- 1 -主文 原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 事実 及び理由第1請求地方公務員災害補償基金東京都支部長が原告に対し平成15年11月19日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。 第2事案の概要本件は、亡P1が平成12年11月4日にくも膜下出血を発症し、▲月▲日に死亡したのは、公務上の過労やストレスに起因するものであると主張する原告が、くも膜下出血の発症について公務起因性を認めなかった地方公務員災害補償基金東京都支部長P2の平成15年11月19日付け公務外認定処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めた事案である。 前提事実(当事者間に争いがない事実及び後掲証拠により容易に認められる事実)( )亡P1(昭和▲年▲月▲日生まれ。死亡当時53歳)は、原告の元夫で ある。同人は、昭和49年4月1日、東京都公立学校教員(美術の教員である。)に任命され、足立区立α中学校等で勤務した後、平成9年4月1日、豊島区立β中学校(以下「β中学校」という。)教頭となった。(乙1の27)亡P1は、平成12年11月4日午前10時10分ころ、β中学校創立50周年記念式典(以下「記念式典」という。)の司会をしている際に、くも膜下出血を発症して意識不明となり、▲月▲日、死亡した(以下、亡P1が発症したくも膜下出血を「本件疾病」という。)。 ( )原告は、亡P1がくも膜下出血を発症し、死亡したことにつき、平成1 3年3月30日付けで、地方公務員災害補償法(以下「地公災法」とい- 2 -う。)に基づき、地方公務員災害補償基金(以下「地公災」という。)東京都支部長に対し、公務災害認定請求をしたが、同支部長は、平成15年11月19日付けで、本件処分をした。 ( )原告は、本件処分を う。)に基づき、地方公務員災害補償基金(以下「地公災」という。)東京都支部長に対し、公務災害認定請求をしたが、同支部長は、平成15年11月19日付けで、本件処分をした。 ( )原告は、本件処分を不服として、同年12月25日付けで地公災東京都 支部審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は、平成17年4月28日付けで審査請求を棄却した。 原告は、これを不服とし、平成17年6月3日付けで地公災審査会に対し、再審査請求をしたが、これも同年12月26日付けで棄却された(同裁決書は平成18年1月25日付けで原告に到達した。)ため、原告は、平成18年7月11日、本件訴訟を提起した。 争点(以下、平成12年中の出来事については、年度の記載を省略する。)亡P1がくも膜下出血を発症したのは、亡P1の公務によるものか(原告の主張)( )長期間の公務による精神的、肉体的負荷の原因と被災者の基礎疾患の増 悪の原因が競合して脳血管疾患及び虚血性心疾患が発症した場合、①被災者の従事した公務が同人の基礎疾患を自然の経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷(過重負荷)のある公務であったこと、②被災者の基礎疾患が確たる発症の危険因子がなくてもその自然の経過により脳血管疾患及び虚血性心疾患を発症させる寸前まで進行させたとは認められないこと、③被災者には他に確たる発症因子はないこと、以上の要件が満たされるのであれば、公務と脳血管疾患及び虚血性心疾患発症との間に相当因果関係が認められるべきである。 ( )亡P1の時間外労働時間数は、疾病発症前6か月で月平均81時間55 分、疾病発症前1か月で105時間10分と、恒常的に長時間労働をしていた。亡P1は、疾病発症直前には、10年に1度の大きな学校行事である記念式典を成功させるべく、準備で多忙を極めていたし、その当 分、疾病発症前1か月で105時間10分と、恒常的に長時間労働をしていた。亡P1は、疾病発症直前には、10年に1度の大きな学校行事である記念式典を成功させるべく、準備で多忙を極めていたし、その当日も、記念式- 3 -典の司会を務めていただけではなく、突然の来賓の訪問等への対応で、極度の精神的緊張を強いられた。亡P1の従事した公務が過重負荷のある公務であったことは明らかである。 他方、亡P1の基礎疾患が確たる発症の危険因子がなくてもその自然的経過により脳血管疾患及び虚血性心疾患を発症させる寸前まで進行していたとは認められないし(現に亡P1は、本件疾病発症当日まで通常の日常公務を支障なく遂行していた。)、亡P1には他に確たる発症因子もなかった。 ( )以上によれば、亡P1が本件疾病を発症し、死亡したのは、亡P1の過 重な公務に起因するものであることは明らかであるから、これを認めなかった本件処分は取り消されるべきである。 (被告の主張)( )職員の傷病等が、地公災法に基づく補償の対象となるのは、当該傷病等 が公務に起因する場合、すなわち、当該傷病等と公務との間に相当因果関係が認められ、職員の素因等に比して公務が相対的に有力な原因となっている場合に限られる。 ( )亡P1は、教頭として、通常、校内巡回、外部からの電話の対応、校長 あての公文書の整理・処理、外来者への対応等の職務に従事しており、疾病発症直前には、記念式典の準備作業(司会原稿の作成、準備の進捗状況の確認、関係者との連絡・調整)にも従事していたが、その公務遂行にあたり、過重な負荷が生じた事実はない。その時間外労働時間数は、疾病発症前6か月で合計218時間55分(月平均約36時間29分)、疾病発症前1か月で69時間と、過重な負担を生じさせるものではなかった。 