- 1 - 主文 本件公訴事実中強盗殺人の点については,被告人両名はいずれも無罪。 被告人Cにおいては昭和45年10月6日水戸地方裁判所土浦支部が言い渡した判決の判示第1の各罪について,被告人Dにおいては同判示第2の各罪について,被告人両名をそれぞれ懲役2年に処する。 被告人両名に対し,原審における各未決勾留日数中,その各刑期に満つるまでの分をそれぞれその刑に算入する。 被告人両名に対し,昭和53年7月12日(同判決の確定日)から3年間それぞれその刑の執行を猶予する。 理由 第1 再審開始事由のある公訴事実本件再審開始決定において,再審開始事由があると判断されたのは,昭和45年10月6日,水戸地方裁判所土浦支部が被告人両名に対して言い渡した確定判決(以下「本件確定判決」という。)の判示第3の強盗殺人の事実であり,これに対応する公訴事実は,「被告人Cはビルの清掃夫として働いているものであり,被告人Dは定職のないものであるが,いずれも競輪に興味をおぼえ,その資金にこと欠くに至り,たまたま昭和42年8月28日午後7時20分頃,茨城県北相馬郡n町所在K1橋たもとで出会った際,互いに金策の話し合いをするうちに,他から金を借りることになり被告人Cの知合いである同町大字op番地E(当時62年)方に赴き,被告人Cにおいて同人に借金を申し入れたがすげなく断られ,巳むなく一旦K1橋付近に引き返したものの競輪の資金を捻出することをあきらめきれず,どうしても右Eから金を借り受けようと決意し,再び打揃って右E方を訪れ,まず被告人Cにおいて同家の勝手口から屋内にあがり込み,同人に対し借金を申し入れたところ同人から全く相手にされず,これを拒否されたためこれに憤慨し口論となり,その様子を右勝手口の外から目撃した被告 ,まず被告人Cにおいて同家の勝手口から屋内にあがり込み,同人に対し借金を申し入れたところ同人から全く相手にされず,これを拒否されたためこれに憤慨し口論となり,その様子を右勝手口の外から目撃した被告人Dにおいても右Eの態度に憤慨して屋内にあがり込み,右Eに対し借金の申し入れに応ずる - 2 -よう申し向けたが,却って帰れと拒絶されて益々憤慨し,ここにおいて被告人両名は金欲しさの余り,この際むしろ同人を殺害してでも現金を強取しようと決意し,共謀のうえ同日午後9時頃同家8畳間において,同人を仰向けに押し倒し馬乗りになって押えつけ,タオルおよびワイシャツで両足を緊縛し,口に布を押し込んで閉塞し,頸部に布を巻き両手で扼し,よってその場において同人を気管閉鎖による窒息死にいたらしめてこれを殺害したうえ同8畳間の押入れ等から同人所有の現金合計約10万7000円を強取したものである。」というものである(以下,同公訴事実に係る犯行を「本件強盗殺人」という。)。 第2 本再審公判に至った経緯関係記録によれば,本再審公判に至った経緯は以下のとおりである。 1 被告人C(以下「被告人C」という。)は,昭和42年11月13日に9件の窃盗の事実(本件確定判決の判示第1の別紙番号1から4まで及び6から10までにそれぞれ対応するもの)で,同年12月28日に本件強盗殺人の事実で,昭和43年1月10日に窃盗の事実(本件確定判決の判示第1の別紙番号5に対応するもの)でそれぞれ起訴され,一方,被告人D(以下「被告人D」という。)は,昭和42年11月13日に暴行,傷害,恐喝の事実(本件確定判決の判示第2の1,3,6から8までにそれぞれ対応するもの)で,同年12月28日に本件強盗殺人の事実で,昭和43年1月10日に暴行,暴力行為等処罰に関する法律違反,傷害の事実( 喝の事実(本件確定判決の判示第2の1,3,6から8までにそれぞれ対応するもの)で,同年12月28日に本件強盗殺人の事実で,昭和43年1月10日に暴行,暴力行為等処罰に関する法律違反,傷害の事実(本件確定判決の判示第2の2,4,5にそれぞれ対応するもの)でそれぞれ起訴された。水戸地方裁判所土浦支部は,被告人両名に対するこれらの各事件を併合審理し(以下,同裁判所における同審理を「確定一審」という。),被告人両名はいずれも本件強盗殺人の犯行を否認したが,同裁判所は,昭和45年10月6日,被告人両名を本件強盗殺人の共同正犯と認定した上,被告人Cについては窃盗との,被告人Dについては暴行,傷害,恐喝,暴力行為等処罰に関する法律違反との併合罪として,被告人両名に対し,いずれも1個の主文で無期懲役に処する旨の判決(本件確定判決)を - 3 -言い渡した。 これに対し,被告人両名は,同日それぞれ控訴したが,東京高等裁判所は,昭和48年12月20日,各控訴をいずれも棄却した(以下,この同裁判所における審理を「確定控訴審」という。)。被告人両名は,これを不服として同月21日それぞれ上告したものの,最高裁判所は,昭和53年7月3日,各上告をいずれも棄却し,さらに,同月12日,被告人両名らが申し立てた同上告棄却決定に対する異議をいずれも棄却して,本件確定判決が確定した(以下,同確定に至るまでの審理を総称して「確定審」という。)。 2 被告人両名は,昭和58年12月23日,本件強盗殺人の事実について,被告人両名に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたとして,水戸地方裁判所土浦支部に対し,刑訴法435条6号所定の事由に基づく再審請求を行ったが,同裁判所は,昭和62年3月31日,同各再審請求をいずれも棄却した。これに対し,被告人両名 に発見されたとして,水戸地方裁判所土浦支部に対し,刑訴法435条6号所定の事由に基づく再審請求を行ったが,同裁判所は,昭和62年3月31日,同各再審請求をいずれも棄却した。これに対し,被告人両名は,同年4月3日それぞれ即時抗告を申し立てたが,昭和63年2月22日東京高等裁判所においていずれも棄却され,さらに,同月27日それぞれ同棄却決定に対する特別抗告を申し立てたが,平成4年9月9日最高裁判所においていずれも棄却された(以下,ここまでの同再審請求に係る審理を総称して「第1次再審請求審」という。)。 3 しかし,被告人両名は,平成13年12月6日,再び,本件強盗殺人の事実について,水戸地方裁判所土浦支部に対し,前同様に刑訴法435条6号所定の事由に基づく再審請求を行い,これを受けて,同裁判所は,平成17年9月21日,本件強盗殺人の事実につき被告人両名に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたとして,被告人両名の請求を認め,いずれも再審を開始する旨決定した(以下,この同裁判所における審理を「第2次再審請求一審」という。)。これに対し,検察官は,同月26日即時抗告を申し立てたが,平成20年7月14日東京高等裁判所においていずれも棄却され(以下,この同裁判所における審理を「第2次再審請求即時抗告審」という。),さらに, - 4 -同月22日特別抗告を申し立てたが,平成21年12月14日最高裁判所においていずれも棄却され,本件再審開始決定が確定した(以下,同確定に至るまでの同再審請求に係る審理を総称して「第2次再審請求審」という。)。 第3 客観的証拠の状況以上の経緯からも明らかなとおり,被告人両名は,確定一審段階から一貫して,自らは本件強盗殺人の犯人ではないとしていずれも無罪を主張し,これまで,被告人両名の有罪を 。 第3 客観的証拠の状況以上の経緯からも明らかなとおり,被告人両名は,確定一審段階から一貫して,自らは本件強盗殺人の犯人ではないとしていずれも無罪を主張し,これまで,被告人両名の有罪を主張する検察官との間で熾烈な攻防が尽くされてきたものであるところ,この点は本再審公判においても同様である。 そこで,まず,かかる攻防,すなわち双方の主張を論ずる上での前提となる客観的な事実関係の大枠を概観する。 1 被害者が発見された現場の状況等E(以下「E」という。)は,茨城県北相馬郡n町大字op番地所在の同人方において,独り暮らしをしていたところ,昭和42年8月30日(以下,昭和42年の出来事については月日のみで特定する。)午前7時5分ころ,同人方を訪ねてきた近所の住人により,同所で死亡しているところを発見された。 茨城県警察本部及び茨城県取手警察署(以下「取手署」という。)において,同日から同月31日にかけてE方の検証が行われ,その結果,E方には,室内に置かれたロッカー等が開けられて,硬貨が散乱するなど,金品が物色されたと思われる痕跡があり,さらに,ガラス戸が倒れ,そのガラスの破片が散乱し,Eの死体が横たわっていた箇所の床下の木材が破損して床が大きく落ちくぼみ,便所の窓枠に取り付けられていた木の桟2本が引き抜かれているなどの状況が認められた。また,Eの死体は,右腰の上から敷布団が載せられ,右肩の上に白色開襟シャツがかけられており,両足が白色ワイシャツと白色タオルで緊縛され,頸部に白木綿パンツが巻かれ,口腔内にも白木綿パンツが詰め込まれていた。 2 犯行時刻等 - 5 -Eの死体は,8月30日,医療法人F1外科病院院長G1(以下「G1医師」という。)による解剖に付され,死因の鑑定が行われたものであるところ,前記のよう れていた。 2 犯行時刻等 - 5 -Eの死体は,8月30日,医療法人F1外科病院院長G1(以下「G1医師」という。)による解剖に付され,死因の鑑定が行われたものであるところ,前記のようなEの死体が発見された現場の状況に加え,G1医師による同鑑定の結果からすれば,Eの死体が他殺体と認められることは明らかである。 そして,G1医師の同鑑定において,Eの死体は,その解剖を終了した同日午後5時1分現在で,死後約45時間前後が経過していたものと推測されており,これによれば,Eは同月28日午後8時ころ前後に殺害されたものと推測される。また,弁護人の依頼を受け,主としてG1医師作成の鑑定書に記載された種々の解剖所見の資料に基づき,Eの死体に関する考察を行った千葉大学医学部法医学講座教授G2(以下「G2医師」という。)は,Eの死体の死後経過時間について,概ね同死体の解剖が開始された同月30日午後3時30分ころから午後4時ころまでの間を基準時として,約30時間ないし40時間(これによれば,Eが殺害されたのは同月28日午後11時30分ないし同月29日午前零時ころから同日午前9時30分ないし午前10時ころまでの間ということになる。),最も狭めるならば約38時間ないし42時間(これによれば,Eが殺害されたのは同月28日午後9時30分ないし午後10時ころから同月29日午前1時30分ないし午前2時ころまでの間ということになる。)と推測される旨の所見を示している。 これらG1医師及びG2医師の各所見はいずれも専門的知見に基づくもので,そのいずれか一方を排斥したり,いずれか一方にのみ依拠することはできないというべきであるところ,両医師による各所見を併せると,Eの死亡時刻,すなわちEが殺害された時刻は,同月28日午後8時ころ前後から同月29日午前2時こ たり,いずれか一方にのみ依拠することはできないというべきであるところ,両医師による各所見を併せると,Eの死亡時刻,すなわちEが殺害された時刻は,同月28日午後8時ころ前後から同月29日午前2時ころまでの間という範囲でこれを推認し得ることとなる。 これに加えて,関係証拠からは,Eが,同月28日午後6時30分ころまで,知人方で鶏舎作りの作業をし,同日午後7時過ぎころ別の知人宅に立ち寄っていることや,同月29日午前5時30分ころE方に配達された新聞が,同月3 - 6 -0日の死体発見時まで,配達時のままの状態でE方玄関ガラス戸に挟まれていたこと等の事情も認められ,これらの状況からは,Eは,同月28日午後7時過ぎころから同月29日早朝までの間に殺害されたものと推認し得る。 以上を総合すれば,結局,Eは,同月28日午後8時ころ前後(或いは午後7時過ぎ)以降,同月29日午前2時ころまでの間に何者かによって殺害されたものであると合理的に推認することができるものの,それ以上に,Eの死亡時刻,ひいては本件強盗殺人の犯行時刻を客観的に限定することは困難である。 3 犯人の特定に繋がる客観的証拠の状況等 E方においては,前記検証に際し,同所に遺留されていた指掌紋合計38個,毛髪8本が採取され,その数日後,家屋東側で発見された便所の窓の桟と認められる板2本からも指紋が検出された。 前記検証時に採取された指掌紋38個について,Eや関係人等41名の指紋との対照が行われ,これによれば,そのうち5個がEの指紋と,2個が関係人2名の指紋とそれぞれ一致し,残りの31個については対照不能であるとの結果であった。また前記便所の窓の桟と認められる板2本から検出された指紋についても,現場に出入りした捜査官の指紋との対照が行われ,これによれば,前記の板2 ,残りの31個については対照不能であるとの結果であった。また前記便所の窓の桟と認められる板2本から検出された指紋についても,現場に出入りした捜査官の指紋との対照が行われ,これによれば,前記の板2本のうち1本から検出された2個の指紋については対照不能であり,もう一本から検出された3個の指紋については,そのうち2個は検証を行った警察官1名の指紋と一致し,1個は対照不能であるとの結果であった。 さらに,前記検証時に採取された毛髪8本についても,E及び被告人両名の毛髪との類似性に係る鑑定が実施されているところ,これにより,そのうち7本は人頭毛,1本は人陰毛であり,その頭毛のうちの1本はEの頭毛と認められ,1本はEの頭毛と類似すると思料されるが,他の5本はEのものとも被告人両名のものとも類似しているとはいえない,陰毛1本はEの陰毛に類似する旨の鑑定結果が得られている。 - 7 - 以上によれば,E方からは,少なくとも,被告人両名のものであると積極的に思料される指掌紋や毛髪は一切採取されておらず,その他,本件で提出された全ての証拠を精査しても,被告人両名と本件強盗殺人とを結びつけるような客観的証拠は一切存在しない。 なお,検察官は,本再審公判において,かかる客観的証拠の獲得を目的として,いずれも死体発見時において,Eの両足を緊縛していた白色ワイシャツ1枚及び白色タオル1本,Eの頸部に巻かれていた白木綿パンツ1枚,Eの口腔内に詰め込まれていた白木綿パンツ1枚について,それらの付着物(皮膚細胞)の中に被告人両名のDNA型と一致するDNA型を有するものがあるかを主たる鑑定事項とする鑑定請求を行い,当裁判所は,その請求を却下したものであるところ,この点,同鑑定請求に係る前記各証拠物の押収時から今日までの時間的経過に加え 致するDNA型を有するものがあるかを主たる鑑定事項とする鑑定請求を行い,当裁判所は,その請求を却下したものであるところ,この点,同鑑定請求に係る前記各証拠物の押収時から今日までの時間的経過に加え,それらの保管の経緯,状況等を全体として考慮すれば,検察官の主眼とするDNA型の検出はそれ自体極めて困難と思われる上,少なくとも,同鑑定を実施することにより,被告人両名や弁護人の主張等を踏まえ,種々の批判に耐え得る証拠価値を備えた新たな客観的証拠を獲得し得る見込みは著しく低いと帰結せざるを得ない。 第4 検察官及び弁護人の主張等以上のような大枠となる事実関係,とりわけ,被告人両名と本件強盗殺人とを結びつける客観的証拠が何ら存在しないという状況の下で,検察官は,大きく,以下の3点をその立証の柱に据えて本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を認めることができる旨主張する。 1 被告人両名の自白被告人両名は,いずれも,捜査段階において本件強盗殺人を犯したことを自白しており,その旨の複数の警察官調書及び検察官調書が作成されているところ,検察官は,要するに,これら被告人両名の自白は信用することができ,殊に,初期になされた自白については,任意かつ極めて信用性の高い状況下でな - 8 -されたものであることは明らかで,広く客観的事実とも符合しており,かかる被告人両名の初期自白のみによっても優にその犯人性を認めることができる旨主張する。 この点,弁護人は,被告人両名の自白にはいずれも任意性及び信用性がないから,そもそも本件の証拠とすることが許されず,これを根拠に被告人両名の犯人性を認めることはできない旨主張する。 2 一連の各目撃供述8月28日の被告人両名の足取りを示す証拠として,同日午後,我孫子駅からr駅,利根川に架かるK1橋(千 ず,これを根拠に被告人両名の犯人性を認めることはできない旨主張する。 2 一連の各目撃供述8月28日の被告人両名の足取りを示す証拠として,同日午後,我孫子駅からr駅,利根川に架かるK1橋(千葉県東飾郡t町rと茨城県北相馬郡n町oを結んでいる。),さらにはoのE方前までに至る各地点において,被告人両名ないしそのいずれか一方の姿を目撃したなどとする複数の者による目撃供述が存在する。すなわち,我孫子駅において被告人両名を目撃したとするH1(以下「H1」という。)の供述,r駅において被告人Dを目撃したとするH2(以下「H2」という。)の供述,我孫子駅において被告人Dを目撃し,その後,r駅及びK1橋周辺において被告人両名を目撃したとするH3(以下「H3」という。)及びH4(以下「H4」という。)の供述,K1橋周辺において被告人Cを目撃したとするH5(以下「H5」という。)の供述並びにE方前において被告人両名を目撃したとするH6(以下「H6」という。)の供述(以下,前記6名の各供述を総称して「一連の各目撃供述」といい,前記6名からH6を除いた5名の各供述を総称して「H6供述以外の各目撃供述」という。)がそれぞれ存在する。 検察官は,これら一連の各目撃供述はいずれも信用性が高く,被告人両名の捜査段階の自白の補強証拠となるのみならず,被告人両名が,本件強盗殺人の犯行時刻に接着した時間帯に,犯行場所であるE方前路上及びそこに至る数か所にいたことを明らかにするものであり,それ自体,被告人両名の自白を離れ,その犯人性を推認させる間接証拠としての価値を有するものであると主張す - 9 -る。 この点,弁護人は,一連の各目撃供述はいずれも信用することができず,殊に,本件強盗殺人の犯行と時間的,場所的に最も近接しているH6供述は,その るものであると主張す - 9 -る。 この点,弁護人は,一連の各目撃供述はいずれも信用することができず,殊に,本件強盗殺人の犯行と時間的,場所的に最も近接しているH6供述は,その推認力ないし信用性を著しく減殺するH7(以下「H7」という。)の供述が存在すること等に照らしても,全く信用することができず,被告人両名の犯人性を推認させるものではないとして,結局,一連の各目撃供述は,自白の補強証拠にも,被告人両名の犯人性を推認させる間接証拠にも何らなり得ないものであると主張する。 3 被告人両名のアリバイの主張被告人両名は,本件強盗殺人の犯行が行われた当時,犯行現場のE方とは異なる場所に存在したとして,それぞれアリバイが成立する旨主張しているところ,検察官は,これら被告人両名の各アリバイ供述の内容は一連の各目撃供述とも矛盾するもので,いずれも虚偽であると断じた上で,そのように被告人両名が積極的に虚偽のアリバイを供述しているのは,それ自体が被告人両名の有罪意識の現れであって,ひいては被告人両名の犯人性を裏付ける積極的な間接証拠というべきである旨主張する。 この点,弁護人は,被告人両名の各アリバイ供述の内容はもとより真実であって,それこそが本件強盗殺人に係る被告人両名の無罪を示す揺るぎない証左である旨主張する。 第5 当裁判所における検討の方針等 1 本件証拠構造に関する基本的な理解検察官が,本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を立証する上で根拠とするところは,以上,大きく①被告人両名の自白が存在すること,②一連の各目撃供述が存在すること,③被告人両名が虚偽のアリバイを供述していることの3点である。本件における証拠関係全体に占めるこれら3点の位置付けや相互の関係等については,概ね次のとおり理解する ②一連の各目撃供述が存在すること,③被告人両名が虚偽のアリバイを供述していることの3点である。本件における証拠関係全体に占めるこれら3点の位置付けや相互の関係等については,概ね次のとおり理解することができる。 - 10 -すなわち,本件においては,前記のとおり,被告人両名と本件強盗殺人とを結びつける客観的証拠は存在せず,また,本件強盗殺人の犯行を直接目撃するなどした者もいないことから,被告人両名の捜査段階における自白は,被告人両名の本件強盗殺人に係る犯人性を直接証明し得る唯一の証拠である。 そして,被告人両名の捜査段階における自白の概要は,8月28日夜,我孫子駅から成田線に乗ってr駅で下車し,K1橋付近で被告人両名が出会い,被告人両名でE方を訪れ,一度はK1橋付近まで引き返したが,再びE方に向かい,二度目にE方を訪れた際,Eを殺害して現金を奪ったなどというものであるところ,一連の各目撃供述は,前記のとおり,同日午後,我孫子駅からE方前までに至る間の各地点において被告人両名ないしそのいずれか一方の姿を目撃したなどとの趣旨を内容とするもので,被告人両名が,我孫子駅からE方に至った経過につき,前記のとおりそれぞれ供述している各自白の内容を裏付け得るものということができるから,その信用性の有無,程度は別として,これらが被告人両名の自白の補強証拠として把握し得るものであることは明らかである。 また,一連の各目撃供述にあって,H6供述は,同日午後7時30分前後ないし午後8時ころ,E方前を通過した際,同所付近に立っている被告人両名を目撃したという内容を含むものであるところ,これによれば,前記のとおり本件強盗殺人の犯行時刻が必ずしも客観的には明確に特定されていないことを前提としても,被告人両名が,少なくとも本件強盗殺人の犯行が行われたと考 う内容を含むものであるところ,これによれば,前記のとおり本件強盗殺人の犯行時刻が必ずしも客観的には明確に特定されていないことを前提としても,被告人両名が,少なくとも本件強盗殺人の犯行が行われたと考えて矛盾のない時間帯に犯行現場であるE方前付近に立っていたということになるのであるから,その信用性やその証拠価値の軽重はともかく,これが,被告人両名の自白の補強証拠としての性格にとどまらず,被告人両名の自白から独立して,本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を推認させる一つの間接証拠としての性格を併せ持つものであることもまた明らかである。そして,H6供述以外の各目撃供述については,そうしたH6供述に連なりこれを支える - 11 -一連の証拠群として相応の証拠価値を有するものと理解し得る。 加えて,一連の各目撃供述は,被告人両名の各アリバイ供述と内容的に両立し得ないのであるから,その両者の信用性はいわば二律背反の関係にある。 なお,被告人両名の各アリバイ供述については,もとより被告人両名の一連の供述を構成する一局面として位置付けられるものであるところ,仮にこれが真実であるならば,それが被告人両名の捜査段階における自白を弾劾し,本件強盗殺人を否認する被告人両名の主張を直接裏付けるものであることは明らかであろうし,他方で,仮にこれが虚偽の内容であったとするならば,そのような虚偽を述べる理由や動機等を考慮の上,具体的な事情次第では,これが本件強盗殺人を否認する被告人両名の供述自体の信用性に相応の影を落とし,ひいては被告人両名の捜査段階における自白の信用性を高める相応の効果をもたらすものと考えられる。そして,被告人両名の各アリバイ供述とこれと相矛盾するその捜査段階における自白とはもとより表裏をなす関係にあるのであるから,これらについては,全体とし を高める相応の効果をもたらすものと考えられる。そして,被告人両名の各アリバイ供述とこれと相矛盾するその捜査段階における自白とはもとより表裏をなす関係にあるのであるから,これらについては,全体としての考察,評価に付するのが相当というべきである。 2 基本的な検討の方針等 そこで,以上のような理解を前提として,以下においては,まず,一連の各目撃供述等の信用性を検討した上で,被告人両名の自白の任意性及び信用性に関する検討を順次進めていくこととし,被告人両名の自白を検討する中で,被告人両名の各アリバイ供述についても併せて検討を加えることとする。 なお,検察官は,本再審公判の審理について,その審判に事後審的な制約が加わるものではないとしながらも,確定審における証人の証言や被告人の供述のように,本再審公判において直接取り調べられたものではない証拠の証明力等については,これらを直接取り調べた裁判所と対等の立場で評価することには極めて慎重であるべきであり,基本的には確定審における判断を尊重すべきである旨主張する。 - 12 -一方,弁護人は,再審開始決定は確定判決を破棄した判決に相当するものであり,確定判決に対する否定的判断部分には拘束力が生じる旨主張する。 しかし,これらいずれの見解にも与することはできない。 すなわち,再審制度がいわゆる非常救済制度であり,再審開始決定が確定した後の事件の審判手続が,通常の刑事事件における審判手続とは種々の面で差異があり,また,再審公判においては,そこに至るまでの経緯等を念頭に置いた審理を行うことが求められることは当然であるとしても,再審制度は,所定の事由が認められる場合に,当該審級の審判を改めて行うというものであるから,本再審公判における審判は,確定審における判断にはもとより, 行うことが求められることは当然であるとしても,再審制度は,所定の事由が認められる場合に,当該審級の審判を改めて行うというものであるから,本再審公判における審判は,確定審における判断にはもとより,再審が開始された決定の判断にも何ら拘束されるものではなく,基本的には,本再審公判において職権により取り調べた各証拠(確定審で取調べ済のもの)に加え,検察官及び弁護人双方の請求により本再審公判において新たに取り調べた各証拠(本件再審開始決定において新証拠として認定された証拠はもとより,本件再審開始決定において新証拠として認定されていない各証拠及び再審請求審段階では提出されていない各証拠を含む。)を総合し,現時点における全証拠関係を前提として,第一審の立場から新たにその証拠価値等を精査し,再審開始事由があるとされた本件強盗殺人の公訴事実について事実認定の判断を行い,併せて所要の量刑判断等を行うことにその主な役割があるものと考えられる。 そこで,以下においては,かかる基本的な立場から,順次検討を進めていくこととする。 第6 一連の各目撃供述等について 1 前提各目撃供述相互の関係について一連の各目撃供述に含まれる6名の各供述相互の関係等については,概ね次のように理解し得る。 - 13 -すなわち,本件強盗殺人に係る被告人両名の自白を支える補強証拠,被告人両名の犯人性を推認させる間接証拠,そのいずれの観点からも,一連の各目撃供述のうち,H6供述が最も重要な意義を有するものとして位置付けられることは既に述べたとおりである。 他方,H6供述以外の各目撃供述については,いずれも,H6供述に比して,本件強盗殺人の犯行とは時間的にも場所的にもやや距離のある場面での目撃状況をその内容とするものであるところ,当時,被告人両名の自宅はい H6供述以外の各目撃供述については,いずれも,H6供述に比して,本件強盗殺人の犯行とは時間的にも場所的にもやや距離のある場面での目撃状況をその内容とするものであるところ,当時,被告人両名の自宅はいずれもo周辺に存在しており,被告人両名がしばしば我孫子駅やr駅を利用し,K1橋周辺を行き来していたとの事情も認められること等からすれば,これらの各地点で被告人両名ないしそのいずれか一方を目撃したなどとするH6供述以外の各目撃供述の内容は,それ自体,さして特別の意味を持たない日常的な光景の一こまに過ぎないともいえるのであって,H6供述を捨象する限りにおいては,これらの各目撃供述をそれぞれ単体として評価する場合にはもとより,これを被告人両名の足取りに関する一連の供述として一体的に評価する場合であっても,これらの各目撃供述に備わった本件強盗殺人に係る被告人両名の自白を支え,或いは被告人両名の犯人性を推認させる力はいささか微弱なものといわざるを得ない。 とはいえ,H6供述以外の各目撃供述をH6供述との関係においてみるならば,それらはいずれも,H6供述にある状況,すなわち,被告人両名が本件強盗殺人の犯行時刻と近接すると思われる日時にE方前付近に立っていたという状況に至るまでの被告人両名の足取りに関する目撃供述として把握し得るものであるから,その意味において,H6供述以外の各目撃供述は,少なくともH6供述の信用性を支える相応の証拠価値を備えた証拠群として位置付けられる。 そして,一連の各目撃供述は,これらが合わさることにより,被告人両名が,時の経過と矛盾することなく,我孫子駅からE方前までの各地点間を移 - 14 -動していったことを示す内容を有するもので,いわば時間的,場所的に近接した供述の連なりともいえるのであるから,相互にその信用性に影響 ることなく,我孫子駅からE方前までの各地点間を移 - 14 -動していったことを示す内容を有するもので,いわば時間的,場所的に近接した供述の連なりともいえるのであるから,相互にその信用性に影響を及ぼし合う関係にあることは明らかである。 したがって,一連の各目撃供述の検討に際しては,その中にあってH6供述が特に重要な意義を備えたものであることを念頭に置きつつ,その余の各供述を含め,総合的な検討の下に信用性の判断を行うこととするのが相当である。 H6供述とH7供述との関係について弁護人は,H6供述に関し,その信用性ないし推認力を減殺するものとして,H7等の供述の存在を指摘する。 この点,弁護人が念頭に置くH7供述は,H7が,8月28日夜,E方前において2人の男を目撃し,そのうち1名の男について,被告人両名とはいずれも異なる身体的特徴であったこと等をその内容とするものである。H7がE方前付近を通過した時間帯がH6のそれと近接していること等からすると,H7とH6がそれぞれ男を目撃した旨述べているのは同一の男を対象に述べている可能性が高いと考えられるところ,仮にそのような前提に立つならば,H7供述は明らかにH6供述と矛盾するものであるから,H6供述の信用性を直接弾劾するものとして位置付けられる。また,仮に,H7が,H6の目撃したのとは異なる男を対象にその目撃状況を述べているのであるとするならば,H7供述は,本件強盗殺人の犯行が行われたと考えて矛盾のない時間帯におけるE方前での目撃状況という点でH6供述に並ぶものであって,被告人両名とは異なる人物が本件強盗殺人の犯人である可能性を示唆するものといえるから,H6供述の有する前記間接証拠ないし補強証拠としての価値を相応に減殺するものとして位置付けられる。 いずれにせ ,被告人両名とは異なる人物が本件強盗殺人の犯人である可能性を示唆するものといえるから,H6供述の有する前記間接証拠ないし補強証拠としての価値を相応に減殺するものとして位置付けられる。 いずれにせよ,前記H7供述は,H6供述の評価に一定の影響を与える可能性を有している。 - 15 - 検討の手順についてそこで,以上の理解を踏まえ,一連の各目撃供述について,はじめにH6供述を,その後にその余の各供述を順次検討し,さらに,H7供述についても検討を加えた上で,最後に,それらの検討を総合し,一連の各目撃供述の信用性を判断することとする。 2 H6供述について供述の概要等H6供述の要旨は,8月28日夜,クリーニング品の集配のためにバイクに乗って自宅を出かけ,K2ガソリン店で給油し,(茨城県北相馬郡n町)qのJ1方にクリーニング品を配達するなどしてからE方前を通過してrに行った,E方前を通過した際(以下,1度目にE方前を通過した行程を「往路」という。),同所に被告人Dと被告人Cが立っているのを見た,その後,J2方にクリーニング品を配達し,K3モータースに立ち寄って,同所で「俺は用心棒」というテレビ番組を見てから,バイクに乗って再びE方前を通過して帰宅した,2度目にE方前を通過しようとした際(以下,2度目にE方前を通過した行程を「帰路」という。),E方前付近に複数の男の影を見たなどというものである。 H6が,この日,その述べるような経路でクリーニング品の集配等を行ったことについては,クリーニング店の帳簿により一部客観的な裏付けがあるほか,その他関係者の各供述とも矛盾しておらず,概ねこれを信用することができる。しかし,そのことと,E方前付近で被告人両名の姿を目撃したなどとするいわばH6供述の核心部分の信用性とは自 裏付けがあるほか,その他関係者の各供述とも矛盾しておらず,概ねこれを信用することができる。しかし,そのことと,E方前付近で被告人両名の姿を目撃したなどとするいわばH6供述の核心部分の信用性とは自ずから事を別にする問題である。 そこで,以下,E方前で被告人両名を目撃したという状況に係る部分を中心に,H6供述の信用性を検討する。 供述の経緯等 - 16 -H6が,E方前における目撃状況を供述するに至った経緯は,概ね以下のようなものである。 H6は,9月3日ころ及び同月20日,警察官から8月28日の行動等について尋ねられ,その際には,同日午後7時30分ころクリーニング品の集配のためバイクで自宅を出かけ,E方前を通り,K3モータースに寄って,再びE方前を通過して帰宅したなどとは述べていたものの,9月20日における「Dの仲間を捜査してみたら。」というやや趣旨不明の発言を除けば,E方前において被告人両名を目撃したという内容はおろか,同所で不審者等を目撃したということすら何ら供述してはいなかった。ところが,H6は,被告人両名が本件強盗殺人の被疑事実で逮捕された後の昭和43年2月29日,知人のH8(以下「H8」という。)が,警察官に対し,H6が,Eのところに被告人両名がいるのを見たと話しているのを聞いたなどとの内容を申告したことを受け,同年3月6日,警察官から事情を聞かれた際,8月28日午後8時ころE方前を通過したとき,E方の門出入口の手前に背の高い男と背の低い男が立っており,背の高い男についてはそのとき被告人Dらしいと分かったが,後日,背の低い男についても被告人Cであったと思い出した,また,K3モータースからの帰りにE方前付近まで来たとき2人の人影を見たなどとの趣旨をそれぞれ初めて供述した。そして,昭和43年3月13日に行われた の低い男についても被告人Cであったと思い出した,また,K3モータースからの帰りにE方前付近まで来たとき2人の人影を見たなどとの趣旨をそれぞれ初めて供述した。そして,昭和43年3月13日に行われた検察官の取調べにおいて,往路及び帰路の目撃状況等を更に詳細に供述し,同日警察署でいわゆる面通しが行われた際には,複数人の中から,自らが目撃した人物として被告人両名をそれぞれ選び出すなどした。かくして,H6は,確定一審及び確定控訴審において,いずれも証人として供述するに至ったというのである。 以上の経緯から明らかなとおり,H6は,本件強盗殺人が発覚して間もない9月3日ころから,警察官に対し,8月28日夜にE方前を通過したことを供述していたにもかかわらず,その際には,E方前で被告人両名を目撃し - 17 -たなどとの状況に何ら触れることはなく,そうした供述を始めたのは昭和43年3月6日のことで,その日までには本件強盗殺人の発覚から既に約6か月が経過していたというのである。 かかる供述経過はそれ自体やや奇異な印象も否めないものであるところ,H6は,事件発覚直後に事情を聞かれた際には,被告人両名を目撃したことを敢えて供述していなかったなどとの趣旨を述べ,その理由につき,種々の説明を加えている。 すなわち,この点,H6は,被告人両名に係る目撃状況を初めて供述した警察官に対しては,当時は誰だか分からなかったのでもし間違って人違いでもしたらと思い話をしなかったなどと説明し,検察官に対しては,狭い町内のことであり,もし話したことが分かれば被告人らもお得意先なので恨まれては困るし,今更余計なことを言うななどと言われている家族に反感を持たれ,自分の商売の邪魔をされてo町にいられなくなってしまうのではないかという不安もあった,また,このことで証人に引っ張 ので恨まれては困るし,今更余計なことを言うななどと言われている家族に反感を持たれ,自分の商売の邪魔をされてo町にいられなくなってしまうのではないかという不安もあった,また,このことで証人に引っ張り出されるのが嫌だったなどと説明している。さらに,証人として出廷した確定一審(同年11月11日第13回公判)においては,被告人らは若いし,将来性もあり,被告人らの家のこと等を考えると,刑事に言うことができなかったなどと説明する。 このように,当初被告人両名を目撃した旨を明かさなかった理由につきH6の説明するところには一貫性がなく,その都度内容を変えながら多岐にわたる説明をしており,その真意がどこにあるかを窺い知ることは困難である。 仮に,H6が,被告人両名に係る目撃状況につき供述を始めた最も初期の段階で警察官に説明したように,目撃した人物が誰であるかがはっきりせず,人違いを懸念して当初その目撃状況を明かさなかったという理由がその真意であったとするならば,そもそもH6のその目撃状況に関する記憶は,所詮はその程度の曖昧なもので,目撃した人物を明確に特定する程の確固たる - 18 -ものではなかったとみるのが相当ということになろう。 また,H6が被告人両名を目撃した旨をH8に打ち明けたのが同年2月中旬ころであり,その時点では,被告人両名は既に本件強盗殺人の公訴事実で起訴され,新聞報道等で被告人両名の氏名及び顔写真等も公開されていたのであるから,H6が,これら報道等による暗示を受け,被告人両名の人物像に沿うような供述をしている可能性も一概には否定できないところである。 以上のとおり,H6が被告人両名に係る目撃供述を始めた経緯には,いささか不可解な面があるというべきである。 供述の変遷次に,H6供述の内容をみるに,これをその供述経過とも ないところである。 以上のとおり,H6が被告人両名に係る目撃供述を始めた経緯には,いささか不可解な面があるというべきである。 供述の変遷次に,H6供述の内容をみるに,これをその供述経過とも併せ,全体として考察すると,変遷している箇所が少なからず散見される。以下,その重立った点を指摘して検討する。 ア E方前を通過した時刻等H6は,初めて捜査官に対して供述をした9月3日ころから一貫して,8月28日午後7時半ころ自宅を出て,K2ガソリン店で給油してからJ1方にクリーニング品を届け,そのままrに向かい,E方前を通過した旨供述していたが,確定一審(前記第13回公判)で証言した際には,同日午後7時10分ころ自宅を出て,J1方にクリーニング品を届けた後,すぐに自宅へ戻り,今度はrへ行く品物を持ってからrに向かい,同日午後7時半過ぎころE方前を通過した旨供述している。 この点は,明らかな供述の変更と認められるが,途中で新たな記憶が喚起されるなどした具体的な根拠は全く説明されていない。 イ目撃した人物の位置関係等H6は,往路に目撃した2人の人物につき,当初,捜査官に対しては,E方脇の道路に沿って,自分から見て手前に背の低い男(被告人C)が,奥に背の高い男(被告人D)が自分の進行方向に向かって立っていたなど - 19 -と供述していたものであるところ,証人として出廷した確定一審(前記第13回公判)においては,E方前にある溝を挟んで,被告人DがE方の方に,被告人Cが道路の方にお互いに向き合って立っており,2人で話をしている様子であったなどと供述し,さらに,同じく証人として出廷した確定控訴審(昭和47年1月29日第7回公判)においては,2人は向かい合って立っており,下水溝の家側に1人いて,もう一人は足を前後にして下水溝をまたいで どと供述し,さらに,同じく証人として出廷した確定控訴審(昭和47年1月29日第7回公判)においては,2人は向かい合って立っており,下水溝の家側に1人いて,もう一人は足を前後にして下水溝をまたいで立っていた,家の方にいた人は道路側を向いており,もう一人はEの家の方を向いていた,下水溝をまたいで家の方を向いていた人が大きな人だった(この2人の人物が被告人両名だとすれば,道路側から家の方を向いていた人物が被告人Dと解されるが,そうだとすると,2人の位置が確定一審における供述とは逆転しているように思われる。),2人が話し合っていて,Eの家の方にいた人が自分が通りがかったとき振り向いて自分の方を見たなどと供述している。 このように,H6が目撃したとする被告人両名の位置関係につき述べるところには明らかな変遷が認められる。そして,その変遷を具体的にみると,目撃した2人の人物の状況につき,確定一審(前記第13回公判)において,2人で話している様子であったとの事実が新たに加わり,さらに,確定控訴審(前記第7回公判)において,道路側にいた人は足を前後にして下水溝をまたいでいたとの事実が新たに加わるなど,供述内容が目撃した人物の動作等も指摘する詳細なものへと変遷していることが認められるところ,各供述の時点において何故そのような新たな記憶を喚起することができたのかについては何らの理由も付されていない。この点に関する供述の変遷は,いわばH6供述の核心ともいうべき目撃した人物の容貌等の認識に直接関係する部分であって,容易に看過することはできない。 ウ目撃した人物を被告人両名と認識した根拠等H6は,目撃した背の高い男を被告人Dと識別した経緯について,当初 - 20 -(昭和43年3月6日),警察官に対し,後ろ姿なので判然とはしなかったが,その た人物を被告人両名と認識した根拠等H6は,目撃した背の高い男を被告人Dと識別した経緯について,当初 - 20 -(昭和43年3月6日),警察官に対し,後ろ姿なので判然とはしなかったが,その後ろ姿が被告人Dと似ており,被告人Dらしいということは分かったなどと供述していたものであるところ,その後,同月13日に行われた検察官の取調べにおいても,事件が発覚してから1週間目ころになって被告人Dらしいと思いついたなどと供述したが,証人として出廷した確定一審(前記第13回公判)に至ると,その男が道路の方を向いていたので被告人Dと分かったなどと供述し,同じく証人として出廷した確定控訴審(前記第7回公判)においても,その男が振り向いて私の方を見たので,当夜既に被告人Dであることは分かっていたなどと供述している。このように,被告人Dの識別状況に関しては,少なくとも,後ろ姿を見たにとどまるのか,直接その顔を見たのかという点で,H6の供述は決定的に変遷している。 また,H6は,目撃した背の低い男を被告人Cと識別した経緯について,当初(同月6日),警察官に対し,バイクでE方前を通りがかった際,その男の顔を見て,見覚えのある顔だったが,それが誰であるかは目撃当時思い出すことができず,後日,新聞に被告人両名の顔写真が出ているのを見て被告人Cであると思い出したなどと供述していたものであるところ,証人として出廷した確定一審(前記第13回公判)においては,その男がバイクのライトの方を振り向いたときに顔を見て被告人Cであると分かったとのみ供述し,さらに,同じく証人として出廷した確定控訴審(前記第7回公判)においては,やや趣旨不明ではあるものの,E方前を通ったときには,少し見ただけだったので分からなかったが,バイクで二,三分行ってK4の辺りで学生らしい数人の若 て出廷した確定控訴審(前記第7回公判)においては,やや趣旨不明ではあるものの,E方前を通ったときには,少し見ただけだったので分からなかったが,バイクで二,三分行ってK4の辺りで学生らしい数人の若い人に会い,そのうちの1人がE方前で会った男に似ていると思い,その男の顔が印象に残ったなどとの新たな事実を付加した上,数日後,偶然床屋かどこかで被告人C本人と会い,このとき目撃した男が被告人Cであったことを思い出した,新聞を見て思 - 21 -い出したのではないなどと供述して,著しくその内容を変遷させている。 これらの変遷についても,十分な理由の説明はなく,合理的な理由を見い出すことは困難である。