平成13年(ワ)第1455号損害賠償請求事件 主文 1 被告は,原告X1に対し6642万1275円,原告X2に対し6500万0297円と,これらに対する平成10年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告らのそのほかの請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は,10分の9を被告の負担とし,10分の1を原告らの負担とする。 4 この判決は,第1項について,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 原告らの請求被告は,原告X1に対し7320万9820円,原告X2に対し7178万8842円と,これらに対する平成10年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は,被告の設置する病院で扁桃摘出手術を受け,その6日後に咽頭から大量出血をして死亡した患者の相続人が,執刀した医師に手技上の過失があったと主張して,医療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償を求めた事案である。 1 前提となる事実(証拠を記載したもの以外は争いがない)(1) 当事者ア Z(ネパール国籍。1955年(昭和30年)7月生まれ)は,昭和49年4月に留学生として来日し,昭和59年3月に京都大学大学院工学研究科の博士課程を卒業した後,平成2年11月から横浜国立大学工学部土木工学科の助教授として勤務していたが(甲B1,弁論の全趣旨),以下のとおり,平成10年8月10日に43歳で死亡した。 X1はZの妻,X2(昭和56年3月生まれ)はZの子である。原告らは,それぞれ2分の1の相続分でZを相続した(甲C2。ただし,相続分については被相続人の本国法であるネパール法の規定が不明であるため,日本法を適用する)。 イ被告は,被告病院を設置している。 P医師とQ医師は,平成10年8 でZを相続した(甲C2。ただし,相続分については被相続人の本国法であるネパール法の規定が不明であるため,日本法を適用する)。 イ被告は,被告病院を設置している。 P医師とQ医師は,平成10年8月当時,被告に雇用され,被告病院の耳鼻咽喉科に勤務していた。 (2) 診療経過の概要ア Zは,平成6年7月2日,咽頭痛を主訴として被告病院の耳鼻咽喉科を受診した。初診時,両側の扁桃が発赤,腫脹して膿栓も付着し,以前から年に1,2回扁桃炎を反復していたことから,習慣性扁桃炎と診断された。 Zは,その後も,平成6年11月4日,平成7年10月3日から5日まで,平成9年7月22日から24日まで,平成10年5月29日と6月23日に受診して,扁桃炎の治療を受けた。その間,平成9年7月24日に,Zは扁桃摘出手術を勧められ,平成10年5月29日には,夏休みを機会に扁桃摘出手術を施行することが予定された(当初は7月28日を予定したが,後に8月4日に予定変更)。 イ Zは,平成10年8月3日,被告病院の耳鼻咽喉科に入院し,被告との間で,両側の扁桃摘出手術について医療契約を締結した。 8月4日,P医師の指導の下に,Q医師が執刀して,扁桃摘出手術が施行された。Q医師は,午前9時55分に手術を開始し,午前10時10分に右扁桃,午前10時30分に左扁桃を摘出し,止血措置を行って,午前11時25分に手術を終了した。この止血にあたっては,対極板を左側腹部に装着して,モノポーラ(単極)型の電気凝固器を使用した。 ウ翌日から口蓋垂に腫脹が見られ,Zからは仰向けになると喉がつまり,息が吐き出せず苦しいとの訴えがあったので,8月7日,P医師が執刀して,口蓋垂切除手術が施行された。 エその後,Zからは咽頭痛や嚥下時痛が訴えられ,時々茶色痰の吐出があったが,8月10日も,午前9 が吐き出せず苦しいとの訴えがあったので,8月7日,P医師が執刀して,口蓋垂切除手術が施行された。 エその後,Zからは咽頭痛や嚥下時痛が訴えられ,時々茶色痰の吐出があったが,8月10日も,午前9時の診察時には,出血は認められず,扁桃を摘出した後の扁桃床には白苔(かさぶた)の形成が認められた。 ところが,Zは,8月10日午前10時15分,突然,咽頭から噴水状の大量出血をした。