた原審の訴訟手続は、当事者主義に反し被告人の防御権を著しく侵害する不意打ち的認定をしたものであり、判決に影響を及ぼすことが明らか な法令違反が認められる、というものである。また、事実誤認の主張の概要は、原判決は、①本件事故の衝突地点はA地点(後記)であったのにB地点と認定し、これに基づいて被告人が被害者を視認できた距離を誤って認定した結果、結果回避可能性を認めた点、②本件事故は被害者の自殺によるものであったにもかかわらず、これを認定せず、被告人の運転行為と結果との間 に相当因果関係があると認定した点で、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というものである。 第2 訴訟手続の法令違反の論旨について訴訟手続の法令違反の論旨の概要は、前記第1のとおりである。 そこで検討すると、所論も指摘するとおり、原審裁判所は、現場検証の際 に、原審弁護人が意見書で明確に反対する 反の論旨について訴訟手続の法令違反の論旨の概要は、前記第1のとおりである。 そこで検討すると、所論も指摘するとおり、原審裁判所は、現場検証の際 に、原審弁護人が意見書で明確に反対する意見を述べていたにもかかわらず、当事者のいずれもが衝突地点として主張していなかった原審検証調書記載の○B地点(以下、単に「B地点」ということがある。)を衝突地点の候補の一つとして検証を実施したものである。そして、以上の経緯に照らせば、原審弁護人としては、原審裁判所が、検察官請求のE証人の意見(E鑑定。詳細 は後述)に依拠して、B 地点を衝突地点と認定できる可能性がある旨の心証 を抱いていたことを想定できたはずである。加えて、原審弁護人は、上記のE証人に対して反対尋問を行った上、E鑑定が信用できない旨を弁論で相当程度主張しており、以上のE鑑定に対する反証や反論が不十分なものであったとはうかがわれない。したがって、原審裁判所が、訴因変更手続をとらずにB地点を衝突地点と認定したことが、原審弁護人にとって不意打ちである とか、その防御権を著しく侵害したものであるとはいい難い。 所論はいずれも採用することができず、訴訟手続の法令違反の論旨は理由がない。 第3 事実誤認の論旨について 1 原審における訴因変更等の経緯、主要な争点及び争点に対する原判 決の結論的判断原審において、検察官は、当初、被告人車両が時速約45キロメートルで進行していたことを前提に、本件道路は夜間のため見通しが悪かったのであるから、前照灯を上向きにするか、前照灯を下向きにして走行する場合は、その照射距離に応じて適宜減速した上、前方左右を注視し、進路の安全を確 認しながら進行すべき注意義務があるのに、被告人はこれを怠った旨主張していた(旧訴因) 照灯を下向きにして走行する場合は、その照射距離に応じて適宜減速した上、前方左右を注視し、進路の安全を確 認しながら進行すべき注意義務があるのに、被告人はこれを怠った旨主張していた(旧訴因)。その後、検察官請求のE鑑定に依拠して訴因変更がされ、被告人車両が時速60ないし65キロメートルで進行していたことを前提に、上記注意義務違反に加えて、被告人が本件道路の指定最高速度(時速50キロメートル)を遵守する義務も怠った旨主張するに至った(新訴因)。 これに対し、原審弁護人は、本件は夜間の非常に暗い車道において、運転者から見えにくい服装をした被害者が被告人車両の前に突然現れたために起きた事故であり、被告人は、被害者と衝突することは予見できなかったし、衝突結果を回避することもできなかったとして、過失がなかった旨主張した。 そして、被告人車両が時速60ないし65キロメートルで進行していたこと を争うほか、被害者は自殺を企図して被告人車両の前に現れたとの合理的な 疑いがあるので、被告人に過失はないばかりか、被告人の運転行為と死亡結果との因果関係も認められないし、実質的違法性も認められない旨主張した。 なお、原判示のとおり、本件道路には、街路灯に照らされて視認性の良い場所と暗くて視認性の悪い場所があるため、衝突地点がどこかによって被告人車両から被害者を見つけることができた位置(視認可能地点)が大きく異 なりうるから、本件において過失の有無を判断するためには、衝突地点の特定が重要である。この点に関して、検察官は、当初(旧訴因)は、本件事故直後に実施された実況見分の結果(原審甲1)に基づいて、被害者の血痕が残っていた地点(被害者転倒地点)から約12.1メートル手前の地点(原審甲1記載の○× 地点(以下、単に「×地点」という 件事故直後に実施された実況見分の結果(原審甲1)に基づいて、被害者の血痕が残っていた地点(被害者転倒地点)から約12.1メートル手前の地点(原審甲1記載の○× 地点(以下、単に「×地点」ということがある。)。原審検 証調書記載の○A地点(以下、単に「A地点」ということがある。))が衝突地点であると主張していたが、その後、E鑑定を受け、新訴因では、被害者転倒地点から約40.3ないし46.1メートル手前(原審検証調書記載の○C地点。以下、単に「C地点」ということがある。)が衝突地点であると主張するに至った。原審弁護人は、被害者衝突地点がA地点であることについ ては格別争っていなかったが、これをC地点とする新訴因における検察官主張については争っていた。 以上のとおり、原審段階では、検察官が主張する過失の前提として、(被告人の予見可能性ないし結果回避可能性に関連して)①衝突時の被告人車両の速度、②被告人車両と被害者との衝突地点が、(被告人の過失行為と結果 との間の相当因果関係等に関連して)③被害者の自殺企図の有無を含めた被害者の歩行態様が事実認定上の主要な争点とされた。 原判決は、①衝突時の被告人車両の速度について、時速60ないし65キロメートルであるとする検察官の主張(新訴因)を否定して、時速約45キロメートルと認定し、②被告人車両と被害者との衝突地点については、原審 検証の結果に基づき、検察官が主張したA地点(旧訴因)でもC地点(新訴 因)でもない、原審検証調書記載のB地点(被害者転倒地点の約25メートル手前の地点)と認定した上で、被告人に本件事故の予見可能性及び結果回避可能性を認めて、原判示注意義務違反を認定し、③被害者の自殺企図の事実は認められないと判断して、原判示過失運転致死の事実を認めた。 