平成23(ワ)1274 損害賠償請求事件

裁判年月日・裁判所
平成25年9月17日 仙台地方裁判所
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判決文本文73,341 文字)

主文 1 被告らは,原告A1,同A2,同A3,同A4,同A5及び同A6各自に対し,連帯して,それぞれ2223万4967円及びこれに対する平成23年8月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告らは,原告A7及び同A8各自に対し,連帯して,それぞれ2161万6586円及びこれに対する平成23年8月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 4 訴訟費用は,原告らに生じた各費用についてはこれを3分し,その2を被告らの負担とし,その余を当該原告の負担とし,被告らに生じた各費用についてはこれを24分し,その16を当該被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。 5 この判決は,第1,2項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求の趣旨 1 被告らは,原告A1,同A2,同A3,同A4,同A5及び同A6各自に対し,連帯して,それぞれ3353万2270円及びこれに対する平成23年8月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告らは,原告A7及び同A8各自に対し,連帯して,それぞれ3285万2108円及びこれに対する平成23年8月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要等 1 事案の概要本件は,宮城県石巻市内の被告B1(以下「被告B1学院」という。)が設置 するC幼稚園(以下「本件幼稚園C」という。)に子供を入園させていた原告らが,平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(同地震を「本件地震」といい,同地震による被災を「東日本 設置 するC幼稚園(以下「本件幼稚園C」という。)に子供を入園させていた原告らが,平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(同地震を「本件地震」といい,同地震による被災を「東日本大震災」ということがある。)によって発生した津波(以下「本件津波」という。)に流されて,子供らが乗車した本件幼稚園Cの送迎バスが横転し,その後に発生した火災にも巻き込まれるなどし,上記子供らが死亡するに至ったのは,本件地震発生当時の本件幼稚園Cの園長であった被告B2(以下「被告B2園長」という。)らが津波に関する情報収集を懈怠し,送迎バスの出発や避難に係る指示・判断を誤ったことなどによるものである旨主張して,被告B1学院に対しては安全配慮義務違反の債務不履行又は民法715条1項の不法行為による損害賠償請求権に基づき,被告B2園長に対しては民法709条の不法行為による損害賠償請求権に基づき,それぞれ損害金及びその遅延損害金の連帯支払を求めたという事案である。 その中心的争点は,①被告B1学院の安全配慮義務違反の債務不履行責任又は不法行為責任の有無,②被告B2園長の不法行為責任の有無,③損害額である。 2 前提事実以下の事実は,当事者間に争いがないか,又は括弧書きで摘示した証拠等により認めることができる。 (1) 当事者等ア原告ら(ア) 原告A1及び同A2は,本件幼稚園Cに入園した亡D(年長組在園児。 以下「亡D」という。)の父及び母である(以下,原告A1を「原告亡D父」といい,原告A2を「原告亡D母」といい,両者を併せて「原告亡D両親」という。)。 (イ) 原告A3及び同A4は,本件幼稚園Cに入園した亡E(年長組在園児。 以下「亡E」という。)の父及び母である(以下,原告A3を「原告亡E 父」 せて「原告亡D両親」という。)。 (イ) 原告A3及び同A4は,本件幼稚園Cに入園した亡E(年長組在園児。 以下「亡E」という。)の父及び母である(以下,原告A3を「原告亡E 父」といい,同A4を「原告亡E母」といい,両者を併せて「原告亡E両親」という。)。 (ウ) 原告A5及び同A6は,本件幼稚園Cに入園した亡F(年長組在園児。 以下「亡F」という。)の父及び母である(以下,原告A5を「原告亡F父」といい,同A6を「原告亡F母」といい,両者を併せて「原告亡F両親」という。)。 (エ) 原告A7及び同A8は,本件幼稚園Cに入園した亡G(年中組在園児。 以下「亡G」という。)の父及び母である(以下,原告A7を「原告亡G父」といい,同A8を「原告亡G母」といい,両者を併せて「原告亡G両親」という。)。 イ被告ら昭和29年10月に設立された被告B1学院は,本件幼稚園Cの設置者であり,被告B2園長は,平成20年4月1日から平成23年3月31日まで,本件幼稚園Cの園長を務めていた者である。 (2) 本件地震発生当日の状況についてア亡D,亡E,亡F及び亡G(以下,その両親が原告となっている4名の園児を併せて「本件被災園児ら4名」という。)及び亡H(以下「亡H」といい,両親が原告となっていない亡Hも併せて「本件被災園児ら5名」という。)は,平成23年3月11日(以下,単に日付のみを記載したものは平成23年3月の日付を指す。),登園していた本件幼稚園Cから,午後3時7分頃発の送迎バスにより,本来は海側とは反対側の送迎コースを通って降園する予定であった(甲6)。 イ 11日午後2時46分頃,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9. 0の本件地震が発生した。 ウ被告B2園長は,11日午後3 側の送迎コースを通って降園する予定であった(甲6)。 イ 11日午後2時46分頃,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9. 0の本件地震が発生した。 ウ被告B2園長は,11日午後3時頃,本件幼稚園Cに待機していた2台の送迎バスのうち小さい方のバス(以下「本件小さいバス」といい,もう 1台の送迎バスを「本件大きいバス」という。)に,海側に向けたコース(別紙「2便送迎ルート図」・甲135参照)を通って同バスにより先に送迎される予定の2便目の園児7名のみならず,いったん同バスが本件幼稚園Cに戻ってきた後に内陸側へ向けて送迎される予定の3便目の本件被災園児ら5名も一緒に乗せ,高台にある本件幼稚園Cから海側に向けて本件小さいバスを出発させた。 本件小さいバスの運転手I(以下「I運転手」という。)及びその妻である添乗員J(以下「J添乗員」という。)は,海側にある宮城県石巻市南浜町及び同市門脇町を通り,途中,指定避難場所とされていた石巻市立門脇小学校(以下「門脇小学校」という。)に停車するなどして,本件被災園児ら5名を除く7名の園児らを,順次保護者に引き渡した。 エ 11日午後3時45分頃,宮城県石巻市南浜地区に津波が到達し,本件小さいバスは,同市門脇町五丁目付近の高台の本件幼稚園C側に向けて上り坂となっていた入口付近(以下「本件被災現場」という。別紙「被災現場付近概況図」〔甲11〕参照)において渋滞に巻き込まれている最中に後方から本件津波に襲われて横転し,流された。I運転手のみが津波に流されながらも九死に一生を得たものの,同バスに取り残されていた本件被災園児ら5名とJ添乗員が死亡した。 (3) 原告らによる本件被災園児ら4名の相続原告亡D両親は亡Dの死亡により同人の権利義務を,原告亡E両親は亡Eの死亡によ 同バスに取り残されていた本件被災園児ら5名とJ添乗員が死亡した。 (3) 原告らによる本件被災園児ら4名の相続原告亡D両親は亡Dの死亡により同人の権利義務を,原告亡E両親は亡Eの死亡により同人の権利義務を,原告亡F両親は亡Fの死亡により同人の権利義務を,原告亡G両親は亡Gの死亡により同人の権利義務を,それぞれ2分の1の割合で相続した。 3 (原告らの主張)(1) 原告らの主張の骨子被告B1学院は,原告らとの間の在園契約から生じる付随義務として,本 件被災園児ら4名が本件幼稚園Cにおいて過ごす間,本件被災園児ら4名の生命・身体を保護する義務を負っており,被告B2園長も,一般不法行為法上,同様の義務を負っていた。 しかし,以下に述べるとおり,被告B1学院の被告B2園長は,①本件地震発生後に必要とされる防災行政無線やラジオ放送等による情報収集を懈怠した上,仮にその情報収集が不十分なままであったとしても,被告B1学院が定めた「地震発生時の園児誘導と職員の役割分担」(甲8。以下「本件幼稚園C地震マニュアル」という。)においては,大地震発生時には本件幼稚園Cにおいて園児を保護者に引き渡すと定められていたのであって,一般的にも大地震発生後には津波の発生が予想されていたのであるから,その津波被害を避けるため,園児らを安全な高台にある本件幼稚園Cから海側に連れて行かないようにする安全配慮義務があるのにこれを怠り,本件被災園児ら5名とその他の園児ら7名を本件小さいバスに乗せ,高台にある本件幼稚園Cから海側へ向けて出発させた上,②本件小さいバスが門脇小学校に避難していることを幼稚園教諭の電話連絡により知り,幼稚園教諭2名を同小学校に向かわせた際にも,津波被害を避けるためには,直ちに同教諭2名において幼稚園児らを降車させて門脇 小さいバスが門脇小学校に避難していることを幼稚園教諭の電話連絡により知り,幼稚園教諭2名を同小学校に向かわせた際にも,津波被害を避けるためには,直ちに同教諭2名において幼稚園児らを降車させて門脇小学校脇にある階段を徒歩で上って避難するよう具体的に指示をすべきであったのにこれをせず,単に「バスを戻す」ことを指示したにとどまり,その結果,渋滞が予想される中を園児らの乗った本件小さいバスを戻らせて津波被災を招き,③そもそも被告B1学院は本件幼稚園C地震マニュアルを自ら策定し,大地震発生時には本件幼稚園Cにおいて園児を保護者に引き渡すと定めていたにもかかわらず,そのマニュアルを被告B2園長及びその他の職員ら(以下「被告B2園長ら職員」という。)の間に周知徹底せず,本件幼稚園C地震マニュアルを実践するための避難訓練を行っていなかった。 上記①ないし③は,被告B1学院において在園契約から生じる付随義務と しての本件被災園児ら4名に対する安全配慮義務に違反し,又はその被用者である被告B2園長の不法行為法上の安全配慮義務に違反するものであり,それらの義務違反の結果,本件被災園児ら4名が死亡したから,その遺族である原告らに対し,被告B1学院は民法415条の債務不履行責任又は民法715条1項の不法行為責任を負い,被告B2園長は民法709条の不法行為責任を負う。以下,具体的に主張する。 (2) 本件幼稚園Cから送迎バスを海側に向けて出発させた責任ア結果回避義務の前提となる予見可能性結果回避義務を課すためには,その結果について予見可能性のあることが必要である。しかし,安全配慮義務の対象が幼稚園児である場合には,そもそも自ら危険を判断し身を守ることができない以上,教諭への従属性が一段と高く,教諭の園児に対する安全配慮義務における注意義 ことが必要である。しかし,安全配慮義務の対象が幼稚園児である場合には,そもそも自ら危険を判断し身を守ることができない以上,教諭への従属性が一段と高く,教諭の園児に対する安全配慮義務における注意義務の程度としては極めて高度なものが要求されるべきであるから,その前提となる予見可能性もより広く認める必要がある。また,予見の対象が自然災害の場合には,そのすべてが科学で完全に解明されているわけではなく,人知を超えた自然災害も発生し得るから,その発生規模や細部にわたる機序についてまで具体的に予見することは必要ではない(自然災害による事故に関する最高裁昭和62年(オ)第520号平成2年3月23日第二小法廷判決,最高裁平成17年(受)第76号平成18年3月13日第二小法廷判決参照)。 そうすると,本件のように保護すべき園児に自然災害を原因とする被害が発生したような場合における予見可能性については,現に被害を想定していたことが必要ではないことはもちろん,現に発生した災害の規模及びそれによる被害の発生機序等を具体的に予見することができたことまでは必要ではなく,園児を保護すべき高度の注意義務を負う者において期待される結果回避行動を執る契機となる程度の自然災害が発生することの予見 可能性があれば足りると考えるべきである。本件津波の規模や本件の被災に至る具体的な機序まで想定することができなくても,津波被害を回避するために高台に位置する本件幼稚園Cにとどまらせる契機となる程度の津波の危険性を予見することができれば足りる。 イ情報収集義務の懈怠一般に,地震が発生した場合,津波,火災,崖崩れ,建物の倒壊,交通の途絶等の被害が発生することが予見されるのであるから,まず速やかにラジオや防災行政無線等により,震源地,津波発生のおそれ,火災,崖 一般に,地震が発生した場合,津波,火災,崖崩れ,建物の倒壊,交通の途絶等の被害が発生することが予見されるのであるから,まず速やかにラジオや防災行政無線等により,震源地,津波発生のおそれ,火災,崖崩れ,建物の倒壊,交通の途絶等について可能な限り情報収集を行う必要がある。 また,宮城県教育委員会が策定した「震災応急対策マニュアル」(甲7。 以下「宮城県教育委員会震災マニュアル」という。)においても,震災発生時,「指定職員はラジオ等により情報収集に努める。」ことが定められているところ,学校保健安全法上の「学校」には幼稚園が含まれ,同法29条1項により危険発生時対処要領の作成が求められていることからすれば,幼稚園にも同様の対応が求められているといえる。 そして,実際に,本件において,防災行政無線とラジオ等により情報収集をしようとすれば,それは極めて容易であった。すなわち,本件地震発生後,本件幼稚園Cのすぐ近くにある防災行政無線からは,地震発生後の午後2時48分以降立て続けに,「大地震発生,大地震発生。津波の恐れがありますので,沿岸や河口付近から離れて下さい。」,「大津波警報,大津波警報。宮城県沖に大津波警報が発表されました。沿岸・河口付近から離れて下さい。至急高台へ避難してください。」,「車での避難は控えて下さい。 渋滞になります(なっています)。」等のアナウンスが繰り返されていた(甲9)。現に,被告B2園長は,本件小さいバスを出発させた後,遅くとも午後3時10分頃までには,防災行政無線で大津波警報が発令されたことを 聞いていたことを認めている(甲5)。なお,被告らは,被告B2園長以外の他の教諭らが防災行政無線から放送された大津波警報を聞いていなかった旨主張するが,被告B2園長のみが聞いて,他の教諭らが聞いていなかったというのは不 いる(甲5)。なお,被告らは,被告B2園長以外の他の教諭らが防災行政無線から放送された大津波警報を聞いていなかった旨主張するが,被告B2園長のみが聞いて,他の教諭らが聞いていなかったというのは不自然である。 また,本件幼稚園Cにラジオがあれば,ラジオにより詳細な情報を直ちに収集することができたし,仮に本件幼稚園Cにラジオがないとしても,バスのラジオを聞くことができた。現に,本件大きいバスの運転手であったK(以下「K運転手」という。)は,午後3時5分頃,女川において10m位の津波が発生したとのニュースを本件大きいバスのラジオで聞き,本件幼稚園Cに引き返している(甲5)。 その他にも,ワンセグ機能付きの携帯電話があれば,たとえインターネット回線が繋がらず携帯電話が通じなくとも,テレビの電波を直接に受信することができたから,テレビのニュースを聞くことができた。本件地震発生時,本件幼稚園Cには,被告B2園長,主任,教諭6名及び運転手の9名の職員がおり,その多くがワンセグ機能付きの携帯電話を持っていたと思われ,これらによる情報収集は容易であった。 本件においてこれらの防災行政無線やラジオ等による情報収集をしていれば,被告B1学院の履行補助者又は被用者である被告B2園長ら職員は,本件地震発生直後に大津波警報が発令され,高台に避難しなければならない状況であることを容易に把握することができ,高台にある安全な本件幼稚園Cからあえて津波被害のおそれのある海側に向けて送迎バスを出発させることはなかったはずである。 ところが,被告B2園長ら職員は,防災行政無線やラジオ等を聞こうともせず,何ら情報収集をしないまま,被告B2園長において本件被災園児ら4名を海側に送迎する指示をし,他の職員らもこれに従ったものであるから,被告B2園長ら職員には,災害発生時 線やラジオ等を聞こうともせず,何ら情報収集をしないまま,被告B2園長において本件被災園児ら4名を海側に送迎する指示をし,他の職員らもこれに従ったものであるから,被告B2園長ら職員には,災害発生時における情報収集の懈怠とい う安全配慮義務違反が認められる。特に被告B2園長は,本件幼稚園Cの園長として,学校教育法(27条4項)に基づき,学校設置者に代わり所属職員を監督し,園務を司る立場にあるから,その情報収集義務違反は重い。 ウ本件被災園児ら4名を海側へ連れて行った判断・指示の誤り児童を預かる教諭には児童を危険から守る高度の注意義務が課されており,当時の科学的知見や,これまでの危険の発生状況,当該場面における具体的事情に基づき,危険を予見し,回避する高度な注意義務が課せられている(前掲最高裁昭和62年(オ)第520号平成2年3月23日第二小法廷判決,最高裁平成17年(受)第76号平成18年3月13日第二小法廷判決参照)。特に幼稚園児は危険を予見し回避することができないのであるから,幼稚園児を預かる園長や教諭には,一層高度な注意義務が課せられるべきである。 そして,一般に,大地震が起きた場合,海沿いの地域においては津波が発生する可能性があることは公知の事実であり,本件地震が尋常ならざる強い揺れを長く伴うものであったことからすれば,被告B2園長ら職員が仮に十分な情報を把握していなかったとしても,津波の発生する可能性が高いことを容易に予見することができた。その場合,津波の大きさ(高さ)について具体的に予見することができないとしても,可能な限り高い場所(高台)に避難することが必須であり,津波が到達する危険のある海沿いには,その危険がなくなるまで,絶対に近づかないことが鉄則である。 宮城県教育委員会震災マニュアルにおいても も,可能な限り高い場所(高台)に避難することが必須であり,津波が到達する危険のある海沿いには,その危険がなくなるまで,絶対に近づかないことが鉄則である。 宮城県教育委員会震災マニュアルにおいても,情報収集の上,「津波警報等の発令時(見込みを含む。)は,更に高台等に二次避難する。」ことを定めている(甲7)。 また,被告B1学院自身も,本件幼稚園C地震マニュアル(甲8)において,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園 庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。 園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする。」と自ら定めていた。 さらに,本件被災園児ら4名は,本来は本件小さいバスの3便目である内陸側のコースを送迎される(海側の門脇町・南浜町には行かない)予定であったのに,先に海側の門脇町・南浜町に向けたコースを送迎される2便目の園児ら7名と一緒に本件小さいバスに同乗させられていたという事情もあり,被告B2園長の指示は,予め保護者らに知らせていた送迎バスの送迎コースや手順にも反するものであった。 このような諸事情にも照らせば,仮に防災行政無線やラジオ放送等による情報収集が不十分なままであったとしても,被告B2園長ら職員は,津波を予見し,幼稚園児らを可能な限り高い場所(高台)に避難させ,津波の危険がある海側に近づけないようにする安全配慮義務を負っていたのであって,本件幼稚園C地震マニュアル等に従っても地震発生時には保護者らに引き渡すまでは幼稚園児らを本件幼稚園Cにおいて安全に保護する義務を負っていたものであるから,高台に位置する本件幼稚園Cを離れて,津波の危険がある海側へ本件被災園児ら4名を送迎バスに同乗させて連れて行ったことは,前記義務に違反する。 (3) 門脇小学校から本件小 負っていたものであるから,高台に位置する本件幼稚園Cを離れて,津波の危険がある海側へ本件被災園児ら4名を送迎バスに同乗させて連れて行ったことは,前記義務に違反する。 (3) 門脇小学校から本件小さいバスを出発させた責任本件小さいバスは,11日午後3時10分頃,指定避難場所とされていた門脇小学校の校庭に停車していた。 その午後3時10分頃までには被告B2園長は,単なる津波警報ではなく,大津波警報が発令されたことを防災行政無線により知っていた(甲5)。 また,本件大きいバスのK運転手も,午後3時5分頃に本件幼稚園Cを出発した後,ラジオにより,女川方面で10m近い津波が発生したとの情報を得て,危険を感じ,途中で海側に向かわずに本件幼稚園C方向に引き返しており,午後3時10分頃には本件幼稚園Cに戻っていた(甲5)。 そして,被告B2園長は,午後3時10分頃,いったん本件幼稚園Cを出発したはずの本件大きいバスが同幼稚園に戻ってきたことを確認していたのであるから(甲5),その戻ってきた事情を確認すべきであり,被告B2園長とK運転手は,幼稚園児の生命・身体を守る安全配慮義務の一環として,相互に津波に関する情報を伝えたり,確認したりすべき注意義務があった。