圧迫止血が試みられたが効果なく,間もなく意識レベルが低下して呼吸停止となり,午前10時20分には人工呼吸や心臓マッサージなどの蘇生措置が開始されたが心停止となって,午後0時57分,死亡が確認された。 手術創部からの出血であり,出血自体が急激で大量であったことや,脳虚血の発症が早かったことなどから,出血の原因は,扁桃床の背後を走行している内頚動脈(脳に血液を送る動脈)が破綻したものと考えられている。 2 争点(1) 扁桃摘出手術について,医師に手技上の過失があったか。 (2) 医師の過失と内頚動脈の破綻との間に相当因果関係があるか。 争点(1),(2)についての主張は,別紙「当事者の主張」に記載のとおり。 (3) 原告らの損害争点(3)についての原告らの主張は,次のとおり。 ア Zの逸失利益 8598万0690円43歳で死亡したZが大学教員として得られる給与の見込額は,毎年0.7パーセントのベースアップがあり,平成14年4月には教授に昇任するなどの想定で算定すると,平成33年3月の定年退職月までで合計3億0065万8021円になる。この収入額を基礎として,ライプニッツ方式で年5パーセントの中間利息を控除し,30パーセントの生活費控除をすると,7194万5933円になる。 また,退職金予定額は2947万2990円であり,ホフマン方式で年5パーセントの中間利 ッツ方式で年5パーセントの中間利息を控除し,30パーセントの生活費控除をすると,7194万5933円になる。 また,退職金予定額は2947万2990円であり,ホフマン方式で年5パーセントの中間利息を控除すると,1403万4757円となる。Zの逸失利益は,この合計8598万0690円である。 イ Zの慰謝料 2000万円Zが被った精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は,2000万円を下回らない。 ウ原告ら固有の慰謝料それぞれ1000万円Zは,退院後は再び仕事に戻り,間もなく帰化も認められ,横浜国立大学における教授の地位も約束される者であった。原告らは妻,子としてZとの家庭を平穏に築くことができた者であり,突然Zが死亡したことにより著しい精神的苦痛を被った。この精神的苦痛に対する慰謝料は,それぞれ1000万円を下回らない。 エ葬儀費用 142万0978円(X1の損害)オ弁護士費用それぞれ879万8497円以上の損害の合計は,X1が7320万9820円(相続により取得したア,イの2分の1と,ウ,エ,オとの合計),X2が7178万8842円(相続により取得したア,イの2分の1と,ウ,オとの合計)である。 第3 争点に対する判断 1 扁桃摘出手術の経過証拠(甲B5,乙A1~4,証人Q,P)によれば,次の事実が認められる。 (1) 平成10年8月4日,Zに対し,扁桃摘出手術が施行された。Q医師が執刀し,耳鼻咽喉科長であるP医師が立ち会って指導に当たった。 Zの扁桃肥大は第2度(前口蓋弓より強く突出している状態)であり,習慣性扁桃炎の影響で扁桃床との癒着が非常に強く,埋没もしていた。 平成8年4月に医師免許を取得したQ医師は,平成10年8月までに3件の扁桃摘出手術で執刀の経験があったが,本件のように扁桃と扁桃床の癒着が非常 影響で扁桃床との癒着が非常に強く,埋没もしていた。 平成8年4月に医師免許を取得したQ医師は,平成10年8月までに3件の扁桃摘出手術で執刀の経験があったが,本件のように扁桃と扁桃床の癒着が非常に強い症例の執刀は初めてであった。 (2) Q医師は,午前9時55分,全身麻酔下でZに仰臥位をとらせ,その頭側に立ち,開口器を装着して,執刀に着手した。 Q医師は,まず,右扁桃を鉗子で把持して,前口蓋弓から後口蓋弓に沿って生理食塩水を粘膜下に注射し,膨疹を作った。そして,浮いた粘膜をメスで切開して扁桃被膜を露出させ,剥離子を使用して,扁桃被膜に沿って右扁桃を扁桃床から鈍的に剥離し,残った扁桃門部を茎状に露出して,そこにシュリンゲ(絞断器)のワイヤーをかけて絞断し,午前10時10分,右扁桃を摘出した。 次いで,Q医師は,開口器を装着し直して,同様の手順で左扁桃を摘出したが,左扁桃の剥離の際に,扁桃床の筋層を一部切除してしまった。その切除部位は,肉眼で見てもへこみが判別できた。