手前の地点)と認定した上で、被告人に本件事故の予見可能性及び結果回避可能性を認めて、原判示注意義務違反を認定し、③被害者の自殺企図の事実は認められないと判断して、原判示過失運転致死の事実を認めた。 以下、当裁判所の判断(原判決破棄自判による無罪の判断)に必要な限度 で、原判決の判断の概要を適宜補足しつつ示す。 2 原判決の判断の概要⑴ 判断の前提となる事実ア本件道路の状況本件道路は、JRD駅から南東方面(勇払方面)に延びる片側一車線の直 線道路であり、その中ほどにおいて、北東方向に走る市道とT 字状に交差している(本件T 字交差点)。本件道路は、アスファルト舗装され、最高速度は時速50キロメートルに規制されており、道路両側には幅員約6メートルの歩道が設けられているが、車道と歩道の間は、縁石等で区別されるのみでガードレールは設置されておらず、歩行者横断禁止の規制はされていない。 また、本件道路は、信号機や街路灯で照らされている部分は明るいが、それ以外は暗く、周辺は閑静な住宅街であり、コンビニエンスストアや小中学校等があり、沿道には多数の民家等が立ち並んでいた。 イ本件事故前後の状況被告人は、平成31年3月30日夜、被告人車両を運転し、前照灯を下向 きにしたまま本件道路の進行車線を走行していたところ、同日午後7時31分頃、自車の右前部を被害者に衝突させた結果、被害者をボンネット上に跳ね上げ、右前部のフロントガラス上に衝突させた上、路上に転倒させた。これにより、被害者は頸髄損傷等の傷害を負い、死亡した。 本件事故直後に行われた実況見分(原審甲1)においては、本件T字交差 点の北西端を基点として北西に21.9メートル進んだ地点の進行車線上に 血痕が認められ、ここが被害者転倒地点と特定さ 本件事故直後に行われた実況見分(原審甲1)においては、本件T字交差 点の北西端を基点として北西に21.9メートル進んだ地点の進行車線上に 血痕が認められ、ここが被害者転倒地点と特定された。また、当該血痕付近をみると、進行車線上の緑地帯付近に被害者の靴の左足側があり、対向車線上の低下縁石付近には、被害者の靴の右足側とバッグがあった。この実況見分に立ち会った被告人は、被告人車両と被害者が衝突した地点として被害者転倒地点の手前約12.1メートルの×地点を指示したが、この地点付近に は、被害者の帽子や割れた眼鏡のレンズが散乱していた。 ⑵ 本件衝突時の被告人車両の速度本件衝突時の被告人車両の速度につき、E鑑定は時速60ないし65キロメートルであったとするのに対し、被告人は、速度計を見ていたわけではないのではっきりとは答えられないものの、時速40キロメートル以上は出て おり、時速45キロメートルくらいかと思うなどと供述する。 Eは、長年自動車事故等の解析に従事してきたものであるが、E鑑定が上記のとおり判断した根拠は、Eがこれまで走行中の自動車でダミー人形を跳ね飛ばす実験を200回近く行った結果、衝突時の自動車の速度とフロントガラスの損傷状況に相関関係があることが判明したことから、本件において もこの相関関係を適用し、被告人車両のフロントガラスの損傷状況に照らして、衝突時の被告人車両の速度は時速60ないし65キロメートルであったと判断したというのである。 しかし、そもそも、Eが述べる相関関係に関する知見は、個人的に行った実験の積み重ねであって、論文として発表したこともないというのであるか ら、同じ専門領域に属する専門家らの批判や検討にさらされておらず、客観的に確立された法則とはいい難い。また、Eが述べる た実験の積み重ねであって、論文として発表したこともないというのであるか ら、同じ専門領域に属する専門家らの批判や検討にさらされておらず、客観的に確立された法則とはいい難い。また、Eが述べる相関関係は、要するに衝突時の自動車の速度が速いほどフロントガラスの損傷の程度は大きく、かつ深くなるというのであって、時速40キロメートルで衝突したのでは人の頭はフロントガラスに届かないというのである。しかし、被告人車両のよう にボンネットが短い自動車が人と衝突した場合には、時速40キロメートル であっても人の頭が直接フロントガラスに当たることがあるように思われるにもかかわらず、そのような可能性を否定して、被告人車両にも上記相関関係を適用できるとする根拠が明らかではない。この点、E自身も、証人尋問の当初は、自己の経験ではボンネットの長短によって上記相関関係に大きな差異はなかったと述べていたのが、弁護人からの尋問に対しては、極端にボ ンネットが短ければ頭部がフロントガラスに届くと思うと述べ、さらに、別の機会には、ボンネットが短い車両は直接フロントガラスに頭が当たることがあると述べるに至っているが、いずれについても納得できる根拠は示されていない。 以上からすると、Eが述べる相関関係を本件に適用することには疑義があ るといわざるを得ないので、衝突時の被告人車両の速度が時速60ないし65キロメートルであったと認定することはできず、被告人が述べるとおり時速約45キロメートルであったと認められる。 ⑶ 被告人車両と被害者の衝突地点(以下「本件衝突地点」ということがある。) ア衝突地点の特定方法本件において、①被害者は、被告人車両と衝突した後、体ごと跳ね飛ばされて路面に体を打ちつけたと考えられること、②体を打ちつけた 本件衝突地点」ということがある。) ア衝突地点の特定方法本件において、①被害者は、被告人車両と衝突した後、体ごと跳ね飛ばされて路面に体を打ちつけたと考えられること、②体を打ちつけた地点は被害者転倒地点と考えられること、③被害者が跳ね飛ばされた距離(飛翔距離)等は被告人車両の速度から算出できることからすると、被告人車両と被害者 の衝突地点は、被害者転倒地点から飛翔距離等の分だけ手前の地点と特定できる。