殊に,H6が,確定控訴審(前記第7回公判)で証言した際,E方前で男を目撃した直後にその男と似た人物と偶然出会い,そのことで現に目撃した時点ではよく分からなかった男の顔が印象に残り,これがその男を被告人Cと識別することに繋がったなどと供述している点は,その内容自体,いささか趣旨不明にして,かつ容易に首肯し難い特異な経緯というべきである上,かかる被告人Cの識別に至った特異な経緯に関する供述が,事件発生から既に4年以上が経過した確定控訴審の段階に至り突然現れるというのも何とも唐突に過ぎ,不自然との印象を禁じ得ない。 エ帰路に関する供述についてH6は,捜査段階及び確定一審において,帰路にE方前で2人の男を見たと供述していたものであるところ,その2人の男を見た地点について,捜査官に対し,K5店付近,K4の手前の広場付近などと述べていたのを,確定一審(前記第13回公判)では,K6店の前(E方との関係でいえば,当初の供述よりは距離的に遠くになる。)と供述を変更し,そのときの2人の男の位置関係等についても,捜査官に対し,2人が道路端に離れて立っていた 第13回公判)では,K6店の前(E方との関係でいえば,当初の供述よりは距離的に遠くになる。)と供述を変更し,そのときの2人の男の位置関係等についても,捜査官に対し,2人が道路端に離れて立っていたところ,それぞれが左右の道に入り込んだなどと述べていたのを,確定一審(前記第13回公判)では,2人はE方前の道路の反対側にいてこちらを見ていたように思う,何かを話している様子であったが,背の低い方の男がE方の方へ道路を横断して2人は道路の両側に別れたなどとして,供述を変更している。 その男らを目撃した後のH6自身の行動等についても,当初(昭和43年3月6日),警察官に対しては,特に気にとめることもなく帰宅したなどと供述していたものの,同月13日に行われた検察官の取調べにおいて - 22 -は,E方前を通るとき,家の方から鶏を絞め殺すときの鶏の悲鳴のような物音を聞いたような気がしたので,四つ角を通り過ぎて間もなくUターンしてみようと思ったが,乗用車がやって来たので,そのまま走り続けて帰宅した旨供述し,証人として出廷した確定一審(前記第13回公判)では,このとき何か不吉な予感がしたのでバイクを止め,一寸バックして(Uターンしたとも説明するが,結局は,向きを変えただけであるという。),K7という豆腐屋の前でたばこを一服し,後ろを振り向いたときには2人の姿はなかった,そこからK4という飲み屋の路地に入り,そこで車の掃除をしているのを見ながら,道路に出たり路地に入ったりジグザグしながらE方近くまで来た,そこを通過する寸前,E方の家の中から鶏を絞め殺すような声が聞こえた,そこで,バイクを止めて降りE方に行こうとしたが,Eは自分の店の得意先でもなく,また,時々実験をすると聞いていたし,たまたま軽四輪車が来たので行くのをやめてまっすぐ店に帰ったなどと うな声が聞こえた,そこで,バイクを止めて降りE方に行こうとしたが,Eは自分の店の得意先でもなく,また,時々実験をすると聞いていたし,たまたま軽四輪車が来たので行くのをやめてまっすぐ店に帰ったなどと供述している。さらに,証人として出廷した確定控訴審(前記第7回公判及び昭和47年6月20日第9回公判)においては,K4の辺りで人影を見て何か不吉な予感がし,普通では考えられない精神状態であった,その人影が「つつー」と隠れるように見えたので余計気持ちが悪くなったなどとも供述し,s町の丁字路からE方前を通過するまでに,E方前で一旦停止したほかに,K6店とK8の前でも合計2回バイクを停止した旨を述べ,この点,不吉な予感がしたからといって,その人物までまだかなりの距離があるのにどうしてバイクを止めたのかという質問に対しては,酔っぱらっている人がいるような気がしたからであるなどとも供述している。そして,確定控訴審で行われた2回目の証人尋問(前記第9回公判)に際しては,当初供述した2人に加え,右側の車の傍らにもう一人の人物がいたような気がするなどとして,目撃した人物の人数につき,2人ではなく3人である旨供述を変更するに至り,それらの人物のいた位置に関しては,J - 23 -3方或いはK9店前付近と述べて,当初供述していた位置よりもs町丁字路寄りの位置を供述している。 このように,H6の帰路に関する供述には,種々の点で大幅な変遷が認められ,そうした変遷につき合理的な理由を見出すことは困難である。 オ小括以上のとおり,H6は,往路で2人の男を目撃した際の諸状況や,その2人の男を被告人両名であると認識した根拠等,その供述の枢要部分というべき極めて重要な点において供述内容を多々変遷させているのみならず,帰路における目撃状況等に関しても供述を大幅に の諸状況や,その2人の男を被告人両名であると認識した根拠等,その供述の枢要部分というべき極めて重要な点において供述内容を多々変遷させているのみならず,帰路における目撃状況等に関しても供述を大幅に変遷させている。これらの供述の変遷は,H6供述の信用性を検討するに当たり看過できない程度のものというべきであって,H6の一連の供述を全体としてみた場合,往路及び帰路においてH6が目撃した状況がそれぞれいかなるものであったのかを具体的に特定することにもそれなりの困難を伴うところである。にもかかわらず,それらの変遷について到底十分な理由の説明が付されているとはいい難く,ひいては相応の不自然,不合理さが残るといわざるを得ない。 H6の観察(視認)条件H6が,被告人両名を目撃した旨述べる当時の現場の諸般の状況等に目を向けると,被告人両名の識別に係るH6の観察条件は,到底良好なものであったとはいい難い。 すなわち,H6がこの日E方前をバイクを運転して通行したとされる時間帯には,付近は既に薄暗くなっており,E方北西側にある電柱に設置された蛍光灯の光源も不審人物が目撃されたとする地点からは十数メートル離れていたことが認められる。確定控訴審で実施された検証の結果によれば,目撃されたという相手方から2ないし4メートル離れた距離から相手方を見るとその人物の顔を認識できる,バイクの前照灯を照射する - 24 -と,その人物が知人であれば更に容易に認識できるとの結果が記載されているものの,この検証結果は,あくまで,観察者が立ち止まって観察すれば,その顔を認識できるという旨を示すものに過ぎず,当時のH6のように,バイクを時速30キロメートルで運転している状況の下で,極めて短時間のうちにどれだけ正確に目撃した人物を識別できるかについては,全く の顔を認識できるという旨を示すものに過ぎず,当時のH6のように,バイクを時速30キロメートルで運転している状況の下で,極めて短時間のうちにどれだけ正確に目撃した人物を識別できるかについては,全く次元の異なる問題である。H6は,その供述によれば,バイクのライトで振り返った相手を目撃したなどというのであるが,それはまさに一瞬の出来事で,周囲の暗さとも相まって,H6が,その状況をどれほど正確に識別することができたかについては少なからず疑問の余地があるというべきである。 また,一般に,バイクを運転する運転者は,適切に車両の操作を行うことに意識を向けるため,周囲の状況についての注意力は,立ち止まっている状態や徒歩の場合に比してはるかに減退するものであることは経験則上明らかというべきであって,この点は,弁護人請求に係るH6の視認状況に関する実験結果の証拠(鑑定書)からも窺われるところである。 さらに,H6は,被告人Cを中学生のころから知っており,被告人Cも被告人Dも自分の店の客として出入りしていたので,認識していたなどと述べているものの,被告人Cが来店していたのは同人が中学を卒業したばかりのころだと思う,同人に会ったのは同人が高校在学中のころ,床屋で客として一緒になったのが最後だと思うなどともいい,被告人Dが店に来ていた頻度についてもそれほど明確ではないのであって,そのような事情から窺われる被告人両名との間柄に照らし,H6が被告人両名の容貌をどこまで熟知していたかについてもやや疑わしさが残るところである。 加えて,H6は,クリーニング品等の配達の途中にたまたまE方前を通りがかり,同所付近に立っていた2人の人物を目撃し,結局はそのまま通過したというに過ぎず,その目撃内容それ自体は,殊更特異な光景を含ま - 25 -ない日常的に生起し得る 中にたまたまE方前を通りがかり,同所付近に立っていた2人の人物を目撃し,結局はそのまま通過したというに過ぎず,その目撃内容それ自体は,殊更特異な光景を含ま - 25 -ない日常的に生起し得る出来事ともいえるのであるから,その間,2人の人物に対し,特に意図的な観察が加えられる状況にあったともいい難い。 以上を総合すると,被告人両名の識別に係るH6の観察条件は,必ずしも良好なものであったとはいい難く,H6が,目撃した人物の識別を誤る可能性についてもあながちこれを否定することはできない。 供述内容に関する疑問点H6が,確定控訴審において,E方前で男を目撃した直後にその男と似た人物と偶然出会い,そのことで目撃した男の顔が印象に残り,これがその男を被告人Cと識別することに繋がったなどと供述するその内容は,前記のとおり,それ自体,にわかには信じ難い特異な出来事というべきであって,これをその言葉どおりに受け取ることには相当に躊躇を覚えるところといわざるを得ない。 また,帰路に関し,H6が,前記のとおり,確定一審(前記第13回公判)において,E方前を通る際,不吉な予感がしたために慎重な行動をとったかのような供述をしている点についても,遠くに2人連れがいたというだけで,それ以外には特に警戒を要する事情はなかったのであるから,H6がそのように慎重な行動をとったというのもいささか理解に苦しむところである。H6は,確定控訴審(前記第9回公判)においては,その点に答え,酔っぱらっている人がいるような気がしたからであるなどと供述するが,それでもなお十分な説明であるとはいい難い。 そして,H6は,一方では,このように非常に警戒的で慎重な行動をとっていたかのように供述するものの,他方では,E方前を通り過ぎようとした際に鶏の絞め殺されるような声を聞き 説明であるとはいい難い。 そして,H6は,一方では,このように非常に警戒的で慎重な行動をとっていたかのように供述するものの,他方では,E方前を通り過ぎようとした際に鶏の絞め殺されるような声を聞き,わざわざE方に行こうと考えたなどとも供述しているのであり,その述べるところは前後に矛盾を孕むものであって,H6の心理状態を合理的に推し量ることは困難である。なお,この点に関しては,H6は,証人として出廷した確定控訴審(前記第 - 26 -9回公判)において,前記のような声を聞き,窓越しに覗いたが分からなかったなどとして,実際にE方の家屋内を確認したかのような供述もしているが,この段階に至ってかかる新たな事実が供述されるというのも極めて唐突であり,H6が殊更事実を誇張しているのではないかとの印象すら禁じ得ないところである。 さらに,H6は,帰路にE方前を通過した時刻について,証人として出廷した確定一審(前記第13回公判)において,実際は午後9時前ころに通過していたが,警察官に対して供述した際には,証人に立つのが嫌なので敢えて午後9時15分ころであるなどと虚偽の内容を申告した旨供述する。しかし,15分程度の時間をずらして供述することで証人となることを避けられると考えたというその根拠も何ら明らかではない上,同じく証人として出廷した確定控訴審(前記第7回公判)においては,警察官に供述した際にも殊更に虚偽の時刻を申告したことはないとして,前記確定一審における説明を根底から覆しているところであって,何とも不可解というほかなく,この点においてもH6の真意を合理的に推し量ることは困難である。 加えて,H6は,確定控訴審で証言した際,やや趣旨不明な点もあるものの,本件がきっかけでノイローゼ気味になり,医師に処方された薬を服用しているなどとも述べて を合理的に推し量ることは困難である。 加えて,H6は,確定控訴審で証言した際,やや趣旨不明な点もあるものの,本件がきっかけでノイローゼ気味になり,医師に処方された薬を服用しているなどとも述べており(ただし,本件目撃当時も既にノイローゼ気味であったとも述べている。),かかる供述に照らすと,本件目撃時から証言時に至るまで,H6が,精神的に不安定な状況にあり,それがH6の供述に何某かの影響を及ぼしているとの可能性もあながち否定することができない。 いずれにせよ,以上のように,H6供述中には,合理的な理解に窮する特異な内容が多々散見されるところであって,このことは,H6供述全体の信用性をそれ相当に減殺させる事情である。 - 27 -小括以上の検討を総合すれば,H6供述については,H6が本件強盗殺人の発覚後約6か月が経過するまで捜査官に対して自身の目撃状況を供述しなかった真意が釈然としないこと,合理的な理由なく供述内容が変遷している箇所が供述の核心部分を含めて多数存在すること,そもそも目撃の前提となる視認条件が良好なものであったとはいえないこと,供述内容自体に不自然,不合理な点が散見されることなど,その信用性に疑念をもたらす要素が多々含まれているものといわざるを得ない。 そうすると,他の証拠関係とも総合し,最終的にH6供述の信用性を判断するに当たっては,相応に慎重な姿勢でこれに臨むことが求められる。 3 H6供述以外の各目撃供述について石段の一件に関する供述(H3,H4及びH5の各供述)についてア石段の一件に関する各供述の内容等H3は,12月17日に行われた検察官の取調べにおいて,概要,8月28日の勤め帰りに,我孫子駅の成田線のホームから列車が出るころ,列車の中で被告人Dと一緒になり,このときH4も一緒だった, 内容等H3は,12月17日に行われた検察官の取調べにおいて,概要,8月28日の勤め帰りに,我孫子駅の成田線のホームから列車が出るころ,列車の中で被告人Dと一緒になり,このときH4も一緒だった,r駅で下車して改札を出た辺りでまた被告人Dと合流し,被告人D,H4と3人でK1橋へ向かい,石段を上る途中で,自分たちの左側を抜いて駆け上がっていった男にH4が「力あるな。」と声をかけると,その男が振り向いて「何だ。」と怒りながら先に上っていき,K1橋を渡っていった,このとき名前の知らない女性も自分の前か後にいたと思う,被告人Cは名前は知らないが顔は見かけたことがあったなどと供述している。 H4は,12月27日に行われた検察官の取調べにおいて,概要,8月28日の勤め帰りに,我孫子駅から発車前の列車の中で被告人Dと一緒になったと思う,その後被告人Dとr駅まで一緒にいたかどうかははっきりしない,駅前通りでH5とも合流し,被告人Dも駅前通りでは一緒にいた - 28 -記憶である,K1橋のたもとに出る石段の途中で,後から来た自分より小柄な男が脇を抜けて駆け上がるように上っていったので「脚力あんなあ。」と声をかけると,その男が振り返りながら「何っ。」と言って先へ行ってしまった,後でH5に聞きその男が被告人Cであることが分かったなどと供述している。 H5は,確定一審において,概要,8月28日午後7時5分ころr駅で列車を下車し,自宅へ向かった,途中K1橋に通じる石段を上ろうとしたところ,被告人Cが自分の前を歩いていて,下りてきた2人の男と触れたようになり,被告人Cが振り向いて「馬鹿野郎。」と言った,振り向いたときに被告人Cだと分かった,当時,H4とはどこかで会っていると思うがどこで会ったかは分からない,石段の上り口辺りではH4が脇におり,H4には 被告人Cが振り向いて「馬鹿野郎。」と言った,振り向いたときに被告人Cだと分かった,当時,H4とはどこかで会っていると思うがどこで会ったかは分からない,石段の上り口辺りではH4が脇におり,H4には連れが1人いたと思う,H3との面識はなく,被告人Dは見かけなかったなどと供述している。 以上のとおり,H3,H4及びH5の各供述するところは,いずれも,同日午後6時47分我孫子駅発の列車に乗車してr駅で下車し,K1橋のたもとに出る石段(以下「石段」という。)付近で被告人Cを目撃したという点,被告人Cが石段を駆け上がる際,振り返って「何だ。」とか「馬鹿野郎。」などという言葉を発したという点で一致しており(以下,H3,H4及びH5がそれぞれ供述する石段付近における出来事を総称して「石段の一件」という。),具体的で,特に各供述内容自体に不自然,不合理な点はなく,また,H3,H4及びH5は,いずれも,石段の一件があった日付について,同月27日に発生した常磐線の柏駅,我孫子駅間の脱線事故(以下「脱線事故」という。)等の特異な出来事に関連付けて記憶している旨供述しており,いずれも基本的にはそれ相当の信用性を備えたものと評価し得るようにも思われる。 しかしながら,他方で,H3,H4及びH5の各供述には,以下のよう - 29 -に,種々の疑問点も存するところである。 イ石段の一件に関する各供述の変遷等H3は,前記のとおり,12月17日に行われた検察官の取調べにおいて,石段の一件が8月28日の出来事であった旨断定して供述していることが認められるものの,それ以前の10月22日に行われた警察官の取調べに際しては,石段の一件は被告人Dと列車内で行き会った8月28日の出来事である旨供述する一方で,同月末までに通勤列車で被告人Dと行き会ったことは二 の,それ以前の10月22日に行われた警察官の取調べに際しては,石段の一件は被告人Dと列車内で行き会った8月28日の出来事である旨供述する一方で,同月末までに通勤列車で被告人Dと行き会ったことは二,三回あり,そのうちのいずれの日であったかははっきりした記憶がないなどとも供述し,また,その約1か月後の11月18日に行われた検察官の取調べに際しても,被告人Dとは勤め帰りの列車でよく行き会うので,被告人Dに会ったのが8月28日と断言することは難しい,石段の一件があったことは記憶にあるが,それが同日の出来事であったかどうかははっきりしないなどと供述していたものである。そして,H3は,12月17日に前記のとおり一旦は石段の一件が8月28日の出来事である旨断定して供述するも,その後,証人として出廷した確定一審(昭和43年5月2日第4回公判)においては,我孫子駅で被告人Dと一緒になったことや石段の一件が8月28日の出来事であることについてはいずれも分からないなどと述べて,再び供述を変更するに至っている。 また,H4についても,前記のとおり,12月27日に行われた検察官の取調べにおいて,石段の一件が8月28日の出来事であった旨明確に供述していることが認められるものの,それ以前の10月20日に行われた警察官の取調べに際しては,8月28日は勤務先の関係者方に泊まったので,帰宅するために成田線に乗ったことはないなどと供述し,10月22日に行われた警察官の取調べにおいても,勤務先の出勤カードや知人の話等を確認し,8月28日に成田線で帰宅していたことが分かったなどとして,10月20日の自身の供述を一部訂正する一方で,我孫子駅の成田線 - 30 -のホームか列車内で被告人Dと会ったが,r駅で降りて被告人Dとは別れたので,その後被告人Dがどうした ったなどとして,10月20日の自身の供述を一部訂正する一方で,我孫子駅の成田線 - 30 -のホームか列車内で被告人Dと会ったが,r駅で降りて被告人Dとは別れたので,その後被告人Dがどうしたかは分からないなどと供述し,石段の一件の存在については一切供述していなかったものである。そして,H4は,12月27日に前記のとおり一旦は石段の一件があったこと,そしてそれが8月28日の出来事であることを明確に供述するに至ったものの,その後,証人として出廷した確定一審(昭和43年6月6日第6回公判)においては,石段の一件が8月28日の出来事であるかについてははっきり分からないなどと述べ,再び供述を後退させるに至っている。 このように,石段の一件の日付を巡っては,H3とH4は非常に酷似した供述経過を辿っているものであるところ,両名のそれぞれ最も初期段階における供述をみると,H3は,捜査官に対し,石段の一件の日付の点ははっきり述べられない旨を強調して供述していたことが明らかで,また,H4は,当初同日の自身の行動について誤った事実を供述していたことが認められ,これらに照らせば,その各供述の時点で,H3については,石段の一件の日付に関し既に相当記憶が減退していたことが窺われ,また,H4についても,同日の自らの行動や体験等に関する記憶が既に相当に減退していたものであることが明らかというべきである。両名にこうした記憶の減退が生じたのは,その各供述の時点で,石段の一件があったと思われる時期ないし同日から既に50日以上もの時が経過していたことを踏まえれば,むしろ当然の成り行きであったといって良い。 ところが,H3は,12月17日に至り,突如,石段の一件は8月28日の出来事である旨明確に供述し,その10日後の12月27日には,H4も,突如,8月2 ,むしろ当然の成り行きであったといって良い。 ところが,H3は,12月17日に至り,突如,石段の一件は8月28日の出来事である旨明確に供述し,その10日後の12月27日には,H4も,突如,8月28日に石段の一件があった旨明確に供述した。両名がこのとき何故そうした記憶を喚起することができたのか,その契機となった事情は両名の供述全体を仔細にみても何ら明らかではない。しかも,両名は,いずれもその後に証人として出廷した確定一審においては,再び石 - 31 -段の一件の日付ははっきりしないなどとして曖昧な内容に供述を後退させているのであって,このような供述経過はいささか奇異なものというほかない。両名は,いずれも,石段の一件が同日の出来事であったとする根拠として,同月27日に発生した脱線事故の翌日であったという記憶であるなどと説明するが,真に脱線事故の日付に関連付けて同月28日に石段の一件があったことを記憶していたというのであれば,供述の初期段階からその日付を特定し得て然るべきと考えられるのであるから,実際に両名が脱線事故に関連させた形で記憶を保持していたものか極めて疑わしい。 また,H4については,警察官に対する2度にわたる供述の機会のいずれにおいても,そもそも石段の一件があったこと自体に言及していなかったのであるから,本件強盗殺人発生から約4か月が経過した12月27日の時点において,石段の一件を果たして自らの記憶として真に保持していたものかについてすら疑念の残るところである。 次に,H5供述についてみると,H5は,捜査段階から一貫して,8月28日に石段付近で被告人Cを目撃した旨供述しており,H3やH4とは異なり,ことその日付の点に限っては,その供述に特段のぶれは認められない。しかし,H5が石段付近で被告人Cを目撃したなどと述 ,8月28日に石段付近で被告人Cを目撃した旨供述しており,H3やH4とは異なり,ことその日付の点に限っては,その供述に特段のぶれは認められない。しかし,H5が石段付近で被告人Cを目撃したなどと述べるその具体的な出来事の内容に目を向けると,次のとおりH5の供述には顕著な変遷の経緯が認められる。 すなわち,H5は,10月24日に行われた警察官の取調べにおいて,8月28日午後7時5分ころr駅で下車してK1橋に出る路地に入ると,自分の二,三メートル先に男が歩いており,この男が石段を上りきったとき,K1橋の方から来た別の男とすれ違い一言二言言い合い,K1橋方面から来た男が石段を下り始めたとき,自分の前を歩いていた男が振り向いて「馬鹿野郎。」と言った,このときその男が被告人Cであることが分かったなどと供述していたが,翌日の10月25日に行われた警察官の取調 - 32 -べでは,早くも前日の供述を訂正し,石段において,H5の後方から来たH4が先に石段を上っていった被告人Cに「元気いいなあ。」と言い,これに対して被告人Cが振り向き,H4に「馬鹿野郎。」と言ったなどと供述しており,そのような記憶を喚起した理由については,いろいろ思い出して考えてみたなどとするのみで,特に合理的な説明は付していない。そして,H5は,11月16日に行われた検察官の取調べにおいては,自分の前を歩いていた男が石段を上りきった辺りで,石段を下りてくる2人連れの男とすれ違い,一言二言言い合った後,自分の前を上っていた男が振り向いて「馬鹿野郎。」と言った,そのときこの男の顔を見て被告人Cだと分かったなどとして,石段を下りてきた男の人数の点を除いては前記10月24日における供述とほぼ同旨の供述をし,また,12月17日に行われた検察官の取調べにおいては,被告人Cが2人連れの男 告人Cだと分かったなどとして,石段を下りてきた男の人数の点を除いては前記10月24日における供述とほぼ同旨の供述をし,また,12月17日に行われた検察官の取調べにおいては,被告人Cが2人連れの男とすれ違った際,体でも触れたのか,「馬鹿野郎。」と言いながら振り返り,それに対して自分と横に並んで一緒に石段を上っていたH4が「元気いいなあ。」と声をかけたが,被告人Cはそれに気付かない様子で先に行ってしまった,このとき被告人CはH4に対して馬鹿野郎と言ったわけではない,この日はr駅周辺でH4と一緒になり,H4の連れの男もいて,駅前通りから一緒に歩いてK1橋を渡っていた際の出来事だったなどと述べ,以前の各供述とはやや趣旨の異なる内容を供述し,殊に,r駅からH4及びその連れの男と一緒に歩いていったなどと全く新たな事実を突然付加するに至っている。さらに,H5は,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)においては,石段を上ろうとしたら,男が2人くらいいて,自分の前を歩いていた被告人Cが「馬鹿野郎。」と言った,石段の上り口付近でH4と一緒になりH4の連れも1人いたように思う,このときH4とはr駅から一緒だったわけではないなどと供述し,この日H4と出会った経緯について従前の供述を変更している。そして,H5は,同じく証人として出廷し - 33 -た確定控訴審(昭和47年8月29日第11回公判。なお,この時点では同人の姓は「H9」に変更されているが,便宜従前のまま「H5」と呼称する。)においては,前記確定一審で証言した内容に特に間違っている点はないとして,自分の前を歩いていた被告人Cが石段を上る途中で「馬鹿野郎。」と言って振り向くのを見た,このとき自分はH4と一緒に歩いていたなどと供述するものの,その出来事のあった日付については忘れてしまい覚 て,自分の前を歩いていた被告人Cが石段を上る途中で「馬鹿野郎。」と言って振り向くのを見た,このとき自分はH4と一緒に歩いていたなどと供述するものの,その出来事のあった日付については忘れてしまい覚えていないなどとも供述している。 このように,H5は,石段付近で被告人Cを見かけたのは8月28日である旨概ね一貫して供述するものの,その日石段付近で起こった出来事の内容については供述を二転三転させており,最も初期の供述をした時点でもその出来事の前後からは既に50日以上が経過していたこと等をも併せ勘案すると,供述を始めた当初から,H5の石段の一件に関する記憶は相当程度減退していたものと推察し得る。 もっとも,石段の一件があった日付の点については,H5は,供述を始めた当初から,脱線事故の翌日の出来事として記憶している旨述べているが,出来事の内容についての記憶が大きく減退している中,その日付の点についてのみ果たして正確な記憶を保持し続けることができるのか,相応の疑問をなしとしない。 また,H5は,当初,石段を1人で歩いて上っていた旨述べて,H3やH4の各供述とは齟齬する内容の供述をしていたものの,12月17日に行われた検察官の取調べに際しては,r駅の駅前通りからH4とその連れの男と一緒に歩いていたなどとして,H3やH4の各供述とほぼ一致する内容の供述をし,その後,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)においては,この点再び曖昧な内容に供述を後退させている。このような供述経過もいささか不自然といわざるを得ない。 以上で指摘したところを併せて考察すると,H3,H4及びH5は,供 - 34 -述の初期段階では,8月28日の出来事について,それぞれ相当異なる内容の供述をしていたにもかかわらず,12月17日及び同月27日という近接した時点 ると,H3,H4及びH5は,供 - 34 -述の初期段階では,8月28日の出来事について,それぞれ相当異なる内容の供述をしていたにもかかわらず,12月17日及び同月27日という近接した時点で一旦揃ってほぼ一致する内容の供述をし,その後,証人としての公判廷における供述は再び曖昧なものとなり,或いは,従前と食い違う内容の供述に転じていることが認められる。このような3名の奇妙に酷似した供述経過を横断的にみても,いささか不可解との印象を禁じ得ない。H3が,確定一審(前記第4回公判)における証言に際し,石段の一件の日付につき捜査官から誘導を受けたことを示唆する供述をしていること等にも照らせば,3名の取調べに当たった捜査官による何らかの意図が,前記のような供述経過に一定の影響を与えた可能性もあながち否定できないというべきである。 ウ石段の一件が9月1日の出来事である可能性について弁護人は,石段の一件があったのは,被告人DがL1(以下「L1」という。)に対して恐喝を行うなどした日と同じ9月1日のことであり,H3やH4が石段の一件を8月28日の出来事である旨述べているのは,9月1日の出来事と日付を混同したものである旨主張する。 すなわち,被告人Dは,確定一審(昭和44年5月29日第18回公判)において,9月1日は,我孫子駅でL1を捜しているとき,H3及びH4に会い,3人で成田線に乗り午後7時過ぎころr駅で降りた,後からH10が来て被告人Cにも会った,このとき誰かからL1が自転車でoの方に向かったと聞いたことから,近くを通った自転車を止め,その後ろに乗せてもらいL1を追いかけ,成田街道の駅前通りの手前付近でL1に追いつき,L1から2500円を受け取り(そのうち200円はL1に返したという。),その後H10とK10食堂で 転車を止め,その後ろに乗せてもらいL1を追いかけ,成田街道の駅前通りの手前付近でL1に追いつき,L1から2500円を受け取り(そのうち200円はL1に返したという。),その後H10とK10食堂でビールを飲んだなどと供述し,また,確定一審(昭和45年6月29日第31回公判)で取り調べられた被告人D作成の上申書にも,9月1日午後6時30分ころ我孫子駅へ行き,H3 - 35 -及びH4と会い,午後7時10分ころr駅の駅前広場から,H3,H4,H10とH5もいたように思うが,皆で歩いていくと被告人Cに会った,このとき誰かからL1がoの方に向かって行ったと聞いたので,通りがかりの自転車に乗せてもらいL1を追いかけ,成田街道と駅前通りがぶつかる少し手前で追いつき,L1と話をしていると,H3,H4,H5及び被告人Cが来た,L1から2500円を受け取り,H10と一緒にK10食堂でビールを飲んだなどとして,公判廷における前記供述と同旨の記載がなされている。 また,被告人Cは,確定一審(昭和43年12月9日第15回公判)において,9月1日は午後6時30分ころ我孫子駅で被告人DやH10らと会った,それから列車でrへ行き,成田街道からK1橋の方に入る細い道の辺りにある靴屋の前を通りがかると,靴屋の前で被告人D,L1及びH10の3人が話をしていた,その後L1と話をした際,L1は被告人Dに2500円やったと言っており,被告人Dにたかられた様子だった,石段を勢いよく駆け上がり,通りすがりの男に「威勢がいいな。」と言われ,何だこの野郎と思ったという石段の一件があったのはこの同日のことであるなどと供述している。 そして,H3は,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)において,被告人Dからの質問に答え,石段の一件があったのは被告人Dが恐喝した日である たのはこの同日のことであるなどと供述している。 そして,H3は,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)において,被告人Dからの質問に答え,石段の一件があったのは被告人Dが恐喝した日であるとも供述しており,H4も,証人として出廷した確定一審(前記第6回公判)において,石段の一件があった日に,被告人Dとr駅から一緒に歩いていた際,被告人Dが誰かを追いかけ,自転車に乗った男とその他二,三人の男たちと一緒に靴屋のところにいたので,被告人Dとはそこで別れたなどと供述している。 このように,同日の出来事として被告人両名の述べるところは,概ね相互に一致ないし整合するものであるところ(被告人Dが同日に千葉県東 - 36 -飾郡t町大字r地内丁字路上において,L1から2500円を喝取したことは,本件確定判決においても認定されている事実〔判示第2の8〕である。),その内容は,被告人両名とH3及びH4が出会った状況,これらの者がr駅及び石段周辺にいたと思われる時間帯や出会ったとする人物等について,H3及びH4が8月28日の出来事として供述する内容と非常に類似したものであることが認められる。そして,H3及びH4は,前記のとおり,供述の初期段階から石段の一件の日付に関する記憶が相当曖昧となっていたことが窺われること,H3が石段の一件につき被告人Dが恐喝をした日であるとも供述し,H4も被告人Dが石段の一件の日に誰かを追いかけるなどしていた状況等,被告人Dが9月1日のL1に対する恐喝に関連して供述する状況に沿う内容を供述していること,その他,同日が8月28日と比較的近接していること等をも併せて考えると,H3及びH4が,9月1日の出来事を8月28日のそれと混同して供述した可能性も容易に否定しきれないというべきである。 また,H5について が8月28日と比較的近接していること等をも併せて考えると,H3及びH4が,9月1日の出来事を8月28日のそれと混同して供述した可能性も容易に否定しきれないというべきである。 また,H5についても,前記のとおり,同人が同日の石段付近における出来事の内容について大幅に供述を変遷させていることが認められることからすれば,その日付に関する記憶も確実なものであるのかは疑わしく,H3及びH4と同様に,9月1日の出来事を8月28日の出来事と混同して供述した可能性もあながち否定しきれないところである。 なお,この点,H3,H4及びH5の3名が揃って偶然に9月1日の出来事を8月28日の出来事と混同することは考え難いとの見方もあり得ようが,前記のように,3名の供述がその取調べに当たった捜査官による誘導等,捜査官の何某かの意図に影響を受けていた可能性も窺われることからすれば,結果として3名の供述が一致して日付を混同した供述に至ることもさして想定困難な事態であるとはいえない。 そして,このように仮に日付の点を混同して供述していたものであると - 37 -すれば,石段の一件に関する3名の供述が具体的かつ特徴的な内容で,相応の臨場感を備えていることもむしろ当然のことと理解し得る。 エ小括以上のとおり,H3,H4及びH5の供述には,不自然,不合理な変遷がみられ,そこには捜査官による意図が介在していた可能性も窺われること,3名が異なる日付の出来事を8月28日のものとして混同している具体的な可能性もあることなど,その信用性に疑念を抱かせるべき事情も少なからず存するところであり,他の証拠関係とも総合し,最終的に3名の各供述の信用性を判断するに当たっては,相応に慎重な姿勢でこれに臨むことが求められる。 H2供述につ 疑念を抱かせるべき事情も少なからず存するところであり,他の証拠関係とも総合し,最終的に3名の各供述の信用性を判断するに当たっては,相応に慎重な姿勢でこれに臨むことが求められる。 H2供述についてア H2供述の内容等H2は,8月28日当時r駅の駅員として勤務していたものであるところ,本件強盗殺人の犯行が発覚した同月30日から一貫して,同月28日午後7時過ぎころr駅において被告人Dを目撃した旨供述している。また,H2は,そのように被告人Dを目撃した日付を同日と特定する根拠として,それが脱線事故の翌日であったと記憶していることや,自身の非番の日の前日であったと記憶していること等を挙げて供述する。H2が駅員という職に就いていたことからすれば,脱線事故は,その性質上非常に印象深い出来事であったと容易に推察できようし,その脱線事故の日の翌日がH2の非番の日であったことについては当時の出務表の記載からも客観的に裏付けられるところであるから,H2がこれらと関連付けて前記のとおり日付の記憶を述べている点は,一定の説得力を有するものというべきである。 そうすると,H2供述には相応の信用性が認められるが,他方において,以下のような疑問点も指摘することができる。 - 38 -イ H2供述の変遷H2の最も初期の供述は,警察官作成に係る8月30日付け捜査報告書中に記載があり,同報告書には,同月28日夜から翌29日朝にかけてのr駅の乗降客に関し聞き込みに訪れた警察官に対し,H2が述べた供述として,「8月28日午後7時10分着の下り列車で,以前r駅前をぶらついていたn町uのD20歳位が仲間らしい者3名位で降りた,このDという者は不良で知っており,仲間もチンピラ風だった。」などとの記載がある(なお,弁護人は, 時10分着の下り列車で,以前r駅前をぶらついていたn町uのD20歳位が仲間らしい者3名位で降りた,このDという者は不良で知っており,仲間もチンピラ風だった。」などとの記載がある(なお,弁護人は,種々の論拠を挙げて,同捜査報告書が真に同月30日に作成されたものであるのか,或いはH2がこの日に真に事情聴取を受けたのかにつき疑念を呈している。しかし,H2の10月19日付け警察官調書中には,8月30日にH2方を訪ねて来た警察官に対し供述をした旨の記載があり,この説明は,同日H2が年休を取得していたという客観的な状況とも符合していること等からすれば,同捜査報告書が作成された日付の真偽はともかく,H2が同日警察官からの聴取に応え,前記のような供述をしたこと自体はこれを認めることができる。)。これによれば,H2は,当初,被告人Dが列車から降りる状況を目撃したかのような趣旨の供述をしていたことが窺われるが,10月19日に行われた警察官の取調べにおいては,8月28日午後7時10分着の下り列車が到着後出発してから,被告人Dがr駅玄関脇のポストの辺りに2人か3人で立ち話をしていたのを目撃した,列車が着く前には被告人Dらはいなかったので,その列車で降りたと思ったなどと述べており,この点,若干供述のニュアンスを変容させているようにも思われる。また,H2は,同取調べに際し,前記供述に加え,被告人Dと一緒にいたチンピラ風の男の1人が「殺しちゃうぞ。」などと言うのを聞いたなどとも供述しているが,前記捜査報告書中にはH2のそのような供述を窺わせる記載はなく,仮に,40日以上が経過してこのような記憶が喚起されたのであるとすれば,その理由は明 - 39 -らかではない。そして,H2は,11月20日に行われた検察官の取調べにおいては,脱線事故がその当日である8月2 上が経過してこのような記憶が喚起されたのであるとすれば,その理由は明 - 39 -らかではない。そして,H2は,11月20日に行われた検察官の取調べにおいては,脱線事故がその当日である8月27日及び翌28日の職務に与えた影響等を説明した上,同日夕方の出来事で記憶があるなどとして,同日午後7時5分r駅着の我孫子発成田行き列車の乗客が下車した後,被告人Dが駅正面入口の外のベンチに腰掛けているのを見た,被告人Dはチンピラ風の若い男2人と一緒にいたなどと供述しており,被告人Dを目撃した際の具体的な状況についても,その供述には変容が認められる。その後,H2は,11月30日に行われた検察官の取調べにおいて,当時の出務表に基づき,8月28日前後の自身の勤務状況を詳細に説明した上,それに照らして被告人Dを目撃したのは同日で間違いないと思われる旨供述し,また,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)においては,脱線事故の翌日である同日の午後7時過ぎころ,r駅において被告人Dを目撃した,被告人Dが改札口を出て左側の郵便ポストのところのベンチ式の腰掛けに腰を掛けていたのを駅長室から窓越しに見たなどと供述している。 このように,H2供述は,同日にr駅で被告人Dを目撃したとする点では一貫しているものの,目撃した際の被告人Dの具体的な姿勢や挙動等の詳細については,その供述が必ずしも一貫しているとはいい難い。 また,H2は,被告人Dを目撃した日付が同日であると特定する理由につき,脱線事故の翌日で,自身の非番の日の前日であったことを挙げているが,このように脱線事故に関連付けた説明を始めたのは11月20日以降であり,自身の勤務日程に関連付けた説明は同月30日になって初めて付け加えられた説明である。H2が,実際に,これらのこととの関連で8月28日に被 脱線事故に関連付けた説明を始めたのは11月20日以降であり,自身の勤務日程に関連付けた説明は同月30日になって初めて付け加えられた説明である。H2が,実際に,これらのこととの関連で8月28日に被告人Dを目撃したとの記憶を保持していたのであれば,何故より早期の段階でその旨の説明をしていないのか若干の疑問もなしとしない。 - 40 -ウ観察の意識性等についてH2が,被告人Dについて,いわゆる不良者で,無札(H2の供述によれば,本当は違う駅から乗車しているにもかかわらず,r駅の隣の無人駅から乗車した旨嘘を言い,r駅で最低料金のみを支払って精算する行為を指す。)をすることもしばしばあった旨述べているように,被告人Dはr駅においても相当に目立った存在であったと思われるのであるから,被告人Dの行動についてはそれ相当に強くH2の記憶に印象付けられたのではないかとも推察し得る。 しかし,他方で,被告人Dは日常的にr駅を利用していたもので,当然,H2は,8月28日以外にもr駅でしばしば被告人Dの姿を見かけていたのであって,また,H2供述中にある同日の被告人Dのr駅における行動は,駅前で仲間と思われる男らと話をしていたなどという,それ自体はある意味では日常的な光景に過ぎず,特別の関心や注意をひくものではなかったともいえること等からすれば,同日そのような状況を目撃した旨のH2供述が必ずしも意識的な観察に基づく明確な記憶を述べるものであるとまではいいきれない。 エ H2が被告人Dを目撃したのが8月25日である可能性弁護人は,被告人DやH11の供述からすれば,H2がr駅において前記のとおり述べるような状況で被告人Dを目撃したのは8月25日の出来事であったと考えられるから,H2は,これを同月28日の出来事と混同して は,被告人DやH11の供述からすれば,H2がr駅において前記のとおり述べるような状況で被告人Dを目撃したのは8月25日の出来事であったと考えられるから,H2は,これを同月28日の出来事と混同して供述している旨主張する。 すなわち,被告人Dは,確定一審(昭和44年5月29日第18回公判)において,8月25日午後7時5分ころ,被告人Cの兄H12(以下「H12」という。)と一緒にr駅で下車し,駅前のK10食堂で酒を飲み,r駅に戻ると,H11が下り列車から降りてきたので,駅前のベンチに座って3人で話をしていたところ,駅前のクリーニング屋のH13ら知人と - 41 -も出会い,結局,H12,H11,前記H13の4人で(千葉県印旛郡v町)wに向かい,同日午後9時ころバーに入ったなどと供述する。また,H11は,10月16日に行われた警察官の取調べにおいて,8月25日午後8時ころ,我孫子駅で被告人D及びH12に会い,同日午後8時40分か45分ころ,2人と一緒にr駅で降りて,駅前のK10食堂で30分くらい酒を飲み,その後3人でr駅の方に歩いていくと,駅前の広場にK11クリーニングの主人がいて飲みに誘われた,その後午後9時30分ころw町のバーに行ったなどと供述し,証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)においても,被告人Dの質問に答え,同日に被告人Dと一緒にr駅前にいた旨を述べ,大筋において被告人Dの前記公判供述に沿う内容を供述する。 そして,r駅における当時の出務表及びH2の供述によれば,H2は,同日及び同月28日が徹夜勤務で,いずれもその翌日が非番であったことが認められる。