心・血管 な負荷が生じた事実はない。その時間外労働時間数は、疾病発症前6か月で合計218時間55分(月平均約36時間29分)、疾病発症前1か月で69時間と、過重な負担を生じさせるものではなかった。 心・血管疾患及び脳血管疾患(くも膜下出血を含む。)等は、負傷に起因するものを除き、本来、公務に従事することによって直接的に発症するものではなく、医学的にみても、血管病変等の形成にあたって公務が直接の発症原因となることはないとされているように、私病としての色彩が強い疾病で- 4 -あり、素因の因子の大きい疾患であるが、亡P1は、その姉、弟がくも膜下出血で死亡しているほか、自身も、昭和60年2月24日にくも膜下出血を発症しているように、亡P1は、くも膜下出血発症につき素因を有していた。 加えて、亡P1は、高血圧で降圧薬治療を受けていたにもかかわらず、1日に日本酒4合の飲酒、たばこ30本の喫煙を繰り返しており、素因としての脳動脈瘤の形成、増悪を抑制する努力を欠いていた。 ( )以上のとおり、亡P1の職務自体に公務過重性は認められない。亡P1 にはくも膜下出血発症につき素因があり、脳動脈瘤の形成、増悪も生活習慣によるものにほかならないから、亡P1がくも膜下出血を発症し、死亡したことと、公務との間には相当因果関係はない。 よって、本件処分に違法はないから、原告の請求は棄却されるべきである。 第3当裁判所の判断 前提事実( )のとおり、亡P1は、公立中学校の教頭の職にあり、記念式典 の司会担当中に、くも膜下出血を発症し、死亡したものである。 証拠(甲6、7、乙7)によれば、脳血管疾患(くも膜下出血はこれに含まれる。)は、基礎疾患が種々の有害因子により長い年月の間に形成され徐々に増悪して発症するという自然の経過をたどる疾病であるが、急激な血圧変動や疲労の蓄 によれば、脳血管疾患(くも膜下出血はこれに含まれる。)は、基礎疾患が種々の有害因子により長い年月の間に形成され徐々に増悪して発症するという自然の経過をたどる疾病であるが、急激な血圧変動や疲労の蓄積が増悪、発症の原因となる場合もあることが認められる。そうだとすると、脳血管疾患の発症が公務に起因するものとして地公災法上の補償が認められるためには、基礎疾患が公務上の精神的、身体的な過重負荷によりその自然の経過を超えて増悪し発症したと認められる必要がある。公務が日常的な種々のストレス等と同様に発症のきっかけとなったにすぎないような場合は、基礎疾患が自然の経過を超えて増悪し発症したとは認められないから、公務に起因すると認めることはできない。基礎疾患が公務上の精神的、身体的な過重負荷によりその自然の経過を超えて増悪したと認められるか否かは、①公務が精神的、身体的に過重負荷を与えるものであったかどうか、②基礎疾患は確た- 5 -る発症因子がなくても自然の経過により直ちに発症する程度までは増悪していなかったかどうか、を総合的に検討して判断すべきである。 このうち、公務の過重性は、地公災法による補償制度が、公務に内在する危険が現実化して労働者に疾病又はこれを原因とする死亡がもたらされた場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補をさせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであることからすると、当該職員の公務が、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な公務員(健康な状態にある者及び基礎疾患を有するものの日常の公務を支障なく遂行できる者)を基準として、労働時間、公務の質、責任の程度等において精神的、身体的に過重であったかどうかによって判断するのが相当である。また、基礎疾患の増悪の程度(健康状態)は、疾病の性質、従前の発症歴 る者)を基準として、労働時間、公務の質、責任の程度等において精神的、身体的に過重であったかどうかによって判断するのが相当である。また、基礎疾患の増悪の程度(健康状態)は、疾病の性質、従前の発症歴・治療歴、家族歴、生活習慣等から認められる当該職員の基礎疾患の程度が、自然の経過により発症する寸前又はいつ発症してもおかしくない状態には至っていなかったかどうかという点から判断するのが相当である。 2( )そこで、まず、亡P1の基礎疾患の程度(健康状態)がどのようなもの であったかについて検討する。 ( )くも膜下出血の一般的な原因、発症因子等について、証拠(甲7、24、 32、乙11ないし13、15、証人P3、同P4)によれば、次のとおり認められる。 アくも膜下出血の原因の大部分は、脳動脈瘤の破裂によるものである。くも膜下出血の中で脳動脈瘤を原因とするものの割合は、専門医により、75パーセント、80パーセントから90パーセント、又は90パーセント以上などとされている。脳動脈瘤は、先天的に動脈の中膜及び弾力繊維の発育不全ないし欠損によりできた動脈壁の薄弱部が存在し、その部分が後天的に血行力学的圧力を受けて脆弱化し、突出膨隆することにより形成されるとする見解が有力である。その形成には、遺伝的要因のほかに、高血- 6 -圧や動脈硬化といった様々な要因が関与していると考えられている。 イ脳血管疾患(くも膜下出血が含まれる。)は、血管の病変が前提となり、これが長い年月をかけて徐々に進行し発症に至るものであるが、その進行、発症には、遺伝(家族歴)のほか、加齢、高血圧、飲酒、喫煙、高脂血症、肥満や、精神的緊張など、種々の要因が危険因子となるとされている。