E鑑定は、このような考え方を前提に、本件における衝突地点の特定方法が次のとおりであるとする。 ○ 自動車の制動が利き始めた時点での速度をV、飛翔距離をXとすると、両者の関係はV=√10𝑋、あるいは、X=V2/10の式で表すことができる (本件関係式)。 ○ 被告人は、衝突するまで被害者を確認せず、衝突後に制動を始めたと述べているので、衝突してから制動が利き始めるまでの空走時間(0.75秒)は被害者と被告人車両は同一速度で移動し、制動が利き始めると被害者の体が飛翔し始めることになる。 ○ したがって、(a)衝突してから制動が利き始めるまでの距離は被告人 車両の速度に空走時間(0.75秒)を乗じたもの、(b)制動が利き始めた後の飛翔距離は本件関係式に被告人車両の速度を当てはめたものとなる。衝突地点は、被害者転倒地点から(a)と(b)の合計分だけ手前の地点となる。 E鑑定がいう本件衝突地点の特定方法に不合理な点はない。とりわけ衝突の時点では被告人車両の制動が利いていなかったとする点は、被告人の供述 と整合する上、本件事故後に被告人車両のボンネットに生じた2つの凹損を合理的に説明するものである。以上から、E鑑定にいう本件衝突地点の特定方法は信用できる。 なお、原審弁護人は、本件関係式にいうX(飛 合する上、本件事故後に被告人車両のボンネットに生じた2つの凹損を合理的に説明するものである。以上から、E鑑定にいう本件衝突地点の特定方法は信用できる。 なお、原審弁護人は、本件関係式にいうX(飛翔距離)は、Eの著書に「歩行者の衝突地点から停止(注。本件でいう被害者転倒地点)するまでの 距離」と記載されていることを指摘して、(a)空走距離を加算するE鑑定の特定方法は同記載と矛盾しており誤っている旨主張する。 しかし、原審弁護人が指摘する記載は、Eが証人尋問で述べるように、衝突の時点で制動が利いていることを前提とした記載であって、要するに自動車の制動が利き始めると人の体と自動車に速度差が生じるため、人の体の飛 翔が始まり、その飛翔距離は制動が利き始める時点での速度に相応するエネルギーによって決まるという趣旨を述べるものと解される。そうすると、衝突の時点ではまだ制動が利いていなかった本件においては、制動を利かせるまでの空走を考慮に入れるのが相当であるから、原審弁護人の主張は失当である。 イ本件における被告人車両と被害者の衝突地点 上記2で認定したとおり、衝突時の被告人車両の速度は時速約45キロメートル(秒速12.5メートル)である。そうすると、(a)衝突してから制動が利き始めるまでの距離は約9.4メートル(12.5×0.75≒9.4)、(b)制動が利き始めた後の飛翔距離は約15.6メートル(12.5×12.5/10≒15.6)であるから、被告人車両と被害者の衝突地点は、被害者転倒地点から約25メ ートル手前の地点(9.4+15.6=25.0)と認められる。 ⑷ 自殺企図の有無を含めた被害者の歩行態様ア本件衝突に至るまでの被害者の歩行態様について、法医学の専門家であるF医師は、被害者の遺体の写真 の地点(9.4+15.6=25.0)と認められる。 ⑷ 自殺企図の有無を含めた被害者の歩行態様ア本件衝突に至るまでの被害者の歩行態様について、法医学の専門家であるF医師は、被害者の遺体の写真やCTデータ等に基づいて、被告人車両と衝突したのは被害者の体の左側であるとともに、フロントガラスに側頭部 が衝突していることから、被害者が屈んでいたとは考えられず、立位で歩行しているときに衝突したと考えられる旨証言するところ、同証言に不合理な点はなく信用でき、被害者が、本件事故当時、両膝の変形性関節症を患っており、ゆっくりと歩くのが精々であったことも併せ考えると、本件事故直前の被害者は、被告人車両の右方(対向車線側)から左方(進行車線側)に向 けてゆっくりと歩いて横断していたと認められ、原審弁護人が主張する被告人に発見しにくいような姿勢をとっていたとの疑いは生じない。 イ次に、被害者が上記の態様で本件道路を横断したのが、自殺を企図したものであったとの合理的な疑いが残るかについて検討すると、被害者の長女の証言によれば、被害者は本件事故の約1か月後である5月に姉妹との旅 行や孫の成人祝いを行う予定であり、病院に対する照会によれば、被害者は6月に白内障の手術を受ける予約も入れていたことが認められ、そのような予約がありながら自殺を企図するとは考えにくい。また、上記長女の証言によれば、本件事故の翌朝に被害者方を訪れたところ、やかんを置いたストーブが点けたままになっていたほか、テーブル上には飲みかけのコーヒーやク ロスワードパズルの本等が開いたまま置かれているなど、普段と変わりない 様子であり、被害者は、本件事故当日、短時間で帰宅することを想定して外出したものと推認され、この点からも被害者が自殺を企図していたとは考えに 等が開いたまま置かれているなど、普段と変わりない 様子であり、被害者は、本件事故当日、短時間で帰宅することを想定して外出したものと推認され、この点からも被害者が自殺を企図していたとは考えにくい。 ウこれに対し、原審弁護人は、種々の事情を指摘して、被害者が自殺を企図していたとの合理的な疑いがあると主張するが、主張の前提を欠くもの、 警察官の評価に基づくものにすぎず自殺企図の疑いを生じさせないもの、自殺を企図した者の行動と仮定すると上記イの各点と整合しないものなどであって、指摘された上記各事情を総合考慮しても、本件の事実関係に照らせば、被害者が自殺を企図していたとの合理的な疑いは生じない。 被害者の自殺企図を前提とする原審弁護人のその他の主張、すなわち、本 件事故と被害者の死亡との間の相当因果関係や被告人の運転行為の違法性を争う点も前提を欠き、失当である。 ⑸ 視認可能地点と急制動をかけた場合の停止距離以上をまとめると、本件事故は、被告人車両が本件道路を時速約45キロメートルで走行中、右方(対向車線側)から左方(進行車線側)に向けてゆ っくりと本件道路を横断していた被害者と衝突したもので、衝突したのは被害者転倒地点から約25メートル手前のB地点であったと認められる。 このような事実関係を前提に視認可能地点を検証したところ、前照灯を下向きにした場合には、遅くとも衝突地点から約42メートル手前で何かあると視認でき、約35メートル手前で人がいると視認できた。また、前照灯を 上向きにした場合には、衝突地点から約51メートル手前で何かあると視認でき、約43メートル手前で人がいると視認できた。 他方、E鑑定にいう制動距離等の計算式に従い、時速45キロメートル(秒速12.5メートル)で走行する自動車が急制動をかけ ートル手前で何かあると視認でき、約43メートル手前で人がいると視認できた。 他方、E鑑定にいう制動距離等の計算式に従い、時速45キロメートル(秒速12.5メートル)で走行する自動車が急制動をかけた場合の停止距離を計算すると、以下のとおり停止距離は約20.77ないし33.89メ ートルと認められる。 ・当時は路面が乾燥していたので、摩擦係数を0.7とする。 ・空走時間は、検証における視認と実際の視認との違いを考慮して、若干長めに取ることとして、0.75ないし1.8秒とする。 ・空走距離は約9.38ないし22.5メートルとなる(12.5×0.75≒9.38、12.5×1.8=22.5) ・制動距離は約11.39メートルとなる(12.52/(2×0.7×9.8)≒11.39)・したがって、停止距離(空走距離と制動距離の和)は約20.77ないし33.89メートルとなる(9.38+11.39=20.77、22.5+11.39=33.89)。 そうすると、遅くとも、前照灯を下向きで走行し人がいると視認できた地点(衝突地点の35メートル手前)で急制動の措置を講じていれば、被害者 と衝突する前に被告人車両を停止することができたと認められる。 ⑹ 過失の有無及び内容以上の事実を前提に、本件における被告人の過失について検討する。 検察官は、被告人の過失として、①指定された最高速度を遵守すべき義務、②前照灯を上向きにすべき義務、③前照灯を下向きにして走行する場合は、 その照射距離に応じて適宜減速した上、前方左右を注視し、進路の安全を確認しながら進行すべき義務を怠った旨主張する。 この点、まず、本件事故当時、被告人車両は時速約45キロメートルで走行しており、本件道路で指定された最高速度(時速50キロメートル)は遵 路の安全を確認しながら進行すべき義務を怠った旨主張する。 この点、まず、本件事故当時、被告人車両は時速約45キロメートルで走行しており、本件道路で指定された最高速度(時速50キロメートル)は遵守されていたので、①最高速度を遵守する義務の違反は認められない。また、 本件では、被告人が視認可能地点で急制動の措置を講じていれば衝突前に被告人車両を停止できたので、③前照灯の照射距離に応じて適宜減速する義務も認められない一方、前方左右を注視し、進路の安全を確認しながら進行すべき義務(前方注視義務)を果たしていれば本件衝突は回避できたといえるから、前方注視義務の違反にかかる過失の成否が問題となる。 ところで、本件で被告人に前方注視義務を課すには、前提として、進路前 方に人(すなわち歩行者)がいて同人と自車が衝突する危険性があることを具体的に予見できなければならない。本件についてみると、罪となるべき事実に摘示したとおり、夜間とはいえなお歩行者が存在しうる時間帯であった上、本件道路を横断する歩行者も存在しうる状況にあったので、漫然と自車を走行させれば歩行者と衝突する危険性があることは具体的に予見できたと 認められる。 これに対して、弁護人は、被害者は、車両の直前で道路を横断してはならない旨規定した道路交通法13条1項に違反して本件道路を横断したもので、被害者が被告人車両の進行車線上に飛び出してくることを具体的に予見するのは不可能であった旨主張する。しかしながら、本件における被害者の横断 は、道路交通法に違反するものではあるが、通常予見できないほど異常なものとはいえず、上述した予見可能性を否定するものとはいえないから、弁護人の主張は採用できない。 以上より、本件においては、歩行者が本件道路を横断することは十分予見 が、通常予見できないほど異常なものとはいえず、上述した予見可能性を否定するものとはいえないから、弁護人の主張は採用できない。 以上より、本件においては、歩行者が本件道路を横断することは十分予見できる状況にあり、被告人においては、漫然と自車を走行させれば歩行者と 衝突する危険性があることを具体的に予見できたといえるので、被告人には前方注視義務があるところ、被告人は、これに違反して漫然と自車を走行させて歩行中の被害者に自車を衝突させたのであるから、被告人には前方注視義務違反の過失がある。したがって、罪となるべき事実(上記第1)のとおり認定した。 3 原判決に対する当裁判所の判断以上のとおり、E鑑定の信用性を一部認め、これにより被告人車両と被害者の衝突地点をB地点と認定し、これを根拠に結果回避可能性を認めて原判示過失を認定した原判決の判断は、論理則経験則等に反する不合理なものといわざるを得ない。 以下、所論等を踏まえつつ、その理由を補足して説明する。 ⑴ 被告人車両と被害者の衝突地点に関する弁護人の所論及び検察官の当審主張についてア弁護人の所論所論は、以下のとおり、E鑑定に依拠して本件衝突地点を認定した原判決の判断は不合理である旨主張する。 すなわち、E鑑定は、算定した衝突時の被告人車両の時速を前提に、Xを人が車両から離れ始めた地点と人が転倒停止した地点との距離とした上で、V(衝突時の被告人車両の速度)からXを導きだし、さらに、Vを使って空走距離を算出し、Xと空走距離を足した数値をもとに衝突位置を導いたものであるところ、原判決は、E鑑定の上記判断の信用性を肯定し、これに基づ いて、本件関係式(V=√10𝑋)を適用して、同式の結果のみを根拠に衝突地点をB地点と認定したが、不合理 位置を導いたものであるところ、原判決は、E鑑定の上記判断の信用性を肯定し、これに基づ いて、本件関係式(V=√10𝑋)を適用して、同式の結果のみを根拠に衝突地点をB地点と認定したが、不合理な判断といわざるを得ない。