令和2(行ウ)121等 一時金支給申請却下処分取消請求事件

裁判年月日・裁判所
令和5年3月2日 大阪地方裁判所
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判決文本文55,097 文字)

- 1 -令和5年3月2日判決言渡令和2年(行ウ)第121号、同第122号一時金支給申請却下処分取消請求事件主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 原告Aの請求厚生労働大臣が平成30年7月18日付けで原告Aに対してした、中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者 の自立の支援に関する法律13条3項に基づく一時金の支給の申請を却下する旨の決定を取り消す。 2 原告Bの請求厚生労働大臣が平成30年7月18日付けで原告Bに対してした、中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者 の自立の支援に関する法律13条3項に基づく一時金の支給の申請を却下する旨の決定を取り消す。 第2 事案の概要本件は、日本国籍を有する両親の下、第二次世界大戦終結後の昭和28年又は昭和31年に中華人民共和国(以下、同国が成立した昭和24年10月以前 も含めて「中国」という。)で出生し、その後本邦に永住帰国した原告らが、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律」(平成6年法律第30号。以下「支援法」という。)13条2項の「特定中国残留邦人等」に該当するとして、同条3項に基づく一時金の支給を申請したところ、厚生労働大臣から、原告らは「特 定中国残留邦人等」に該当しないとして、上記申請を却下する旨の各決定(以- 2 -下「本件各決定」という。)を受けたため、被告を相手に、本件各決定の取消しを求める事案である。 1 関係法令等の定め別紙関係法令等記載のとおり。以下、関係法令等の定めを前提に、支援法13条3項 下「本件各決定」という。)を受けたため、被告を相手に、本件各決定の取消しを求める事案である。 1 関係法令等の定め別紙関係法令等記載のとおり。以下、関係法令等の定めを前提に、支援法13条3項に基づく一時金の支給を受けられる「特定中国残留邦人等」に該当す るための要件について説明する。 (1) 原告らは、支援法2条1項で定義されている「中国残留邦人等」に該当するところ(同項1号)、同法13条3項に基づく一時金の支給を受けられる「特定中国残留邦人等」とは、「前項(注:同条1項)に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)であって昭和36年4月1日 以後に初めて永住帰国したもの」をいう(同条2項)。 この「前項に規定する永住帰国した中国残留邦人等」とは、「永住帰国した中国残留邦人等(中略)であって、昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含 む。)」をいう(支援法13条1項。以下、「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」の要件を「21年以前出生要件」といい、これに続く括弧書きの要件を「22年以後準ずる要件」という。)。 (2) 中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律施行規則(以下「支援法施行規則」 という。)13条の2は、支援法13条1項の「厚生労働省令で定める者」(22年以後準ずる要件)につき、「昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(中略)であって、その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日 1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(中略)であって、その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日から昭和21年12月31日まで の間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして- 3 -厚生労働大臣が認めるもの」としている。 (3) この厚生労働大臣の認定の指針として、厚生労働省において、「昭和二十二年一月一日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等による『中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律』第十三条第三項の一時金の支給申請に係る事 務処理方針」(平成20年5月9日付け援護企画課中国孤児等対策室作成。 ただし、社会・援護局による平成27年1月16日付け改正後のもの。以下「事務処理方針」という。乙9の4)が定められており、この事務処理方針においては、その(1)から(3)までの各要件(省略)を満たした上で、「(4) 昭和24年12月31日までに出生した者であること。」(以下「24年以前 出生要件」という。)又は「(5) 昭和25年以降に出生した者であって、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること。」(以下「25年以後引揚困難要件」という。 なお、「ソ連参戦」とは、終戦直前の昭和20年8月9日のソビエト社会主義共和国連邦軍による対日参戦のことである。)のいずれかを満たす場合に、 一時金の支給決定を行うものとされている。 (4) 原告らは、昭和28年又は昭和31年に出生した者であることから、21年以前出生要件及び24年以前出生要件を満たさないため、上記の枠組みにおいて「特定中国残 支給決定を行うものとされている。 (4) 原告らは、昭和28年又は昭和31年に出生した者であることから、21年以前出生要件及び24年以前出生要件を満たさないため、上記の枠組みにおいて「特定中国残留邦人等」に該当するためには、25年以後引揚困難要件を満たす必要がある。そして、原告らが25年以後引揚困難要件を満たす か否かは、原告らが出生した当時、その養育監護を行っていた原告らの両親について、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められるか否かを判断することとなる。 本件訴訟では、以上の関係法令等の定めを前提に、後述のとおり、①特定中国残留邦人等の要件を出生時期で区別する支援法13条1項(22年以後 準ずる要件)や事務処理方針(25年以後引揚困難要件)が憲法13条又は- 4 -14条に反するか否か(争点1)が争われ、さらに、②原告らが25年以後引揚困難要件を満たすことにより「特定中国残留邦人等」に該当するか否か(争点2)が争われている。 2 前提事実(当事者間に争いがないか、掲記の各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。なお、証拠番号は特記なき限り枝番号を含む。また、 本判決では和暦を用いて記載するが、西暦の年数は、昭和の年数に1925を足した数字、又は平成の年数に1988を足した数字である。)(1) 当事者等ア Cは、大正元年▲月に生まれた福岡県出身の男性であり、昭和15年▲月▲日、中国において中国人のD(大正8年▲月生。)と婚姻した。母D は、父Cとの婚姻により、日本国籍を取得した。(甲26、乙1)イ原告Aは、昭和28年▲月▲日、中国北京市において、父Cと母Dの間に、第5子五女として出生した(甲3、乙1)。 原告Bは、昭和31年▲月▲日、中国北京 、日本国籍を取得した。(甲26、乙1)イ原告Aは、昭和28年▲月▲日、中国北京市において、父Cと母Dの間に、第5子五女として出生した(甲3、乙1)。 原告Bは、昭和31年▲月▲日、中国北京市において、父Cと母Dの間に、第6子六女として出生した(甲4、乙1)。 ウ父Cと母Dとの間には、原告らのほかに、昭和16年▲月に第1子長女のEが、昭和19年▲月に第2子二女のFが、終戦後の昭和22年▲月に第3子三女のGが、昭和26年▲月に第4子四女のHが、昭和35年▲月に第7子長男のIが、それぞれ出生している(甲26、乙1)。 (2) 中国本土からの邦人の集団引揚げ等 日本の敗戦後、海外の各地域から邦人の集団引揚げが行われた。そのうち昭和20年9月から昭和25年4月までの集団引揚げのことを一般に「前期集団引揚げ」といい(ただし、中国における前期集団引揚げは、国共内戦の激化により昭和23年8月に中断し、昭和24年10月の中華人民共和国の成立後も中断状態が継続した。)、昭和28年以降の集団引揚げのことを一 般に「後期集団引揚げ」という。 - 5 -日本が敗戦した昭和20年当時、中国本土(旧満州地域を除く。)に居住していた一般邦人は約50万人であり、前期集団引揚げによりその多くが中国本土から日本に引き揚げた。もっとも、父Cと母Dは、その子らと共に日本に帰国することなく中国に残留し(その経緯や理由等については争いがある。)、父Cは、一度も日本に帰国することなく、昭和50年▲月▲日に中国 で死亡した。(以上につき、甲26、乙1、11)(3) 原告らの永住帰国等原告Aは、平成4年8月7日に、原告Bは、平成6年8月12日に、それぞれ日本に永住帰国した。なお、母D及び原告らのきょうだい(長女E、二女F、三女G、四女H 、11)(3) 原告らの永住帰国等原告Aは、平成4年8月7日に、原告Bは、平成6年8月12日に、それぞれ日本に永住帰国した。なお、母D及び原告らのきょうだい(長女E、二女F、三女G、四女H及び長男I)も、平成4年から平成12年までの間に、 いずれも日本に永住帰国した。もっとも、母Dは、平成21年、日本において死亡した。(乙1)(4) 原告らによる一時金の申請原告Aは、平成29年3月7日、原告Bは、平成30年2月22日、それぞれ、厚生労働大臣に対し、支援法13条3項に基づく一時金の支給を申請 した(以下、併せて「本件各申請」という。)(乙1)。 (5) 本件各決定厚生労働大臣は、平成30年7月18日、原告らは支援法13条に定める「特定中国残留邦人等」とは認められないとして、本件各申請をそれぞれ却下する旨の本件各決定をした(甲1、乙2)。 (6) 原告らの審査請求等原告Bは、平成30年8月30日付けで、原告Aは、同年9月8日付けで、それぞれ、厚生労働大臣に対し、本件各処分を不服として審査請求をした。 厚生労働大臣は、令和2年3月4日付けで、原告らに対し、上記各審査請求をそれぞれ棄却する旨の各裁決をした。(甲2、乙3、4) (7) 訴えの提起- 6 -原告らは、令和2年9月4日、それぞれ本件各決定の取消しを求める訴えを提起した。 3 争点(1) 支援法13条1項又は事務処理方針が憲法13条又は14条に反するか否か(争点1) (2) 原告らが支援法13条及び支援法施行規則13条の2が定める「特定中国残留邦人等」に該当するか否か(争点2) 4 争点に関する当事者の主張(1) 争点1(支援法13条1項又は事務処理方針が憲法13条又は14条に反するか否か)について ( める「特定中国残留邦人等」に該当するか否か(争点2) 4 争点に関する当事者の主張(1) 争点1(支援法13条1項又は事務処理方針が憲法13条又は14条に反するか否か)について (原告らの主張)ア一時金の支給制度について中国残留邦人等は、長らく中国からの帰国がかなわず、帰国後も日本語の習得や就労ができず、老後の生活の安定や備えができなかったという状況にあったことから、日本人としての尊厳を持つことができる生活を確保 したいという思いで、平成13年2月以降、国に対し、その政策の不備を訴え、国家賠償請求訴訟を提起した。提訴した中国残留邦人等の数は、日中国交正常化後に永住帰国した中国残留邦人6343人の35%を超える、2233名であった。また、中国残留邦人等は、提訴とともに、政府及び国会に対し、立法による解決を求めた。平成18年12月1日には、神 戸地方裁判所が、中国残留邦人等の被害の深刻さと、政府が自国民の救済という観点から憲法13条及び条理によりその帰国を実現すべき責任を負っていたにもかかわらず、日中国交正常化後においても帰国を速やかに実現するどころか、帰国を妨害する施策を継続したという責任の重大性に鑑み、帰国妨害と帰国後の自立支援義務違反の責任を認める旨の判決を言い 渡した。このような状況の下、当時の安倍晋三内閣総理大臣は、平成19- 7 -年1月30日、厚生労働大臣に対し、中国残留邦人等への支援の在り方について、その置かれている特殊な事情を考慮し、与党ともよく相談しながら、誠意をもって対応するよう指示し、平成19年12月5日法律第127号(以下「平成19年改正法」という。)により、支援法の改正(以下「平成19年改正」という。なお、当時の法律名は、平成25年法律第1 06号による改正前 指示し、平成19年12月5日法律第127号(以下「平成19年改正法」という。)により、支援法の改正(以下「平成19年改正」という。なお、当時の法律名は、平成25年法律第1 06号による改正前の「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」である。)が行われた。 イ違憲審査の判断枠組みこのように、平成19年改正は、中国残留邦人等が人権や憲法上の利益(憲法13条で保障されるべき「日本の地で、日本人として、人間らしく 生きる権利」)を根拠に提起した国家賠償請求訴訟の結果を受け、政府及び国会が、中国残留邦人等に対する国の政策が十分な成果を上げていなかったことを認め、少なくとも高度な政治的責任があると判断して、中国残留邦人等の「人間として、日本人として、尊厳を持てる生活」の確保を実現するために行われたものである。 そうすると、平成19年改正法により定められた一時金の支給を受けることができる権利は、単なる恩恵にとどまるものではなく、「日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利」という、憲法13条が保障する幸福追求権、人格的生存権として保護されるべき重要な利益というべきである。したがって、支援法13条1項又は事務処理方針の違憲審査に際して は、厳格な審査基準が用いられるべきである。 ウ支援法13条1項が憲法13条及び14条に反すること支援法13条1項は、昭和21年12月31日以前に生まれた者については、本邦に引き揚げることができず引き続き残留を余儀なくされたことについて中国残留邦人等に個別に主張立証を求めることなく、一律に、特 定中国残留邦人等に該当するものとしている(21年以前出生要件)。