くも膜下出血の発症に対する危険因子の相対リスクとしては、遺伝(家族歴)のほか、高血圧、喫 ほか、加齢、高血圧、飲酒、喫煙、高脂血症、肥満や、精神的緊張など、種々の要因が危険因子となるとされている。くも膜下出血の発症に対する危険因子の相対リスクとしては、遺伝(家族歴)のほか、高血圧、喫煙、飲酒の影響が強いとされている。特に高血圧、1日20本を超える喫煙、1日2合を超える飲酒は、有意性があるとする報告がある。くも膜下出血については、遺伝的(家族歴)因子がきわめて強く関与しているという見解も述べられている。また、脳動脈瘤の破裂の危険因子としても、同様に、高血圧、飲酒の習慣(1日16グラム以上のアルコール摂取)、喫煙の習慣、家族性素因が挙げられ、これらの危険因子ごとにみた破裂の発生率は、高血圧2.8倍、飲酒4.7倍、喫煙1. 9倍、家族性素因6.6倍であるとする報告もある。家族性破裂脳動脈瘤の特徴として、兄弟姉妹は、くも膜下出血患者の子どもよりも、動脈瘤の危険が高いという見解も述べられている。 ウくも膜下出血を発症した時の患者の状況については、重労働中、運動中、精神的緊張中などストレスがかかる状態の場合もあるが、休息・睡眠中、通常の状態の場合もあり、発症の直接の原因に関しては、常にストレスが影響をしているとは限らない。特段のストレスがなくても、脳動脈瘤破裂に至る場合があるし、急激な血圧変動により脳動脈瘤が破裂に至る場合もあるなど、様々な場合があると考えられている。 ( )次に、亡P1の基礎疾患や、本件疾病(亡P1が11月4日に発症した くも膜下出血)の発症時の状態等をみることとする。 ア証拠(甲27、乙1の13、3の4・5、11、12)及び弁論の全趣旨によれば、亡P1は7人兄弟姉妹の次男(第4子)であったが、そのう- 7 -ち次姉は38歳、末弟は43歳で、いずれもくも膜下出血を発症して死亡しているほか、亡P1も、昭和60 2)及び弁論の全趣旨によれば、亡P1は7人兄弟姉妹の次男(第4子)であったが、そのう- 7 -ち次姉は38歳、末弟は43歳で、いずれもくも膜下出血を発症して死亡しているほか、亡P1も、昭和60年2月24日(当時38歳)に脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症し、開頭クリッピング術による手術を受けた既往歴があることが認められる。なお、原告は、このくも膜下出血の発症も公務に起因すると主張するが、同主張を認めるに足りる的確な証拠はない。 イアの事実に、前記のとおり、くも膜下出血の原因の大部分は脳動脈瘤の破裂によるものであることを併せると、本件疾病は、専門医らが指摘する(乙11、12、証人P4)とおり、脳動脈瘤の破裂により生じたものと推測することができる。 そして、証拠(甲24、乙12、証人P3、同P4)によれば、昭和60年2月24日当時、破裂した脳動脈瘤のほかに脳動脈瘤が存在したことを窺わせる記録はないことや、一般的に開頭クリッピング術を施術された部位が再度破裂する可能性はごく低いと考えられていることが認められ、これらによれば、本件疾病の原因となった脳動脈瘤は、昭和60年2月24日以後に形成されたものであり、再発ではない蓋然性が高いと認められる。 ウ亡P1の生活習慣をみると、証拠(乙1の11、3の4・5)によれば、亡P1は、毎日、20本ないし30本の喫煙、日本酒3合ないし4合の飲酒をし(なお、亡P1が本件疾病を発症し入院をした当時に原告からの聴取によって作成されたと認められる「入院診療録」(乙3の4)及び「入院時データベース」(乙3の5)には、たばこ30本、日本酒3合又は4合という記載があるのに対し、原告は、本人尋問において、たばこ20本、日本酒2合と供述し、β中学校の当時の校長であったP5が平成13年3月30日付けで作成した「心 は、たばこ30本、日本酒3合又は4合という記載があるのに対し、原告は、本人尋問において、たばこ20本、日本酒2合と供述し、β中学校の当時の校長であったP5が平成13年3月30日付けで作成した「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の認定調査票」(乙1の11)にも同旨の記載があるが、発症直後の発言は- 8 -信用性が高いといえるから、喫煙は1日30本に近く、日本酒の飲酒は1日3合ないし4合に近かったものと推認できる。)、これが昭和60年に一度くも膜下出血を発症した後も長年続いていたこと、喫煙は10代から、飲酒は20代から始めたことが認められる。P5の証言によれば、亡P1は酒が好きで、飲酒のピッチも早かったことが認められる。 エ亡P1の血圧については、証拠(甲27)によれば、以前から最高140、最低90ないし100程度(単位は。以下も同様である。)mmHGであったが、平成9年12月11日に保健室において検査したところ、最高158、最低107であり、それ以降、通院を続け、降圧薬治療を継続的に受けていたこと、以後、亡P1の血圧は、最高126ないし158、最低78ないし104で推移していたことが認められ、亡P1は、従前から軽症ないし中等症高血圧の私病があり、降圧薬治療によっても、同人の血圧は、依然、高い数値を示すことがあったことが認められる。証拠(乙1の12)によれば、亡P1は、平成12年8月8日に行われた健康診断では、高脂血症や眼底動脈硬化性変化等の指摘を受けていることも認められる。 ( )以上のように、亡P1自身、くも膜下出血を発症した既往歴がある上、 その兄弟姉妹も7名中亡P1を含めて3名がくも膜下出血を発症していることからすれば、亡P1にはくも膜下出血発症に対する遺伝的要因があると考えるのが自然であるし、亡P1は、顕著 た既往歴がある上、 その兄弟姉妹も7名中亡P1を含めて3名がくも膜下出血を発症していることからすれば、亡P1にはくも膜下出血発症に対する遺伝的要因があると考えるのが自然であるし、亡P1は、顕著な危険因子とされている長年にわたる多量の飲酒、喫煙の習慣があり、高血圧でもあった(危険因子としては相対的には軽い高脂血症などもあった)のであるから、本件疾病の原因となった脳動脈瘤は、昭和60年2月24日以降、亡P1の素因を前提として、同人の生活習慣等により、徐々に進行、増悪していたと推測される。そして、本件疾病の発症時においても、亡P1は多量の喫煙、飲酒は継続し、高血圧の状態も続いていたこと、くも膜下出血の発症には遺伝(家族歴)の因子が- 9 -強いとされていることも考え併せると、亡P1は、本件疾病を発症した時及び発症前の一定期間を通じて、基礎疾患が自然の経過により発症する寸前又はいつ発症してもおかしくない状態に至っていなかったと認めるのは困難である。 証拠(証人P5、原告本人)によれば、亡P1は本件疾病の直前まで通常の生活を送っていたことが認められるが、証拠(甲7、24、32)によれば、脳動脈瘤は破裂するまで存在に気付かないのが普通であることや、くも膜下出血の発症前には、前駆症状として約4分の1の患者に頭痛が発生し、他にも、視覚障害、めまい、悪心、嘔吐、意識障害といった症状が生じる患者もいるものの、前駆症状がなく突然にくも膜下出血を生じる患者も多いことが認められるのであるから、亡P1が本件疾病の発症の直前まで通常の生活を送り、公務を支障なく行っていたからといって、亡P1の基礎疾患が発症寸前又はいつ発症してもおかしくない状態までは増悪していなかったということができるものではない。 3( )次に、亡P1が従事した公務の過重性を検討する。 ていたからといって、亡P1の基礎疾患が発症寸前又はいつ発症してもおかしくない状態までは増悪していなかったということができるものではない。 3( )次に、亡P1が従事した公務の過重性を検討する。 前記1のとおり、脳血管疾患は、基礎疾患が種々の有害因子により徐々に増悪して発症するという自然の経過をたどる疾病であるが、急激な血圧変動や疲労の蓄積が増悪、発症の原因となる場合もある。くも膜下出血が、重労働や運動などストレスがかかった状態において発症することもあるが、通常の状態で発症する場合もあることは、前記2( )ウのとおりである。そうす ると、くも膜下出血の発症のうち、公務と関係があるといえるのは、発症時に過重な公務に従事したために被災者に急激な血圧上昇が加わった場合や、被災者が長期間にわたり過重な公務に従事したために血管病変等が生じた場合である。 そこで、本件疾病の発症時やその直前の公務が過重であったかどうか、次いで本件疾病発症前の一定期間を通じて恒常的に公務が過重であったかどう- 10 -かを検討する。 ( )アまず、亡P1が発症時及びその直前に従事していた公務の過重性につ いて検討する。 イ亡P1は、発症時に記念式典の司会を行っていたものである(前提事実( ))。証拠(証人P5)によれば、記念式典は、β中学校にとって10 年に1度の行事であると認められることからすれば、その司会を行うことには相応の緊張が伴うものであったことは明らかである。 しかし、証拠(甲35、乙1の4・23)によれば、記念式典の司会が行うべき役割は、あらかじめ準備された原稿(A4用紙3枚)に従って記念式典の進行に合わせて来賓の紹介や進行役をすることのみであり、亡P1が倒れたことを受け、急遽、司会をすることとなった教員も前記原稿どおりに問題なく司会を行 準備された原稿(A4用紙3枚)に従って記念式典の進行に合わせて来賓の紹介や進行役をすることのみであり、亡P1が倒れたことを受け、急遽、司会をすることとなった教員も前記原稿どおりに問題なく司会を行えたと認められるのであるから、これが、平均的な公務員はもとより、発症時、既に教員として26年以上、教頭として約3年半の経験を有している(前提事実( ))ベテラン教職員である亡P1 にとって、過重な負担を強いるものであったとは解しがたい。 証拠(乙1の11、証人P5)によれば、記念式典当日、予定していない来賓があった事実が認められるが、予定しない来賓があったからといっても、考え得る対応としては、席次を考え、新たに座席を用意することしかないのであるし、突然の来賓がクレームをつけるなどのトラブルを起こしたというのであれば、格別、そのような事情は本件全証拠によっても認められないのであるから、その対応に相応の配慮が求められたことは理解できるとしても、これが過重な負担となり得るものでもない。 また、証拠(乙1の11)によれば、亡P1は、発症当日、通常より30分早く登校し、職員間の打合せの司会を行ったと認められるが、これも、その労働時間や公務の性質に照らして、過重なものであったとは認められない。 - 11 -以上のとおり、亡P1が発症当日に従事していた公務について、これが平均的な公務員を基準として公務の内容、責任の質、労働時間の点で過重であったとは認めがたい。 ウ(ア)発症前日の亡P1の労働時間についてみても、P5が作成した「発症前1週間の勤務状況調査票」(乙1の17)及び「発症前1カ月の勤務状況調査票(発症前1週間を含む)」(乙1の18)によれば、亡P1は、午前7時25分に登校し、午後6時5分に下校していると認められるように、長時間労働に従事したも 1の17)及び「発症前1カ月の勤務状況調査票(発症前1週間を含む)」(乙1の18)によれば、亡P1は、午前7時25分に登校し、午後6時5分に下校していると認められるように、長時間労働に従事したものではない。 