具体的にいえば、原判決は、E鑑定に基づき、(a)衝突してから制動を利かせるまでの距離と(b)制動が利き始めた後の飛翔距離を足して、衝突地点は被害者転倒地点から約25メートル手前のB地点と判断したが、転倒地点から衝突地点 までの距離は、衝突時における車両の速度、被害者の体重等の条件によって決まるのであって、衝突後の空走距離が影響を与えることは物理的にあり得ないから、不合理といわざるを得ない、被告人立会で実施された原審実況見分(原審甲1)で被告人が衝突地点と指示説明した×地点、すなわち原審検証調書記載のA地点を本件衝突地点と認定すべきであった旨主張する。 イ検察官の当審主張検察官は、当審で事実取調べしたGの被告人車両と被害者との衝突地点等に関する鑑定書(当審検6・以下「G鑑定」という。)に依拠して、弁護人同様、本件衝突地点をB地点と認定した原判決の判断が不合理である旨主張する。すなわち、G鑑定は、原審実況見分調書によれば、本件事故後に被害 者が着用していたと思料される帽子、折損した眼鏡レンズ等、バッグ、靴等 は、被告人が衝突地点として指示説明した×地点の付近に散乱していたことが認められるところ、過去の事例や衝突事件の結果等によれば、歩行者の所持品のうち身体に固定されておらず、質量が軽いわりに表面積が大きく、空気抵抗が大きい帽子等は、風のない状況下では、衝突の衝撃を受けた瞬間に身体から離れて跳ね上げられても、衝突地点にほぼ垂直に落下するとされ、 眼鏡等も同様であることから、被告人車両と が大きく、空気抵抗が大きい帽子等は、風のない状況下では、衝突の衝撃を受けた瞬間に身体から離れて跳ね上げられても、衝突地点にほぼ垂直に落下するとされ、 眼鏡等も同様であることから、被告人車両と被害者の衝突地点は、実況見分調書上の×地点(原審検証調書のA地点)と認められると判断したものであり、Gの交通事故鑑定人としての知識・経験等の資質に問題はなく、鑑定の経緯や手法に不自然不合理な点もないことから、G鑑定は十分に信用できるところ、本件衝突地点が原判決認定のB地点だとすると、被害者の帽子が衝 突後に約25メートル近くも前方に飛翔して落下したことになり、G鑑定の上記見解に明らかに反するから、原判決の上記判断は不合理であり、本件衝突地点は、原審検証調書記載のA地点と認定されるべきである、旨主張する(なお、原審弁護人も、令和5年3月10日付予定主張書面において、新訴因が前提とする衝突地点(被害者転倒地点から39.9ないし45.9メー トル手前の地点)に対する批判としてではあるが、同衝突地点を前提にすると、被害者の眼鏡、帽子、バッグ等が30m近く飛ばされたことになるが、そのようなことは物理的にはあり得ない旨主張していた。)。 ⑵ 以上の各主張を踏まえた当裁判所の判断以上のとおり、本件衝突地点をB地点と認定した原判決の判断を不合理で あると一致して批判する弁護人及び検察官の各主張は、いずれも正当として是認できるものであるから、原判決の上記判断は論理則経験則に反する不合理なものといわざるを得ない。 そして、原判決は、上記のとおり、本件衝突地点をB地点である旨の誤った事実認定をした結果、これを前提とする被害者の視認可能地点について検 証結果を踏まえて35メートル手前と認定したものであり、さらに、被告人 車両の走 本件衝突地点をB地点である旨の誤った事実認定をした結果、これを前提とする被害者の視認可能地点について検 証結果を踏まえて35メートル手前と認定したものであり、さらに、被告人 車両の走行速度が時速45キロメートルの場合の停止距離(空走距離+制動距離)が約20.77メートルないし33.89メートルであると認定できるとして、遅くとも被害者を視認できた上記地点(35メートル手前)で急制動の措置を講じていれば、被害者と衝突せず被告人車両を停止することができたと認定して、結果回避可能性を認定し、原判示過失を認定したもので ある。 したがって、既に指摘した以外にも、被告人車両の走行速度は時速約45キロメートルとは認定できないのに同速度と認定し、被害者の自殺企図を推認できる様々な事実関係が存在するのに、利害関係の強い被害者の長女の何ら裏付けのない供述を根拠に上記推認を排斥し、被害者が自殺を企図した事 実を認定しなかったなどとして原判決を批判する弁護人の所論について判断するまでもなく、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるといわざるを得ない。 第4 破棄自判以上によれば、弁護人の事実誤認の論旨は理由があり、原判決は破棄を免 れない。よって、刑訴法397条1項、382条により原判決を破棄する。 なお、当審において、検察官は、令和6年11月22日、答弁書における主張に基づき、新訴因について更なる訴因変更請求(後記1)を行い(なお、その趣旨は、原判決が破棄されることを条件に、予備的に、自判の対象について訴因変更請求をするものと理解できる。)、これに弁護人も異議を述べ なかったことから、当裁判所は、同訴因変更請求を許可した(以下、この変更後の訴因を「当審新訴因」という。)。そこで、原判決破棄に 因変更請求をするものと理解できる。)、これに弁護人も異議を述べ なかったことから、当裁判所は、同訴因変更請求を許可した(以下、この変更後の訴因を「当審新訴因」という。)。そこで、原判決破棄に伴い、当審新訴因に対する当裁判所の判断を示す。 