こ- 8 -の理由は、第1に、少なくとも同時期以前にはソ連参戦を直接の原因とし 個別に主張立証を求めることなく、一律に、特 定中国残留邦人等に該当するものとしている(21年以前出生要件)。こ- 8 -の理由は、第1に、少なくとも同時期以前にはソ連参戦を直接の原因とした混乱があり、引揚困難事由が存在したことが強く推定されることになるが、第2に、申請者に個別に引揚困難事由の主張立証を求めることは申請者にとって極めて酷であるという事情もあったといえる。すなわち、平成19年改正法が成立した平成19年12月5日時点で、既に終戦から60 年以上が経過していたところ、引揚困難事由があったことを裏付ける客観的資料は既に散逸し、引揚困難事由があったことを証言できる親族等も既にないため、申請者に引揚困難事由の主張立証を求めることは極めて酷であるという事情があった。換言すると、支援法は、昭和21年12月31日以前に生まれた者について引揚困難事由の主張立証を免除したが、この 免除がなければ、中国残留邦人等は引揚困難事由がありながら平成19年改正法による施策を受けられず、申請者に極めて酷な事態が生じ、ひいては平成19年改正法の目的が達成できなくなる。したがって、主張立証を免除する対象の範囲を検討する際には、この点も念頭に置く必要があるというべきである。 (ア) 憲法13条に反すること中国残留邦人等の「日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利」は、憲法13条で保障される基本的人権であり、平成19年改正は、これを実現すべく、立法による解決を図ったものである。このような改正の趣旨から、平成19年改正法により設けられた特定中国残留邦人等 が一時金の支給を受けることができる権利は、単なる恩恵ではなく、憲法13条が要請する重要な利益というべきである。そうすると、平成19年改正法の趣旨に照らし、支援法13 れた特定中国残留邦人等 が一時金の支給を受けることができる権利は、単なる恩恵ではなく、憲法13条が要請する重要な利益というべきである。そうすると、平成19年改正法の趣旨に照らし、支援法13条1項による制限は、その目的がやむを得ないものであり、必要最小限のものであるといえない限り、憲法13条により保護されるべき重要な利益を侵害するものとして違憲 と評価されるべきである。 - 9 -昭和22年以降に生まれた中国残留邦人等の子には、親である中国残留邦人等と同様に引揚困難事由がある。それにもかかわらず、支援法13条1項は、昭和22年以降に生まれた中国残留邦人等の子を一律に特定中国残留邦人等と扱うのではなく、特定中国残留邦人等に該当するか否かを厚生労働省令に委ねている(22年以後準ずる要件)。そして、 支援法13条1項は、「準ずる事情にあるもの」と規定するだけで、それ以上に「厚生労働省令」の内容を具体化していないから、支援法13条1項によって、中国残留邦人等を親として昭和22年以降に出生した者は、自ら引揚困難事由の主張立証を求められ得る地位に置かれている。 そして、中国残留邦人等が自ら引揚困難事由の主張立証を行うことは極 めて困難であって、これを求められることは、実質的には特定中国残留邦人等と認められることを否定されるに等しい。この点で、支援法13条1項は、必要最小限の制約とはいえず、憲法13条1項に反するというべきである。 (イ) 憲法14条に違反すること 立法府には、立法に際して一定の裁量が認められるが、いったん制定された法律の適用においては、同じ状況にある者は同じに扱われなければならないという平等原則が強く働く。これは、立法に際して裁量が広く働くとされる、社会権的・福祉政策的な立法であっても変わらな ん制定された法律の適用においては、同じ状況にある者は同じに扱われなければならないという平等原則が強く働く。これは、立法に際して裁量が広く働くとされる、社会権的・福祉政策的な立法であっても変わらない。 よって、同じ家族の一員として中国に暮らし、同じ状況にある者は、当 該法律の適用においても基本的に同じに扱われなければならない。したがって、一時金の支給を受けるために必要な立証の点で異なる取扱いを行う場合には、その取扱いが合理性を有するか否かについて厳格な審査がされるべきであって、異なる取扱いをすることに合理性が認められない場合には、憲法14条が定める平等原則に違反すると評価すべきであ る。 - 10 -支援法13条1項は、昭和21年12月31日以前に生まれた者とそうでない者を区別して、特定中国残留邦人等として一時金支給の対象とするか否かの判断において異なる取扱いをしている。しかし、中国残留邦人等を親として昭和22年以降に出生した者は、親である中国残留邦人等にその生存、生活を依拠しており、親である中国残留邦人等に引揚 困難事由がある場合には、自身で引き揚げることはできないから、中国残留邦人等を親として昭和22年以降に出生した者が引揚困難であったか否かは、自らが直接どのような状況に置かれていたかということとは関係がない。したがって、支援法13条1項が、中国残留邦人等を親として昭和22年以降に出生した者を一律に特定中国残留邦人等と取り扱 わず、特定中国残留邦人等に該当するか否かを厚生労働省令に委ねている(22年以後準ずる要件)ことは不合理である。 したがって、支援法13条1項の取扱いは、昭和21年12月31日以前に出生した者とその後出生した者とを合理的な理由なく差別するものであり、憲法14条の平等原則に違反する。 件)ことは不合理である。 したがって、支援法13条1項の取扱いは、昭和21年12月31日以前に出生した者とその後出生した者とを合理的な理由なく差別するものであり、憲法14条の平等原則に違反する。 エ事務処理方針が憲法13条及び14条に反すること(ア) 憲法13条に反すること平成19年改正法により設けられた特定中国残留邦人等が一時金の支給を受けることができる権利は、単なる恩恵ではなく憲法13条により保護されるべき重要な利益というべきである。そうすると、支援法及び 支援法施行規則により委任を受けた厚生労働大臣は、委任の趣旨に加え、憲法13条による要請から、一時金の支給を受けることができる地位を不合理に制限しないよう、支援法13条1項の「同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」に該当するか否かを判断しなければならない。 この点、事務処理方針は、中国残留邦人等を親として昭和25年以降- 11 -に生まれた子について、親である中国残留邦人等と同様に引揚困難事由があるにもかかわらず、一律に特定中国残留邦人等と扱うことはせず、「ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること」の主張立証を求めている(25年以後引揚困難要件)。しかし、中国残留邦人等自ら引揚困難事由の主 張立証を行うことは極めて困難であるから、このような事務処理方針の定めは、実質的には特定中国残留邦人等とされることを否定するに等しい。この点において、事務処理方針は、憲法13条1項に反するというべきである。 (イ) 憲法14条に反すること 前記ウ(イ)で述べたとおり、生まれた時期が昭和21年12月31日の前か後かで特定中国残留邦人等に該当するか否かを区別する 1項に反するというべきである。 (イ) 憲法14条に反すること 前記ウ(イ)で述べたとおり、生まれた時期が昭和21年12月31日の前か後かで特定中国残留邦人等に該当するか否かを区別する合理的な理由は一切存しない。それにもかかわらず、事務処理方針が、中国残留邦人等を親として昭和25年以降に生まれた者について、昭和24年12月31日までに生まれた者とは異なり、一律に特定中国残留邦人等と扱 わず、「ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること」の主張立証を求め、実質的には平成19年改正法による施策の対象となることを否定したにも等しい地位に置いたことは、不合理な差別として憲法14条1項に反する。 被告は、事務処理方針が「昭和24年12月31日までに出生した者」 については一律に特定中国残留邦人等に該当するとする一方で、同日以後に生まれた者に個別の引揚困難事由の主張立証を求めた理由について、昭和24年末までに、満州、大連(関東州)及び中国本土で大規模な引揚げが実施されて合計約277万人の在外邦人が帰国したこと、同年10月1日に中華人民共和国が成立していることを踏まえると、遅くと も昭和25年には、ソ連参戦を直接の原因とする混乱が続いていたとは- 12 -いえない一方、昭和24年のうちは、なおソ連参戦以後に生じた事由の影響が続いており、そのさなかに出生した者の中には、その影響を受け、本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた者がいる可能性があるからである旨主張する。 しかし、被告の主張は、支援法13条1項が昭和21年12月31日 までに生まれたことを要するとした理由に関する主張と同様、混乱が収束すれば帰国ができたこと る可能性があるからである旨主張する。 しかし、被告の主張は、支援法13条1項が昭和21年12月31日 までに生まれたことを要するとした理由に関する主張と同様、混乱が収束すれば帰国ができたことを前提にしている。しかし、実際にその後も残留を続けることとなったのは、混乱が収束しても帰国できない状態に陥ってしまった邦人である。そして、このように残留を余儀なくされていた中国残留邦人等を親とする子は、出生時期が混乱の収束する前か後 かにかかわらず、親である中国残留邦人等と共に生活していたのであるから、親である中国残留邦人等と同様に引揚困難事由が存したことは明らかである。 以上のとおり、実際に中国に残留した親である中国残留邦人等は、混乱が収束しても依然として残留を余儀なくされており、中国残留邦人等 を親として生まれた者も同様であった。それにもかかわらず、事務処理方針が、昭和25年以降は混乱の影響が続いていたとはいえないという理由で、中国残留邦人等を親として昭和25年以後に生まれた者を一律に特定中国残留邦人等と取り扱わないことは、根拠のない不合理な差別である。 オ支援法13条1項又は事務処理方針が憲法に反することによる効果支援法13条1項(22年以後準ずる要件)は、憲法13条及び14条に反するから、同項を憲法に適合的に解することにより、昭和22年以後に生まれた中国残留邦人等についても、一律に特定中国残留邦人等と認定されるべきである。また、事務処理方針(25年以後引揚困難要件)は、憲 法13条及び14条に反するから、昭和25年以後に生まれた中国残留邦- 13 -人等についても、一律に特定中国残留邦人等と認定されるべきである。 (被告の主張)ア一時金の支給制度について原告らが求めた一時金の支給制度は、 和25年以後に生まれた中国残留邦- 13 -人等についても、一律に特定中国残留邦人等と認定されるべきである。 (被告の主張)ア一時金の支給制度について原告らが求めた一時金の支給制度は、終戦直前のソ連参戦によって残留を余儀なくされた中国残留孤児や中国残留婦人が、帰国後、安定した職を 得ることが極めて困難であり、老後の生活が安定せず、また、その備えができないことに鑑み、平成19年改正法によって設けられたものである。 その内容は、中国残留邦人等に該当する者のうち、支援法13条1項所定の要件に該当する者につき、国民年金制度が創設された昭和36年4月1日から永住帰国するまでの期間を被保険者期間とみなし(同項)、同項 及び同条2項所定の要件に該当する「特定中国残留邦人」について、同条1項により被保険者期間とみなされた期間を含む被保険者期間に係る保険料の追納を認めた上で(同条2項)、国が、「特定中国残留邦人等」に対して、その被保険者期間に応じて一時金を支給する(同条3項)とともに、「特定中国残留邦人等」が満額の老齢基礎年金等の支給を受けるために追 納する被保険者期間に係る保険料に相当する額を当該一時金から控除し、当該「特定中国残留邦人等」に代わって当該保険料を納付する(同条4項)というものである。 この一時金の支給制度は、有識者会議等における議論を経るなどした上で、昭和20年8月9日のソ連参戦(同日以後の混乱等)による帰国の遅 れや、自立支援策が不十分であったことなどにより、日常生活に支障を来し、老後の生活への備えが不足する状況に置かれている中国残留邦人問題を解決するため、憲法25条2項の理念に基づく国民年金制度(国民年金法1条参照)を活用するなどしながら、支援の十全を図ろうとして創設されたものであり、憲法2 足する状況に置かれている中国残留邦人問題を解決するため、憲法25条2項の理念に基づく国民年金制度(国民年金法1条参照)を活用するなどしながら、支援の十全を図ろうとして創設されたものであり、憲法25条の趣旨に関連する制度といえる。 イ支援法13条1項及び事務処理方針が憲法14条に反しないこと- 14 -(ア) 支援法13条は、終戦直前にあったソ連軍の対日参戦によって、中国に残留を余儀なくされた中国残留孤児や中国残留婦人が、帰国時期の遅れや幼少期に日本の教育を受ける機会がなく、帰国後、安定した職を得ることが極めて困難であったため、老後の生活が安定せず、また、その備えをできないことに鑑み、必要な特別の措置を講ずることとして、満 額の老齢基礎年金等を受給できる制度を設けたものである。 もっとも、ソ連軍の対日参戦による直接の影響については、ソ連軍の撤退とその後の邦人の多くの引揚げにより、昭和21年中にはおおむね収束したと考えられることから、同年12月31日以前に生まれたが、本邦に引き揚げるに至らなかった者について、ソ連軍の対日参戦を直接 の原因とする混乱により帰国が極めて困難な状況に置かれていたことが強く推定された。そこで、永住帰国した中国残留邦人等のうち特別の措置を講ずる必要がある者について、支援法13条1項は、「昭和21年12月31日以前に生まれた」者として、出生年による一定の要件を置いた(21年以前出生要件)。 また、前期集団引揚げ後においても、なお中国の地域に残留を余儀なくされた者として、国民政府軍又は中国共産党軍による留用者等もいたことから、昭和22年1月1日以降に生まれた者であって、ソ連軍の対日参戦を直接の影響とするものでなくとも、その後に生じた事由の影響により、帰国が極めて困難な状況に置かれ 共産党軍による留用者等もいたことから、昭和22年1月1日以降に生まれた者であって、ソ連軍の対日参戦を直接の影響とするものでなくとも、その後に生じた事由の影響により、帰国が極めて困難な状況に置かれたため本邦に引き揚げること ができなかった者が存在する可能性を否定できなかった。そこで、支援法13条1項は、例外的に、「同日(注:昭和21年12月31日)後に生まれたものであって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者」についても、事情に応じて保護を与えることとした(22年以後準ずる要件)。 (イ) このように、支援法13条1項が「特定中国残留邦人等」に該当する- 15 -ための要件として出生時期に関して一定の要件及び例外を定めた趣旨は、国として相応の財政的負担を伴うものであるため、形式的画一的な基準を設け、ただし、それによって保護される者と同様の事情にありながら保護されないことになる者が出ないように、実質的判断を経て保護する余地を残したところにあり、このことは平成19年改正法の制定に 至る経緯や支援法13条1項の趣旨から明らかである。 そして、支援法施行規則13条の2の厚生労働大臣による認定の指針として定められた事務処理方針において、中国残留邦人等が置かれていた具体的な事情によっては、「昭和25年以降に出生した者」であっても、昭和21年12月31日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人 等に準ずる事情を有する者もいるとして、個別の事情に応じ、実質的判断を経て保護を与える余地を残している。かかる取扱いは、中国の地域等における邦人の残留や引揚げに関する一般的な事情についてみた上で、出生時期の要件を広げつつも一定の限定を図ったものであるから、平成19年改正法 を与える余地を残している。かかる取扱いは、中国の地域等における邦人の残留や引揚げに関する一般的な事情についてみた上で、出生時期の要件を広げつつも一定の限定を図ったものであるから、平成19年改正法の制定に至る経緯や支援法13条の趣旨に沿うもので あっても、それらに反するものとはいえない。 以上のとおり、中国残留邦人等から「特定中国残留邦人等」に限定することに理由があるところ、その限定を中国残留邦人等が生まれた時期にかからしめたことに合理性があるから、22年以後準ずる要件を定めた支援法13条1項や25年以後引揚困難要件を定めた事務処理方針 は、憲法14条の平等原則に反しない。 ウ支援法13条1項及び事務処理方針が憲法13条に反しないこと(ア) 憲法13条は、原告らがいう「特定中国残留邦人等」が給付を受けることができる地位(一時金の支給を受けることができる権利)のような、具体的な請求権まで保障するものとは解されていない。したがって、支 援法13条1項又は事務処理方針が、「特定中国残留邦人等」が給付を- 16 -受けることができる地位を侵害するものとして、憲法13条に反することはない。 (イ) 一時金の支給制度は、前述のとおり、憲法25条の趣旨に関連する制度といえるものである。したがって、その具体的内容を定めるに当たっては、中国残留邦人等が置かれていた事情はもとより、国の財政事情も 無視することはできず、支援法13条及び事務処理方針において、いかなる範囲の者にまで一時金を交付するか、すなわち、「特定中国残留邦人等」の範囲をどのように定めるかの選択決定については、立法府あるいは行政機関の広い裁量に委ねられているものというべきである。 そうすると、支援法13条及び事務処理方針の適否の問題は、その選 等」の範囲をどのように定めるかの選択決定については、立法府あるいは行政機関の広い裁量に委ねられているものというべきである。 そうすると、支援法13条及び事務処理方針の適否の問題は、その選 択決定が著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱、濫用とみざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適さない事柄であるといわなければならないが、憲法25条の趣旨に応えて制定された法令等にあっても、何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いをしたり、個人の尊厳を毀損するような内容の定めを設けたりしているときは、別に 憲法13条及び14条違反の問題を生じ得ることは否定し得ないから(最高裁昭和57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁、最高裁平成19年9月28日第二小法廷判決・民集61巻6号2345頁参照)、支援法13条及び事務処理方針の定めは、それが恣意的かつ不合理なものであるといえるような場合に限り、憲法13条及び14条 違反の問題が生じ得るものというべきである。 しかるところ、支援法13条1項及び事務処理方針の定めは、上記イのとおり、目的・内容共に合理性を有するといえ、これらの定めが個人の尊厳を害し、憲法13条に違反する恣意的かつ不合理な内容の定めであるということはできない。したがって、22年以後準ずる要件を定め た支援法13条1項や25年以後引揚困難要件を定めた事務処理方針- 17 -は、憲法13条に反しない。 エ小括以上のとおり、支援法13条1項及び事務処理方針が、「特定残留邦人等」を昭和24年12月31日までに出生したか否かで区分することには合理性があるから、当該区分は憲法14条の平等原則に反しない。また、 厚生労働大臣は、合理性が認められる当該区分に従い、25年以後引揚困難要件の実質的 1日までに出生したか否かで区分することには合理性があるから、当該区分は憲法14条の平等原則に反しない。また、 厚生労働大臣は、合理性が認められる当該区分に従い、25年以後引揚困難要件の実質的な検討を加えた上で、最終的に原告らが「特定中国残留邦人等」に該当しないと判断したものであるから、この判断は憲法14条の平等原則に反するものではない。 (2) 争点2(原告らが支援法13条及び支援法施行規則13条の2が定める「特 定中国残留邦人等」に該当するか否か)について(原告らの主張)ア父Cらが前期集団引揚げに加わることが困難であったこと(ア) 父Cは、戦前に仕事で中国に渡り、南京にあるJという日中合弁会社のKに勤め、終戦の頃まで、父C、母D、長女E及び二女Fの4人(以 下、原告らが出生する前の父C、母D及びその子らを「父Cら家族」といい、原告らが出生した後は「原告ら家族」という。)でJの社員寮で生活していた。しかし、日本の敗戦によりJは中国に接収され、父Cは、職を失った。 (イ) 日本が敗戦した昭和20年8月当時、父Cは、上海に出張しており不 在であった。南京と上海の間には華中鉄道の海南線が運行していたが、日本の敗戦により華中鉄道は中国国民党に接収され、間もなく利用できなくなったため、父Cが出張先の上海から直ちに南京に戻るのは不可能であった。 (ウ) 南京の社員寮には、他の日本人家族も暮らしていたが、日本の敗戦後、 他の家族は帰国のための登録をし、早々に荷物をまとめて社員寮を出て- 18 -行った。敗戦直後の混乱の中、父Cは、出張先の上海からなかなか帰宅することができず、母D、4歳だった長女E及び0歳だった二女Fの3人が社員寮に取り残された。そして、日本の敗戦を境に、中国国民党の軍人が社員寮の周 後の混乱の中、父Cは、出張先の上海からなかなか帰宅することができず、母D、4歳だった長女E及び0歳だった二女Fの3人が社員寮に取り残された。そして、日本の敗戦を境に、中国国民党の軍人が社員寮の周辺をうろつくなどし、外に出るのも恐ろしい状況となった。 (エ) 父Cが南京に戻って間もなく、父Cら家族は、母方の親戚宅で、日本人であることを秘して隠れ住むことを余儀なくされた。中国の軍人や警察が、潜んでいる日本人を探しに来る状況の中で、中国語ができない父Cと長女Eは、親戚宅の倉庫のような場所で、身を潜めるようにして隠れて暮らした。父Cは、終戦前から、いずれ家族と共に日本に帰ること を前提としていたため、長女Eを日本語で育てていた。父Cと長女Eは、終戦の時点では中国語を一切話すことができなかった。長女Eは、父Cから、日本人であることを知られないよう、日本語を忘れるようにと言われ、中国語を習得するまでは小学校に通うことすらできなかった。 (オ) 前期集団引揚げにおいて、南京からの引揚者は上海から引揚船で送還 されたが、上海からの一般邦人の集団引揚げは昭和21年4月に終了した。父Cが帰宅した時点において、日本に帰国するための登録手続は既に締め切られており、父Cらは日本に引き揚げることができなかった。 イその後も引揚げが困難であったこと(ア) 父Cは、昭和24年頃、日本人であることを秘したまま、Lという会 社に雇用されることとなった。父Cは、昭和25年、勤務先の都合により北京の工場に配置されることとなり、父Cら家族は、南京から北京に転居した。 (イ) 昭和40年に中国で始まった文化大革命において、父Cは日本人のスパイの嫌疑をかけられて逮捕され、約1年間、身体を拘束された。その 間に、父Cは、拷問等を受けた影響 北京に転居した。 (イ) 昭和40年に中国で始まった文化大革命において、父Cは日本人のスパイの嫌疑をかけられて逮捕され、約1年間、身体を拘束された。その 間に、父Cは、拷問等を受けた影響もあってか、脳梗塞を発症して半身- 19 -不随となり、帰宅してからも軟禁生活が続いた。父Cの逮捕をきっかけに、原告ら家族が日本人であることを周囲に知られ、原告らは「小日本鬼子」と言われるなどのひどい差別を受けるようになった。 (ウ) 昭和23年8月以降、後期集団引揚げが実施される昭和28年3月までの間、在留邦人は個別に中国政府の特別帰国許可を得て帰国するしか なかったが、そのためには帰国許可証を申請しなければならなかった。 また、個別引揚げによる出国に当たっては、多額の経費を調達しなければならないという障害もあった。日本政府は、昭和27年3月1日から、帰国に要する船運賃(外国商社による不定期船)を国庫負担することとされたが、船運賃以外の諸経費は自分で用意しなければならず、また、 この制度を利用するには、日本にいる留守家族の申請が必要とされていた。 父Cは、迫害を恐れ、平穏に生活するために日本人であることを隠していたから、とても個別引揚げの申請ができる状況にはなかった。また、仮に父Cが帰国意思を表明したとしても、帰国許可が極めて制限されて いた上、必要な経費の調達という問題もあった。 (エ) 昭和28年3月から集団引揚げが再開され、昭和33年7月までに、第1次から第21次までにわたって後期集団引揚げが実施されたが、原告ら家族は、日本人であることを隠して生活しており、日本人としての登録もされていなかったことから、引揚げの機会は与えられなかった。 ウ父Cは本邦に帰国する意思を有していたこと父Cは、以下の事情から 日本人であることを隠して生活しており、日本人としての登録もされていなかったことから、引揚げの機会は与えられなかった。 ウ父Cは本邦に帰国する意思を有していたこと父Cは、以下の事情からもうかがわれるように、終戦当時から、家族で日本に帰国することをずっと願い続けていた。 (ア) 父Cは、昭和27年、日本の民間団体が北京を訪れた際に、会社に対し面会希望を出したものの、許可を得ることができなかった。 (イ) 父Cは、昭和36年、日本の議員団の訪中があり、その中に知人がい- 20 -ることを新聞で知って、関係各方面に知人との面会を依頼したが、当局に拒否された。 (ウ) 昭和40年頃に文化大革命が開始され、日本人に対する差別は激化し、日本人と分かると日本のスパイ、反革命分子などと批判され、様々な差別や嫌がらせ、暴力にさらされた。父Cも日本人であることが知られて 長期間の身体拘束を受けるなどしており、帰国の意思を表明することなどできなかった。 (エ) 父Cは、昭和47年、当時の田中角栄総理大臣の訪中があり、その随行者に同窓生がいることを知って、関係各方面に面会の斡旋を依頼したが、これを拒否された。 (オ) 父Cが、昭和49年2月12日付けで実の妹(以下「実妹」という。)に送った手紙(乙10〔9~12頁、54~57頁〕。以下「実妹宛て手紙」という。)にも、父Cが帰国を希望している旨が記載されている。 (カ) 父Cは、文化大革命があった昭和45年頃に逮捕されて身柄拘束され、半身不随となって帰宅した。その後、父Cは、中国当局に対し帰国の希 望を伝えるようになったが、日中の国交が正常化するまでの間は具体的な帰国のための施策がなかったため、帰国は実現しなかった。昭和47年、父Cは、日中国交正常化のニュースを聞 当局に対し帰国の希 望を伝えるようになったが、日中の国交が正常化するまでの間は具体的な帰国のための施策がなかったため、帰国は実現しなかった。昭和47年、父Cは、日中国交正常化のニュースを聞いた時にとても喜び、帰国できることを期待していた。 エまとめ 以上のとおり、父Cには帰国の意思があったものの、終戦直後の混乱の中、前期集団引揚げに加わることができず、原告らが出生した当時も、日本人であることを隠して身を隠すような生活を送っており、帰国の意思を表明して引揚げに加わることができなかったため、引き続き中国の地域に居住することを余儀なくされたものである。そうすると、原告らは、ソ連 参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされた者- 21 -といえ、25年以後引揚困難要件を満たし、22年以後準ずる要件を満たすものとして「特定中国残留邦人等」に該当する。 オ被告の主張について(ア) 被告は、父Cには帰国の意思がなかった旨主張し、その根拠として、昭和49年に父Cが作成した実妹宛て手紙に、自らの意思に反して中国 に残留せざるを得なかったことをうかがわせる記載がなく、他方で、父Cが昭和49年よりも少し前に帰国を希望するようになったことをうかがわせる記載があることを挙げる。 しかし、実妹宛て手紙は、父Cが実妹に近況を知らせるものであり、約30年も前の引揚げに関する事情が記載されていなかったとしても何 ら不自然ではない。父Cは、帰国の望みを募らせていたところ、日本と連絡が取れるようになり、帰国の実現可能性が出てきたことから、改めて帰国の意思を表明したということにすぎない。また、実妹宛て手紙には、父Cが文化大革命の際に日本人スパイとして迫害を受けた事実等も記載されていないことから、父Cが中国 可能性が出てきたことから、改めて帰国の意思を表明したということにすぎない。また、実妹宛て手紙には、父Cが文化大革命の際に日本人スパイとして迫害を受けた事実等も記載されていないことから、父Cが中国政府の検閲を恐れ、中国側を刺 激するような内容を書けなかったことも優に想定し得る。 したがって、実妹宛て手紙について被告が指摘する点は、父Cに帰国の意思がなかったことの根拠にはならない。 (イ) 被告は、父Cに帰国の意思がなかったことの根拠として、JのKで父Cの同僚であった者が昭和40年10月11日頃に作成した証明書(乙 10〔6~8頁〕。以下「元同僚証明書」といい、これを作成した者を「元同僚」という。)には、昭和21年2月に元同僚が父Cと上海で会ったときに、父Cが自己の消息を故郷の肉親に絶対知らせないよう告げた旨記録されていることを挙げる。 元同僚証明書には、日本の敗戦当時、父Cは妻と子供の3人で暮らし ていたとの記載があるが、実際には父Cには子供が2人おり、4人家族- 22 -であった。