被告人D及びH11の前記各供述に加え,かかるH2の勤務状況にも照らすと,H2が,同月25日夜,r駅前周辺で被告人DがH12,H11,前記H13らと話をしている光景を 非番であったことが認められる。被告人D及びH11の前記各供述に加え,かかるH2の勤務状況にも照らすと,H2が,同月25日夜,r駅前周辺で被告人DがH12,H11,前記H13らと話をしている光景を目撃していた可能性があることも否定することはできず,その光景は,時間帯や被告人Dとその仲間らが駅前のベンチ付近で話をしていたなどという点で,H2が前記のとおり述べるところの同月28日の目撃状況と少なからず類似したものであること,その他,同日が同月25日と比較的近接していること等をも併せ考慮すれば,もとより可能性としての範疇に留まるとはいえ,H2が同日に目撃した光景を同月28日に目撃したそれとして記憶を混同しているのではないかとの推論も十分成り立ち得るところである。 オ小括以上のとおり,H2供述には,本件強盗殺人の事件発生直後から8月28日のr駅における被告人Dの目撃状況を供述していること,その日付に - 42 -ついて脱線事故や勤務日程等,自己の職務に強く影響する客観的な出来事と関連させて説明していること,その他,被告人DがH2にとって印象に残りやすい人物であったことが窺われることなど,その信用性を肯定すべき事情も少なくない。 もっとも,他方で,必ずしも内容に一貫しない面も見受けられないわけではないこと,日付の記憶の根拠とする脱線事故や自身の勤務日程との関係が供述の初期段階では言及されていないこと,他の日付の出来事を同日のものと混同している具体的な可能性もなしとはしないことなど,その信用性に一定の疑念を差し挟むべき事情も認められる。 H2供述については,これら両面の事情を踏まえ,他の証拠関係とも総合して適切にその証拠評価を行う必要がある。 H1供述についてア H1供述の内容等H1は,捜査 情も認められる。 H2供述については,これら両面の事情を踏まえ,他の証拠関係とも総合して適切にその証拠評価を行う必要がある。 H1供述についてア H1供述の内容等H1は,捜査段階から確定一審に至るまで一貫して,8月28日我孫子駅のホームで,午後6時47分発成田行き下り列車の発車前に,ホームに立っていた被告人Dが同列車内の座席に座っていた被告人Cと窓越しに立ち話をしているのを見かけたことがあり,被告人Dには「こんばんは。」と声をかけ,これに被告人Dが「おう。」などと応じて挨拶を交わした旨供述している。そして,それが同日の出来事であることについては,10月23日に行われた警察官の取調べ,11月20日,12月17日に行われた検察官の取調べ,さらには証人として出廷した確定一審(前記第4回公判)を通じ,脱線事故の翌日で,当日の朝の成田線が混乱しており,会社の車を手配してもらい出勤するなどしたことから,その日の夜の出来事として記憶がある旨を説明し,また,10月23日に行われた警察官の取調べに際しては,これに加えて,帰宅時に日ごろは一緒に帰宅していた知人が残業で一緒に帰ることができなかったので,その日の出来事として記 - 43 -憶しているなどとの説明も付加していたものである。 このように,H1が供述するところには一貫性が認められるが,他方で,その供述の内容は,要するに,いつものように帰宅する途中,たまたま我孫子駅で被告人両名を見かけ挨拶程度の言葉を交わしたというに過ぎず,その光景も停車中の列車内に座っていた被告人Cとホームにいた被告人Dが向かい合い,話をしていたなどという日常的な光景であって,H1にとって,その記憶に特に深い印象を残すような特異な出来事であったとはいい難い。そうすると,その当日から50日以上が経過し いた被告人Dが向かい合い,話をしていたなどという日常的な光景であって,H1にとって,その記憶に特に深い印象を残すような特異な出来事であったとはいい難い。そうすると,その当日から50日以上が経過した同日の時点で初めて警察官から事情を聞かれ,その日付の点についてまで正確な記憶を直ちに喚起し得るものであるかには,若干の疑問もなしとしない。 また,H1は,8月27日の脱線事故に関連して記憶を保持していたなどと説明するものの,その供述を精査しても,H1が同月28日の帰宅時に脱線事故の影響により普段と異なる特異な状況を経験したことは特には認められないことや,最も初期の供述において,その日いつも一緒に帰宅していた知人が残業で一緒に帰宅しなかったことについても日付を特定する根拠の一つに挙げていながら,その後の供述では一切この点には触れておらず,かかる供述経過にも若干の疑問がないではないこと等にも照らせば,H1供述について,直ちにその信用性が高いとまで評価することはできない。 イ H1が我孫子駅で被告人両名を目撃したのが8月31日である可能性弁護人は,被告人Dの供述等からすれば,H1が我孫子駅において被告人両名を目撃したのは8月31日である可能性が極めて高いと主張する。 この点,被告人Dは,確定一審(前記第18回公判)において,同日の出来事として,午後5時55分ころ我孫子駅に着き,L1を捜すために午後6時1分発の列車を見送った,次の列車が到着したのでL1を見つけようとホームを歩いていると,同列車に被告人Cが乗っていた,被告人Cと - 44 -話しているときH1が通りがかり「こんばんは。」と言った,結局,この列車には乗らず,次の午後7時30分発の列車に乗ってr駅まで行ったなどと供述し,被告人D作成の前記上申書にも同旨の記載がある。 -話しているときH1が通りがかり「こんばんは。」と言った,結局,この列車には乗らず,次の午後7時30分発の列車に乗ってr駅まで行ったなどと供述し,被告人D作成の前記上申書にも同旨の記載がある。 かかる被告人Dの供述は,被告人Cの供述とも整合するもので,その内容自体に特段不自然,不合理な点はなく,少なくともH1供述と同程度の具体性を有しており,直ちにその信用性を否定することはできない。そうすると,被告人Dの前記供述に係る光景とH1供述中のそれとには多々類似点があることや,同日と同月28日とが比較的近接した日付であること等からすれば,H1が同月31日の出来事を同月28日のそれと混同して供述している可能性もあながち否定することはできないように思われる。 ウ小括以上のとおり,H1供述は,供述の初期段階から概ね一貫しているものの,日付を特定する根拠の説明の経緯には若干疑問もないではないこと,そもそも,H1が目撃したという光景が余りに日常的でとりとめのないものであったことからすれば,50日以上が経過した時点で,その日付の点を含め明確に記憶を保持しているということ自体にも若干の疑問が残ること,さらには,H1が他の日付の出来事を8月28日のものであると混同している具体的な可能性もあながち否定できないこと等の事情を勘案すると,他の証拠関係とも総合し,最終的にH1供述の信用性を判断するに当たっては,相応に慎重な姿勢でこれに臨むことが求められる。 4 H7供述について H7供述の内容と弁護人の主張等H7は,本件強盗殺人の発覚直後から,8月28日夜,E方前において2人連れの男を目撃したなどとして,その際の状況を供述しており,かかるH7供述が,H6供述を直接弾劾し,或いはその間接証拠ないし補強証拠としての価値を相応に減殺 後から,8月28日夜,E方前において2人連れの男を目撃したなどとして,その際の状況を供述しており,かかるH7供述が,H6供述を直接弾劾し,或いはその間接証拠ないし補強証拠としての価値を相応に減殺する可能性を有する証拠として位置付けられること - 45 -については既に述べたとおりである。 弁護人は,信用性の高いというべきH7の初期供述によれば,H7が目撃した旨述べる男が被告人Dでないことは明らかであるから,かかるH7の初期供述はH6供述に対する弾劾的効果を有する旨主張しており,ここで弁護人が念頭に置くH7の初期供述とは,H7の同月30日及び10月16日に警察官に対して述べた各供述を指すと思われるところ,その要旨は以下のようなものである。 すなわち,警察官作成に係る8月31日付け捜査報告書中には,同月30日H7が事情を問われて供述した内容として,概要,同月28日午後7時30分ころ,Eに大工仕事を頼もうと思い,E方前に行ったところ,玄関ガラス戸前に年齢20歳くらい,やせ形,身長1.64メートルくらい,濃紺色のレース編みの半袖シャツ,黒っぽいズボンで,見たような感じだがどこの誰だかは分からないoの者ではない男が立っており,奥のガラス戸のところで知らない男がEと話をしていたなどとの趣旨が記載されている。また,H7は,10月16日に行われた警察官の取調べに際し,8月28日午後7時ないしその少し前ころ,知人方へ行くため自転車に乗って自宅を出た,途中,E方に寄って大工仕事を頼もうかと思ったが,E方玄関の西角のところに男が立っており,E方勝手口のガラス戸のところで別の男がEと向き合い何かを喋っていたので,結局E方には寄らなかった,E方前を通ったのは午後7時5分ころから午後7時20分ころまでの間だと思う,このときE方玄関の西角に 方勝手口のガラス戸のところで別の男がEと向き合い何かを喋っていたので,結局E方には寄らなかった,E方前を通ったのは午後7時5分ころから午後7時20分ころまでの間だと思う,このときE方玄関の西角に道を向いて立っていた男は,年齢二十二,三歳くらい,丈5尺四,五寸(約163.6センチメートルから166.7センチメートル)くらい,中肉で面長,あごがこけており眼鏡はかけておらず,頭の毛は前側が1寸(約3.03センチメートル)くらいの長さに伸びていて最近床屋にかかったような様子ではなく,服装は黒っぽいレース編みのシャツを着ていると思った,Eと話していたもう一人の男は,道を背にしていたので,その顔立ちや服装 - 46 -等は覚えていないなどと供述している(以下,H7のこれらの各供述を総称して「H7の初期供述」という。)。 かかるH7の初期供述のうち,E方前を通りがかった際に2人連れの男を目撃したとする点については,その後の供述においても概ね一貫しており,H7の子であるH14(以下「H14」という。)の供述とも整合するものであるから,少なくともこの限りでは信用性を肯定することができ,H7が,同日の夜,E方前において2人連れの男を目撃したこと,それ自体はこれを前提として良いように思われる。 そして,H7の初期供述中にあるE方玄関前西角付近に立っていた男(以下「西角の男」という。)に関する前記のような特徴は,被告人D本人や被告人Cが本件当時の被告人Dの容姿や着衣等として供述するところ,すなわち,年齢21歳,身長1メートル80センチ,がっちり,顔は卵形で,左目と口元に小さい傷があり,頭髪は5分(約1.5センチメートル。ただし,この5分が5分刈りのことを指すとするともう少し短くなる。)より少し長めの坊主刈り,服装は,肌色の荒っぽい編み目 顔は卵形で,左目と口元に小さい傷があり,頭髪は5分(約1.5センチメートル。ただし,この5分が5分刈りのことを指すとするともう少し短くなる。)より少し長めの坊主刈り,服装は,肌色の荒っぽい編み目の半袖スポーツシャツにカーキ色ダブル裾のズボン,こげ茶色の革にエナメルを塗った雪駄(鼻緒は同じ色の鹿のセーム革で作ったもの)というものとは,相当に異なっている。また,被告人C本人や被告人Dが本件当時の被告人Cの容姿や着衣等として供述するところ,すなわち,年齢20歳,身長1メートル59センチ,小太り,面長の顔で,色浅黒,頭髪は角刈り,服装は,黄色の半袖オープンシャツに灰色のズボン,茶色の短靴というものとも異なっている。 そこで,以下,H7供述の信用性について検討する。 検討ア確定審に至るまでの供述経過 西角の男についてH7供述は,H7が8月28日夜にE方前付近で目撃したとする2名 - 47 -の男,とりわけ西角の男の特徴について述べる部分にその核心があるところ,この点,H7の初期供述中,同月30日に警察官からの聴取に応じて供述した内容と,その後10月16日に警察官に対して供述した内容とは,その年齢の点で若干の食い違いはあるものの,相互に特段の齟齬は認められない。 ところが,その後,H7は,同月31日に行われた警察官の取調べにおいて,西角の男について,20歳から30歳くらいまでの若い人のような感じで,身体は痩せ型で,背の高さは,自分より一尺(約33.3センチメートル)くらい高いと思った,自分の身長は1メートル47センチくらいである,黒っぽい網の目の半袖シャツに黒っぽいズボンのように感じたなどと供述し,さらに11月8日に行われた検察官の取調べにおいては,同じ西角の男について,辺りは暗く自 長は1メートル47センチくらいである,黒っぽい網の目の半袖シャツに黒っぽいズボンのように感じたなどと供述し,さらに11月8日に行われた検察官の取調べにおいては,同じ西角の男について,辺りは暗く自分の自転車は無灯火だったので顔形ははっきり分からないが,私より一尺くらい背が高いと思った,着ていたものはレース織りのような開襟シャツのようであったなどと供述しており,その内容は,H7の初期供述よりもその男の身長が高いものであるように変遷しているところ,その理由については特段の説明は付されていない。 また,H7は,同日に行われた検察官の取調べに際し,西角の男の様子について,何かを待っている様子で退屈そうであり長く待たせるなあという態度であったなどとも供述し,これまでの説明にはない新たな事実を付加しており,さらに,12月16日に行われた検察官の取調べにおいては,西角の男について,どこかで見たような人だと思ったが,体つきは大柄とは感じなかった,まあ普通に思ったなどと述べ,その特徴につきやや曖昧な供述をする一方,その際のその男の様子については,E方の前の通りの向かい側の家にまっすぐ向いていたのではなく,私から見ると斜め左向きのような具合だったが,自分が気が付いたのと同時 - 48 -くらいにその男は顔を奥の立ち話の方にひょいと向けた,奥の話がいつまでも続いて待たされて嫌になっているという風に感じたなどと供述し,11月8日における前記供述よりも更に詳細な説明を付加している。 何故その各時点においてこのような記憶を喚起することができたのかは必ずしも明らかではない。 Eと立ち話をしていた男について一方,E方勝手口のガラス戸付近でEと立ち話をしていたという男については,H7は,前記11月8日に行われた検察官の取調べに際し,「若い人」などと形 ではない。 Eと立ち話をしていた男について一方,E方勝手口のガラス戸付近でEと立ち話をしていたという男については,H7は,前記11月8日に行われた検察官の取調べに際し,「若い人」などと形容しているほかは,その人相や服装等の特徴につき全く分からない旨一貫して供述している。 もっとも,この男とEとの位置関係についてH7の述べるところに目を向けると,H7は,10月16日に行われた警察官の取調べにおいて,男がE方東側勝手口の軒下にある石台(踏み石)の上に立っていた旨一旦供述した後,或いはEが石台(踏み石)の上にいて男が地面に立っていたのかもしれないなどとしてすぐさまその供述を訂正した上,後者の説明に沿う内容の図面を作成するなどしたもので,このとき既に,男の立ち位置に関するH7の記憶には多少の混乱が生じていた様子が見受けられる。そして,H7は,同月31日に行われた警察官の取調べにおいても,男がEの家の奥の軒下手前のところに立っていたなどとして,必ずしも趣旨が明確ではないとはいえ,前記同月16日における供述と必ずしも異ならない内容の供述をしていたものの,その後,11月8日に行われた検察官の取調べに至ると,10月16日に提出した前記図面は記憶違いで,このときEは勝手口の踏み石の上にいたのではなく,ガラス戸を開けて敷居の上に立っていた,Eと話をしていた男は踏み石の上には乗っていなかったなどと断定的に供述し,改めてこの説明に沿う図面を作成している。この点,それまで曖昧だった記憶を何故このとき - 49 -喚起することができたのか,その理由については全く説明されていない。 さらに,H7は,この点,12月16日に行われた検察官の取調べに際しては,勝手場のガラス戸の向かって左側の戸が開いてEは左手の柱に片手をかけて立ち,上り口の石台(踏み石 いては全く説明されていない。 さらに,H7は,この点,12月16日に行われた検察官の取調べに際しては,勝手場のガラス戸の向かって左側の戸が開いてEは左手の柱に片手をかけて立ち,上り口の石台(踏み石)の上だったか下だったかに男が立っていたなどとして,再びやや曖昧な内容へと供述を後退させている。 E方前を通りがかった時刻等についてまた,H7がE方前を通りがかった時刻についてみると,H7の初期供述に限っても,午後7時30分ころとしたり,午後7時5分ころから午後7時20分ころまでの間とするなど,H7の供述は必ずしも安定していない。そして,H7は,10月31日に行われた警察官の取調べにおいては,自宅を出たのは前に説明した時刻よりずっと遅くなっていたことは確かであるなどとして,E方前を通りがかった時刻について従前の説明を訂正する趣旨の供述をし,その後,11月8日に行われた検察官の取調べにおいては,E方前を通ったのは午後7時二十四,五分だったと思う旨供述するなど,更に変遷を重ねている。 そのほか,H7が,自宅を出てからE方前を通りがかるまでの経緯等についても,H7の述べるところには若干の変遷がみられる。 小括H7の確定審に至るまでの供述経過については,概ね以上のような点を指摘することができる。 ところで,H7は,その初期供述の段階から一貫して,この日は,大工仕事を頼むためE方に寄ろうと思っていたが,E方前に2人の男がいるのが見えたので寄らずにそのまま通り過ぎたなどと述べており,かかる供述は,E方前にいた2人の男に対するH7の観察の意識性を窺わせる。そして,H7が,その初期供述にあるように,西角の男について, - 50 -その服装や頭髪の状態等,相当詳細にわたり識別した旨述べていることは,そうした観察の意識性と符合し,これを裏 窺わせる。そして,H7が,その初期供述にあるように,西角の男について, - 50 -その服装や頭髪の状態等,相当詳細にわたり識別した旨述べていることは,そうした観察の意識性と符合し,これを裏付けるようにも思われる。 しかし,H7が,そのような意識的な観察に基づく確実な記憶の下に,E方前で目撃した状況を供述したというのであれば,他面において,西角の男の特徴やEと立ち話をしていた男とEとの位置関係等を巡り,前記のとおり,本件強盗殺人発生直後から繰り返し捜査官に事情を聞かれ,その都度記憶を喚起する機会を持ちながら,何故2か月余りという比較的短期間のうちに供述の変遷を繰り返したのか,少なからず疑問が残るといわざるを得ない。かかる変遷については,一部記憶の減退による影響とも考える余地がないわけではないものの,前記のとおり,逆に,西角の男の様子やEと立ち話をしていた男の立ち位置等,供述が詳細化ないし明確化している箇所も存在し,H7供述の変遷に合理的な理由を見出すことは困難である。そして,これらの変遷は,H7供述の核心部分に関わるものであって,もとよりこれを些末なものとして軽視することはできない。 そうすると,H7供述に関し,前記のような観察の意識性をどこまで強調し得るかについてはいささかの疑問をなしとしない(この点については後に更に詳述する。)。加えて,H7が,前記のとおり,E方前を通りがかった時刻等についても供述を変遷させていることにも照らせば,H7のこの日の目撃状況に関する記憶には,全体として相当に曖昧なものがあるのではないかとの推認も働き得るところである。 なお,弁護人は,10月31日以降のH7供述は捜査官の意図的な誘導によるもので,結果として供述の内容が歪められ,変遷が生じたなどという。この点,確かに,同日及び11月8日に行 き得るところである。 なお,弁護人は,10月31日以降のH7供述は捜査官の意図的な誘導によるもので,結果として供述の内容が歪められ,変遷が生じたなどという。この点,確かに,同日及び11月8日に行われた各取調べの段階で,H7が,西角の男の身長について,背の大きい人だったとか自分より1尺くらい高かった(約180センチメートルと解される。)など - 51 -として,突如,本件当時の被告人Dの身長に沿った内容へと供述を変更していることからすれば,捜査官による何らかの誘導があったことも疑われる。 しかしながら,捜査官による恣意的な誘導を前提とするならば,10月31日に行われた取調べにおいて,西角の男の年齢について,従前から被告人Dのそれと合致する内容を述べていたはずのH7の供述が,わざわざ「20歳から30歳くらい」などとして,幅のある表現に変更されていることはいささか不可解であるし,その男の身長を除く体つき等に関し,「痩せ型」などとして必ずしも被告人Dの特徴とは合致しない内容の説明が加えられている点にも疑問が残る。また,11月8日に行われた取調べにおいても,その男の身長以外の特徴に関するH7の供述が,極めて曖昧な内容に留まっていることについても同様の疑問を提起し得る。さらに,H7は,12月16日に行われた取調べに際しては,その男の体つきは大柄とは感じなかったなどと供述しているところ,捜査官の恣意的な誘導が介在したことを前提とするならば,このとき何故,捜査官が,被告人Dの顕著な特徴というべきその身長の点について,被告人Dのそれに合致する内容に既に誘導していたはずの従前の供述をなお維持させようとしなかったのか,非常に不可解というほかない。 これらに加え,証人として出廷した本再審公判におけるH7の供述からも,かつて捜査官から前記のような 既に誘導していたはずの従前の供述をなお維持させようとしなかったのか,非常に不可解というほかない。 これらに加え,証人として出廷した本再審公判におけるH7の供述からも,かつて捜査官から前記のような誘導を受けるなどしたことを窺わせる事情は特には見当たらず,そのほか,この後指摘するその他のH7の供述内容,殊に,第2次再審請求審段階以降のH7供述の特異性等をも踏まえれば,H7供述の前記のような変遷について,これを捜査官による誘導という観点からのみ説明することは困難なように思われる。 イその他の供述内容 E方前で目撃した男によく似た男に出会ったという供述 - 52 -警察官作成に係る9月5日付け捜査報告書中には,警察官が同日ころH7から聴取した内容として,H7が,同月3日,列車の中でE方の軒下にいた男によく似た男と乗り合わせ,顔型,体つき,体の大きさからそっくりだったのでこの男のたばこの吸い殻を拾ってこようかと思った,現場にいた男は温和しい感じであったが,この男は目が一寸きつく,額が広かった,また,この男は右手が義手だったなどと供述していた旨の記載がある。 この点,H7が目撃した2人の男のうちどちらを対象にかかる供述をしているのかは必ずしも明らかではないものの,H7が,前記10月16日に行われた警察官の取調べに際し,「(西角の男とは別の)もう1人の男がEさんの東側の勝手の出入口の軒下にある上台の上に立って」いた旨述べていたことと対照すると,9月5日ころ警察官に述べた前記「被害者方軒下に居た男」とは,Eと立ち話をしていた男を指しているものとも解されるところ,そうであるとすれば,かかる供述は,その余の場面で,Eと立ち話をしていた男の容姿はよく分からない旨述べていることと明らかに矛盾する内容であって,若干の疑問が残 男を指しているものとも解されるところ,そうであるとすれば,かかる供述は,その余の場面で,Eと立ち話をしていた男の容姿はよく分からない旨述べていることと明らかに矛盾する内容であって,若干の疑問が残る。 なお,検察官は,右手が義手という顕著な特徴について,H7が,10月16日以降の供述の中で,この点に触れていないことを捉えて疑念を呈し,このような出来事自体ができ過ぎた話で唐突感を否めないなどとも指摘して,H7供述全体の信用性を論難する。しかし,かかる出来事自体が直ちに不自然であるなどとの評価は必ずしも妥当しないし,H7は,E方前で目撃した男とよく似た男を別の機会に目撃し,そのよく似た男の特徴として右手が義手であった旨を述べているに過ぎず,E方前で目撃した男の特徴として右手が義手であったとしているわけではないから,その後同日以降の供述中に,E方前で目撃した男の特徴として右手が義手である点が挙げられていないことはむしろ当然のことで - 53 -あり,列車の中で出会ったというよく似た男について,その後の取調べ等の機会に改めて供述をした形跡がないことも特に不自然であるとはいえず,検察官の前記指摘は当たらない。 西角の男がH15であったとする供述H7は,第2次再審請求審段階に至って,本件強盗殺人の事件発生から36年以上が経過した平成16年7月及び平成17年4月の2回にわたり,弁護人に対し,E方前の道路脇に立っていた男(西角の男)は被告人Dではなく,近所の住人であるH15(以下「H15」という。)であったなどと供述し,証人として出廷した本再審公判においても殊の外明確かつ断定的に同旨の供述をする。 弁護人は,かかるH7の供述について,記憶の混乱によるものなどと総括する。 しかしながら,H7は,本再審公判において,8 して出廷した本再審公判においても殊の外明確かつ断定的に同旨の供述をする。 弁護人は,かかるH7の供述について,記憶の混乱によるものなどと総括する。 しかしながら,H7は,本再審公判において,8月28日にE方前を通りがかった当初から西角の男はH15であると分かっていたが,H15の家が近所だったため名前を出すのが悪いと思い捜査官には言わなかったなどと明言して憚らない。H7は,本件強盗殺人発覚直後から捜査官による聞き込みを受け,その後も繰り返し取調べ等を受ける中で,自己が目撃した男が本件強盗殺人の関係者であるかもしれないということを認識し,自己の供述の重要性についてはある程度理解するところであったと推認され(前記のとおり,列車内でE方軒下にいた男と似た男を見かけた際,その男の吸い殻を拾ってこようかと思ったなどと供述していたことからも,H7が自身の供述の重要性を認識していたことが窺われる。),しかも,被告人両名が本件強盗殺人の容疑者として逮捕されていることも十分認識していたにもかかわらず,H15が近所の住人であるとの理由のみで,何故,知人であった被告人Dを犠牲にしてまでH15をかばう必要があったのか,その真意は全く明らかではない。 - 54 -仮に,H7が,本再審公判で述べるように,真に,当初から西角の男がH15であると認識していたというのであれば,H7は捜査段階において自己の認識した内容を殊更に隠し,或いは虚偽の供述をしていたということになり,H7の供述はその初期供述を含め全く信頼の置けないものであったと帰結せざるを得ない。また,他方で,H7が,当初はその男をH15であるとは認識していなかったと仮定しても,長い年月が経過した現段階に至って事件当時の認識とは全く異なる内容の供述を,それが事件当時からの記憶であるとして,当時は供 で,H7が,当初はその男をH15であるとは認識していなかったと仮定しても,長い年月が経過した現段階に至って事件当時の認識とは全く異なる内容の供述を,それが事件当時からの記憶であるとして,当時は供述できなかったという理由まで付していささかの躊躇もなく述べるその供述態度自体,H7供述の信用性に重大な疑問を投げ掛けるものである。 いずれにしても,H7の前記供述を,記憶の混乱によるものなどとして済ませることはできず,かかる供述の存在は,H7供述全体の信用性を大きく減殺するものといわざるを得ない。 ウ観察(視認)条件等についてH7は,その供述によれば,8月28日夜,無灯火の自転車で走行しながらE方前を通りがかった際,2人の男を目撃したというのである。 H7がE方前を通過したと思われる時刻は,H6のそれと近接しているところ,かかる時間帯のE方前の明るさ等の状況については,H6供述に係る検討で既に指摘したとおりであり,自転車に乗った状態で2人の男を識別するに当たり,客観的には,もとより良好な視認条件が備わっていたとはいい難い。この点,バイクに乗り時速30キロメートル程度の速度でE方前を通りがかったH6のそれと比較すれば,やや条件の良いものであったとの見方もできようが,H7の乗った自転車が無灯火の状態であったことをも勘案すると,その差はまさに微々たる程度の差に過ぎない。 また,前記のとおり,H7は,その初期供述の段階から一貫して,この日は,大工仕事を頼むためE方に寄ろうと思っていたが,E方前に2人の - 55 -男がいるのが見えたので寄らずにそのまま通り過ぎたなどと述べており,かかる供述は,E方前にいた2人の男に対するH7の観察の意識性を窺わせる。 しかし,H7の重立った供述経過等に照らし,かかる観察の意識性をどこまで強 で寄らずにそのまま通り過ぎたなどと述べており,かかる供述は,E方前にいた2人の男に対するH7の観察の意識性を窺わせる。 しかし,H7の重立った供述経過等に照らし,かかる観察の意識性をどこまで強調し得るかについていささか疑問の残るところであることは既に指摘したとおりである上,さらに,H7が,E方前を普通の速さで通り過ぎたなどとも供述し,E方前で自転車の速度を落としたなどとの形跡は特には窺われないこと,しかも,このとき,H7は,E方前に2人の男が立っているのが見えたのでE方に寄るのをやめてそのまま走り去ったというに過ぎないのであるから,2人の男が立っているという状況を確認すれば,H7にとって,それ以上に更にその詳細を注意深く観察すべき必要も特にはなかったと思われること,H7自身,その男が誰だろうと考え続けて走っていったわけではないなどとして,それほど深く気には留めていなかったとも思われる趣旨の供述もしていることなど,諸般の事情を総合すると,H7の観察の意識性については,さして重視することはできないように思われる。 H7供述に対する評価以上のとおり,H7供述は,その核心部分にもわたる変遷が認められるほか,その内容にも特異かつ不可解な部分があり,視認状況も特段良好であったとはいえないことなど,その信用性を判断するに当たり容易に看過し難い問題が少なからず存するところであり,結局,これを全面的に信用することには一定の躊躇を覚えざるを得ない。 なお,弁護人は,H7とH14の各初期供述が符合していることも,H7供述の信用性を肯定すべき要素として指摘しているところ,確かに,H14供述は,8月28日夜,E方前で2人連れの男を目撃したなどとする点でH7供述と符合しており,その信用性自体をたやすく否定することはできない - 56 - 素として指摘しているところ,確かに,H14供述は,8月28日夜,E方前で2人連れの男を目撃したなどとする点でH7供述と符合しており,その信用性自体をたやすく否定することはできない - 56 -ように思われる。しかし,H14が,E方前で目撃した男について述べるところは甚だ大まかな内容に留まるもので,それとの符合をもって,H7供述の信用性が支えられるものであるとも評価し難い。 したがって,H7供述は,H6供述を直接弾劾し,或いはその間接証拠ないし補強証拠としての価値を減殺する効果を何らもたらすものではない。 5 一連の各目撃供述に対する評価 一連の各目撃供述の信用性等以上,検討してきたところを総合し,一連の各目撃供述の信用性について検討する。 前記のとおり,一連の各目撃供述のうち,本件において最も重要な証拠価値を持ち得る証拠として位置付けられるのはH6供述であるところ,H6供述が,H7供述によってその信用性が弾劾されたり,その間接証拠ないし補強証拠としての価値が減殺されたりする関係にないことは既に述べたとおりであるものの,H6供述をそれ自体としてみても,その供述経過や,供述内容,その他客観的な視認条件等の諸点において,その信用性を肯定することには慎重とならざるを得ない事情が多々存するところである。 そして,石段の一件に関するH3,H4及びH5の各供述についても,前記のとおり,その信用性を肯定することには慎重となるべき事情が多々内包されているといわざるを得ないから,H6供述が,これら3名の供述との間で互いにその信用性を高め合うような関係にないことは明らかである。 この点は,H1供述についても同様であり,もとよりこれがH6供述やH3,H4及びH5の各供述とそれぞれ相互に信用性を高め合うよ 互いにその信用性を高め合うような関係にないことは明らかである。 この点は,H1供述についても同様であり,もとよりこれがH6供述やH3,H4及びH5の各供述とそれぞれ相互に信用性を高め合うような関係にないこともまた明らかである。 他方,H2供述については,本件強盗殺人発生後,比較的早い段階から被告人Dの目撃状況を供述していること,脱線事故や自身の勤務状況等,客観的な事実に関連付けた形で目撃した日付を特定している上,H2がr駅の駅 - 57 -員として勤務していたという特殊な立場からして,脱線事故等の事情は,他の供述者に比して格段に重要で印象的な出来事であったと推察できること等からすれば,それ自体として,一概にその信用性を否定することはできないように思われる。しかし,その余の者の各供述がH2供述の信用性を支えるような関係にないことは明らかである上,逆に,H2供述についても,前記のとおり,一面で,日付の異なる出来事と混同した結果の供述である具体的な可能性を必ずしも排除しきれないこと等の事情をも併せ勘案すると,H2供述の存在をもって,それ自体種々の問題を内包するその余の者の各供述を裏付け,その信用性を高めるまでの証拠価値を有するとまでいえるかについては,それ相当の躊躇を禁じ得ない。殊に,H6供述との関係では,そもそもH2供述とH6供述は,時間的,場所的に相当距離のある目撃状況を内容とするもので,しかも,被告人両名が,r駅周辺やoに存在すること自体は決して珍しいことではなかったといえること等の事情に照らしても,H2供述のみをもって,少なくとも,これがH6供述の裏付けとなり,その信用性を高める関係にあるとまで認めることは困難である。ましてや,それが,直接に被告人両名の犯人性の推認に結びつくものでないことはいうまでもない。 て,少なくとも,これがH6供述の裏付けとなり,その信用性を高める関係にあるとまで認めることは困難である。ましてや,それが,直接に被告人両名の犯人性の推認に結びつくものでないことはいうまでもない。 小括以上の次第であるから,H6供述は信用性に欠けるというほかなく,一連の各目撃供述を全体として考慮しても,結局のところ,本件強盗殺人に係る被告人両名の自白を支え,或いは被告人両名の犯人性を推認させる証拠は何ら存在しないとの結論に帰する。 第7 被告人両名の捜査段階における自白について 1 前提検察官は,被告人両名の捜査段階における自白,殊にその初期になされたものについては,任意かつ極めて信用性の高い状況下でなされたものであり,ま - 58 -た,広く客観的事実と符合しており矛盾するところがないから,これにより本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を優に立証することができる旨主張し,これに対し,弁護人は,被告人両名の捜査段階における自白には任意性も信用性も認められず,何ら被告人両名の犯人性を推認させる証拠たり得ない旨主張する。 ところで,本件において,被告人両名の捜査段階における自白は,前記のとおり,本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を直接証明し得る唯一の証拠として位置付けられるものであるところ,これまで検討してきた結果によれば,一方の自白が他方の自白の信用性を相互に支え合う関係にあるという点はさておき,それ以上には,Eの死体やE方の現場の状況等といった若干の証拠を除き,各自白の真実性を実質的に支える有力な補強証拠は特には何ら見当たらず,また,被告人両名の犯人性を推認させる間接証拠も何ら存在しないことが明らかとなった。 このような証拠関係の下にあっては,以下において被告人両名の自白を検討し,その任意性 拠は特には何ら見当たらず,また,被告人両名の犯人性を推認させる間接証拠も何ら存在しないことが明らかとなった。 このような証拠関係の下にあっては,以下において被告人両名の自白を検討し,その任意性,信用性の有無を判断するに当たり,殊の外慎重な姿勢でこれに臨むことが強く求められるというべきである。 2 被告人両名の供述経過本件強盗殺人の犯行について,被告人両名は,捜査段階において,否認と自白を繰り返し,確定一審以降は否認を貫いている。そこで,被告人両名の自白に関する詳細な検討に先立ち,便宜,被告人両名の供述経過を本件の捜査等の流れとともに時系列に概観する。 被告人Cの供述経過アズボン等の窃取に係る窃盗事件での身柄拘束被告人Cは,10月10日,ズボン等を窃取した旨の被疑事実で通常逮捕され,同被疑事実を認め,同月12日,取手署に勾留された。 イ最初の自白の経過 - 59 - 被告人Cは,少なくとも10月13日と同月14日の連日にわたり,茨城県警察本部刑事部捜査第1課(以下「県警1課」という。)強行犯係長警部補M1(以下「M1」という。)の取調べを受け,8月28日を含む前後の行動等について追及を受けた。 そして,10月15日午後2時20分から同日午後4時までの間,本件強盗殺人の犯行に関しポリグラフ検査を受け,その後,再びM1の取調べを受けた際,遅くとも同日午後5時過ぎないし同日午後5時30分には本件強盗殺人の犯行を自白し,その旨の警察官調書が作成された。 以後,M1の取調べを受ける過程で,本件強盗殺人の犯行前後の行動等について詳細に供述し,10月21日までの間に5通の警察官調書が作成された(ただし,同月20日付け捜査報告書中には,同日の取調べにおいて,被告人Cがアリバイを主張 で,本件強盗殺人の犯行前後の行動等について詳細に供述し,10月21日までの間に5通の警察官調書が作成された(ただし,同月20日付け捜査報告書中には,同日の取調べにおいて,被告人Cがアリバイを主張するなどして本件強盗殺人の犯行を否認する供述をした旨の記載もある。)。 その間の10月17日,被告人Cが本件強盗殺人の犯行を自白する際の状況を録音した録音テープ(以下「Cテープ1」という。)が作成された。 被告人Cは,10月23日,本件強盗殺人に係る被疑事実で通常逮捕され,同月24日,重ねてM1に詳細な自白をした上,同月25日,M2検事(以下「M2」という。)の弁解録取においても同被疑事実を認め,同日,取手署に勾留された。 被告人Cは,その後も,本件強盗殺人の犯行を認める自白を維持し,11月2日には,再び,被告人Cが同犯行を自白する際の状況を録音した録音テープ(以下「Cテープ2」という。)が作成された。 ウその後の否認と再度の自白の経過 被告人Cは,11月8日に土浦拘置支所に移送されたが,その後行 - 60 -われたM2の取調べにおいて,遅くとも同月13日までには本件強盗殺人の犯行を否認する供述に転じた。 被告人Cは,11月13日,本件強盗殺人に係る被疑事実について勾留満期で書類上処分保留により釈放されたが,その一方で,9件の窃盗の事実(本件確定判決の判示第1の別紙番号1から4まで及び6から10までにそれぞれ対応するもの〔水戸地方裁判所土浦支部昭和42年第224号〕)で求令状起訴され(ただし,前記ズボン等の窃取に係る窃盗の事実については起訴されていない。),同月14日勾留されて引き続き身柄を拘束された。 被告人Cは,12月1日,土浦拘置支所から取手署に移送(移監)され,同日から本件強盗殺人の犯行 窃取に係る窃盗の事実については起訴されていない。),同月14日勾留されて引き続き身柄を拘束された。 被告人Cは,12月1日,土浦拘置支所から取手署に移送(移監)され,同日から本件強盗殺人の犯行について再びM1の取調べを受け,当初は否認したものの,その後再び自白に転じた。また,M3検事(以下「M3」という。)の取調べにおいても,当初は本件強盗殺人の犯行を否認したが,後に自白に転じた。 被告人Cは,同月28日,本件強盗殺人の事実で求令状起訴され,その際行われた勾留質問においても同事実を認める供述をしたが,確定一審の第1回公判期日において,一転して同事実を否認し,以降,無罪の主張を貫いている。 被告人Dの供述経過ア暴力行為等処罰に関する法律違反に係る事件での身柄拘束と最初の自白の経過被告人Dは,10月16日,暴力行為等処罰に関する法律違反の被疑事実で通常逮捕され,同日午後2時ころから同日午後6時30分ころまでの間,県警1課強行犯係長警部補M4(以下「M4」という。)及び同課巡査部長M5(以下「M5」という。)の取調べを,同日午後7時ころから同日午後8時30分ころまでの間,同日午後8時40 - 61 -分ころから同日午後10時40分ころまでの間の2度にわたり,同課警部補M6(以下「M6」という。)及びM5の取調べをそれぞれ受け,同被疑事実については自身の犯行を認めたが,このうち,2度目にM6らによる取調べを受けた際,8月28日の自身の行動等について聞かれたものの,本件強盗殺人の犯行への関与については,これを否認した。 しかし,被告人Dは,10月17日,前記暴力行為等処罰に関する法律違反の被疑事実で茨城県水海道警察署(以下「水海道署」という。)に勾留された後,本件強盗殺人の犯行について取調べを受 。 しかし,被告人Dは,10月17日,前記暴力行為等処罰に関する法律違反の被疑事実で茨城県水海道警察署(以下「水海道署」という。)に勾留された後,本件強盗殺人の犯行について取調べを受けると,同日夕方には同犯行への関与を認めてこれを自白するに至った。 そして,被告人Dは,M6に代わって取調べを担当したM4に対し,同犯行前の行動等について詳細に供述し,10月23日,本件強盗殺人の被疑事実で通常逮捕された。 被告人Dは,10月23日及び同月24日,本件強盗殺人の犯行を詳細に自白し,同月25日,M2の弁解録取においても同被疑事実を認め,同日水海道署に勾留された。 被告人Dは,その後も本件強盗殺人の犯行を認める供述を維持し,11月3日には,被告人Dが本件強盗殺人の犯行を自白する際の状況を録音した録音テープ(以下「Dテープ」という。)が作成された。 イその後の否認と再度の自白の経過 被告人Dは,11月6日に土浦拘置支所に移送されたが,その後行われたM2の取調べにおいて,遅くとも同月13日までには本件強盗殺人の犯行を否認する供述に転じた。 被告人Dは,11月13日,本件強盗殺人に係る被疑事実について勾留満期で書類上処分保留により釈放されたが,その一方で,暴行,傷害及び恐喝の事実(本件確定判決の判示第2の1,3,6から8ま - 62 -でにそれぞれ対応するもの〔水戸地方裁判所土浦支部昭和42年第225号〕)で求令状起訴され(ただし,前記暴力行為等処罰に関する法律違反の事実については起訴されていない。),同月14日勾留されて引き続き身柄を拘束された。 被告人Dは,12月1日,土浦拘置支所から茨城県土浦警察署(以下「土浦署」という。)に移送され,同日から同月11日までの間,本件強盗殺 同月14日勾留されて引き続き身柄を拘束された。 被告人Dは,12月1日,土浦拘置支所から茨城県土浦警察署(以下「土浦署」という。)に移送され,同日から同月11日までの間,本件強盗殺人の犯行について再びM4及びM5の取調べを受け,当初は否認したものの,その後再び自白に転じた。 また,被告人Dは,12月12日から同月14日までの連日及び同月21日から同月25日の隔日にわたりM3の取調べを受け,当初は本件強盗殺人の犯行を否認したが,間もなく自白に転じ,同月13日及び同月14日の2日間で合計6通の検察官調書が作成され,同月14日には,本件強盗殺人の犯行を認める旨の被告人D自身が記載した上申書も作成された。 その後も,被告人Dは,本件強盗殺人の犯行を認める供述を維持し,12月28日,本件強盗殺人の事実について求令状起訴されたが,その際行われた勾留質問において,一転して同事実を否認し,確定一審の第1回公判期日においても同様に同事実を否認して,以降,無罪の主張を貫いている。 3 被告人両名の自白の概要以上のとおり,被告人Cは10月15日に,被告人Dは同月17日に,それぞれ初めて本件強盗殺人の犯行を認める供述をし,その後,紆余曲折を経ながらも,12月28日に本件強盗殺人の事実で被告人両名が起訴されるまでの間,それぞれ本件強盗殺人の犯行に関し多数の自白調書が作成されている。 