1 当審新訴因の概要等被告人は、平成31年3月30日午後7時31分頃、被告人車両を運転し、 本件道路を勇払方面からJRD駅方面へ向かい進行するに当たり、本件道路 沿いには多数の民家や集合住宅が隣接して立ち並び、かつ、前記道路の両側には歩道も設置されていた上、当時は付近住民等の往来がある時間帯で、歩行者が前記道路を横断することは十分あり得たのであるから、前方左右を注視し、道路の安全を確認しながら進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、前方左右を注視せず、進路の安全確認不十分のまま漫然時 速約40ないし45キロメートルで進行した過失により、折から道路前方を右方から左方に横断歩行中の被害者(当時75歳)に気付かず、同人に自車前部を衝突させ、同人を自車ボンネット上に跳ね上げてその頭部をフロントガラスに衝突させた上、路上に転落させ、よって、同人に頸髄損傷等の傷害を負わせ、その頃、同所において、同人を前記頸髄損傷により死亡させたも のである(なお、旧訴因及び新訴因で主張されていた前照灯を上向きにする義務については、当審新訴因では主張されていない。)。 以上の当審新訴因については、本件の訴訟記録(当審新訴因の内容が前記の旧訴因とほぼ同旨であることなど)並びに原審裁判所及び当裁判所において取り調べた各証拠を踏まえれば、当審において直ちに判決することができ るものと認めるので、刑訴法400条ただし書を適用して、被告事件について更に判決する。 2 当審新訴 び当裁判所において取り調べた各証拠を踏まえれば、当審において直ちに判決することができ るものと認めるので、刑訴法400条ただし書を適用して、被告事件について更に判決する。 2 当審新訴因に関する主要な争点前記第3のとおり、本件衝突地点が原審実況見分調書記載の×地点(原審検証調査記載のA地点)であることについては、検察官と弁護人との間で争 いがないところ、原判決が衝突地点を原審検証調書記載のB 地点と認定する根拠としたE鑑定を信用できないことは既に指摘したとおりである。そこで更に検討すると、本件では衝突地点を厳密に認定し得る明確な証拠があるとはいい難いが、被告人は、原審実況見分において、被告人車両が被害者と衝突した地点を同実況見分調書記載の×地点(原審検証調書記載のA地点)と 指示説明しているところ、この指示説明については、内容に疑念を生じさせ るような事情は見当たらない上、G鑑定で指摘された本件事故後の被告人車両の停止位置(同調書記載)と想定される被告人車両の走行速度等から推認できる衝突地点とも格別の矛盾はうかがわれないことからすれば、上記指示説明のとおり、本件衝突地点についてはA地点と認定するほかない。 その前提で従前の検察官及び弁護人の各主張を検討すると、当審における 主要な争点及び関連する当事者の主張の概要は、以下の⑴⑵のとおり整理することができる。 ⑴ 争点①(被告人車両の本件事故当時の走行速度及び同走行速度から認定できる停止距離)についてア弁護人の主張の概要 当審新訴因において被告人車両の走行速度が時速約40ないし45キロメートルとされている点について、弁護人は、これを争い、時速40ないし50キロメートルの間くらいであり、時速45キロメートル以下であるかどうかは断定 て被告人車両の走行速度が時速約40ないし45キロメートルとされている点について、弁護人は、これを争い、時速40ないし50キロメートルの間くらいであり、時速45キロメートル以下であるかどうかは断定できない旨主張する。さらに、これに関連して、被告人車両の速度を、メーター等の客観的裏付けもなく、感覚的なものにすぎない被告人の走 行速度に関する原審供述(その概要は、メーターを見ていたわけではないが、およそ40キロ以上は出ていたと思う、逮捕直後にも、自分としては40キロ以上は出ていたが、50キロまでは出ていなかったと思う、時速45キロは警察官が特定した数字である旨)に基づいて認定判断することは、「疑わしきは被告人の利益に」の原則及び経験則に反すると主張して、主に被告人 の原審供述に基づいて衝突時の被告人車両の速度を時速約45キロメートルとした原判決の認定を論難する。 また、弁護人は、被告人車両の停止距離(空走距離+制動距離)のうち、空走距離の算定根拠となる空走時間について、0.75秒ないし1.8秒とした原判決の認定についても、根拠がないなどとして論難する(控訴趣意書 5頁2行目)。 イ検察官の主張の概要これに対して、検察官は、㋐走行速度に関する被告人の供述は、捜査段階から原審公判段階まで一貫している上、経験則上、自動車運転者は、走行時の車両の振動、エンジン音、周囲の風景や構造物の流れ、アクセルの調節具合等を総合して、おおよその走行速度感覚を有しているものであり、ベテラ ンドライバーである被告人についても同様のことがいえる、㋑G鑑定は、衝突時の被告人車両の速度について、運転席の目の前のフロントガラスに被害者が衝突しているので、運転者の心理として、ブレーキを意識的に調節して弱めに踏むことは考えにくく、相当に がいえる、㋑G鑑定は、衝突時の被告人車両の速度について、運転席の目の前のフロントガラスに被害者が衝突しているので、運転者の心理として、ブレーキを意識的に調節して弱めに踏むことは考えにくく、相当に強度のブレーキがかかったと考えられること、被告人車両はABS装着車であり、タイヤがロックしないで急制動 措置が講じられることから、摩擦係数を急制動時と同等に0.7、空走時間を0.75秒として、一般的な自動車の速度と停止距離を見ると、時速40キロメートルだと17.33メートル、時速45キロメートルだと20.77メートルで、双方の距離の平均は19.0メートルになり、ほぼ本件衝突地点(A地点)に当たる原審実況見分調書(原審甲1)記載①地点から被告 人車両の停止地点(同記載③地点)までの距離(約19.2メートル)とほぼ一致するので、衝突時の被告人車両の速度は時速約40ないし45キロメートルと考察される旨の見解を述べるところ、同見解は、内容が自然かつ合理的である上、被告人車両の実際の挙動とも整合しており信用できるなどとして、G鑑定によれば、本件衝突時の被告人車両の速度は時速約40ないし 45キロメートルと認定するのが相当であり、原判決の時速約45キロメートルの認定に誤りはない旨主張する。 