そうしていれば,遅くとも午後3時10分頃までには,被告B2園長は,K運転手から女川で10m近い津波が来たことを知らされ,石巻にも10m近い巨大な津波が襲来するかもしれず,本件小さいバスに乗車している園児らの生命・身体に重大な危険が及ぶ可能性のあることを具体的に予見することが可能であった。 そのような大津波警報が出されている危険な状況において,被告B2園長は,本件小さいバスが指定避難場所とされている門脇小学校に避難していることを幼稚園教諭から知らされたが,門脇小学校は日和山の麓付 そのような大津波警報が出されている危険な状況において,被告B2園長は,本件小さいバスが指定避難場所とされている門脇小学校に避難していることを幼稚園教諭から知らされたが,門脇小学校は日和山の麓付近にあり,同小学校からは隣接する墓地の階段(以下「本件階段」という。その距離約91m)を1分程度歩くことにより本件幼稚園Cとほぼ同じ高さに達し,更に日和山に登っていくことが可能であったから(甲10~12),その本件階段を上って徒歩で直ちに避難するよう指示すべきであった。現に,門脇小学校の小学生は,津波被害を避けるため,本件地震発生直後に本件階段を歩いて日和山に避難をしていた。本件幼稚園Cは,門脇小学校から本件階段を上った先に位置しており,門脇小学校からは直線距離にして約200m,歩いて5分程度の極めて近い距離(約268m)にあったのであり(甲10及び12参照),実際に門脇小学校に派遣された職員2名は,門脇小学校脇の墓地の本件階段を下りて門脇小学校に向かい,本件階段を上って本件幼稚園Cに戻っているから,上記2名の幼稚園教諭が本件幼稚園Cに戻る際に,I運転手及びJ添乗員と共に,本件小さいバスにそのときに乗車していた園児7名を伴って本件階段を上って避難することは可能かつ容易なことであった。門 脇小学校から本件被災現場までは約800mもあり(甲122),渋滞に巻き込まれることも予想されたから,バスで移動させるべきではなかった。 また,被告B2園長としては,本件小さいバスに乗車中の幼稚園児らを確実かつ安全に避難させるために,職員に対する指示を具体的に徹底する義務があった。宮城県教育委員会震災マニュアル(甲7)においても,「所属所長は,災害に対応するための職員の役割分担を再確認し,職員に徹底する。」とされていた。 したがって,被告B2園長と 徹底する義務があった。宮城県教育委員会震災マニュアル(甲7)においても,「所属所長は,災害に対応するための職員の役割分担を再確認し,職員に徹底する。」とされていた。 したがって,被告B2園長としては,2名の職員に対し門脇小学校に避難している本件小さいバスに二次避難の指示をする際にも,同職員らに対し,大津波警報が発令されたことを明確に告げた上,幼稚園児らを本件小さいバスから直ちに降車させ,隣接する墓地の本件階段を歩いて日和山方向の高台に避難するよう具体的に指示すべきであった。 そうであるのに,被告B2園長は上記職員らに対し「バスを戻す」という不適切な指示をしたのみであって,幼稚園児らの避難について当然に行うべき具体的な指示を怠った。このため,門脇小学校に派遣された職員2名は,本件小さいバスのI運転手に対し,「バスを戻す」という被告B2園長の指示のみを伝え,本件被災園児ら5名と,その他園児2名を乗せたまま本件小さいバスを出発させた(甲5)。 (4) 地震時のマニュアル周知と避難訓練を怠った責任幼稚園も学校保健安全法にいう「学校」に含まれるから,被告B1学院は幼稚園設置者として,危険等発生時において幼稚園の職員が執るべき措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領(「危険等発生時対処要領」)を作成すべき義務がある(同法29条1項)。また,被告B2園長は,園長として,上記の危険等発生時対処要領を幼稚園職員に周知徹底し,同マニュアルに基づく避難等の訓練を実施する義務があった(同法29条2項)。すなわち,被告B1学院は,在園契約に付随する安全配慮義務の一つとして,上記危険等発 生時対処要領を作成し,園長である被告B2園長をして,同要領の周知と避難等の訓練を実施させる義務を負っていた。 幼稚園に危険等発生時対処要領作成が義務づ 慮義務の一つとして,上記危険等発 生時対処要領を作成し,園長である被告B2園長をして,同要領の周知と避難等の訓練を実施させる義務を負っていた。 幼稚園に危険等発生時対処要領作成が義務づけられているのは,災害発生時には,幼稚園職員が恐怖や不安等に襲われ精神的な混乱に陥る可能性が高く園児の生命を護るべき適切な行動を選択することが困難であることから,日頃から災害時に発生する危険を予測し適切な危険回避のための行動指針を具体的に決めておく必要があるからである。また,園長に,上記要領の周知と訓練実施義務が課せられているのは,予め災害時の行動指針を決めていても,その指針が園児を保護すべき職員に知らされていなければ現実に災害が発生したときの行動指針として役立たないからである。また,単に上記要領を知識として有しているのみでは,混乱時のとっさの行動指針としては有効に機能しないから,要領の趣旨と内容が体にしみこむように理解されるよう,要領を実践する形での模擬的訓練が必要なのである。 そして,被告B1学院は,前記危険等発生時対処要領に相当するものとして,本件幼稚園C地震マニュアル(甲8)を策定しているが,津波被害との関係では,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。 園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする。」との規定があり,大地震の場合の行動指針として,保護者の迎えがあるまで園児を本件幼稚園C内にとどめて待機すべきことが明記されている。この規定は,津波被害の可能性のある地域においては地震後の津波から逃れるためには迅速に高台へ避難することを最優先させるべきことが鉄則であるところ,本件幼稚園Cはもともと高台に設置されているため,地の利を活かして本件幼稚園 能性のある地域においては地震後の津波から逃れるためには迅速に高台へ避難することを最優先させるべきことが鉄則であるところ,本件幼稚園Cはもともと高台に設置されているため,地の利を活かして本件幼稚園C内にとどまることが最も安全であることを明記したものである。この行動指針は,極めて明快な内容であり,かつ,低地から高台への積極的移動を伴う避難行動ではなく,ただ単に本件幼稚園Cにとどまれば良いのであるから,その指針の とおりに行動することは極めて容易な内容である。 そうすると,被告B2園長が本件幼稚園C地震マニュアルを職員間に周知し避難等の訓練を実践してさえいれば,被告B2園長ら職員は,津波の予兆である大地震が発生した場合には,ほぼ間違いなく本件幼稚園C内にとどまるという適切な行動を選択することができたはずである。 しかしながら,被告B2園長は,本件幼稚園C地震マニュアルを職員間に周知せず,これを模擬的に実践する避難等の訓練も行わず,わざわざ低地の方に向かって下りていく行動を選択した結果,本件被災園児ら4名の死亡を招いた。 以上のとおり被告B1学院の履行補助者又は被用者である被告B2園長ら職員には重大な注意義務違反があったといえる以上,被告B1学院は債務不履行責任又は民法715条1項の使用者責任を免れず,被告B2園長自身も民法709条の不法行為責任を免れない。 (5) 損害ア本件被災園児ら4名の逸失利益(ア) 亡D,亡E及び亡F(当時各6歳)について470万5700円(賃金センサス平成21年男女計学歴計全年齢平均賃金)×10.1170(死亡時6歳,就労可能年数49年のライプニッツ係数)×(1-0.4〔生活費控除割合〕)=2856万4540円(イ) 亡G(当時5歳)について 歴計全年齢平均賃金)×10.1170(死亡時6歳,就労可能年数49年のライプニッツ係数)×(1-0.4〔生活費控除割合〕)=2856万4540円(イ) 亡G(当時5歳)について470万5700円(賃金センサス平成21年男女計学歴計全年齢平均賃金)×9.6352(死亡時5歳,就労可能年数49年のライプニッツ係数)×(1-0.4〔生活費控除割合〕)=2720万4216円イ本件被災園児ら4名の慰謝料本件被災園児ら4名は,大地震により精神的に不安な中,自分達の命を 守るために最善の行動を取ってくれるものと被告らを信頼し,その指示に従い本件小さいバスに乗車したにもかかわらず,その信頼を裏切られ,命を失ったものであり,その精神的苦痛を慰謝するには各2500万円が相当である。 ウ原告らは,各々自らの子の上記逸失利益及び慰謝料の損害賠償請求権を2分の1の割合で相続した(甲1~4)。 エ原告ら固有の慰謝料各300万円原告らは,これまで大切に育て,今後の成長を楽しみにしていた5歳又は6歳という幼い我が子を失った。原告らは,特に,①被告B2園長ら職員が,わざわざ安全な高台にある本件幼稚園Cから標高が低く海に近い場所に本件被災園児ら4名を移動させた結果,その命を失わせたことについて,裏切られたという思いや憤りを抑えることができない。また,原告らは,②被告B1学院が本来は海側とは反対の内陸側にある自宅に向けて3便目に乗る予定の本件被災園児ら4名を,保護者との約束に反して海側へ向かう2便目のバスに乗せ,その結果海側に自宅のある園児らが保護者に引き渡されて全員が無事であったのに対し,内陸側に自宅のある本件被災園児ら4名が死亡してしまったという点においても,被告らを許せない 向かう2便目のバスに乗せ,その結果海側に自宅のある園児らが保護者に引き渡されて全員が無事であったのに対し,内陸側に自宅のある本件被災園児ら4名が死亡してしまったという点においても,被告らを許せない気持ちでいる。さらに,③本訴提起前の被告B2園長の原告らに対する説明によれば,被告B2園長は,11日の日暮れ前には,本件小さいバスが津波にのみ込まれた本件被災現場を概ね把握していたのに,その日のうちに被告B1学院の職員に本件小さいバスの捜索を指示しておらず,また,保護者に対しても本件被災現場を知らせなかったものであり,本件被災園児ら4名が本件小さいバスで発見されたとき,その遺体は焼け焦げ,原告らが生前の我が子の面影をうかがうことが全くできない状態であったことについても被告らを許せない気持ちでいる(甲13参照)。本件被災園児ら4名の死因及び死亡時刻が特定されていない以上,本件被災園児ら4名は本 件小さいバスが津波に流された時点では生きており,その後の深夜の火災により焼死した可能性もあり,救命が可能であったかもしれないからである。現に,本件小さいバスが津波に流された本件被災現場付近に住む住民は,11日深夜,付近から子どもの泣き声が聴こえたと話している。もし被告B2園長が11日に本件小さいバスが津波にのみ込まれた場所を把握した時点で,被告B1学院の職員に捜索を指示し,又は保護者らに対して本件被災現場を伝えてくれていれば,本件被災園児ら4名の捜索が行われ,救助することができた可能性がある。仮に救命が困難であったとしても,焼け焦げていない状態の我が子の遺体と原告らが対面できた可能性がある。 原告らはそのような無念さを一生抱えて生きていかなければならなくなったものであり,このような原告らの著しい精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも1人当たり 子の遺体と原告らが対面できた可能性がある。 原告らはそのような無念さを一生抱えて生きていかなければならなくなったものであり,このような原告らの著しい精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも1人当たり300万円の慰謝料が相当である。 オ原告らが負担した葬儀費用各75万円本件被災園児ら4名の葬儀費用については,1人当たり150万円を下らず,原告らは,その2分の1(75万円)ずつを負担した。 カ原告らが負担した弁護士費用各300万円相当な弁護士費用は,原告1人当たり300万円を下らない。 キ損害のまとめ(ア) 原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親について逸失利益相続分各1428万2270円慰謝料相続分各1250万円固有の慰謝料各300万円葬儀費用各75万円弁護士費用各300万円以上合計各3353万2270円(イ) 原告亡G両親について 逸失利益相続分各1360万2108円慰謝料相続分各1250万円固有の慰謝料各300万円葬儀費用各75万円弁護士費用各300万円以上合計各3285万2108円よって,民法415条の債務不履行による損害賠償請求権,又は民法715条1項若しくは709条の不法行為による損害賠償請求権に基づき,被告らに対し,原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親においては各損害金3353万2270円,原告亡G両親においては各損害金3285万210 項若しくは709条の不法行為による損害賠償請求権に基づき,被告らに対し,原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親においては各損害金3353万2270円,原告亡G両親においては各損害金3285万2108円及びこれらに対する平成23年8月26日(不法行為の後の日又は本件訴状送達による催告の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による各遅延損害金の連帯支払をそれぞれ求める。 4 (被告らの主張)(1) 被告らの主張の骨子(注意義務違反がないこと)原告ら主張のとおり被告B1学院が在園契約に伴って,付随的に園児の生命身体を守るべき保護義務を負っており,被告B2園長も一般不法行為法上,同様の義務を負っていることは認める。 しかし,その注意義務の具体的内容は,予見可能性(及び予見義務)と結果回避義務(及び結果回避可能性)であり,その判断は合理的平均人を基準とすべきものである。 そうであるところ,地震学者もマグニチュード9.0という巨大な本件地震が発生することを予想していなかった。 また,これまでの津波被害において,門脇小学校付近にこれほどまでの高さの津波が襲った記録はない。すなわち,本件被災園児ら4名が津波被害にあった門脇小学校付近は,海岸線から約700m以上も離れた距離の市街地 にあるにもかかわらず,別紙「津波浸水図」記載のとおり,約6.97mの高さの津波に襲われた(甲11,乙1)。石巻市が作成した別紙「津波ハザードマップ」(乙3)によると,津波発生の場合には門脇小学校を避難場所として指定しており,また,津波による浸水域については海沿いしか想定していなかった。そのため,石巻市は海に近い北上川河口付近に,昭和61年に石巻文化センターを,平成10年に石巻市立病院を,それぞれ設立している(乙18~20)。石巻市は,過去の津 ては海沿いしか想定していなかった。そのため,石巻市は海に近い北上川河口付近に,昭和61年に石巻文化センターを,平成10年に石巻市立病院を,それぞれ設立している(乙18~20)。石巻市は,過去の津波被害を踏まえて別紙「津波ハザードマップ」を作成しているのであるから,石巻市においてもこれほどの津波が発生することを予見していなかったものである。 このように地方公共団体でさえも本件津波を予見していなかったのであり,石巻市の市街地を約7mの津波が襲うというような千年に一度の大地震及びそれによる大津波(本件津波)を合理的平均人において予見するのは,困難であったから,被告B2園長ら職員には何らの注意義務違反もない。 確かに,被告B2園長は,内陸地で居住してきたため津波に対する意識が低く,本件地震発生直後には津波について全く念頭になかったが,たとえ地震が発生すれば津波の発生があり得ることを予想していたとしても,これほどの規模の津波が発生するとは到底予想することができなかったから,注意義務違反はない。 (2) 本件幼稚園Cから送迎バスを海側に向けて出発させた責任に対してア情報収集義務の懈怠に対して仮に被告B2園長ら職員に情報収集義務があったとしても,次の(ア)ないし(オ)の諸事情からすれば,それを怠ったことに関して帰責性又は過失はなく,被告らが法的責任を負うことはない。 (ア) 本件地震により本件幼稚園Cの周囲の民家にも大した被害がなかったから,被告B2園長ら職員は,今までの地震と変わらず,地震後に更なる災害が発生するとは想像し得なかった。 (イ) しかも,今回の地震の2日前に発生した大規模な地震の際には津波が発生しなかったから,本件地震の揺れが大きいとはいっても,石巻市の市街地にまで到達するような大津波が発生するとは予想し得 (イ) しかも,今回の地震の2日前に発生した大規模な地震の際には津波が発生しなかったから,本件地震の揺れが大きいとはいっても,石巻市の市街地にまで到達するような大津波が発生するとは予想し得なかった。 (ウ) 被告B2園長は,本件地震が収まった後,本件幼稚園Cの職員室にあるテレビで震度を確認しようと考えたが,地震直後から停電となり,テレビを見ることができなかった。 (エ) 本件地震当日,本件幼稚園Cには45名の園児が在園しており,職員らとともに,本件地震により不安になっている園児の対応に追われていたため,被告B2園長ら職員は,ラジオ等で情報収集をする余裕がなかった。また,本件地震後,停電となったため,各教室にあったカセットデッキでラジオを聞くことができなかった。電池の備えは職員室にあったが,本件地震後の園児の対応に追われていたため,電池をカセットデッキに入れてラジオを聴取しようということに配慮が及ばなかった。本件地震発生後から,本件大きいバス及び本件小さいバスともにラジオを入れていたが,石巻市付近の津波の情報を聞くことはなく,ラジオの情報によっても今回の津波を予見することはできなかった。 職員らが所持していた携帯電話にはワンセグ機能が付いたものもあったが,職務中は携帯電話を手元には置いておらず,本件地震発生後から保護者や園児の対応に追われていた被告B2園長ら職員が携帯電話を確認する余裕はなかった。また,仮に携帯電話等で情報収集をしていたとしても,石巻市を襲った津波の情報がどれほど流れていたのかは明らかではない。 (オ) 原告らは防災行政無線で情報が流れていた旨を指摘するが,防災行政無線も沿岸や河口付近に近付かないように注意する簡単な情報が流れていただけであり(甲9),具体的にどの程度の津波がどこまでくるのかを情報と らは防災行政無線で情報が流れていた旨を指摘するが,防災行政無線も沿岸や河口付近に近付かないように注意する簡単な情報が流れていただけであり(甲9),具体的にどの程度の津波がどこまでくるのかを情報として流していたわけではなく,門脇小学校付近まで津波が来ると いうことは情報として流されていなかったのであるから,防災行政無線の情報があったとしても,本件津波を予見することはできなかった。 イ本件被災園児ら4名を海側へ連れて行った判断・指示の誤りに対して本件地震当日は,雪が降り,風も強かったため,園庭に避難していた園児が寒さで震えており,しかも,地震によりショックを受けていて余震が起きるたびに不安な顔を見せていたため,被告B2園長は,一刻でも早く園児を保護者の元へ送迎して,園児を安心させたいと考えた。なお,本件小さいバスの2便目の園児らの自宅が,本件幼稚園Cを基準にすれば海側にあっただけであって,被告らが3便目の園児らをわざわざ海側に連れ出そうと考えたわけではない。 しかも,本件地震の2日前に発生した大地震の際には津波が発生しておらず,これまでの経験からしても,大規模な地震があっても石巻市の市街地にまで到達するような大津波が発生したことがなかったため,被告B2園長ら職員としては,大津波が発生することを全く想定しておらず,石巻市に大津波が到達するということを具体的に予見することが不可能であった。 よって,被告B2園長ら職員には注意義務違反がなく,被告B2園長が本件小さいバスを出発させる指示を出したことにより,被告らが債務不履行責任又は不法行為責任を負うことはない。 なお,本来の運行予定であれば,本件小さいバスは,2便目の門脇町・南浜町方面の園児を送迎し,本件幼稚園Cに戻ってきた上で,3便目の蛇田・貞山・新橋方面の園児を送迎する 法行為責任を負うことはない。 なお,本来の運行予定であれば,本件小さいバスは,2便目の門脇町・南浜町方面の園児を送迎し,本件幼稚園Cに戻ってきた上で,3便目の蛇田・貞山・新橋方面の園児を送迎することとなっていたが,本件小さいバスの定員を超えない場合には,送迎時間を短縮するために,3便目の蛇田・貞山・新橋方面の園児も2便目のバスに同乗させて送迎することがあった。 時間短縮のために2便目と3便目の園児を同じバスに同乗させて送迎したことに関しては,これまでに保護者から指摘を受けたことがない。本件地 震当日も,一刻も早く園児を保護者の元へ返してあげたいという思いが強く,時間短縮のために,同乗させたものである。 (3) 門脇小学校から本件小さいバスを出発させた責任に対してア被告B2園長は,本件大きいバスが出発してから5分後頃に,防災行政無線で大津波警報が発令されていることを初めて聞いたため,即座に,職員らに対して,バスの運転手と連絡を取ってバスをすぐに本件幼稚園Cに戻すよう指示を出した。 この時,被告B2園長は,大津波警報が発令されていることを聞いたのみであって,どこでどの程度の津波が発生しているかまでは全く分からなかった。そもそも,被告B2園長としては,これまでの経験から,大津波警報が発令されたとはいっても,海岸線にいれば津波の被害に遭う可能性があるという程度の認識であって,市街地にまで大津波が襲来することを予想したことがなかった。 