各自白調書に記載された被告人両名の供述は,後にみるとおりそれぞれ大 - 63 -幅な変遷の経過を伴うもので,決して一定した内容とはいい難いものの,はじめに,便宜,被告人両名の起訴直前における自白内容を概観することとする。基本的に,各供述事項ごとに最も後にした供述内容に依拠し,これに該当する各検察官調書の内容を総合してまとめると 難いものの,はじめに,便宜,被告人両名の起訴直前における自白内容を概観することとする。基本的に,各供述事項ごとに最も後にした供述内容に依拠し,これに該当する各検察官調書の内容を総合してまとめると,それぞれその概要は次のようなものである。 被告人Cの自白の概要8月28日は,我孫子駅午後6時47分発の下り列車に乗り,午後7時5分にr駅に着いた。r駅で降りて駅前通りを1人で歩いていると,土手に上がる石段のところで中学生のときの同級生のH5が石段を上がっているのに気が付いた。H5には男の連れが2人おり,H5の左脇を抜けて駆け上がったとき,その連れの男の1人から「元気いいな兄貴。」と言われたので,振り向きながら「何だこの野郎。」と言い,そのままK1橋を渡って行った。K1橋のたもとの停留所のところで,被告人Dに「おう,どこへ行って来たか。」と声をかけられ,それからは被告人Dと行動を共にした。停まっていた午後7時20分ころ発の竜ヶ崎行きの2台のバスが発車した後も,「明日の競輪に行こう。」とか,「金がない。」などと被告人Dと立ち話をしていたが,そのうち,被告人Dが「31日になれば金が8千円入るので,それまで何とか都合できるところはないか。」などと言うので,自分がEのことを話し,金を借りるためEのところに行くことで話がまとまり,2人でアスファルトの道づたいに土手を下りてE方に行った。このとき自分も翌日の競輪で使う金が欲しかった。自分が1人でE方の道端の入口から庭に入り,玄関のガラス戸の先の勝手口に行き,その前にある踏み石の上に立って「こんばんは。」と声をかけた。向かって左側のガラス戸を開けたように思う。Eと少し話してから借金を申し込んだが,「そんなことはしてないからだめだよ。」などと断られた。そこで,「どうもすみませんでした。」と んは。」と声をかけた。向かって左側のガラス戸を開けたように思う。Eと少し話してから借金を申し込んだが,「そんなことはしてないからだめだよ。」などと断られた。そこで,「どうもすみませんでした。」と言って表の通りに出て,被告人Dと一緒 - 64 -にどぶ川沿いの裏道を土手に向かって歩き,被告人Dに首尾を聞かれたので「だめだ。」と答えた。H16の家の前を通り土手に出て,土手の下の河原に下りて川の上流に向かって歩き,K1橋の下を通り過ぎて下流の方に戻ると,被告人Dからもう一度E方に行ってみたらどうかと言われ,今度は被告人DがEに聞きに行くものと思い,もう一度E方に行くことにした。どぶ川沿いの道からE方に向かい,このとき被告人Dは「貸さないと言ったらやきだなあ。」などと言っていた。E方に着くと,被告人Dに尻を押され,自分に行ってこいというのだと分かった。被告人Dが言い出しておきながら,自分に行ってこいという被告人Dの態度に腹を立てたが,そのまま,先と同じように,E方の勝手口の踏み石に立って入口のガラス戸を開け,「こんばんは。」と声をかけた。左手の奥のガラス戸の向かって左手のところから上半身を出したEが自分を見て,「なんだまた来たのか。」と言った。しつこいとも言われたが,靴を脱いで,Eに「そんなこと言わないで話だけでも聞いて下さい。」と言って近寄った。すると,被告人Dが後から上がってきて,「おれだよEちゃん。」などと言い,自分の左脇を抜けて前に出た。Eが「お前ら来てもだめだぞ。」と言うと,被告人Dが「なんだこの野郎。」と言って怒りだし,Eの胸を押した。自分が止めに入ったが大声で言い合う形になり,自分は,勝手口に戻って,表の通りを見た。それは誰かが騒ぎに気付いて来たらまずいと思ったからである。何とか収まりをつけないと仕様がないと思いながら した。自分が止めに入ったが大声で言い合う形になり,自分は,勝手口に戻って,表の通りを見た。それは誰かが騒ぎに気付いて来たらまずいと思ったからである。何とか収まりをつけないと仕様がないと思いながら戻ると,奥の畳の部屋のすぐ手前の押入れの前で,被告人DがEの顔か胸辺りを殴っていた。Eはよろよろとして後ろにどすんと倒れながら,「何すんだ。」と怒鳴り被告人Dにむしゃぶりついた。それを見た瞬間,自分は興奮してEの足を掴んで仰向けにひっくり返し,被告人Dが,Eが倒れると同時にEの体に馬乗りになった。被告人Dに「足,足。」と言われ,これは縛るんだなと思い,Eの足下にタオルがあり入口の柱に白いワイシャツが掛かって - 65 -いたのでそれらを取り膝をついてEの両足を縛った。タオルでは2巻き,ワイシャツでは1巻きした。自分が足を縛るころからEは声を出していなかった。縛り終わってEの頭の方に回ると,被告人Dが「おう,おう。」というので,自分が両手で上からEの喉を押さえつけ,Eの首を絞めにかかった。そのときにはもう白い布がEの口の中に詰まっていた。この点,警察の調書では,パンツを使ってEの首を絞めたがそれが首に回らず,これを喉に当てて手で押さえたことになっているが,パンツを使ったことについてははっきりしない。自分がEの首を絞めたときには,Eは眼鏡をかけておらず,眼鏡がいつからなくなっていたのかは分からない。被告人Dは,Eの上に乗ってその両手を上から押さえつけており,Eが動かなくなると立ち上がった。どういう気持ちからしたのか分からないが,布団を取ってきてEを寝かせようと2人でEの体を持ったが持ち上がらず,そこでEの体の上に布団を被せた。床が落ちたことについては,首を絞めながら自分の体が少し前に下がったような気がしたのを思い出した。それから,金を探 を寝かせようと2人でEの体を持ったが持ち上がらず,そこでEの体の上に布団を被せた。床が落ちたことについては,首を絞めながら自分の体が少し前に下がったような気がしたのを思い出した。それから,金を探そうと板の間の玄関口のロッカーに行った。大きなロッカーが2つあり,どちらも取っ手を掴んで開けようとしたが開かなかったので,もとの畳の部屋に戻った。被告人Dは,Eの頭の先の押入れのカーテンの真ん中辺りを開けてしゃがみ込み,中の布団等を引っ張り出さずにそのままめくるようにして下の方を見ていた。自分は押入れの向かい側にあった机の引出しを袖の引出しから探した。真ん中の引出しから茶色の革の財布が出てきた。財布を開けたとき足下にばら銭か何かが落ちたと思う。その財布の脇に鍵を五,六個ひもでくくった鍵束があった。机の左手の2つ積み重ねた上のロッカーに鍵を1つ差し込んだが開かなかった。2つ目の鍵を差し込んだところ開いたので,中を見たが金はなかった。下のロッカーは鍵なしで開いた。下から2段目の左隅に何か薄っぺらい帳面か書類の間に千円札ばかりがむきだしであったので,数えもせずにズボンのポケットにし - 66 -まった。後で兄のアパートの部屋で数えたところ,千円札7枚で7千円あった。そのころ,「やばい,やばい。」と被告人Dの声がしたので,誰か来たのかと思い,下のロッカーの扉をバーンと閉めた。畳の部屋を出るか出ないうちに,被告人Dが「何とかしなくちゃ。」と言い出した。誰かが入ってやったようにしなくてはならないとの趣旨だと察し,「誰かが裏から入ったようにするから。」と言った。そのころ,被告人Dが畳の部屋と隣の部屋の境のガラス戸を蹴ったのを覚えており,大きな音がしたが,それがガラスの割れた音かどうかは分からない。それから,自分も手伝って手前のガラス戸を外し,それを た。そのころ,被告人Dが畳の部屋と隣の部屋の境のガラス戸を蹴ったのを覚えており,大きな音がしたが,それがガラスの割れた音かどうかは分からない。それから,自分も手伝って手前のガラス戸を外し,それを横にして柱か何かに立てかけた。このとき,ガラス戸を何の目的で取り外しにかかったのかは分からない。自分は,被告人Dがもう一枚のガラス戸をガタガタやっているのを聞きながら,早く誰かが裏から入ってきたようにしようと思い,便所に入り,便所の中から窓の外側の桟を外しにかかった。そのとき部屋の方でガチャンという音がした。そして,自分が被告人Dに「裏に靴を回してくれ。」と言ったように思うが,その後被告人Dの声がして靴を置いてくれたことが分かり,桟を外した便所の窓から足の方から外に出た。靴を見つけ,庭に出る家の角辺りで靴を履き,庭から表の通りに出て右に折れすぐの通りの左側のどぶ川沿いの道に沿って逃げた。被告人Dがどぶ川の道の先の方にいてK12の前辺りで追いついた。「おう,これだよ。」と言って被告人Dから紙包みを破って見せられ,店の明かりでそれは一万円札だと思った。自分も「俺はこれだ。」と言って,ズボンのポケットから取ってきた札を被告人Dに見せた。そして,急いで土手づたいにK1橋に出て橋を渡りr駅まで気をせかしながら2人で歩いて行った。警察では,途中橋の上から三つ折りの白っぽい布の財布を投げ捨てたと供述したがそれは事実と違う。そもそも自分はEが死んだ後にEのズボンのポケットから財布を抜き出したりはしていないし,ズボンのポケットを探ってもいない。捕まった後にEのズ - 67 -ボンのポケットに缶詰が入っていたことを知ったが,それには気付いていなかった。逃げる途中に被告人Dが財布を捨てたかどうかについても自分は知らない。階段を下りて駅前通りの道を歩き,r駅 - 67 -ボンのポケットに缶詰が入っていたことを知ったが,それには気付いていなかった。逃げる途中に被告人Dが財布を捨てたかどうかについても自分は知らない。階段を下りて駅前通りの道を歩き,r駅では改札口の誰もいないところを通ってホームに入った。2分くらいしか待たずに午後9時48分発の上り列車が来た。E方から駅までに15分かかるとすると,2度目にE方に行ったのは午後9時ころで,午後9時半ころにE方を出てきたことになる。列車内では被告人Dと向かい合って座り,今からどこに行こうかなどと話をした。湖北駅に着く前辺りで,被告人Dから金を受け取り,そのときは数えなかったが,兄の部屋に着いて数えると,一万円札3枚と千円札10枚の4万円であった。我孫子駅と日暮里駅で乗り換え,山手線で高田馬場駅まで行き,西武新宿線に乗り換えてx駅で降り,被告人Dと一緒に兄のアパートに行った。部屋に着いたのは午後11時40分ころではなかったかと思う。そのとき部屋は留守であった。 被告人Dの自白の概要8月28日は,我孫子駅の成田線ホームで被告人Cと会った。午後6時47分発の成田行き列車がホームに入っており,その3両目辺りに被告人Cが乗っているのを見つけ,互いに言葉を交わした。その際,通りがかったH1から「こんばんは。」と声をかけられたので,「おう。」と返事をした。その後,前から二,三両目の車両の通路を歩いているときホーム側の真ん中辺りの席にH3,H4が2人で座っているのを見つけ,2人に話しかけた。列車は発車し,立ったままH4ら2人と話をするうち,午後7時5分にr駅に着いた。H3,H4に続いて降りたと思うが,駅の改札口を一緒に出たか,離れて出たかは覚えていない。改札口を出て広場で立ち止まり,知った者はいないか周りを見たが誰も見当たらなかった。駅前のK13 駅に着いた。H3,H4に続いて降りたと思うが,駅の改札口を一緒に出たか,離れて出たかは覚えていない。改札口を出て広場で立ち止まり,知った者はいないか周りを見たが誰も見当たらなかった。駅前のK13食堂,K10食堂の中を覗いて歩いたが,誰も知った者はいなかった。K13食堂から二,三メートル先の道端でH4とH3の2人とまた一 - 68 -緒になったが,彼らがそこで待っていたのか後から来たのかははっきりしない。3人一緒に駅前通りをまっすぐ歩いて行った。K1橋に出るまで,H3,H4よりも,自分の方が先を歩いていたと思う。その2人に女の連れがいることには気付かなかった。道路を突き当たりまで歩いて,左の脇の路地を入って石段を上り,K1橋に出たが,その際,自分の方がH3やH4より先に石段を上って行ったと思う。そのため,石段のところでH3,H4やその後から来た者との間にどのような出来事があったのかは分からない。このとき被告人Cが自分より先にいたか後にいたかもはっきりしない。橋を渡ってから橋のたもとのところで被告人Cと一緒になった。橋を渡ってo側に出ると,バスの停留所に午後7時20分発竜ヶ崎行きのバスが来ていて,H3,H4がそれに乗って行ってしまい,被告人Cと2人きりになった。すると,被告人Cが「明日競輪に行きたいな。」,「金がないんだがどこか貸してくれるところはないんかな。」,「金借りてくるから,すぐそこだよ。」などと言ったので,「H11が来るまで時間があっから一緒にいってやっから。」などと言い,被告人Cについて行った。 被告人Cが行った先は初めて行く家で,そこがEの家であった。s町の角を左に曲がり舗装道路の道を歩いて行った。被告人Cは「ここで待ってろ。」などと言い,平屋建ての家の脇の庭に入って行った。自分は入口の道路端の家の角辺りで立っていた で,そこがEの家であった。s町の角を左に曲がり舗装道路の道を歩いて行った。被告人Cは「ここで待ってろ。」などと言い,平屋建ての家の脇の庭に入って行った。自分は入口の道路端の家の角辺りで立っていたり,うろうろしたりしていた。被告人Cは,手前のガラス戸の奥のもう一つのガラス戸の入口の台の上に上がって声をかけ,家の中の人と台の上で立ち話をしていた。10分くらいして被告人Cが戻ってきて,「借りられたか。」と聞いたが,金を借りることはできなかったとのことであった。2人でもと来た道を歩きK1橋のたもとに戻った。停留所で被告人Cと話をしていると,被告人Cが金のことをぐずぐず言うので,「そんなに金欲しければ借りてきたらよかっぺ。」と言い,被告人Cが再びE方に金を借りに行くことになった。自分も金を借り - 69 -る手伝いをしてやろうと思い,被告人Cの後について行った。こうしてもう一度E方に行くことになるまでの間,K1橋のたもとのバスの停留所かその周辺で被告人Cと15分くらいぶらぶらしていたことになる。その間,土手下の河原に下りて歩きながら被告人Cと話をしたということはない。前に行ったのとは別の道でK14食堂の角を左に曲がり,E方に行った。その途中,被告人Cに「おとなしく言って借りるんだよ。」とか,「なかなか貸さなきゃ脅してやんだよ。」などと言った。E方に着き,被告人Cが勝手口から声をかけ,靴を脱いで中に入って行った。5分か10分くらいたったころ,家の中からガラス戸がぶつかるような音がしたので覗いてみたところ,被告人CとEが向かい合って被告人Cが何かを言い,Eが被告人Cの方に手を出してもめており,借金を断られている様子だった。 その様子を見て,若い者と喧嘩をして年寄りのくせに生意気だ,被告人Cに助太刀をしてやろうなどと思い,自分も雪駄を脱いで部 言い,Eが被告人Cの方に手を出してもめており,借金を断られている様子だった。 その様子を見て,若い者と喧嘩をして年寄りのくせに生意気だ,被告人Cに助太刀をしてやろうなどと思い,自分も雪駄を脱いで部屋の中に上がり込み,Eに向かい合いながら「どうしたんだ。」と言った。Eは「何だお前は。」と言い,自分は「Cの友達だよ。」と返答した。Eが「お前らいくら来たって貸さないぞ,帰れ帰れ。」と言いながら自分の方に手を出して胸を押してきたので,頭にきてぶっとばしてやろうと思い,いきなり右足でEの下腹を1回蹴飛ばした。Eがかがみ込み下向きになったところを被告人Cがその横っ面に拳固で往復ビンタを食らわすと,Eの眼鏡がとんだ。Eは仰向けか横倒しに倒れ,「助けてくれ。」と大声を出した。自分がEの腹の上に馬乗りになり,被告人CがEの頭の方に回って頭を押さえ,2人でEの顎を押さえるようにしてその口を開け,自分が右の脇の方にあった白っぽい下着のようなものをEの口の中に押し込んだ。騒がれては人に気付かれると思ったからである。Eは声が出なくなったが,今度は足をばたつかせて暴れるので,被告人Cが「足を縛っちゃうべか。」と言い出し,自分が「縛っちゃえ。」と言って,後ろ向きに向きを変えてEの - 70 -両足を押さえつけたところ,被告人Cがタオルとワイシャツの2つを使ってその足首を縛った。自分は向きを変えたが,Eが縛られたままの足を上下にばたつかせるので,自分の体を足の上に乗せ,Eの両手を開いた恰好で上から押しつけ,腹這いの姿勢でEに重なり押さえつけた。そのとき,自分の頭の上を跨いだような恰好の被告人Cが頭の辺りで「やっちゃおか。」とか,「殺しちゃおう。」などと言い出し,自分も「早くしろ。」と言った。ものの5分も経たないうちに,もがいていたEの体の力が急に抜けたので を跨いだような恰好の被告人Cが頭の辺りで「やっちゃおか。」とか,「殺しちゃおう。」などと言い出し,自分も「早くしろ。」と言った。ものの5分も経たないうちに,もがいていたEの体の力が急に抜けたので,顔を上げると,被告人CはEの首に白っぽい布を巻き,喉を両手で上から押さえつけていた。自分が「やめろ。」と言うと被告人Cは押さえつけるのをやめたが,そのときはEはもう死んでしまった様子だった。被告人Cが「寝てたようにしておくか。」と言い出したため,2人で敷布団等をEの上にかけた。2人でEの体を持ち上げて運ぼうとしたことはない。そのとき,Eの頭の方の床が抜けてずり落ちていることに気付いたが,はじめにEに馬乗りになり被告人Cが頭の方に回ってその頭を押さえつけていたころ,バリンという音がして畳の裏板でも抜けたのかと思ったことを覚えている。Eの上に布団を掛け終わると,被告人Cが,道路側の箪笥の引出しをガタガタと開け始め,それを見て,自分も何かを見つけて取ってやろうと思い,被告人Cが見ているのとは反対側の押入れの中を探し始めた。押入れのカーテンを右から左の方に開けると中は2段になっており,上の方まで何かが重ねて置いてあった。布団を引っ張り出さずに上から順にめくっていくと,一番下から2つ目くらいの布団の間から薄い新聞包みが出てきた。開いてみると中には黒っぽい布の二つ折りの札入れが1つあり,その中には千円札が50枚以上入っていた。自分が「あった。」と言うと,被告人Cは振り返ってこちらを見たが,またすぐに何かを探し始めた。その札入れを新聞に包み直して胴巻きにしまい込み,被告人Cに「早くしろ。」と声をかけた。すると,被告人Cが,「誰か泥棒でも入っ - 71 -てきたようにしておくか。」などと言い出し,部屋の間のガラス戸を外しにかかった。泥棒が入ってきて 込み,被告人Cに「早くしろ。」と声をかけた。すると,被告人Cが,「誰か泥棒でも入っ - 71 -てきたようにしておくか。」などと言い出し,部屋の間のガラス戸を外しにかかった。泥棒が入ってきて見つかってEを殺したように見せかけるのだと思い,自分もガラス戸を外すのを手伝った。被告人Cは押入れ側の畳の部屋(8畳間)に,自分はその反対側の玄関側の部屋(4畳間)にいて,2枚重なったガラス戸をそれぞれ1枚ずつ外そうとしたが,自分が外そうとしていたガラス戸がなかなか外れないので,これを足で蹴飛ばすと,上のガラスの2枚がガチャンと割れて落ちた。そのころ,反対側にいた被告人Cは,先にもう一枚のガラス戸を外してそのガラス戸を4畳間に持ち込み,横にして脇に立てかけて置き,その場を離れた。そして,自分が外そうとしていたガラス戸が外れた際,手が放れてしまいそのガラス戸が倒れ,その拍子にガラスが割れて大きな音がした。現場の図をM2の取調べで見せられて初めて扇風機がそこにあったことに気付き,ガラスが割れたのはそのためだったと思い出した。ガラスは蹴ったときと倒してしまったときの2回割れたことになる。その後,勝手口の辺りで便所にいた被告人Cと顔を合わせ,被告人Cから「靴を裏に持ってきてくれ。」と言われた。 そこで,近所の人はいないかなどと用心しながら外に出て,雪駄を履き,被告人Cの革靴を持って裏に回った。暗くて分からなかったが,「ここだここだ。」と被告人Cの声がする方には小さな窓が開いており,被告人Cがそこから声をかけていた。窓の下に靴を投げて庭に戻った。自分が表通りに出る手前で,家の中で,バリンとかガチャンという物音を聞いたようにも思う。通りに出て,右手の四つ角を左に曲がり,二,三メートル先の暗がりで被告人Cを待った。被告人Cが7分か10分遅れて来て一緒にな に出る手前で,家の中で,バリンとかガチャンという物音を聞いたようにも思う。通りに出て,右手の四つ角を左に曲がり,二,三メートル先の暗がりで被告人Cを待った。被告人Cが7分か10分遅れて来て一緒になり,2度目に来たのと同じ道を通ってK1橋のたもとに出た。土手を下りて川の水際から10メートルか15メートル手前に行き,取ってきた札入れを取り出して札を全部引き出し胴巻きにしまい込み,空になった札入れを新聞紙にくるんで,丸めて川の中に投げた。それからすぐに戻って被告 - 72 -人Cと一緒になり,橋のたもとに上がった。途中で,被告人Cが来るのが遅い気がして後を振り返ると,被告人Cが何かは分からないが白っぽいものを川の中に投げ込んでいた。r駅では,改札からホームに入り,10分か15分して入ってきた午後10時20分発の終列車の1つ前の列車に2人で乗り込んだ。2つ先の湖北駅を出発して間がないころ,向かい合って座っていた自分と被告人Cは互いに取ってきた札を出し合った。自分は一万円札3枚くらいと千円札70枚くらいで10万円,被告人Cはズボンのポケットから出した札が千円札ばかりで2万円くらい,併せて12万円であった。半分に分けるつもりで,不足の4万円を一万円札1枚,千円札30枚を数えて被告人Cに渡した。その後,我孫子駅,日暮里駅,高田馬場駅でそれぞれ乗り換えてx駅で降りた。高田馬場駅に着いたのが午後11時半ころのように記憶しており,H12のアパートには夜中の12時ころに着いた。部屋には誰もいなかった。 4 被告人両名の自白の変遷について被告人両名が,それぞれ捜査の最終段階において,本件強盗殺人の犯行を自白した内容は,概ね以上のようなものであるところ,かかる供述に至るまでの間には,前記のとおり,否認と自白を繰り返すなどした紆余曲折の経緯 名が,それぞれ捜査の最終段階において,本件強盗殺人の犯行を自白した内容は,概ね以上のようなものであるところ,かかる供述に至るまでの間には,前記のとおり,否認と自白を繰り返すなどした紆余曲折の経緯があり,また,その間における被告人両名の自白の供述のみに限っても,最終的な自白に至るまでの過程には,少なからず変遷の経過が認められる。 そこで,以下,犯行日とされる8月28日(以下「犯行当日」ともいう。)の出来事の経過に沿い,各場面ごとに,被告人両名の供述にそれぞれ変遷の認められる点を指摘し,順次検討を加えていくこととする。 被告人両名が出会った経緯に関する供述被告人Cは,犯行当日被告人Dと出会った経緯について,捜査の最終段階となる12月19日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,K1橋を渡った橋のたもとの停留所の付近で被告人Dと出会った旨供述した - 73 -ものであるところ,この点,自白を始めた当初の10月15日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅の成田線のホームで被告人DとH10に出会って3人で一緒にK1橋を渡った旨供述し,同月18日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅の成田線のホームで被告人Dと出会ったとする点は維持したものの,このときH10と出会った旨前に述べた点は記憶違いであったとし,また,r駅で降りた直後には被告人Dとは一緒にならず,1人でK1橋を渡り,バスに乗って発車を待っていると,被告人Dが来て,「ちょっと降りろよ。」と言うので,バスから降りて被告人Dと一緒になったなどと供述し,その後,前記のような最終段階の供述に至ったもので,変遷の経緯が認められる。 一方,被告人Dも,犯行当日被告人Cと出会った経緯について,捜査の最終段階となる12月21日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり 終段階の供述に至ったもので,変遷の経緯が認められる。 一方,被告人Dも,犯行当日被告人Cと出会った経緯について,捜査の最終段階となる12月21日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,我孫子駅の成田線のホームで被告人Cに出会ったが,別々にr駅で降りてK1橋を渡り,その後橋のたもとの付近でもう一度被告人Cに出会った旨供述したものであるところ,この点,自白を始めた当初の10月17日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅でH10と被告人Cに順次出会い,3人で一緒にr駅で降りてK1橋を渡った旨供述し,その後,同月22日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅で被告人Cと出会ったことについて従前同様の供述を維持しつつも,H10と出会った点には一切触れず,また,r駅からK1橋まで被告人Cと一緒であったという点についても,被告人Cとは別々にr駅で降りてK15肉屋の前辺りで被告人Cが駅の方から追いついてきたなどとして,それまでの説明を変更し,さらに,12月13日の検察官の取調べにおいては,r駅で下車した後に被告人Cと出会った状況について,被告人CとはK1橋に出る手前の石段かその石段に至る路地の辺りで一緒になったなどと供述し,その後前記のような最終段階の供述に至ったもので,やはり変遷の経緯が認められる。 - 74 -被告人両名がこのように供述を変遷させた理由は必ずしも定かではないが,殊に,被告人両名が,いずれも当初は,我孫子駅でH10に出会った旨供述し,しかも,その際,同人が目に怪我をしていたなどとも具体的に述べていたにもかかわらず,その後,いずれも特段の説明もなく,同人に出会ったという事実そのものを否定するに至っている点は,際立った特徴として指摘することができる。また,被告人Dは,10月17日の取調べの際,当初は我孫子駅で目 の後,いずれも特段の説明もなく,同人に出会ったという事実そのものを否定するに至っている点は,際立った特徴として指摘することができる。また,被告人Dは,10月17日の取調べの際,当初は我孫子駅で目を怪我したH10に出会った旨供述しながら,途中から,犯行当日の夕方我孫子駅でH10と出会ったときには,同人は怪我をしていなかった,同人が目に怪我をしているのを見たのは8月30日のことであるなどとして,供述を変更しているのであり,かかる10月17日の供述状況自体,やや奇妙なものというべきである。いずれにせよ,この点,被告人両名が揃って当初記憶違いをし,その後ほぼ時期を同じくして従前の供述を訂正するという極めて酷似した供述経過を辿っていることは,いささか不自然との印象を禁じ得ない。 石段の一件等に関する供述被告人Cは,石段の一件について,捜査の最終段階となる12月21日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,r駅から歩いてK1橋のたもとで被告人Dに出会う途中に石段の一件があったことは間違いない旨供述し,この点は10月23日の警察官の取調べにおいて初めて供述した(供述調書は同月24日に作成された。)ものと認められるが,その後,前記最終段階の供述に至るまでの間の12月19日に行われた取調べにおいては,r駅で降車してからK1橋の停留所で被告人Dと出会うまでのことがどうしても思い出せないなどとして,石段の一件についても覚えていないかのような趣旨の供述をしていた経過も認められる。 また,被告人Dは,被告人Cと2度目に出会った状況について,10月22日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅からH3及びH4と一緒に - 75 -r駅へ行き,一緒にK1橋まで歩いて行ってK1橋を渡り,その途中のK15肉屋付近で被告人Cが追いつい いて,10月22日の警察官の取調べにおいては,我孫子駅からH3及びH4と一緒に - 75 -r駅へ行き,一緒にK1橋まで歩いて行ってK1橋を渡り,その途中のK15肉屋付近で被告人Cが追いついてきてからは大体一緒になって歩いたなどと供述していたものの,12月13日に行われた検察官の取調べでは,我孫子駅からr駅までH3及びH4と一緒に来て,K13食堂から二,三メートル先でH3及びH4に再び会い,3人で一緒に歩いて石段を上りK1橋に出たが,そのとき3人のうち誰が先を歩いていたかはっきりしない,被告人CとはK1橋に出る手前の石段かその石段に至る路地の付近で一緒になったなどとの趣旨を供述し,その後,最終的には,12月21日に行われた検察官の取調べにおいて,r駅から駅前通を歩いてK1橋に出る途中,H3及びH4より自分の方が先を歩いており,石段を上る際も自分の方が2人よりも先を歩いていたと思う,そのため,石段の一件については気付かなかった,このとき被告人Cが自分より先にいたか後にいたかもはっきりしないなどとの趣旨の供述をするに至っているもので,ここには明らかな変遷の経緯が認められるが,これについて特に合理的な理由は付されていない。また,捜査の最終段階における供述に限っても,被告人Dは,石段等において自分がH4やH3より先を歩いていた旨突如として断言し,供述を明確化する一方,石段付近における被告人Cとの位置関係等については,逆に曖昧な説明となって従前の供述を後退させるなどしており,この点は,いささか不自然というべきである。 殺害状況に関する供述Eを殺害した状況について,被告人両名は,捜査の最終段階において,前記のとおり,いずれも,被告人DがEの上に乗りかかり(或いは馬乗りになり),その口に白い布ないし白っぽい下着のようなもの(パンツ) Eを殺害した状況について,被告人両名は,捜査の最終段階において,前記のとおり,いずれも,被告人DがEの上に乗りかかり(或いは馬乗りになり),その口に白い布ないし白っぽい下着のようなもの(パンツ)を押し込み,被告人CがEの首を絞めたなどとの趣旨を供述している。 しかし,かかる供述に至るまでの経過に目を向けると,被告人Cは,当初自白した10月15日の警察官の取調べにおいては,被告人DがEに馬 - 76 -乗りになってEの顔を殴ったら死んだとのみ供述していたもので,その後,同月18日の警察官の取調べにおいて,自分がEの首のところに両手の平を当てて力いっぱい押さえ付けて首を絞めて殺害した旨供述を変更している(この供述は,Cテープ1の後半から供述し始めたものであるが,Cテープ1の証拠価値等については後述する。)。そして,同月23日の警察官の取調べにおいては,右手に持っていたパンツで首を絞めて殺してやれという気になり,Eの左腕の上の辺りに自分が両膝をついて首をパンツで絞めようとした,パンツを首の右側の方に押しつけて首を絞めようとしたら回らないので首のところに当てたまま両手の平を首のところに当ててのしかかるようにして首を押さえつけたなどとして,従前の供述にはないパンツを使用した事実を新たに供述したが,この点,12月19日の検察官の取調べにおいては,「警察の調書ではパンツを使って絞めたがそれがまわらなくて喉に当てて手で押さえたとなっていますが,それを使ったのがはっきりしませんでした。」などと供述するに至っている。かかる同日の供述が,従前からパンツを使用したか否かはっきり覚えておらず,従前の警察官調書の記載を訂正したいという趣旨なのか,それとも,同日時点の記憶としてはパンツを使用したか否か忘れてしまったという趣旨なのかは必ずしも判然としない 使用したか否かはっきり覚えておらず,従前の警察官調書の記載を訂正したいという趣旨なのか,それとも,同日時点の記憶としてはパンツを使用したか否か忘れてしまったという趣旨なのかは必ずしも判然としないが,いずれにせよ,この点は犯行の最も重要な部分であるにもかかわらず,特段の説明もなく漠然とした内容に供述が変更されており,唐突な感を否めない。 また,被告人Dは,Eの口にパンツを押し込んだことに関し,当初自白した10月17日の警察官の取調べにおいては,Eに声を出させないようにするため,自分の右側にいた被告人Cに渡された何かの布をEの口の中に押し込んだ,Eがなかなか口を開かないので,被告人Cがその頭を押さえてくれたが,Eは力があり,布を押し込むのに割合手間取ったなどとの趣旨を供述していたが,同月24日の警察官の取調べにおいては,被告人 - 77 -Cが自分の左側からEの頭の方に回り,暴れようとするEの頭を両手で押さえた,そのとき,自分の右前の畳の上に,白いパンツのようなものがあることに気付き,右手でそれを拾って丸め,左手でEの顎の両側を押しつけるようにして口を開かせ,その丸めたパンツのようなものを口の中に押し込み,Eが声を出せないようにしたなどと述べて,微妙に供述内容を変更している。さらに,捜査の最終段階となる12月13日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,被告人CがEの頭の方に回って頭を押さえ,2人でEの顎を押さえるようにしてその口を開けさせ,自分が右の脇の方にあった白っぽい下着のようなものをEの口の中に押し込んだなどとして,被告人Cと協力してEの口を開かせ,口の中に白い下着のようなもの(パンツ)を押し込んだ旨の供述をするに至っている。この点,仮にかかる最終段階の供述にあるとおり,被告人Cと協力してEの口にパンツを押し込んだと 協力してEの口を開かせ,口の中に白い下着のようなもの(パンツ)を押し込んだ旨の供述をするに至っている。この点,仮にかかる最終段階の供述にあるとおり,被告人Cと協力してEの口にパンツを押し込んだという経緯があったのであれば,被告人Dの立場からすれば,より早期の段階でその旨供述していて一向におかしくなかったと思われるのに,当初そのような供述をしていた形跡がないことはいささか不自然である上,このように供述を変遷させた理由についても特段の説明は付されていない。 総じて,被告人CがEの首を絞めた点や被告人DがEの口にパンツを詰め込むなどした点は,いずれもEの殺害に直接かかわる印象深い出来事であると思われるところ,かかる自白の根幹をなす部分に前記のような供述の変遷があることは,やはり相応に軽視し得ない事情というべきである。 金品強取に関する供述ア物色の状況等 被告人Cについて被告人Cは,E方で金品を物色するなどした状況について,捜査の最終段階となる12月19日の検察官の取調べにおいては,前記のと - 78 -おり,Eを殺害した後,金を探そうと板の間の玄関口のロッカーを開けようとしたが開かなかったので,もとの畳の部屋に戻り,机の引出しを袖の引出しから開けて探すと,真ん中の引出しから茶色の革の財布と鍵束を見つけ,鍵束の中の鍵を使って机の左手に2つ積み重ねられたロッカーのうち上のロッカーの鍵を開けて中を見たが金はなかった,下のロッカーは鍵なしで開き,その下から2段目に置かれていた書類の間に千円札があったので,ポケットにしまったなどと供述したものである。 この点,被告人Cは,自白当初にあっては,自らは金品の物色,強取は一切していないかの如き趣旨の供述をしていたものの,10月18日以降,自らの物色状況について次第 まったなどと供述したものである。 この点,被告人Cは,自白当初にあっては,自らは金品の物色,強取は一切していないかの如き趣旨の供述をしていたものの,10月18日以降,自らの物色状況について次第に供述を始めたものであるところ,同日行われた警察官の取調べにおいては,8畳間の南側のロッカーの片開きのハンドルを回すとダイヤルも鍵もかかっておらず,扉が開いたのでその中を物色したと供述したが,同月23日の警察官の取調べにおいては,同ロッカーの扉には片開きの鍵穴に鍵が刺さっており,鍵をいじらずにハンドルを回してみたところ扉が開いたなどとして,初めて鍵の存在に言及し,従前の供述を変更している。そして,同月31日の警察官の取調べにおいては,8畳間の机の引出しから財布と共に鍵束を見つけ,その中の鍵を前記ロッカーに2度目に差し込んだ際,ロッカーが開いたなどとして,自ら鍵を使用したことにも言及し,重ねて従前の供述を変更している。この点について,同日作成された供述調書中には,被告人Cが,Eは一人暮らしなので,鍵の所在は誰も知らないと思い,それまで嘘をついていたなどとの説明を加えた旨の記載もあるが,その内容も必ずしも納得のいくものではない。 また,被告人Cは,11月3日の警察官の取調べにおいて,捜査官から押収された鍵束を示され,突如として,ロッカーを開けた鍵は1 - 79 -54と刻印された鍵である旨,前後の脈絡もなく供述し,さらに,12月22日の検察官の取調べにおいては,そのロッカーの鍵は154と刻印された鍵であり,ロッカー側の鍵を差し込む穴のところに番号がついているのでそれと分かった,以前ガラス拭きの仕事をしていたことがあるのでその知識があったなどとも供述している。この点は,鍵に刻印されていた数字などという極めて細部にわたる,記憶にも留まりに がついているのでそれと分かった,以前ガラス拭きの仕事をしていたことがあるのでその知識があったなどとも供述している。この点は,鍵に刻印されていた数字などという極めて細部にわたる,記憶にも留まりにくいと思われる事項について,何故,この段階に至り記憶を喚起することができたのか,その理由は全く明らかではなく,余りにも唐突な供述である。被告人Cが,真に前記のような経緯でそのロッカーの鍵を見つけたというのであれば,当初からその旨供述していて然るべきと思われるのに,この点,前記のとおりやや迂遠な供述経過を辿っていることは,やはり不自然なものというほかない。 被告人Dについて被告人Dは,E方で金品を物色するなどした状況について,捜査の最終段階となる12月13日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,Eを殺害した後,布団を引っ張り出さずに押入れの中を探していたところ,布団の間から新聞紙に包まれた黒っぽい布の札入れを見つけた旨供述している。 この点,被告人Dは,自白を始めた当初の10月17日の警察官の取調べにおいては,畳の下からボール箱に入った黒い財布(一万円札と千円札で約10万円くらい在中していたという。)を見つけた旨供述し,同月24日の警察官の取調べにおいては,押入れの布団を引っ張り出して探しているときにその中から新聞紙に包まれた黒い財布(広げた大きさは縦20センチメートルくらい,横18センチメートルくらいで,一万円札3枚,千円札10枚の束7束,合計10万円が在中していたという。)を見つけ,これを奪ったなどと供述したもの - 80 -であるところ,この日の供述の変更については,後日,11月3日の警察官の取調べに際し,自白したばかりで興奮しており,Eは独り暮らしだから金を置いてあった場所などいい加減なことでもすむと思い 0 -であるところ,この日の供述の変更については,後日,11月3日の警察官の取調べに際し,自白したばかりで興奮しており,Eは独り暮らしだから金を置いてあった場所などいい加減なことでもすむと思い,細かいことは思い出さずに簡単に供述したなどとの説明を加えている。しかし,かかる説明の内容自体いささか理解に窮し,場当たり的との印象も禁じ得ないものである上,いずれにせよ,財布を見つけて奪ったことを認めておきながら,これを発見した経緯や状況を偽ったところで,被告人Dにとってさしたる意味があるとは思われないのであるから,そのような説明は敢えて虚偽の事実を述べた理由として到底首肯し得るものではない。また,畳の下にあったボール箱の中から財布を見つけたことと,押入れの布団の間から財布を見つけたこととは,全く状況が異なるもので,供述を進めるうちに記憶が喚起され,供述が詳細化したなどとみることも困難である。 そして,被告人Dは,同日の時点で,前記のようなあたかも真実を述べるかの如き説明をしておきながら,結局,12月13日の検察官の取調べにおいては,前記のとおり,布団を引っ張り出さずに押入れの中を物色したなどとして,何らの理由も付することなく重ねて供述を変遷させているのであり,かかる経過も何とも不可解というほかない。 イ白い布製の財布について被告人Cは,自白を始めた当初の10月15日の警察官の取調べにおいて,E方から逃走し,K1橋の手前の土手に上る途中で被告人Dが手に持っていた財布を見せた,財布は白っぽい布でできていた,三つ折りで幅15センチメートルくらい,長さ20センチメートルくらいのもので,財布の手前の折ったところから千円札2枚を出して見せ,中の袋になったところにはばら銭で900円くらいとこのほかに百円札2枚く - 81 -らい トルくらい,長さ20センチメートルくらいのもので,財布の手前の折ったところから千円札2枚を出して見せ,中の袋になったところにはばら銭で900円くらいとこのほかに百円札2枚く - 81 -らいが入っていた,被告人Dは金を出して「これだけしかないや。」と言っていたなどと極めて詳細な供述をし,その後,同月27日の取調べの際には,その財布につき横10センチメートルくらい,縦20センチメートルくらいと説明した上,その形状まで図示していたものである。 しかし,被告人Cは,同月31日の警察官の取調べにおいて,突然その供述を翻し,Eを殺害した後,Eの尻の左側ポケットの中から白っぽい布の財布が出ているのに気付き抜き取った,財布の中には3000円くらい入っていたなどとして,その財布は被告人Dではなく自分が取ったものである旨詳細に供述するに至った。 このように供述を変えた理由について,被告人Cは,同日の取調べに際し,被告人Dの話とくい違う嘘を言っていたが,細かい話をして被告人Dの供述とくい違いのある状況を作っておけば裁判でも言い逃れができるというような気持ちがあったなどと説明する。しかし,被告人Cは,同日の取調べで,一方では,細かい話をしなければ,言い逃れができると思ったなどとも供述しており,その場その場で適当な弁解をしているようにも見受けられ,いずれにしても,そのような説明は,到底首肯し得るものではない。そして,被告人Cは,そのような説明をしておきながら,12月19日の検察官の取調べにおいて,自分はEのズボンのポケットから財布を抜き出したりはしていないし,逃げる途中で被告人Dが財布を捨てたかどうかについても自分は知らないなどと述べて,結局は,前記10月15日及び同月31日の相互に相矛盾する各詳細な供述をいずれも全て否定し,財布の存在についてす し,逃げる途中で被告人Dが財布を捨てたかどうかについても自分は知らないなどと述べて,結局は,前記10月15日及び同月31日の相互に相矛盾する各詳細な供述をいずれも全て否定し,財布の存在についてすら極めて曖昧な内容を述べるに至っている。かかる供述の変遷については何らの説明も付されておらず,誠に不自然かつ不可解なものといわざるを得ない。 さらに,被告人Cは,12月25日の検察官の取調べにおいて,この財布について,「Eのズボンのポケットからとったなんてしゃべってし - 82 -まったので,自分が言い出したことだから,後であれは被告人Dがとったなどと違うことを言い出したりしたが,被告人Dは知らないことなので答えられないだろうと思ったから自分がとったと言った,3000円くらいあったとしゃべったからそれくらいのことならと思って自分がとったことにした。」などと供述しているものの,かかる説明についても,何とも趣旨不明のものと評するほかはない。 ウ強取した現金の金種,金額等被告人Cは,E方から強取した現金の金種,金額等について,10月18日の警察官の取調べにおいて,ロッカーの中から一万円札6枚くらいを奪った旨供述したが,同月23日以降の取調べにおいては,千円札7枚を奪った旨述べて,供述の内容を変更している。この点,当初6万円と供述したことについて,被告人Cは,自白調書の中で,被告人Dが奪った金が10万円くらいあったと思ったのに比べ,自分ばかりが少ない額を言ったのでは信用されないと思ったなどと述べているが,この説明はにわかに腑に落ちるものではない。