また、元同僚証明書は、元同僚が父Cと上海で面会してから20年も経過した後に作成されたものであることに加え、元同僚の引揚げ直前に会っているにも関わらず、父Cの引揚げの予定や家族の様子、父Cがどのような生活をしているのか、また、なぜ故郷の肉親に自分の消息を知らせて欲しくないのか等、当然に交わされたであろう会話の重 要な内容についての記述がなく、逆に、父Cが酒乱で不健康な生活ぶりから生死が危ぶまれるなどという、何の根拠もない元同僚の憶測が不自然に述べられている。さらに、元同僚証明書には、元同僚と父Cが上海で面会した日付が、元同僚証明書の欄外に後から挿入されており、その筆跡が本文とは明らかに異なっていることから、元同僚が引揚げの直前 然に述べられている。さらに、元同僚証明書には、元同僚と父Cが上海で面会した日付が、元同僚証明書の欄外に後から挿入されており、その筆跡が本文とは明らかに異なっていることから、元同僚が引揚げの直前 に父Cと会ったこと自体が疑わしい。 これらの事情からすると、元同僚証明書は、戦時死亡宣告の審判の資料とすることを念頭に、父Cが中国の地で死亡していることを推測させる目的で作成されたものであることが明らかであって、信用することができない。 (ウ) 被告は、父Cが在北京日本大使館の外交官であるMに宛てて書いた手紙(乙3の2〔18~24頁〕。以下「M宛て手紙」という。)に「私は非常にこまることは1940年前後以来音信を断って居ります」という記載があることを根拠に、父Cが自分の意思で音信を絶っており、父Cには帰国の意思がなかった旨主張する。 このM宛て手紙は、父CがMに対して、日本人であることの証明の交付を督促し、在北京日本大使館への入出許可証の発付を求めるために発信したものである。父Cは、終戦後に日本語で手紙を書くのが初めてであったため、文章の所々に不自然、不正確な部分がある。したがって、「音信を断って居ります」という文言を「自分の意思で音信を断絶した」 と読むことは正しくなく、単に親族との音信が不通であることを示し、- 23 -それが帰国の支障になることを心配していると読むべきである。 したがって、父Cが自分の意思で親族との音信を絶っていたことはなく、被告の指摘は、父Cに帰国の意思がなかったことの根拠にはならない。 (エ) 被告は、父Cにおいては、日本に帰国しても安定した生活が望めない ことや、M宛て手紙に技師(工程師)に抜擢され表彰を受けている旨の記載があることを根拠に、父Cは工程師として厚遇されてい (エ) 被告は、父Cにおいては、日本に帰国しても安定した生活が望めない ことや、M宛て手紙に技師(工程師)に抜擢され表彰を受けている旨の記載があることを根拠に、父Cは工程師として厚遇されていたから中国に留まる方が好都合であった旨主張する。 しかし、父Cは、Kの下級の職員に過ぎず、業務に関する特別の知識や技術力を有していたわけではなかったから、父Cには中国に残留する ことに何のメリットもなく、逆に、日本人であることが分かれば生命身体や財産が侵害される危険を背負うことになるのであるから、父Cが自ら残留を選択するということは考えられない。仮に、父CがMに手紙を送った昭和48年当時に工程師として厚遇されていたとしても、それは中国が経済発展したことや、父Cが二十数年にわたって勤務に精励した 結果にすぎない。父Cは、敗戦後、昭和24年までは全く仕事のあてがなく、同年にようやく就職できても、原告らが生まれた昭和28年や昭和31年当時、建国途上の中国では、決して裕福な生活を送ることができる状況ではなく、政府機関等に留用されているごく一部の高級技術者を除き、残留邦人の給与は衣食費をかろうじて満たす程度の最低限度の ものであった(甲24〔63頁〕)。 したがって、父Cには中国に残留するメリットがなかったことは明らかである。 (被告の主張)ア原告らの両親は自らの意思により中国に残留したこと (ア) 父Cは昭和50年に、母Dは平成21年にそれぞれ死亡しており、も- 24 -はや原告らの両親に対し中国の地域に残留することになった経緯等について直接確認することはできず、したがって、原告らの申立てだけでなく、原告らの両親が生存中に作成した書面等から認定できる事実関係をもとに、原告らの両親において、本邦に引き揚げるこ になった経緯等について直接確認することはできず、したがって、原告らの申立てだけでなく、原告らの両親が生存中に作成した書面等から認定できる事実関係をもとに、原告らの両親において、本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた事情(25年以後引 揚困難要件)を推認して判断せざるを得ない。 (イ) しかるに、本件各申請における原告らの陳述は、何ら具体性のない記載にとどまっているし、母Dが作成したという「経過書」を検討してみても、その記載から引揚困難事由により残留を余儀なくされたとみることはできない。 M宛て手紙には、父Cが本邦に当初より帰国を望んでいたことをうかがわせる記載も、引揚困難事由の存在をうかがわせる記載も認めることができない。かえって、「1940年前後以来音信を断って居ります」との記載からすると、父Cは、自らの意思で、実妹に宛てた手紙を出さずにいたことが明らかであり、日本にいる唯一の肉親である実妹と連絡を取 って帰国の方途を探ろうとしていたとはいえない。 (ウ) 厚生労働省が保管する実妹宛て手紙にも父Cが自らの意思に反して中国に残留させられたことをうかがわせる記載はなく、飽くまで、手紙を作成したと思われる昭和49年を基準に、ここ数年来、帰国を希望し、最近、相互に通信ができて以来、更に帰国の希望が高まった旨の記載が あるのみであって、実妹宛て手紙を作成した少し前の時期に、帰国を希望するようになったことをうかがわせる記載があるにとどまっている。 (エ) 厚生労働省が保管する元同僚証明書によれば、元同僚が昭和21年2月に日本に帰国するに当たり、原告らの父が別れのために上海に出向き、元同僚に、自己の消息を故郷の肉親に絶対に知らせるなと告げたことが うかがわれる る元同僚証明書によれば、元同僚が昭和21年2月に日本に帰国するに当たり、原告らの父が別れのために上海に出向き、元同僚に、自己の消息を故郷の肉親に絶対に知らせるなと告げたことが うかがわれるところ、このことは、原告らの両親に本邦に帰国する意思- 25 -があったとは認め難いとの認定に沿うものである。 (オ) 当時の父Cの心情を推し量ると、終戦後も中国に残留することで、そのまま仕事を続けて給料を得て、引き続き家族を養いながら生活していくことができる点において、家族共々中国に残留するメリットがあった。 他方で、日本に帰国したとしても、仕事どころか住居すらあるかどうか も分からず、中国で生活していたときと同じ生活水準を維持して家族を養うことができる保証はなく、しかも、それまでに日本で生活したことがない妻や子らの家族が、果たして日本での生活に順応できるかどうかも分からず、帰国した場合のデメリットばかりを考えてしまうのが、むしろ自然な思いであったというべきである。 (カ) これらによれば、父Cは、日本に帰国して生活するのではなく、自らの意思で、引き続き中国において母D及び子供らの家族と生活することを選択したものといえ、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時、原告らの両親は、自らの意思で中国に残留していたものと認められる。 イ原告らの主張に対する反論(ア) 原告らの両親に終戦直後の混乱により帰国できなかった事情は認められないこと原告らは、父Cが出張先の上海から南京に帰宅した昭和20年秋頃、引揚げの登録が既に締め切られており、前期集団引揚げに参加すること ができなかった旨主張する。また、前期集団引揚げによる上海からの引揚の最終船は、昭和21年4月15日であった旨主張する。 しかし、南京にお 既に締め切られており、前期集団引揚げに参加すること ができなかった旨主張する。また、前期集団引揚げによる上海からの引揚の最終船は、昭和21年4月15日であった旨主張する。 しかし、南京における引揚げ状況については、少なくとも昭和20年9月下旬から約5か月半が経過した昭和21年3月13日までは南京市下関に集中営があり、同日までに、南京から上海に残留邦人が1万11 81人移動しているとされているから、昭和20年秋頃に引揚げ対象者- 26 -の登録が終了し帰国の途を閉ざされた状況にあったとは認められない。 また、上海を出港地とする引揚船による本邦への引揚げは、昭和21年5月以降も引き続き行われており、例えば、佐世保港には、同月から昭和23年12月までに、上海からの引揚船が少なくとも119隻あり、9万8967人が乗船して本邦に引き揚げている。そして、この引揚者 の中には、在留地が「南京」であった邦人も含まれていた。さらに、昭和24年においても、上海を出港地とする本邦への引揚船は少なくとも12隻あり、前期集団引揚げが中断することとなった同年頃まで、上海及び南京から邦人の引揚げが断続的に行われていたことが確認できる。 このように、父Cが出張先から南京に戻ったとされる昭和20年秋頃 以降においても、上海から邦人の引揚げが行われていたのであるから、父Cが不在であったことで、その後原告らの両親が最後の引揚船に申し込むことができず、帰国の途が閉ざされた状況にあったとは認められない。 (イ) 原告らが出生した当時、原告らの両親に引揚困難事由はなかったこと 原告らは、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時、父Cは日本人であることを隠しており、引揚の機会も与えられなかったから、原告らの引揚げは困難であったと主張す 難事由はなかったこと 原告らは、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時、父Cは日本人であることを隠しており、引揚の機会も与えられなかったから、原告らの引揚げは困難であったと主張する。 しかし、昭和28年以降の中国からの引揚げについては、後期集団引揚げが21回にわたって行われ、合計3万2525人の邦人が引き揚げ たほか、昭和33年に後期集団引揚げが終了した後も、個別引揚げにより年間100人前後が帰還し、その帰還費用も国が負担するなど、なお中国から日本に帰国するための手段が客観的に存在していた。また、父Cは、原告らが出生した当時、北京で「工程師」として相当程度の待遇を受けていたことがうかがえるのであり、父Cが日本人であることを隠 していたとしても、それは家族と共に中国で暮らしていく上でその方が- 27 -都合が良かったからであると考えられる。 したがって、原告らが出生した当時、原告らの両親において引揚げが困難であったという事実は確認できない。 ウまとめ以上のとおり、父Cは、中国に残留していた多数の一般邦人が終戦後 に本邦に引き揚げていく中で、昭和15年に婚姻をした元中国籍の妻である母Dとの間に昭和16年から昭和35年にかけて原告らを含む7人の子をもうけ、終戦直後は、妻の親戚宅がある南京で暮らし、原告らが出生した当時は、北京の職場で技師として勤務し、幹部に抜擢されるなど、日本人技術者として(あるいは日本人であることを秘していたとし ても)、相当程度の待遇を受けながら中国で生活していた。これらの事実からすると、原告らの両親は、自らの意思で中国に居住し、引き続き父Cが仕事を続けながら子供らを養育する人生を選択し、その生活基盤を築いていたものと認められる。そうすると、原告らも、このような原告 実からすると、原告らの両親は、自らの意思で中国に居住し、引き続き父Cが仕事を続けながら子供らを養育する人生を選択し、その生活基盤を築いていたものと認められる。そうすると、原告らも、このような原告らの両親の意思による選択に従って中国に居住し続けたものといえ、 引揚困難事由があったがゆえに中国に残留を余儀なくされたものとは認められない。 そうすると、原告らの両親は、ソ連参戦を直接の原因とする混乱等により本邦に引き揚げることができなかったものでも、その後もソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたもので もないから、原告らの両親による養育監護下にあった原告らについて、「ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたもの」(25年以後引揚困難要件)と認めることはできず、原告らは特定中国残留邦人等に該当しない。 第3 当裁判所の判断 1 争点1(支援法13条1項又は事務処理方針が憲法13条又は14条に反す- 28 -るか否か)について(1) 認定事実総論前記前提事実並びに掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。 ア歴史的背景事情 (ア)終戦時における一般的状況a 中国東北部地域(旧満州)の状況昭和20年当時、中国東北部地域に居留していた一般邦人は、開拓団を含め約155万人であり、同年6月以降、壮年男子の多くが、いわゆる根こそぎ動員により、逐次関東軍に召集されていた。 昭和20年8月9日、ソ連軍の不意の攻撃を受けた辺境地域の一般邦人は、混乱のうちに避難を開始し、多くは徒歩で長途にわたる退避行動をとった。この間、ソ連軍の侵攻、現地住民の反乱、飢餓疾病等により多くの犠牲者を出し、さらには進退窮まり集団自決をするなどの出来 邦人は、混乱のうちに避難を開始し、多くは徒歩で長途にわたる退避行動をとった。この間、ソ連軍の侵攻、現地住民の反乱、飢餓疾病等により多くの犠牲者を出し、さらには進退窮まり集団自決をするなどの出来事もあった。 戦闘による混乱は昭和20年10月頃に収まり、ソ連軍に収容され、あるいは国民政府軍、中国共産党軍に留用された軍人及び邦人を除いた在留邦人は、避難行動から逐次越冬態勢に移った。 終戦後相次いで中国東北部に進駐した国民政府軍及び中国共産党軍は、共にその戦力の強化を図るため、戦闘、後方勤務、技術、職域等の 要員として多数の邦人を留用した。昭和20年11月から中国東北部地域の中南部において、国民政府軍と中国共産党軍との間で激しい内戦が繰り返された。(以上につき、乙5〔32頁〕、乙11〔109頁〕)b 中国本土の状況 - 29 -昭和20年当時、中国本土に居住していた一般邦人は約50万人であり、その大部分は北京や天津を含む華北地区に居住していた。日ソ開戦とともにソ連軍が外蒙方面から華北地区に進攻することを予想した日本軍は、防衛を強化し、一般邦人を辺境から都市に集結させるなどの措置を執ったが、ソ連軍は華北に侵入することなく終戦を迎えた。 終戦当時、各地ともおおむね平穏だったが、日本軍が武装解除されてから、暴行、掠奪等の事件が発生し、治安は悪化した。