それゆえ,被告B2園長としては,幼稚園バスが津波の被害に遭う危険を具体的に予見してバスを本件幼稚園Cに戻すよう指示を出したわけではなく,大津波警報が発令された以上,園児らが万が一にも危険な目に遭うことを避け,その生命・身体を守るために,上記指示を出したにすぎない。 イ被告B2園長が上記指示を に戻すよう指示を出したわけではなく,大津波警報が発令された以上,園児らが万が一にも危険な目に遭うことを避け,その生命・身体を守るために,上記指示を出したにすぎない。 イ被告B2園長が上記指示を出してすぐに,本件大きいバスが本件幼稚園Cに戻ってきており,被告B2園長も,そのことを確認した。ただし,被告B2園長は,本件幼稚園Cに待機している園児やその保護者らの対応に追われていたので,ラジオなどで情報収集をする余裕がなく,本件大きいバスのK運転手から事情を聞く余裕もなかった。そのため,本件地震当日の午後3時10分頃の段階において,被告B2園長には女川方面で10m規模の津波が発生しているという認識はなく,当然に,石巻市にも同程度の津波が到来する可能性のあることを予見することができなかった。 ウまた,職員が本件幼稚園Cの電話で本件小さいバスのI運転手に電話を かけたところ,本件小さいバスが門脇小学校に停車していることを確認することができた。この職員より,本件小さいバスが門脇小学校に停車していることを聞いた被告B2園長は,職員2名に対して,本件小さいバスのI運転手に対してすぐに本件幼稚園Cに戻るよう伝えるために,門脇小学校に向かうよう指示を出した。この時,被告B2園長は,職員らに対して大津波警報が出ていることを告げていないが,あえて告げなかったわけではなく,職員らも防災行政無線を聞いて大津波警報が発令されていることを知っていると思っていたためである。また,被告B2園長は,職員らに対して,具体的な避難方法について指示を出していないが,門脇小学校周辺の被害状況が分からず,職員らやI運転手などが相談して,その状況に応じた避難方法を柔軟に選択できるものと判断して,具体的な指示まで出さなかったにすぎない。 エ 2名の教諭は,門脇小学校に 学校周辺の被害状況が分からず,職員らやI運転手などが相談して,その状況に応じた避難方法を柔軟に選択できるものと判断して,具体的な指示まで出さなかったにすぎない。 エ 2名の教諭は,門脇小学校に到着後,I運転手及びJ添乗員らに対して被告B2園長からの指示を伝え,4人でどのようにして本件幼稚園Cに戻るかを検討した。この時,門脇小学校は指定避難場所になっていたため多くの住民が避難していたが,津波の発生について話をしている人はおらず,2名の教諭,I運転手及びJ添乗員も,実際に津波が発生していることを知らず,石巻市街地にまで到達する大津波が発生しているということを全く予見することができなかった。そのため,4名で検討した結果,園児らを抱えて門脇小学校の脇の本件階段を上って本件幼稚園Cに戻るのではなく,バスで戻ることを選択した。 オ以上からすれば,被告B2園長ら職員において,石巻市街地に到達する大津波が発生していることを具体的に予見することができなかったし,被告B2園長が職員に対してした指示も,現場で柔軟に対応することができるように細かい指示を出さなかったというものであるから,当時の状況からすれば適切な指示であった。 したがって,本件小さいバスが出発後に出した被告B2園長の指示に関しても,被告らが債務不履行責任又は不法行為責任を負うことはない。 (4) 地震時のマニュアル周知と避難訓練を怠った責任に対してアそもそも,被告B1学院が経営する本件幼稚園Cは私立学校であるため,宮城県総務部私学文書課の管轄となっており,公立学校を対象にした宮城県教育委員会の管轄下にあるわけではない。それゆえ,被告らとしては,宮城県教育委員会震災マニュアルの具体的な内容まで知らず,また,これに従う義務はない。 被告B1学院が,本件幼稚園C地震 宮城県教育委員会の管轄下にあるわけではない。それゆえ,被告らとしては,宮城県教育委員会震災マニュアルの具体的な内容まで知らず,また,これに従う義務はない。 被告B1学院が,本件幼稚園C地震マニュアルを策定したのは,宮城県教育委員会震災マニュアルに従ったわけではなく,平成18年に消防署から指導を受けたためである。 イ本件幼稚園C地震マニュアル策定後は,本件幼稚園Cにおいて,同マニュアルを基に,年に1度,保育中に地震が起きたことを想定して避難訓練を実施するのみでなく,保育中に火災が発生したことを想定した避難訓練も年に1度実施してきた。 他方,本件幼稚園Cにおいて,降園時に災害が発生したことまでを想定した避難訓練は実施しておらず,その場合の保護者との対応等について十分な訓練ができていなかったことは否定しない。 そうであるとしても,本件幼稚園Cにおいて,本件幼稚園C地震マニュアルの周知・避難訓練の実施が一切されていなかったというわけではなく,上記のように最低限のことはされていた。 以上からすれば,被告らが本件幼稚園C地震マニュアルの周知・避難訓練の実施を怠ったということはなく,債務不履行責任又は不法行為責任を負うことはない。 (5) 損害に対してア原告ら主張の損害額に係る主張を争う。 イなお,本件小さいバスが津波被害に遭った後,被告B2園長はその被害現場に向かったが,現場周辺の津波による被害がすさまじく,同バスを確認することができなかった。このような状況において,被告B2園長が,本件小さいバスを個人的に捜索することは不可能であり,津波の被害で混乱している状況の中で職員らと捜索をすることも危険であったため,本件幼稚園Cとして捜索することができなかった。そのため,被告B2園長は,被害現場周辺 人的に捜索することは不可能であり,津波の被害で混乱している状況の中で職員らと捜索をすることも危険であったため,本件幼稚園Cとして捜索することができなかった。そのため,被告B2園長は,被害現場周辺を通りがかった消防隊員に対して本件小さいバスの捜索をお願いしたが,津波による被害がひどく他の現場に行かなければならないということで,断られてしまった。 ウまた,本件地震当日の夕方頃,原告亡D母から,本件小さいバスが被害にあった場所を聞かれたため,L1主任教諭(以下「L1主任教諭」という。)が一緒に高台に行き,その場所から大まかな被災場所を説明した。 エ見舞金等の支払(ア) 被告B1学院は,原告らに対し,各金200万円の弔慰金を支払った。 (イ) また,被告B1学院は,独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度に加入しているが,同制度によれば本来は震災の場合には適用がなく,給付金が支給されないはずであるが,関係者に対して,本件のような大震災の場合には例外的に適用されるべきであると働きかけた結果,その例外的適用が認められ,原告ら各遺族に対して給付金500万円が各支給された。 第3 当裁判所の判断当裁判所は,被告B1学院の履行補助者(被用者)である被告B2園長が本件地震発生後に津波に関する情報収集義務の履行を怠った結果,本件小さいバスを高台にある本件幼稚園Cから眼前にある海側の低地帯に出発させて本件被災園児ら4名の津波被災を招いたといえるから,被告B1学院には安全配慮義務違反の債務不履行責任及び民法715条1項(使用者責任規定)の不法行為による損害 賠償責任があり,被告B2園長には民法709条の不法行為による損害賠償責任があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。 なお,認定する事実又は知見等は, 不法行為による損害 賠償責任があり,被告B2園長には民法709条の不法行為による損害賠償責任があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。 なお,認定する事実又は知見等は,各文章又は段落の冒頭又は末尾に括弧書きで摘示した証拠及び弁論の全趣旨により認める。 1 地震及び津波に関する一般的な知見(1) 地震現象地球内部の高温の物質が海底の海嶺(海底山脈等)において地球の表面に湧き出し,厚さ数㎞~100㎞の板状のプレート(海底)になり,1年間に数㎝の速さで両側に広がっている。その海のプレートが,陸地を形成している陸のプレートと衝突すると,海のプレートの密度の方が大きいため,陸のプレートの下に沈み込み,その沈み込むところに海溝ができる。地球の表面は,いくつかのプレートで覆われており,それぞれのプレートの境目が,海嶺や海溝に相当し,海のプレートが沈み込む地域において,長年蓄積していたひずみが一挙に解放されて巨大地震が発生する。 特に日本は,西側からのユーラシアプレート,北側からの北米プレート,南側からのフィリピン海プレート,東側からの太平洋プレートが集まっており,活断層と呼ばれるプレート内部の傷が日本国内の至るところにあって,陸地又は海底の浅い箇所を震源域とする地震(正断層型,逆断層型,横ずれ断層型)が頻発しているほか,陸側のユーラシアプレートに海側の太平洋プレート又はフィリピン海プレートが沈み込む日本海溝や南海トラフの深部において,プレート間の巨大地震が繰り返し発生している。海溝型地震においては,海側のプレートが陸側のプレートを毎年引きずり込みながらその下へ沈み込み(プレートの境界にはアスペリティという滑りにくい部分があり,その固着域でプレートが引きずり込まれる。),年々その応力(ひずみ)が 側のプレートが陸側のプレートを毎年引きずり込みながらその下へ沈み込み(プレートの境界にはアスペリティという滑りにくい部分があり,その固着域でプレートが引きずり込まれる。),年々その応力(ひずみ)が蓄積し,そのひずみが耐えられなくなったときにプレート境界面(アスペリティ)が一気に滑り,陸側のプレートが跳ね上がって巨大地震及び津波を発生 させる(以上,甲75の1,77,78,86の1)。 (2) 津波現象海底下で大きな地震が発生すると,断層運動により海底が隆起又は沈降するが,これに伴って海面が変動し,大きな波となって四方八方に伝播する現象が津波である(甲75の2)。日本語に由来する津波(tsunami)という言葉は,世界各国の言語になっている(甲77)。 津波に関しては,その他に,以下の点が指摘されている(甲73・河田惠昭「津波被害」岩波新書1286・平成22年12月17日発行,甲74・石垣島地方気象台ホームページ,甲75の2及び3・気象庁ホームページ,甲77・「地震・津波と火山の事典」東北大学地震研究所監修)。 ア津波は,海が深いほど速く伝わる性質があり,沖合ではジェット機に匹敵する速さで伝わるが,水深が浅くなるほど速度が遅くなるため,津波が陸地に近づくにつれ,後から来る津波が前の津波に追いつき,陸地付近で海面が高くなる(甲75の2及び3)。 イ津波は,海の波とは異なり,見渡す限りの海面全体が盛り上がる速い流れであるから,海岸近くに押し寄せて岸壁を乗り越えるなどしない限り,人の目には津波が来たことが容易に分からない。 ウ 50㎝の高さの津波は身体に約0.5トンの圧力をかけるので,人は,立っていることができず,転倒して津波と一緒に流される。 エ高さ4mの津波が来ても5mの堤防があるから津波が堤 に分からない。 ウ 50㎝の高さの津波は身体に約0.5トンの圧力をかけるので,人は,立っていることができず,転倒して津波と一緒に流される。 エ高さ4mの津波が来ても5mの堤防があるから津波が堤防を乗り越えないと予想するのは誤りである。津波が堤防に当たると,堰き止められて盛り上がり,後に押し寄せる津波がその上に乗り上がるから,理論的には衝突前の約1.5倍の6mの高さになる(甲74・石垣島地方気象台のホームページによれば,津波が防波堤に衝突すると,1.7~1.8倍になるともされている。)。したがって,海に面して高い護岸や堤防があるからといって大津波警報が出ても避難しなくてもよいと考えるのは早計である。 オまた,高速で大量の海水の前進が堤防により突然停止させられるので,衝撃的な圧力がかかり,堤防や護岸が破壊され,津波は容易に陸側に浸入する。津波が防波堤等を乗り越えたときには,水塊が数mの落差をもって港内側に落下し,防波堤の脚部を洗って海底の洗掘を発生させるので,防波堤を横倒しにさせてしまうこともある。 カ津波の第1波がいつも引き波で始まるとは限らない。押し波から始まることもある。 キ何番目の津波が一番大きくなるかは,いろいろな要素に左右され,分からないから,津波警報が解除されるまで,安全な場所から危険な場所に戻ってはいけない。 ク津波の浸水深が2mになり,その流速が毎秒4mを超えると,木造住宅は浮上し,流され始めるから,津波の浸水深が2mになる可能性がある場合などには,木造住宅の2階に避難するのは危険である。 ケ津波が島や湾に来襲すると,屈折,反射,浅水変形等の効果が重なって,局所的に高くなる津波レンズ効果が発生することがある。例えば,岬の先端又はその先端を回り込んだ背後の海岸には津波が集まる(甲75の2, が島や湾に来襲すると,屈折,反射,浅水変形等の効果が重なって,局所的に高くなる津波レンズ効果が発生することがある。例えば,岬の先端又はその先端を回り込んだ背後の海岸には津波が集まる(甲75の2,甲77)。V字型湾の最奥部では津波が高くなる(甲77)。 例えば,三陸沿岸は,津波を増幅させる屈曲に富んだリアス式海岸であるばかりでなく,はるか沖合水深数千mの海域が津波を集中させる海底地形となっていることにより,宿命的な津波常襲地帯になっている。 コ津波が川を遡上することもあり,平成15年の十勝沖地震の際には津波が十勝川を河口から約13㎞も遡上した(甲77)。 サ津波による最終死亡原因としては,溺死ではなく,身体をコンクリートや岩に打ち付けられたことによる内臓破裂が多いから,万が一,津波にのみ込まれたら,津波の衝撃を和らげ,津波に流されないように固定物につかまり,流体物とも衝突しないように工夫することが生き残りのために有 効である。 (3) 気象庁による地震の震度情報及び津波警報等(甲17)ア気象庁は,震度計により震度観測を行い,震度階級を10段階(震度0,1,2,3,4,5弱,5強,6弱,6強,7)で発表している。 気象庁は,平成21年3月,ある震度の揺れがあった場合にその場所でどのような現象や被害が発生するかを示すことにより,地震に対する日頃の備えや災害応急活動に幅広く活用されることを主眼として「気象庁震度階級の解説」(甲17)を作成した。「気象庁震度階級の解説」には,各震度の揺れがあった場合の人の体感・行動及び屋内外の状況として次の内容が記載されていた。 (ア) 震度5弱大半の人が恐怖を覚え,物につかまりたいと感じる。棚にある食器類や本が落ちることがある。固定していない家具が移動するこ 状況として次の内容が記載されていた。 (ア) 震度5弱大半の人が恐怖を覚え,物につかまりたいと感じる。棚にある食器類や本が落ちることがある。固定していない家具が移動することがあり,不安定なものは倒れることがある。 (イ) 震度5強物につかまらないと歩くことが難しい。棚にある食器類や本で落ちるものが多くなる。固定していない家具が倒れることがある。補強されていないブロック塀が崩れることがある。 (ウ) 震度6弱立っていることが困難になる。固定していない家具の大半が移動し,倒れるものがある。ドアが開かなくなることがある。壁のタイルや窓ガラスが破損,落下することがある。耐震性の低い木造建物は,瓦が落下したり,建物が傾いたりすることがある。倒れる建物もある。 (エ) 震度6強はわないと動くことができない。飛ばされることもある。固定していない家具のほとんどが移動し,倒れるものが多くなる。耐震性の低い木 造建物は,傾くものや,倒れるものが多くなる。大きな地割れが生じたり,大規模な地滑りや山体の崩壊が発生することがある。 (オ) 震度7耐震性の低い木造建物は,傾くものや,倒れるものが更に多くなる。 耐震性の高い木造建物でもまれに傾くものがある。耐震性の低い鉄筋コンクリート造の建物では倒れるものが多くなる。 イ本件地震当時の気象庁の津波警報の内容(甲75の4)本件地震当時の「大津波警報」は,高いところで3m程度以上の津波が予想されますので,厳重に警戒してくださいと説明し,予想される津波の高さを3m,4m,6m,8m,10m以上と分類して発表していた。 「津波警報」は,高いところで2m程度の津波が予想 上の津波が予想されますので,厳重に警戒してくださいと説明し,予想される津波の高さを3m,4m,6m,8m,10m以上と分類して発表していた。 「津波警報」は,高いところで2m程度の津波が予想されますので,警戒してくださいと説明し,予想される津波の高さを1m,2mと分類して発表していた。 「津波注意報」は,高いところで0.5m程度の津波が予想されますので,注意してくださいと説明し,予想される津波の高さを0.5mとして発表していた。 ウ気象庁による大津波警報の発令履歴昭和55年以降本件地震までの間に,検潮所において50㎝以上の津波が観測されたのは,合計12回であったが,そのうち大津波警報が発令されたのは,次の3回の地震のときのみであった(甲69)。 (ア) 昭和58年5月26日日本海中部地震 M7.7津波の高さ 196㎝死者行方不明者104名(イ) 平成5年7月12日北海道南西沖地震 M7.8津波の高さ 350㎝以上死者行方不明者230名最大の津波痕跡高は,約30m(甲75の3)(ウ) 平成22年2月27日平成チリ地震 M8.8 津波の高さ 120㎝死者行方不明者なし 2 宮城県石巻地域における過去の地震津波による被害の概要(甲19)石巻市が平成元年3月31日に発行した「石巻の歴史第四巻教育・文化編」(甲19)には,次の内容の地震津波による被害が記載されていた。 (1) 明治以前の津波被害ア慶長16年(西暦1611年)10月28日大地震津波により仙台藩領内で1783人溺死イ元禄9年(西暦1696年)11月1日地震なし石巻に津波襲い溺死多く船300隻流出する。 ウ寛 10月28日大地震津波により仙台藩領内で1783人溺死イ元禄9年(西暦1696年)11月1日地震なし石巻に津波襲い溺死多く船300隻流出する。 ウ寛政5年(西暦1793年)1月7日大地震津波襲う。雄勝浜で床上約60cm まで押し上げる。 エ天保6年(西暦1835年)6月24日,25日仙台大地震津波のため仙台藩領内民家数百を破壊し,溺死者多数オ安政3年(西暦1856年)7月23日雄勝で弱い地震が発生してから,約1時間後に津波が押し寄せ,床上約90cm に達し,夜10時頃までの間に14,5回にわたって押し寄せた。 (2) 明治以後の津波被害ア明治29年(西暦1896年)6月15日三陸沖地震大津波宮城県内の死者3452人流失家屋985戸マグニチュード7.6 波高約2.5m(もっとも,気象庁ホームページ〔甲75の3〕によれば,明治三陸沖地震の津波痕跡高は,推定約38. 2mであったとされている。) 三陸沿岸全体での死者2万6761人イ明治30年(西暦1897年)8月5日三陸沖地震津波女川3mウ昭和8年(西暦1933年)3月3日三陸沖地震(石巻震度5) 大津波雄勝町荒10m,牡鹿町大谷川5.2m,北上町相川4.8m。 死者行方不明者全国で3008人(宮城県内307人)エ昭和11年(西暦1936年)11月3日金華山沖地震(石巻震度5) 津波女川90cmオ昭和13年(西暦1938年)11月5日福島県沖地震(石巻震度5) 津波石巻40㎝,鮎川104cmカ昭和35年(西暦 華山沖地震(石巻震度5) 津波女川90cmオ昭和13年(西暦1938年)11月5日福島県沖地震(石巻震度5) 津波石巻40㎝,鮎川104cmカ昭和35年(西暦1960年)5月24日チリ地震大津波牡鹿町大谷川5.65m 女川5.4m死者全国で100人行方不明85人キ昭和53年(西暦1978年)6月12日宮城県沖地震津波鮎川25cm 死者28名 3 地震津波被害に係る報道等(1) 貞観地震(西暦869年)に関する報道等西暦869年に三陸沖において貞観地震に伴う巨大な津波が発生したことについて,本件地震の約2年前から次のような新聞報道等がされていた。 ア平成21年2月21日付け朝日新聞(東京地方版茨城。甲55)には,次の内容の記事が掲載されていた。 「数年前からは,仙台平野でも調査を進めている。この地域も古い地層の年代などがよく分かっている。近くの三陸沖では869年に『貞観の地震』が起き,地震に伴う津波で1千人以上の水死者が出たという記録が残る。津波は現在の宮城県多賀城市まで押し寄せ,海岸から2,3キロまで浸水したと推定されるという。 スマトラ島沖で04年12月に起きた大地震によるインド洋津波は,22万人以上の死者・行方不明者を出す大惨事となった。周囲を海に囲まれた日本にとって,津波被害は決してひとごとではない。」イ平成22年5月24日付け毎日新聞(東京夕刊。甲56)には,次の内 容の記事が掲載されていた。 「9世紀中ごろに東北から北関東の広い範囲に津波をもたらした『貞観(じょうがん)地震』の震源域が,宮城県沖から福島県南部沖まで長さ200キロ,幅100キロに達す の記事が掲載されていた。 「9世紀中ごろに東北から北関東の広い範囲に津波をもたらした『貞観(じょうがん)地震』の震源域が,宮城県沖から福島県南部沖まで長さ200キロ,幅100キロに達する可能性のあることが,産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの解析で分かった。規模はマグニチュード(M)8.4と推定され,国が想定する宮城県沖地震(M7.5前後)の震源域より大きく南側に広がる未知の海溝型地震だった可能性がある。24日午後に千葉市で開かれている日本地球惑星科学連合大会で報告する。 研究グループは,宮城県石巻平野から福島県中部沿岸にかけての津波の痕跡調査を基に,コンピューター上で地震と津波を再現して震源域を検証。 