被告人Cは,これとは別に,当初,千円札2枚,百円札二,三枚,百円銀貨七,八枚の合計3000円くらいが在中していた白い財布を奪った旨供述していたが,後にそのような事実はない旨供述を変更して はない。被告人Cは,これとは別に,当初,千円札2枚,百円札二,三枚,百円銀貨七,八枚の合計3000円くらいが在中していた白い財布を奪った旨供述していたが,後にそのような事実はない旨供述を変更しており,この点についても同様に理解に窮する面があることは既に述べたとおりである。 一方,被告人Dは,当初,畳の下から,ボール箱に入った,一万円札,千円札で,約10万円くらい在中の黒い財布を見つけ,これを奪った旨供述していたが,後に,押入れの布団を引っ張り出して探していた際,その中から新聞紙に包まれた,一万円札3枚,千円札10枚の束が7束で合計10万円在中の黒い財布を見つけ,これを奪った旨供述するに至っているところ,このように供述を変更した経過全般についても,いささか不可解な面があることは既に述べたとおりである。 - 83 -エ強取した現金の分配状況等被告人Cは,10月15日の警察官の取調べにおいて,E方から逃走する途中,土手で,被告人Dから白い布製の財布を見せられ,我孫子駅から柏駅に向かう列車内において千円札1枚を渡されたと供述し(なお,当初このような供述をした理由について,後に,自白調書の中で,被告人Cは,この時点では,逃走後にH12方に行ったことを供述できず,柏の旅館に泊まったような供述をしたところ,旅館では一万円札を出せないので,千円札を分けてもらって泊まったことにしたなどと説明しているが,かかる説明の合理性には疑問が残る。),同月18日の警察官の取調べにおいては,K12付近で被告人Dが白い紙包みをズボンのポケットから取り出しそれを破いて一万円札10枚くらいを見せられ,自分も一万円札6枚くらいを見せた,利根川の土手に上がる途中で,被告人Dから白っぽい財布とその在中金を見せられたなどと供述している。 ところが,被告人C しそれを破いて一万円札10枚くらいを見せられ,自分も一万円札6枚くらいを見せた,利根川の土手に上がる途中で,被告人Dから白っぽい財布とその在中金を見せられたなどと供述している。 ところが,被告人Cは,同月23日の警察官の取調べにおいて,K12の付近で自分が被告人Dに見せたのは7000円であり,K1橋付近の利根川の土手で,被告人Dから一万円札3枚を渡され,列車内においても千円札1枚を受け取ったなどと述べ,また,同月27日の警察官の取調べにおいて,被告人Dから現金を受け取ったのはK1橋付近の1回だけで,翌日数えてみるとその金額は一万円札3枚と千円札1枚であった,従前柏駅に着く列車内で現金を受け取った旨供述していたが,そのような事実はないなどと述べて,それぞれ供述を変更している。そして,被告人Cは,同月30日の警察官の取調べにおいては,K1橋付近で被告人Dから現金を受け取ったことそのものを否定し,湖北駅辺りの列車内で千円札10枚の束が3束と一万円札1枚の合計4万円を受け取ったなどとして重ねて供述を変更している(この点の供述の変更について,被告人Cは,自白調書の中で,被告人Dに細かいことは言うなと言われ - 84 -ていたからであるなどと説明しているが,被告人Cは,前記のとおり,自白を始めた当初から,被告人Dから分配された現金について,その金額や金種を詳細に供述していたものであり,そのような説明もおよそ納得のいくものではない。)。さらに,被告人Cは,その後,被告人Dから見せられた旨述べていた白い布製の財布を巡って著しく供述を変遷させたことは既に述べたとおりである上,12月19日の検察官の取調べにおいては,列車の中で被告人Dから渡された現金についても,一万円札3枚と千円札10枚であったなどとして,またしても供述を変更するに至っている。 に述べたとおりである上,12月19日の検察官の取調べにおいては,列車の中で被告人Dから渡された現金についても,一万円札3枚と千円札10枚であったなどとして,またしても供述を変更するに至っている。 一方,被告人Dは,10月17日の警察官の取調べにおいて,E方から逃走する途中の利根川の土手で,被告人Cに奪った現金(約10万円)の半分くらいを目見当で渡した,被告人Cは千円札を持っていたが2万円くらいあるように見えたなどと供述し,同月26日の警察官の取調べにおいては,湖北駅辺りの列車内で,お互いに奪ってきた現金を見せ合い,被告人Cに対し,一万円札1枚と千円札10枚の束が3束の合計4万円を渡したなどと供述している。また,被告人Dは,その後,同月31日の警察官の取調べにおいて,土手の中段で被告人Cに自分が手に持っていた現金を見せたように思うなどと述べ,以前のようにその現金の一部を被告人Cに渡したとの事実に明確に触れるものではないものの,これに類する状況も供述していたが,12月13日の検察官の取調べにおいては,利根川の土手で被告人Cに奪った現金を見せたこと自体,全く供述しておらず,かかる状況の如何は結局曖昧なものとなっている。 この点,被告人Dは,当初,利根川の土手で被告人Cに奪った現金の一部を渡した旨供述した理由について,10月29日の警察官の取調べにおいては,供述を始めた当初は興奮していて頭がこんがらがっていたので適当なことを言ってしまったなどと説明し,11月3日の警察官の取 - 85 -調べにおいては,川にボール箱を投げた後すぐに被告人Cに山分けしたように言えば話が簡単で面倒くさい取調べを受けなくて済むと思い,嘘を言ったなどと説明しているが,その説明の内容自体が変遷している上,いずれの内容もいささか理解に窮するところである。 分けしたように言えば話が簡単で面倒くさい取調べを受けなくて済むと思い,嘘を言ったなどと説明しているが,その説明の内容自体が変遷している上,いずれの内容もいささか理解に窮するところである。 オ小括このように,E方から強取した金品に関する被告人両名の供述は,いずれもその変遷が著しく,まさに捉えどころがない。当初から金を借りる目的でE方を訪れ,本件強盗殺人の犯行に至ったとされる被告人両名にとって,真にその犯行を犯したものであるとすれば,現に強取した金品は極めて関心の強い事柄のはずであり,この点に関する記憶は比較的保持されやすいのではないかと推察されるのであるから,かかる被告人両名の供述の変遷を単なる記憶違いとしてみることは困難である。また,その変遷の過程における各供述を子細にみれば,逐次,自分に有利に供述しようなどとの被告人両名の意図が働いたなどとの観点から,これらの供述の変遷を説明することも困難なように思われる。 なお,被告人Cの自白調書中には,後の裁判で争うことを計算し,敢えて,事実に合わない虚偽の供述をしたかの如き説明をした旨の記載も存するものの,当時,20歳を過ぎたばかりで公判請求をされた経験もない被告人Cが,そのような狡猾な考えの下,殊更詳細にわたる虚偽の供述を重ねていくなどとの経緯は考えにくい上,そもそもそのようなことで説明のつく供述状況であるとも思われない。 ガラス戸の工作等に関する供述ア供述を始めた時期等E方の8畳間と4畳間の間のガラス戸を取り外すなどして隠蔽工作を講じたことについては,被告人両名は,いずれも,自白を始めてから既に相当期間取調べが進んだ10月29日に至り初めて供述をしたも - 86 -ので,それ以前には,いずれも全くそのような供述をしていた形跡は窺われない(なお,被告人C いずれも,自白を始めてから既に相当期間取調べが進んだ10月29日に至り初めて供述をしたも - 86 -ので,それ以前には,いずれも全くそのような供述をしていた形跡は窺われない(なお,被告人Cが,E方の便所の窓に隠蔽工作を講じたことについて供述を始めたのも同月26日に至ってのことであり,それ以前にそのような供述をしていた形跡は全く窺われない。)。 このように供述が遅れた理由については,被告人Dは特段の説明を付してはいないものの,被告人Cは,警察官による取調べにおいて,被告人Dから絶対に余計なことはしゃべるなと言われていたからであるとか,細かなことを言わなければ裁判になっても自分が犯人ではないと言い通せると考えていたからであるなどと説明している。しかし,その説明の内容自体いささか理屈走ったものとの印象を禁じ得ない上,そもそも,最も肝心なEを殺害して金品を強奪したことは既に認めておきながら,ガラス戸を外すなどの工作を講じたことを殊更隠すことにどのような意味があるのかは疑問であり,到底合理的な説明であるとは思われない。また,被告人Cは,12月25日の検察官の取調べにおいては,ガラス戸の件についてはもともと隠す気でいたのではなく,はっきりしないところがあったので言えなかった,色々聞かれているうちに思い出したから事実を話したなどと従前の説明とは矛盾する内容を述べており,その説明も一貫していない。 なお,付言するに,このようにガラス戸を取り外すなどすることが,本件強盗殺人の犯行に及んだ真犯人の立場から何をどのように隠蔽することに繋がるのか,その意味自体にも相応に疑問が残るところである。この点,被告人両名は,自白調書の中で,泥棒が侵入したように装うためなどと供述していたものであるが,そのような工作を講じずとも何者かがE方に侵入したことは 意味自体にも相応に疑問が残るところである。この点,被告人両名は,自白調書の中で,泥棒が侵入したように装うためなどと供述していたものであるが,そのような工作を講じずとも何者かがE方に侵入したことは既に明らかな状況であったといえるのであり,敢えて逃走を遅らせてまでそのような工作を講じることにいかなる意味があったのか,やはり疑問が残るといわざるを得ない。そして, - 87 -そのような特異ないし特徴的ともいえる行動について,前記のとおり当初の自白から相当期間が経過してようやく被告人両名の口から語られ,しかも両名揃って全く同じ日にその供述を始めるなどというのも,いささか奇妙な経過であるとの印象を禁じ得ない。 イ供述を始めた以降の経過等 被告人Cについて被告人Cは,10月29日の警察官の取調べにおいて,被告人Dが8畳間東側に立ち,敷居の上に乗ってガラス戸を8畳間の内側から蹴飛ばしたので内側のガラス戸のガラスが割れ,外側(4畳間側)のガラス戸は2人で外して自分が横に倒して立てかけたなどと供述し,12月19日の検察官の取調べにおいては,被告人Dがガラス戸を蹴り,自分も手伝って手前のガラス戸1枚を外してそれを横にして柱か何かに立てかけた,被告人Dがもう一枚のガラス戸をガタガタやっているのを聞きながら,自分は便所に入り窓の桟を外しにかかった,そのとき部屋の方でガチャンという音がしたなどと供述しているが,その際,ガラスが割れるのを現認したなどとは供述していない。そして,被告人Cは,同月21日の検察官の取調べにおいては,ガラス戸のうち1枚は自分が外して柱か何かに立てかけておいたが,まだそのときもう一枚のガラス戸が残っていて被告人Dがどうにかした,自分が1枚目のガラス戸を外す前に被告人Dがガラス戸を蹴飛ばして大きな音がし うち1枚は自分が外して柱か何かに立てかけておいたが,まだそのときもう一枚のガラス戸が残っていて被告人Dがどうにかした,自分が1枚目のガラス戸を外す前に被告人Dがガラス戸を蹴飛ばして大きな音がしたが,それがガラスの割れた音かどうかは覚えていない,その後便所の中で,もう一度ガラス戸の方から大きな音が聞こえたなどと供述しており,被告人両名がそれぞれいずれのガラス戸を外したのかという点についても曖昧な内容となっている。さらに,被告人Cは,同月22日の検察官の取調べにおいては,自分が8畳間側の内側のガラス戸を外して玄関側の柱かどこかに横にして立てかけた,外側(4 - 88 -畳間側)のガラス戸の方に被告人Dがいて,そのガラス戸の下の方を足で蹴った,大きな音がしたので外側のガラス戸のガラスが割れたように思ったが,自分にはガラスが落ちて割れたのかどうかははっきりしなかった,その後,便所の工作をしている最中にガラス戸を外した辺りで大きな音がしたなどと供述している。 このように,被告人Cは,当初,被告人Dがガラス戸を蹴ってガラスが割れたところを見た旨述べていたにもかかわらず,最終的には,ガラスが割れたことを認識したか否かすら曖昧となり,被告人両名の立ち位置等に関しては全く異なる内容を供述をするにまで至ったもので,このような変遷が生じた理由についての説明はなく,いささか不自然な経過といわざるを得ない。 被告人Dについて被告人Dは,10月29日の警察官の取調べにおいて,被告人Cがガラス戸を外そうとしたのでそれを手伝った,被告人Cを西側の敷居に立たせ,自分は反対側に立って,2人で南側の1枚だけ持ち上げた,自分が下の方を蹴飛ばしたら上の方のガラスが2枚くらい割れた,無理に引っ張ったらガラス戸が外れたので表側へ倒した,ガラスが割れ 敷居に立たせ,自分は反対側に立って,2人で南側の1枚だけ持ち上げた,自分が下の方を蹴飛ばしたら上の方のガラスが2枚くらい割れた,無理に引っ張ったらガラス戸が外れたので表側へ倒した,ガラスが割れて足元に落ちていて危ないと思い手を放した,後は被告人Cが寄せたと思うなどと供述し,同月31日の警察官の取調べにおいては,表側のガラス戸1枚は2人で外したが,後の1枚はそのままにして出てきたように覚えているなどと供述している。また,被告人Dは,12月13日の検察官の取調べにおいては,ガラス戸を最初に外しにかかったのは被告人Cだが,外れないのを見て被告人Cと同様に4畳間に行き,被告人Cが8畳間に向かって右側,自分が8畳間に向かって左側に立ち,4畳間側のガラス戸を持ち上げながら外しにかかった,ガラス戸の足下のところを狭い部屋に向けて蹴飛ばしたところ,上のガラ - 89 -スが割れて落ちてしまった,そのガラス戸が外れたので下に寝かせようとしたとき,被告人Cが「後は俺がやるから裏に靴を回してくれ。」と言い出したので,手を放して外に出たなどと供述し,2人の立ち位置等についての説明を変遷させている。さらに,被告人Dは,同月23日の検察官の取調べにおいては,ガラス戸を外す際,自分が4畳間に,被告人Cが8畳間にいて,2枚に重なったガラス戸をそれぞれ1枚ずつ外そうとしたが,自分が外そうとしたガラス戸がなかなか外れないので,これを足で蹴飛ばすと,上のガラス2枚が割れて落ちた,被告人Cが先にガラス戸を外してこれを4畳間の脇に横にして立てかけた,自分が外そうとしていたガラス戸が外れた際,手が放れてしまいそのガラス戸が倒れ,その拍子にガラスが割れて大きな音がした,ガラス戸を蹴ったときと外したガラス戸を倒したときの2回ガラスが割れたことになる旨供述し,再び2人の ガラス戸が外れた際,手が放れてしまいそのガラス戸が倒れ,その拍子にガラスが割れて大きな音がした,ガラス戸を蹴ったときと外したガラス戸を倒したときの2回ガラスが割れたことになる旨供述し,再び2人の立ち位置に関する説明を変更した上,被告人Dが1枚目のガラス戸を外したのみでその場を離れたことや,2人で左右を持って1枚目のガラス戸を外したことなど,それまで概ね一貫して述べていた部分についても,いずれもこれを翻している。 このように,被告人Dは,いずれも極めて具体的かつ詳細に行った従前の供述を次々と変遷させているのであって,その理由についても特段の説明は付しておらず,不自然との感を否めない。 逃走状況に関する供述(バー「K16」を訪れた点について)E方から逃走した後の状況について,被告人両名が捜査の最終段階において述べるところは,前記のとおり,いずれも,犯行後r駅から電車を乗り継いでx駅で降り,H12方へ行ったとする内容で共通している。 しかし,被告人Cは,10月15日の警察官の取調べにおいては,r駅から電車に乗り,柏駅で降車して被告人Dと別れ,柏の旅館に泊まったな - 90 -どと供述し,同月24日まで同旨の供述を維持していたものであるところ,これと呼応するように,被告人Dも,同月17日の警察官の取調べにおいては,被告人Cとは我孫子か千住で別れたなどと供述していたものである。その後,被告人両名は,共に供述を変更し,被告人Dについては同月26日の警察官の取調べにおいて,被告人Cについては同月27日の警察官の取調べにおいて,いずれも2人で一緒にxのH12方に行った旨供述するに至った。すなわち,被告人Cは,一旦H12方に行ってから午後11時40分ころH12の勤務先であるバー「K16」に行き,H12方に戻って寝たなどと供述し,被告人 一緒にxのH12方に行った旨供述するに至った。すなわち,被告人Cは,一旦H12方に行ってから午後11時40分ころH12の勤務先であるバー「K16」に行き,H12方に戻って寝たなどと供述し,被告人Dも,午後11時半ころ被告人Cと一緒にx駅で降りて,H12方に行ったが,被告人Cがいなくなったので食事に行って戻ると,被告人Cが戻ってきた,被告人Cは酔っぱらっており,「風呂に入って兄貴のところに行ってきた。」などと言っていた旨供述した。 被告人Cは,その際,当初柏の旅館に泊まった旨述べていた点について,まっすぐH12のところに行ったと言えばH12に迷惑がかかると思ったなどと説明していたものであるが,被告人Cは,それまでに,本件強盗殺人の犯行を否認し,アリバイの主張をするなどしていた過程において,既にその当日はxのH12方に行っていた旨主張していたことが認められるのであるから,その説明はいささか不自然である。 ところが,被告人Cは,12月19日の検察官の取調べにおいて,犯行後,被告人Dと2人でH12方に行き,午後11時40分ころ着いた旨述べながら,その後の行動については一切触れておらず,同月21日の検察官の取調べにおいては,犯行当日バー「K16」に行ったと従前述べていたがそれは別の日の誤りであったなどとして,犯行当日バー「K16」に行ったこと自体を明確に否定するに至った。また,被告人Dも,同月13日の検察官の取調べにおいて,H12方に着いてから30分くらい話をし - 91 -て2人で寝てしまった,被告人Cがバー「K16」に行ったことはない旨供述し,犯行当日被告人Cがバー「K16」に行った事実を明確に否定するに至っている。 この点も,いささか不自然な経過のように思われる。 小括被告人両名の捜査段階における自白について,その供述 供述し,犯行当日被告人Cがバー「K16」に行った事実を明確に否定するに至っている。 この点も,いささか不自然な経過のように思われる。 小括被告人両名の捜査段階における自白について,その供述経過を検討し,変遷が認められる重立った点は,概ね以上に指摘したとおりである。 これらの変遷は,犯行に至る経緯,殺害態様,金品の物色状況,強取した金品の内容,逃走状況等,犯行そのものやそれに直結する重要な事項の全般にわたり,その程度も容易に看過し得るものではない。そして,以上の検討によれば,その変遷に合理的な理由を見出すことも困難である。 このように,被告人両名の自白が,その各供述経過にかかる不自然,不合理な変遷を多々伴うものであることは,取りも直さず,その各自白の信用性自体を相応に減殺し,ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめるものといわざるを得ない。 なお,検察官は,一般に,自白というのは,当初から全ての点につき詳細に得られるものではなく,被疑者が記憶違いや事実の隠蔽等から供述を変遷させることは多々見受けられるのであるから,供述に変遷があるからといって直ちにその信用性に疑いがあるとはいえない,人により,注意力や意識の深浅,広狭の程度に違いがあるため事態の認識の程度が異なり,記憶の内容,程度にも差異が生じる上,悔悟改悛の情から全てを自白した真犯人が,認識や記憶の不確実さから,誤った,或いは曖昧な供述をすることもあり,その後,他の証拠と対比するなどして記憶を喚起し,供述を訂正していくといった推移を辿ることも往々にしてみられるのであるから,本件において,被告人両名の供述に変遷がみられるとしても,被告人両名の自白の信用性は何ら減殺されない旨主張する。 - 92 -確かに,一般論として,検察官が指摘するような事情で供述の変遷が生ずる において,被告人両名の供述に変遷がみられるとしても,被告人両名の自白の信用性は何ら減殺されない旨主張する。 - 92 -確かに,一般論として,検察官が指摘するような事情で供述の変遷が生ずることは十分想定されるところであって,かかる指摘自体に何ら異を唱えるものではない。 しかしながら,本件においては,被告人両名は,以上に指摘したとおり,犯行内容自体や犯行前後の行動等,極めて広汎にわたり,かつ重要な事項について悉く供述を変遷させているのであって,その変遷の程度にも甚だしいものがある。しかも,供述が具体的かつ詳細な方向へと変遷している部分と,逆に曖昧な方向へと変遷している部分が織り混ざるなど,その各供述経過はいずれも複雑な経過を辿っている。加えて,被告人両名が自ら変遷の理由として述べるところも多岐にわたり,かつ,それらがいずれもいささか理解に窮し容易に首肯し得るものでないことは,以上の検討の過程において既に指摘しているとおりである。これらを総合して勘案すると,本件における被告人両名の自白に係る供述の変遷を,全て検察官が主張するような一般論の範疇で,果たして合理的なものとして評価し得るかについては,いささか疑問の残るところといわざるを得ない。 5 被告人両名の自白相互の相違点被告人両名の自白は,これをそれぞれ個別にみると,以上のとおり,その各供述経過には容易に看過し難い変遷を多々伴うものであることが明らかとなったところ,前記捜査の最終段階における被告人両名の供述を前提に,これを相互に比較,検討しても,各自白に係る供述の内容は相互に多くの点で相違している。 そこで,以下,重立った相違点を指摘して検討する。 犯行当日被告人両名が出会った状況等被告人Cは,犯行当日被告人Dと出会ったのは,K1橋を渡ったところのバ に多くの点で相違している。 そこで,以下,重立った相違点を指摘して検討する。 犯行当日被告人両名が出会った状況等被告人Cは,犯行当日被告人Dと出会ったのは,K1橋を渡ったところのバスの停留所付近であった旨述べているところ,被告人Dは,我孫子駅の成田線ホームで被告人Cに出会って言葉を交わし,その後r駅で降車し - 93 -てから,再度被告人Cに出会った旨供述しており,この点,被告人両名の供述は明らかに異なっている。 E方から一旦K1橋方面に戻った経路とその後の状況等被告人Cは,Eに借金を断られ,一旦E方を退去した後,どぶ川沿いの道を通ってK1橋方面に戻った旨供述するが,この点,被告人Dは,表通りの道(s町丁字路)を通って戻った旨供述しており,被告人両名の供述は明らかに異なっている。また,その後の行動についても,被告人Cが,土手から河原に下りて,橋の下周辺を行きつ戻りつしたなどと述べているのに対し,被告人Dは,橋のたもとのバス停の付近をぶらぶらしていたが河原に下りたことはないなどと述べており,その点でも被告人両名の供述は異なっている。 Eを殺害した状況等被告人Cは,被告人DがEに馬乗りになるなどした後の状況として,被告人Dに「足,足。」と言われ,ワイシャツとタオルでEの両足を縛った,縛り終わると被告人Dが「おう,おう。」と言うので,両手で上からEの喉を押さえつけた,そのときにはもう白い布がEの口の中に詰まっていたなどと供述するが,この点,被告人Dは,Eの上に馬乗りになり,被告人Cと2人でEの顎を押さえるようにして,自分が白っぽい下着のようなものをEの口の中に押し込んだ,それでもEが足をばたつかせて暴れるので,被告人Cが言い出し自分も同意して被告人Cがワイシャツとタオルで足を縛った,そして,被告人Cが「殺 ,自分が白っぽい下着のようなものをEの口の中に押し込んだ,それでもEが足をばたつかせて暴れるので,被告人Cが言い出し自分も同意して被告人Cがワイシャツとタオルで足を縛った,そして,被告人Cが「殺しちゃおう。」などと言い出し,自分も「早くしろ。」と言った,その後,被告人CがEの首に巻かれた白っぽい布の上から喉を両手で押さえつけているのを見たなどと供述しており,被告人両名の供述は相当に異なっている。 強取した現金の金種,金額,その分配状況等被告人Cは,E方から逃走した後,K12辺りで被告人Dに追いつき, - 94 -被告人Dから紙包みを破って奪ってきた現金を見せられ,自分もズボンのポケットから取ってきた札を出して被告人Dに見せたなどと供述する(被告人Cは,その後,列車内で湖北駅に着く前ころ,被告人Dから金を渡されたなどとも述べているが,互いに金を見せ合ったのは,前記の場面のみということになる。)が,被告人Dは,2人で奪ってきた金を見せ合ったのは湖北駅を出発して間がないころの列車の中であった旨供述しており,被告人両名の供述は異なっている。 また,互いに見せた現金の金額についても両名の供述するところは異なっており,被告人Cが見せた現金については,被告人Cが千円札7枚で7000円というのに対して,被告人Dは千円札で2万円くらいであったといい,被告人Dの見せた現金については,被告人Dが一万円札3枚くらい,千円札70枚くらいの10万円くらいであったというのに対して,被告人Cは一万円札の一部が見えただけであるなどという。 さらに,r駅から乗車した列車の中で,被告人Dが被告人Cに4万円の現金を渡したという点で,被告人両名の供述は一致しているものの,その4万円の内訳については,被告人Cが一万円札3枚,千円札10枚であったというのに対して した列車の中で,被告人Dが被告人Cに4万円の現金を渡したという点で,被告人両名の供述は一致しているものの,その4万円の内訳については,被告人Cが一万円札3枚,千円札10枚であったというのに対して,被告人Dは一万円札1枚,千円札30枚であったというのであり,被告人両名の供述は異なっている。 そして,被告人Dは,被告人Cが何か白っぽいものを川の中に投げ込んだのを見た旨供述しているが(ただしそれが財布であるとか財布らしきものであるとまでは供述していない。),被告人Cは,自分がそのような財布を川に投げ込んだようなことはない旨供述しており,この点でも被告人両名の供述は異なっている。 犯行現場における隠蔽工作等の状況被告人Cは,Eを殺害した後,布団を取ってきてEを寝かせようと2人でEの体を持ったが持ち上がらず,そこでEの体の上に布団を被せたなど - 95 -と供述するが,被告人Dは,被告人Cが「寝てたようにしておくか。」と言い出したため,2人で敷布団等をEの上にかけた,2人でEの体を持ち上げたり運ぼうとしたことはないなどと供述しており,この点,被告人両名の供述は異なっている。 また,被告人両名がEを殺害後,E方に泥棒が入ったように装うため,ガラス戸を外すなどの隠蔽工作を行ったとする点に関し,かかる隠蔽工作をはじめにどちらが提案したのかについても被告人両名の言い分は異なっている上,ガラス戸を外した際の具体的状況についても,被告人Cは,被告人Dがガラス戸を蹴り,それから自分も手伝って手前のガラス戸を外し,それを横にして柱か何かに立てかけた,被告人Dがもう一枚のガラス戸をガタガタやっているのを聞きながら,自分は早く誰かが裏から入ってきたようにしようと思い便所に入った,便所の中でガチャンという音を聞いたなどと供述するのに対し,被告人Dは 告人Dがもう一枚のガラス戸をガタガタやっているのを聞きながら,自分は早く誰かが裏から入ってきたようにしようと思い便所に入った,便所の中でガチャンという音を聞いたなどと供述するのに対し,被告人Dは,被告人Cがまずガラス戸を外しにかかり,自分もそれを手伝った,2人で2枚重なった戸をそれぞれ1枚ずつ外そうとしたが,自分が外そうとしていたガラス戸がなかなか外れないので,これを足で蹴飛ばすと,上のガラスの2枚がガチャンと割れて落ちた,反対側にいた被告人Cは先にもう一枚のガラス戸を外して4畳間に持ち込み,横にして脇に立てかけて置き,その場を離れた,その後,自分が外そうとしていたガラス戸が外れた際,手が放れてしまいそのガラス戸が倒れ,その拍子にガラスが割れて大きな音がしたなどと供述しており,被告人両名の供述は大きく異なっている。 小括以上のとおり,被告人両名がそれぞれ本件強盗殺人の犯行を自白する供述相互には,多岐にわたる多くの相違点が存在する。これらの相違点については,被告人両名それぞれに思い違いや記憶違いがあったり,或いは,自己に有利に話をしようなどとの意図が銘々の供述を歪め,結果として相 - 96 -互の供述に食い違いが生じているなどとの可能性も十分想定されるところではあるものの,他方,そのような見方のみから以上全ての相違点を十分合理的に説明しきれるかについては,若干の疑問もなしとしない。被告人両名が実際には体験していない事実を供述しているが故に,広汎にわたり相互の供述内容に不一致が生じているのではないかなどとの疑いも一概には払拭することができない。この点も,被告人両名の自白の信用性を相応に減殺し,ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめる事情である。 6 自白の内容と客観的事実との整合性等被告人両名の自白の任意性, とができない。この点も,被告人両名の自白の信用性を相応に減殺し,ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめる事情である。 6 自白の内容と客観的事実との整合性等被告人両名の自白の任意性,信用性を検討するに当たり,他の証拠と比較,対照の上,その整合性等の観点から内容の合理性如何を検討する必要があるところ,以下,被告人両名の自白に係る各供述内容を,Eの死体の状況や犯行現場であるE方の状況等,他の証拠から認められ,或いは推認される客観的事実と対照し,相互の整合性等に問題が生じ得ると思われる点を指摘して,検察官,弁護人双方の主張を踏まえ,順次検討を加えることとする。 殺害行為の態様等についてア被告人両名の供述等被告人Cが,Eを殺害した行為の態様として,捜査の最終段階において述べるところは,要するに,自ら,Eの足をタオルとワイシャツで縛った後,パンツを使用したかどうかは覚えていないが,両手で上からEの喉を押さえつけた,そのとき既にEの口の中には白い布(パンツ)が詰まっていたなどというものである。また,被告人Cは,かかる供述に至るまでの取調べの過程では,Eがあまり暴れるので,パンツで首を絞めて殺してやれという気になり,パンツを首に押しつけて首を絞めようとしたが,回らないので,首に当てたパンツの上から両手の平を首のところに当てて,のし掛かるようにして押さえつけたなどとも供述してい - 97 -たことが認められる。 また,被告人Dは,Eに騒がれては困ると思い,Eの顎を押さえるようにしてその口を開け,白っぽい下着のようなもの(パンツ)をその口の中に押し込んだ,それでEは声が出なくなったが,なお足をばたつかせて暴れていた,その後,Eの体を押さえつけるなどしていたところ,もがいていたEの体の力が急に抜けたので,顔を上げ (パンツ)をその口の中に押し込んだ,それでEは声が出なくなったが,なお足をばたつかせて暴れていた,その後,Eの体を押さえつけるなどしていたところ,もがいていたEの体の力が急に抜けたので,顔を上げると,被告人Cが,Eの首に白っぽい布(パンツ)を巻き,喉を両手で上から押さえつけていた,自分が「やめろ。」と言い,被告人Cは押さえつけるのをやめたが,そのときEはもう死んでしまった様子だったなどと供述している。 Eの死体の客観的な状況として,その頸部に白木綿パンツが巻かれ,その口腔内にも白木綿パンツが詰め込まれていたことは明らかであるところ,被告人両名の自白に係る前記のような供述状況を全体としてみれば,被告人両名の自白するEの殺害態様は,要するに,被告人Dにおいて,抵抗するEの口腔内にパンツを押し込むなどした後,被告人Cにおいて,パンツをEの首に巻き,最終的には,パンツの上から両手でその首を押さえつけ(法医学上「扼頸」に該当する行為),Eを死亡させたというものであると解される。そして,被告人Cが,パンツをEの首に巻いた後,最終的にパンツの上から両手でその首を押さえつけるまでの間に,パンツを用いてEの首を絞める行為(法医学上「絞頸」に該当する行為)に及んだ経緯があるかについては,被告人Cは,その点明確に供述するものではないものの,その一方で,前記のとおり,取調べの過程では,パンツで首を絞めて殺してやれという気になり,パンツを首に押し付けて首を絞めようとしたなどとも述べていたこと等からすれば,被告人Cの自白に係る供述につき,その程度の如何はともかく,かかる行為を試みたことを必ずしも否定する趣旨のものとして解することはできないように思われる(なお,被告人Dは,被告人Cがパンツを - 98 -Eの首に巻くなどする場面をそもそも目撃してはいな かかる行為を試みたことを必ずしも否定する趣旨のものとして解することはできないように思われる(なお,被告人Dは,被告人Cがパンツを - 98 -Eの首に巻くなどする場面をそもそも目撃してはいないのであるから,被告人Dの自白に係る供述がこの点を否定する趣旨のものでないことは明らかである。)。 イ検察官及び弁護人の主張等ところで,弁護人は,①Eの死体の所見からは絞頸があったことが明らかであり,扼頸はなかったと認められる,②意識がある相手の抵抗を排してパンツを強圧挿入すれば口部周辺や口腔内に損傷が生じる可能性が極めて高いところ,Eの死体の口部周辺及び口腔内には損傷が認められず,また,そもそも意識のある相手の口腔内にパンツを強圧挿入することは不可能であるなどと主張し,被告人両名の自白するEの殺害態様は,Eの死体の法医学的所見等と明らかに矛盾するものである旨主張する。 他方,検察官は,①Eの死体の所見から絞頸があったと認めることはできず,扼頸がなかったと認めることもできない,②意識がある相手の口腔内にパンツを挿入した場合に,口部周辺や口腔内に必ず損傷が生じるということはできず,そもそも,Eの死体の腐敗状況からして,その口部周辺及び口腔内に損傷がなかったと認定することはできないから,扼頸に先立ってパンツが口腔内に挿入された可能性は否定できないなどと主張し,結局,被告人両名の自白するEの殺害態様は,Eの死体の法医学的所見等と何ら矛盾するものではない旨主張する。 ウ証拠に現れた各法医学的所見の内容かかる検察官,弁護人が各主張するところを踏まえ,本件において問題となるのは,前記のような被告人両名の自白するEの殺害態様との整合性等の観点から,①Eに対する扼頸があったと認められるか,②同様に絞頸があったと認められるか 主張するところを踏まえ,本件において問題となるのは,前記のような被告人両名の自白するEの殺害態様との整合性等の観点から,①Eに対する扼頸があったと認められるか,②同様に絞頸があったと認められるか,③Eの口腔内にパンツが挿入された時期とEに対する扼頸ないし絞頸に係る殺害行為が行われた時 - 99 -期との先後関係如何の3点である。 これらの点に関連する事項について,G1医師,G2医師,F2大学医学部法医学教室教授G3(以下「G3医師」という。),東京都監察医務院院長・筑波大学名誉教授G4(以下「G4医師」という。),元東京大学医学部教授・元科学警察研究所長G5(以下「G5医師」という。)の5名から,それぞれ鑑定に基づく法医学的所見が示されている。その概要は次のとおりである。 G1鑑定G1医師は,8月30日,唯一直接にEの死体の解剖を実施してその死因の鑑定を行い,12月1日付けで鑑定書を作成するなどしたものであるところ,同鑑定書に記載された内容は概ね次のとおりである。 a 口部周辺の状態については,「口は圧迫状に硬握略々小児手拳大の布様物(布製パンツ様物体)を口腔内に硬く挿入し,その残余の一部は口腔外にはみだす。本物体の挿入は口腔内全体に強圧挿入されたものにして,上下口唇粘膜は暗紫色を呈し,舌尖は挿入されたる布様物の後方に位し,舌は腐敗膨隆暗赤色を呈す。上下の歯列は前記布様物を上下の歯列にて咬み,歯牙に於ては左下顎第一大臼歯の欠損を認める他欠損なく,口腔内に於ては前記布様物の他異物なく口腔内粘膜は全体に暗赤色を呈す」る。 b 頸部の状態については,「頸部は一般に青銅色を呈し,項部より左前頸部にかけ圧迫状にほぼ環状なせる布様物(白色布製パンツ様物体)を認むるも結節並びに結節点を 腔内粘膜は全体に暗赤色を呈す」る。 b 頸部の状態については,「頸部は一般に青銅色を呈し,項部より左前頸部にかけ圧迫状にほぼ環状なせる布様物(白色布製パンツ様物体)を認むるも結節並びに結節点を認めず,その圧迫の度合は相当強度な」ものである。創傷については,①前頸部において頭部より約5センチメートルのところに横に走る表皮剥脱創,②前頸部前記①の創より約3センチメートル左側頸部に略々平行に走る前頸部より項部 - 100 -に向かう所の3本の表皮剥脱創を存し,それぞれ長さ約2センチメートル,約2.5センチメートル,約2.8センチメートル(以下,①,②を併せて「本件表皮剥脱」という。),③頸部内景において右乳様筋(胸鎖乳突筋のことを指すと解される。)下に出血を認め,気管内粘膜に暗赤色粘稠液の付着並びに粘膜の充血性を認める,④右前胸部において圧迫創と思考される皮下出血部を存し,その範囲は径約9センチメートルを算するもので,これらの創傷は,いずれも生存中に生じたものと推測される。 c 死因については,本屍頸部における絞頸を思考させる創傷(①~③の創傷)並びに本屍口腔内に圧迫挿入されたる処の布様物はそのいずれか1つをもってしても死因たる窒息死を惹起せしめられうる死因創であるが,いずれか1つを重たる死因とするかを敢えて極言するならば,本屍の口腔内に圧迫挿入されたるところの異物により惹起せしめられたる処の気管閉鎖による窒息死と推定される。 また,G1医師は,同鑑定に先立ち,死体検案の結果に基づき,8月30日付けで死体検案書を作成しているところ,そこには,解剖の主要所見欄に「頚部に絞痕あり,右胸鎖乳様筋に出血あり,眼球,眼瞼,結膜下出血,肺のうっ血,充血(口腔内衣類をつめこんである)」と記載され,直接死因欄に「窒息死」,直接死因の原因欄に こには,解剖の主要所見欄に「頚部に絞痕あり,右胸鎖乳様筋に出血あり,眼球,眼瞼,結膜下出血,肺のうっ血,充血(口腔内衣類をつめこんである)」と記載され,直接死因欄に「窒息死」,直接死因の原因欄に「絞殺(推定)」,外因死の追加事項中の手段及び状況爛に「絞殺並びに衣類を口の中につめて窒息せしめた。推定」との記載がある。 G2鑑定G2医師は,G1鑑定等の資料に基づき鑑定を行った結果として,a)Eの死体の腐敗は極限までには達しておらず,頸部にあった扼痕が腐敗により判別不能となることはない,b)扼頸の場合,気道の軟骨,舌骨,甲状軟骨,輪状軟骨の骨折の頻度が高く,とりわけ喉頭諸 - 101 -軟骨の骨折が高頻度で起こるが,Eの死体にはその骨折がない以上,扼頸ではなく絞頸の可能性が高い,c)Eの死体に扼痕はなく,右胸鎖乳突筋下の出血は,扼頸でも絞頸でも見られる所見であるから,扼頸の積極的根拠にはならない,d)扼頸と比較すると絞頸の方が喉頭諸軟骨の骨折の起こる頻度は割と少ない,e)前頸部に横に走る表皮剥脱はある程度の幅を持ったもので絞めた索溝の一部であると判断できる,なお,Eの頸部に巻かれていたパンツの長さ,解剖時のEの頸周によれば,頸部に巻かれていたパンツを索条物として首を絞めることは可能である,f)犯人は,両手に持った布片を左側臥状態の被害者の前頸部中央で交差させ,その右手を右側頸部に当てて,左手で索条物を引っ張ったものと推測され,その場合には,前頸部の左側と前側だけに表皮剥脱ができるところ,頸部の全周に索溝がないのは,索条の一部分を固定しておいて一部分を引っ張ったため,その表面が直接当たってこすれた部分にだけ表皮剥脱が形成されたからだと思われる,g)抵抗力のある成人男性の口腔内に暴力的に異物を挿入することは簡単にできるもので 定しておいて一部分を引っ張ったため,その表面が直接当たってこすれた部分にだけ表皮剥脱が形成されたからだと思われる,g)抵抗力のある成人男性の口腔内に暴力的に異物を挿入することは簡単にできるものではなく,口腔粘膜にはもちろん口部周辺の皮膚にも表皮剥脱や皮下出血,粘膜下出血や粘膜剥離が起こることは必発である。G1鑑定書には口部周辺,口腔内の損傷(粘膜剥離や粘膜下出血)等の所見がないが,これは口の中に傷がなかったということであり,被害者の抵抗がなかったことを表しており,口腔内に布片が挿入された際,被害者は既に死亡していたか仮死状態であったかのいずれかであったと認められるなどと指摘した上,結論として,扼頸はなく絞頸があったと判断することができ,また,絞頸が先で,口腔内に布片を挿入したのは後と推察される旨の所見を示している。 G4鑑定G4医師は,G1鑑定,G2鑑定等の資料に基づき鑑定を行った - 102 -結果として,a)Eの死体はかなり腐敗が進んでいたと思われ,顔面,頸部,胸腹部で腐敗の進行はそれほど差はないとみるべきである,b)死体の死後変化の高度さからすれば,仮に扼痕が生前に存在していたとしても,死後の腐敗のために確認されないということはあり得る,c)腕等の比較的弾力性があり,それ程硬くない鈍体で頸部を圧迫する形の扼頸であれば扼痕(表皮剥脱や皮下出血)は形成されにくい,頸部に布のような軟らかい物を巻いてその上から手で扼した場合,表皮剥脱等は起こらないと思われ,皮下出血も起こりづらい,d)Eの死体の前頸部の線状の表皮剥脱は,頸部に巻かれた布様物の存在を考慮すると,布様物により形成されたとする方が自然である,e)右胸鎖乳突筋下の出血は扼頸でも絞頸でも生じ得る,f)扼頸であっても絞頸であっても喉頭諸軟骨が骨折する場合もしない場 かれた布様物の存在を考慮すると,布様物により形成されたとする方が自然である,e)右胸鎖乳突筋下の出血は扼頸でも絞頸でも生じ得る,f)扼頸であっても絞頸であっても喉頭諸軟骨が骨折する場合もしない場合もあり,喉頭諸軟骨が骨折しているかどうかで扼頸か絞頸かを区別することはできない,g)絞頸の場合,一般的には頸部を1周ないしそれ以上する索溝(表皮剥脱等)が見られ,本件の木綿パンツで頸部を絞めた場合,やわらかい凶器でできる索溝ができても不思議ではない,h)本件表皮剥脱については,絞頸ならば通常はより長いものができると思うが,頸部に布を巻いてその上から頸部を手で扼した場合,成傷器にかたいところとやわらかいところができるので,それによる表面の圧迫擦過で表皮剥脱ができても不思議ではない,i)口腔内に物体を挿入できると考えられるのは,大声を上げているとき,頸部などが圧迫され呼吸が困難になったとき,鼻部が圧迫,狭窄されて呼吸困難になったとき,意識がないとき(死亡を含み,死亡の場合は死体硬直が高度でないとき)などが考えられる,j)口腔内の粘膜は簡単に剥離するので,粘膜がはがれていても通常は分からないし,鑑定の際にも確認できない,口腔内に布片を暴力的に挿入した場合,口部周辺や口腔内の表皮剥脱や皮下出血,粘膜下出血,粘膜剥離が生じる - 103 -ことが必発の所見であると断定することはできない,k)Eの生前に,口部周辺や口腔内に表皮剥脱や皮下出血が生じ,または,口腔粘膜の剥離や粘膜下出血が形成されていても,腐敗が進行して判別できなくなったという可能性もあるなどと指摘した上,結論として,Eの死体所見のみからは,扼頸とも絞頸とも断定できないし,その両方を否定することもできない,また,パンツを口腔内へ挿入した時期については,可能性としては,絞頸が先で,布 どと指摘した上,結論として,Eの死体所見のみからは,扼頸とも絞頸とも断定できないし,その両方を否定することもできない,また,パンツを口腔内へ挿入した時期については,可能性としては,絞頸が先で,布片の口腔内への挿入が後とも考えられるが,布片の挿入が先で,その後に頸部が圧迫され,絞死或いは気管閉鎖による窒息があったとしても,これを否定するだけの死体所見はない旨の所見を示している。 