当時、β中学校の管理員であったP6は、証人尋問において、11月3日の亡P1の下校時間につき、午後8時半ころである旨証言するが、上記各「調査票」(乙1の17・18)のうち特に発症直前の1週間分の記載内容の信用性が高いと考えられることは後記( )ウのとお りであるところ、証拠(証人P5)によれば、P5は、主にP6から確認して前記各「調査票」(乙1の17・18)を作成したと認められるのであるから、これに反するP6の証言は信用できない。 原告は、亡P1が発症の前日に、中腰で記念式典用の看板作成に従事したことが過重な負担となったとも主張するが、証拠(甲22、証人P6)によれば、亡P1が発症前日に、中腰やひざをついた姿勢で記念式典用の看板の手直しをしていた事実は認められるものの、亡P1が無理な姿勢で長時間作業に従事し激しく疲労したとの事情は前記証拠によっても認められない。また、実際に、亡P1が看板の手直しを行ってから間もないうちに本件疾病を発症したなどの事情があるのであれば、格別、亡P1が本件疾病を発症したのは、翌日の午前10時10分ころと(前提事実( ))、看板の手直し作業をしてから相当な時間が経過してから なのであるから、亡P1が看板の手直し作業に従事したことが、直接、本件疾病発症に影響を及ぼしたとも考えにくい。 - 12 -(イ)発症前1週間の亡P1の公務についてみると、証拠(甲4、乙1の17・18)によれば、亡P1は、この間、記念式典の準備作業と並行して、11月3日に開催される文化発表会の準備作業に従事したが、文化発表会の 前1週間の亡P1の公務についてみると、証拠(甲4、乙1の17・18)によれば、亡P1は、この間、記念式典の準備作業と並行して、11月3日に開催される文化発表会の準備作業に従事したが、文化発表会の準備における亡P1の役割は生徒に対するアドバイス程度にすぎないと認められるのであるから、これが過重な負担となるとは解されない。実際に、発症前1週間の亡P1の労働時間についてみても、証拠(乙1の17・18)によれば、亡P1は、発症前1週間(10月30日から11月3日まで)は、下校時間が遅くて午後8時5分、早くて午後6時5分と、合計14時間20分の時間外労働をしたと認められるにすぎず、連日深夜にわたる長時間労働を強いられたというものではない。他方で、証拠(乙1の17・18)によれば、亡P1は、発症前1週間の土曜日(10月28日)と日曜日(10月29日)には連日して休日を取得できていると認められるのであるから、亡P1の本件疾病発症前1週間の労働が過重であったとも認めがたい。 (ウ)以上によれば、発症直前の亡P1の公務についても、公務が平均的な公務員と較べて過重であったとは認めがたい。 ( )アそこで、次に、亡P1の公務が、日常的に過重であったために、亡P 1の基礎疾患が自然の経過を超えて増悪したか検討する。原告は、公務の過重性を検討するにあたり、その期間を発症前6か月に限定する必然性はないと主張するが、本件において、発症前6か月以前の亡P1の公務の過重性を直接的に立証する証拠はないし、亡P1の公務の内容が発症前6か月以前と発症前6か月で大幅に異なるとも解されないから、以下では、発症前6か月の亡P1の公務について検討する。 イ証拠(甲4、乙1の16)によれば、教頭は、校務をつかさどり、所属職員を監督する校長の補佐役であり、校務の整理役であると も解されないから、以下では、発症前6か月の亡P1の公務について検討する。 イ証拠(甲4、乙1の16)によれば、教頭は、校務をつかさどり、所属職員を監督する校長の補佐役であり、校務の整理役であると位置づけられ、亡P1の具体的な日常業務は、校内巡回(午前7時30分から午前8時こ- 13 -ろまで)、保護者等外部からの電話の対応(午前8時ころから)、校長あての公文書の整理・処理(午前10時30分ころから)、外来者への対応、所属職員の勤務状況の掌握等であり、授業は担当していなかったと認められる。また、亡P1が、発症直前には、記念式典の準備作業(司会原稿の作成、準備の進捗状況の確認、関係者との連絡・調整)にも従事していたことは既に認定のとおりである。 亡P1の教頭としての通常の業務内容についてみると、前記のように、校内巡回、外部からの電話の対応、校長あての公文書の整理・処理、外来者への対応等といったものが主であり、これが、直ちに亡P1にとって、過重な負担となったとは解されないし、本件全証拠によっても、教頭としての職務を遂行するにあたり、亡P1に過重な負担や責任を生じさせ得るような事態が発生したとは認められない。教頭が中間管理職であることや、外部との対応窓口となることからすれば、その公務遂行にあたり、相応の心理的負担が生じる場面があるであろうことは容易に推測できるが、亡P1がこれらの問題で具体的に悩んでいたことを窺わせる事情は認められない上、本件疾病発症時には、教頭に就任してから約3年半が経過していたことに照らせば、前記の公務が亡P1に過重な負担を与えたとも考えにくい。証人P5は、β中学校の職員の負担について、教職員の数が少ないので各職員の負担も重いと証言するが、同人の証言によればβ中学校は小規模の中学校であるというのであるから、教職員の 与えたとも考えにくい。証人P5は、β中学校の職員の負担について、教職員の数が少ないので各職員の負担も重いと証言するが、同人の証言によればβ中学校は小規模の中学校であるというのであるから、教職員の数が他の中学校と較べて少ないからといって、当然にその職務の負担が重くなるとも解されない。また、証拠(乙1の11・15、証人P5)によれば、β中学校には常勤の美術科の教員が欠員となっていたため、美術部の顧問やPTAの陶芸教室の講師等、本来美術科の職員が担当すべき職務を亡P1が担当していたと認められるが、後記ウの亡P1の労働時間に照らしても、これらの職務を臨時的に亡P1が負担したことが、亡P1に過重な負担を与えていたとも解しがたい。 - 14 -次に、記念式典に係る亡P1の作業内容についてみると、証拠(甲4、乙1の3、証人P5)によれば、記念式典は、10年に1度開催される学校行事であるため、β中学校には、その詳細を把握している職員はいなかったこと、及び、亡P1は、記念式典に関し、事前に司会原稿の作成、看板書き、全体の掌握に関する作業、来賓への招待状の発送、記念誌の編集作業等に従事したこと、以上の各事実が認められる。しかし、これらのうち、司会原稿の作成や看板作成、全体の掌握に関する作業、来賓への招待状の発送といった作業は、一般的には特に困難を伴う作業であるとは解しがたい。これらが記念式典に伴う作業であることからすれば、その準備に通常より配慮が必要となるであろうことは容易に推測できるとしても、証拠上、これらの職務の遂行にあたり、困難な問題が生じたとも認められないのであるから、これが、亡P1にとって過重な負担となったとはいえない。 記念誌の編集についてみると、証拠(甲28、証人P5)によれば、亡P1が編集に従事した記念誌「○○」は、63頁からなる冊 れないのであるから、これが、亡P1にとって過重な負担となったとはいえない。 記念誌の編集についてみると、証拠(甲28、証人P5)によれば、亡P1が編集に従事した記念誌「○○」は、63頁からなる冊子で、内容は、学校の50年のあゆみ、歴代校長や関係各位(豊島区長、豊島区議会議長、豊島区教育委員会教育委員長等)からの祝いの言葉、在校生からのコメント、学校行事等の写真による紹介等を主とし、その編集には、亡P1のほか、4名の教職員が従事し、亡P1は、教頭として業者や原稿寄稿者との連絡を中心となって行っていたと認められるが、その作業も、校外の者に対する寄稿依頼等外部との折衝に相応の配慮が必要とされることは理解できるとしても、これが外部対応を日常の職務の内容の1つとする教頭にとって、特に困難を伴う作業であるとも解しがたい。記念誌作成にあたり、亡P1が特段の困難に遭遇したと認めるに足りる証拠もない。 また、証拠(乙1の29、証人P5)によれば、亡P1は、10月中に、自宅で入学案内(A4用紙2枚)の作成にもあたったと認められるが、そ- 15 -の成果物の分量に照らして、その作成に長時間を要するとも解しがたいし、亡P1が当該成果物の作成に長時間を要したと認めるに足りる証拠もない。 後記ウに認定のとおり、亡P1の労働時間が、発症前1か月に増加したことは、日常の公務に加えて記念式典や文化発表会の準備作業、あるいは記念誌の編集作業が加わったことによるものであろうことは容易に推測できるが、その増加の程度も後記ウ認定の程度にすぎないことからすれば、これが亡P1の過重な負担になったとも解されない。 以上によれば、亡P1が従事していた日常の公務については、特段の困難性は認められないし、発症前6か月をみても、公務の遂行を困難にする何らかの事情が生じたとも認めがたいか 負担になったとも解されない。 以上によれば、亡P1が従事していた日常の公務については、特段の困難性は認められないし、発症前6か月をみても、公務の遂行を困難にする何らかの事情が生じたとも認めがたいから、その公務が過重であったと認めることはできない。 ウこれを亡P1の労働時間に照らしても、亡P1の公務が過重であったとは認められない。 証拠(乙1の11)によれば、亡P1は、月曜日から金曜日までは、午前8時5分から午後4時50分まで(午後3時50分から午後4時35分までは休憩時間)、毎月第1、第3、第5土曜日は午前4時間の勤務とする勤務形態で稼働していたと認められる(週所定労働時間数は、第1、第3、第5週が週44時間、第2、第4週が週40時間)。 亡P1の労働時間を直接的に示す証拠はないが、P5(当時のβ中学校校長)は亡P1の労災申請に際し、亡P1の労働時間について前述の「発症前1週間の勤務状況調査票」(乙1の17)及び「発症前1ヵ月の勤務状況調査票(発症前1週間を含む)」(乙1の18)のほか「発症前7ヶ月の勤務状況調査票」(乙9)を作成している。これらには、4月1日から11月3日までの各日について、亡P1の出勤時刻と退勤時刻、時間外勤務時間数が記載されている。これによれば、亡P1の退勤時刻の多くは、午後6時5分となっている。その信用性について検討すると、証拠(証人- 16 -P5)によれば、同人は、亡P1の労災申請にあたり、警備日誌、学校日誌、年間の行事予定表を参考にした上、比較的遅くまで残っている教員などに聞きながら、できるだけ正確を期して前記各「調査票」(乙1の17・18、9)を作成したと認められ、全体としてみると事実に近く、信用することができると考えられるが、P5が亡P1の帰宅時間を正確に把握していたものでもないこと(証人P5) 記各「調査票」(乙1の17・18、9)を作成したと認められ、全体としてみると事実に近く、信用することができると考えられるが、P5が亡P1の帰宅時間を正確に把握していたものでもないこと(証人P5)からすれば、日々の退勤時刻について、教員らの記憶が確かであると考えられる発症直前1週間の記載は事実であると推認できるが、それ以前の記載が完全に正確なものであるとはいい切れない。 他方、証拠(乙3の5)によれば、亡P1が本件疾病を発症し入院をしたγ医療センターが、亡P1が入院した直後に原告から聴取をして作成されたと認められる「入院時データベース」(乙3の5)の「4活動/運動」欄の「1日の過ごし方」を示す図には、帰宅時間が午後8時ないしその少し前の位置に記載されていると認められる。