その結果,10パターンある仮定震源域のうち,最も大きな長さ200キロ,幅100キロの場合のみ,震源の深さを考えても痕跡の位置まで津波が浸水することを確認した。周期は特定できていないという。 宮城県沖では,平均約37年周期でM7クラスの海溝型地震が発生。国の地震調査委員会は30年以内にM7.5前後の地震が発生する確率は99%と予測している。一般的に地震の規模と震源域の断層の長さとは一定の関係があり,M7で30~40キロ,M8で100~150キロといわれる。 産総研の行谷佑一研究員は『宮城県沖でこれほど大きな地震が起きるとは考えられていなかった。より広い範囲で詳細な検討が必要だ』と話す。」「■ことば◇貞観地震869(貞観11)年7月に発生。平安時代の歴史書『日本三代実録』には,仙台平野周辺で建物が崩壊し,津波で1000人の水死者が出たと記録されている。地震で生じた津波は北関東までの広い範囲に及び,仙台平野では現在より1キロ陸側にあったとみられる海 『日本三代実録』には,仙台平野周辺で建物が崩壊し,津波で1000人の水死者が出たと記録されている。地震で生じた津波は北関東までの広い範囲に及び,仙台平野では現在より1キロ陸側にあったとみられる海岸線からさらに3キロ 内陸で,津波の痕跡が見つかった。」ウ平成22年6月2日付け読売新聞(東京朝刊。甲57)には,次の内容の記事が掲載されていた。 見出し「平安の県沖地震M8.4 国内最大規模大地震500~1000年周期か=宮城」「◆産総研津波の痕跡から推定平安時代の869年に県沖で起きた『貞観(じょうがん)地震』がマグニチュード(M)8.4程度だった可能性が高いことが,産業技術総合研究所(茨城県)の調べで分かった。地震のエネルギーは,近い将来の発生が予想される県沖地震の約20倍にあたり,国内最大級となる。500~1000年周期に大津波を伴う地震が起きたことを示す分析結果もあり,研究チームは『県沖地震と合わせて警戒が必要』としている。 産総研の宍倉正展・チーム長や佐竹健治・客員研究員(東京大地震研究所教授)らは2004~08年頃,仙台市―山元町間の5か所,石巻市―東松島市間の3か所で穴を掘り,津波の痕跡を調べた。 その結果,いずれの場所でも869年当時の海岸線から2~3キロ・メートル離れた場所まで津波が到達していたことが判明。さらにコンピューターで,3キロ・メートルの浸水がある津波を発生させるような地震を再現すると,県沖約200キロの地下でM8.4の地震が起きた場合と,県沖約150キロの地下でM8.3の地震が起きた場合の浸水推定範囲が,調査結果とほぼ一致した。 宍倉さんは『県内各地で震度6級の揺れに見舞われた可能性がある』と指摘する。津波の再現では,高さが最 50キロの地下でM8.3の地震が起きた場合の浸水推定範囲が,調査結果とほぼ一致した。 宍倉さんは『県内各地で震度6級の揺れに見舞われた可能性がある』と指摘する。津波の再現では,高さが最大5メートル以上の波が沿岸を襲い,仙台平野や石巻平野の広い範囲が浸水したと推定された。 調査では2000年前や3000年前の大津波の痕跡も見つかっている。 最後の大津波は600~800年前とみられ,宍倉さんは『県沖では50 0~1000年おきに複数の地震が連動し,M8を超す地震が起きていると考えられる』と話している。」エ平成22年6月4日付け毎日新聞(地方版/宮城。甲58)には,「貞観地震:震源域長さ200キロ? 福島県南部沖まで――9世紀中ごろ/宮城」という見出しで,前記イとほぼ同内容の記事が掲載されていた。 オ平成22年6月11日付け河北新報(甲59)には,次の内容の記事が掲載されていた。 見出し「備える宮城県沖地震32年(1)/迫る『次』,教訓生かせ」「1978年の宮城県沖地震から12日で32年がたつ。宮城県を中心に被害が広がり,28人が死亡した。宮城県沖を震源とする大地震は平均37.1年周期で発生している。政府の地震調査研究推進本部によると,30年以内にマグニチュード(M)7.5程度の地震が起きる確率は99%。 「次」は確実に迫りつつある。2月に南米チリで発生した大地震の現地調査結果を参考にしながら,研究の最前線やさまざまな対策を紹介する。 ◎アスペリティモデル/力蓄積し一気に滑る宮城県沖地震の発生メカニズムは『プレート境界型』に区分される。プレート境界型の仕組みとしては現在,『アスペリティ(固着域)モデル』の研究が進んでいる。 宮城県沖では,海側の太平洋 宮城県沖地震の発生メカニズムは『プレート境界型』に区分される。プレート境界型の仕組みとしては現在,『アスペリティ(固着域)モデル』の研究が進んでいる。 宮城県沖では,海側の太平洋プレート(岩板)が陸側のプレートの下に沈み込んでいる。双方のプレートの境界面にあるのがアスペリティだ。摩擦力が大きいアスペリティは通常,ほとんど動かない。一方で,『安定すべり域』と呼ばれる周辺は常にゆっくり滑っているため,アスペリティには徐々に力がたまっていく。蓄積された力が限界を超えると,アスペリティが一気に高速で滑り,地震を引き起こす。アスペリティはいったん滑った後,再び力を蓄えられ,周期的に地震が起こることになる。 大きいアスペリティほど力を蓄積できる限界量が大きくなる上,限界に 達するまでの時間も長くなる。その結果,大きなアスペリティでは,長い間隔で規模の大きな地震が起きる。 1978年の宮城県沖地震では,比較的大きな三つのアスペリティが一気に滑ったと考えられている。観測データは少ないが,33年=マグニチュード(M)7.1と36年(M7.4),37年(M7.1)に発生した宮城県沖地震の震源と余震域を調べると,三つのアスペリティが一つずつ滑った可能性があるという。」「◎津波の到達時間・高さ/最速12分,最大10.8メートル地震が起きた場合,特に沿岸部で迫られるのが津波への対応だ。2月のチリ大地震津波は記憶に新しい。近い将来の宮城県沖地震では,短時間での避難が求められる。宮城,岩手両県は連動型の地震を想定して津波の高さや到達予測時間を公開し,迅速な避難を呼び掛けている。 宮城県で最も早く津波が到達するのは石巻市鮎川浜で,地震発生から12分後とみられる。女川町が13分後,石 型の地震を想定して津波の高さや到達予測時間を公開し,迅速な避難を呼び掛けている。 宮城県で最も早く津波が到達するのは石巻市鮎川浜で,地震発生から12分後とみられる。女川町が13分後,石巻市雄勝町が約15分後と続く。 震源に近い地域ほど津波の第1波到達は早い。 最大波高は気仙沼市本吉町で10.0メートルと予想され,気仙沼市唐桑町は8.7メートル,南三陸町歌津は6.9メートルの見込み。仙台市宮城野区でも3メートルを超す津波が押し寄せるとされる。 岩手県では,最も早く津波が海岸に達するのは,宮古市姉吉と山田町小谷鳥,釜石市佐須で,地震から25分後と予測されている。津波の高さは,大船渡市吉浜が最大の10.8メートル。陸前高田市高田松原と釜石市唐丹が10.2メートルなど,大津波の襲来が予想される。 宮城県は2012年3月にまとめる第4次被害想定で,従来の地震被害に加えて津波被害も盛り込む予定。県危機対策課は『津波の高さなどだけでなく,津波でどれだけの被害が生じるか,学識経験者を交えて検討する』としている。<1978年宮城県沖地震>6月12日午後5時14分,宮 城県沖を震源(深さ40キロ)に発生したプレート境界型地震。マグニチュード(M)は7.4。当時の震度基準で大船渡,石巻,仙台,新庄,福島で震度5(強震)の揺れを観測した。ブロック塀の倒壊や新興住宅地の地盤崩落などが相次いだほか,電気やガス,水道などのライフラインが大打撃を受け,都市型災害として注目された。 <単独型と連動型>政府の地震調査委員会による宮城県沖地震の想定震源域のうち,1978年の地震で滑った領域付近(三つのアスペリティ部分内)だけで地震が発生する場合を『単独型』としている。単独型震源域の東側の想定震源域でも同時に断層 員会による宮城県沖地震の想定震源域のうち,1978年の地震で滑った領域付近(三つのアスペリティ部分内)だけで地震が発生する場合を『単独型』としている。単独型震源域の東側の想定震源域でも同時に断層面が滑るケースが『連動型』。単独型がマグニチュード(M)7.5前後なのに対し,連動型は地震のエネルギーが5倍以上のM8前後になるとされる。」「◎宮城県沖の地殻活動東北大地震・噴火予知研究観測センター長海野徳仁氏2003年から活動活発化比較的大きな三つのアスペリティ(固着域)が同時に滑ったと考えられる1978年の宮城県沖地震は,大きな被害をもたらした。2005年8月の8.16宮城地震では,このうち南東側の一つが滑った。その後5年間,北側,南西側の残りの二つは滑っていない。 <逆向きに海底動く>陸側のプレートは東にある日本海溝の方へと動いており,摩擦で固着していなければ通常は東に動く。衛星利用測位システム(GPS)などを使って陸地や海底の動きを調べると,アスペリティ周辺では,05年の地震後は東へと動いていた。つまり,すぐには固着が始まらず,ゆっくりと境界面が滑っていた。 海上保安庁の調査資料などによると,その後,07年ごろから海底の動きが西向きになり始めた。西に向かって沈み込む海側のプレートと一緒に, 陸側のプレートが引きずり込まれたためだ。約1年半後に再び固着が始まったことが分かる。 1930年以降の宮城,福島両県沖の『プレート境界型』の地震活動を調べると,36年と78年の宮城県沖地震の際,いずれも前後にマグニチュード(M)6以上の地震が多く発生。これを踏まえて最近の活動をみると,宮城県沖では03年ごろから地震活動が活発化し,現在も続いた 調べると,36年と78年の宮城県沖地震の際,いずれも前後にマグニチュード(M)6以上の地震が多く発生。これを踏まえて最近の活動をみると,宮城県沖では03年ごろから地震活動が活発化し,現在も続いた状態だ。 <福島沖も注意必要>宮城県沖だけに注目していると,足をすくわれる可能性がある。GPSデータによる推定では,福島県沖にもプレート境界が固着していることを示す研究結果もある。 869年には,仙台平野などに大きな津波被害をもたらした貞観地震があった。堆積(たいせき)物のデータなどから推定すると,宮城県沖から福島県沖にかけての広い領域で,断層が一気に滑ったと考えられる。 この滑った領域は,GPSで推定される固着域とほぼ重なる。データは少ないが,福島県沖にも固着域があるとすれば,宮城県沖の固着域と一緒に滑ると連動型以上の規模で地震が起こる可能性もある。 さまざまなデータを見ても,安心できる材料はない。05年に宮城県沖のアスペリティは一部壊れたが,残りがある,5年たったからしばらく起きないとは考えにくい。周辺の固着も回復し始めており,近いうちに起きると考えた方がいいだろう。」カ文部科学省の地震調査研究推進本部が委託した観測の結果文部科学省は,「今後の重点的な調査観測について」(地震調査研究推進本部,2005)の中で重点的調査観測の対象とした宮城県沖の地震について,平成17年度から平成21年度まで研究機関に調査を委託し,その調査の結果,仙台・石巻平野における貞観地震の津波は,当時の海岸線か ら少なくとも2~4㎞は遡上していることが判明し,石巻平野全体では当時の海岸線から約3㎞内陸まで及んでいたことが判明した(甲79)。なお,貞観地震の際には,日和山の崖下に位 当時の海岸線か ら少なくとも2~4㎞は遡上していることが判明し,石巻平野全体では当時の海岸線から約3㎞内陸まで及んでいたことが判明した(甲79)。なお,貞観地震の際には,日和山の崖下に位置する門脇町・南浜町等の低地は,海底であった(甲79の192頁)。 (2) 室町時代に起きた津波に関する知見・報道等室町時代に起きた津波に関し,平成22年11月7日付け朝日新聞(東京朝刊,甲60)には,次の内容の記事が掲載されていた。 見出し「室町時代,東北に大津波宮城など,地層に痕跡 450~800年間隔で発生か」「室町時代,東北から関東の太平洋岸を巨大津波が襲った可能性があることが,産業技術総合研究所の調査で分かった。東北地方南部沖で起きたマグニチュード(M)8級の地震による津波らしい。この地域は9世紀にも国内最大級の津波の痕跡が確認されており,数百年間隔で巨大地震による津波が繰り返されている可能性がありそうだ。 産総研によると,宮城県石巻市,山元町,茨城県日立市の地層から大津波で運ばれたとみられる砂などが見つかった。最大で海岸線から約1キロ内陸側で確認された。 年代分析の結果は,1200~1650年とばらついたが,産総研海溝型地震履歴研究チームの宍倉正展チーム長は『室町初期(14世紀)前後が多い。分析精度も考えると同一の津波による痕跡とみられる』と話す。 この地域では平安時代(869年)にもM8を超す大地震が発生,『貞観(じょうがん)津波』と呼ばれる大津波が起き,千人を超す死者が出たと古文書に記録がある。東北地方南部では5世紀や紀元前にも巨大津波があったとされ,450~800年間隔で繰り返されているとみられる。 宍倉さんは『平安と室町の津波を起こした地震の震源が同じなら,今後も繰り返される現 地方南部では5世紀や紀元前にも巨大津波があったとされ,450~800年間隔で繰り返されているとみられる。 宍倉さんは『平安と室町の津波を起こした地震の震源が同じなら,今後も繰り返される現実味を増す。室町時代からの経過時間を考えれば,巨大地震 はいつ起きても不思議ではないことになる』と話している。」(3) 平成22年2月27日の平成チリ地震に関する報道等(甲44~50,弁論の全趣旨)ア平成22年3月1日河北新報朝刊(甲44)「東北32万人避難指示チリ大地震で大津波警報大槌1.45メートル仙台1.1メートル27日に発生したチリ大地震で,気象庁は28日午前9時33分,青森県から宮城県にかけての東北の太平洋側に大津波警報発令。青森,岩手,宮城,福島の4県で32万人以上に避難指示が出され,多くの住民が避難した。 石巻市鮎川と相馬,小名浜(いわき市)で80センチを観測した。気仙沼市や石巻市などでは潮位が岸壁を越えて一部の道路が冠水し,通行が規制された。 1960年チリ地震津波についての注釈:142人が死亡,行方不明になったこと【河北春秋】1960年チリ地震津波での被害,50年前は警報さえ出なかった。今回はテレビやラジオで即時に情報が提供され,スムーズな避難につながった。 チリ大地震で大津波警報気緩めずに備えを仙台管区気象台『1メートル超,今後も』大津波警報は午後7時1分,津波警報に切り替えられたが,仙台港では午後9時前に1.1メートルの津波を観測した。気象台は『陸地の反射波などが複雑に絡み合うなどして,到達する津波がまだ1メートルを超える可能性がある』大津波警報が発令された地域については『地形などの影響で,検潮所で観測された津波より高くなった可能性もある』と述べた。 被 などして,到達する津波がまだ1メートルを超える可能性がある』大津波警報が発令された地域については『地形などの影響で,検潮所で観測された津波より高くなった可能性もある』と述べた。 被害情報の集約続ける政府首相は午後,『絶対,海に近づかないでほしい』と国民に呼びかけた海底5メートル隆起面積広範波長長く減衰せず表:東北の主な津波被害1896年明治三陸地震津波による死者が日本では最大の約2万2000人。津波の高さは最大38.2メートル(大船渡市)に達した1933年昭和三陸地震,三陸を中心に死者・行方不明者3064人1960年チリ地震全国で死者・行方不明者は142人1968年十勝沖地震死者52人,三陸沿岸に3から5メートルの津波1983年日本海中部地震死者104人のうち津波による死者は100人。男鹿市の海岸へ遠足で訪れた小学生13人が犠牲になるなどした。 特集「東北緊迫」 浸水した気仙沼市の市街地等チリ無残【写真】津波によって押し流された漁船等『来るぞ』休日の町動揺県内18万人避難指示チリ大地震による津波が県沿岸に押し寄せた28日,県や沿岸自治体は到達予想時刻を気にしながら,住民への避難指示や水門の閉鎖,浸水被害の把握などに追われた。 石巻市は防災協定に基づき,市内のホームセンターや葬祭場にも避難所を設けた。沿岸の2万8000世帯,7万8000人に避難指示を出し,日和大橋や港湾道路の一部を通行止めにした。 『悪夢が』震える住民身を寄せ不安な一日県内沿岸部では,自治体からの避難指示や避難勧告が出され,住民は避難所となった学校や集会所などに身を寄せた。 打撃深刻沈む港町,静かな猛威まざまざ到着予想から約1時間20分遅い。気の緩みを見透かしたように,何の 兆 示や避難勧告が出され,住民は避難所となった学校や集会所などに身を寄せた。 打撃深刻沈む港町,静かな猛威まざまざ到着予想から約1時間20分遅い。気の緩みを見透かしたように,何の 兆候もなく,静かに襲来した。津波の恐ろしさだ。 沿岸部は津波と背中合わせにある現実を,あらためて思い知らされた。 緊張,厳戒三陸の海 『逃げるが勝ち』50年前の記憶再び60年の津波では『家の高さを超える大波が,逃げる人や屋根に避難した人を次々にのみ込んだ』『津波はとにかく逃げるが勝ち』」イ平成22年3月2日河北新報朝刊(甲46)「チリ死者708人に津波に襲われた地域で多くの死者が出ていることが3月1日までに分かった。震源地に近い中部マウレ州の沿岸部にあるコンスティトゥシオンでは約350人が死亡したと報道されたが津波による死者が相当数含まれているとみられる。 石巻市避難指示・勧告発令人数7 万8019 人避難人数2286 人専門家は『たまたま大きな被害がなくて済んだが,今後も油断はできない』と訴えている。 堺茂樹岩手大工学部地域防災研究センター長は『避難指示が解除されるまで我慢して待機すべきだ』と強調。『津波は必ずしも第1 波が大きいとは限らない。住民がきちんと理解し判断できるよう,行政は正確な情報伝達や啓発活動が求められる』と指摘している。 仙台も三陸並み1.1メートル地震災害では津波への備えも重要なことを改めて示した。 近い将来の発生が確実視される宮城県沖地震は,切迫度が高まっている。 生活立て直し手探り石巻市養殖被害について『海に近い』再避難指示若林区の避難誘導に混乱があったことが分かった。 住宅5棟が浸水県被害まとめ」 ウ平成22年3月3日河北新報朝刊(甲47)「チ 養殖被害について『海に近い』再避難指示若林区の避難誘導に混乱があったことが分かった。 住宅5棟が浸水県被害まとめ」 ウ平成22年3月3日河北新報朝刊(甲47)「チリ大地震高さ10メートル中心街のみ込む津波直撃の街ルポ船60隻陸地に 1万戸全半壊住民らによると大きな津波が2回あり,高さは1回目が数メートル,2回目は10メートル以上。第1波は数百メートル離れた広場にまで達し,第2波は一瞬のうちに中心街をのみ込んだという。」エ平成22年3月1日石巻日日新聞朝刊(甲48)「チリ巨大地震石巻地方に大津波警報 9万人に避難指示記事:避難者のピークは午後2時過ぎで石巻地区が1018人,河北,雄勝,牡鹿,北上の4総合支所と河南地区の自主避難を含めて1762人。 合計で2780人となった。 【写真】日和山公園には続々と住民が集まり,一時は1000人前後にもなった。 警報中に自主退去大津波警報で避難指示が出されている中で,半数以上が避難所から自主退去していたことが分かった。市は『情報が上手く伝わらず多くの人が退去した』,市長は『仮に第2,3波が大きな波となれば甚大な被害となった。 情報伝達を含め,防災対策上の課題』と指摘。市防災対策課は『想定外のことであり,検証していく』と話した。 一覧表:チリ地震津波での石巻市を中心にした動き9:33 大津波警報11:10~ 避難指示13:07 日和山付近などの山の手地区で交通渋滞になっているため,災害広報で市立女子高と石巻中,門脇中のグランド開放を伝える14:40 女川で25センチ, 14:58 鮎川で20センチ15:02 鮎川で30センチ, 15:11 女川で70センチ 16:01 女川で79センチ, 16:32 女 伝える14:40 女川で25センチ, 14:58 鮎川で20センチ15:02 鮎川で30センチ, 15:11 女川で70センチ 16:01 女川で79センチ, 16:32 女川で118センチ」オ平成22年3月2日石巻日日新聞朝刊(甲49)「漁業施設に深刻被害大津波警報に地域騒然写真半世紀前の体験よぎる今も忘れないチリ地震津波の惨劇」カ平成22年3月3日石巻日日新聞朝刊(甲50)「チリ地震津波被害は億単位の見通し大打撃の漁業施設」(4) 平成16年12月26日のスマトラ島沖地震に関する報道平成16年12月26日,インドネシアのスマトラ島沖でM8.9の巨大地震が発生し,宮城県河北新報においても,その津波被害等が「大津波9200人超死亡」などと一面で報道された(甲84の5)。バンダアチェ市街地の半分以上が津波により浸水し,内陸2㎞を超えて津波が広範に市街地に浸入した(甲81)。 4 地震及び津波に関する一般的な防災体制作り,防災情報,報道等(1) 津波対策関係省庁連絡会議の申合せ等(甲99,100)平成5年11月24日,関係省庁は,日本海中部地震及び北海道南西沖地震の経験に鑑み,津波に対する防災体制の点検,防災意識の向上等,津波に対する警戒を全国的に強化するため,「津波警報関係省庁連絡会議」を設置し,「沿岸地域における津波警戒の徹底について」を申し合わせ,津波に対する警戒の徹底を図っていた。 そして,平成11年7月12日,関係省庁は,上記申合せ後の技術の進展等を踏まえて,更に津波対策をより推進させるため,「津波対策関係省庁連絡会議」を設置し,同日付けの申合せをした。 それを受けて,消防庁長官は,上記同日,各都道府県知事に対し,①津波対策の推進,② 等を踏まえて,更に津波対策をより推進させるため,「津波対策関係省庁連絡会議」を設置し,同日付けの申合せをした。 