左扁桃の摘出を終えたのは,午前10時30分であった。摘出後に見た扁桃の埋没部分は,Q医師が予想していた大きさを上回っていた。 (3) Q医師は,ボスミン綿球で圧迫止血をしたうえで,ウージング(じわじわしみ出る小出血)に対しては,モノポーラ(単極)型の電気凝固器である吸引コアギュレーターを使用して,出血を吸引しながら,両側の扁桃床を広範囲にわたり焼灼止血した。Q医師はバイポーラ(双極)型の電気凝固器の使用は想定しておらず,その準備はしていなかった。 止血措置に55分をかけて,Q医師は,午前11時25分に手術を終了した。P医師も,最後に止血状態の確認をした。扁桃と扁桃床の癒着が非常に強かったこともあって,出血量は多く,術中に吸引した血液量は約300ミリリットルに達した。 医師は,午前11時25分に手術を終了した。P医師も,最後に止血状態の確認をした。扁桃と扁桃床の癒着が非常に強かったこともあって,出血量は多く,術中に吸引した血液量は約300ミリリットルに達した。 この扁桃摘出手術中,扁桃床周辺に血管の拍動は見られなかった。P医師は,術後,カルテに「型通りの術式,特に問題なし」と記載した。 (4) Q医師は,翌8月5日の診察で,P医師から指摘を受けて,左扁桃床に扁桃組織の遺残と疑われるものを発見した。 同日,Q医師は手術記録を作成したが,その手術記載簿には「(左扁桃を)摘出する際,muscle を余分に切除したため深くほれてしまった。電メスにて凝固し止血」,「術翌日,左扁桃床に扁桃の rest らしきものを認めた」などと記載をした。 (5) Zの死亡後,P医師は,原告ら家族に対する説明で,大量出血の原因としては,頚動脈が扁桃床のすぐ後ろを走行しており,手術操作の影響によりその血管壁が弱くなっていたためと思われるとの見解を示した。 P医師は,また,動脈壁が破綻して出血する原因としては何らかの壊死化に近いものしか考えられないことから,カルテの病歴概略には「出血の原因は不明であるが,術中術後大きな出血は無く,動脈壁が壊死化などによりこの時点で破綻した可能性が考えられる」と記載した。 2 手技上の過失の有無(争点(1))について(1) 扁桃摘出手術において,剥離子を使用して扁桃を扁桃床から剥離する際には,扁桃被膜に密接して剥離をすることが必要であり,剥離子が扁桃実質内に入ったり,剥離子で扁桃床の筋層を切除することなどがないよう注意しながら,扁桃を鈍的に剥離する。扁桃を十分に剥離した後,シュリンゲを使用して残った付着部分を扁桃門部で絞断するが,剥離が不十分であると,扁桃組織の一部を残したり,過剰に絞断して などがないよう注意しながら,扁桃を鈍的に剥離する。扁桃を十分に剥離した後,シュリンゲを使用して残った付着部分を扁桃門部で絞断するが,剥離が不十分であると,扁桃組織の一部を残したり,過剰に絞断して筋層を損傷するおそれがある(甲B4,5,13,14,乙B1,3)。 扁桃摘出手術は,耳鼻咽喉科医が経験の浅い時期から取り組む手術であることから,比較的容易なものと考えられがちであるが,事故の多い手術でもある。 特に癒着の強い埋没型扁桃の場合には,剥離操作に難渋するなどして,遺残や術後出血,疼痛などを生じさせる危険がある(甲B4)。 (2) したがって,扁桃と扁桃床の癒着が強かった本件においては,筋層に損傷を与えることがないように,剥離操作はより丹念かつ慎重に行われるべきであった。ところが,Q医師は,剥離子で筋層を余分に切除した。また,扁桃組織の遺残と疑われるものを取り残した形跡もある。このような剥離操作は,医療水準上,手技として適切なものではなかったというべきである。 この点について,Q医師は,癒着が非常に強かったため,扁桃を剥離するに際して筋層がわずかに扁桃に付着して切除されたが,1ないし2ミリメートル程度であり,これはやむをえない事態であって,手技として不適切な点はなかったとの供述をする。 しかし,Q医師が手術記載簿に記載した「 muscle を余分に切除したため深くほれてしまった」という表現は,剥離の際に筋層の一部が不可避的に扁桃に付着したというよりも,剥離子の操作を誤って筋層を切除してしまい,これにより直接的に筋層に損傷を与えたことを表現したものと理解することができる。