(乙11〔88頁〕)c 中国の地域に残留した邦人の状況終戦直後の中国の混乱の中で、肉親と死別し又は生き別れた日本人 婦女子のうち、自活の手段を失いやむなく現地住民に救いを求め、あるいは拉致された後その妻となった者は、約4000人と推定され、また、両親を失った孤児及び親等が養育できないため現地住民に託した子供達は約2500人と推定された。これらの、中 地住民に救いを求め、あるいは拉致された後その妻となった者は、約4000人と推定され、また、両親を失った孤児及び親等が養育できないため現地住民に託した子供達は約2500人と推定された。これらの、中国人の妻となり又は孤児として現地住民の家庭に入った者は、一応その生活を保障さ れ、逐次現地住民の生活に同化して残留することとなった。(乙11〔109頁〕)(イ) 前期集団引揚げa 中国東北部地域(旧満州)からの前期集団引揚げソ連軍は中国東北部の主要都市を占領して軍政を敷き、その実権を 手中に収めていたが、中国東北部に在留する日本人の本国送還については全く関心を示さず、何らの措置も講じないまま、昭和21年4月には中国東北部から撤退した。 ソ連軍の撤退により、管理を引き継いだ中国東北保安司令官(国民政府軍)とアメリカ軍代表との間に、昭和21年5月11日、中国東 北部に在留する日本人の本国送還に関する協定が成立した。日本側は- 30 -難民救済委員会を改組した日僑善後連絡総処を瀋陽に設置し、遣送事務室の職制及び人事を決定し、瀋陽自体の引揚げ計画のほか中国東北部地域に残留している邦人の送還についても計画し、これを実行に移すこととした。中国共産党軍地域についても、同年8月、アメリカ軍と中国共産党軍側との間に邦人の送還協定が成立し、日僑善後連絡総 処の統括の下に日本への引揚げが実現した。 中国東北部地域からの前期集団引揚げのうち、第1期引揚げとして、昭和21年5月から同年10月30日までの間に合計約101万人が、第2期引揚げとして、同年11月下旬から同年12月下旬までの間に合計約4300人が、第3期引揚げとして、昭和22年6月下旬から 同年8月上旬までの間に合計1万8000人が、同年9月下旬から同年10月下 げとして、同年11月下旬から同年12月下旬までの間に合計約4300人が、第3期引揚げとして、昭和22年6月下旬から 同年8月上旬までの間に合計1万8000人が、同年9月下旬から同年10月下旬までの間に合計約1万1000人が、第4期引揚げとして、昭和23年6月及び同年8月に合計3320人が、それぞれ引き揚げた。(以上につき、甲20、乙11〔91~93頁〕)b 中国本土からの前期集団引揚げ 中国本土に居住していた一般邦人約50万人は、終戦後、辺境から逐次小都市に集中し、さらに大都市に集中し、集中営(収容所)や旧軍の施設等において集団生活を行い、引揚げに向けた準備をした。 華北地域は中国国民政府軍の進駐が遅延したため、日本軍(北支方面軍)の一部はアメリカ軍に接収され、アメリカ軍は、北京に日本軍 の遣送司令部を設けて、日本人の引揚げについて国民政府を援助した。 日本軍も、平津(北京、天津周辺)地区を除き、治安混乱に対処するため、一時治安駐とんに当たったが、国民政府軍と中国共産党軍の停戦の成立により、昭和21年1月10日に武装を解除された。華中(中国中東部)、華南(中国南部)地区における日本軍は、武装を解除され た後、南京に日本官兵連絡総本部を、海軍部隊は上海に日本海軍総連- 31 -絡部を設け、軍官民の中国本土からの引揚げを総括し、一般邦人を青島、天津、塘沽、上海、広東等の引揚港に順次移動させ、昭和20年11月から昭和21年末までの間に、一般邦人約49万人が引き揚げた。 (以上につき、甲20、乙11〔88頁〕、12)c 引揚げの中断 国民政府軍と中国共産党軍の内戦の影響を受けて、昭和23年8月の引揚げをもって、集団引揚げが中断された。同年11月に、中国共産党軍は中国東北部を完全にその手中に収め、次い c 引揚げの中断 国民政府軍と中国共産党軍の内戦の影響を受けて、昭和23年8月の引揚げをもって、集団引揚げが中断された。同年11月に、中国共産党軍は中国東北部を完全にその手中に収め、次いで華北以南の国民政府軍を駆逐し、昭和24年10月に中華人民共和国を樹立した。 ソ連軍管理の旧関東州(遼東半島)地域については、昭和24年1 0月の引揚げをもって集団引揚げが中断されており、同地域と中国東北部地域(旧満州)は中国地域として、邦人の引揚げ問題につき、新たに樹立した中国共産党政府との交渉を待つこととなった。(以上につき、乙11〔109頁〕、12)d 中国からの年次別の引揚者数 昭和21年から昭和25年までの間の、満州、大連及び中国(中国本土)からの年次別の引揚者数は、以下のとおりであり、昭和21年末までに合計約250万人が、昭和24年末までに合計約277万人が引き揚げた(乙6〔689頁〕)。 【満州】昭和21年まで 101万0837人 昭和22年 2万9714人昭和23年 4970人昭和24年 4人昭和25年 0人【大連】昭和21年まで 6126人 昭和22年 21万2053人- 32 -昭和23年 4914人昭和24年 2861人昭和25年 0人【中国】昭和21年まで 149万2397人昭和22年 3758人 昭和23年 4401人昭和24年 702人昭和25年 151人(ウ) 前期集団引揚げ終 2年 3758人 昭和23年 4401人昭和24年 702人昭和25年 151人(ウ) 前期集団引揚げ終了後の中国の地域における邦人の残留及び引揚げの状況 a 前期集団引揚げ終了後の中国の地域における邦人の状況前期集団引揚げ終了後、なお中国に残留していた者は、主に、中国共産党軍等に留用された者、戦犯関係者、中国人の妻になった女性及び孤児等で中国人の家庭にあった者である。 国民政府軍に留用されていた邦人は、同軍の敗退に伴い、その大部 分は逐次留用を解除され帰国したが、中国共産党軍に留用されていた者は新政権樹立後も引き続いて留用され、その数は家族も含め3万5000人を下らないと推定されていた。昭和25年に勃発した朝鮮戦争及び越南戦(ベトナム動乱)に中国共産党軍が介入したことにより、残留邦人もその影響を受けることとなったが、昭和26年後半からは 逐次留用を解除され各地の職場に配置され、労働のほか、学習などを受けていた。(以上につき、乙11〔109頁〕)b 前期集団引揚げ終了後の中国の地域からの個別引揚げ昭和24年10月の前期集団引揚げ終了から昭和28年3月の後期集団引揚げ開始までの間、中国からの集団引揚げは中断されたが、こ - 33 -の間も、在留邦人の中には、中国政府の特別の許可を得るか、又は、密航等により個別に引き揚げる者もいた。 もっとも、残留邦人が帰国の機会を得るためには制限されている帰国の許可を得なければならず、許可が下りても帰国に必要な諸経費の負担を余儀なくされていた。中国に残留している邦人から、日本政府 に直接又は日本にいる家族を通じて帰国の希望が伝えられたことから、中国地区の特殊事情に鑑 らず、許可が下りても帰国に必要な諸経費の負担を余儀なくされていた。中国に残留している邦人から、日本政府 に直接又は日本にいる家族を通じて帰国の希望が伝えられたことから、中国地区の特殊事情に鑑み、引揚げの促進を図る方法として、個別に引き揚げる者の経済的負担を軽減するため、昭和27年3月1日から帰国に要する船運賃を国が負担することとし、一人でも多くの残留者が引揚げの機会を得られる措置(船運賃国庫負担制度)を講じた。 上記の引揚げが中断されていた時期に、中国政府の特別の許可を得るか、密航等の方法により、昭和25年に151人が、昭和26年に92人が、昭和27年に214人が個別に引き揚げた。(以上につき、乙6、11〔118、121、122頁〕)(エ) 後期集団引揚げ 海外からの邦人の引揚げは、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効と同時に、日本政府の自主的事業となった。そして、中国の地域においては、昭和28年3月から昭和33年7月までの間に集団引揚げが行われた(後期集団引揚げ)。 中国の地域の後期集団引揚げは、北京協定に基づき、昭和28年3月 に開始された第1次引揚げから同年10月の第7次引揚げまで実施され、合計2万6051人の残留邦人が帰国した。これらの引揚者は、終戦後に中国側の軍又は政府機関等に留用された者及びその家族が主であった。また、第8次引揚げとして、昭和29年9月27日に520人が帰国した。これらの引揚者は、現地除隊をした元軍人及び華北交通社の 社員等で中国共産党軍の捕虜となり西陵に収容されていた者と一般邦人- 34 -であった。第9次引揚げから第11次引揚げは同年11月から昭和30年3月までに実施され、合計2292人が帰国した。これらの引揚者の大半は、朝鮮戦争当時に安東、 容されていた者と一般邦人- 34 -であった。第9次引揚げから第11次引揚げは同年11月から昭和30年3月までに実施され、合計2292人が帰国した。これらの引揚者の大半は、朝鮮戦争当時に安東、旅順、大連等に居住しており、その後他の地区に移住させられた者で、中国軍に留用され、朝鮮越南等において戦務に従事した者や、中国人の妻となっていた残留婦人等であった。第 12次引揚げとして、同年12月18日に283人が帰国した。このうち141人が引揚者であり、その他は戦後の渡航者及び外国籍の者等であった。第13次引揚げから第16次引揚げまでは、昭和31年7月から昭和32年5月までに実施され、合計1368人が帰国した。このうち350人が一般の引揚者であり、1018人が戦犯として抑留され不 起訴となった者であった。第17次引揚げから第21次引揚げまでは、昭和33年4月から同年7月までに実施され、合計2153人が帰国した。これら引揚者の大半は中国各地において共産学習を受けた者と、中国の軍や政府で留用されていた者であった。 中国の地域における第1次から第21次までの後期集団引揚げによ り、合計3万2506人の邦人が日本に帰国した。(以上につき、甲5〔25頁〕、25、乙11〔110~112、114頁〕、乙12)(オ) 後期集団引揚げ終了後の中国の地域からの個別引揚げ昭和33年の後期集団引揚げの終了後は、個別の引揚げに移行し、中国本土又は香港を経由して、散発的に邦人の引揚げが行われた結果、文 化大革命のあった昭和43年及び昭和44年を除き、年に合計100人前後の邦人が引き揚げた。 昭和47年9月29日に日中国交正常化を迎え、中国からの出国許可が容易に下りるようになった。(以上につき、乙11〔118頁〕)イ支援法制定の経緯 き、年に合計100人前後の邦人が引き揚げた。 昭和47年9月29日に日中国交正常化を迎え、中国からの出国許可が容易に下りるようになった。(以上につき、乙11〔118頁〕)イ支援法制定の経緯等 (ア) 昭和47年の日中国交正常化を契機に、中国での生活を続けていた残- 35 -留孤児らから身元調査依頼や帰国の希望が寄せられるようになり、予算措置が講じられて、残留孤児の肉親捜し、残留邦人が永住帰国する際の帰国旅費の支給等の帰国援護施策、永住帰国後の生活や就労等の面での定着自立援護施策が実施されるようになった。 (イ) 平成6年、上記の各施策をはじめ、関係各省及び地方自治体で講じら れた諸施策を法律上明文化し、中国残留邦人等の帰国や自立の一層の推進を図るとして、同年4月6日に支援法が成立し(当時の法律名は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」である。)、同年10月1日から施行された。 平成6年3月8日に開催された衆議院厚生委員会における支援法の趣 旨説明では、「本案は、今次の大戦に起因して生じた混乱等により、本邦に引き揚げることができず、引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ、これらの者の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援を図るため、帰国旅費、自立支度金等の支給、住宅の供給の促進等の措置を講じようと するもの」とされた。(以上につき、乙7、8の1)ウ平成19年改正の経緯等(ア) 平成19年改正前の支援法による国民年金法の特例措置では、国民年金制度が創設された昭和36年4月1日から永住帰国するまでの期間を保険料免除期間とみなすことにより、同期間については保険料を納付し た場合の3分の1相当額が る国民年金法の特例措置では、国民年金制度が創設された昭和36年4月1日から永住帰国するまでの期間を保険料免除期間とみなすことにより、同期間については保険料を納付し た場合の3分の1相当額が老齢基礎年金額に反映され、保険料免除期間とみなされた期間については保険料の追納ができ、追納した場合は、その期間について全額が老齢基礎年金額に反映されていた。しかし、高齢等の事情から、ともすれば生活保護に頼らざるを得ない中国残留邦人等は、保険料の追納ができず、満額の老齢基礎年金の支給を受けられない など、日常生活に支障を来し、老後の生活への備えが不足する状況であ- 36 -った。 そのため、平成13年以降、多数の中国残留邦人等が原告となり、16都道府県において、国の自立支援援護義務違反等を理由とする国家賠償請求集団訴訟を提起した。 その後、各地の地方裁判所で審理が行われ、平成18年12月1日に 神戸地方裁判所において国の国家賠償責任を認める判決が言い渡されるなどし、平成19年1月30日、当時の安倍晋三内閣総理大臣から、厚生労働大臣に対し、中国残留邦人等への支援の在り方について、その置かれている特殊な事情を考慮して誠意を持って対応するよう指示がされた。(以上につき、甲5~7) (イ) 上記指示を受け、厚生労働省において、平成19年5月17日から同年6月12日まで、「中国残留邦人への支援に関する有識者会議」が計5回開催され、同年6月12日に、「中国残留邦人に対する支援の在り方について(案)」(以下「有識者会議案」という。)が取りまとめられた。 有識者会議案においては、公的年金制度における支援として、「中国残留邦人は…帰国後も十分就労できない状況にあったことから、帰国前の期間の保険料を追納することができない まとめられた。 有識者会議案においては、公的年金制度における支援として、「中国残留邦人は…帰国後も十分就労できない状況にあったことから、帰国前の期間の保険料を追納することができないばかりか、帰国後の期間についても保険料を十分納めることができなかったため、その年金額は十分なものとは言い難い水準である」とした上で、公的年金制度を中国残留 邦人に対して機能させるため、「(1) 過去の期間についての保険料の追納を特例的に認め、追納を認める期間は、中国残留邦人の帰国前の公的年金制度に加入できなかった期間だけでなく、帰国後の期間も含めることとし、(2) このような保険料の追納のため…必要な額は国において負担することとすれば、満額の老齢基礎年金を実現することができるもの であり、それが有効な方法と考えられる。」