それを受けて,消防庁長官は,上記同日,各都道府県知事に対し,①津波対策の推進,②情報伝達体制の充実,③避難体制の整備,④消防広域応援体制の確立に留意し,震災対策の一層の充実に努め,市町村にも通知をして指 導の徹底を図られたい旨の通知をした。そして,上記②情報伝達体制の充実の項目においては,津波警報等の迅速かつ的確な住民への伝達は極めて重要なことから,伝達ルートを明確にし,伝達漏れのないよう留意する必要があり,市町村防災行政無線,震度情報ネットワークシステム,地域衛星通信ネットワーク等を活用した情報通信基盤の整備を進め,迅速かつ正確な伝達システムの構築に努められたいと伝え,一般住民に対しては,海浜にでかけるときは,ラジオ等を携行し,津波警報,避難勧告・指示等の情報を聴取するよう指導すること,住民などに対する津波警報等の伝達手段として市町村防災行政無線(同報系無線)の整備を推進するとともに,サイレン,半鐘等多様な手段を活用することにより,海浜地への警報伝達の範囲の拡大に努めること,強い地震(震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,市町村長は,必要と認める場合,海浜にある者,海岸付近の住民等に直ちに海浜から退避し,急いで安全な場所に避難するよう勧告・指示することなどを求めていた。 そして,それを受けて作成された平成16年6月の宮城県防災会議の「宮城県地域防災計画[震災対策編]」(甲101)においては,地震や津波の被害を最小限にとどめるためには,これらの情報を一刻も早く地域住民や海水浴客等に伝達することが重要であるとの前提に立って,①仙台管区気象台においては津 対策編]」(甲101)においては,地震や津波の被害を最小限にとどめるためには,これらの情報を一刻も早く地域住民や海水浴客等に伝達することが重要であるとの前提に立って,①仙台管区気象台においては津波予報,地震及び津波情報を発表した場合には直ちにこれを防災関係機関や報道機関に伝達し,報道機関はその情報を住民に広く周知すること,②宮城県内の各テレビ局やラジオ局は,その放送体制や放送危急対策を定めること,③県は,総合防災情報システムにより仙台管区気象台からの津波予報を迅速に沿岸市町村に伝え,沿岸市町村は,住民等に対し,津波予報等の伝達手段として,同報無線の整備を促進するとともに,サイレン,広報車等多数の手段を確保し,迅速な避難行動がとれるよう避難路,避難場所の周知を図ること,④県及び市町村等防災関係機関は,一般住民に対し,強い地震 (震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,直ちに海浜から離れ,急いで安全な場所に避難すること,正しい情報をラジオ,テレビ,無線放送等を通じて入手することを周知徹底することを求めていた。 そして,それらを受けて,石巻市は,本件地震直前の平成23年3月1日発行の市報においても,「災害は忘れたころにやってくる!」と題して,津波の特徴を伝え,津波から逃れるためには,強い地震(震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,津波警報や避難指示を待たず,直ちに海から離れ,急いで高台や鉄筋コンクリートなど丈夫な建物の2階以上に避難することが大切であると指摘し,ラジオで津波に関する情報を取得することの大切さを呼びかけるなどしていた(甲102)。 (2) 気象庁作成の地震対応指針気象庁が平成21年3月に作成した「地震,そ することが大切であると指摘し,ラジオで津波に関する情報を取得することの大切さを呼びかけるなどしていた(甲102)。 (2) 気象庁作成の地震対応指針気象庁が平成21年3月に作成した「地震,そのとき」(「気象庁震度階級の解説」〔甲17〕の8頁)には,地震発生時に執るべき行動として次の内容の記載がされていた。 「●海岸でぐらっときたら高台へ海岸にいるときに強い揺れや長い時間ゆっくりとした揺れを感じたら,津波のおそれがありますので,直ちに高台や津波避難ビルなど安全な場所へ避難しましょう。また,地震を感じなくても,津波警報が発表されたときには,直ちに海浜から離れ避難しましょう。 ●不意の地震に日頃の備え地震は突然襲ってきます。家具の固定,家の耐震化など地震への備えが重要です。また,常日頃から,避難方法・場所や医療機関などを確認する,携帯ラジオ,懐中電灯などの防災用品を用意・点検するなどしておきましょう。」 (3) 本件地震発生前の宮城県内の地震津波一般に係る新聞報道本件地震発生前において,宮城県内においても,次のような新聞報道がされていた。 ア平成17年12月17日付け河北新報(甲86の2)気仙沼,石巻,仙台及び仙台東の土木事務所が管内63の小中学校の生徒2409人と教師64人を対象に実施したアンケート調査の結果,大津波に対して小中学生の6割が危機感を持っているが,教師の9割が防災教育の不足を感じている旨回答しており,宮城県が小中学校への防災出前講座などを通じ,教育現場での防災教育の普及を図る考えであることが紹介され,「今の子どもの親や教師は,津波を経験していない世代。子どもに自分の身を守る手段を教えれば,親にも波及し,地域の防災力を高めることにつながる。」との気仙沼土木 の普及を図る考えであることが紹介され,「今の子どもの親や教師は,津波を経験していない世代。子どもに自分の身を守る手段を教えれば,親にも波及し,地域の防災力を高めることにつながる。」との気仙沼土木事務所次長のコメントが記載されていた。 イ平成18年2月12日付け河北新報社説(甲86の3)「大津波災害 『瞬発力』が生死を分ける。 ・・・『津波てんでんこ』という言い伝えが三陸沿岸に残っている。地震が起きたら,てんでんばらばらになってでも,とにかく急いで逃げることを意味するが,それはこれからも鉄則と心得なければならない。地震直後の行動が生死を分ける結果になることを,市町村は対策の基本に据えなければならない。ただし,高齢者や障害者ら自力での避難が難しい人に対しては,特別の手だてを用意しておくことが欠かせない。事前に調査したうえ,優先的に避難させるための総合的な対策を急ぐ必要がある。 東海地震の危険にさらされている静岡県の津波避難マニュアルは,一般の人にとっても参考になる。海岸付近で揺れを感じたら『直ちに避難』と訴えるのはどこでも同じだが,『車利用は原則禁止』『家財持ち出しはあきらめること』『浸水が始まったら遠くに逃げることはやめ,近くの建物の高い場所へ』と具体的に教える。 徒歩より車の方が速いと思いがちだが,北海道南西沖地震(1993年)で被災した奥尻島では車ごと津波にさらわれた人が少なくなかった。荷物を積もうと出発に手間取ったり途中で渋滞に巻き込まれたりして,安全な場所に着くまでかえって時間がかかったためと言われる。 東北地方の太平洋側に住む人にとって,揺れが収まって一安心するのは禁物。すぐ津波に警戒心を向けないと身は守れない。」(4) 本件地震発生前の宮城県内の地震津波に係るテレビ報道(甲85の1 。 東北地方の太平洋側に住む人にとって,揺れが収まって一安心するのは禁物。すぐ津波に警戒心を向けないと身は守れない。」(4) 本件地震発生前の宮城県内の地震津波に係るテレビ報道(甲85の1~5)本件地震発生前において,宮城県内の津波被害に関して,次のようなテレビ報道がされていた(甲85の1~5,弁論の全趣旨)。 ア平成17年9月11日NHK 総合「NHK スペシャル:超巨大地震が日本を襲う,連動する東海・東南海・南海,震度7の揺れと10メートルの大津波等」イ平成22年3月21日TBC テレビ「THENEWS:津波被害50年前の体験者は」ウ平成22年3月21日NHK 総合「ニュース7:映像が示す津波の威力・避難の課題も」エ平成23年2月25日仙台放送「仙台放送スーパーニュース:津波1年・・・油断が生んだ悲劇をチリから現地報告」オ平成23年2月26日仙台放送「チリからの警告:津波1年現地で恐怖体感,宮城の教訓」カ平成23年2月28日NHK 総合「てれまさむね:チリ大地震から1年被災地からの報告,避難エリア見直し」(5) 石巻市報等の記載ア石巻市が平成元年3月31日に発行した「石巻の歴史第四巻教育・文化編」(甲19,976頁)には,次の内容の記載がされていた。 三陸沖合は「地震の巣」と呼ばれる地震多発地帯であり,そのため石巻 地域では度々大地震に見舞われている。しかし,被害を多くしているのは地震ではなく,それに伴って発生する津波である。大地震になると数十メートルに達する津波が押し寄せることもある。これほどの津波になるのは,三陸沿岸の地形の影響もある。リアス式海岸という複雑な地形では小さな湾がたくさんあり,そこにそれぞれ集落が形成される。そして,いったん津波が来襲すると, 寄せることもある。これほどの津波になるのは,三陸沿岸の地形の影響もある。リアス式海岸という複雑な地形では小さな湾がたくさんあり,そこにそれぞれ集落が形成される。そして,いったん津波が来襲すると,広い湾口よりも狭くなった湾奥の方の波高が急激に高くなり,集落に被害を与えることになる。また,津波は北上川の河口からさかのぼって,堤防を打ち破って被害をもたらすこともある。 イ昭和53年の宮城県沖地震の発生後,石巻市の市報である「市報いしのまき」昭和53年7月号(甲63)には,以下の内容の記事が掲載されていた。 「地震の心得六カ条いざという時の身の守り大地震のとき,被害をできるだけ少ないものにするためには,何よりもあわてず,状況をよく見て行動することが大切です。そこで,地震のときどういう行動をとったらよいか,これまでの経験をもとに考えられたのが次の六カ条です。 1 丈夫な家具に身を寄せるテーブルやベッドなど,地震で倒れる心配のない丈夫な家具に身を寄せて,まず様子を見ましょう。 2 すばやく火の始末を大地震でこわいのは火災です。まず火の始末をしてください 3 あわてて外に飛び出すなどんな大地震でも,大揺れは1分以内といわれています。あわてて外に飛び出すと,落下物で思わぬ大ケガをします。周囲の状況をよく確認し,落ち着いて行動しましょう。 4 火が出たらまず消火 火災は初期の消火が大切です。大声で隣近所に声をかけ,協力して消火に努めましょう。 5 避難は歩いて荷物は最小限自動車は消火,救急活動の障害になりますから絶対に使わず,歩いて避難してください。荷物は身軽に行動できるよう必要最小限にしましょう。 。 5 避難は歩いて荷物は最小限自動車は消火,救急活動の障害になりますから絶対に使わず,歩いて避難してください。荷物は身軽に行動できるよう必要最小限にしましょう。 6 余震を恐れずデマに迷うな余震は本震より小さいといわれています。しかし,余震にも十分注意し,落ち着いて,デマに迷わず,市役所,警察消防署などの指示に従って行動しましょう。」「備えておこう非常持出し袋いざという時の非常持出し袋を作っておきましょう。この中には,①現金や貴重品 ②懐中電燈 ③トランジスタラジオ ④水筒,米,かん詰など当座の食糧 ⑤下着類,手ぬぐい ⑥救急薬品類これだけは必ず入れておきましょう。」ウ石巻市は,昭和53年の宮城県沖地震の発生を受けて昭和54年に石巻市地域防災計画の見直しを行い,石巻市の市報である「市報いしのまき」(昭和54年10月16日付け。甲64)において同計画を掲載して周知した。この見直し後の石巻市地域防災計画において,「高潮・津波危険区域」として指定された地域の中には南浜町及び門脇町が含まれていたが,避難場所として指定された施設の中には門脇小学校が含まれていた(甲64)。 また,石巻市は,「市報いしのまき」(昭和54年10月16日付け。甲64)において,市民に対して防災対策の確認を促すため,地震発生時に取るべき行動を掲載した。当該記事の中には,「海岸では津波低地では浸水に注意海岸近くでは津波,低地では浸水のおそれがあります。安全な場所へ避難しましょう。」,「避難は徒歩で持ち物は最小限に消火,救急救護活動等 の障害となるので,自動車は絶対に使わず,必ず徒歩で避難しましょう。」,「走行中の車は道路の左側に停車消防・救急車など緊急車の 。」,「避難は徒歩で持ち物は最小限に消火,救急救護活動等 の障害となるので,自動車は絶対に使わず,必ず徒歩で避難しましょう。」,「走行中の車は道路の左側に停車消防・救急車など緊急車の障害にならないよう,走行中の車は,道路の左側に停車。カーラジオで状況をたしかめたうえで行動しましょう。」などと記載されていた。 エその後も,石巻市は,市報において,地震津波防災対策に係る広報活動に努めていた(甲102,103の1~19)。 5 裁判所が認定した本件の事実経過本件の事実経過は,前記前提事実のほか,括弧書きで摘示した証拠(甲5,109~116,124,125,乙8~14,21~23,原告亡G母を除く原告ら本人7名の各供述,被告代表者B3供述,被告B2園長供述,I証言,K証言,L1証言,L2証言,L3“〔旧姓L3〕証言,L4証言,L5証言,M1母証言,M2母証言,L6証言)及び弁論の全趣旨により認めることのできる事実によれば,以下のとおりである。 (1) 本件幼稚園Cの概要ア石巻市の本件幼稚園Cは,標高約23mの高台にあり(甲122の3頁),昭和28年8月,本件地震発生当時の事務長であって現理事長であるB3(以下「事務長B3」という。)の父Nにより創立され,昭和29年10月にその経営法人として被告B1学院が設立された。そして,昭和29年頃には本件幼稚園Cと同一敷地内にOも併設されたが,Oは平成21年に廃校となっていた(乙14)。 イ事務長B3は,平成14年から本件幼稚園Cの事務長を務め,叔父のP理事長に代わって平成21年から事実上被告B1学院の理事長職を代行していたが,本件地震発生後の平成23年6月からは正式に被告B1学院の理事長に就任した。 ウ被告B2園長は,小学校の教師及び中学校の体育科教師を て平成21年から事実上被告B1学院の理事長職を代行していたが,本件地震発生後の平成23年6月からは正式に被告B1学院の理事長に就任した。 ウ被告B2園長は,小学校の教師及び中学校の体育科教師をした後,教育委員会勤務を経て,教頭やQ1中学校校長を務め,平成10年から12年 にかけて石巻市立Q2中学校校長を務め,その後に再びQ3教育委員会勤務(課長)を経て,平成15年から同17年にかけて北上川沿いの石巻市立Q4中学校校長を務め,同校長を最後に定年退職し,その後3年間にわたってQ5教育事務所の社会教育指導員を務めた後,高等学校勤務経験のある前任園長を引き継ぐ形で,平成20年4月頃から本件幼稚園Cの園長を務めていた。しかし,本件地震発生後は,被告B2園長が平成23年3月31日をもって園長職を辞め,事務長B3が園長職を兼務している。 エ本件地震発生当時の本件幼稚園Cには,事務長B3(理事長代行),被告B2園長のほか,L1主任教諭,L3教諭,L7教諭,L2教諭,L4教諭,L5教諭,L6教諭,L8事務員,L9事務員,K運転手,I運転手及びJ添乗員ら職員12名が勤務しており(乙4末尾),園児約103名が在園していた(甲5)。 本件大きいバスのK運転手は,昭和35年からバス運転手としてバスの旅客運送会社に勤務した経験があり,定年退職後の平成14年から本件幼稚園Cの送迎バスの運転手として送迎業務等に従事していた(乙13)。 本件小さいバス(定員12名)のI運転手は,クリーニング(取次)業を自営する傍ら,平成20年4月から本件幼稚園Cの送迎バスの運転手として朝夕2回の送迎業務を行い,妻であるJ添乗員(元O勤務)も同時期から同バスの添乗員として本件幼稚園Cに勤務していた(乙12)。 (2) 本件被災園児ら4名の本件幼稚園Cへの 迎バスの運転手として朝夕2回の送迎業務を行い,妻であるJ添乗員(元O勤務)も同時期から同バスの添乗員として本件幼稚園Cに勤務していた(乙12)。 (2) 本件被災園児ら4名の本件幼稚園Cへの在園原告亡D両親は年長組の亡Dについて,原告亡E両親は年長組の亡Eについて,原告亡F両親は年長組の亡Fについて,原告亡G両親は年中組の亡Gについて,それぞれ被告B1学院との間で在園契約(保育料・教材費・後援会費・絵本代の合計月額は1万8600円である。)を締結し,本件地震当時本件被災園児ら4名が送迎バス(月額利用料3000円)を利用して本件幼稚園Cに通園していた(甲128)。 (3) 本件小さいバスの送迎ルート,時刻表等平成22年1月頃に本件幼稚園Cの保護者らに配布されていた「平成22年度バス時刻表(2号車)」(甲6)によれば,本件小さいバスによる送迎ルートは,①石巻市大街道東,同市三ツ股及び同市泉町付近を通る1便目のルート,②同市南浜町及び同市門脇町付近の海側を通る2便目のルート(帰りは午後2時51分に本件幼稚園C発,午後3時6分に同園着),③同市貞山,同市新橋及び同市蛇田付近(甲120参照)の陸側を通る3便目のルート(帰りは午後3時7分に本件幼稚園C発,午後3時41分に同園着)の3つに分けられ,決められた送迎ルートを定められた時刻に従って送迎し,それに合わせて保護者らがバスの停車場まで園児を送迎することとされていた(甲135,136)。 そして,本件被災園児ら5名は,内陸側を走行する本件小さいバスの3便目により通園していた。 しかし,平成22年8月末頃以降,2便目と3便目の各園児らが欠席等により合計12名以下となって一緒に本件小さいバスに乗せることができるような場合には,当日の出欠人数を確認でき により通園していた。 しかし,平成22年8月末頃以降,2便目と3便目の各園児らが欠席等により合計12名以下となって一緒に本件小さいバスに乗せることができるような場合には,当日の出欠人数を確認できる教諭の判断により2便目の園児と3便目の園児を一緒に乗せて送ることもあった(甲138)。そのような正規の送迎方法に反した送り方について本件幼稚園Cから保護者らに対する説明はなく,保護者らの同意も得ていなかった。 なお,上記本件小さいバスの2便の送迎ルートは,別紙「2便送迎ルート図」(甲135)記載のとおりであり,その送迎対象地区である石巻市南浜町及び同市門脇町地区の標高は,0~3m未満の低地であって,堤防から約200mないし約600m前後の地域であった(甲11。別紙「津波浸水図」参照)。そして,石巻市鮎川の平均潮位(東京湾の平均海面を0mとした場合の高さ)が7.5㎝であり(甲130),石巻港雲雀野の堤防(護岸延長1517m)の高さが4.53mであったものの(甲129),海岸沿いの 道路からみた堤防の高さは,約1m数十㎝であり(甲122の写真11,12),台風や高潮の際には日頃からその堤防沿いの道路に,堤防を越えた波が被っていた(原告亡D父供述3頁)。 (4) 地震に対する日常の備えア宮城県防災会議地震対策等専門部会の平成16年3月付けの報告書宮城県防災会議地震対策等専門部会の平成16年3月付けの報告書(甲87)によれば,宮城県が地震被害の想定対象とした地震は,海洋型地震としては,①宮城県沖地震の単独発生型(マグニチュード7.6)と,地震調査研究推進本部が平成15年に想定対象としていた②宮城県沖地震の連動型(マグニチュード7.8)であり,内陸型地震としては長町-利府線断層帯の地震(マグニチュード7.14)であっ ド7.6)と,地震調査研究推進本部が平成15年に想定対象としていた②宮城県沖地震の連動型(マグニチュード7.8)であり,内陸型地震としては長町-利府線断層帯の地震(マグニチュード7.14)であった。 イ石巻市作成の別紙「津波ハザードマップ」石巻市が作成した別紙「津波ハザードマップ」(乙3)においては,南浜町及び門脇町の主な市街地は津波により浸水することが想定されておらず,同地区の指定避難場所としては門脇小学校が指定されていた。そのため,石巻市は,海に近い北上川河口付近に,昭和61年には石巻文化センターを,平成10年には石巻市立病院を,それぞれ設立していた(乙18~20)。 もっとも,上記別紙「津波ハザードマップ」を紹介する石巻市のホームページにおいては,宮城県が実施した「第三次地震被害想定調査」の結果等に基づいて,宮城県沖地震(連動型)に伴い津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並びに各地域の避難場所を示したものであって,浸水の着色のない地域においても,状況によっては浸水するおそれがありますので,注意してほしいこと,津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避難することが大切であること,強い揺れを感じたら,すぐにテレビやラジオなどで津波情報や警報を確認し,市からの避難勧告や避難指示が出された時 には,直ちに避難してほしいことが注記されていた(甲88)。 ウ宮城県教育委員会の「みやぎ防災教育基本指針」及び宮城県教育委員会震災マニュアル宮城県教育委員会は,平成21年2月,各学校(幼稚園を含む。)において地域や家庭も巻き込んだ形で防災教育を展開することにより,児童生徒が災害に積極的に立ち向かう能力を備え,自らの被害を最小限のものにすることができるようにするため,「みやぎ防災教育基本指針」を作成していた(甲139 込んだ形で防災教育を展開することにより,児童生徒が災害に積極的に立ち向かう能力を備え,自らの被害を最小限のものにすることができるようにするため,「みやぎ防災教育基本指針」を作成していた(甲139)。 また,宮城県教育委員会震災マニュアルにおいては,「指定職員はラジオ等により情報収集に努める。津波警報等の発令時(見込みを含む。)は,更に高台等に二次避難する。」と定められていた(甲7)。 エ本件幼稚園C地震マニュアル学校保健安全法29条1項は,「学校においては,児童生徒等の安全の確保を図るため,当該学校の実情に応じて,危険等発生時において当該学校の職員がとるべき措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領(次項において「危険等発生時対処要領」という。)