そして、上記時速を前提に、空走時間を0.75秒として、被告人車両の停止距離について、17.33メートル(時速40キロメートルの場合)ないし20.77メートル(時速45キロメートルの場合)であると主張する。 ⑵ 争点②(被告人がA地点にいる人(被害者)を視認することが可能な 地点)についてア弁護人の主張の概要弁護人は、㋐原審検証の検証者(裁判官)は、A地点を衝突地点とする視認実験の1回目で、仮想被害者が同地点付近にいることを予 )を視認することが可能な 地点)についてア弁護人の主張の概要弁護人は、㋐原審検証の検証者(裁判官)は、A地点を衝突地点とする視認実験の1回目で、仮想被害者が同地点付近にいることを予め分かっていたにもかかわらず、A地点の23メートル手前の地点に至るまで、同仮想被害 者を発見できなかったこと、㋑被告人は本件事故当時57歳であり、検証者と比較して、身体能力的に車道に存在する人の発見が困難であった可能性が高いことなどを指摘して、原審検証における視認実験の結果から、A地点より23メートル手前を視認可能地点と認定判断することはできない旨主張するものと理解できる。 そして、弁護人は、結論として、本件における結果発生の予見可能性及び結果回避可能性のいずれも認められず、検察官主張の過失は認められないなどと原審どおりの主張をする。 イ検察官の主張の概要これに対して、検察官は、㋐検証者が仮想被害者の存在及び佇立位置を予 め知っていたことは、上記視認実験の結果の証明力を何ら減殺するものではない、㋑被告人の年齢に基づく弁護人の主張は、抽象的可能性をいうにすぎないことが明らかであるから、失当である、㋒被告人は、前照灯を下向きにした場合には、遅くとも衝突地点(A地点)から約29メートル手前で何かあると視認でき、約23メートル手前で人がいると視認できた旨の原審検証 における視認実験の結果(同調書別紙10の№1)や、G鑑定等から認められる被告人車両の停止位置(時速40キロメートルの場合は17.33メートル、時速45キロメートルの場合は20.77メートル)によれば、被告人は、遅くとも、前照灯を下向きで走行し人がいると視認できた地点(衝突地点の23メートル手前)で急制動の措置を講じていれば、被害者と衝突す る前に ルの場合は20.77メートル)によれば、被告人は、遅くとも、前照灯を下向きで走行し人がいると視認できた地点(衝突地点の23メートル手前)で急制動の措置を講じていれば、被害者と衝突す る前に被告人車両を停止させて、被害者との衝突を回避することができたと して、本件における結果発生の予見可能性及び結果回避可能性のいずれについても認められ、当審新訴因どおりの犯罪事実を認定することができる旨主張する。 3 当裁判所の判断⑴ 総論的な検討 上記のとおり、争点①②についてはいずれも争いはあるが、仮に、争点①について、本件車両の停止距離を、検察官が主張する上限の時速約45キロメートルに基づいて算出した20.77メートルとし、争点②について、本件衝突地点までの視認可能距離を検察官主張の23メートルと設定した場合、確かに、視認可能距離が停止距離を上回る以上、上記各数値のみに着目すれ ば、検察官が主張するとおり、本件衝突地点の被害者を発見して急制動をかければ、本件結果を回避できたと見得る。 しかしながら、視認可能距離と停止距離の差は2.23メートルというもので、検察官主張の時速約45キロメートルの時速であれば、約0.17秒(2.23÷12.5)という僅差にとどまるものといえるから、前提条件が少しで も変動すれば結果回避可能性に大きな疑いが生じ得る構造になっている(この点については、原判決も、原審検証における視認と実際の視認とで違いが生じ得る可能性を考慮して、本件における空走時間(反応時間)について、検察官主張の0.75秒ではなく、0.75秒ないし1.8秒という2倍以上幅のある数値を採用した上で結果回避可能性を認定するなど(前記第3の 2⑸)、慎重な判断をしている。)。さらに、検察官の主張は、①停止距離に関 ではなく、0.75秒ないし1.8秒という2倍以上幅のある数値を採用した上で結果回避可能性を認定するなど(前記第3の 2⑸)、慎重な判断をしている。)。さらに、検察官の主張は、①停止距離に関する一般的な算定(争点①)や②原審検証における視認実験の結果(争点②)を前提とし、本件走行時における種々の具体的条件を必ずしも十分踏まえたものとはいえず、具体的条件次第では上記の前提条件が変動する可能性が種々ありうるから、一層、結果回避可能性の存在に疑念が生じかねない。 そこで、さらに、争点①②に関連して補足して説明する。 ⑵ 争点②にかかる原審検証の実験結果による視認可能距離の検討原審検証における視認実験(以下「本件視認実験」という。)は、被告人運転車両と同型車種の車両の助手席に、検証者a及びb(いずれも裁判官)が交代して乗り、順次同車両を走行させて、原審検証調書記載のA地点、B地点、C地点の各地点で、㋐道路上に何かがある、あるいは㋑路上に人がい ると視認した地点で、計測機器に接続された計測スイッチを押して各地点を記録し、事前に各検証者が視認してからスイッチを押すまでの反応時間をそれぞれ計測して算出し、スイッチを押した地点から反応時間分をさかのぼった地点を視認地点とすることとされた(本件視認実験は、令和5年10月16日、本件道路上で、日没後周囲が暗くなった午後6時30分から開始され た。)。 本件視認実験の結果、本件衝突地点であるA地点について、前照灯下向きの条件で、検証者aは、A地点付近に人がいると視認できたのはA地点より23メートル手前であり、検察官の視認可能地点に関する主張もこれに基づくものである。 検証者aが本件実験においてA地点付近に人がいることを予め知っていたことや被告人が本件当時57歳 点より23メートル手前であり、検察官の視認可能地点に関する主張もこれに基づくものである。 