G3鑑定G3医師は,G1鑑定,G2鑑定,G4鑑定等の資料に基づき鑑定を行った結果として,a)Eの死体の頸部は布様物で一周するように強度に圧迫されていたことから,その部分の皮膚は外気に触れることが少ないので,死後に起こる表皮の乾燥や腐敗が遅延し,腐敗性水疱や表皮の剥離などが押さえられること等から保存状態が良く,顔面や胸部に比較して腐敗性の変色も少なく,創傷の識別は容易であったものと考えられる,b)本件表皮剥脱は幅広の索条物により形成された断続する索条痕(索溝)であると考えられ,断続しているのは,頸部に索条物が接触していない部分があったからだと考えられる,c)手指による扼頸の場合,外表には指頭や爪による傷すなわち扼痕が見られ,頸内部,特に甲状軟骨の周辺の筋肉或いは軟部組織に大変強い出血を残し,喉頭諸軟骨の骨折を伴うこともあり,高齢になると骨折の確率は高くなる,d)本件死体には,扼頸を考える特徴的な創傷はなく,本件死体のように巻かれていた布様物の上から,頸部に対していかに強い力が作用したとしても,本件表皮剥脱のような線状の表皮剥脱は生じ得ないと考えられ,扼頸に - 104 -よる圧迫で布様物を介して印象された創傷と説明することは不合理である,e)以上のことから,Eの頸部には比較的作用面の広い布様物が頸部を一周するように巻かれ,強く圧迫作用したものと見 - 104 -よる圧迫で布様物を介して印象された創傷と説明することは不合理である,e)以上のことから,Eの頸部には比較的作用面の広い布様物が頸部を一周するように巻かれ,強く圧迫作用したものと見られる,両手で作用器の両端を握り,一方の握りを本件死体の右側頸に当てて,これを支点とするように絞頸すれば,緊縛した作用器の擦過作用により前頸部から左側頸部にかけての創傷を生じるであろうし,また,右側頸部に支点となる握った手指が介在するので,作用器は前頸部から右側頸部の一部分にはほとんど接触しないか,軽度に接触するのみで,表皮には創傷を残さず,支点の真下となる内部の胸鎖乳突筋下に出血を生じさせたとしても矛盾がないと考えられる,f)健常で意識のある成人男性に対して口腔内に布様物を硬く挿入し,気道閉塞から窒息死させるほどの行為を行えば,口唇・口唇粘膜,口腔粘膜,歯牙などに何らかの創傷を伴うが,本件死体にそのような創傷はなく,Eの死体にみられる口腔内への布様物の挿入は,死戦期(死にゆく過程において,意識の消失や運動機能の著しい低下が起こっている時期)以後に行われたものと考えて差し支えないなどと指摘した上,結論として,Eの死因については絞頸による窒息が最も可能性が高く,基本的には扼頸は考えられない。また,絞頸による窒息が先行して死の主因をなし,口腔内に布様物を挿入されたのは死戦期以後と考えられる旨の所見を示している。 G5鑑定G5医師は,G1鑑定,G2鑑定,G4鑑定,G3鑑定等の資料に基づき鑑定を行った結果として,a)Eの死体の状態からすると,真の表皮剥脱(腐敗がなく,表皮と真皮が生理的に連絡し結合している状態で,皮膚が鈍体により打撃,圧迫或いは擦過されて表皮に惹起される損傷)が存在していたか否かの判別は不可能であり,腐敗の進行によって事 表皮剥脱(腐敗がなく,表皮と真皮が生理的に連絡し結合している状態で,皮膚が鈍体により打撃,圧迫或いは擦過されて表皮に惹起される損傷)が存在していたか否かの判別は不可能であり,腐敗の進行によって事後的に扼痕が見えなくなったということもあり得る,頸部も - 105 -頭部や顔面などと同じようにかなり腐敗が進行しており,白色調になっているところがあり,表皮は容易に剥離する状況にあったと思われる,Eの死体の状況から考えると,腐敗の発現以前に組織に出血が存在していたとしても,腐敗の進行とともに血色素が瀰漫性に組織内に浸潤して出血の有無を判別できない状況にあったと推測される,b)頸部を圧迫したとする所見は右胸鎖乳突筋下の出血のみであり,これは,絞頸でも扼頸でも可能である,c)Eの死体の頸部の線状の表皮剥脱は真皮損傷と認められるところ,これが,頸部に纒絡されている布様物によって惹起された索溝の一部と判断することは,死体の状況から考えて不可能であり,3条の表皮剥脱をもって絞痕とすることはできない,d)甲状軟骨等の骨折の有無は,絞頸か扼頸かを区別する上で必ずしも決め手になるものではない,e)口腔粘膜の剥離や粘膜下の出血程度のものは,仮にあったとしてもこの死体からは判断しにくいと思われるが,挫創や口腔粘膜を含めて筋膜,筋肉まで創があった場合には,そのまま残ると思われる,f)被害者が意識があって抵抗可能な状態で,その口腔内にパンツを挿入しようとすれば,当然抵抗し,舌をかじるとか,口腔粘膜とともに挿入物をかじって外に出すなど,色々な抵抗をする状況は容易に想像できるから,口腔粘膜下の出血,粘膜剥離,粘膜下或いは筋層に達する挫創等が惹起されても不思議ではない,口腔内へのパンツの挿入については,その挿入の程度からしても,かなり抵抗力がなくなってから挿入 像できるから,口腔粘膜下の出血,粘膜剥離,粘膜下或いは筋層に達する挫創等が惹起されても不思議ではない,口腔内へのパンツの挿入については,その挿入の程度からしても,かなり抵抗力がなくなってから挿入したと考えるのが自然であるなどと指摘した上,結論として,Eの死因については,絞頸,扼頸いずれの可能性も否定できず,その意味で絞扼頸による窒息死と考えて矛盾はない,また,Eの口腔内にパンツが挿入されたのは,頸部圧迫後意識が消失した状態(死戦期或いは死後)でなされたものと考えられる旨の所見を示している。 エ検討 - 106 -扼頸の存否扼頸とは,手や腕で頸部(喉頭部)を圧迫して窒息させる行為であり,その場合,一般に,外部所見として,手指や爪による圧迫により惹起される表皮剥脱や皮下出血等の扼痕が生じ,内部所見として,そうした圧力が加わった部分に皮下出血等が生ずることが多く,また,その頻度の点はともかく,舌骨,甲状軟骨,輪状軟骨等の喉頭諸軟骨の骨折が生じやすいとされているところ,Eの死体に,そうした扼頸を裏付ける一般的な痕跡が何ら存していないことは,前記医師らの各所見からも,異論をみないところである(右胸鎖乳突筋下の出血についても,これが扼頸,絞頸を問わずに認められる痕跡であり,特に扼頸を示す積極的な根拠となるものでないことには異論がない。)。 そして,これを主たる根拠に,G2鑑定及びG3鑑定は,いずれもEに対する扼頸はなかったと考えられる旨の結論を導いている。 しかし,G4鑑定及びG5鑑定は,これとは異なり,いずれも,そうした扼頸を示す積極的な痕跡が認められないことをもって,直ちに扼頸がなかったと帰結することはできない旨の所見を示しており,その根拠として,Eの頸部には木綿のパンツが巻かれていたため,その上から うした扼頸を示す積極的な痕跡が認められないことをもって,直ちに扼頸がなかったと帰結することはできない旨の所見を示しており,その根拠として,Eの頸部には木綿のパンツが巻かれていたため,その上から扼頸があったとしても体表面の扼痕は形成されにくいと考えられること,G1鑑定の時点でEの死体の腐敗の程度は既に相当に進行していたもので,扼痕が形成されていたとしても,それが死後の腐敗のため確認されなくなったことも十分あり得ると考えられること,Eの年齢等を考慮に入れても,扼頸があったとしてその喉頭諸軟骨の骨折が必ず惹起されるものであるとはいえないこと等の諸点を指摘しているところである。 これらG4医師及びG5医師の指摘する諸点は,いずれも専門的知見に基づく所見であり,特にこれらが合理性に欠けるなどとして疑念 - 107 -を差し挟むべき要素は見当たらない。 そうすると,法医学的見地から,Eの死体について,扼頸があったことを積極的に示す痕跡は認められないものの,それをもって扼頸がなかったとまで断じることには,少なくとも専門的知見に基づきその推論を阻む合理的な見方が一方にあり得ることは明らかである。 したがって,Eに対する扼頸の存否については,結局不明であるというほかなく,この点をもって,被告人CがEの首をパンツの上から両手で押しつけ殺害したなどとして,被告人両名の自白するEの殺害態様が,客観的事実に反するなどとの評価は妥当しない。 絞頸の存否絞頸とは,索条物で頸部(喉頭部)を巻いて絞め,窒息死させる行為であり,その場合,一般に,頸部に索溝(索条痕)が形成され,内部の軟骨の骨折や皮下出血が形成されることが多いとされているところ,G2鑑定及びG3鑑定は,本件表皮剥脱の一部を幅の広い索条物により形成された索溝の一部である に,頸部に索溝(索条痕)が形成され,内部の軟骨の骨折や皮下出血が形成されることが多いとされているところ,G2鑑定及びG3鑑定は,本件表皮剥脱の一部を幅の広い索条物により形成された索溝の一部であると推論した上,Eに対する絞頸があったと推定し得る旨の結論を導いている。 しかし,他方,G4鑑定及びG5鑑定は,G2医師及びG3医師が索溝の一部として指摘する前記表皮剥脱について,その現在把握し得る範囲の形状やEの死体の状況等に照らし,これをパンツにより締め付けたことにより生じた索溝の一部とまで断定することは困難であり,その他,絞頸があったことを積極的に示す痕跡は何ら存在しないのであるから,結局,Eに対する絞頸があったとは断定できない旨の結論を導いており,その推論も専門的知見に基づく所見であって,特に合理性に欠けるなどとして疑問を差し挟むべき要素は見当たらない。 また,G2鑑定及びG3鑑定においては,前記のとおり,それぞれ - 108 -犯人の絞頸の態様が具体的かつ詳細に推測して説明されているものの,Eの死体に残された痕跡自体が不明確かつわずかなものに過ぎなかったこと等からすれば,そのような推測が必ずしも十分な説得力を持つものであるとはいい難い。 そうすると,法医学的見地から,Eの死体について,絞頸があったと断じることはできず,少なくともそのように断定することには,専門的知見に基づきその推論を阻む合理的な見方が一方にあり得ることは明らかである。 もっとも,G5鑑定に指摘があるように,Eの首に巻かれていたパンツは,その右側股上とこれに連なる正中部の縫い目がほころびている部分をクリップで押さえ,前記パンツの左右の下端部を軽く伸展して幅を計測した長さが約59センチメートル,同じく前記パンツの右側股上とこれに連なる正中部の縫い目 に連なる正中部の縫い目がほころびている部分をクリップで押さえ,前記パンツの左右の下端部を軽く伸展して幅を計測した長さが約59センチメートル,同じく前記パンツの右側股上とこれに連なる正中部の縫い目がほころびている部分をクリップで押さえ,前記パンツの上部(ゴム紐が通されている部分)の右端と前記パンツの下部の左端を軽く伸展して幅を計測した長さが約57センチメートル,前記パンツの右側股上とこれに連なる正中部の縫い目がほころびている部分を広げて,前記パンツの左右の下部を軽く伸展して計測した長さが約69センチメートルであるところ,これを日本人の高齢層の平均的な頸囲(G5鑑定によれば36センチメートルであるという。)と対比すれば,このパンツを用いてEの頸部を圧迫し,窒息を惹起することは十分可能であると考えられる。なお,検察官は,59センチメートルのパンツを36センチメートルの頸部に回して絞頸するのは経験則上相当困難である旨主張するが,この点,やや絞めづらいという程度のことはいえるにしても,取り立てて相当困難であるとか不可能であるなどとまでいえるものではない。 そして,現に,パンツがEの首に巻かれた状態で発見されているこ - 109 -とからすれば,一般的には,犯人がそのパンツによる絞頸を試みたものと推測するのが常識的感覚に沿い,自然であるようにも思われる。 しかし,Eの首にパンツが巻かれるなどした経緯,状況については,もとより様々な可能性が想定し得るところであるから,ただその一事をもって,客観的に,Eに対する絞頸があった,或いは絞頸があった可能性が高いなどとまで断定し得るかにはいささか疑問が残るというべきである。この点,そのパンツに認められたほころびについて,それが絞頸の際に生じた可能性が高いなどとの観点から,絞頸の存在を裏付けるなど 性が高いなどとまで断定し得るかにはいささか疑問が残るというべきである。この点,そのパンツに認められたほころびについて,それが絞頸の際に生じた可能性が高いなどとの観点から,絞頸の存在を裏付けるなどとの見方もあり得ようが,そもそもそのパンツの従前の状況が何ら明らかとはなっていないのであるから,客観的にそのほころびが絞頸の際に生じた可能性が高いなどとまで断定し得るかにも同様に若干の疑問が残る。 したがって,こうした事情を考慮に入れても,Eに対する絞頸の存否については,結局不明であるというほかなく,この点をもって,被告人CがEの首をパンツの上から両手で押しつけ殺害したなどとして,被告人両名の自白するEの殺害態様が,客観的事実に反するなどとまで評価することはできない。 なお,この点,仮に,Eの頸部にパンツが巻かれていたこと等を根拠にEに対する絞頸があったとの立場に立つとしても,絞頸の具体的な態様や程度までを推認することはおよそ不可能であると思われるところ,前記のとおり,被告人両名の自白に係る供述は,被告人Cが,パンツを用いてEの首を絞めようと試みたことを必ずしも否定する趣旨のものと解することはできないのであるから,いずれにせよ,かかる点に関する被告人両名の自白するEの殺害態様が客観的事実に反するなどとの評価は妥当しないように思われる。 Eの口腔内にパンツが挿入された時期とEに対する扼頸ないし絞 - 110 -頸に係る殺害行為が行われた時期との先後関係Eの口部周辺や口腔内に特段の損傷が認められないことは,前記医師らの所見からも特に異論をみないところであり,G2鑑定,G3鑑定及びG5鑑定は,抵抗力のある者の口腔内に強圧的にパンツを挿入した場合,そのような損傷が生じないとは考えにくいなどとして,ほぼ一致して,Eに対する扼頸ない 論をみないところであり,G2鑑定,G3鑑定及びG5鑑定は,抵抗力のある者の口腔内に強圧的にパンツを挿入した場合,そのような損傷が生じないとは考えにくいなどとして,ほぼ一致して,Eに対する扼頸ないし絞頸が先行し,その口腔内にパンツが挿入されたのは,既にEの意識が消失した状態の死戦期ないし死後であったと考えられる旨の結論を導いており,かかる推論は,通常想定されるEの抵抗を考慮した,常識的な感覚にも適う明快かつ合理的なものというべきである。 ところで,これに対し,G4鑑定は,①布等の軟らかい鈍体が口部に挿入されたとしても,口部周囲の表皮剥脱や口腔内粘膜の剥脱・出血は必ず形成されるものではなく,②口腔粘膜下出血を伴わない口腔内粘膜の剥離は観察困難であり,腐敗等の死後変化の強さ等からそうした損傷が確認されなかった可能性がある(この点は,検察官も同旨の指摘をする。),③腹部に馬乗りになられて呼吸を阻害されたEが口を開けた瞬間に口腔内にパンツを挿入された可能性もあるなどとして,パンツの挿入が先で,その後に頸部が圧迫されて死亡したとしても,これを否定するだけの死体所見はないなどという。 しかし,①の点については,G1鑑定によれば,Eの舌尖は挿入されたパンツの後方に位したというのであり(G2鑑定によれば,「舌尖は挿入されたる布様物の後方に位し」とは,舌根部が喉頭を越えて気道の入口まで押し入れられている状態のことを意味するという。),かかるパンツの挿入状況を考慮すれば,G5医師やG3医師も指摘するように,Eが抵抗する中で,その口部周辺や口腔内に何らの損傷も負わせずに,舌根が沈下するような状態にまで強圧的にパンツを挿入 - 111 -することができるとはおよそ考えにくいというべきである。 また,②の点については,確かに,腐敗の影響によりEの口 も負わせずに,舌根が沈下するような状態にまで強圧的にパンツを挿入 - 111 -することができるとはおよそ考えにくいというべきである。 また,②の点については,確かに,腐敗の影響によりEの口腔内等の損傷がそれ相応に判別しにくい状態にあったことは否定できないところであるものの,それを前提としてなお,G5医師が,口腔内の粘膜下や筋層に達する挫創があれば,そのまま残ると思われるなどとの所見を示しているように,同医師らが,被告人Dの供述する状況や,客観的に認められる前記のようなパンツの挿入状況等に照らし,その際に生ずるであろう損傷の程度の重さを考慮に入れて,そうした挿入行為があったとすればEの口腔内等に何らの損傷も認められないことにはやはり疑問があるとの立場から,その挿入行為がEの意識消失後であったと考えられる旨結論付けている点は,なお十分な合理性を有するというべきである。 さらに,③の点についても,前記のようなパンツの挿入状況に照らせば,G5鑑定においても指摘されているように,抵抗するEの口腔内に,G4医師が指摘するような一瞬の機会を捉え,瞬時にそうした状況に至るまでパンツをその口腔内に強圧挿入するが如きは,いささか想定し難いところというほかない。 そうすると,Eの口腔内にパンツが挿入された時期とEに対する扼頸ないし絞頸に係る殺害行為が行われた時期との先後については,G2医師,G3医師及びG5医師の前記所見に従い,まず,Eに対し,扼頸或いは絞頸という頸部圧迫行為があって,その後に,パンツを挿入する行為が行われた可能性が高いと認められる。畢竟,被告人Dが,Eの口腔内にパンツを押し込むなどした後,被告人CがEの首をパンツの上から両手で押しつけたなどとして,被告人両名の自白するEの殺害態様は,その点において,客観的事実に反している 。畢竟,被告人Dが,Eの口腔内にパンツを押し込むなどした後,被告人CがEの首をパンツの上から両手で押しつけたなどとして,被告人両名の自白するEの殺害態様は,その点において,客観的事実に反している可能性が高いといわざるを得ない。 - 112 -なお,検察官は,この点,被告人Dが,Eの口に布を押し込むまで割合時間がかかった旨供述していることからすれば,時間をかけながら指を噛まれないように徐々にパンツを押し込んだものと考えられ,しかも被告人両名が2人がかりで行ったのであるから,そのような態様であれば口腔内等に損傷を残さずにEの口腔内にパンツを詰めることは可能であるなどとも主張する。 しかし,仮に,検察官が主張するような状況を前提としても,被告人両名は,揃って,被告人DがEの口腔内にパンツを詰めるなどした前後,Eが激しく抵抗していた旨一貫して供述しており,また,被告人Dは,Eが力があり,パンツを口に押し込むまでには相当手間取ったとの趣旨を述べていた経過も認められるのであるから,そのようなEの強度の抵抗を想定すれば,Eの口腔内にパンツを詰める際,検察官がいうように,時間をかければかけるほど,逆に,口部周辺や口腔内の損傷が生じやすくなるのではないかとも推察され,検察官の主張は当たらない。 E方室内の床の状況についてE方の検証において,Eの死体が横たわっていた箇所の床下の木材が破損して大きく落ちくぼんでいた状況が確認されているところ,この点,捜査の最終段階の自白の中で,被告人Cは,床が落ちたことについては,首を絞めながら自分の体が少し前に下がったような気がしたのを思い出したなどと供述し,被告人Dは,Eの死体の上に布団を掛けるなどした際,Eの頭の方が床が抜けてずり落ちているのに気がついたが,始めにEに馬乗りになり被告人 体が少し前に下がったような気がしたのを思い出したなどと供述し,被告人Dは,Eの死体の上に布団を掛けるなどした際,Eの頭の方が床が抜けてずり落ちているのに気がついたが,始めにEに馬乗りになり被告人Cが頭の方に回ってその頭を押さえ付けていたころ,バリンという音がして畳の裏板でも抜けたのかと思ったことを覚えているなどと供述している。 かかる被告人両名の供述を前提とすれば,床板が落ちくぼむなどしたの - 113 -は,被告人両名がEに対する攻撃をしていた最中の出来事ということになるところ,現場の客観的な状況は,その写真等を見る限りでも,床板が地面に届くまでに大きく落ちくぼみ,畳も激しく歪んで,その場にいた者は体の安定を欠き立ってもいられないような状況であったと思われるのであるから,その際,Eの体や首を押さえつけるなどしていたという被告人両名には激しい衝撃が生じたはずであり,そのままその攻撃を継続することさえ難しい状況に直面し,少なくとも被告人両名の記憶にそれ相当の強い印象を残したのではないかとも推察し得るところである。被告人両名の前記供述は,そのような状況を語るものとしては余りにも迫真性や臨場感に欠け,現場の客観的状況にそぐわないように思われる。 被告人Cによるロッカー等の物色状況について被告人Cは,自身の物色状況について,まずロッカーの隣(西側)にあった机の引出しを物色し,机の引出しから取り出した財布を開いたときに何かが落ち,次に上のロッカーを物色し,その後,下のロッカーを物色して,最後に下のロッカーの扉を閉めた旨供述しており,下のロッカーの前に置かれていた布団については一切これに言及していない。 ところで,現場の客観的な状況として,8畳間南側に上下2つのロッカーがあり,上のロッカーの扉は開かれ,下のロッカーの扉は閉められた ッカーの前に置かれていた布団については一切これに言及していない。 ところで,現場の客観的な状況として,8畳間南側に上下2つのロッカーがあり,上のロッカーの扉は開かれ,下のロッカーの扉は閉められた状態であったが,下のロッカーの扉の前には,これに密着して畳まれた様子のない格子模様の掛布団が無造作に置かれており,その布団の上には封筒,五円硬貨等(そのうち封筒1枚は,下のロッカーの扉と掛布団にまたがるような形で乗っていたことが認められるところ,この封筒を以下「本件封筒」という。)が散乱するなどしていたことが認められる。 このような現場の客観的な状況に照らせば,上のロッカーが物色されたであろうことは明らかであり,仮に,被告人Cがいうように下のロッカーも物色されたものであるとするならば,一連の物色の状況については,下 - 114 -のロッカーが物色されて,その扉が閉められた後,上のロッカーやその西側の机の引出しが物色され,その際,下のロッカーに密接して置かれた掛布団の上に封筒や五円硬貨等が落ちて散乱したものと推察するのが最も自然であるように思われる。下のロッカーが最後に物色されたものであるとするならば,その際,その扉を開けるのに障害となる掛布団が何らかの形で動かされたと考えるのが自然であろうから,その扉が閉められた後もなおその掛布団が下のロッカーに密接し,しかも本件封筒がその間にまたがるような形で残存するなどという状況に至ることはやや考えにくいところと思われる。 もっとも,この点は,検察官が主張するように,例えば,掛布団の材質等の条件によっては,元々接着した状態で下のロッカーの扉を開け,その後扉を閉めても,布団と下のロッカーの扉がなお接着したままの状態で,下のロッカーが物色された後,その扉が閉められた際,その振動で扉が開けられていた は,元々接着した状態で下のロッカーの扉を開け,その後扉を閉めても,布団と下のロッカーの扉がなお接着したままの状態で,下のロッカーが物色された後,その扉が閉められた際,その振動で扉が開けられていた上のロッカーから本件封筒が落ち,掛布団と下のロッカーの間にまたがるような状態となったなどとの可能性も完全に排除し得るものではないものの,そのような検察官の主張を考慮に入れても,現場の客観的状況から常識的に推認し得る経過として,前記のような物色の状況を推察することが最も自然と考えられるという点は,なお相応の合理性を備えたものとして指摘することができるように思われる。 そうすると,被告人Cが,前記のとおり,上のロッカー等を物色した後,最後に下のロッカーを物色したなどと述べている点は,現場の客観的状況から合理的に推認される事実と齟齬している可能性が相応に高いというべきであるが,仮にその点をさておくとしても,少なくとも,被告人Cが,ロッカー,とりわけ下のロッカーを物色する際に明らかにその障害になったであろう掛布団の状況について,何も供述していないという点は,いささか不自然なように思われる。 - 115 -ガラス戸の状況についてア被告人両名の供述内容等E方の8畳間と4畳間との境のガラス戸2枚(以下「本件ガラス戸」という。)は,共に4畳間側に外れて,東寄り(4畳間側)のガラス戸については,その8枚のガラスのうち,最上段のガラス2枚と下から2段目のガラス1枚が割れて落ち,ガラス戸の西側横框にはめ込んだ上框のほぞが付根から折れるなどしており,また,西寄り(8畳間側)のガラス戸については,4畳間のミシンに立てかけて置かれ,その8枚のガラスのうち最上段の1枚が割れて落ちている状況にあったことが認められるところ,被告人両名は,自白調書の中 また,西寄り(8畳間側)のガラス戸については,4畳間のミシンに立てかけて置かれ,その8枚のガラスのうち最上段の1枚が割れて落ちている状況にあったことが認められるところ,被告人両名は,自白調書の中で,Eを殺害するなどした後,泥棒が入ったように工作するつもりで互いに協力して本件ガラス戸を取り外したなどと供述している。 すなわち,被告人Cは,はじめに被告人Dが畳の部屋と隣の部屋の境のガラス戸を蹴ったのを覚えており,大きな音がしたが,それがガラスの割れた音かどうかは分からない,自分も手伝って手前(8畳間側)のガラス戸を外し,それを横にして柱か何かに立てかけた,被告人Dがもう一枚のガラス戸をガタガタやっているのを聞きながら自分は便所に入って便所の窓の外側の桟を外しにかかったなどと供述し,被告人Dは,被告人Cが部屋の間のガラス戸を外しにかかったのでそれを手伝い,被告人Cが8畳間に,自分が4畳間にいて,2枚重なったガラス戸をそれぞれ1枚ずつ外そうとしたが,自分が外そうとしていたガラス戸がなかなか外れないので,これを足で蹴飛ばすと,上の2枚のガラスがガチャンと割れて落ちた,そのころ被告人Cが先にもう一枚のガラス戸を外してそのガラス戸を4畳間に持ち込み,横にして脇に立てかけて置いた,その後,自分が外そうとしていたガラス戸が外れた際,手が放れてしまいそのガラス戸が倒れ,その拍子にガラスが割れて大きな音がし - 116 -たなどと供述していたものである。 この点,弁護人は,岐阜工業高等専門学校教授G6(以下「G6」という。)作成の「「ガラス障子実験」報告書」(以下,その内容を「G6実験報告」という。),F3大学工学部第2部教授G7(以下「G7」という。)及び同助手G8(以下「G8」という。)作成の「ガラス戸の破損に関する鑑定書」,第2次再審請 告書」(以下,その内容を「G6実験報告」という。),F3大学工学部第2部教授G7(以下「G7」という。)及び同助手G8(以下「G8」という。)作成の「ガラス戸の破損に関する鑑定書」,第2次再審請求一審で証言したG8の供述内容(同鑑定書及び同供述等を併せて,以下「G7・G8鑑定」という。)等を総合すれば,被告人両名の前記供述が,本件ガラス戸に関する現場の客観的状況に合致しないものであることは明らかであり,そのガラスが割れているのは,現場での格闘により生じた現象である可能性が高いというべきである旨主張する。 イ G6実験報告及びG7・G8鑑定について G6実験報告についてG6実験報告は,ガラス障子(すなわちガラス戸)を蹴ることによってガラス障子或いはガラスが破損するか否か,ガラス障子はどのような外力によって破損するかについて行った実験の内容及び結果を報告するものであり,その概要は以下のとおりである。 すなわち,解体される古い家から発生したガラス障子を用い,人の足で蹴る場合を想定し,障子の下枠に近い縦枠の下部に障子の面に垂直方向の外力を加えることとし,その加力方法は,鉄板,砂袋等の荷重をワイヤーの先端に装着し,2か所の滑車を経由し,ワイヤーの他端に装着した当て板を通じて建具に荷重を伝えるというものである。実験は,外力が瞬間的に作用してガラス障子全体を激しく振動させる衝撃実験(A実験)と外力が連続的に作用してガラス障子全体を大変形させる力による静的加力実験(B実験)の2種類とし,実験は日にちを分けて2回行った。実験結果として,第1回の実験では,A実験で,人が蹴ったとき - 117 -の最大加速度と同程度の加力によって枠,ガラスに破損が生じることはなく,B実験では,障子の一隅の外れによる大変形によって容易にガラスの破損 回の実験では,A実験で,人が蹴ったとき - 117 -の最大加速度と同程度の加力によって枠,ガラスに破損が生じることはなく,B実験では,障子の一隅の外れによる大変形によって容易にガラスの破損が生じた。さらに,第2回実験では,A実験で人を替え,素足,運動靴,革靴など条件を変えてガラス障子の下部を蹴る実験を行ったところ,枠,ガラスに破損が生じることはなく,A実験で砂袋(30キログラム)を高さを変えて落下させる実験を行ったところ,障子の縦枠の下部が折損する場合があったが,その場合も含めてガラスに破損が生じることはなく,B実験では,加重する鉄板が30から40キログラムで30センチメートルを超える変形が生じて,枠,ガラスが破損した。これらの実験によると,ガラス障子の下部に面外の力がかかった場合,障子が敷居から外れるなどすることによって,変形が生じた場合には,枠,ガラスに破損をもたらすことがあった。しかし,障子が外れない時には衝撃を加えても,枠,ガラスが破損することはなかった。供試体の個性による違いが皆無とはいえないにしても,衝撃のみによりガラス障子の破損に至ることは極めて生じにくいことと考えられる。その理由は,第1に衝撃力によるエネルギーは敷居に当たって吸収されること,第2に障子の構造が外力による衝撃,振動を吸収しやすい,柔軟な形状,構造になっていることが考えられる。結論として,第1に,ガラス障子を蹴ることによって,枠,ガラスが破損することは極めて起こりにくい。第2に,ガラス障子は,面外から外力がかかり,障子が敷居より外れた時には,その枠及びガラスに破損を生じ得るものと考えられる。その傾向は変形量が30センチメートルを超えた場合に顕著である。以上である。 G6は,その経歴等に照らし,かかる実験や分析を行うにつき専門的知見を有するもの ガラスに破損を生じ得るものと考えられる。その傾向は変形量が30センチメートルを超えた場合に顕著である。以上である。 G6は,その経歴等に照らし,かかる実験や分析を行うにつき専門的知見を有するものであるところ,その行った実験の方法は,古い家のガラス戸を入手し,その枠に対し,人が足で蹴る,荷重を加えるなどの方法により外力を加えるというもので,被告人両名の捜査段階の自白に基 - 118 -づいた合理的な方法によるものと認められ,その結論もその実験結果に基づいた合理的な内容であると認めることができるから,かかるG6実験報告は基本的に高度の信頼性を備えたものと認められる。 G7・G8鑑定についてG7・G8鑑定は,成人男子がガラス戸の下端(下框が横框にはめ込まれている部分)を蹴った場合に,ほぞの断裂及び上框の割裂の各破損が生じ得るかという点について鑑定を行ったものであり,その概要は以下のとおりである。 すなわち,本件ガラス戸と同一寸法の横框-上框仕口を製作し,仕口に種々の力を加えて破壊形態,破壊加重を確認する実験(実験1)及び,本件ガラス戸とほぼ同一寸法のガラスの入っていない建具を製作し,面外力を加えて框の破壊状況を確認する実験(実験2)を行った(なお,そのほか,実験3,実験4として,G6による第2回実験についても考察している。)。実験結果として,実験1では,本件ガラス戸のほぞの断裂に類似した破壊が生じたのは,ほぞをねじるような力が働いた場合,ほぞを建具の面外に曲げるような力が働いた場合,ほぞを建具面内に曲げる力が働いた場合であり,本件ガラス戸の上框の割裂に類似した割れが生じたのはほぞをねじるような力が働いた場合であった。実験2では,上框と一方の横框の2辺が支持された状態で,他の一方の横框下端を面外に変形させるこ 合であり,本件ガラス戸の上框の割裂に類似した割れが生じたのはほぞをねじるような力が働いた場合であった。実験2では,上框と一方の横框の2辺が支持された状態で,他の一方の横框下端を面外に変形させることにより,加力側の上部または加力点と対角の位置にある仕口で,上框の亀裂,横框の割裂,ほぞK13のねじれ破壊が生じたが,上框の亀裂は本件の割裂とは様相を異にしており,ほぞのK13の破壊はほぞが断裂するには至っていない。ほぞの断裂は,ほぞのねじれ,またはほぞの面外方向の曲げによって生じるが,大変形が加えられることが必要である。したがって,例えば建具が外れかかった状態で,開放された横框の下部を押し続ける(意識的に押す場合や人や重量物が - 119 -倒れかかる場合などが考えられる。)ことにより,ほぞの破壊が起きると考えられる。以上である。 G7及びG8は,いずれもその経歴等に照らし,かかる鑑定を行うにつき専門的な知見を有するものであるところ,その行った実験の方法は,第1として本件ガラス戸と同一寸法の横框と上框の仕口を作成し,その仕口に種々の力を加えて破壊形態や破壊荷重を確認するというものであり,第2として本件ガラス戸とほぼ同一寸法の建具を製作し,面外力を加えて框の破壊状況を確認するというもので,ほぞの断裂及び上框の割裂が生じ得る原因を検討するに当たり合理的な方法であると認められ,その結論もその実験結果に基づいた合理的な内容であると認められること,さらには,G8が第2次再審請求一審において証言した内容等を検討しても,G7・G8鑑定の信用性を疑わせるような事情は何ら認められないこと等からすれば,G7・G8鑑定についても基本的に高度の信頼性を備えたものと認められる。 検察官の主張について検察官は,G6実験報告及びG7 うな事情は何ら認められないこと等からすれば,G7・G8鑑定についても基本的に高度の信頼性を備えたものと認められる。 検察官の主張について検察官は,G6実験報告及びG7・G8鑑定について,①第2次再審請求一審におけるG8の証言内容によれば,G8は,実験用のガラス障子がどのようなものであったかすら具体的には認識しておらず,実験において認められた最大加速度の違いについても「たまたま」という程度の認識であり,結局は,当該実験においてもガラスが割れるか否かは建具の木材やガラス等の条件によって左右されることを認めている上,実験で使用されたガラス戸等が,本件ガラス戸と比較し,どの程度類似した素材でできたものであるのか,本件ガラス戸が本件強盗殺人の犯行以前にどのような状況であったのか,特にほぞなどに損壊部分がなかったのか,敷居との間の固定の具合はどうであったのかなど不明な点が多いことからすれば,本件現場と同じような条件下において実験等が行われ - 120 -ているとは到底いえず,一連の実験や鑑定は信用性に乏しい,②G6実験報告については,敷居に外れ止めの万力を設置してガラス戸を固定した状態で力を加えているところ,被告人Dの自白によれば,被告人Dがガラス戸を蹴った時点でガラス戸は被告人Dが外そうとして持ち上げており,下框が敷居からは浮いた状態にあったと考えられるのであるから,本件現場の状況及び被告人両名の自白とは全く異なる条件下で行われたものであるといわざるを得ず,G6実験報告によって,被告人両名の自白どおりガラス戸を蹴ってもガラスの破損は生じないなどと結論付けることは不可能である旨主張する。 しかし,まず,①の点のうち,G8の証言内容につき指摘する部分については,前後の文脈等を考慮し,G8の供述するところを全体 てもガラスの破損は生じないなどと結論付けることは不可能である旨主張する。 しかし,まず,①の点のうち,G8の証言内容につき指摘する部分については,前後の文脈等を考慮し,G8の供述するところを全体として捉えれば,何らG6実験報告やG7・G8鑑定の信頼性に全く疑問を生じさせるものではなく,検察官の指摘は,単にG8供述の言葉尻を捉え,その内容を曲解して論難するものといわざるを得ない。 また,①の点のうち,各実験等における諸般の条件設定につき疑念を呈する点については,E方の現場と全く同じ状況を再現することが不可能であるという意味において検察官が指摘するとおりではあるものの,およそこの種のいかなる実験であれ大なり小なり同様の限界を伴うことはやむを得ないところであって,そうした中,G6実験報告,G7・G8鑑定における前記いずれの実験についても,E方の当時の状況を,現在残されている資料(証拠)から知り得る限りの範囲で再現した条件の下,実施したものと評価することができ,いずれにせよ,検察官がいうような条件の差異が,G6実験報告及びG7・G8鑑定における各実験結果に基づく大枠の推論に本質的な疑念を生じさせるようなものでないことは明らかというべきであるから,かかる検察官の主張を考慮に入れても,その信頼性は揺るがない。 - 121 -さらに,②の点については,確かに,ガラス戸が万力を使用して完全に固定されているという状態は,ガラス戸が通常使用される際の設置状況や検察官が指摘するガラス戸を持ち上げてその下端が浮いたような状態とは異なるものであることが明らかであり,この点が,ガラス戸に外力を加えた際に生ずるガラス戸への影響につき,何某かの物理学的な差異を生じさせることも予測される。しかしながら,被告人両名の供述は,いずれも,被告人Dがガラス戸を らかであり,この点が,ガラス戸に外力を加えた際に生ずるガラス戸への影響につき,何某かの物理学的な差異を生じさせることも予測される。しかしながら,被告人両名の供述は,いずれも,被告人Dがガラス戸を足で蹴ったときには,そのガラス戸は外れなかったという点で一致しているところ,G6が実施した実験結果で重視すべき点は,ガラス障子の枠やガラスが破損するのは,ガラス障子の面外から外力が加わってガラス障子が建具から外れ,面外に大きく変形した場合であり,ガラス障子が敷居から外れない限りは,人がガラス障子を蹴ったとしても,ガラスが割れるような面外への変形が生じて枠やガラスが破損することはないという点である。そうすると,ガラス戸に外力が加えられた時点,すなわち,被告人Dがガラス戸を蹴った時点の前後でガラス戸が敷居から外れていないという条件が一致している以上,その実験の実施方法は妥当なものであり,検察官が指摘する点を考慮しても,G6実験報告やG7・G8鑑定の信頼性は特に損なわれるものではないということができる。なお,検察官は,被告人Dが,ガラス戸を持ち上げている状態でガラス戸を蹴ったのであるから,その部分が敷居から外れやすく,ガラス戸の変形によりガラスや枠が破損することも十分考えられるとも指摘するが,かかる主張は,ガラス戸が面外へ変形して敷居から外れなければガラスは割れないという前記実験結果を前提としているようにも思われ,主張自体が混乱しているようにも思われる。また,検察官が主張するような態様でガラス戸が割れたのであれば,被告人Dの供述は,ガラスを蹴った際にガラスが割れ,その際にガラス戸も外れたというものにならなければ不自然というべきで - 122 -あろう。 小括以上のとおり信頼し得るG6実験報告及びG7・G8鑑定に照らせば, ラスが割れ,その際にガラス戸も外れたというものにならなければ不自然というべきで - 122 -あろう。 小括以上のとおり信頼し得るG6実験報告及びG7・G8鑑定に照らせば,E方において,8畳間と4畳間との間の東側ガラス戸の上部2枚のガラスが破損したのは,人がガラス戸を足で蹴ったからではなく,何らかの理由で敷居にはめ込まれた同ガラス戸の下部に8畳間側からの外力が加わって変形を起こしたからである可能性が高く,また,同ガラス戸の西側横框にはめ込んだ上框のほぞが付根から折れるなどしていたのは,建具が外れかかった状態で,開放された横框の下部を押し続ける(意識的に押す場合や人や重量物が倒れかかる場合などが考えられる。)という態様の外力が加えられたことによる可能性が高いというべきである。 ウガラス戸のガラスが格闘により割れた可能性についてところで,E方8畳間の状況が,前記のとおり,その検証時の写真等を見る限りでも,床板が地面に届くまでに大きく落ちくぼみ,4畳間との境の付近も含め,畳が斜めに激しく歪んでおり,しかも,そのすぐ付近にはEの死体が横たわっているというものであったと認められるのであるから,そのような状況の下で,被告人両名が自白調書の中で前記のとおり述べるように,本件ガラス戸を取り外す作業を行うなどというのは,それ自体そもそも相当に困難ではなかったかとの疑問もある。また,被告人両名が,自白に際し,本件ガラス戸を取り外すなどした状況を供述する中で,そうした足元の不安定かつ特異な状況について何ら言及していないことも不自然との印象を禁じ得ない。そして,このように本件ガラス戸を取り外すなどすることが,本件強盗殺人の犯行に及んだ真犯人の立場から何をどのように隠蔽することに繋がるのか,その意味自体にも相応の疑問が残 自然との印象を禁じ得ない。そして,このように本件ガラス戸を取り外すなどすることが,本件強盗殺人の犯行に及んだ真犯人の立場から何をどのように隠蔽することに繋がるのか,その意味自体にも相応の疑問が残ることは,既に述べたとおりである。 このように,被告人両名の自白に係る前記供述自体にも少なからず疑問 - 123 -がある上,E方の現場の状況からは,激しい格闘の跡が容易に窺われるところであることをも併せ考えると,弁護人が,自ら行った実験結果等に基づき主張するように,本件ガラス戸は,被告人両名が前記のとおり供述するような経緯で,Eの殺害後に取り外されたものではなく,犯人とEが格闘になり,その際,どちらか,或いは双方の体重が本件ガラス戸にかかり,そのためにそのガラスの破損を含めて現場に残されたような散乱状況を来したものと推論することには,それなりの合理性があるように思われる。 そして,そのような推論が,前記G6実験報告及びG7・G8鑑定の結果と整合するものであることは明らかである。 エ小括以上によれば,被告人両名が本件ガラス戸を取り外したなどとして,その自白調書の中で前記のとおり供述するところは,犯行現場の客観的状況と齟齬するものである可能性が高いというほかない。 便所からの脱出状況についてE方の検証において,便所の窓枠に取り付けられていた木の桟2本が引き抜かれるなどしていた状況が確認されているところ,被告人Cは,10月15日に本件強盗殺人の犯行につき自白を始めて以降,同月26日に至り,ようやく自分がその桟を外して窓から脱出した旨の供述を始めたものであることは,既に述べたとおりである。そして,被告人Cは,窓から出た際の具体的な態様については,同日の警察官の取調べにおいては,窓枠からまず右足を出し,次に左足を出して,背 た旨の供述を始めたものであることは,既に述べたとおりである。そして,被告人Cは,窓から出た際の具体的な態様については,同日の警察官の取調べにおいては,窓枠からまず右足を出し,次に左足を出して,背中を南側に向けて体を回し,外へ出て表へ飛び降りた,便所の表側で腹に触る感じが,何か木材のような物が便所の窓枠の下に立てかけてあるようだったなどと,同月29日の警察官の取調べにおいては,窓の両側を握って体を浮かし,右足を外に出してから左足を外に出し,背中を南側に向けて体をねじり,腹を窓の下につけて両手が伸びるまで体を下げ,窓の下に飛び降りた,便所の窓の外に - 124 -板のような物が立てかけてあったことは,窓から出たときに腹のあたりに触る具合でも分かったなどと,その後の検察官の取調べにおいては,便所の窓の桟を外し,便所の窓から足の方から出たなどと,それぞれ供述している。 しかし,E方の現場の客観的な状況として,便所の窓の下付近には,長さ1.6メートルから1.85メートルくらいの角材,丸太,ガラス戸の枠,長さ1.54メートルの煙突等が立てかけられていたことが認められるところ,その他,同所付近の状況が撮影された写真から窺われる現場の状況等にも照らすと,被告人Cが前記のとおり自白調書の中で供述するような,腹を窓の下につけて両手が伸びるまで体を下げ,窓の下に飛び降りるなどという行動を取ることは極めて困難ではないかと思われる。また,被告人Cは,自白調書の中で,便所の窓の下付近に立てかけられていた木材等が腹に当たった旨も供述するが,そうすると,木材等がその場に倒れてしまうといった事態も容易に想定できるのに,現にそのような事態が生じた形跡は窺われない。 そうすると,被告人Cが便所の桟を外して窓から逃げたなどとする前記自白に係る供述は,現 材等がその場に倒れてしまうといった事態も容易に想定できるのに,現にそのような事態が生じた形跡は窺われない。 