を作成するものとする。」と定め,同条2項は,「校長は,危険等発生時対処要領の職員に対する周知,訓練の実施その他の危険等発生時において職員が適切に対処するために必要な措置を講ずるものとする。」と規定している。 そして,被告B1学院は,平成18年9月13日に宮城県総務部私学文書課から会計監査を受けた際,学校安全計画を策定していないことを指摘され,文部科学省が発行した「生きる力をはぐくむ学校での安全教育」と題する冊子の送付を受けたことなどから(甲127の1及び2),本件幼稚園C地震マニュアル(甲8)を策定した。同マニュアルにおいては,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。園児は保護者 のお迎えを待って引き渡すようにする。」と定められていた。 オ防災避難訓練被告B1学院は,毎年6月に地震を想定した地震避難訓練をし,11月には火災を想定した火災避難訓練をしていたが,地震発生時には園内に地震 引き渡すようにする。」と定められていた。 オ防災避難訓練被告B1学院は,毎年6月に地震を想定した地震避難訓練をし,11月には火災を想定した火災避難訓練をしていたが,地震発生時には園内に地震放送を流して園児が机の下に隠れ,その後に南側園庭に避難する訓練をしていたのみであった。地震避難訓練の際に被告B2園長らが本件幼稚園C地震マニュアルを教諭らに配布したり,見せることはなく,送迎に係る訓練や打合せをすることもなかった。そのため,L1主任教諭を除く教諭ら及び運転手らは,本件幼稚園C地震マニュアルの存在を知らず,大地震が発生した際には本件幼稚園Cにおいて園児らを保護者らに引き渡すという取扱いが定められていたことを全く知らなかった。 なお,被告B1学院が宮城県総務部私学文書課から平成22年9月1日付けで送付されていた「生きる力をはぐくむ学校での安全教育」という文部科学省発行の冊子(甲127の3)においては,事件・事故災害発生時の危機管理に関して,「事前に,学校は適切かつ確実な危機管理体制を確立し,危険等発生時対処要領(危機管理マニュアル)の周知,訓練の実施など,教職員が様々な危機に適切に対処できるようにする必要がある。」,「地震発生後としては,災害等に関する情報の収集,応急手当,関係者や医療機関を含む関連機関への連絡・対応,必要に応じた第二次避難場所への避難,校内及び近隣の罹災状況の把握,避難所となった場合の運営や被災者への対応等が挙げられる(付録参照)。」と記載され,その付録には「地震及び自然災害時の安全」の「目標」として「地震時及び津波発生時の避難の仕方を知る」ことが明示され,「教職員の援助・保護者との連携」として,「正しい情報の入手(落下物・家屋等の倒壊・陥没・地割れ,山崩れ・液状化現象等)と状況に応じた安全な避難経路と場所 生時の避難の仕方を知る」ことが明示され,「教職員の援助・保護者との連携」として,「正しい情報の入手(落下物・家屋等の倒壊・陥没・地割れ,山崩れ・液状化現象等)と状況に応じた安全な避難経路と場所を確認し,幼児に明確に指示する。」ことが記載されていた(甲127の2)。しかし,この冊子 も,本件幼稚園Cの前記避難訓練等に役立てられることはなかった(L1証言)。 (5) 本件地震の2日前の平成23年3月9日に発生した地震(甲14の1~3)本件地震の2日前である平成23年3月9日午前11時45分頃,三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した(以下「本件3月9日地震」という。)。その際の宮城県栗原市及び登米市等の震度が5弱(最大震度)であり,石巻市門脇及び同市泉町等の震度が4であった。 気象庁は,9日午前11時48分,東北地方太平洋沿岸,岩手県,宮城県及び福島県について,津波警報(高いところで0.5m程度の津波が予想されますので,注意してくださいとの説明)を発表し,大船渡で最大波0.6m,石巻市鮎川で最大波0.5mの津波が記録された。 本件3月9日地震が発生した際,原告亡F母は,次女の未就園児クラスが本件幼稚園Cにおいて開催されていたことから,本件幼稚園C内にいたが,地震発生後に他の保護者らと共に携帯電話のワンセグ放送等により地震に関する情報を収集し,本件幼稚園Cにしばらく滞在したいと思っていたところ,L1主任教諭から,「お母様方,何が起こるか分からないので帰って下さい。」などと言われ,やむなく次女と共に高台にある本件幼稚園Cを辞した。 その本件3月9日地震発生後においても,被告B2園長ら職員は,本件幼稚園C地震マニュアルを再確認することがなく,大地震発生後の園児の送迎や,津波に対する備えを確認するこ ある本件幼稚園Cを辞した。 その本件3月9日地震発生後においても,被告B2園長ら職員は,本件幼稚園C地震マニュアルを再確認することがなく,大地震発生後の園児の送迎や,津波に対する備えを確認することがなかった。 (6) 本件地震の発生11日午後2時46分頃,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9.0の本件地震が発生した(甲15)。本件地震の最大震度は7(宮城県栗原市築館),石巻市門脇地区の震度は,6弱であった(甲16)。 (7) 本件地震発生当時の本件幼稚園Cの状況についてア本件地震の発生当日は,約100名の園児が本件幼稚園Cに登園してい た(甲5)。本件地震の発生時刻である午後2時46分までには,45名の園児が既に帰宅しており,本件幼稚園C内に残っていた園児は55名であった。 55名の園児のうち,12名が本件小さいバスに乗車する園児(本件被災園児ら5名が含まれる。)であり,20名が本件大きいバスに乗車する園児であり,残りの23名が預かり保育の園児であった。 被告B1学院は,本件地震当日以前にも,2学期以降は,状況に応じて,ときどき本件小さいバスの2便目の園児と3便目の園児を同乗させて送ることがあった。そして,本件地震発生当日も,J添乗員から「12名乗れますから乗せてください。」などと言われ,本件地震発生前である午後2時40分には,L3教諭が2便目の園児ら7名と3便目の本件被災園児ら5名の計12名を本件小さいバスに乗車させていた(甲5の1頁)。 イ午後2時46分,本件地震が発生すると,被告B2園長ら職員は,園児らを机の下に入らせるなど園児の安全確保にあたった。 この時,本件大きいバスのK運転手は,海側に自宅のある園児を送って本件幼稚園Cに戻ってくる最中であり,同バスにはL5教諭が同乗していた。K運転 らを机の下に入らせるなど園児の安全確保にあたった。 この時,本件大きいバスのK運転手は,海側に自宅のある園児を送って本件幼稚園Cに戻ってくる最中であり,同バスにはL5教諭が同乗していた。K運転手は,旅客運送会社のバス運転手として勤務し避難訓練をしていた経験などから,直ちに本件大きいバスを停車させてラジオをつけ,揺れが収まった後に本件大きいバスを運転して本件幼稚園Cへ戻り,西門側に停車させた(乙23,L5証言)。 他方,本件小さいバスのI運転手は,本件幼稚園C内に駐車したバスの中におり,L3教諭が2便目の園児7名と,3便目の本件被災園児ら5名を乗車させたところであった(乙21)。 ウ地震の揺れが収まると,教諭らは,園児らを本件幼稚園Cの南側の園庭に避難させた。 被告B2園長は,本件幼稚園Cのテレビで地震の情報を確認しようとし たが,停電のため,テレビを見ることができなかった。しかし,被告B2園長は,携帯電話のワンセグ放送によりテレビを視聴することや,ラジオを聞こうとすることもなかった。 この日は,みぞれ混じりの天候で,気温が低く,外に避難した園児らは寒さに凍えていたため,教諭らは,ジャンパーや帽子などを持ってきて着せたり,防災頭巾を持ってきて頭にかぶせたり,毛布等を持ち出したり,傘を差すなどして園児らを保護した。 被告B2園長は,園児らの無事が確認されたことから,本件幼稚園Cと同一敷地内の自宅にいる事務長B3の母(約2年前まで事務長を務めていた前理事長)に対し,園児らが全員無事であることを報告した。 (8) 気象庁の津波警報等の発表状況気象庁は,宮城県沿岸について,11日午後2時49分に,予想される津波の高さ6m以上の大津波警報を発表し,午後3時14分以降には,予想される津波の高さ10m以上の大津波 波警報等の発表状況気象庁は,宮城県沿岸について,11日午後2時49分に,予想される津波の高さ6m以上の大津波警報を発表し,午後3時14分以降には,予想される津波の高さ10m以上の大津波警報を発表し続け,12日午後8時20分に,津波警報に切り替え,13日午後5時58分にようやく津波警報を解除した(甲133)。 (9) 防災行政無線の放送状況ア防災行政無線の設置状況石巻市内における防災行政無線(甲9)のうち,本件幼稚園Cから最も近くに設置されている防災行政無線は,石巻市防災行政無線屋外子局73番(地番:石巻市日和が丘四丁目33の5。以下「本件防災無線」という。)である。児童遊園に設置されている本件防災無線は,本件幼稚園Cからは,民家を数軒隔てた北側約80mの至近距離にあり,本件幼稚園C東門付近からは高さ14.7mの位置にある本件防災無線(甲140)のスピーカーを肉眼で明確に見ることができる(甲70)。その本件防災無線は,4方向に向かってスピーカーが設置されており(甲70号証写真⑥),そのうち の一つは本件幼稚園Cの園舎北側から園舎へ向けて設置されており,同スピーカーと本件幼稚園Cの園舎の間には障害物が存在しない(甲70の写真①,③~⑧)。 イ本件地震発生後における本件防災無線の放送内容午後2時48分頃から,本件防災無線により,大音量でサイレンが流され,注意喚起がされた後,「大地震発生,大地震発生。津波の恐れがありますので,沿岸や河口付近から離れて下さい。」等の放送がされ,テレビ放送により大津波警報が出されたことを石巻市職員が把握した後の午後2時52ないし54分にされた放送以降においては,大津波警報発令の伝達に切り替えられ(甲68),「大津波警報,大津波警報。宮城県沖に大津波警報が発表され が出されたことを石巻市職員が把握した後の午後2時52ないし54分にされた放送以降においては,大津波警報発令の伝達に切り替えられ(甲68),「大津波警報,大津波警報。宮城県沖に大津波警報が発表されました。沿岸・河口付近から離れて下さい。至急高台へ避難してください。」,「車での避難は控えて下さい。渋滞になります(なっています)。」,「津波は繰り返しきます。第二波,第三波の恐れがあります。沿岸や河口付近には絶対に近づかないで下さい。」等のアナウンスが約2分置きに繰り返され,午後3時20分以降午後5時過ぎまでは上記放送が約3分置きに繰り返され,放送が午後7時38分まで続いた(甲9)。 ウ本件幼稚園C関係者の本件防災無線の放送内容の聴取状況被告B2園長は,少なくとも午後3時2分過ぎ頃に本件小さいバスや本件大きいバスが出発した後には本件防災無線の放送を聞き,これを認識していた(乙8)。 また,事務長B3も,出先のR門脇支店から本件幼稚園Cに戻る途中の坂道で,防災行政無線の放送内容を聞いていた(乙14,B3証言3頁)。 これに対し,本件幼稚園Cにいて証人となった教諭らはいずれも防災行政無線の放送内容を聞いていなかった旨証言する。しかし,地震後に屋外の南園庭に避難していたのに,近い距離にあった本件防災無線のサイレンや放送に気付かなかったというのは不自然である。また,本件小さいバス が午後3時2分過ぎ頃に本件幼稚園Cを出発した直後の状況を近所の人が偶然にデジタルビデオカメラで撮影しており,その映像の中には静寂の中を本件防災無線のサイレンが鳴り響き,高台避難を呼び掛けている状況等が録音されていること(甲71,72)にも照らせば,証人となった上記教諭らの証言はたやすく信用することができない。 (10)ラジオの放送状況ア日 響き,高台避難を呼び掛けている状況等が録音されていること(甲71,72)にも照らせば,証人となった上記教諭らの証言はたやすく信用することができない。 (10)ラジオの放送状況ア日本放送協会によるラジオ放送(甲117)NHK仙台放送局は,11日午後2時49分頃,宮城県北部で震度7,宮城県中部で震度6強の地震が発生したことをラジオ放送で伝えた。 その後,NHK仙台放送局は,午後2時51分頃から午後3時8分頃までの間に,宮城県,岩手県,福島県沿岸に大津波警報が発表されたことを9回,宮城県への津波到達予想時刻が午後3時であり,予想される津波の高さが6mであることを12回にわたってラジオ放送で伝え,その際同時に,海岸や川の河口付近には絶対に近づかないこと,早く安全な高いところに避難することを合計14回にわたって呼び掛けた。 イ石巻コミュニティー放送によるラジオ放送(甲118)石巻コミュニティー放送は,11日午後2時46分頃の本件地震により停波したが,午後2時48分頃に放送を再開し,午後2時50分からは大津波警報発令を伝え,午後3時1分には6mの津波(到達予想時刻午後3時)が宮城県沿岸部に到達するとの発表を伝え,午後3時10分まで,地震の規模がM7.9で,宮城県北部の震度が7であり,大津波警報発令中であることなどを繰り返し伝えた。 ウ東北放送株式会社によるラジオ放送(甲119)東北放送株式会社は,11日午後2時46分頃から緊急地震速報の放送をし,午後2時48分に本件地震発生の放送を開始し,午後2時49分に震度情報(6強)を最初に伝え,午後2時50分には震度7の追加情報を 加え,午後2時50分から大津波警報発令(津波到達予想時間午後3時)を伝え,午後2時51分には, 開始し,午後2時49分に震度情報(6強)を最初に伝え,午後2時50分には震度7の追加情報を 加え,午後2時50分から大津波警報発令(津波到達予想時間午後3時)を伝え,午後2時51分には,予想される津波の高さを平常の海面より3m以上とし,特に三陸沿岸では非常に高くなる所がある旨を伝えたが,午後2時52分には,予想される津波の高さを6mと伝えて避難を呼び掛け,午後2時55分には「時間がありません。直ちに高台に避難してください。」などと呼び掛け,ほぼ毎分避難の呼び掛けを続けた。 (11)本件小さいバスの発車とその後の被告B2園長ら職員の状況ア本件小さいバスが出発するまでに,保護者1名が園児2名を迎えに来て引き渡された。 イ被告B2園長は,午後3時過ぎ頃,教諭らに対し,園児らを「バスで帰せ。」と指示し,教諭らは,上記指示に基づき,海側に向けて先に送迎される予定の他の園児7名(本件小さいバスの2便目の通称「オレンジバス」の園児)と共に,3便目の本件被災園児ら5名も一緒に本件小さいバスに乗せ,午後3時2分過ぎ頃(甲72),高台にある本件幼稚園Cから海側に向けて本件小さいバスを出発させた(甲71,72)。 他方,西門側から東門側に移動した本件大きいバスには同バス2便目の20名の園児が乗車した。 出先のR門脇支店から本件幼稚園Cに戻った事務長B3は,被告B2園長に対して「園児は大丈夫ですか。」と尋ねたところ,被告B2園長から「大丈夫です。お母さんの所に行ってください。」などと言われたので,真っ直ぐ本件幼稚園Cと同一敷地内にある自宅に戻った。そのため,事務長B3が園内の園児らの様子を確認したり,本件地震発生直後の教諭らによる保育業務等を支援したりすることはなかった(甲5)。 本件小さいバスが出発してから数分後,K運転手は,園児1 た。そのため,事務長B3が園内の園児らの様子を確認したり,本件地震発生直後の教諭らによる保育業務等を支援したりすることはなかった(甲5)。 本件小さいバスが出発してから数分後,K運転手は,園児18名及びL5教諭を乗せて,本件大きいバスを東門から出発させたが,「S」のある丁字路付近で停車中に園児1名を保護者に引き渡した後,同バス内のラジオ で,大津波警報に関する放送を聞いたことや,道路の渋滞が始まっていたことなどから,念のため高台に避難しておいた方がよいと判断し,「S」のある丁字路を左折して坂を下らずに,逆に内陸側に右折して坂を上り,本件幼稚園Cへ引き返した(乙13,23。)。 ウ少なくとも本件大きいバスの出発後に,被告B2園長は,本件防災無線の放送により大津波警報が発令されていることを知ったが(乙8),高台から海側に下りていった本件小さいバスや本件大きいバスの運転手に対して大津波警報を伝えて高台に戻るようにとの連絡をしようともしなかった。 エ午後3時10分過ぎ頃,本件大きいバスが本件幼稚園Cに戻ってきた。 (12)本件小さいバスの発車から門脇小学校停車までの状況(甲135)I運転手は,本件小さいバスを出発させた後,石巻市門脇町及び同市南浜町付近を走行していたところ,その途中で園児M3の母親が自動車で本件小さいバスを追いかけてクラクションを鳴らしたため,本件小さいバスを停車させ,J添乗員において同園児を保護者に引き渡した(甲12,乙29)。 その後,I運転手は,再び本件小さいバスを運転し,園児M1の自宅前に到着したが,同園児の自宅から保護者が迎えに出て来なかったため,I運転手はしばらくの間本件小さいバスを停車させていた。そうしたところ,本件小さいバスに乗車していた別の園児M4の母親が車で同園児を迎えに来たた が,同園児の自宅から保護者が迎えに出て来なかったため,I運転手はしばらくの間本件小さいバスを停車させていた。そうしたところ,本件小さいバスに乗車していた別の園児M4の母親が車で同園児を迎えに来たため,J添乗員において同園児を引き渡したが,その際,同園児の母親から,もう避難して誰もいないので門脇小学校へ向かった方がいいと言われた(甲12,乙29)。 しかし,I運転手は,まだ自宅で本件小さいバスの送迎を待っている保護者がいるかもしれないと考え,通常の送迎ルートを走行することとし,本件小さいバスに乗車していた園児M5及びM6の自宅に順次到着したが,いずれの自宅も不在であったため園児を引き渡すことができず,別の園児M7の自宅前で降車して歩いて玄関に行ったところ,その自宅も不在であったが, その玄関には門脇小学校に避難している旨の置手紙があったことから,本件小さいバスを門脇小学校に向かわせることとし,門脇小学校の校庭の校舎入り口正面付近に本件小さいバスを停車させた(甲12,乙26,29)。その結果,I運転手は,全ての保護者が高台に避難するため自宅を留守にし,2便目の正規の停留所付近では園児らを待っておらず,行き違いになるなどしたことから,別の場所で園児ら7名を引き渡すことになった。 なお,石巻市から指定避難場所とされていた上記門脇小学校(海抜約10m)においては,同校が海に近いことから二次避難所を海抜40mの石巻市立女子高と定めて日頃から避難訓練をしていたが,防災行政無線による大津波警報発令を聞いた後に教頭の指示により海抜約50mの日和山公園に二次避難場所を急遽変更することとし,直ちに全児童を付近住民らと共に本件階段を歩いて日和山公園へ避難させ,体育館に残った教頭ら一部職員4名と消防団員らは,後に門脇小学校へ避難してきた地域住民ら 園に二次避難場所を急遽変更することとし,直ちに全児童を付近住民らと共に本件階段を歩いて日和山公園へ避難させ,体育館に残った教頭ら一部職員4名と消防団員らは,後に門脇小学校へ避難してきた地域住民らを日和山へ避難するよう誘導した。そして,後記のとおり津波が石巻市街地に押し寄せてくるのが見えた後には教頭らが残っていた住民らと共に体育館から門脇小学校校舎に駆け上がって避難し,校舎2階廊下の山側窓から日和山の崖へと教壇を橋状に架けて避難路を造り,そこから高齢者等も含めた付近住民らを日和山に避難させた(甲91,92)。 (13)本件小さいバスが門脇小学校に停車した後の状況ア午後3時10分頃,本件小さいバスに乗車していた園児であるM2及びM1の母親ら(以下,それぞれ「M2母」及び「M1母」という。)が本件小さいバスの送迎ルートを海側の自宅から本件幼稚園Cに向かって逆行して来たが,途中で本件小さいバスと遭遇しなかったことから,L2教諭に対し,本件小さいバスはどこにいるのかを尋ねた。そこで,L2教諭は,本件小さいバスの所在を確認するためI運転手の携帯電話に職員室の固定電話から電話をしたところ,すぐにつながってI運転手と話をすることが でき,本件小さいバスが門脇小学校に停車中であることを知った(乙22,L2証言)。 イ上記電話の後,L2教諭は,そばにいた被告B2園長に対し,本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨を伝え,L3教諭にもその旨を伝えた。 L3教諭は,本件小さいバスに乗車していた園児M5の母が本件幼稚園Cに迎えに来たので,本件小さいバスが門脇小学校に停車中であることを伝えた(乙21)。 また,L2教諭も,本件小さいバスに乗車していた園児M6の父親が本件幼稚園Cに迎えに来たことから,同人に対し,本件小さいバスが門脇小 件小さいバスが門脇小学校に停車中であることを伝えた(乙21)。 また,L2教諭も,本件小さいバスに乗車していた園児M6の父親が本件幼稚園Cに迎えに来たことから,同人に対し,本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨を伝えた(乙22)。 ウ本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨をL2教諭から報告された被告B2園長は,L6教諭及びL4教諭に対して,「バスを上げろ。」などと言って,徒歩で門脇小学校へ行って本件小さいバスを本件幼稚園Cに戻すことを伝えるように指示した。この際,被告B2園長は,L6教諭及びL4教諭に対し,大津波警報が発令されていることを伝えなかった。 