また,この切除部位は肉眼で見てもへこみが判別できる程度であったから,「深くほれてしまった」という深さが,わずか1ないし2ミリメートルにとどまったとも考えられない 現したものと理解することができる。また,この切除部位は肉眼で見てもへこみが判別できる程度であったから,「深くほれてしまった」という深さが,わずか1ないし2ミリメートルにとどまったとも考えられない。Q医師の供述は,採用することができない。 (3) 扁桃摘出手術における術中術後の止血措置としては,ボスミン綿球による圧迫止血のほか,モノポーラ型電気凝固器による焼灼止血,バイポーラ型電気凝固器による焼灼止血と,結紮止血がある。結紮止血については,その必要性は小さいとする見解もあるが,出血点の明らかな出血に対しては,確実な止血措置としてこれを推奨するものもある(甲B3~9)。 Zの扁桃は癒着が強かったから,剥離操作に伴う出血量も多かったと考えられ,しかも筋層の一部が切除されたのであるから,切除部位からの出血も当然にあった(被告は,術中に吸引した300ミリリットルという血液量の中には唾液や洗浄用生理食塩水も含まれるとの主張をするが,そうであったとしても,それは少量にすぎないというべきである)。 したがって,目立った出血点に対する止血措置としては,熱による組織への侵襲の危険がある焼灼止血よりも,結紮止血がふさわしかったと考えられるが,Q医師は結紮止血を行わず,筋層の切除部位についても,吸引コアギュレーターによる焼灼止血に終始した(Q医師とP医師は,カルテに記載はないが,右側も左側も3か所くらいずつ結紮止血を行ったとの供述をしている。しかし,カルテに電気凝固器による止血をしたとの記載はする一方で,より確実な止血措置である結紮止血をしたとの記載は省略するということは考えられず,これらの供述を採用することはできない)。 (4) 吸引コアギュレーターは,モノポーラ型電気凝固器ではあるが,出血した血液を吸引して焼灼する部位の視野を明瞭にしながら止血する ということは考えられず,これらの供述を採用することはできない)。 (4) 吸引コアギュレーターは,モノポーラ型電気凝固器ではあるが,出血した血液を吸引して焼灼する部位の視野を明瞭にしながら止血するという機能を備えているから,これを使用したこと自体が不適切な措置であったということはできない。しかし,バイポーラ型電気凝固器であれば,ピンセット状になった先端が両極になっていて,その先端で挟んだ部位だけが通電されて確実に焼灼されるのに対して,モノポーラ型電気凝固器は,バイポーラ型のように熱の影響の及ぶ範囲が限局されず,むしろ拡散されやすいために深部にまで熱の影響が及ぶおそれがある(甲B3,7,14)。 したがって,癒着のため剥離操作に多量の出血が伴い,しかも筋層の一部が切除された本件においては,熱による組織深部の侵襲という危険を最小限に抑えるために,バイポーラ型電気凝固器を併用するなどの配慮が必要であった。ところが,Q医師は,止血措置を全面的にモノポーラ型の吸引コアギュレーターに依存し,筋層の切除部位をも含めて,扁桃床を広範囲にわたって焼灼止血した。このような止血措置は,手技として適切なものではなかったというべきである。 3 相当因果関係の有無(争点(2))について(1) 内頚動脈は扁桃床の背後にあり,扁桃床と内頚動脈との間には,個人差はあるが厚さ約1.5センチメートルの筋層がある(乙B2,4)。したがって,本件のように内頚動脈が破綻して咽頭から出血したということは,内頚動脈から出血した血液が,この咽頭までの組織を突き破って出血してきたことを意味する。 内頚動脈が走行異常により扁桃床の表面近くを走行していて,この咽頭までの組織が薄くなっていたことも考えられるが,Zの場合,扁桃摘出手術中,扁桃床の周辺に血管の拍動は見られなかったから,この る。 内頚動脈が走行異常により扁桃床の表面近くを走行していて,この咽頭までの組織が薄くなっていたことも考えられるが,Zの場合,扁桃摘出手術中,扁桃床の周辺に血管の拍動は見られなかったから,この可能性は否定される。 また,手術創部からの感染により炎症が生じ,内頚動脈の周囲組織も侵食されていたという可能性が考えられるが,Q医師やP医師の供述によっても,Zの場合,感染を示唆する所見は得られていない。 (2) Zの扁桃は埋没性であり,その埋没部分はQ医師が予想していたよりも大きなものであったから,扁桃の剥離操作がかなり深部に達した可能性がある。筋層の一部は,深く掘れたように切除された。そして,筋層の一部が切除された部位も含めて,扁桃床が広範囲にわたり,モノポーラ型電気凝固器によって焼灼止血された。出血量が多量であり,55分という止血時間も長かったということができるから,電気凝固器の熱による組織の侵襲は相当程度に達していたと考えられる。 そうすると,ほかに内頚動脈の破綻や周囲組織の脆弱化の原因が考えられない本件においては,剥離操作によって切除された筋層の部位が,モノポーラ型電気凝固器の熱の侵襲によって組織の損傷を受け,その熱による侵襲がさらに内頚動脈の壊死化も招来し,手術後6日目になって,内頚動脈の壊死化した部分が破綻し,咽頭からの大量出血が発生したと考えるのが合理的である。 (3) 扁桃摘出手術により内頚動脈の血管壁が壊死化して数日後に破綻するという症例は,文献(乙B9など)を参照しても,一般的にはまれなものと考えられる。しかし,扁桃摘出手術における電気凝固器の使用により内頚動脈が損傷して術後出血を起こすことは,まれではあるが確実にあると報告されている(甲B14)。本件では,剥離操作によって筋層の一部が深く掘れたように切除されていたの における電気凝固器の使用により内頚動脈が損傷して術後出血を起こすことは,まれではあるが確実にあると報告されている(甲B14)。本件では,剥離操作によって筋層の一部が深く掘れたように切除されていたのであり,焼灼止血をモノポーラ型電気凝固器によって行うときは熱の影響が深部にまで及ぶおそれがあるというのであるから,切除された筋層の部位をモノポーラ型電気凝固器によって焼灼止血する場合には,このような結果を予見することが可能であった。 したがって,Q医師には剥離操作と止血措置について手技上の過失が認められ,この過失と内頚動脈の破綻との間には相当因果関係があると認めることができる。被告には医療契約上の債務不履行があり,また,不法行為としても使用者責任を負う。 4 原告らの損害(争点(3))について(1) Zの逸失利益 9000万0594円(それぞれが4500万0297円ずつ相続)Zは,横浜国立大学からの給与として,平成9年には,931万7777円の収入を得ていた(甲C4)。これを基礎収入とし,生活費として3割を控除し,就労可能年数を67歳までの24年として中間利息を控除すると(ライプニッツ係数13.7986),Zの逸失利益は,9000万0594円と算定される。 なお,Zは,この給与のほかに委員手当や原稿料などの収入を得ているが(甲C4),継続性があるものとは認められないので,基礎収入には算入しない。また,原告らは,将来の給与について,毎年のベースアップや教授への昇任などを考慮に入れた計算方法をしているが,いずれも不確実なものであるから採用しない。 (2) Zの慰謝料 2800万円(それぞれが1400万円ずつ相続)Zは,扁桃摘出手術という死亡の危険が小さい手術において(しかも被告病院から勧められた手術である),医師の手技上の過失によ い。 (2) Zの慰謝料 2800万円(それぞれが1400万円ずつ相続)Zは,扁桃摘出手術という死亡の危険が小さい手術において(しかも被告病院から勧められた手術である),医師の手技上の過失により43歳の若さで,妻と当時未成年の子を残して死亡した。Zの精神的苦痛に対する慰謝料は,2800万円が相当と認める。 (3) 原告ら固有の慰謝料Zの死亡についての慰謝料は,すべての事情をZの慰謝料において考慮するのが相当であるから,これに加えて,原告ら固有の慰謝料は認めない。 (4) 葬儀費用 142万0978円(X1の損害)X1は,Zの葬儀費用として,142万0978円を支出したことが認められる(甲C6)。 (5) 弁護士費用 1200万円(それぞれが600万円ずつ)本件と相当因果関係のある弁護士費用として,原告らそれぞれに600万円ずつを認めるのが相当である。 第4 結論以上によれば,原告らの請求は,被告に対し,X1が6642万1275円,X2が6500万0297円と,これらに対する履行期後の平成10年8月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。 