当該データベースは亡P1が本件疾病を発症した直後に聴取されたものであり、その信用性は比較的高いと解されるが、証拠(原告本人)によれば、亡P1は外で飲んで帰ってくることも多かったと認められ、帰宅時刻から通勤に要する約1時間(乙1の9により認められる。)前の時刻をそのまま退勤時刻と認めることはできない。 P5及びP6は、証人尋問において、亡P1の下校時間について、部活動が終了する午後6時半から午後7時が多かったと証言する。この各証言内容は、P5自身が労災申請のために作成した前記各「調査票」(乙1の17・18、9)の記載内容と異なるものであり、各証言が労災申請が認められなかった後に行われたものであることからすれば、全面的に信用することはできないが、亡P1は美術部の顧問をしていたことは事実であり、部活動のために退勤時刻が遅くなる日もあったと推認できる。 - 17 -以上の各事情を総合して考慮すると、亡P1の平均的な退勤時刻は、前記各「調査票」に記載されている時刻の30分程 とは事実であり、部活動のために退勤時刻が遅くなる日もあったと推認できる。 - 17 -以上の各事情を総合して考慮すると、亡P1の平均的な退勤時刻は、前記各「調査票」に記載されている時刻の30分程度後であって、同人の1月当たりの時間外労働時間は、前記各「調査票」記載の時間外労働時間に10時間程度を加えた時間とするのが相当である。 前記各「調査票」(乙1の17・18、9)によれば、亡P1の発症前6か月の時間外労働時間数は合計218時間55分(月平均約36時間29分)、発症前1か月の時間外労働時間数は69時間であると認められるから、亡P1の時間外労働時間数は、発症前6か月で月46ないし47時間程度、発症前1か月で月79時間程度であったと推測できる。 これに対し、P6やβ中学校の複数の職員は、証人尋問や陳述書において、亡P1は一番最後まで残ることが多かった旨証言、陳述する(甲13、14の1、16ないし19)。しかし、これらの証言、陳述内容は、5月1日から11月4日までの警備日誌(甲5の1・2)に記載されている毎日の「最終下校職員の氏名及び時刻」の記載と明らかに矛盾し、にわかに信用しがたい。前記警備日誌上、最終下校職員として亡P1の氏名が記載された日は、6月3日(時間不詳)、9月18日(午後6時50分)、9月27日(午後8時30分)しかないところ(これらの時間外勤務は、P5作成の前記各「調査票」(乙1の18、9)に反映されている。)、警備日誌には、最終下校職員として複数の職員の氏名が記載されている日も多く、亡P1の氏名のみが何らかの理由により頻繁に記載されなかったとも考えにくいことからすれば、亡P1が警備日誌上の最終下校職員と同じ時間まで残ることが多かったとは認められない。 原告は、本人尋問において、亡P1の帰宅時間を、早くて午後8時、遅く 載されなかったとも考えにくいことからすれば、亡P1が警備日誌上の最終下校職員と同じ時間まで残ることが多かったとは認められない。 原告は、本人尋問において、亡P1の帰宅時間を、早くて午後8時、遅くて午後11時、12時、平均して9時前後であったと供述するが、当該供述は、「入院時データベース」(乙3の5)における同人の申告とは異なるものである上、同人の供述によれば、亡P1の通勤時間は約1時間で- 18 -あり、外で飲んで帰ってくることもよくあったというのであるから、前記供述から亡P1の労働時間数を認定することもできない。 以上によれば、亡P1の時間外労働時間数は、発症前6か月で月46ないし47時間程度、発症前1か月で月79時間程度であったと認められる。 他方、発症前6か月の休日についてみると、証拠(乙1の8・18・26、9)によれば、亡P1は、公務かどうか争いがあるものを含めると、6月25日(日曜日)に修学旅行出迎えで1時間、9月9日(土曜日)にδ神社祭礼パトロールで2時間、同月24日に区陸上競技大会で3時間、10月22日(日曜日)に日曜教室運動会で6時間と、4日間について休日出勤をしているものの、その他の休日には稼働していないし、7月3日、15日(4時間)、27日、8月2日、4日、9日、10日、21日ないし23日、29日、9月26日、10月2日(2時間)、17日(4時間)、27日(3時間)には、有給休暇、夏休み、指定休をそれぞれ取得していると認められる。原告は、亡P1の休日出勤の回数は上記より多かったと主張するが、当該主張を認めるに足りる証拠はない。 以上のように亡P1の時間外労働時間数は、発症前6か月で月46ないし47時間程度、発症前1か月で79時間程度であり、亡P1が恒常的に長時間労働に従事していたとはいえない。発症前1か月の時間外 ない。 以上のように亡P1の時間外労働時間数は、発症前6か月で月46ないし47時間程度、発症前1か月で79時間程度であり、亡P1が恒常的に長時間労働に従事していたとはいえない。発症前1か月の時間外労働時間数は、比較的長時間という余地もあるが、これも発症前1か月に限定されるものにすぎない。証拠(甲7)によれば、疲労の蓄積が生じないようにするためには1日7時間半程度の睡眠が必要であり、その睡眠時間を確保するためには時間外労働は1か月45時間程度までと想定されていることが認められるが、発症前6か月における亡P1の時間外労働時間数が、それ自体で亡P1の睡眠時間を不足させるものであるとも解しがたい。このことに、亡P1が、休日や休暇を定期的に取得できていたことも併せて考慮すれば、亡P1が、公務のために平均的な公務員を超えて疲労を蓄積さ- 19 -せていたとも認めがたい。 (エ)以上によれば、亡P1が日常従事していた公務が、労働時間、公務の質、責任等の点において、平均的な公務員を超えて過重な負担を与えるものであったと認めるのは困難である。 以上のとおり、亡P1が発症当日や直前に従事していた公務も、日常的に従事していた公務も、通常の勤務に就くことが期待されている公務員を基準として過重なものであると認めるのは困難であり、他方で、亡P1の健康状態についてみると、亡P1に形成された脳動脈瘤は、本人の素因や生活習慣に起因して形成された蓋然性が高いところ、亡P1には、くも膜下出血を発症した既往歴のほか、長期間にわたる高血圧、飲酒、喫煙といった、くも膜下出血発症の危険因子として広く知られる私病や生活習慣が認められるのであるから、基礎疾患が確たる発症因子がなくとも自然の経過により直ちに発症する程度までは増悪していなかったというのも困難である。 したがって の危険因子として広く知られる私病や生活習慣が認められるのであるから、基礎疾患が確たる発症因子がなくとも自然の経過により直ちに発症する程度までは増悪していなかったというのも困難である。 したがって、亡P1が本件疾病を発症したのは、基礎疾患が公務上の精神的・身体的な過重負荷により、その自然の経過を超えて増悪したことによるものとは認められないから、亡P1が本件疾病を発症したことにつき、公務起因性を認めることはできない。 これを、平成13年12月12日地基補第239号「心・血管疾患及び脳血管疾患等の職務関連疾患の公務上災害の認定について」(以下「本件認定基準」という。乙7)に照らしても、亡P1が本件疾病を発症したことに公務起因性は認められない(原告も本件認定基準が概ね妥当なものであることについては争わない。)。 証拠(乙7)によれば、本件認定基準は、くも膜下出血を認定対象疾患とした上で、「( )発症前に、職務に関連してその発生状態を時間的、場所的に明 確にし得る異常な出来事・突発的事態に遭遇したこと。( )発症前に、通常の 日常の職務(被災職員が占めていた職に割り当てられた職務であって、正規の- 20 -勤務時間「1日当たり平均概ね8時間勤務」内に行う日常の職務をいう。以下同じ。)に比較して特に過重な職務に従事したこと。」のいずれかに該当した場合には、基礎疾患の病態を自然的経過を早めて著しく増悪させたといえるとし、( )の具体例として、「( )医学経験則上、心・血管疾患及び脳血管疾患 を発症させる可能性のある爆発物、薬物等による犯罪又は大地震、暴風、豪雨、洪水、高潮、津波その他の異常な自然現象若しくは火災、爆発その他これらに類する異常な状態に職務に関連して遭遇したことが明らかな場合( )心・ 血管疾患及び脳血管疾患の 又は大地震、暴風、豪雨、洪水、高潮、津波その他の異常な自然現象若しくは火災、爆発その他これらに類する異常な状態に職務に関連して遭遇したことが明らかな場合( )心・ 血管疾患及び脳血管疾患の発症前に日常は肉体的労働を行わない職員が、勤務場所又はその施設等の火災等特別な事態が発生したことにより、特に過重な肉体的労働を必要とする職務を命じられ、当該職務を行っていた場合( )心 ・血管疾患及び脳血管疾患の発症前に、暴風、豪雪、猛暑等異常な気象条件下で長時間にわたって職務を行っていた場合( )その他、心・血管疾患及び 脳血管疾患の発症前に緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態並びに急激で著しい作業環境の変化の下で職務を行っていた場合」を、( )の具体例として「( )発症前1週間程度から数週間(「2~3週 間」をいう。)程度にわたる、いわゆる不眠・不休又はそれに準ずる特に過重で長時間に及ぶ時間外勤務を行っていた場合( )発症前1か月程度にわた る、過重で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して、週当たり平均25時間程度以上の連続)を行っていた場合( )発症前1か月を超える、過重 で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して、週当たり平均20時間程度以上の連続)を行っていた場合」をあげ(さらに、精神的緊張を伴う職務に従事したかどうか等、その職務従事状況が医学経験則に照らして強度の精神的、肉体的負荷をもたらすものである場合は、これも判断要素とする。)、これらの要件を満たす場合には公務起因性を認めると定めていると認められる。 これに対し、亡P1が公務を遂行するにあたり、本件認定基準が定めるような異常な出来事や突発的事態に遭遇したとは認められないことはもとより、ま- 21 -た、その時 認めると定めていると認められる。 これに対し、亡P1が公務を遂行するにあたり、本件認定基準が定めるような異常な出来事や突発的事態に遭遇したとは認められないことはもとより、ま- 21 -た、その時間外労働時間数も本件認定基準を下回るものにすぎず、職務従事状況も、強度の精神的、肉体的負荷を伴うものであったとは認めがたいことは、いずれも既に説示のとおりであるから、本件認定基準によっても、亡P1が本件疾病を発症したことについて、公務起因性を認めることはできない。 第4 結論 以上のとおり、亡P1が本件疾病を発症し、死亡したことについて公務起因性を認めることはできないから、これを公務外の災害であると認定した本件処分に誤りはない。 よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第19部裁判長裁判官中西茂裁判官本多幸嗣裁判官遠藤貴子
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