とし、「このような老齢基礎- 37 -年金についての特例措置は、帰国後の期間についても国が保険料を負担するという点で、北朝鮮拉致被害者やその他に対して行われている老齢基礎年金についての特例措置よりも手厚い措置であるが、全国民共通の給付である老齢基礎年金の仕組みを最大限活用して行うものであるという点で、一般国民との均衡上許される最大限の措置といえよう。」とし ている。(以上につき、甲8)(ウ) 平成19年7月9日、与党中国残留邦人支援に関するプロジェクトチームにおいて、「中国残留邦人等に対する新たな支援策について」(以下「与党PT案」という。)が示された。そして、与党PT案を具体化した平成19年改正法案が、同年11月2日、衆議院厚生労働委員会にお いて、委員会提出の法律案とすることが全会一致で決定され、その後、同年12月5日に平成19年法律第127号として成立した。(甲9、10)(エ) 平成1 1月2日、衆議院厚生労働委員会にお いて、委員会提出の法律案とすることが全会一致で決定され、その後、同年12月5日に平成19年法律第127号として成立した。(甲9、10)(エ) 平成19年改正法では、中国残留邦人等に該当する者のうち、支援法13条1項所定の要件に該当する者については、昭和36年4月1日か ら永住帰国するまでの期間は被保険者期間とみなし(同項)、同項所定の要件に該当する中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国した「特定中国残留邦人等」については、同項により被保険者期間とみなされた期間を含む被保険者期間に係る保険料を納付することができるとされた上(同条2項)、特 定中国残留邦人等に対しては、被保険者期間に応じ、国から一時金が支給され(同条3項)、国は、当該一時金の支給に当たっては、特定中国残留邦人等が満額の老齢基礎年金等の支給を受けるために追納する被保険者期間に係る保険料に相当する額を当該一時金から控除し、当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険料を納付するものとされた(同条4 項)。 - 38 -これにより、特定中国残留邦人等は、年金制度に加入できなかった永住帰国前の期間に加え、帰国後の期間についても保険料の納付が認められ、納付に必要な保険料は、その全額を国が負担することとなり、満額の老齢基礎年金を受給できるようになった。 (2) 支援法13条1項及び事務処理方針が憲法14条の平等原則に違反するか 否かについてア原告の主張原告は、支援法13条3項の一時金の支給を受けられる「特定中国残留邦人等」の要件につき、同条1項が昭和21年12月31日以前に生まれた者とそうでない者を区別し(21年以前出生要件と22年以後準ずる要 件 法13条3項の一時金の支給を受けられる「特定中国残留邦人等」の要件につき、同条1項が昭和21年12月31日以前に生まれた者とそうでない者を区別し(21年以前出生要件と22年以後準ずる要 件)、さらに、事務処理方針が昭和24年12月31日以前に生まれた者とそうでない者を区別していること(24年以前出生要件と25年以後引揚困難要件)には合理的理由がなく、これらの要件を定めた支援法13条1項及び事務処理方針は、不合理な差別をするものであって憲法14条の平等原則に反する旨主張する。 イ憲法14条適合性の判断枠組み支援法13条は、「国民年金の特例等」との見出しの下、認定事実総論ウ(エ)のとおり、一定の要件を満たす中国残留邦人等につき、永住帰国までの期間を国民年金法による被保険者期間とみなし(同条1項)、その保険料を遡及的に納付することができることとし(同条2項)、さらに、国民 年金法による被保険者期間等に応じた一時金を支給することとし(同条3項)、国が本人に代わってその一時金から保険料を納付するものとする(同条4項)など、国民年金に関する特例措置を定めるものである。そして、上記の支援法及び平成19年改正法の制定経緯等(認定事実総論イ、ウ)に加え、永住帰国した中国残留邦人等の自立の支援等を目的とする支援法 の趣旨(1条)にも照らすと、平成19年改正後の支援法13条の規定は、- 39 -永住帰国後もその多くが困難な状況にある中国残留邦人等に対する積極的な支援のため、憲法25条の趣旨に基づく立法措置として、国民年金に係る特例措置として定められたものということができる。 しかるところ、憲法25条の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講じるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それ が著し 特例措置として定められたものということができる。 しかるところ、憲法25条の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講じるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それ が著しく合理性を欠き明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。もっとも、同条の趣旨にこたえて制定された法令において受給権者の範囲、支給要件等につき何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いをするときは別に憲法14条違反の問題を生じ得ることは否定し得な いところである(最高裁昭和57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁、最高裁平成19年9月28日第二小法廷判決・民集61巻6号2345頁参照)。そして、以上の理は、法律の委任に基づく下位法令や審査基準等についても基本的に妥当するものというべきである(なお、原告らは、平成19年改正法は憲法13条の要請を具体化するものである などとして、厳格な審査基準を用いるべきである旨主張するが、上記及び後記(3)のとおり、採用することができない。)。 そこで、以上の見地から、支援法13条及び事務処理方針が中国残留邦人等の生まれた時期により取扱いを区別していることにつき、明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものである かどうか、そして、何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いといえるかどうかについて検討する。 ウ国民年金の特例措置(一時金の支給等)の対象となる中国残留邦人等の範囲を限定ないし制限することの合理性について前述のとおり、平成19年改正法により、永住帰国した中国残留邦人等 のうち一定の要件を満たす「特定中国残留邦人等」は、年金制度に加入で- 40 -きなかっ いし制限することの合理性について前述のとおり、平成19年改正法により、永住帰国した中国残留邦人等 のうち一定の要件を満たす「特定中国残留邦人等」は、年金制度に加入で- 40 -きなかった永住帰国前の期間に加え、永住帰国後の期間についても保険料の納付が認められ、納付に必要な保険料の全額を国が負担し、満額の老齢基礎年金を受給できるようになった(なお、特定中国残留邦人等は、支援法14条の支援給付の対象にもなり得る。)。このような特例措置は、国民年金の保険料の納付の有無にかかわらず、国の負担により被保険者期間 40年分に相当する満額の老齢基礎年金を得ることを可能にするという手厚いものであって、有識者会議案においても、「北朝鮮拉致被害者やその他に対して行われている老齢基礎年金についての特例措置よりも手厚い措置」であって、「一般国民との均衡上許される最大限の措置」とされている。そして、このような手厚い特例措置が設けられたのは、平成19年改 正法の趣旨説明やその基となった有識者会議案及び与党PT案の内容からもうかがわれるとおり、ソ連参戦以後の混乱等により、中国に残留することを余儀なくされ、肉親と離れ離れになり中国人に育てられることになった孤児(中国残留孤児)や、生活の手段を失って中国人の妻となった者(中国残留婦人)などを念頭に、これらの者が直面した特別の苦難に鑑み、特 別の支援措置を講じることが相当であるとの政策的考慮が根底にあるものと解される。 以上のような特例措置の性質(国において相当な財政的負担を伴う措置であること)やその根底にある政策的考慮などを踏まえると、中国残留邦人等のうち終戦後に生まれた者(いわゆる中国残留邦人2世)について、 無条件で一律に上記の特例措置の対象に含めるのではなく、ソ連参戦以後の その根底にある政策的考慮などを踏まえると、中国残留邦人等のうち終戦後に生まれた者(いわゆる中国残留邦人2世)について、 無条件で一律に上記の特例措置の対象に含めるのではなく、ソ連参戦以後の混乱等により本邦以外の地域に残留することを余儀なくされたかどうかという観点(支援法1条参照)から、上記の特例措置の対象となる中国残留邦人等の範囲を限定ないし制限することは、その政策的な当否は別として、明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を 欠くものとはいえない。 - 41 -エ支援法13条1項が昭和21年以前に生まれた者(21年以前出生要件)とその後に生まれた者(22年以後準ずる要件)の取扱いを区別することの合理性について支援法13条1項が、21年以前出生要件と22年以後準ずる要件を定め、昭和21年12月31日以前に生まれたか同日後に生まれたかによっ て取扱いを区別した趣旨については、この点に係る被告の説明を踏まえると、以下のとおりであると解される。 すなわち、歴史的背景事情(認定事実総論ア)のとおり、ソ連軍の対日参戦を直接の原因とする混乱(すなわち、ソ連軍の攻撃を受け、一般邦人が自ら長途にわたる避難行動を余儀なくされたことなどによる混乱)は、 昭和21年中には中国の地域に在住していた邦人の大半が引き揚げていたこと(同ア(イ))に照らしても、同年のうちに収束に向かっていたといえることから、昭和22年以後に生まれた者は、ソ連参戦を直接の原因とする混乱の影響を受けたものではないと考えられ、他方で、中国残留邦人等のうち、昭和21年以前に生まれたが本邦に引き揚げるに至らなかった者に ついては、ソ連参戦を直接の原因とする混乱又はソ連参戦以後に生じた事由の影響(終戦後に進駐した国民政府軍又は中国 留邦人等のうち、昭和21年以前に生まれたが本邦に引き揚げるに至らなかった者に ついては、ソ連参戦を直接の原因とする混乱又はソ連参戦以後に生じた事由の影響(終戦後に進駐した国民政府軍又は中国共産党軍がそれぞれ多数の邦人を留用したことや、ソ連軍が邦人の本国への送還について何らの措置を執らないまま撤退したことなどによる影響)により帰国が極めて困難な状況に置かれたため本邦に引き揚げることができなかった者である蓋然 性が高いと考えられる。そのため、支援法13条1項は、昭和21年以前に出生した中国残留邦人等については一律に特別の保護の対象とするが(21年以前出生要件)、他方で、昭和22年以後に生まれた中国残留邦人等であっても、ソ連参戦以後に生じた事由の影響により引き続き本邦以外の地域への残留を余儀なくされた者もいたと考えられることから、その 具体的な事情に応じて上記の特例措置の対象となる余地を認め、そのよう- 42 -な事情(準ずる事情)の具体化を厚生労働省令に委任したものと解される(22年以後準ずる要件)。 支援法13条1項が、21年以前出生要件と22年以後準ずる要件を定め、昭和21年12月31日以前に生まれたか同日後に生まれたかによって取扱いを区別した趣旨は、上記のとおりであると解されるところ、その 内容は、歴史的背景事情(認定事実総論ア)に裏付けられた相応の根拠を有するものと解される。そして、ソ連参戦以後の混乱等により中国に残留することを余儀なくされた蓋然性の程度に応じ、その蓋然性が高い昭和21年以前に出生した中国残留邦人等については一律に特別の保護の対象とし、その後生まれた中国残留邦人等についても、具体的な事情に応じて特 別の保護の対象に含めるとするものであって、このような生まれた時期による取扱いの 留邦人等については一律に特別の保護の対象とし、その後生まれた中国残留邦人等についても、具体的な事情に応じて特 別の保護の対象に含めるとするものであって、このような生まれた時期による取扱いの区別は、本人において左右することのできない事情による区別であることを考慮しても、明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえない。 オ事務処理方針が昭和24年以前に生まれた者(24年以前出生要件)と その後に生まれた者(25年以後引揚困難要件)の取扱いを区別することの合憲性について事務処理方針が、24年以前出生要件と25年以後引揚困難要件を定め、昭和24年12月31日以前に生まれたか同日後に生まれたかによって取扱いを区別した趣旨については、この点に係る被告の説明を踏まえると、 以下のとおりであると解される。 すなわち、歴史的背景事情(認定事実総論ア)のとおり、昭和24年末までに、中国東北部地域(旧満州)や中国本土で大規模な引き揚げが実施されて合計約277万人の在外邦人が帰国したこと(認定事実総論ア(イ))、同年10月1日に中華人民共和国が成立していることを踏まえると、遅く とも昭和25年にはソ連参戦を直接の原因とする混乱が続いていたとはい- 43 -えない一方、昭和24年のうちは、なおソ連参戦以後に生じた事由の影響が続いており、そのさなかに出生した者の中には、その影響により本邦に引き揚げることができなかった者が含まれる一定程度の蓋然性があると考えられる。そのため、事務処理方針は、引揚困難事由に係る中国残留邦人等の立証の負担も考慮し、昭和24年以前に出生した中国残留邦人等につ いては一律に特別の保護の対象とするが(24年以前出生要件)、他方で、昭和25年以後に生まれた中国残留邦 由に係る中国残留邦人等の立証の負担も考慮し、昭和24年以前に出生した中国残留邦人等につ いては一律に特別の保護の対象とするが(24年以前出生要件)、他方で、昭和25年以後に生まれた中国残留邦人等であっても、ソ連参戦以後に生じた事由の影響により引き続き中国への残留を余儀なくされた者もいたと考えられることから、その具体的な事情に応じて上記の特例措置の対象となる余地を認め、「ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き 残留を余儀なくされたものと認められる者」については、22年以後準ずる要件に該当するものとして、その対象に含めたものと解される(25年以後引揚困難要件)。 事務処理方針が、24年以前出生要件と25年以後引揚困難要件を定め、昭和24年12月31日以前に生まれたか同日後に生まれたかによって取 扱いを区別した趣旨は、上記のとおりであると解されるところ、その内容は、歴史的背景事情(認定事実総論ア)に裏付けられた相応の根拠を有するものと解される。