東京地方裁判所民事第35部裁判長裁判官片山良広裁判官松田典浩裁判官釜田ゆり(別紙) 当事者の主張原告ら被告争点(1) 手技上の過失の有無 1 扁桃摘出手術において,扁桃床の筋層を損傷すると,重大な術後出血の危険が生じる。したがって,執刀医は,扁桃の剥離に際しては,剥離子を常に切開線の内側に来るようにして丁寧な剥離操作をすべきであり,扁桃の絞断に際して て,扁桃床の筋層を損傷すると,重大な術後出血の危険が生じる。したがって,執刀医は,扁桃の剥離に際しては,剥離子を常に切開線の内側に来るようにして丁寧な剥離操作をすべきであり,扁桃の絞断に際しては,シュリンゲ(絞断器)で扁桃門部を過不足なく切断し,周辺組織を損傷することがないように注意する義務を負う。 ところが,医師としての経験に乏しいQ医師は,左扁桃の摘出中,手技未熟のため剥離子又はシュリンゲの操作を誤り,扁桃床の筋層を損傷した。 Q医師の手技が未熟であったことは,カルテ 1 Q医師は,扁桃摘出手術の術式に沿って,扁桃被膜に沿って丁寧な剥離操作を行い,扁桃門部を茎状に十分に露出したうえで,同部で確実に絞断した。ただし,本件においては,習慣性扁桃炎により扁桃と扁桃床の癒着が強かったため,剥離操作の際,切開線を超えて筋層をわずかに(1~2ミリメートル程度)合併切除したことはあったが,これにより止血困難な出血を来すことはなく,また,筋層の背後を走行する内頚動脈に影響を及ぼすこともなかった。 なお,カルテ上の「深くほれてしまった」との記載は,手技上のミスにより筋層の損傷が深部に達したという趣旨ではなく,癒着が強かったために,の手術記載簿に「 muscle を余分に切除したため深くほれてしまった」との記載をしていることや,左扁桃摘出後に,扁桃床に扁桃組織の遺残があったことから明らかである。 「深くほれた」との記載からうかがわれるとおり,剥離操作のミスによる損傷は筋層の深部に達した。そのため,術中の出血量が,通常は50~100ミリリットルにすぎないのに,本件においては300ミリリットルに及んだ。 筋層の一部がやむをえず剥がれたように感じられたことを意味する。 癒着が強かった本件においては,出血量300ミリリ 0ミリリットルにすぎないのに,本件においては300ミリリットルに及んだ。 筋層の一部がやむをえず剥がれたように感じられたことを意味する。 癒着が強かった本件においては,出血量300ミリリットルは異常なほど多量とはいえない。しかも,これには唾液や洗浄用生理食塩水も含まれる。原告ら主張の通常の出血量は,癒着の弱い幼児の例であり,患者が満43歳であった本件には当てはまらない。 2 術後出血を未然に防止するためには,術中術後を問わず十分な止血措置が講じられなければならない。特に本件においては,筋層の損傷が深部に達して多量の出血があったのであるから,より万全の止血措置が不可欠であった。 ところが,扁桃摘出手術に習熟していなかったQ医師は,まず第一に,確実な止血措置として結紮止血をすべきであったのに,これを行わなかった。結紮止血をしたにもかかわらず,そのことをカルテに一切記載しないということは通常ありえない。 第二に,電気凝固器を使用するに当たっては,すでに筋層の損傷が深部に達した部位があったから,それ以上損傷を重くしないように,先端がピンセット状の双極になっていて,両極で挟んだ部分だけを正確に焼灼止血できるバイポーラ型電気凝固器を使用すべきであった。ところが,Q医師は,電気凝固器の選択に留意することなく漫然と,熱の影響を与えやすいモノポーラ型電気凝固器を使用し,しかもその操作が未熟であったため,いたずらに焼灼部位を広げ,熱による侵襲の程度を大きくした。 2 Q医師は,出血点を同定できる部分には結紮止血を行った。この点についてカルテには記載がないが,被告病院においては扁桃摘出後に結紮止血をするのが通常の手順である。結紮止血を終えてから,ウージング(じわじわしみ出る小出血)に対しては,吸引コアギュレーターを,出 ついてカルテには記載がないが,被告病院においては扁桃摘出後に結紮止血をするのが通常の手順である。結紮止血を終えてから,ウージング(じわじわしみ出る小出血)に対しては,吸引コアギュレーターを,出力を最小限に抑えるなどしながら慎重に使用して,患部を焼灼止血した。