そこで,L6教諭とL4教諭は,徒歩で本件幼稚園Cを出て門脇小学校の脇にある本件階段を下り,門脇小学校へ向かった(甲10,甲123の写真7~9,乙28)。 エ I運転手が本件小さいバスを門脇小学校の校庭に停車させ,J添乗員及び園児らが待機していたところ,本件小さいバスに乗車していた園児10名のうち3名(M6,M5,M7)の保護者らが同園児らを迎えに来たため,J添乗員において同園児ら3名を保護者らに引き渡し(乙29),他の園児らも一時バスの外に降りて待機していたが,雪が降ってきたため再度車内に乗車した(乙12)。 オ L6教諭及びL4教諭が門脇小学校に着くと,校舎前に本件小さいバス が停車していたので,I運転手に対し,「バスを上に上げろ。」との被告B2園長の指示を伝えた上,門脇小学校の校庭には多数の自動車が避難して混んでいるため,同所から本件小さいバスを発車させて本件幼稚園Cに戻ることができるかどうかを尋ねた。これに対し,I運転手が本件小さいバスで本件幼稚園Cに戻ることができる旨を回答したため,L6教諭及びL4教諭は,同園児らを本件小さいバスに乗せたまま戻させ 稚園Cに戻ることができるかどうかを尋ねた。これに対し,I運転手が本件小さいバスで本件幼稚園Cに戻ることができる旨を回答したため,L6教諭及びL4教諭は,同園児らを本件小さいバスに乗せたまま戻させることとし,教諭2人のみで本件階段を上がって本件幼稚園Cに戻った。そして,I運転手は,本件被災園児ら5名を含む園児7名及びJ添乗員を乗せたまま本件小さいバスを門脇小学校から出発させた(乙10,12,L4証言,L6証言)。 カ本件幼稚園Cに戻ったL4教諭は,本件幼稚園C前の道路でL2教諭と会い,門脇小学校から園児らを連れて帰ればよかったかなと話したが,L2教諭はバスで戻ってくるので大丈夫と思っていた(乙22)。そして,L4教諭は,被告B2園長に対し,園児らが本件小さいバスに乗って戻って来る旨の報告をしたが,被告B2園長からは,何らの疑問も述べられなかった。 他方,L6教諭は,本件幼稚園Cの南側園庭の車内に原告亡D母がいるのを見付けたため,同人に対し,本件小さいバスが戻ってくる旨を伝えた。 (14)本件小さいバスが門脇小学校を出発してから被災するまでの状況本件幼稚園CにおいてL2教諭に娘らの所在を尋ねていたM2母とM1母(姉妹)は,その後に被告B2園長から,本件小さいバスが海側に向けて発車していたことを聞かされたため,津波に被災することを心配し,急いで徒歩で坂を下り,防災行政無線が大津波警報と高台への避難を呼び掛けたり,広報車が高台避難を呼び掛けたりしている中を,門脇郵便局付近まで下り,本件小さいバスを捜した。しかし,本件小さいバスが見当たらず,付近は異様な静けさであって,これ以上平地にとどまるのは危険であると判断したこ とから,M2母とM1母は,一旦本件幼稚園Cに戻り,本件小さいバスが帰っていないかどうかを確認すること たらず,付近は異様な静けさであって,これ以上平地にとどまるのは危険であると判断したこ とから,M2母とM1母は,一旦本件幼稚園Cに戻り,本件小さいバスが帰っていないかどうかを確認することとした。そして,本件幼稚園Cに戻ると,被告B2園長から,本件小さいバスが門脇小学校にいるので大丈夫であると聞いたことから,M2母とM1母において,園児らが同小学校脇の本件階段を上って避難してくるものと理解し,その旨を被告B2園長に確認すると,階段は墓石が倒れて危険であるから本件小さいバスで出発させた旨を被告B2園長から聞かされたため,門脇地区は道路が渋滞している旨を告げ,慌てながら不安を述べた。これに対し,被告B2園長からは「お母さん大丈夫ですから,ここで待っていてください」などと言われたことから,M2母とM1母は,全然大丈夫ではないと考え,子供を抱えている妹のM1母を残し,姉のM2母のみが1人で急いで娘らを引取りに行くこととし,門脇町五丁目付近の坂道を走って下ったところ,その坂道の入り口付近(本件被災現場)において本件小さいバスが渋滞に巻き込まれ,停車しているのを目にした(乙27の写真①)。そこでM2母は,急いで本件小さいバスまで走っていき,同女に気付いてM2及びM1を本件小さいバスから降車させていたJ添乗員から,上記娘らを引き取り,両名を連れて本件幼稚園Cに向かって避難していたところ,午後3時45分頃に石巻市南浜地区に津波が到達し,「津波だ。」という声が坂の上から聞こえたため,無我夢中で娘ら2名の手を引いて坂を駆け上り,何とか津波に襲われずに助かった(甲122の写真28,乙27の写真①,②)。そして,M2母及びM1母は,本件幼稚園Cの教諭に対し,M2及びM1を引き取ったことを告げた上で,門脇小学校の生徒が日和山公園に避難していると知人 かった(甲122の写真28,乙27の写真①,②)。そして,M2母及びM1母は,本件幼稚園Cの教諭に対し,M2及びM1を引き取ったことを告げた上で,門脇小学校の生徒が日和山公園に避難していると知人から聞いていたことから,同小学校に通うM2母及びM1母の長女を捜すために急いで日和山公園へ向かった(甲124,125)。 他方,本件小さいバスは,前記のとおり,同市門脇町五丁目付近の坂を少し上った地点(本件被災現場)において,渋滞に巻き込まれて停車し,バス 内の園児らが不安で泣き出すなどし,亡Fにおいて他の園児らを励ますなどしていたが,前記のとおりM2及びM1がM2母に引き渡された直後に,津波に流されてきた家屋に後ろから押され,バスの内部に一気に水が流れ込み,本件被災園児ら5名が本件小さいバス内に取り残された。I運転手は,津波により破れた窓から車外に押し出され,もがきながら一時気を失ったが,気が付いたときには津波で流された民家の屋根の上に乗っていた。そして,九死に一生を得たI運転手は,全身ずぶ濡れのまま本件幼稚園Cに戻った(乙12,I証言)。 なお,石巻市鮎川においては,午後3時26分頃に約8.6m以上の最大津波を観測していた(甲134)。 (15)被告B2園長が再度教諭を門脇小学校に派遣した状況被告B2園長は,遅くとも本件大きいバスが出発した後に本件防災無線において大津波警報が発令されている旨を耳にしていたが,バスを戻すようにとの指示にもかかわらず,本件小さいバスが直ちには戻ってこなかったため,心配になり,L3教諭,L2教諭及びL6教諭に対して,本件小さいバスの進行状況を確認させるため,再び門脇小学校へ向かうよう指示していた。 L3教諭,L2教諭及びL6教諭は,門脇小学校へ向かう途中,本件幼稚園Cの東門から見ると,南浜町方 教諭に対して,本件小さいバスの進行状況を確認させるため,再び門脇小学校へ向かうよう指示していた。 L3教諭,L2教諭及びL6教諭は,門脇小学校へ向かう途中,本件幼稚園Cの東門から見ると,南浜町方面が冠水しているような様子が見え,それが津波の被害かどうかを疑問に思いながらも,門脇小学校脇の本件階段の上方まで行って市街地を間近に見下ろすと,市街地が津波に襲われ海のようになって浸水し,所々で火の手が上がっている様子が見えた。L3教諭らは,近くにいたおばあさんから,子供らが日和山公園に避難していると教えられたため同公園に向かったが,園児らを見付けることができなかった(乙22)。 その後,L3教諭らがすぐには戻って来なかったため,被告B2園長は,自分自身が行かなくてはならないと考え,L4教諭と共に門脇小学校へ向かったが,本件階段の上からは既に門脇小学校が津波に襲われている様子が確 認されたため,本件幼稚園Cに戻った。 (16)本件地震発生以降の原告らの動きと,被告B2園長ら職員の対応等ア本件地震後,本件幼稚園Cへ亡Dを迎えに行った原告亡D母は,既に本件小さいバスが出ていったものの,門脇小学校から戻ってくると聞いたのでその帰りを待っていたところ,ずぶ濡れになって本件幼稚園Cに戻ってきたI運転手に出会ったことから,事情を聴くと,本件小さいバスが津波に襲われたと聞いた。そこで,原告亡D母は,K運転手及びL1主任教諭と共に,I運転手の案内により,被災したという場所へ向かった。しかし,I運転手が被災場所として指示した場所は,門脇町五丁目付近の坂の上り口付近の真の本件被災現場ではなく,同被災場所も見通せないほど日和山公園側(東側)に相当離れた崖上から見える崖下の場所であった(甲122の写真25,原告亡D母証言)。そこで,原告 丁目付近の坂の上り口付近の真の本件被災現場ではなく,同被災場所も見通せないほど日和山公園側(東側)に相当離れた崖上から見える崖下の場所であった(甲122の写真25,原告亡D母証言)。そこで,原告亡D母は,I運転手が指示した崖下の悲惨な被災状況を見て精神的に動揺し,既にパニック状態に陥っていたI運転手と共に,L1主任教諭に付き添われて,いったん本件幼稚園Cに戻った。L1主任教諭は,津波に流されて崖下に押し寄せて燃えている民家や瓦礫等の火を消せば園児らを救うことができるのではないかなどととっさに考えて他の教諭らに対し,本件幼稚園C内の消火器を持って行くよう指示し(乙9,L1証言),実際にL2教諭らが消火器を持って上記現場付近に赴いたが,とても消火器で消せるような被災状況ではなかった(乙22)。I運転手は,本件幼稚園Cに戻った後は,寒さと打撲の痛みもあって,保健室で休んでいた。 イ原告亡E父は,勤務先の運輸会社の倉庫において本件地震に遭遇し,揺れが収まった後にトラックのラジオを入れ,津波警報が発令されたことを知ったが,その津波警報がすぐに大津波警報に変わり,石巻市で6m以上の津波が予想されると聞いたことから,本社に避難し,更に午後3時40分頃に,会社から新境町にある自宅へ徒歩で帰宅した。本件地震による津 波発生後には,原告亡E両親の自宅から本件幼稚園Cへ向かう途中の道路が冠水していたため,原告亡E父が本件幼稚園Cに亡Eを迎えに行くことはできなかった(甲111,原告亡E父供述)。 翌12日に亡Eの祖母と大叔母が冠水した道路に浸水しながら本件幼稚園Cを訪れたところ,被告B2園長から,亡Eが本件小さいバスで送迎されている最中に津波にのまれて被災したことを告げられ,被災現場の坂が見える場所付近を案内され,焼け焦げた自動車が本件 ながら本件幼稚園Cを訪れたところ,被告B2園長から,亡Eが本件小さいバスで送迎されている最中に津波にのまれて被災したことを告げられ,被災現場の坂が見える場所付近を案内され,焼け焦げた自動車が本件小さいバスである旨の説明を受けたが,その自動車は本件小さいバスではなかったことが後日判明した(乙8)。 ウ原告亡F父は,本件地震発生当日の夕方,本件幼稚園Cを訪れ,L1主任教諭に対し,「Fの父ですが,Fはどこですか。」と尋ねたが(乙9),同教諭からは「津波にのみ込まれたかもしれません。」と言われただけで,それ以上の詳しい状況を教えてもらえなかったため,日和山周辺の避難所を捜し回ったが,亡Fを見付けることができなかった。そこで,原告亡F父は,午後6時30分頃,再び本件幼稚園Cに戻り,被告B2園長に対し「バスと連絡は取れましたか?」と尋ねたところ,被告B2園長が何も言わずに首を横に振るだけであったことから,引き続き連絡が取れていないものにすぎないと理解し,日和山周辺の避難所を一晩中捜し回った上,翌12日も,本件小さいバスの第3便のルートである貞山,新橋,蛇田周辺の道路や避難所を捜し歩いた(甲113)。しかし,13日午後になって原告亡F両親は,同亡E両親から,亡Fを含む本件被災園児ら5名が被災したことを知らされた(甲111)。 本件地震当時に次女と共に自宅にいた原告亡F母は,本件地震後に,本件幼稚園Cに電話をしたが,つながらなかった。11日午後3時過ぎ,原告亡F母は,熊本県在住の弟から電話を受け,「10mの津波って言ってるよ。大丈夫か。Fは。」と聞かれたが,「Fは高台の幼稚園だから大丈夫だ と思う。」などと答え,午後3時過ぎ出発予定の送迎バスなので,本件幼稚園Cにとどまっているものと思っていた。 エ原告亡G母は,本件地震後, と聞かれたが,「Fは高台の幼稚園だから大丈夫だ と思う。」などと答え,午後3時過ぎ出発予定の送迎バスなので,本件幼稚園Cにとどまっているものと思っていた。 エ原告亡G母は,本件地震後,本件幼稚園Cへ電話をかけても繋がらないため心配になり,自宅から自動車で本件幼稚園Cに向かったが,途中で渋滞に巻き込まれ,津波が市街地に流れてきたのを見て急いでUターンして4階建ての自宅共同宿舎に戻り,自宅1階が冠水したため,4階に避難した。 本件幼稚園Cの近くに居住する原告亡G母の祖父母が本件地震当日の午後5時前頃に本件幼稚園Cを訪れたが,被告B2園長からは,「バスが津波に巻き込まれたようです。」と聞かされただけであって,詳しい経過を教えてもらえなかったため,その旨を原告亡G父に電話連絡した(甲115,116)。 原告亡G父は,Tに勤務し,勤務先での情報収集や対策に追われていたため,両親から亡Gが被災したかもしれないことを電話で聞いても,直ちには亡Gの安否確認に行くことができなかった。原告亡G父が13日になってようやく本件幼稚園Cを訪れたところ,被告B2園長から,亡Gが被災した旨の話を聞き,被災場所付近を案内されたが,焼け焦げた別の自動車を本件小さいバスであると被告B2園長から説明された(甲115,116,乙8)。 オ被告B2園長ら職員は,本件地震発生後には,園児を迎えに来た保護者の対応のほか,怪我をして運ばれてくる人の手当てをしたり,避難して来た人の世話や,その炊き出しをしていたが,夜中になってから防災行政無線による避難命令に従って門脇中学校に避難した。 12日に被告B2園長とK運転手が本件小さいバスを捜し,坂の上から見えた焼け焦げた自動車を本件小さいバスであると誤認した。 カ平成23年3月14日,本件被災園児4名の両親で 学校に避難した。 12日に被告B2園長とK運転手が本件小さいバスを捜し,坂の上から見えた焼け焦げた自動車を本件小さいバスであると誤認した。 カ平成23年3月14日,本件被災園児4名の両親である原告らが本件被 災園児ら4名を捜索することとなり,3月12日に被告B2園長から本件小さいバスとして指示されていた自動車内等を捜索したが,同車にはゴルフバッグが載せられていることから,それが本件小さいバスではないことに直ちに気付き,原告亡D父らにおいて更にその付近を捜索した結果,二,三m海側(南側)の場所(坂の入り口の本件被災現場より北側へ約二,三十m離れた場所)に焼け焦げた本件小さいバスが横転しているのを発見し(甲123),上に載っていた瓦礫等を取り除くと,その車内には本件被災園児ら5名が互いに抱き合うように同一方向に向いているのを発見し,焼け残った衣服の柄その他の特徴によりそれぞれの子らであることを確認した(甲13,109,123の写真1~6,乙27の写真③,⑤,原告亡D父供述)。 3月19日,教諭らにおいて本件小さいバスが発見された付近を更に捜索した結果,亡Hの残りの遺体が発見された(乙8)。なお,J添乗員の遺体は,発見されなかった。 本件被災園児ら5名の詳細な死因及び死亡時期は不明である。 (17)本件地震による東日本大震災の被害状況本件地震においては,宮城県牡鹿半島から100㎞ないし200㎞離れた海底のプレート境界でずれが生じ,それが岩手沖から福島沖,茨城沖までの南北に広がり,約3分間の間に,長さ約500㎞,幅約200㎞の範囲にわたって破壊が進み,断層が最大で20mないし30mずれた(乙16)。 本件地震後に観測された最大津波高さは11.8m(大船渡)であり(観測機器が破壊されたために正確な計測ができなかったが, 範囲にわたって破壊が進み,断層が最大で20mないし30mずれた(乙16)。 本件地震後に観測された最大津波高さは11.8m(大船渡)であり(観測機器が破壊されたために正確な計測ができなかったが,場所によっては15mの高さの津波が押し寄せ,津波痕跡の中には30mに及ぶ場所もあるとも言われている。),石巻市で観測された津波の高さは7.7mであった(乙1,16)。 石巻市内の津波による主な浸水状況は,別紙「津波浸水図」(乙1)記載の とおりであり,海岸から約700m離れていた門脇小学校の津波浸水高さは約6.97m(東京湾の平均海面を標高0mとしたときの高さ)であり(乙1),門脇小学校の1階玄関戸上部にまで達し(甲137),本件被災現場に近い日和山の崖下に残る津波遡上高は約7.04mであった(乙1)。 本件地震による平成24年3月13日現在の死者1万6278名,不明2994名,負傷者6179名,住家全壊12万9198棟,住家半壊25万4238棟,住家一部損壊71万5192棟であった(甲75の5・気象庁ホームページ)。 石巻市においては,約2340名が死亡し,約2700名が行方不明となり,約2万8000棟の住家が全壊となった(乙16)。 (18)本件訴訟提起に至るまでの状況等ア本件被災園児ら5名が発見された14日には被告B2園長が一日中本件幼稚園Cを不在にしていたため,15日に被告B2園長から被災に至る経過について説明を受けることとなり,本件被災園児ら4名の保護者らは,同日,被告B2園長に対し,本件小さいバスを出発させた経過や情報収集の状況等について説明を求め,地震マニュアルの開示を求めた。これに対し,被告B2園長は,「本件小さいバスを出発させたのは,自分の判断ミスである。バスの運転手にはラジオをつけろと言った。」などと 収集の状況等について説明を求め,地震マニュアルの開示を求めた。これに対し,被告B2園長は,「本件小さいバスを出発させたのは,自分の判断ミスである。バスの運転手にはラジオをつけろと言った。」などと説明し(本件において,実際に被告B2園長がラジオをつけろと指示した事実を認めるに足りる証拠はない。),本件幼稚園C地震マニュアルについては職員室に捜しに行ったが,保護者らに対してはその開示をしなかった(甲113,原告亡E父証言6頁)。 イ平成23年4月9日には,被告B1学院は,原告ら保護者の求めにより,本件幼稚園Cによる2回目の説明会を開催した。 ウ平成23年4月11日には,事務長B3と教諭らが本件被災園児ら5名の焼香をするため,各遺族の家庭を訪問した際,被告B1学院からの弔慰 金200万円を持参したが,亡Hの遺族以外からは,その受領を拒絶された。 エ平成23年4月12日,被告B1学院は,保護者64名に対し,3回目の説明会を実施した。 オ平成23年4月20日,被告B1学院は,事実経過に関する時系列表(甲5)を作成して,希望する保護者に交付した。 カ平成23年5月17日,原告亡G両親において被告B1学院から弔慰金200万円を受領した。 キ平成23年5月21日,被告B1学院は,本件被災園児ら4名の遺族に対し,マスコミ関係者も交えて,4回目の説明会を行った。 ク平成23年5月28日以降,原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親は,被告B1学院から1遺族当たり弔慰金各200万円を受領した。 ケ被告B1学院が加入していた独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度の特例的な適用により,本件被災園児ら5名に対しては特別弔慰金として1遺族当たり500万円が支給された(乙14)。 コ平成23年8月10日,原告らは,本 法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度の特例的な適用により,本件被災園児ら5名に対しては特別弔慰金として1遺族当たり500万円が支給された(乙14)。 コ平成23年8月10日,原告らは,本件の事実関係が明らかになり,将来の大地震発生時にも教育関係者が子供の命を最優先に考えて行動し,二度と本件のような悲惨な結果を繰り返さなくなることなどを願って,本件訴訟を提起した。 サ被告B1学院は,平成25年3月をもって本件幼稚園Cを休園した。 6 判断(1) 園児の保護義務について被告B1学院が,原告らとの間の在園契約から生じる付随義務として,本件被災園児ら4名が本件幼稚園Cにおいて過ごす間,本件被災園児ら4名の生命・身体を保護する義務を負っていたこと,被告B2園長も,一般不法行為法上,同様の義務を負っていたことは,いずれも当事者間に争いがない。 そして,特に幼稚園児は3歳から6歳と幼く,自然災害発生時において危険を予見する能力及び危険を回避する能力が未発達の状態にあり,園長及び教諭らを信頼してその指導に従うほかには自らの生命身体を守る手だてがないのであるから,被告B1学院の履行補助者である本件幼稚園Cの園長及び教諭ら職員としては,園児らの上記信頼に応えて,できる限り園児の安全に係る自然災害等の情報を収集し,自然災害発生の危険性を具体的に予見し,その予見に基づいて被害の発生を未然に防止し,危険を回避する最善の措置を執り,在園中又は送迎中の園児を保護すべき注意義務を負うものというべきである。 (2) 情報収集義務の懈怠についてアそうであるところ,前記1ないし3認定の事実関係によれば,宮城県沖は海の太平洋プレートが陸のユーラシアプレートに沈み込む日本海溝の西側に位置しているため,ほぼ一定期間毎に海溝型の巨大地震が てアそうであるところ,前記1ないし3認定の事実関係によれば,宮城県沖は海の太平洋プレートが陸のユーラシアプレートに沈み込む日本海溝の西側に位置しているため,ほぼ一定期間毎に海溝型の巨大地震が繰り返し発生しており,特に西暦869年の貞観地震の津波は,仙台石巻平野の当時の海岸線より2~4㎞も遡上し(本件小さいバスの2便目の送迎ルートである門脇町・南浜町地区は貞観地震当時には海底であった。),明治以降も明治29年の三陸沖地震の大津波(推定津波痕跡高約38.2m),昭和8年の三陸沖地震の津波(雄勝町荒の津波高さ10m),昭和35年のチリ地震の津波(牡鹿町大谷川の津波高さ5.65m)が発生していた。