そうすると,被告人Cが便所の桟を外して窓から逃げたなどとする前記自白に係る供述は,現場の客観的状況等に照らし,いささか不自然ということができる。 なお,被告人Cは,自白調書の中で,一貫して,便所の窓から脱出したのは誰かが便所の窓からE方に入ったように見せかけるためであり,他の者の犯行を装う偽装工作の目的であった旨供述しているものの,この点については,何故便所の窓から脱出することによって他の者の犯行を装うことができるのか,そもそも疑問というべきである上,敢えて逃走を遅らせてまで,便所の窓の桟2本を外し,その比較的小さな窓から脱出するなどとの迂遠な行動を選択するというのは,その発想自体がいささか理解に窮するところであって,かかる観点からも,被告人Cの前記自白に係る供述 - 125 -の内容には一定の疑問をなしとしない。 被告人両名の指掌紋及び毛髪が採取されていないことについて被告人両名は,その自白調書の中で各供述するところによれば,犯行当日,2回にわたりE方を訪れているもので,1回目においては,被告人Cが勝手口のガラス戸を開け,2回目においては,2人でEに暴行を加えて殺害し,その死体に布団を掛けるなどし,室内を広範囲にわたって物色し,その際,被告人Cが室内のロッカーや机の引出等に触り,さらに,ガラス戸,便所に外部から泥棒が入ったように工作して逃走したなどというのである。また,Eを殺害した際には,2人がかりでEを転倒させ,被告人Dがその上に乗りかかって押さえつけ,被告人CがEの足を緊縛し首を押さえつけるなどしたというのであり,本件現場の状況をみても,その間,激しい格闘があったものと容易に推認することができる。 せ,被告人Dがその上に乗りかかって押さえつけ,被告人CがEの足を緊縛し首を押さえつけるなどしたというのであり,本件現場の状況をみても,その間,激しい格闘があったものと容易に推認することができる。 そして,被告人両名が自白するところの本件強盗殺人の犯行は,何らの計画性もない,まさに行き掛かり上生じた突発的かつ場当たり的な性格の犯行として把握し得るもので,もとより,被告人両名が,E方を訪れた際,予め犯行に及ぶことを想定し,例えば手袋等を準備するなど,現場に犯行の痕跡が残らないよう種々の意を尽くすなどした状況は全く語られておらず,犯行後に指紋を拭き取るなどの工作に及んだ旨の供述も一切みられない。 そうすると,常識的に考えれば,もとより諸般の条件次第で,絶対などといえる性質のものではないにしても,E方の相当広範囲にわたり被告人両名の指掌紋が残り,また,その毛髪が現場に遺留していて然るべきであるようにも思われる。しかし,現実に,E方からは,前記のとおり,被告人両名のものと確認することのできる指掌紋や毛髪は一切採取されていない。 かかる事実は,直ちに被告人両名の犯人性を否定する事情とはなり得な - 126 -いものの,それが,少なくとも,被告人両名の自白の任意性,信用性を疑わせる一つの事情として位置付けられるものであることについては否定できないように思われる。 小括以上のとおり,被告人両名の各自白については,本件強盗殺人の犯行そのものやこれに直結する事項につき,客観的事実と整合しない可能性が高いと思われる点,ないし客観的事実に照らして不自然と思われる点が少なからず散見される。 すなわち,各自白の内容のうち,Eを殺害した態様として,Eの口腔内にパンツを挿入した後にEの首を圧迫したなどとする被告人両名の供述は, 照らして不自然と思われる点が少なからず散見される。 すなわち,各自白の内容のうち,Eを殺害した態様として,Eの口腔内にパンツを挿入した後にEの首を圧迫したなどとする被告人両名の供述は,その各行為の先後の観点から,Eの死体の状況等から合理的に推認される客観的事実に反している可能性が高く,また,犯行後本件ガラス戸を取り外したなどとする被告人両名の供述も,現場の客観的状況と齟齬している可能性が高いと認められること,そのほか,E方室内の大きく落ちくぼむなどした床板の状況に関する被告人両名の供述や,ロッカー等の物色状況に関する被告人Cの供述,便所から出て逃走した旨述べる被告人Cの供述には,それぞれ現場の各客観的状況等に照らして不自然さが残ること,さらには,E方から被告人両名の指掌紋や毛髪等が採取されていない点も相応に不自然との評価が妥当し得ること等の諸点を指摘することができる。 もっとも,一方で,強盗殺人の犯行現場という異常な状況下において,相当に興奮した精神状態の中,犯人の記憶にある程度混乱が生ずることには致し方ない面もあると思われることや,本件では,本件強盗殺人の犯行以前のE方の室内やその周辺状況に関する証拠が極めて乏しく,Eの死体が発見されるまでに比較的長時間が経過していることもあり,そもそも本件強盗殺人の犯行前後の客観的な現場の状況を明確に確定し,再現するこ - 127 -と自体に相当の困難を伴うものであること等の事情もあるとはいえ,これらを勘案しても,少なくとも,前記指摘の諸点において,被告人両名の自白が,殺害態様等,その枢要部分ともいうべき重要な点の複数にわたり,客観的事実と整合しない可能性が高いと認められ,或いは不自然と考えられることは,やはり,被告人両名の自白の信用性に重大な疑問を抱かせ,ひいてはそ 等,その枢要部分ともいうべき重要な点の複数にわたり,客観的事実と整合しない可能性が高いと認められ,或いは不自然と考えられることは,やはり,被告人両名の自白の信用性に重大な疑問を抱かせ,ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめるものといわざるを得ない。 7 被告人両名の自白の経緯,取調状況等弁護人は,被告人両名の自白の内容自体に着目してこれまで検討してきたところに加え,さらに,被告人両名がそのような自白に至った経緯やその取調状況等,本件の捜査の過程における様々な問題点を指摘し,一連の各自白調書は捜査官によって捏造されたものであるなどと主張する。 他方,検察官は,被告人両名は,身体を拘束されて取調べを受けるようになって以降,いずれも比較的短時間のうちに犯行を自白しているなどとして,被告人両名に対する取調べに不当な点はなく,被告人両名の自白は任意かつ極めて信用性の高い状況下でなされたものというべきである旨主張する。 そこで,以下,被告人両名が自白に至った経緯や取調状況等について検討する。 被告人Cについてア被告人Cの供述被告人Cは,確定一審から本再審公判に至るまで,捜査段階において犯行を自白した経緯,理由につき,概ね一貫した説明をしているところ,その本再審公判における供述の要旨は,以下のとおりである。 すなわち,被告人Cは,最初に自白した経緯,理由について,10月10日に窃盗罪で逮捕され,同月11日からM1の取調べを受け,同日か同月12日に窃盗について調書を作った,8月25日ころから9月初旬まで - 128 -のアリバイについて尋ねられた,10月13日から留置場の3畳間くらいの仮眠室で取調べを受けるようになった,この日は8月28日のアリバイを聞かれ,「H12方に泊まった。」と言ったが,M1から,「H12は リバイについて尋ねられた,10月13日から留置場の3畳間くらいの仮眠室で取調べを受けるようになった,この日は8月28日のアリバイを聞かれ,「H12方に泊まった。」と言ったが,M1から,「H12は来ていないと言っている。」と言われた,宿泊先については友人のH16方かH12方か実姉の嫁ぎ先のいずれかであろうと思ったが,警察は嘘を言わないと信じていたため,分からないという感覚になった,M1から,「oに行ったことを隠しているんじゃないか。」,「お前とDを現場の前で見た人がいる。」などと言われ,被告人Dを見たという人がいるのなら被告人Dは現場に行ったのではないかと思った,朝から晩まで同じような調子のやりとりが続き,夕方になって,M1から,「お前のアリバイをちゃんと調べてやったじゃないか。」,「28日だけ分からないというのは,中学生が数を数えて1,2と分かる,3が分からない,4が分かるというのと同じだ。」などとも言われた,この日の取調べは夜の12時近くまでかかった,10月14日の取調べも同じ調子で,夕方になって,M1から,「お前の母ちゃんもやっちゃったことは仕方ないんだから一日も早く認めろと言っている。」などと言われ,自分を信じてくれていると思っていた母親の言葉に衝撃を受けた,この日の取調べも夜の12時近くまでかかった,「疲れたので眠らせてくれ。」と言うと,「眠らせてくれと言うのがやましい証拠で犯人の証拠だ。」などとも言われた,空腹感もあった,同月15日も,午前中は依然同じようなやりとりが続き,午後になって,嘘発見器にかけられた,これで本当のことを言えば分かってもらえると思い喜んだ,ところが,検査が終わると,M1から,「もうだめだ,嘘発見器が犯人と出ちゃった以上お前逃げられないぞ。」などと言われた,これを聞き,結局は全てを悪い方に解釈して自 えば分かってもらえると思い喜んだ,ところが,検査が終わると,M1から,「もうだめだ,嘘発見器が犯人と出ちゃった以上お前逃げられないぞ。」などと言われた,これを聞き,結局は全てを悪い方に解釈して自分を犯人にするつもりなのだと思い,落胆し,抵抗する心が折れて自白した,どうせ被告人Dが犯人なのだから,いつかは自分が真犯人ではないことが分かるという気持ちだった, - 129 -それ以後,犯行状況等について,別の日の出来事を供述したり,子供のころE方に行った際の記憶を頼りに供述し,M1の質問から事実を想像して,M1が納得する答えに辿り着くまで様々な答えをしていき,或いは,M1に指摘された被告人Dの供述に話を合わせるなどしながら,M1に誘導されるとおり供述していった,同月17日の取調べで,M7という警察官が入ってきてM1に耳打ちをし,その後,M1から,「Dはお前が首を絞めて殺したと言っている。」と怒鳴られて驚いた,犯行を認めている間は,まんじゅうやリンゴなどを食べさせてくれた,自白することが後で足かせになるという自覚はなかったなどと供述し,また,土浦拘置支所に移送後,一旦否認しながら再び自白した理由等については,12月1日に土浦拘置支所から再び警察署に戻され,M1から,「お前の言うことなど検察官は信じていない。Cの気持ちがねじ曲がったのを直せるのはM1さんしかいないと言われて,俺がお前のガラをもらってきたんだ。本当のことを言え。 俺はお前のためを思ってやっている。大変なことになるぞ。多分死刑もある。」などと言われた,このころ,調書が証拠になるということを初めて知り,徐々にもう逃げられない,死刑が怖いという気持ちになって再び犯行を自白した,このときは当初自白した際の心境とは全く違っていた,M3の取調べが始まると,M3はいきなり机を叩いて大き ことを初めて知り,徐々にもう逃げられない,死刑が怖いという気持ちになって再び犯行を自白した,このときは当初自白した際の心境とは全く違っていた,M3の取調べが始まると,M3はいきなり机を叩いて大きな声を出すなどし,数日間は否認して自分のアリバイを説明したが,M3から,「残念ながら君の言ったアリバイが出てこない。君の言葉は真実とは思えない。救ってやりようがない。君を裁判官も信じないよ。」などと言われ,もうどうしようもないと思いM3にも犯行を自白した,自白する中で,再び何箇所か供述を変えさせられた,M3から「違うのではないか。」と指摘された点については供述を変えていったなどと供述し,勾留質問でも犯行を認めた理由については,勾留質問中にも背後に警察官がおり,自白を翻す気持ちはなかったなどと供述している。 - 130 -被告人Cは,確定一審において,犯行を自白した理由について,自分と2人で犯行に及んだなどという被告人Dの話に合わせて供述したが,後で被告人Dと一緒に話をする場になれば,被告人Dも2人で犯行に及んだとは言えないだろうと高をくくっていた,裁判で本当のことを言おうと思い犯行を認めたなどとの趣旨も述べていたものであるが,被告人Cのこれら自白の経緯や取調状況等に関する供述は,確定審から本再審公判に至るまで,概ね一貫しているものと評価し得る。 そして,その供述内容は,一連の取調べの状況について,捜査官らの特徴的な言動や,それに対する自身の反応,さらにはその際の自己の心情の動き等を交えて具体的に述べられたもので,相応の臨場感を備えている。 被告人Cは,当時20歳という若年で,公判請求をされた経験もなく,また,当初弁護人による支援も十分には受けられなかった旨述べていること等をも併せ考慮すれば,はじめに自白した際に,自白調書が証拠となる 被告人Cは,当時20歳という若年で,公判請求をされた経験もなく,また,当初弁護人による支援も十分には受けられなかった旨述べていること等をも併せ考慮すれば,はじめに自白した際に,自白調書が証拠となるとは知らなかったとか,被告人Dと対面すれば真実が分かると考えたなどと述べている点もあながち不自然であるとはいえない。また,一旦拘置支所に移送された後,再び警察署に移送され,次第に,死刑が怖いという追い詰められた気持ちになったなどと述べている点についても,その心情を理解することは可能である。 被告人Cが前記のとおり述べるところは,その内容自体不合理であるなどとして,容易くその信用性を否定し得るものではない。 イ捜査官らの供述これに対し,被告人Cの取調べを主に担当したM1は,証人として出廷した確定一審及び確定控訴審において,要するに,被告人Cの取調べに当たった当初,捜査を指揮する上司からは8月28日と同月29日の行動について聴取するよう大まかな指示を受けていたに過ぎず,特に個別具体的な指示を受けたことはなく,10月13日の午後から - 131 -被告人Cに8月28日のアリバイについて尋ねたが,特に本件強盗殺人の被疑者かもしれないとの疑いを持って取り調べたわけではない,本件強盗殺人の捜査の状況については全く知らされておらず,犯行現場の状況についても,捜査本部に貼ってあった見取図を見た程度の知識しかなかったので,基本的に,被告人Cの供述するがままを聞くしかなく,言うなりの調書を作成した,被告人Cに行ったポリグラフ検査についても,これを実施することになった経緯や質問内容,検査結果は,その検査実施当時は聞いていなかった,その後,一旦否認に転じた被告人Cを12月1日に再び取り調べた際には,被告人Cに対し,何故否認したのかということし 施することになった経緯や質問内容,検査結果は,その検査実施当時は聞いていなかった,その後,一旦否認に転じた被告人Cを12月1日に再び取り調べた際には,被告人Cに対し,何故否認したのかということしか聞いていないなどと供述し,一連の取調べの過程で,被告人Cが前記のとおり述べるような言辞を発したことや誘導等を行った事実を一切否定し,M1の取調べに立ち会っていた県警1課巡査M8(以下「M8」という。)や取手署巡査M9(以下「M9」という。)もこれに沿う供述をしている。 しかし,一方で,M1は,確定審で証言した際,被告人Cの否認供述について上司から「これでは駄目だからもっと調べろ。」と言われた,被告人Cを窃盗で逮捕した10月10日ころは,容疑者を洗いつくしていたので(残る容疑者は)被告人Cしかいないという状態だった,8月28日のアリバイが立たないから被告人Cを窃盗の余罪で逮捕して調べるということだったなどとも供述しており,これらの供述は,上司による具体的な指示はなかったとか,被告人Cに対する取調べを始めた当初,本件強盗殺人の被疑者かもしれないとの認識はなかったなどとする前記供述の内容とは矛盾するもののように思われる。 また,M1のこの点の前記供述は,本件強盗殺人事件の捜査本部の捜査主宰者であった県警1課課長補佐M10が,証人として出廷した確定控訴審において,10月上旬当時,素行不良者で8月28日のアリバイが確認 - 132 -されていない十数名の本件強盗殺人の捜査対象者(被告人Dを含む。)の1人として,被告人Cをズボン等の窃盗事件で逮捕したものであり,捜査本部から捜査官らに対し,被告人Cの同日のアリバイを詳細に取り調べるよう指示していた旨供述しているところとも明らかに齟齬するものである。 そして,10月20日付け捜査報告書の記載や被 であり,捜査本部から捜査官らに対し,被告人Cの同日のアリバイを詳細に取り調べるよう指示していた旨供述しているところとも明らかに齟齬するものである。 そして,10月20日付け捜査報告書の記載や被告人Cの供述等によれば,少なくとも同月下旬ころ被告人CがM1の取調中にアリバイを主張して本件強盗殺人を否認した経緯があったことが認められるところ(日付の点は争いがあるものの被告人Cがアリバイを主張したこと自体はM1もこれを認めている。),関係証拠を精査しても,M1の取調べにおいて否認の供述を内容とする供述調書は全く作成されていない。M1は,前記のとおり被告人Cの言うなりに供述調書を作成していたなどと供述するが,同月下旬ころに連日多数の自白調書が作成されていながら,否認の供述のみ調書化されていないことには,やはり恣意的なものを感じざるを得ず,M1の供述はこのような事実とも矛盾する。 さらに,M1は,本件強盗殺人について,犯行現場の状況等についてもほとんど把握しない状態で被告人Cの取調べに当たったなどと供述しているが,何らの基礎的な知識もないまま果たして適切に被疑者の取調べを行うことができるのか,また,そのような手法が果たして通常あるべき取調べの在り方といえるのか,大いに疑問といわざるを得ず,かかる供述内容自体,いささか奇妙で不自然なものとの印象を免れない。 加えて,M1は,被告人Cの取調べの状況を録音したことについて,確定一審で証言した際,録音したのは11月2日の1回だけである旨明言していたものであるものの,被告人Cの取調状況を録音した録音テープは,確定一審で提出された同日作成のCテープ2のほか,第2 - 133 -次再審請求一審で提出された10月17日作成のCテープ1も現に存在することは明らかであり,M1のかかる供述は,明らかに虚 プは,確定一審で提出された同日作成のCテープ2のほか,第2 - 133 -次再審請求一審で提出された10月17日作成のCテープ1も現に存在することは明らかであり,M1のかかる供述は,明らかに虚偽の供述であったといわざるを得ない。検察官は,この点について,証言の時点で捜査終了から既に2年近くが経過しており,M1がCテープ1に係る録音の事実を失念していたに過ぎない旨主張するが,M1は,録音テープに関する事項を除くその他の事項については,被告人Cの取調経過等を詳細に説明しており,また,取調内容の手控えを取っていたことを認め,証人の召喚状が届いた際に取調当時作成したメモを見たなどとも供述しているのであって,M1がCテープ1に係る録音の事実を失念していたなどとは考えにくい。 これらの点を総合すると,被告人Cに対する不当な誘導等を一切否定するM1の供述は,その全体を通じ,いささか率直さに欠けた自己防衛的なものとの印象を免れないものであり,これにそのまま依拠することにはそれ相当の躊躇を禁じ得ない。この点は,M1の供述に概ね沿う供述をしているM8及びM9の供述についても同様である。 また,M3も,証人として出廷した確定一審において,被告人Cに対して自白の誘導等を行った事実を一切否定する供述をしているものの,一方では,警察での自白は真実性があるということで,確認的な気持ちで取り調べた,取調べを始めた当初,被告人Cは否認しており,こちらから何か事実を引き出したら言おうというような態度だった,警察がヒントを与えて取調べをしたとか誘導したとか言っていた,否認する被告人Cに対して,「真実を言えば人の心を打つ響きがあるが,君の言う言葉にはそれがない。」という趣旨のことを言った,「本当のことを話さなければ救いようがないだろう。」,「私に話すときには裁判 認する被告人Cに対して,「真実を言えば人の心を打つ響きがあるが,君の言う言葉にはそれがない。」という趣旨のことを言った,「本当のことを話さなければ救いようがないだろう。」,「私に話すときには裁判官と変わらない気持ちで,或いは裁判官に調べを受けているのと同じ気持ちで話してもらいたい。」などとも言ったことがある,被告人Cは,取調中,「Dは何と言っているん - 134 -だ。」と聞いてきて,被告人Dがどのような供述をしているかを引き出そうとしていたなどとも述べているところ,これらの点は,ややニュアンスや文脈を異にする点はともかく,被告人Cが前記のとおり供述するM3の発言内容や取調状況等とも一致するものであって,一面では被告人Cの供述を裏付けている。そうすると,M3自身の供述に照らしても,その取調べについて被告人Cが前記のとおり述べるところはあながち信用性に欠けるものとはいえず,ひいては,被告人Cに対する自白の誘導等を一切否定するM3の供述には,その信用性に疑問を入れる余地がないとはいえない。 被告人Dについてア被告人Dの供述被告人Dは,確定一審から本再審公判に至るまで,捜査段階において犯行を自白した経緯,理由につき,概ね一貫した説明をしているところ,その当公判廷における供述の要旨は,以下のとおりである。 すなわち,最初に自白した経緯については,10月16日,暴力行為の事件で逮捕され,同日夕方その取調べを受け終えて留置場に戻ったが,同日午後8時か午後9時ころ,再びM6及びM5に呼び出され,同人らから,「お前,ほかにもう一つやってるだろう,oの殺しだよ。」などと言われ,「冗談じゃねえや,俺はやってねえ。」と言って否定したものの,「お前とやったと言っている人間がいるんだ,アリバイを言ってみろ。」などと言われた,アリバイとし るだろう,oの殺しだよ。」などと言われ,「冗談じゃねえや,俺はやってねえ。」と言って否定したものの,「お前とやったと言っている人間がいるんだ,アリバイを言ってみろ。」などと言われた,アリバイとして映画に行った話などをしてこの日の取調べは終わった,翌17日夕方からM6らの取調べがあり,否認を続けたが,「お前を見た人が20人も30人もいる。」などと言われ,また,「H12は『Dと8月中旬ころまでしか一緒じゃなかった。』と言っているからアリバイは嘘だろう。」と言われ,その旨記載されたH12の調書のコピーも見せられた,そして,「Cが涙を流してお前とやったと謝っている。」と - 135 -言われ,目の前に調書を置かれたので,それを見ると,「強盗殺人,C」と書いてあった,M7という警察官が伝達役をやっているようで,M7が来てM6と何やら話をすると,その後,M6の取調べが強硬になった,「認めなければ死刑になるが,認めれば懲役四,五年で出られる,執行猶予もある。」などとも言われた,自分としては,C兄弟(被告人CとH12)が嘘を言っていることが不思議で,本当はC兄弟が犯人で,1人が助かるために自分を巻き込んでいるのだろうと思い,自分一人がやっていないと言っても信じてもらえない,警察官は認めなければいつまでも調べると言うのだから,もう裁判で被告人Cと対決するしかないなどと考え,同日夕方ころ嘘の自白をした,自分の言うことを取り上げてもらえず,悔しくて涙が出た,以後,犯行状況等について,噂で人に聞いたことや自分がほかの日に経験したことを供述したり,M6らが教えてくれた被告人Cの供述内容に話を合わせたり,M6らの誘導に従って想像しながら供述し,M6らの指示等に従って上申書等を書くなどもした,現場の見取図を書いた際には,なかなか書けずにいると,M6から現 てくれた被告人Cの供述内容に話を合わせたり,M6らの誘導に従って想像しながら供述し,M6らの指示等に従って上申書等を書くなどもした,現場の見取図を書いた際には,なかなか書けずにいると,M6から現場の図面を見せられた,同月30日と11月3日には録音テープに供述を録音された,早く裁判になってほしいという気持ちで取調べに応じていたが,裁判で自白調書が証拠になるとは思っていなかったなどと供述し,土浦拘置支所に移送されて一旦否認に転じながら再び犯行を自白した理由等については,土浦拘置支所に移送された後,看守から,「やっていなければ検事さんに本当のことを言わなきゃだめだよ。」などと言われ,思い直して一度は犯行を否認したものの,12月1日に土浦署に戻され,同日と翌2日は暴行や恐喝等の余罪の取調べがあり,同月3日からM4とM5から本件強盗殺人の取調べを受ける中で,「警察はもういいや。」という気持ちになり,M4が一方的に書いた調書に署名,指印した,眠気や空腹感もあった,同月12日からM3による取調べが始まった,M3の取調べではずっと片手錠で腰縄をパイ - 136 -プ椅子に縛られた状態だった,アリバイのことを話すと,M3は,「それ(東京で映画をみていたこと)が28日だという根拠は何だ。」と言ってきた,これを聞いて,この検事は警察と同じだから何を言ってもだめだと思い,ここも早く終わらせて裁判で闘おうと決めて,再び犯行を自白した,M3からは,「お前は東京にいたと言うが,お前を見た人がn町にいっぱいいる。どちらかが幽霊か。」,「助からない。」などととも言われた,このときも悔しくて涙が出た,それからは一方的にM3が話を決めて調書を作成していったなどと供述している。 被告人Dは,確定一審において,犯行を自白した理由について,警察で「認めれば助かる。」 た,このときも悔しくて涙が出た,それからは一方的にM3が話を決めて調書を作成していったなどと供述している。 被告人Dは,確定一審において,犯行を自白した理由について,警察で「認めれば助かる。」と言われたので認めた,M3による取調べを受けたとき,このままではどうしようもないと精神的に参ってしまい,認めればすぐ裁判にしてもらえると思い,犯行を認めたなどとも述べていたものであるが,被告人Dのこれら自白の経緯や取調状況等に関する供述は確定審から本再審公判に至るまで概ね一貫しているものと評価し得る。 そして,その供述内容は,一連の取調べの状況について,捜査官らの特徴的な言動や,それに対する自身の反応,さらにはその際の自己の心情の動き等を交えて具体的に述べられたもので,相応の臨場感を備えている。 殊に,当初の自白に際し,M6から,H12や被告人Cの供述調書を見せられるなどしたという状況や,現場の見取図を書くよう指示されて対応に窮した際,M6から現場の図面を見せられるなどしたという状況について被告人Dが前記のとおり述べるところは,極めて特徴的な内容で臨場感に富み,にわかに虚構を作出したものとは感じさせない。また,当初自白した際,捜査官に自分の主張を聞いてもらえず,何を言っても無駄だと思ったなどと述べている点については,確定一審において,少年時代に逮捕された際,その事件とは全く無関係の人も逮捕され,警察に無理矢理に犯人に仕立て上げられてしまったという経験があり,警察とはそういうものだ - 137 -という頭があったことから,自分でやらないと言って犯行を否認しても信用してもらえないと思ったなどとも供述しており,これは,自身の体験を交えた具体的な供述である。加えて,被告人Dは,自白した当時21歳と若年で,また,当初弁護人による支援も十分には受け を否認しても信用してもらえないと思ったなどとも供述しており,これは,自身の体験を交えた具体的な供述である。加えて,被告人Dは,自白した当時21歳と若年で,また,当初弁護人による支援も十分には受けられなかった旨述べていること等をも併せ考慮すれば,自分の言い分を聞いてもらうことのできない取調べを早く終わらせ,裁判の場で被告人Cと闘おうと思い犯行を自白したなどとする供述が特に不自然であるとはいえない。自分の言うことを聞き入れてもらえず,悔しくて涙が出たなどと述べるその心情も,それ自体として十分理解することは可能である。 被告人Dが前記のとおり述べるところは,その内容自体不合理であるなどとして,容易くその信用性を否定し得るものではない。 なお,検察官は,被告人Dが最初に自白した当日に作成された供述調書中に,犯行後H12方に宿泊した旨がそのまま記載されている点を捉え,この当時,捜査官は,既に,8月中旬以降は被告人Dに会っていないという趣旨のH12の供述を得ていたはずであるから,このことは,捜査官が被告人Dの犯行を否認する主張を端から否定するような取調べをしていなかったことの証左であり,ひいては,頭ごなしにアリバイを否定されたなどとする被告人Dの前記供述は信用性が乏しい旨主張する。 しかし,同じH12方に宿泊したとの事実であっても,犯行を否認するアリバイの内容としてこれを主張している場合と,犯行を認めた上でそれに付随する事項としてこれを述べている場合とでは,その意味合いが大きく異なることは明らかである。捜査の初期段階にあって,H12の供述の信憑性の検討等も十分には尽くされていなかったであろうと思われる中,後者の趣旨において,自白の一部として,捜査官が得ている情報とは異なる前記のような内容が供述調書に記載されているからといって,前者の趣旨 の検討等も十分には尽くされていなかったであろうと思われる中,後者の趣旨において,自白の一部として,捜査官が得ている情報とは異なる前記のような内容が供述調書に記載されているからといって,前者の趣旨においてなされた被告人Dのアリバイの主張にも,捜査官が全て真摯に - 138 -耳を傾けていたなどと推認し得るものでないことは明らかである。検察官の指摘する点は,被告人Dの前記供述の信用性を特に減殺するものとは思われない。 イ捜査官らの供述これに対し,10月16日から同月19日までの間,被告人Dの取調べを担当したM6は,証人として出廷した確定一審において,要するに,被告人Dを逮捕した同月16日は暴力行為等処罰に関する法律違反の事実を調べるのに手一杯で,本件強盗殺人の取調べはしていない,同月17日午後3時30分ころから本件強盗殺人の取調べを行った,「人間というのは責任を持たなければならない。」などと諭すように話していると,被告人Dは30分くらいで素直に犯行を自白した,その際,被告人Dに対し,「お前とやったと言っている人間がいる。」,「被告人Cが2人でやったと謝っている。」などと誘導的なことを言ったり,被告人CやH12の調書を被告人Dに見せたことはない,「認めなければいつまでも調べる。」とか「お前を現場付近で見た人がいる。」などとも言ったことはない,この時点で,被告人Cが既に犯行を自白しているということは聞いており,被告人Dが被告人Cの友人であるとも聞いていたので,被告人Dの自白が間違いなく真実であることには自信があった,Eの写真や犯行現場は見ておらず,特にそうした知識はないまま被告人Dの取調べに当たったなどと供述している。 また,同月20日以降,M6に代わり被告人Dの取調べを担当したM4は,証人として出廷した確定一審において,M は見ておらず,特にそうした知識はないまま被告人Dの取調べに当たったなどと供述している。 また,同月20日以降,M6に代わり被告人Dの取調べを担当したM4は,証人として出廷した確定一審において,M6と同様,被告人Dに不当な誘導等を行ったことはない旨供述するとともに,11月3日に被告人Dの取調状況を録音テープに録音したことがあるが,そのような録音を行ったのは同日の1回だけである旨明言し,M6やM4の取調べに立ち会っていたM5も,M6及びM4の供述に沿う内容の - 139 -供述をしている。 しかし,M6は,証人として出廷した確定控訴審においては,自分自身は暴力行為等処罰に関する法律違反の事実の取調べは行っていないという記憶である,同事実の取調べが終わったその日の夜に初めて被告人Dを取り調べた,本件強盗殺人事件に関係があるかどうか,犯行当日のアリバイを聞くためだったなどとして,被告人Dの供述と合致する方向へと供述を不自然に変遷させており,その他の点でも不自然な供述の変遷がみられる。 また,M6は,被告人Dが自白を始めた後の経緯としてではあるものの,被告人Dの取調中,参考程度に,被告人Cの供述調書を取調室に持ち込み,その表紙が見えるような状態になっていたことが一,二回はあるかもしれないなどとも供述し,さらに,被告人Dに対して現場の図面を見せたことは否定するものの,M6が調書を取っている際,M5がその準備をしたと思うなどとして,現場の図面を取調室に持ち込んでいたことは認めており,かかる一連の供述は,被告人Dの前記供述に一部沿うものであると認められる。しかも,M6は,被告人Dが逮捕された当日に被告人Dの取調べに当たるよう命ぜられたとした上で,被告人Cの自白調書を取調室に持ち込んでいた点について,これは突然そういう調べを命ぜられて内容 められる。しかも,M6は,被告人Dが逮捕された当日に被告人Dの取調べに当たるよう命ぜられたとした上で,被告人Cの自白調書を取調室に持ち込んでいた点について,これは突然そういう調べを命ぜられて内容が全然分からないから,そのために自分に渡された書類だと思ったなどとも述べているのであって,これらの供述からすると,10月16日の最初の取調べの時点から被告人Cの供述調書がM6の手元にあり,同月17日の取調べに際してもM6がこれを取調室に持ち込んでいた可能性も十分考えられるところというべきである。 このように,M6の供述には不自然な変遷があり,また,M6が供述する内容からも,被告人Dに対して被告人Cの供述調書や現場の図面を見せた機会があったのではないかと疑われる。また,M6の供述によれば,被 - 140 -告人Dは,特段のきっかけもないのに,突如,犯行当日のアリバイの主張を翻し,本件強盗殺人の犯行を自白したことになるものの,そのような経過もいささか唐突で不自然であるとの感を否めない。 次に,M4の供述についてみると,M4は,前記のとおり,M6と同様,被告人Dに不当な誘導等を行ったことはない旨頑なに供述しているものの,その一方で,被告人Dが土浦拘置支所から再び土浦署に移送された経緯について,検察官の前で否認したという知らせを受けて,自分としてはまだ調べが足りなかったのかという気持ちがあり,そういう責任を果たすという気持ちからも,更に取り調べたいという希望もあって,検察官の持っている勾留の身柄を借りて被告人Dを取り調べたなどとも述べており,暗に,被告人Dが否認に転じたが故に,再び自白を迫るため土浦署に身柄を移送したという経緯があったことを前提に,自身も被告人Dに再度犯行を自白させるべく並々ならぬ決意でその取調べに当たったことを認めている 被告人Dが否認に転じたが故に,再び自白を迫るため土浦署に身柄を移送したという経緯があったことを前提に,自身も被告人Dに再度犯行を自白させるべく並々ならぬ決意でその取調べに当たったことを認めている。そして,M4は,その後の被告人Dの取調べに当たり,M2の取調べで否認したと聞いていたので,被告人Dに対し,「ぐらぐらしているな。」という意味のことを言ったことがある,検察官の取調べの後で被告人Dの口数が少なくなったので,供述させようと思って色々尋ねた,「本当のこと(犯行を行ったということ)が話せれば,検察官に連絡をとってやる。」という話はした,録音テープに取調状況を録音する際には,被告人Dに対し,「これまで調べの時に申し立てたとおりの吹込みをすればいいんだ。」という趣旨のことを言った,被告人Dの質問に応えて「前の調書ではこのように答えている。」などと説明したこともあるなどとも述べているのであって,かかる供述からは,少なからず,被告人Dに対する自白の強要や誘導があったことを窺わせる。 さらに,M4は,前記のとおり,11月3日に被告人Dの取調状況を録音テープに録音したことがあるが,そのような録音を行ったのは同 - 141 -日の1回だけである旨明言し,同日作成されたDテープ以外に同様の録音テープは存在しない旨供述するところ,この点は,同日以前に,10月30日にも自身の取調状況を録音されたなどとして,日付まで特定して述べる被告人Dの前記供述と真っ向から齟齬するものである。 そこで,この点につき検討を要するが,被告人Dの11月2日付け警察官調書には「この前録音テープを使って調べられたときにも,眼鏡のことを申し上げてあり,縁が細かったと言ったのは,若い男がかけているような巾の広い縁ではないという意味だったのです。」などとして,同日以前に録音テ この前録音テープを使って調べられたときにも,眼鏡のことを申し上げてあり,縁が細かったと言ったのは,若い男がかけているような巾の広い縁ではないという意味だったのです。」などとして,同日以前に録音テープを使用した取調べがあったことを前提とする供述がみられること,M4らは,10月21日から11月4日までの間,被告人Dが勾留された10月25日及びM2の取調べが行われた11月1日の2日間を除き,連日被告人Dを取り調べ,10月30日にも「午前10時50分から午後零時15分まで,午後1時55分から午後4時50分まで,午後6時55分から午後10時40分まで」の3回にわたって被告人Dを取り調べたことが窺われるのに(しかも,この取調合計時間はその前後の日と比べても少なくない。),前記の期間中,連日のように被告人Dの供述調書が作成される中,同日のみ供述調書が作成されていないこと,さらには,被告人Cに関し,確定審ではその存在自体が否定されていた11月2日以前に録音されたCテープ1の存在が第2次再審請求一審の段階になって,ようやく検察官から提出され明らかになったという経緯があること等の事情を総合的に考慮すれば,被告人Dが述べるように,Dテープが作成された11月3日以前にも,10月30日ころ被告人Dの取調状況が録音テープに録音されていた可能性が高いというべきである(なお,検察官は,第2次再審請求一審において,被告人Dの11月3日以外の録音テープを不見当としているが,現在不見当であることをもって,当時,録音された可能性が否定されるものではないことはいうまでもない。)。そうすると, - 142 -かかる事実を頑なに否定するM4の前記供述は,虚偽を述べるものである可能性が高いといわざるを得ない。 以上の点を総合すると,被告人Dに対する不当な誘導等を一切否定す そうすると, - 142 -かかる事実を頑なに否定するM4の前記供述は,虚偽を述べるものである可能性が高いといわざるを得ない。 以上の点を総合すると,被告人Dに対する不当な誘導等を一切否定するM6やM4の供述も,前記M1らの供述と同様に,その全体を通じ,いささか率直さに欠けた自己防衛的なものとの印象を免れないものであり,これにそのまま依拠することにはそれ相当の躊躇を禁じ得ない。この点は,M6及びM4の供述に概ね沿う供述をしているM5の供述についても同様である。 また,M3も,証人として出廷した確定一審において,被告人Dに対して自白の誘導等を行った事実を一切否定する供述をしているものの,一方では,警察での自白は真実性があるということで,確認的な気持ちで取り調べた,取調べを始めた当初,映画を見ていたなどとのアリバイを供述して犯行を否認した被告人Dに対し,「やらないということを説明してみろ。」などと言ったことがある,「同じ1人の人間が東京にいたと言ってみたり,犯行をやったと言ってみたり,それじゃ幽霊のような人間じゃないか。」とも言ったことがある,はっきりしないが,「お母さんが亡くなったようだが,お母さんに申し訳ないじゃないか,嘘をついては。本当のことを言わないと。」などと言ったところ,被告人Dがその取調べを始めてから2時間とかからずに涙を流しながら全面的に自白した,被告人Dは,取調中,「Cは何と言っているんだ。」と聞いてきて,被告人Cがどのような供述をしているかを引き出そうとしていたなどとも述べているところ,これらの点は,ややニュアンスや文脈を異にする点はともかく,被告人Dが前記のとおり供述するM3の発言内容や取調状況等とも符合するものであって,一面では,被告人Dの供述を裏付けている。そうすると,M3自身の供述に照らしても,そ や文脈を異にする点はともかく,被告人Dが前記のとおり供述するM3の発言内容や取調状況等とも符合するものであって,一面では,被告人Dの供述を裏付けている。そうすると,M3自身の供述に照らしても,その取調べについて前記のとおり被告人Dが述べるところはあながち信用性に欠けるものとはいえず,ひいては,被 - 143 -告人Dに対する自白の誘導等を一切否定するM3の供述には,その信用性に疑問を入れる余地がないとはいえない。 被告人両名が供述する取調状況と自白内容等との整合性そして,被告人両名の自白には,前記のとおり,本件強盗殺人に係る犯行内容そのものや,それに直結する重要な事項等の全般にわたり,合理的な理由を見出し難い激しい供述の変遷が見受けられるところ,これら被告人両名の供述について,現に捜査官らの誘導等が介在したことを窺わせる事情として,以下のような点を指摘することができる。 ア被告人両名が出会った経緯及び石段の一件に関する供述(前記4関係)について被告人両名は,いずれも当初,犯行当日,我孫子駅の成田線のホームで相互に出会い,また,目に怪我をしたH10とも出会って,その後,3人で一緒にr駅で降り,K1橋を渡ったなどと供述したが,後に,H10と出会った事実を揃って否定し,被告人両名が相互に出会った経緯についても,被告人Cにおいては,K1橋のたもとのバスの停留所付近で被告人Dと出会った旨,被告人Dにおいては,我孫子駅で被告人Cと出会った後,別々にr駅で降りてK1橋を渡り,その後K1橋のたもと付近でもう一度被告人Cと出会った旨をそれぞれ述べるに至っており,やや不自然な供述経過を辿っていることは既にみたとおりである。 このうち,H10と出会ったとの点に関しては,被告人Cが10月15日の取調べにおいて我 告人Cと出会った旨をそれぞれ述べるに至っており,やや不自然な供述経過を辿っていることは既にみたとおりである。 このうち,H10と出会ったとの点に関しては,被告人Cが10月15日の取調べにおいて我孫子駅でH10に出会った旨供述し,被告人Dもその2日後の同月17日の取調べにおいて同旨の供述をしたが,捜査官が同日H10から事情を聴取し,犯行当日H10が被告人両名と出会った事実がないことが判明するや,その直後から,被告人両名いずれについても,H10と一緒ではなかった旨の供述をするに至っていることが認められ,かかる事情に照らすと,前記のような被告人両名の供述の変 - 144 -遷には,捜査官による何らかの誘導の跡が強く窺われるところである。 また,その後の被告人両名がr駅からK1橋に至るまでの経過の点(石段の一件の点を含む)に関しては,被告人Dが,同月22日の取調べにおいて,犯行当日H3やH4と一緒にr駅で降車した旨供述したことから,H3らに対する事情聴取が行われ,その過程で,日付までは特定できないものの,K1橋の石段の一件があったという事実が明らかとなり,それをもとに,同月23日に被告人Cに対する取調べが行われ,その結果,被告人Cの供述から,H5も石段の一件の場に存在していたことが判明し,その後,捜査官は,同月24日にH5やH4の供述を順次得ていったものと推察される。 そして,その一連の過程において,r駅で駅員のH2から他の男らと立ち話をする被告人Dの姿が目撃されている一方,H3やH4はそのような事実を供述してはいない(すなわち,被告人Dは,r駅で降りた後,H3やH4と行動を共にしていたものではないことになる。)ことや,関係者の供述を前提とすれば,石段の一件に際しては,被告人両名は別々に行動していたというのでなければ話の辻褄が合わ ,r駅で降りた後,H3やH4と行動を共にしていたものではないことになる。)ことや,関係者の供述を前提とすれば,石段の一件に際しては,被告人両名は別々に行動していたというのでなければ話の辻褄が合わないこと(そもそも石段の一件は,被告人Cが1人で石段を駆け上がっていく際の出来事である上,H5は石段の一件の際,被告人Dの姿は見かけなかった旨述べている。)等との関係上,捜査官において,被告人Dの行動につき,これらの事実との整合性を保つ必要が生じたことは,想像に難くないところであるから,被告人両名の供述が前記のような変遷を遂げていることは,かかる観点からの捜査官らの誘導が働いたことを前提とすることで,理解が容易となるように思われる。 また,H3,H4及びH5が犯行当日の出来事として石段の一件を語る各供述については,異なる日付の出来事を犯行当日のものとして混同している具体的な可能性も認められるなど,その信用性には一定の疑念を抱か - 145 -せるべき事情があり,その3名の供述自体にも,捜査官による何らかの誘導が介在していた可能性が窺われることは,既に述べたとおりである。 