そして、ソ連参戦以後の混乱等により中国に残留することを余儀なくされた蓋然性の程度に応じ、その蓋然性が一定程度ある昭和24年末までに出生した中国残留邦人等については一律に特別の保護の 対象とし、その後生まれた中国残留邦人等についても、具体的な事情に応じて特別の保護の対象に含めるとするものであって、このような生まれた時期による取扱いの区別は、22年以後準ずる要件の認定において一律に特別の保護を与える範囲を拡大(昭和21年末までから昭和24年末までに拡大)するものであることも考慮すると、明らかに裁量権の逸脱、濫用 とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえない。 - 44 -カ原告らの主張について(ア) これに対し、原告らは、中国残留邦人2世(子 慮すると、明らかに裁量権の逸脱、濫用 とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえない。 - 44 -カ原告らの主張について(ア) これに対し、原告らは、中国残留邦人2世(子である中国残留邦人等)は親である中国残留邦人等にその生存、生活を依拠しており、自ら引き揚げることができないのに、その生まれた時期により取扱いを異にすることは不合理であり、憲法14条の平等原則に反する旨主張する。また、 このような不合理さは、原告らの姉が「特定中国残留邦人等」に該当すると判断されていることに照らして顕著である旨主張する。 しかし、上記イないしオで説示したところに加え、中国残留邦人2世は戦後に生まれた者であって、比較的若い時期に永住帰国した者も含まれ得ることも考慮すると、本人において左右することのできない事情に よる区別であることを考慮しても、上記の区別が明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえないことは前述のとおりである。また、原告らの姉が「特定中国残留邦人等」に該当するのに、原告らがこれに該当しないのは、一定の時期までに出生した中国残留邦人等については、個別の事情によることなく一律に特別の 保護を与え、その後に出生した中国残留邦人等については、個別の事情に応じて特別の保護を与えるという立法政策ないし政策判断によるものであって、この立法政策等が著しく合理性を欠くものでないことは前述のとおりであるから、原告らの姉との結論の差異により直ちに上記の区別が著しく不合理と評価されるものではない。原告らの主張は採用する ことができない。 (イ) また、原告らは、親に引揚困難事由があったか否かは、子が知り得ない生前又は幼少期の事情である上、終戦から70年以上が経過し、主張 ではない。原告らの主張は採用する ことができない。 (イ) また、原告らは、親に引揚困難事由があったか否かは、子が知り得ない生前又は幼少期の事情である上、終戦から70年以上が経過し、主張立証が極めて困難であることから、引揚困難事由がありながら平成19年改正法による施策を受けられないという極めて酷な事態が生じ、平成 19年改正法の立法目的が達成できなくなる旨主張する。 - 45 -しかし、支援法13条1項及び事務処理方針は、このような中国残留邦人等の立証の困難も考慮して、21年以前出生要件及び24年以前出生要件により、昭和24年以前に生まれた中国残留邦人等につき、その個別事情によることなく一律に特別の保護を与えることとした面もあると解されるものの、そのような一律の保護を与える範囲については正に 立法政策ないし政策判断の範疇の問題であり、原告らが主張するような事態が生じ得るからといって、このような取扱いの区別が著しく不合理といえないことはこれまでに説示したとおりであるし、平成19年改正法の趣旨に反するものともいえない。原告らの主張は採用することができない。 キ小括以上によれば、①支援法13条が、永住帰国した中国残留邦人等のうち、昭和21年以前に生まれた者(21年以前出生要件)とその後に生まれた者(22年以後準ずる要件)の取扱いを区別し、さらに、22年以後準ずる要件につき、②支援法施行規則13条の2の厚生労働大臣の認定に係る 指針を定めた事務処理方針が、昭和24年以前に生まれた者(24年以前出生要件)とその後に生まれた者(25年以後引揚困難要件)の取扱いを区別していることにつき、明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえず、何ら合理的理由のない不当な差別的取 その後に生まれた者(25年以後引揚困難要件)の取扱いを区別していることにつき、明らかに裁量権の逸脱、濫用とみざるを得ないほどに著しく合理性を欠くものとはいえず、何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いであるとはいえないから、これらの区別は憲法14条の平等 原則に違反しない。 (3) 支援法13条1項及び事務処理方針が憲法13条に違反するか否かについてア原告らは、中国残留邦人等の「日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利」は、憲法13条で保障される基本的人権であり、平成19年 改正法により設けられた特定中国残留邦人等が一時金の支給を受けること- 46 -ができる権利は、憲法13条により保護される重要な利益であると主張し、支援法13条1項及び事務処理方針の定めは、その目的においてやむを得ないものとはいえず、必要最小限度の制約でもないから、憲法13条に違反する旨主張する。 イしかし、特定中国残留邦人等が一時金の支給を受けることができる権利 は、平成19年改正法により新たに創設されたものであって、憲法13条が保障する自由権としての基本的人権とはその性質を異にする。上記(1)イで説示したとおり、平成19年改正後の支援法13条の規定は、永住帰国後もその多くが困難な状況にある中国残留邦人等に対する積極的な支援のため、いわゆる社会権である憲法25条の趣旨に基づく立法措置として、 国民年金に係る特例措置として定められたものというべきであり、憲法13条により保障される基本的人権に含まれるものとも、これを具体化したものとも解することはできない。したがって、原告らの上記主張は、その前提を誤るものであって採用することができない。 なお、憲法25条の趣旨にこたえて制定された法令等であっても、個人 の尊厳を毀 も解することはできない。したがって、原告らの上記主張は、その前提を誤るものであって採用することができない。 なお、憲法25条の趣旨にこたえて制定された法令等であっても、個人 の尊厳を毀損するような内容の定めを設けている場合には、憲法13条違反の問題を生じ得るというべきであるが(前掲最高裁昭和57年7月7日大法廷判決参照)、支援法13条1項及び事務処理方針の定めは、これまでに説示したところに照らし、中国残留邦人等の個人の尊厳を毀損するような恣意的かつ不合理な内容のものとはいえず、憲法13条に違反すると いうことはできない。 (4) 原告らのその他の主張について原告らは、一律に特別の保護を与えるべき中国残留邦人等(昭和20年9月2日以前から中国の地域に居住している者)を親とする子についても、一律に特別の保護を与えるというのが支援法13条1項の趣旨であるとした上 で、仮に同項の定めが合憲であったとしても、事務処理方針の定めは同項の- 47 -上記の趣旨を逸脱しており、憲法13条及び14条に違反するなどと主張する。 しかし、支援法13条1項の「昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)」 という文言からすれば、同項の定めが、同日後に生まれた中国残留邦人等につき一律に特別の保護を与える趣旨であると解することは困難であり、原告らの上記主張はその前提を誤るものであって採用することができない。 2 争点2(原告らが支援法13条及び支援法施行規則13条の2が定める「特定中国残留邦人等」に該当するか否か)について (1) 認定事実各論前記前提事実並びに掲記の各証拠及び弁 ない。 2 争点2(原告らが支援法13条及び支援法施行規則13条の2が定める「特定中国残留邦人等」に該当するか否か)について (1) 認定事実各論前記前提事実並びに掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。 ア終戦後の南京及び上海の状況(ア) 南京及び上海における邦人の状況 終戦後、上海や南京では、治安が不安定な状態が続いた。上海の日本人は、敗戦前は日本軍の軍事力を背景に中国人に対し優越的な立場にあったが、日本の敗戦を境に立場が逆転し、戦勝国民として圧倒的に優勢な数の中国の民衆に囲まれ、息を潜めて生活しなければならなくなった。 もっとも、上海の中国人は、それまで国際的な雰囲気の中で育まれ、外 国人に対して寛容であったため、日本人が略奪や暴行の被害に遭うことはほとんどなかった。(甲15の2〔344頁〕、17〔70~73頁〕)(イ) 南京及び上海における引揚げの状況日本の敗戦後、中国側の指示により、南京に居住する日本人は集中営において集団生活を送ることとされた。昭和21年3月12日に南京日 僑自治会が作成した「南京在留邦人引揚経過概略」によれば、昭和20- 48 -年12月28日から昭和21年3月13日までの間に、南京(南京市日僑集中営)の邦人1万1181人が、帰国等のため上海に向けて出発したことが記録されている。また、南京大陸新報に勤務していた山中徳雄による「南京一九四五年」には、同年2月10日頃に南京の集中営を出て、無蓋貨物の列車に乗り、2日間かけて上海に移動した旨の記載があ る。(乙21〔144~147頁〕、24)上海を出港地とする引揚船による本邦への引揚げについて、一般邦人の集団引揚げは昭和21年4月にいったん終了したが、その後も比較的小規模な引揚げは継 る。(乙21〔144~147頁〕、24)上海を出港地とする引揚船による本邦への引揚げについて、一般邦人の集団引揚げは昭和21年4月にいったん終了したが、その後も比較的小規模な引揚げは継続していた。例えば、佐世保港には、同年5月から昭和23年12月までに、上海からの引揚船が少なくとも119隻あり、 引揚者9万8967人が乗船した。この引揚者の中には、在留地が南京であった邦人も含まれていた。また、中国における前期集団引揚げが中断していた昭和24年においても、上海を出港地とする本邦への引揚船は少なくとも12隻あり、上海及び南京からの邦人の引揚げは断続的に行われていた。(乙15、17~19) イ原告ら家族の生活状況等(ア) 父Cは、大正元年に福岡県において出生し、その後、6歳の時に父が、17歳の時に母が他界し、昭和8年1月に海軍に入隊した。父Cは、その後中国に渡り、南京海軍軍需部において勤務した後、昭和18年頃に除隊し、終戦時までJという日中合弁会社のKに勤務した。 父Cは、昭和15年、中国人であった母Dと中国で婚姻し、終戦までに二人の娘(長女E、二女F)をもうけた。終戦当時、父Cら家族(当時は、父C、母D、長女E、二女Fの4人)は、南京郊外の日本人用の社員寮に居住していた。(以上につき、甲26の2、乙3の2〔18頁〕、10〔5、85、96、97頁〕、長女E1頁、原告B29頁) (イ) 父Cは、昭和20年8月の終戦当時上海に出張中であり、同年秋頃に- 49 -南京の社員寮に戻った。父Cら家族は、父Cが帰宅した後、社員寮を退去して南京市内に住む母Dの親戚宅に行くことになり、徒歩で親戚宅まで移動した。終戦当時、父Cの両親は既に死亡しており、日本にいる父Cの肉親は実妹のみであった。また、母Dは中 が帰宅した後、社員寮を退去して南京市内に住む母Dの親戚宅に行くことになり、徒歩で親戚宅まで移動した。終戦当時、父Cの両親は既に死亡しており、日本にいる父Cの肉親は実妹のみであった。また、母Dは中国語と片言の日本語を話すことができたが、父Cと長女Eは中国語を話すことができなかった。 (甲16、22、長女E2~4、21、22頁、原告B28、29頁)(ウ) 父Cら家族は、その後数年間にわたり、母Dの親戚宅に居候して暮らした。父Cは、昭和24年頃、Lという会社に就職し、昭和25年、転勤により家族(当時は、父C、母D、長女E、二女F及び三女Gの5人)と共に南京から北京に転居した。北京への転居後、長女Eは小学校に通う ようになり、二女F、三女Gのほか、その後に生まれた四女H、原告A、原告B及び長男Iも、順次、小学校や中学校に通った。原告ら家族は、父Cの給料のみで生活費を賄っていたが、父Cは技師(工程師)として相当程度の待遇を受けていたため、衣食住に困るようなことはなかった。 (甲16、26~28、長女E11、12、15~18、20、21、2 4、26頁、原告B9、17~22頁)(エ) 父Cは、文化大革命(毛沢東が主導して昭和41年頃に始まり昭和51年頃に終わったとされる政治闘争)の最中である昭和45年頃に、日本人スパイの疑いをかけられて逮捕され、1年弱の間、身柄を拘束された。父Cは、その間に脳梗塞を発症し、右半身に後遺症が残った状態で 帰宅した(甲16、27、28、乙3〔20、23頁〕、原告B1、2頁、原告A5、6頁)。 父Cは、逮捕される前は、家族に対して日本への帰国について話すことはなかったが、日本人スパイの嫌疑で身柄拘束された後は、日本に帰国したいなどと話すようになった(長女E25頁、原告B6、25~2 父Cは、逮捕される前は、家族に対して日本への帰国について話すことはなかったが、日本人スパイの嫌疑で身柄拘束された後は、日本に帰国したいなどと話すようになった(長女E25頁、原告B6、25~2 7、29頁)。 - 50 -(オ) 父Cは、昭和19年秋頃を最後に、日本にいる唯一の肉親である実妹と連絡を取っていなかったが、昭和49年1月、父Cが実妹に手紙を送ったことをきっかけに、実妹と連絡を取り合うようになった。父Cが同年2月12日頃に作成した実妹宛て手紙には、父Cがここ数年来帰国を希望し、妹と通信ができて以来、更に帰国の希望が高まっていること、 父Cが一時金の方式で養老金の支給を受けられれば、家族全員を連れて日本に帰国するつもりであること、父Cが同年1月18日頃から体調不良であることなどが記載されている。また、父Cが同年7月8日頃に作成した実妹宛ての別の手紙には、体調が回復したら日本に帰りたいと考えていることなどが記載されている。(乙10〔45~50、52~5 7、68頁〕)(カ) 父Cは、昭和50年▲月▲日、一度も日本に帰国することなく、中国において病死した(甲26、乙10〔1頁〕)。 ウ原告ら家族の永住帰国原告ら家族のうち、昭和62年12月4日に二女Fが、平成4年8月7 日に母D、原告A及び長男Iが、平成6年8月3日に四女Hが、平成6年8月12日に原告Bが、平成7年4月14日に三女Gが、平成12年8月8日に長女Eが、それぞれ日本に永住帰国した(乙1)。 