また,石巻市以外においても平成5年には北海道南西沖地震の津波(最大の津波痕跡高約30m)が発生し,海外においても平成16年のスマトラ島沖地震が発生し,いずれも多数の死傷者を伴う悲惨な結果が発生し,これらの過去の津波被害は新聞やテレビ等により折に触れて,繰り返し報道され続けていた。 そして,前記4認定の事実によれば,関係省庁は,平成5年には日本海中部地震及び北海道南西沖地震の経験に鑑み,津波に対する防災体制の点 検,防災意識の向上等を図り,津波に対する警戒を全国的に強化するため,「津波警報関係省庁連絡会議」を設置し,平成11年には更に「津波対策関係省庁連絡会議」を設置して申合せを作成し,関係機関に対し,津波予報を住民に周知徹底するために市町村防災行政無線等の整備を図り,住民に対しては,①海浜にでかけるときは,ラジオ等を携行し,津波警報,避難勧告・指示等の情報を聴取するよう指導すること,②強い地震(震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,海浜にある者,海岸付近の住民等に直ちに海浜から 勧告・指示等の情報を聴取するよう指導すること,②強い地震(震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,海浜にある者,海岸付近の住民等に直ちに海浜から退避し,急いで安全な場所に避難するよう勧告・指示することを徹底するよう求めていた。それを受けた平成16年6月の宮城県防災会議の「宮城県地域防災計画[震災対策編]」(甲101)は,それらの津波予報の周知徹底方策を具体的に取りまとめ,更にそれを受けた石巻市も,定期的に地震防災訓練を行うとともに,本件地震直前の平成23年3月1日発行の市報においては,「災害は忘れたころにやってくる!」と題して,津波の特徴を伝え,津波から逃れるためには,強い地震(震度4程度以上)を感じたとき又は弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは,直ちに海浜から離れ,急いで安全な場所に避難することが大切であると指摘し,ラジオで津波に関する情報を取得することの大切さを呼び掛けるなどしていた。そして,新聞テレビ等においても,過去の地震や将来の地震発生のおそれなどを紹介し,大地震の発生後には津波に備えて高台に避難し,ラジオ等により情報収集をすることが大切であることなどを繰り返し伝えていた。 また,前記5(4)認定の事実によれば,宮城県教育委員会震災マニュアルにおいても,「指定職員はラジオなどにより情報収集に努める。津波警報等の発令時(見込みを含む。)は,更に高台等に二次避難する。」と定められており,学校保健安全法29条1項により作成が義務づけられている危険 等発生時対処要領として作成された本件幼稚園C地震マニュアルにおいては,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。園 生時対処要領として作成された本件幼稚園C地震マニュアルにおいては,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする。」と定め,大地震発生の際には高台にある本件幼稚園Cにおいて園児を保護者に引き渡すことを定めていた。 そのような状況において,本件3月9日地震に続いて,11日に本件地震が起こり,約3分間にわたって最大震度6弱の地震が続くという巨大地震を被告B2園長ら職員が体感していたというのである。 そうすると,眼下に海が間近に見える高台に位置する本件幼稚園Cに勤める被告B2園長としては,午後3時2分過ぎ頃に本件小さいバスを高台から出発させるに当たり,たとえ本件地震発生時までにはいわゆる千年に一度の巨大地震の発生を予想し得なかったとしても,約3分間にわたって続いた最大震度6弱の巨大地震を実際に体感したのであるから,本件小さいバスを海沿いの低地帯に向けて発車させて走行させれば,その途中で津波により被災する危険性があることを考慮し,ラジオ放送(ラジカセと予備の乾電池は職員室にあった。)によりどこが震源地であって,津波警報が発令されているかどうかなどの情報を積極的に収集し,サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容にもよく耳を傾けてその内容を正確に把握すべき注意義務があったというべきである。 そうであるのに,被告B2園長は,巨大地震の発生を体感した後にも津波の発生を心配せず,ラジオや防災行政無線により津波警報等の情報を積極的に収集しようともせず,保護者らに対する日頃の送迎ルートの説明に反して,本来は海側ルートへ行くはずのない本件小さいバスの3便目の陸側ルートを送迎される本件被災園児ら5名を2便目 警報等の情報を積極的に収集しようともせず,保護者らに対する日頃の送迎ルートの説明に反して,本来は海側ルートへ行くはずのない本件小さいバスの3便目の陸側ルートを送迎される本件被災園児ら5名を2便目の海側ルートを送迎する同バスに同乗させ,海岸堤防から約200ないし600mの範囲内付近 に広がる標高0ないし3m程度の低地帯である門脇町・南浜町地区に向けて同バスを高台から発車させるよう指示したというのであるから,被告B2園長には情報収集義務の懈怠があったというべきである。 イそして,前記5(9)に認定した事実によれば,本件幼稚園Cのすぐ近くにある本件防災無線からは,地震発生後の午後2時48分以降,「大地震発生,大地震発生。津波の恐れがありますので,沿岸や河口付近から離れて下さい。」と放送され,午後2時52ないし54分にされた放送以降においては,大津波警報発令の伝達に切り替えられ(甲68),「大津波警報,大津波警報。宮城県沖に大津波警報が発表されました。沿岸・河口付近から離れて下さい。至急高台へ避難してください。」,「車での避難は控えて下さい。渋滞になります(なっています)。」等のアナウンスが繰り返されていた(甲9)。 また,前記5(10)に認定した事実によれば,NHK仙台放送局は,午後2時51分頃から午後3時8分頃までの間に,宮城県,岩手県,福島県沿岸に大津波警報が発表されたことを9回,宮城県への津波到達予想時刻が午後3時であり,予想される津波の高さが6mであることを12回にわたってラジオ放送で伝え,その際同時に,海岸や川の河口付近には絶対に近づかないこと,早く安全な高い所に避難することを合計14回にわたって呼び掛けていた。また,石巻コミュニティー放送によるラジオ放送も,午後2時50分頃からは大津波警報発令を伝え,午後3時 には絶対に近づかないこと,早く安全な高い所に避難することを合計14回にわたって呼び掛けていた。また,石巻コミュニティー放送によるラジオ放送も,午後2時50分頃からは大津波警報発令を伝え,午後3時1分には6mの津波(到達予想時刻午後3時)が宮城県沿岸部に到達するとの発表を伝え,午後3時10分まで,地震の規模がM7.9であり,宮城県北部の震度が7であり,大津波警報発令中であることなどを繰り返し伝えていた。 そうすると,仮に被告B2園長において前記アの情報収集義務を果たしていれば,大津波警報が発令され,午後3時前後には予想される宮城県の津波の高さが6m以上と報道されていたことを知ることができ,このよう な状況下において高台から眼下に広がる海側の低地帯に向けて本件小さいバスを発車させることはなく(被告B2園長供述54頁),本件幼稚園C地震マニュアルに従って高台にある本件幼稚園Cに園児らを待機させ続け,迎えに来た保護者に対して園児らを引き渡すことになったものと推認され,本件被災園児ら5名の尊い命が失われることもなかったであろうといえるから,被告B2園長の上記情報収集義務の懈怠と本件被災園児ら5名の死亡の結果発生との間には相当因果関係がある。 (3) 被告らの主張に対する判断アこれに対し,被告らは,地震学者もマグニチュード9.0という巨大な本件地震の発生を予想していなかったから,被告B2園長に注意義務を課す前提となる予見可能性がない旨主張する。 しかし,被告らの上記主張を採用することはできない。すなわち,予見義務の対象は本件地震の発生ではなく,前記説示のとおり巨大な本件地震を現実に体感した後の津波被災のおそれであり,情報収集により防災行政無線やラジオ放送等により津波警報や大津波警報が伝達され,高台への避難等が呼び掛け 震の発生ではなく,前記説示のとおり巨大な本件地震を現実に体感した後の津波被災のおそれであり,情報収集により防災行政無線やラジオ放送等により津波警報や大津波警報が伝達され,高台への避難等が呼び掛けられていた状況の下で,本件小さいバスを眼下に海が間近に見える高台から海岸近くの低地に向けて出発させることにより津波被害に遭うおそれがあるかについての予見可能性があったかどうかということであるから,単に本件地震発生前に地震学者がマグニチュード9.0の巨大地震の発生を予想していなかったことをもって,本件地震発生後の津波被災のおそれまで予見困難であったとはいえない。 イまた,被告らは,石巻市が過去の津波被害を踏まえて作成した別紙「津波ハザードマップ」(乙3)においても,浸水域としては海沿いの地域しか想定しておらず,石巻市の市街地を約7mもの本件津波が襲うことを予見していなかったから,合理的平均人である被告B2園長には何らの注意義務違反もない旨主張する。 しかし,被告らの上記主張を採用することはできない。すなわち,前記認定のとおり,別紙「津波ハザードマップ」を紹介する石巻市のホームページにおいては,宮城県沖地震(連動型)に伴い津波が発生した場合の市内の予想浸水区域及び各地域の避難場所を示したものであって,浸水の着色のない地域においても,状況によっては浸水するおそれがあるので,注意してほしいこと,津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避難することが大切であること,強い揺れを感じたら,すぐにテレビやラジオなどで津波情報や警報を確認し,市からの避難勧告や避難指示が出された時には,直ちに避難してほしいことが注記されていたというのである。そして,本件小さいバスを出発させるに当たっての情報収集義務の前提となる予見可能性の対象は,門脇小学校 の避難勧告や避難指示が出された時には,直ちに避難してほしいことが注記されていたというのである。そして,本件小さいバスを出発させるに当たっての情報収集義務の前提となる予見可能性の対象は,門脇小学校や本件被災現場が津波に襲われることの予見可能性ではなく,本件小さいバスの2便目の走行ルートが津波に襲われることの予見可能性で足りるというべきところ,前記認定のとおり,同走行ルートは,高台にある本件幼稚園Cの眼下に見える海岸堤防から約200ないし600mの範囲内付近に広がる標高0ないし3m程度の低地帯である門脇町・南浜町地区内にあって,浸水が予想された海沿いの区域との標高差がほとんどない上,防災行政無線やラジオ等を通じて大津波警報と高台避難が呼び掛けられ,宮城県への津波到達予想時刻が午後3時であり,予想される津波の高さが6mであることが報道されていたというのであるから,津波被害を回避するために高台に位置する本件幼稚園Cにとどまる契機となる程度の津波の危険性を予見することができたというべきである。 したがって,単に石巻市のハザードマップの浸水予想区域が海沿いの区域のみであって門脇小学校や本件被災現場が含まれていなかったことをもって情報収集義務違反の前提となる津波被災の予見可能性がなかったとする被告らの上記主張は採用の限りでない。 ウさらに,被告らは,「被告B2園長に情報収集義務違反があったとして も,(ア)本件幼稚園Cの周囲の民家には本件地震による被害がほとんどなかったこと,(イ)2日前の本件3月9日地震においても津波被害がなかったこと,(ウ)停電のためテレビによる情報収集ができず,本件地震後の混乱や,園児,保護者への対応に忙しくてラジオ等による情報収集が困難であったこと,(エ)防災行政無線やラジオ放送によっても石巻市に巨大な津波が襲 )停電のためテレビによる情報収集ができず,本件地震後の混乱や,園児,保護者への対応に忙しくてラジオ等による情報収集が困難であったこと,(エ)防災行政無線やラジオ放送によっても石巻市に巨大な津波が襲ってくるという具体的な情報がなかったことに照らせば,指定避難場所とされていた門脇小学校や本件被災現場付近にまで津波が押し寄せてくることを予見することは困難であって,被告B1学院の責めに帰すべき事由又は被告らの過失を認めることができないから,被告らが債務不履行責任若しくは使用者責任又は不法行為責任を負うことはない。」旨主張する。 しかし,被告らの上記主張を採用することはできない。すなわち,(ア)本件幼稚園Cの周囲の民家には本件地震による被害がほとんどなかったとしても,最大震度6弱の揺れが約3分間も続いていたから,地震の震源地等によっては巨大な津波に襲われるかもしれないことは容易に予想されることであって,震源地の位置や地震の規模,津波警報の有無や内容を把握するために,ラジオや防災行政無線の放送内容を正確に聴取する必要があったというべきであるから,周囲の民家について地震による被害が見られなかったからといって情報収集義務違反について帰責事由がないとか過失がないということはできない。また,(イ)2日前の本件3月9日地震は,マグニチュード7.3,石巻市門脇での震度が4であったのに対し(甲14の1),本件地震は,マグニチュード9.0(甲15),石巻市門脇での震度が6弱であって(甲16),本震の揺れが約3分近くも続いたという著しい相違があるのであるから,2日前の本件3月9日地震において津波被害がなかったことをもって本件地震後の大津波を予想することができなかったとはいえない。さらに,(ウ)保護者や園児の対応のため忙しかったとしても,被告B2園長のほか, の本件3月9日地震において津波被害がなかったことをもって本件地震後の大津波を予想することができなかったとはいえない。さらに,(ウ)保護者や園児の対応のため忙しかったとしても,被告B2園長のほか,複数の教諭がいたのであるから,地震の揺れが収ま った直後には直ちに被告B2園長において園児らの安全に係る情報の早期収集に努めるべきであって,保護者や園児の対応の必要性はその情報収集義務を免除し,又はその義務違反の有責性を否定する理由にはならない。 加えて,(エ)防災行政無線やラジオ放送によっても石巻市に巨大な津波が襲ってくるという具体的な情報がなかったとの点については,前記認定のとおり午後3時過ぎには宮城県に6mの津波が予想されると報道されていたのであるから,宮城県内の沿岸部に当たる石巻市にも6m前後の津波が押し寄せるかもしれないことは容易に予想されたことであって,被告らの上記に係る主張は採用の限りでない。 なお,被告B2園長においては,本件地震後に園庭に避難していた園児らがみぞれの降っている中を寒そうにしていたから早く保護者らの元に送り届けたかったために本件小さいバスを出発させた旨供述する。しかし,園児らをバスの中に避難させることもできるし,預かり保育の園児らと同様に園舎の中において保護することも可能であったから,みぞれ混じりの寒い天候であったことは,被告B2園長が情報収集義務を懈怠して本件小さいバスを出発させるという誤った判断をしたことを正当化する理由にはならない。 以上によれば,「被告B1学院の責めに帰すべき事由又は被告らの過失を認めることができないから,被告らが債務不履行責任若しくは使用者責任又は不法行為責任を負うことはない。」旨の被告らの前記主張は理由がない。 (4) 責任原因に係るまとめそうすると,被告B1学院 めることができないから,被告らが債務不履行責任若しくは使用者責任又は不法行為責任を負うことはない。」旨の被告らの前記主張は理由がない。 (4) 責任原因に係るまとめそうすると,被告B1学院の履行補助者(被用者)である被告B2園長が本件地震発生後に津波に関する情報収集義務の履行を怠った結果,本件小さいバスを眼下に海が間近に見える高台にある本件幼稚園Cから海側の低地帯に出発させて本件被災園児ら4名の津波被災を招いたといえるから,原告ら主張のその余の責任原因について判断するまでもなく,被告B1学院には安 全配慮義務違反の債務不履行責任及び民法715条1項(使用者責任規定)の不法行為による損害賠償責任があり,被告B2園長には民法709条の不法行為による損害賠償責任がある。 (5) 原告らの損害証拠(原告亡G母を除く原告ら本人7名の各供述)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは次のとおりの損害を被ったことを認めることができる。 ア本件被災園児ら4名の逸失利益(ア) 亡D,亡E及び亡F(当時各6歳)について466万7200円(賃金センサス平成22年男女計学歴計全年齢平均賃金)×10.1170(死亡時6歳,就労可能年数49年のライプニッツ係数)×(1-0.45〔生活費控除割合〕)=2596万9934円(イ) 亡G(当時5歳)について466万7200円(賃金センサス平成22年男女計学歴計全年齢平均賃金)×9.6352(死亡時5歳,就労可能年数49年のライプニッツ係数)×(1-0.45〔生活費控除割合〕)=2473万3172円イ本件被災園児ら4名の慰謝料本件の津波被災はマグニチュード9の巨大地震の発生という希有な自然現象が発端となっていることを考慮すると,5歳又は6歳 費控除割合〕)=2473万3172円イ本件被災園児ら4名の慰謝料本件の津波被災はマグニチュード9の巨大地震の発生という希有な自然現象が発端となっていることを考慮すると,5歳又は6歳と幼くしてその命を失った本件被災園児ら4名の死亡慰謝料の金額としては,各1600万円が相当である。 ウ原告らは,各々自らの子の上記逸失利益及び慰謝料の損害賠償請求権を2分の1の割合で相続した(甲1ないし4)。 (ア) 原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親4196万9934円×2分の1=2098万4967円 (イ) 原告亡G両親4073万3172円×2分の1=2036万6586円エ原告ら固有の慰謝料各200万円原告らは,5歳又は6歳という可愛い盛りの我が子を突然に失ったものであって,その著しい精神的苦痛を慰謝するためには1人当たり200万円の慰謝料が相当である。 オ原告らが負担した葬儀費用各75万円葬儀費用としては本件被災園児ら4名について1人当たり150万円が相当であり,原告らは,その2分の1(75万円)ずつを負担したものと認められる。 カ原告らの損害額の小計(ア) 原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親2098万4967円+200万円+75万円=2373万4967円(イ) 原告亡G両親2036万6586円+200万円+75万円=2311万6586円キ損益相殺被告代表者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,原告らは被告B1学院から200万円(原告1人当たり100万円)の弔慰金を受領し,独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度に加入していた被告B1学院から,給付金500万円(原告1人当たり250万円 告B1学院から200万円(原告1人当たり100万円)の弔慰金を受領し,独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度に加入していた被告B1学院から,給付金500万円(原告1人当たり250万円)を受領したことを認めることができるから,これを原告らの損害額から控除する。 (ア) 原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親2373万4967円-100万円-250万円=2023万4967円(イ) 原告亡G両親2311万6586円-100万円-250万円=1961万658 6円ク原告らが負担した弁護士費用各200万円弁護士費用としては,原告1人当たり200万円が相当である。 ケ損害額のまとめ(ア) 原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親各2223万4967円(イ) 原告亡G両親各2161万6586円よって,民法415条の債務不履行による損害賠償請求権,又は民法715条1項若しくは709条の不法行為による損害賠償請求権に基づき,被告らに対し,原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親各自においてはそれぞれ損害金2223万4967円,原告亡G両親各自においてはそれぞれ損害金2161万6586円及びこれらに対する平成23年8月26日(不法行為の後の日又は本件訴状送達による催告の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による各遅延損害金の連帯支払請求権を有する。 第4 結論以上によれば,原告らの被告らに対する各請求は,いずれも,上記支払請求の限度で理由があるからその限度で認容することとし,その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。なお,仮執行免脱宣言は の被告らに対する各請求は,いずれも,上記支払請求の限度で理由があるからその限度で認容することとし,その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。なお,仮執行免脱宣言は相当ではない。 仙台地方裁判所第1民事部裁判長裁判官齊木教朗裁判官荒谷謙介裁判官遠藤安希歩

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