この器具はモノポーラ型であり,バイポーラ型の電気凝固器ではないが,血液を吸引しながら明瞭な視野の下で止血措置をとることができるから,ウージングにはこれが適している。 すなわち,Q医師は,通常バイポーラ型電気凝固器を使用するような出血点には結紮止血を行い,結紮止血又はバイポーラ型電気凝固器による止血が困難な小出血にのみ,吸引コアギュレーターを使用した。じわじわしみ出るような小出血に対し,ピンセット状のバイポーラ型電気凝固器を使用するのは実践的とはいえない。 3 Q医師の手技が未熟であり,止血も不十分であったことは,次の事情からも裏付けられる。 左扁桃摘出後,手術終了までに55分もかかっており,止血に手間取ったことのほか,何らかの異常事態が発生した可能性がある。 扁桃摘出手術における侵襲が過度で,前口蓋弓の粘膜が広範囲に切除されたことに起因して,口蓋垂全体が予想以上に腫脹してしまい,その結果,これを切除しなければ息苦しく仰臥位で寝られない状態となって,当初予定になかった口蓋垂切除手術を余儀なくされた。また,扁桃摘出 3 癒着の強かった本件において,止血の処置に55分を要したことを,直ちに極端に時間がかかったと評価すべきではない。 Zの扁桃と口蓋垂はいずれも巨大であったため,扁桃摘出の影響で不可避的に口蓋垂支持力が弱まり,口蓋垂の可動域が大きくなって呼吸障害を来した。口蓋垂全体の腫脹が引いた後もこの状態が存続すると考えられたので,口蓋垂切除手術を施行 あったため,扁桃摘出の影響で不可避的に口蓋垂支持力が弱まり,口蓋垂の可動域が大きくなって呼吸障害を来した。口蓋垂全体の腫脹が引いた後もこの状態が存続すると考えられたので,口蓋垂切除手術を施行したのであり,扁桃摘出手術に問題があったわけではない。 咽頭痛や違和感が続いたことは,癒着の強か手術後,咽頭痛や違和感が続き,水分嚥下時に左鼻腔から流出するなどの症状もあったが,扁桃が過不足なく摘出されていれば,このような症状には至らないはずである。 った本件においては術後のやむをえない症状であるし,水分嚥下時に左鼻腔から流出したのは,口蓋垂切除手術後に通常見られる一過性の症状にすぎない。 4 以上のとおり,Q医師は,①剥離子又はシュリンゲの操作ミスにより筋層を損傷したこと,②結紮止血をせず,電気凝固器の選択を誤ったこと,③電気凝固器の操作自体が未熟で,筋層の深部に熱の影響を与えたこと,以上の手技上の過失を重ねて犯した。 ただし,これらの過失はいずれも,それぞれ単独で手技上の過失と評価されるものであるから,そのうち少なくともいずれかの過失が認められれば,上記3の事情も考慮に入れて,Q医師の手技は本件の医療契約上求められる医療水準に達していなかったというべきである。 争点(2) 相当因果関係の有無Q医師の過失により扁桃床の筋層への侵襲が過度に及んだ結果,Zの内頚動脈に外傷性仮性動脈瘤が発生したか,又はその血管壁が壊死化し,扁桃摘出手術後6日目の8月10日,内頚動脈が破綻して,急激かつ大量の咽頭出血に至った。 P医師が原告らに対して行った説明として,カルテには「大出血の原因として考えられることは,外(or 内)頚動脈が扁桃床のすぐ後ろを走っており,手術操作の影響により血管壁が弱くなっていたためと思われる」との記 らに対して行った説明として,カルテには「大出血の原因として考えられることは,外(or 内)頚動脈が扁桃床のすぐ後ろを走っており,手術操作の影響により血管壁が弱くなっていたためと思われる」との記載があるが,これは,扁桃摘出手術と咽頭出血との間の因果関係を認めたものではなく,あくまでも想定された例を述べたにすぎない。現時点で検討すると,診療経過中に咽頭部に拍動が見られなかった本件において,頚動脈が扁桃床のすぐ後ろを走行していた可能性はない。 結局,本件においては,剥離操作による筋層の損傷はわずかであり,止血措置も万全であったから,通常,扁桃床の1.5センチメートル以上後ろを走行している内頚動脈が,執刀した医師の手技によって損傷ないし破綻したとは考えにくい。内頚動脈が破綻した原因は不明であるが,手術中ではなく,手術後6日目に大量出血が起きていることからすると,手術創部からの感染により内頚動脈が侵食されたという可能性が考えられる。
▼ クリックして全文を表示