なお,検察官は,被告人Cの同月23日の取調べにおける供述(供述調書は同月24日に作成されている)からH5も石段の一件の場に存在していたことが判明し,この供述に基づき同人を取り調べたところ,同人も同日石段の一件について供述し,これにより被告人Cの供述が裏付けられたなどとして,かかる経緯は被告人Cの供述の信用性を高める事情である旨主張する。しかし,検察官の指摘する事実の経過それ自体に誤りはないものの,H5が石段の一件を犯行当日の出来事として供述するその内容自体,その信用性には一定の疑問があり,かかるH5の供述にも捜査官の誘導が働いていた形跡が窺われることは前記のとおりで 体に誤りはないものの,H5が石段の一件を犯行当日の出来事として供述するその内容自体,その信用性には一定の疑問があり,かかるH5の供述にも捜査官の誘導が働いていた形跡が窺われることは前記のとおりであるから,検察官の指摘する経緯をもって被告人Cの供述の信用性が高まるなどとは到底いえない。 また,検察官は,被告人Dが,同月22日の取調べにおいて,犯行当日我孫子駅でH3とH4に出会った旨供述し,この供述に基づき同日同人らを取り調べたところ,同人らもそれぞれ犯行当日我孫子駅で被告人Dと出会った旨を供述し,被告人Dの供述が裏付けられたなどとして,かかる経過は被告人Dの供述の信用性を高める事情であるとも主張する。しかし,この点についても,H3及びH4の各供述それ自体の信用性に一定の疑問があること,そして,H3及びH4に対しても捜査官が誘導的な取調べを行った可能性が窺われることについては既に述べたとおりであるから,かかる検察官の指摘する経過が何ら被告人Dの供述の信用性を高める意味を有するものでないことは明らかである(なお,検察官は,H1供述についても同様の主張をするが,これも被告人Dの供述の信用性を高めるものでないことは,H3及びH4の各供述におけると同様である。)。 - 146 -イ物色の状況等に関する供述(前記4ア関係)について ロッカーの鍵について被告人Cは,12月22日の取調べにおいて,Eを殺害後室内を物色した際,ロッカーを開ける際に使用した鍵が154と刻印された鍵であった旨供述したものであるところ,かかる供述が余りに唐突との印象を禁じ得ないものであることについては,既に指摘したとおりである。この点は,11月3日の取調べにおいて,被告人Cに対し,E方から押収された各証拠物を示した上,それらにつき被告人 が余りに唐突との印象を禁じ得ないものであることについては,既に指摘したとおりである。この点は,11月3日の取調べにおいて,被告人Cに対し,E方から押収された各証拠物を示した上,それらにつき被告人Cが説明した内容を記載した供述調書が作成されており,その際,前記鍵の現物も被告人Cに示されていることは明らかであるから,このとき捜査官から与えられた情報に基づき,12月22日の取調べにおいて前記のような供述をするに至ったと考えれば,その唐突な供述経過についても理解が容易となるように思われる。そして,かかる推論は,M3が,証人として出廷した確定一審において,被告人Cがロッカーの番号は警察官がそのロッカーの鍵であるという表示の荷札を付けていたので,それを見て番号を記憶したなどと申し立てた旨供述していることからも相応に裏付けられるように思われる。 押入れの物色について被告人Dは,Eを殺害した後,押入れを物色した際の状況について,前記のとおり,当初は,押入内の布団を引っ張り出して物色したなどと供述していたものの,捜査の終盤になって,何の説明もなく,布団を引っ張り出さずに物色したなどとして唐突に供述を変遷させたものであるところ,この点についても,被告人Dの前記当初の供述が押入周辺の状況に照らして不自然であり,現場に布団を引っ張り出した形跡も窺われないこと等から,捜査の終盤において,そうした現場の客観的状況に沿う内容へと供述を調整すべく,検察官による何らかの - 147 -誘導が働いたと考えれば,理解が容易となるように思われる。 ウ白い布製の財布に関する供述(前記4イ関係)について白い布製の財布を巡る被告人Cの供述の変遷,すなわち,被告人Cが,当初,被告人DがE方から白い布製の財布を取ってきたなどと供述しておきながら,後 い布製の財布に関する供述(前記4イ関係)について白い布製の財布を巡る被告人Cの供述の変遷,すなわち,被告人Cが,当初,被告人DがE方から白い布製の財布を取ってきたなどと供述しておきながら,後にこれを翻し,被告人C自身がその財布をEのポケットから取ったなどと供述し,さらに最終的には,被告人両名いずれもその財布を取ったことはないなどとして,重ねて供述を変更している点については,これが極めて不自然かつ不可解な供述の変遷というべきであり,そのような供述経過を辿った理由につき被告人Cが自白調書の中で説明するところも到底首肯し得るものでないことは,既にみたとおりである。この点については,被告人Dが,10月17日の取調べから一貫して,自分がE方から取ったのは黒い布製の財布である旨供述していたこととの矛盾の解消や,Eのズボンのポケットに入っていた小豆の缶詰の存在との整合性(被告人CがEのズボンのポケットを探ったというのであればなぜ缶詰の存在に気付かなかったのかという疑問が容易に生じる。)を保つため,捜査官による一定の誘導が加えられた結果ではないかとみることも十分可能であるように思われる。 エガラス戸の工作等に関する供述(前記4関係)について被告人両名は,ガラス戸の工作等について,前記のとおり,相当期間取調べが進んだ段階でようやく供述を始め,その後も著しく供述を変遷させているものであるところ,この点については,犯行現場の客観的な状況に照らし,被告人両名の当初の自白が一切ガラス戸の点に触れていないことに不審を抱いた捜査官の追及を受け,被告人両名がようやくその供述を始めたものの,重ねて詳細な質問を受けるうち,場当たり的に捜査官の意に沿うような供述を繰り返す過程で,前記のような不自然な供述の経過を辿ったものと考えれば,理解が容易となる 両名がようやくその供述を始めたものの,重ねて詳細な質問を受けるうち,場当たり的に捜査官の意に沿うような供述を繰り返す過程で,前記のような不自然な供述の経過を辿ったものと考えれば,理解が容易となるように思われる。 - 148 -オ逃走状況に関する供述(前記4関係)についてE方から逃走した後の状況に関する被告人両名の供述にも,前記のとおりいささか不自然な変遷の経緯が認められるところ,この点は,被告人Dは,11月3日の取調べにおいて,当初,逃走後,被告人Cとは我孫子か千住で別れた旨述べながら,後にそのような事実を否定するに至った点について,被告人Cの方が自分よりも先に捕まり,Eを殺したことを供述していて,逃げる途中我孫子か北千住辺りで別れたようなことを言っているように薄々感じたので,被告人Cと話を合わせれば取調べも簡単に済み,余計なことを調べられなくても済むと思ったからであるなどと説明している。この点は,被告人Dが,何故被告人Cの供述内容を感知することができたのか,極めて不可解というほかなく,結局,このことは,捜査官が被告人Cの供述を前提に被告人Dを誘導したのではないかとの疑いを端的に生ぜしめる事情である。このような事情を考慮すれば,逃走状況に関する被告人両名の不自然な供述の変遷が,全体として,捜査官による誘導の結果生じたものではないかとの見方もあながち否定することはできないように思われる。 小活以上によれば,被告人両名が,前記のとおり,取調べにおいて自白を強要され,自白調書は,その大部分が捜査官らの誘導によって作成されたものであるなどとして縷々述べるところは,いずれも,多少の誇張がある可能性は別としても,容易くその信用性を否定し得るものではない。一方,これら被告人両名の自白調書の作成に当たり,不当な誘導等は れたものであるなどとして縷々述べるところは,いずれも,多少の誇張がある可能性は別としても,容易くその信用性を否定し得るものではない。一方,これら被告人両名の自白調書の作成に当たり,不当な誘導等は一切なかった旨述べる前記捜査官らの供述は,少なくともその限りにおいていささか信用性に乏しいというべきである。 そうすると,被告人両名の各自白調書が何某か捜査官らの誘導等により作成されたものである可能性を否定することはできないというべきであって, - 149 -こうした事情が,被告人両名の自白の信用性を相応に減殺させ,ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめるものであることは明らかである。 もっとも,被告人両名が前記のとおり述べるように,捜査官が全てを誘導してその各自白調書を作り上げたというのであれば,被告人両名の自白が全く矛盾せず,現場の客観的状況とも完全に一致する形の供述をさせることも可能であったはずであり,実際に,被告人両名の自白が必ずしもそのような供述状況になっていないことには,若干の疑問がないわけではない。しかし,被告人両名の自白の中にみられるそうした各供述相互間,或いは現場の客観的状況との矛盾点等については,捜査官の一定の誘導が働いたことを前提としてもなお,既に指摘したとおり,被告人両名が実際には体験していない事実に関する供述をしたが故にそのような結果が生ずることになったとみる余地は十分あり得るところであろう。また,被告人両名が,いずれも,本件強盗殺人の犯行の概要について事前に噂話等を通じてある程度は聞き知っていたことや,自己の別の機会の経験等を織り交ぜながらある程度積極的に供述していった旨も認めていること,そのほか,被告人両名の取調べには異なる捜査官が当たっていたこと等の事情をも考慮すれば,被告人両名の自白相互間に矛盾 の機会の経験等を織り交ぜながらある程度積極的に供述していった旨も認めていること,そのほか,被告人両名の取調べには異なる捜査官が当たっていたこと等の事情をも考慮すれば,被告人両名の自白相互間に矛盾点が存することは,必ずしも,捜査官の前記のような誘導等の疑いを完全に払拭する理由になるとはいい難い。また,被告人両名の自白と客観的事実との間に齟齬する可能性が高いと認められる点が存することについては,その客観的事実の多くが,再審請求審段階で弁護人により提出された証拠により明らかにされたものであり,捜査当時は,十分に検証されていなかった可能性が高いといえるのであるから,やはり,この点も,捜査官の前記のような誘導の疑いを払拭する事情であるとはいい難い。 8 被告人両名の各アリバイ供述が虚偽である旨の検察官の主張について被告人両名は,本件強盗殺人の犯行を否認する積極的な事情として,いずれも犯行当日における自身のアリバイを供述しているものであるところ,検 - 150 -察官は,前記のとおり,その各アリバイ供述が虚偽である旨断じた上で,被告人両名がかかる虚偽のアリバイを供述しているとの事実は,それ自体被告人両名の有罪意識の現れであり,ひいては被告人両名が本件強盗殺人の犯人であることを推認させるものである旨主張し,この点を,本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性を立証する上で一つの大きな柱に据えている。 この点,被告人両名の各アリバイ供述についても,被告人両名の自白と表裏をなす関係にあるものとして,その各一連の供述全体の中に位置付けて考察,評価するのが相当と考えられることは既に指摘したとおりである。 以下,被告人両名の各アリバイ供述の内容につき,具体的に検討する。 被告人Cのアリバイ供述等被告人Cは,確定一審以降,一貫して,8月28日午 と考えられることは既に指摘したとおりである。 以下,被告人両名の各アリバイ供述の内容につき,具体的に検討する。 被告人Cのアリバイ供述等被告人Cは,確定一審以降,一貫して,8月28日午後5時半ころ知人のH18と一緒に取手競輪場を出て,午後7時過ぎころ1人で高田馬場の「K17」に入って飲食し,午後8時ころ同店を出て,午後8時半ころH12方に着き,午後9時過ぎころH12の勤め先であるバー「K16」に行って30分くらいビールを飲み,午後10時過ぎころH12方に戻った,そのとき被告人Dが部屋にいて新宿で映画を観てきたなどと言っていた,その後,向かいのアパートの部屋に侵入して缶詰1個を盗み,夜中の12時ころ被告人Dと2人で寝たなどと供述しており,捜査段階におけるM1やM2による取調べにおいても一時期これと同様のアリバイを主張していた経緯があったことが認められる。 もっとも,被告人Cは,9月中にも2度,警察官から8月28日の行動を尋ねられたことがあり,その際には,ビル清掃の親方の家に泊まったなどとの申告をしていたもので,また,窃盗の事実で逮捕された後,本件強盗殺人についての自白を始める以前の段階にあっては,同日夜の行動について,取手競輪場を出て電車で我孫子駅まで行き,我孫子駅から成田線で午後7時10分ころにr駅に着き,駅前で被告人D及びH10に出会い, - 151 -さらに,3人で駅前通りを通って帰る途中にL1にも出会い,被告人DがL1に対し金を作れなどと言って責めている様子だった,その夜はH16のところに泊まったかもしれないなどと供述していたことが認められる。 このように,何故アリバイ供述の内容が当初から一貫していないのか,一定の疑問も生ずるものの,被告人Cは,当初,ビル清掃の親方の家に泊まったと虚偽の申告をした点について 述していたことが認められる。 このように,何故アリバイ供述の内容が当初から一貫していないのか,一定の疑問も生ずるものの,被告人Cは,当初,ビル清掃の親方の家に泊まったと虚偽の申告をした点については,当時,母親に対して,実際には仕事をしていないことを隠しており,それが母親に発覚することを避けるため,虚偽の事実を申告してしまった旨一応の説明をしており,また,当初,H16のところに泊まったかもしれないとの誤った事実を述べた点についても,逮捕された当初は同日の行動をはっきりと覚えておらず,記憶が混乱していて,H12か,姉の嫁ぎ先か,H16のいずれかの家に泊まったとは思っていたが,結局ははっきりしなかったなどとして,一応の説明を加えているところであるから,かかる変遷を捉えて,被告人Cの前記アリバイ供述の信用性を一概に否定することは相当ではない(なお,検察官は,留置場内における被告人Cの言動が報告された10月15日付け「留置人の言動について」と題する捜査報告書中に,被告人Cが同日房内において「8月27日頃までは何をしていたか自分でよく考えてみれば思い出せるが,28日は競輪にきて夕方oのK1橋上でoyでH19さんと立ち話したまでは覚えているがその後何をしたか忘れてしまったな。」と独り言のように話していた旨の記載があることから,被告人C自身,自ら自己のアリバイ供述が虚偽であることを漏らしていたものであるなどと主張するが,同捜査報告書が作成された経緯や被告人Cがかかる発言をしていたという状況の詳細は全く不明であり,その証拠価値は極めて低いものであるといわざるを得ない。)。 被告人Dのアリバイ供述等被告人Dは,確定一審以降,一貫して,8月28日は昼ころまでH12 - 152 -方でH12が知人のH20に入れ墨をしているところに一緒に ざるを得ない。)。 被告人Dのアリバイ供述等被告人Dは,確定一審以降,一貫して,8月28日は昼ころまでH12 - 152 -方でH12が知人のH20に入れ墨をしているところに一緒におり,午後7時過ぎころから午後10時ころまでK18という映画館で映画を観た,その間の午後8時か午後8時半ころ,タバコを買うために映画館を出ると雨が降っていた,午後10時ころ映画が終わって外に出ると雨が止んでいた,午後10時半ころH12方に帰り,午後11時過ぎころ被告人CもH12方に帰ってきた,その後,被告人Cが隣のアパートの部屋に侵入して缶詰1個を盗んできたなどと供述しており,逮捕当初に犯行を否認した際や,M2の取調べにおいて犯行を否認した際にも,これと趣旨を同じくするアリバイを主張していたことが認められる。 かかる被告人Dの供述のうち,映画館から出た際の降雨の状況につき述べる点は,同日の客観的な降雨の状況に関する関係証拠の内容とも整合するもので,一部とはいえ,客観的な裏付けも存している。 検察官は,被告人Dが同日観たという映画のタイトルが実際に放映されていたものとは異なっており,前記のとおり被告人Dが述べるアリバイ供述は虚偽である旨主張するところ,確かに関係証拠によれば,同日,被告人Dが行ったという映画館において,被告人Dが供述するのとは異なるタイトルの映画が放映されていた事実も認められるものの,その反面,被告人Dの主張に沿うタイトルの映画が放映されていた事実も認められるのであって,この点をもって,直ちに被告人Dのアリバイ供述が虚偽であるとはいえないように思われる。 被告人両名の各アリバイ供述と一連の各目撃供述との関係検察官は,被告人両名の各アリバイ供述は,いずれも,8月28日における前記一連の各目撃供述の内容と矛盾するも いえないように思われる。 被告人両名の各アリバイ供述と一連の各目撃供述との関係検察官は,被告人両名の各アリバイ供述は,いずれも,8月28日における前記一連の各目撃供述の内容と矛盾するものであるから,それが虚偽であることは明白であるなどという。 しかし,H6,H3,H4,H5及びH1の各供述がいずれもその信用性を肯定することには慎重となるべき事情を多々内包するものであるこ - 153 -とは既にみたとおりであるから,かかる5名の供述と矛盾することをもって,被告人両名の各アリバイ供述が虚偽であるなどとは到底いえない。また,同日r駅で被告人Dを目撃したなどとして,被告人Dの前記アリバイ供述とは明らかに齟齬するH2供述についても,確かにそれ自体として一概にその信用性が否定されるものではないとはいえ,一面で,他の支えとなる証拠はなく,日付の異なる出来事と混同した結果の供述である可能性も排除しきれないところであることは前記のとおりであるから,かかるH2供述の有する証拠価値を考慮すると,その存在一事をもって,被告人Dの前記アリバイ供述を虚偽と断定し得るかについては,いささか躊躇されるところといわざるを得ない。 小括そうすると,被告人両名の各アリバイ供述については,いずれもこれを虚偽と認めるに足りる証拠はないというべきであって,検察官の前記主張はその前提を欠くものというほかない。 9 検察官のその他の主張について 初期自白の信用性等検察官は,被告人両名が,いずれも,身柄を拘束された後比較的早期に自白に至り,その自白の内容には実際の体験をなくして述べられないような具体的供述が含まれているなどとして,この点から,被告人両名の自白が信用できることは明らかであるとした上で,殊に,被告人両名の捜査の初期段階にお 自白の内容には実際の体験をなくして述べられないような具体的供述が含まれているなどとして,この点から,被告人両名の自白が信用できることは明らかであるとした上で,殊に,被告人両名の捜査の初期段階における初期自白については,とりわけその信用性が高く,その後の供述の変遷を考慮したとしても,かかる初期自白の信用性,特に犯人性に関する自白の信用性までが直ちに揺らぐことはないなどと主張する。 この点,検察官は,被告人両名のどの段階の供述を初期自白としてその余の自白と区別して論じているのか,必ずしも明らかではないものの,その主張の文脈からすれば,被告人Cについては,10月15日付け警察官調書 - 154 -及び同月16日付け被告人C作成の上申書(ただし,同上申書そのものは証拠として提出されていない。)に係る供述を,被告人Dについては,同月17日付け警察官調書及び同日付け被告人D作成の上申書に係る供述を,それぞれ初期自白としてその後の各供述と区別しているものと推察し得る。 しかし,かかる初期自白についても,被告人両名の一連の供述経過の中で,その一部をなすものとして位置付けられるのであるから,仮にその一部のみを取り出してその信用性等を検討するにしても,その後の供述経過や供述内容を含め,総合的な検討を加える必要があることは当然というべきであって,これら供述全体の検討に先立ち,かかる初期自白の信用性等を独立して判断し得るものでないことは明らかである。そして,検察官は,初期自白の枢要部分である犯人性及び犯行状況に係る供述(被告人DがEの口腔内に布片を挿入し,被告人CがEの頸部を扼したという部分)については,その後の取調べでも一貫しているなどとして,その他の点に関わる供述の変遷等については,被告人両名の自白の信用性を検討するに当たり特に重視すべき事情 被告人CがEの頸部を扼したという部分)については,その後の取調べでも一貫しているなどとして,その他の点に関わる供述の変遷等については,被告人両名の自白の信用性を検討するに当たり特に重視すべき事情でないなどとの趣旨を主張するが,前記のとおり,本件においては,一方の自白が他方の自白を相互に支え合う関係にあるという点はさておき,それ以上には,Eの死体やE方の現場の状況等といった若干の証拠を除き,各自白の真実性を実質的に支える有力な補強証拠は特には何ら見当たらず,また,被告人両名の犯人性を推認させる間接証拠も何ら存在していないという証拠関係にあることを考慮すれば,被告人両名の犯人性,すなわち被告人両名が本件強盗殺人の犯行を行ったということ,その際,被告人DがEの口腔内に布片を挿入し,被告人CがEの頸部を扼してEを殺害したということ,ただその限りにおいて供述が一貫しているからといって,直ちにその信用性が認められるなどといった検察官の立論は,被告人両名の自白を余りに単純化ないし抽象化して捉えるもので, - 155 -乱暴に過ぎ,妥当性に欠けるように思われる。本件において認められる被告人両名の供述の変遷が,その自白の任意性,信用性を判断するに当たり,容易に捨象し得るような類のものでないことは既に検討したところから明らかというべきである。 また,被告人両名が最初に本件強盗殺人の犯行を自白するに至った経過をみるに,いずれも身柄を拘束されてから比較的早期の段階で自白に至ったとの印象を受けることは否めないところではあるものの,かかる経過について,被告人両名は,前記のとおり,その間に行われた取調べの状況,捜査官らの言辞,それによって徐々に自白せざるを得ないと考えるようになった心境等を具体的に供述しており,そうした各供述は容易くその信用性を否定し得 名は,前記のとおり,その間に行われた取調べの状況,捜査官らの言辞,それによって徐々に自白せざるを得ないと考えるようになった心境等を具体的に供述しており,そうした各供述は容易くその信用性を否定し得るものではなく,一方,これらに反する捜査官らの供述が,いささかその信用性に乏しいものであることは既に指摘したとおりであるから,かかる点を殊更強調して論ずることも相当ではないように思われる。 さらに,被告人両名の自白は,確かに,自白を始めた初期のものを含めて,概ね具体的かつ詳細なものであるということができ,個々の供述を個別にみれば,実際に体験していない事柄について,そのような自白調書を作成することが現実に可能であるのか率直に疑念が生ずることも否定できない。しかし,そのことは反面,そうした個々の具体的かつ詳細な供述が,何故,前記のような変遷を遂げたり,客観的状況と齟齬する可能性の高い内容となっているのかという疑問を生じさせ,ひいては各自白の不自然さないし不合理さをより一層際立たせる事情であるともいえるのであって,かかる点を殊更強調して論ずることも相当ではないように思われる。 録音テープの存在検察官は,被告人Cについては11月2日作成のCテープ2の,被告人Dについては同月3日作成のDテープの各録音内容に照らせば,被告人両名の自白がそれぞれ自己の言葉でなされたもので,具体性や迫真性があり,実際 - 156 -に体験した事実であるからこそ述べられるものとの評価が妥当するから,これらにより被告人両名の自白の信用性が裏付けられる旨主張する。また,被告人Cについては,10月17日作成のCテープ1によっても,捜査官による不当な誘導がなかったこと,ひいてはその自白が極めて信用性の高い状況下でなされたものであることが裏付けられる旨主張する。 まず,C Cについては,10月17日作成のCテープ1によっても,捜査官による不当な誘導がなかったこと,ひいてはその自白が極めて信用性の高い状況下でなされたものであることが裏付けられる旨主張する。 まず,Cテープ2及びDテープについては,録音を中断した箇所があるか否かの点で当事者間に争いがあるところ,各テープを再生し聴取する限りにおいては,弁護人が録音の中断箇所として指摘する部分について,必ずしもそこに明確に録音の中断があった形跡を認めることはできない。しかしながら,そもそも,供述の録音が,取調べの全過程においてなされたものではなく,各録音テープに録音されている供述は,他の供述調書に記載されている内容と概ね同様の内容を繰り返し述べているに過ぎず,録音される前後の捜査官と被告人両名とのやりとり等も何ら明らかではない上,前記のとおり,録音前に捜査官らによる何らかの働きかけがあったことも少なからず推認され得るところであることからすれば,録音されている被告人両名の供述が具体的で,捜査官による誘導的な質問がなく,被告人両名が自ら進んで供述している印象を与えるものであること等を考慮しても,被告人両名の各自白調書以上に,そこから特に独立した証拠価値を見出すことは困難というべきである。 また,Cテープ1については,編集痕(弁護人によれば,録音の停止・再開,オーバーライト〔一度音声が録音されたテープの部分が消去されないまま,その音声の上に再度録音すること〕,テープをカットしてつなげるという編集作業〔テープを物理的に切断した上で再度接続すること〕を指す。)の存在について,音声分析等に精通するG9(以下「G9」という。)の行った鑑定や第2次再審請求即時抗告審に証人として出廷したG9の供述等の結果(以下,これらの結果を総称して「G9鑑定」という。) - 157 て,音声分析等に精通するG9(以下「G9」という。)の行った鑑定や第2次再審請求即時抗告審に証人として出廷したG9の供述等の結果(以下,これらの結果を総称して「G9鑑定」という。) - 157 -に基づき,弁護人は,これが被告人Cに対する捜査官の誘導等の存在を端的に示す証拠である旨主張する。 G9鑑定は,Cテープ1のマスターテープについて,録音停止・再開,オーバーライト,切断・再度接続の痕跡という編集痕の有無について鑑定を行ったものであるところ,その鑑定結果の概要は,何度か録音開始・停止を繰り返したと考えられる録音開始地点1箇所のほか,①テープをカットしてつなげるという編集作業があった可能性が非常に高い部分が1箇所,②オーバーライトを伴う録音停止・再開の編集作業があったと断定できる部分が2箇所,③録音停止・再開の編集作業があったと断定できる部分が9箇所の計13箇所(録音開始地点を除けば計12箇所)の編集痕が認められたというものである。G9鑑定は,専門的な知見に基づき,コンピュータを用いて作成した波形グラフとFFTグラフの内容から,編集痕の有無を判断したものであり,その信頼性について,特に疑念を挟むべき点は見当たらない。検察官は,テープをカットしてつなげるという編集作業があったと指摘される部分について,Cテープ1には,物理的にはそのような痕跡が認められないことを強調するが,G9は,Cテープ1自体が被告人Cの供述を録音した際に使用されたマスターテープではなく,その複製である可能性が考えられると指摘しているところである上,前記のとおり,このCテープ1の存在自体について,少なくとも客観的な事象としては,M1ら捜査官が虚偽の証言をしていたといわざるを得ないこと等の事情を考慮すれば,Cテープ1がテープをカットしてつなげるという編集作業 のCテープ1の存在自体について,少なくとも客観的な事象としては,M1ら捜査官が虚偽の証言をしていたといわざるを得ないこと等の事情を考慮すれば,Cテープ1がテープをカットしてつなげるという編集作業を行った上で複製されたものではないかとの批判を受けることにもやむを得ない面があり,その他検察官が指摘する諸点を考慮しても,G9鑑定は基本的に信頼し得るものと認められる。 そして,G9鑑定によれば,Cテープ1の録音時間を測定すると,午後4時44分から午後7時6分(録音テープに録音されているM1の発言か - 158 -ら,午後4時44分に一旦録音を中断し,再開後,午後7時6分に取調べを終了していることが認められる。)までの間に約2時間10分に及ぶ録音をしていなかった時間があり,その間に巻き戻しや再生を行ったとしても(午後4時44分に一旦録音を中断する際,M1が,それまでの録音を被告人Cに聞かせる旨発言していることが認められる。),50分程度の録音をしていなかった時間がある上,前記のとおり,合計13箇所にわたって,中断等の痕跡,またはその可能性のある部分が存在することが認められるというのである。この点,そうした録音の停止やテープをカットしてつなげるという編集作業等の痕跡が認められることから,直ちに,それが捜査官の何らかの悪意によるものと断定することはもとよりできず,録音の際に使用した機械の不具合や事故によるテープの切断等による可能性も一概に否定することはできない。しかし,Cテープ1の録音は同日午後4時44分ころに一時中断し,その中断前後で,被告人Cは,被告人C自身が殺害行為をしたことを否定する内容から,自らEの頸部を扼したことを認める内容へと供述を変更し,さらに,被告人C自身もE方の室内を物色して現金を強取したことを認める趣旨の供述をするに ,被告人C自身が殺害行為をしたことを否定する内容から,自らEの頸部を扼したことを認める内容へと供述を変更し,さらに,被告人C自身もE方の室内を物色して現金を強取したことを認める趣旨の供述をするに至っているところ,録音が中断されていた間の捜査官と被告人Cとのやりとりについては全く明らかではない。加えて,被告人Cに対する誘導等の事実を一切否定する捜査官らの供述がいささか信用性に乏しいものであることは既に指摘したとおりである。そうすると,弁護人が指摘するように,かかる録音の中断中に捜査官による被告人Cに対する何らかの働きかけがあったとの疑いも一概にはこれを払拭することができないというべきであり,ひいては,Cテープ1について,少なくとも,検察官が前記のとおり主張するような高い証拠価値を認めることは困難であるように思われる。 10 小括被告人両名の捜査段階における自白について,以上に検討してきたところを - 159 -総合すると,被告人両名の自白には,犯行そのものやこれに直結する重要な事項の全般にわたり,供述の変遷が認められるところ,その程度は容易に看過し得るものではなく,その変遷に合理的な理由を見出すことも困難であること,また,客観的事実と整合しない可能性が高いと思われる点や,客観的事実に照らして不自然と思われる点も少なからず散見されること,被告人両名の自白相互間にも多岐にわたる多くの相違点が存すること,さらには,捜査官らの誘導等により虚偽の自白を強いられた旨の被告人両名の供述について,容易くその信用性を否定することができず,一方,これら被告人両名の自白調書の作成に当たり,不当な誘導等は一切なかった旨述べる捜査官らの供述は,少なくともその限りにおいていささか信用性に乏しいものと認められ,ひいては被告人両名の各自白調書が何某か捜 ら被告人両名の自白調書の作成に当たり,不当な誘導等は一切なかった旨述べる捜査官らの供述は,少なくともその限りにおいていささか信用性に乏しいものと認められ,ひいては被告人両名の各自白調書が何某か捜査官らの誘導等により作成されたものである可能性を否定することはできないこと,加えて,被告人両名の各アリバイ供述がいずれも虚偽であるとは認められないこと,その他,被告人両名の自白の任意性,信用性を裏付ける事情として検察官が指摘する事情にも特に依拠し得るものがないこと等の諸点が明らかとなった。 これらの諸点における個々の事項について,その有する意味合いの軽重にはもとより種々のものがあるものの,前記のとおり,本件における特異な証拠関係の下,被告人両名の自白の任意性,信用性の判断について,殊の外慎重な姿勢でこれに臨むことが強く求められる中,これだけ多くの点において,それらを減殺ないし否定する方向に働く事情が存することは,極めて厳粛にこれを受け止める必要があることは明らかである。 そうすると,被告人両名の捜査段階における自白については,いずれもその信用性を肯定することはできず,さらにはその任意性についてもそれ相応の疑いを払拭することができないというべきである。 第8 結論以上の次第であるから,本件強盗殺人に係る被告人両名の犯人性については, - 160 -結局,これを推認させる間接証拠は何ら存在せず,また,被告人両名の自白についても,いずれも信用性がなく,その任意性にも疑問がある。 そうすると,本件において,被告人両名が本件強盗殺人の犯人であると証明するに足りる証拠は存在しないとの結論に帰する。 したがって,本件強盗殺人の公訴事実については犯罪の証明がなく,刑訴法336条により被告人両名に対しいずれも無罪の言渡しをする。 第9 本件強 証明するに足りる証拠は存在しないとの結論に帰する。 したがって,本件強盗殺人の公訴事実については犯罪の証明がなく,刑訴法336条により被告人両名に対しいずれも無罪の言渡しをする。 第9 本件強盗殺人の公訴事実以外の公訴事実について 1 前提 本件確定判決は,被告人両名を本件強盗殺人の共同正犯と認定した上,被告人Cについては窃盗(本件確定判決の判示第1の各事実)との,被告人Dについては暴行,傷害,恐喝,暴力行為等処罰に関する法律違反(同判示第2の各事実)との併合罪として,被告人両名に対し,いずれも1個の主文で無期懲役に処する旨言い渡したものであるところ,本件再審開始決定は,被告人両名との関係でそれぞれ併合罪とされた全部の事実について再審を開始する旨決定したものであり,したがって,本再審公判は,被告人両名に対する本件強盗殺人の公訴事実のほか,これと併合罪の関係にある全ての各公訴事実をその審判の対象とするものである。 もっとも,本件再審開始決定において再審開始事由があると判断されたのはこのうち本件強盗殺人の事実に限られているのであるから,本再審公判においても,その実質的な審判の対象は本件強盗殺人の公訴事実に限定されるというべきであって,その余の各公訴事実についてはいずれも形式的に審判の対象となっているに過ぎず,これらに関する本件確定判決の有罪認定を覆すことは許されないものと解される。 そこで,本再審公判においては,前記のとおり無罪を言い渡すべき本件強盗殺人の公訴事実を除くその余の各公訴事実について,本件確定判決の有罪認定(以下,本件確定判決において有罪と認定された本件強盗殺人の事実を - 161 -除く各事実を総称して「本件有罪部分」という。)を所与の前提に,本件確定判決宣告当時に立ち返り,その当時に 罪認定(以下,本件確定判決において有罪と認定された本件強盗殺人の事実を - 161 -除く各事実を総称して「本件有罪部分」という。)を所与の前提に,本件確定判決宣告当時に立ち返り,その当時における法令とその時点で認められた諸般の量刑事情に基づき,本件有罪部分のみであればどのような量刑がなされていたかを想定し,被告人両名に対する量刑判断を行うべきこととなる(なお,刑訴法上,このような場合に有罪部分につき刑を量定する別個の手続が予定されていないことが,前記のとおり,本件再審開始決定において再審開始事由のないものを含め,併合罪とされた全部の事実につき再審を開始する旨決定した所以でもある。)。 この点,弁護人は,本件有罪部分について,形式的とはいえ本再審公判の審判対象とし,改めて刑を言い渡すことは,確定判決を経た犯罪事実について免訴が言い渡される場合(刑訴法337条1号)と比較して均衡を失し,二重の危険の法理に反するなどとして,被告人両名には免訴が言い渡されるべきである旨主張する。 しかし,本再審公判において求められる本件有罪部分に関する量刑判断の性質は,前記のとおり,本件確定判決の有罪認定の上に立ち,その宣告当時に立ち返り,その当時に言渡しがあった場合を想定して行うもので,なおかつ刑の執行との関係ではその判断をその当時にあったものとして擬制する極めて特殊なものと解されるのであるから(すなわち,言い渡された刑期等の起算点等も本件確定判決の確定時が基準となると解されるところ,そのように解することは利益再審のみを認めた再審制度の趣旨とも合致する。),被告人両名に対し,何ら実質的に新たな応訴の負担を強いるものではなく,かかる意味で本件有罪部分につき被告人両名に刑を言い渡すことが何ら二重の危険の法理に反するものでないことは 趣旨とも合致する。),被告人両名に対し,何ら実質的に新たな応訴の負担を強いるものではなく,かかる意味で本件有罪部分につき被告人両名に刑を言い渡すことが何ら二重の危険の法理に反するものでないことは明らかである。 なお,弁護人は,犯罪事実を認定し得る場合であっても,刑を言い渡すことが相当でないと認められる特別な事情がある場合には,有罪判決(刑の言渡し)を回避し,明文の規定に当たらずとも免訴の言渡しがなされるべきで - 162 -あるとした上で,本件について,①再審開始事由のない犯罪事実については,本件確定判決の確定時から既に30年以上が経過しており,その間審理が中断していたとみることができ,訴訟遅延が著しいといえること,②前記有罪部分の各行為時から既に公訴時効期間を優に超える期間が経過しており,公訴時効の成立により免訴が言い渡される場合との均衡を考慮すべきであること,③本件有罪部分に関する逮捕,勾留,起訴等は,本件強盗殺人に係る取調べに利用するために行われた不当なものであり,同有罪部分につき改めて刑の言渡しがなされることは適正手続の観点から容認できないものであること等を指摘し,これらを考慮すれば,被告人両名に対して刑罰を科すのは適当ではなく,刑訴法337条1号及び4号を準用して免訴が言い渡されるべきであるなどとも主張する。 しかし,①の点については,これまで,確定審,第1次再審請求審,第2次再審請求審を経て本再審公判に至るまで,それぞれ各手続が法の定めるところに従い粛々と進められてきたもので,結果としてそれ相当の年月を要してはいるものの,そこに,迅速な裁判を受ける権利等の被告人両名の権利が害されたと認められるような異常な事態が介在した形跡は一切認められない。また,②の点についても,ある犯罪事実について,公訴が提起 てはいるものの,そこに,迅速な裁判を受ける権利等の被告人両名の権利が害されたと認められるような異常な事態が介在した形跡は一切認められない。また,②の点についても,ある犯罪事実について,公訴が提起されないままで,刑訴法上定められた一定の期間が経過して公訴時効が成立する場合と,本件のように,一旦有罪が認定され判決が確定したが,たまたま再審開始事由のある犯罪事実との併合罪として認定されていたために,長期間が経過した後に,改めて再審公判における形式的な審判対象に置かれる場合とを同視することができないことは明らかというべきであり,公訴時効の制度趣旨等に照らしても,本件有罪部分につき現時点で刑の言渡しを行うことが,公訴時効が成立する場合と比して均衡を失するなどとの評価は何ら妥当しない。さらに,③の点については,前記のとおり,被告人両名に対する一連の取調べの過程等に不適切な点があったことも窺われないわけではないこ - 163 -とや,本件有罪部分に係る起訴後の勾留等が本件強盗殺人に係る捜査に利用されたなどとの事情も否めないところではあるものの,本件有罪部分は,それ自体としてみても,いずれも決して軽微なものとして看過し得ない内容を備えているのであるから,そうした捜査の経緯等が本件有罪部分に関する公訴提起や刑の言渡しに重大な疑問を提起するものとまで評価することは相当ではない。 したがって,弁護人の前記指摘はいずれも当たらない。 2 法令の適用等以上の次第であるから,無罪を言い渡すべき本件強盗殺人の公訴事実を除き,被告人Cについては,窃盗の各公訴事実について,被告人Dについては,暴行,傷害,恐喝,暴力行為等処罰に関する法律違反の各公訴事実について,本件確定判決の認定したところに基づき,所要の法令を適用した上,その刑を定めるこ 窃盗の各公訴事実について,被告人Dについては,暴行,傷害,恐喝,暴力行為等処罰に関する法律違反の各公訴事実について,本件確定判決の認定したところに基づき,所要の法令を適用した上,その刑を定めることとする。 被告人Cの本件確定判決認定の判示第1の別紙番号1から10までの各所為はいずれも本件確定判決宣告当時施行の刑法235条にそれぞれ該当するが,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により犯情の最も重い同判示第1の別紙番号2の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断すべきところ,事案の性質,内容,その他諸般の事情を考慮して被告人Cを懲役2年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中,その刑期に満つるまでの分をその刑に算入し,情状により同法25条1項を適用して昭和53年7月12日(本件確定判決の確定日)から3年間その刑の執行を猶予することとする。 被告人Dの同判示第2の1の各被害者に対する各所為,同判示第2の2の所為はいずれも同法208条,本件確定判決宣告当時施行の罰金等臨時措置法3条1項1号に,同判示第2の3の被害者L2,同L3,同L4,同L5及び同L6に対する各所為は,いずれも本件確定判決宣告当時施行の刑法60条,2 - 164 -08条,本件確定判決宣告当時施行の罰金等臨時措置法3条1項1号に,同判示第2の3の被害者L7及び同L8に対する各所為,同判示第2の5の所為はいずれも本件確定判決宣告当時施行の刑法60条,204条,本件確定判決宣告当時施行の罰金等臨時措置法3条1項1号に,同判示第2の4の所為は本件確定判決宣告当時施行の暴力行為等処罰に関する法律1条,本件確定判決宣告当時施行の刑法208条,本件確定判決宣告当時施行の罰金等臨時措置法3条1項2号に,同判示第2の6の所為は本件確定判決 為は本件確定判決宣告当時施行の暴力行為等処罰に関する法律1条,本件確定判決宣告当時施行の刑法208条,本件確定判決宣告当時施行の罰金等臨時措置法3条1項2号に,同判示第2の6の所為は本件確定判決宣告当時施行の刑法60条,249条1項に,同判示第2の7及び8の各所為はいずれも同法249条1項にそれぞれ該当するところ,同判示第2の1から5までの各罪についていずれも懲役刑を選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により刑及び犯情の最も重い同判示第2の3の被害者L8に対する罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断すべきところ,各事案の性質,内容,その他諸般の事情を考慮して被告人Dを懲役2年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中その刑期に満つるまでの分をその刑に算入し,情状により同法25条1項を適用して昭和53年7月12日(本件確定判決の確定日)から3年間その刑の執行を猶予することとする。 なお,被告人両名について,確定審における訴訟費用のうち,本件有罪部分に関する訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して,これを被告人両名に負担させず,その余の確定審における訴訟費用及び本件再審公判における訴訟費用は,強盗殺人の公訴事実に関して生じたものと認められるから,被告人両名にこれを負担させないこととする。 (求刑-被告人両名についていずれも無期懲役)平成23年5月30日水戸地方裁判所土浦支部 裁判長裁判官神田大助 - 165 - 裁判官吉田静香 裁判官信夫絵里子 裁判官 吉田静香 裁判官 信夫絵里子
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