検証者aが本件実験においてA地点付近に人がいることを予め知っていたことや被告人が本件当時57歳だったなどという弁護人指摘の各事情については、直ちに視認実験の信用性に影響するものとはいえないが、さりとて、検証者aと本件当時の被告人とでは、視認の前提条件が相当程度異なっていた可能性もただちには否定し難い。 さらに、本件視認実験は、複数の検証者が、それぞれ複数回視認可能地点を確認するなど実験の適正を確保するために慎重な配慮がされているとはいえるものの、検証者は2名にとどまり、被告人の具体的な視認能力等を十分踏まえたものとは必ずしもいえない。 以上の各事情があるにもかかわらず、上記のとおり、本件視認実験の数値 に基づいて2.23メートル程度の差があることをもって、ただちに結果回 避可能性を認定することは、実験結果の数値を至上のものとして、これに全面的に依拠するきらいがあり、必ずしも証拠上全てを捕捉し難い諸条件を伴う実体との乖離が生じる可能性があることは否定し難く、相当とはいい難い。 したがって、検証者aによる本件視認実験の結果から、被告人も、本件衝突地点(A地点)の23メートル手前の地点で被害者を視認できたと合理的 疑いなく認定することはできず、被告人が同地点より(例えば、1ないし2メートルほど)A地点に近づいた地点に至って、はじめて被害者を視認できた可能性も本件証拠上排斥できないといえる。 ⑶ 争点①にかかる被告人車両の停止距離の認定という観点からの検討被告人車両の走行速度については、争いはあるが、仮に、検察官主張(当 審新訴因)の最大速度である時速約45キロメートルを前提にすると、被告人車両の停止距離 停止距離の認定という観点からの検討被告人車両の走行速度については、争いはあるが、仮に、検察官主張(当 審新訴因)の最大速度である時速約45キロメートルを前提にすると、被告人車両の停止距離(㋐空走距離+㋑制動距離)については、G鑑定も用いた一般的な計算式によれば、㋑制動距離は、乾燥したアスファルト路面である本件道路の摩擦係数0.7を前提に約11.39メートルと確定できるのに対し、㋐空走距離については、時速45キロメートル(秒速12.5メート ル)に反応時間(空走時間)を乗じたものとなるため、個々の対象者の反応時間により、相応の差異が生じ得る。この点について、検察官は、本件における反応時間について、一般人を基準に0.75秒とした上で空走距離を9. 38mと算定しており、㋐と㋑を合計した停止距離を20.77メートルと主張している。この判断は、一般人を基準とする一般的な検討結果という限 りにおいては合理的なものといえる。しかしながら、前記のとおり本件当時被告人が57歳であったことや、夜間に前照灯をつけながら進行していたところ、突然、反対車線側(右側)から進行方向前方に被害者が現れたという本件事故当時の被告人の具体的状況に照らせば、これらの状況下でも、被告人について上記反応時間が直ちに妥当するのか、プラス0.1ないし0.3 秒程度の差異が生じる可能性を合理的疑いなく否定できるかは疑問が残る。 そして、前記の原判示のように最長1.8秒もの空走時間を設定すべきかはともかくとしても、仮に空走時間を0.25秒ほど長めに1.0秒と仮定すると、空走距離は12.5メートルとなり、㋑制動距離と合計した停止距離は、23.89メートルとなることから、上記⑵で検討したA地点の視認可能距離を仮に検察官主張の23メートルとしても、結果回 仮定すると、空走距離は12.5メートルとなり、㋑制動距離と合計した停止距離は、23.89メートルとなることから、上記⑵で検討したA地点の視認可能距離を仮に検察官主張の23メートルとしても、結果回避可能性の存在に 合理的疑いが生じることは明らかである。 さらに、これまでの検討は、争点①の被告人車両の進行速度について、検察官の主張(時速約40ないし45キロメートル)に鑑み、最大時速45キロメートルを前提とするものであるが、検察官が上記主張の根拠とするG鑑定の内容に照らしても、最大時速を45キロメートルと明確に認定できるの か、弁護人主張のとおり最大時速50キロメートル程度であった可能性を合理的疑いなく排斥できるか、本件の証拠関係に照らしても疑問を否定することは容易ではない。そして、空走(反応)時間を検察官主張の0.75秒としても、被告人車両の走行速度を時速50キロメートル(秒速13.89メートル)とすると、停止距離は24.48メートル(空走距離10.42メ ートル+一般的な計算方式により算定できる制動距離14.06メートル)となり、仮に視認可能距離を23メートルとしても、結果回避可能性があったとは認められないことになる(さらに、空走(反応)時間を前記のとおり1.0秒と仮定した場合、一層、結果回避可能性の存在は疑わしくなり、また、上記空走時間を前提にすると、時速50キロメートル未満であったとし ても、結果回避可能性の存在に疑念が生じ得る。)。 加えて、上記⑵のとおり、視認可能距離が23メートルを下回ると認定されれば、結果回避可能性の存在に対する疑いは一層強くなる。 ⑷ 小括以上によれば、被告人が、被害者との衝突場所であるA地点よりも、結果 回避が可能な手前の地点で、被害者を視認可能であったとするには合理 回避可能性の存在に対する疑いは一層強くなる。 ⑷ 小括以上によれば、被告人が、被害者との衝突場所であるA地点よりも、結果回避が可能な手前の地点で、被害者を視認可能であったとするには合理的な疑いが残る。したがって、当審新訴因にかかる検察官主張の結果回避可能性、過失は認められず、当審新訴因にかかる過失運転致死の事実を認定することはできない。 4 結論したがって、当審新訴因にかかる被告事件について犯罪の証明がないから、刑訴法336条により、被告人に対し、無罪の言渡しをする。 令和7年3月19日 札幌高等裁判所刑事部 裁判長裁判官青沼潔 裁判官高杉昌希 裁判官並河浩二

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