エ母Dらに対する一時金支給決定厚生労働大臣は、平成20年3月28日付けで、母D、長女E及び二女 Fに対し、同年5月29日付けで、三女Gに対し、支援法13条3項に基づく一時金を支給する旨の決定をした。 オ父Cに係る未帰還者の調査( 平成20年3月28日付けで、母D、長女E及び二女 Fに対し、同年5月29日付けで、三女Gに対し、支援法13条3項に基づく一時金を支給する旨の決定をした。 オ父Cに係る未帰還者の調査(ア) 昭和34年4月1日に施行された未帰還者に関する特別措置法(以下「未帰還者特措法」という。)により、厚生大臣(当時)が「未帰還者」 と認定した場合は、戦時死亡宣告の請求をすることができることとなっ- 51 -た。 昭和38年7月、実妹により、父Cが昭和24年3月1日現在日本に帰国していない旨の届出がされたことから、父Cの生死について、厚生省等により調査が行われた。(以上につき、乙10〔86、87頁〕)(イ) この調査において、JのKで父Cの同僚であった者(元同僚)は、昭 和40年10月11日頃、厚生省に対し、父Cに関する情報を記載した元同僚証明書を提出した。元同僚証明書には、①父Cが、海軍を除隊した後、JのKにおいて、採鉱現場の機械係監督として従事していたこと、②元同僚と父Cは、作業場の関係や同郷の意味等で特に親しくしていたこと、③終戦後、元同僚は南京の集中営において集団生活をしていたが、 父Cは南京の郊外であるα(終戦前の日本人街)に住居を構え、中国人の妻及び女の子供と3人で生活していることを知ったこと、④昭和21年2月10日頃、元同僚が日本に引き揚げる際に、上海において父Cと小宴を催し、その際、父Cは、父Cの消息について故郷の肉親に絶対に知らせてくれるなと言っていたこと、⑤父Cは日常よく酒を好み、酒乱 の気質もあったため、父Cの不規則・不健康な生活ぶりを考えると、生死の程がいかがかと考えさせられることなどが記載されていた。(乙10〔6~8頁〕)(ウ) 父Cは、昭和42年3月6日付けで、未帰還者特措法上 ったため、父Cの不規則・不健康な生活ぶりを考えると、生死の程がいかがかと考えさせられることなどが記載されていた。(乙10〔6~8頁〕)(ウ) 父Cは、昭和42年3月6日付けで、未帰還者特措法上の未帰還者に該当すると認定された。実妹は、同年5月、父Cについて戦時死亡宣告 の審判を申し立て、昭和43年2月にその審判が確定したが、昭和49年1月13日に父Cから実妹に連絡があったため、実妹が戦時死亡宣告の取消しの審判を申し立て、同年7月7日、その取消しの審判が確定した。(乙10〔44、52、53、58~61頁〕)(2) 判断枠組み 前記関係法令等の定め(第2の1(4))のとおり、原告らは、昭和28年又- 52 -は昭和31年に出生した者であることから、21年以前出生要件及び24年以前出生要件を満たさないため、「特定中国残留邦人等」に該当するためには、25年以後引揚困難要件を満たす必要がある。そして、原告らが25年以後引揚困難要件を満たすか否かは、原告らが出生した当時、その養育監護を行っていた原告らの両親について、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響に より、引き続き残留を余儀なくされたものと認められるか否かを判断することとなる。 (3) 検討ア原告らが出生した当時原告らの両親がソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたものと認められるか否か (ア) 原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時の邦人の引揚げに関する客観的な状況についてみると、昭和28年3月から昭和33年7月まで、中国の地域において後期集団引揚げが21回にわたり実施されており、その間に合計3万2525人の邦人が引き揚げたほか(認定事実総論ア(エ))、後期集団引揚げ終了後も、個別引揚げとして国が船運賃 を の地域において後期集団引揚げが21回にわたり実施されており、その間に合計3万2525人の邦人が引き揚げたほか(認定事実総論ア(エ))、後期集団引揚げ終了後も、個別引揚げとして国が船運賃 を負担し年間100人前後が帰還していたことが認められる(認定事実総論ア(オ))。このように、昭和28年ないし昭和31年当時の客観的な状況として、邦人が日本に帰国する手段は存在し、少なくない数の邦人が中国の地域から帰国していたものであり(なお、原告ら家族が後期集団引揚げや個別引揚げの対象に含まれないとは認められない。)、中国 からの邦人の引揚げが一般的に困難であったとは認め難い。 (イ) また、昭和28年ないし昭和31年当時の父Cや原告ら家族の生活状況等についてみると、父Cは、昭和24年頃にLに就職し(なお、父Cは、国民政府軍や中国共産党軍により日本人技術者として強制的に留用されたものではない。)、昭和25年に転勤により母D及び3人の子(長 女E、二女F及び三女G)と共に北京に転居し、昭和35年までにさら- 53 -に4人の子(四女H、原告A、原告B及び長男I)をもうけ、その7人の子らは順次北京の小学校や中学校に通っていたこと、原告ら家族は、父Cの給料のみで生活費を賄っていたが、父Cは技師(工程師)として相当程度の待遇を受けていたため、衣食住に困るようなことはなかったこと(認定事実各論イ(ウ))が認められる。このような当時の安定した生活 状況等に加えて、①母Dは、もともと中国人であって日本に行ったことはなく、日本語も片言程度しか話せなかったこと(認定事実各論イ(イ))、②父Cの両親は既に他界し、日本にいる父Cの肉親は実妹のみであったこと(同上)、③父Cは、その唯一の肉親である実妹とすら、昭和19年秋頃を最後に約30年間にわた かったこと(認定事実各論イ(イ))、②父Cの両親は既に他界し、日本にいる父Cの肉親は実妹のみであったこと(同上)、③父Cは、その唯一の肉親である実妹とすら、昭和19年秋頃を最後に約30年間にわたり全く連絡を取っていなかったこと(認 定事実各論イ(オ))、④父Cと母Dが、当時、日本への引揚げの時期や方法について相談していたことはうかがわれず、その具体的な手続について調べたり関係機関の許可等を求めたりしていた形跡も見当たらないことなどの事情も考慮すると、父Cは、いつか生まれ育った日本に帰国したいという漠然とした希望を持っていた可能性は否定し難いものの、日 本語が不自由な母Dや子らと共に、既に両親もおらず住む家も仕事もない日本に永住帰国することは、少なくとも昭和28年ないし昭和31年当時においては現実的な選択ではなかったと考えられ、むしろ、北京において母D及び子らと共に安定した生活を続けることを望んでいたと考えるのが自然である。ましてや、もともと中国人であった母Dにおいて は、困難を覚悟して日本に行くよりも、北京において安定した生活を続けることを望んでいたはずである(なお、原告Bの供述によれば、母Dが日本に行きたいという話をするようになったのは、父Cが逮捕された昭和45年以後のことであり〔原告B29頁〕、昭和28年ないし昭和31年当時、母Dが日本に行くことを望んでいたことを裏付ける事情や 証拠は見当たらない。)。 - 54 -(ウ) さらに、父Cが作成した手紙などの資料をみると、父Cが昭和49年頃に作成した実妹宛て手紙には、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたことを裏付けるような具体的な事情は何らうかがわれない。かえって、実妹宛て手紙には、ここ数年来、帰国を希望し、最近、相互に 紙には、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたことを裏付けるような具体的な事情は何らうかがわれない。かえって、実妹宛て手紙には、ここ数年来、帰国を希望し、最近、相互に通信ができて以来、さらに帰国の希望が高ま った旨の記載があるところ、父Cは、文化大革命の最中である昭和45年に日本人スパイの嫌疑で逮捕されるなど理不尽な扱いを受け、健康を害するなどしていることからすると、上記記載のとおり、その頃(昭和49年の数年前頃)から日本への帰国を希望するようになったと考えるのが自然である。また、実妹宛ての別の手紙やM宛て手紙を詳細に検討 しても、昭和45年以前から父Cが日本への帰国を強く望んでいたにもかかわらず、引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたことを裏付けるような具体的な事情は何らうかがわれない。 (エ) 以上によれば、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時、中国からの邦人の引揚げが一般的に困難であったとは認め難く、そのよ うな状況においても原告らの両親(父C及び母D)が子らを連れて日本に帰国しなかったのは、北京での安定した生活を続けることを望み、(少なくとも文化大革命の際に父Cが逮捕される頃までは)そもそも日本に永住帰国する意思を有していなかったからであると認めるのが相当である。したがって、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年当時、 原告らの両親について、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたものとは認められないから、原告らについても、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたものとは認められない。 イ原告らの主張(終戦直後の引揚困難事由とその継続)について 原告らは、①終戦当時の事情として 連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたものとは認められない。 イ原告らの主張(終戦直後の引揚困難事由とその継続)について 原告らは、①終戦当時の事情として、父Cが昭和20年秋頃に上海から- 55 -帰宅したときには、既に引揚げの登録が締め切られており、上海への列車の運行もなくなり、父Cら家族が日本に帰国する途が閉ざされてしまったなどと主張し、②その後、原告ら家族は、日本人であることを隠して生きていくことを余儀なくされ、日本人として登録されていなかったため、後期集団引揚げ時においても引揚げの機会は与えられなかったなどと主張す る。 しかし、①の点については、終戦直後の時期において、原告らの両親につき引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされた事情があったとしても、原告らが出生した昭和28年ないし昭和31年の時点でそのような事情がなければ、原告らにつき25年以後引揚困難要件を認めるこ とはできないというべきであり、終戦直後の引揚困難事由の有無は、直ちに本件の結論を左右するものとはいえない。また、この点をひとまず措くとしても、当時の資料として、昭和20年12月28日から昭和21年3月13日までの間に、1万人以上の邦人が南京の集中営から上海に向けて出発した記録や、昭和21年2月に南京から上海に向かう列車に乗った者 の手記が残されており(認定事実各論ア(イ))、昭和20年秋頃の時点では、南京の集中営に多数の邦人が収容されていたことがうかがわれるし、その時点で上海に向かう移動手段がなかったとも認められない。また、上海を出港地とする引揚船による本邦への引揚げについて、一般邦人の集団引揚げは昭和21年4月にいったん終了したが、その後も、佐世保港には、同 年5月から昭和 がなかったとも認められない。また、上海を出港地とする引揚船による本邦への引揚げについて、一般邦人の集団引揚げは昭和21年4月にいったん終了したが、その後も、佐世保港には、同 年5月から昭和23年12月までに、上海からの引揚船が少なくとも119隻あり、在留地が南京であった邦人も含め、引揚者9万8967人が乗船したこと(認定事実各論ア(イ))などが認められるから、父Cが帰宅した昭和20年秋頃の時点で、父Cら家族が前期集団引揚げに参加することが客観的に困難であったとは認められない。 また、②の点については、父Cが、就職した会社や知人友人等に日本人- 56 -であることを徹頭徹尾隠していたのかは証拠上必ずしも明らかでないし(父Cは、後に日本人スパイの嫌疑で逮捕されるなどしており、日本人であることを一部の者に明かしていた可能性は否定し難い。)、仮に日本人であることを隠していたとしても、それは日本人であることを明らかにして日本に永住帰国する途を探すよりも、日本人であることを隠して家族と 共に中国に残留する方が良いと考えて選択した結果であるとも考えられ、父Cが日本人であることを隠していたことについて、ソ連参戦以後の引揚困難事由又はその影響と評価することは困難である。また、そもそも、終戦直後に、父Cが家族と共に日本に永住帰国する意思を有していたと認めるに足りる証拠はなく、かえって、元同僚が作成した元同僚証明書には、 「昭和21.2.10頃、最後の別れに訪れたC氏と小宴を催したとき、彼は彼の消息については絶対知らせてくれるな(故郷の肉親に)と言っていました」と記載されているし、父Cは、実際にも実妹と約30年間にわたり全く連絡を取っていなかったのであって(なお、M宛て手紙にも、「私は非常にこまることは1940年前後以来 故郷の肉親に)と言っていました」と記載されているし、父Cは、実際にも実妹と約30年間にわたり全く連絡を取っていなかったのであって(なお、M宛て手紙にも、「私は非常にこまることは1940年前後以来音信を断って居ります」との記 載がある。)、このような父Cの元同僚に対する発言等に照らすと、父Cは、終戦直後において、既に家族と共に中国に残留することを決めていたと考えるのが自然であり、家族と共に日本に永住帰国する意思を有していたとは認め難い。 したがって、原告らの上記①及び②の主張は、いずれも採用することが できない。 ウその他の原告らの主張について(ア) 父Cの日本人との接触等に関する出来事について原告らは、父Cには日本に帰国する意思があった旨主張し、その根拠として、①昭和27年に日本の民間貿易団が北京を訪れた際、父Cが会 社の上層部に対しその団体との面会を求めたが許可されなかったこと- 57 -(甲27、原告B23~25頁)、②昭和36年に日本の国会議員が中国を訪れた際、父Cが随行員に面会したい旨を会社に申請したが認められなかったこと(甲28、原告A14、15頁)、③昭和38年頃に父Cと原告Aが北京で開催された展覧会に行った際、父Cが日本人と思われる者と日本語と思われる言語で会話をしていたこと(甲28、原告A1、 2頁)、④昭和47年に当時の田中角栄総理大臣が中国を訪れた際、随行者に同窓生がいることを知って、父Cが関係各方面に面会の斡旋を依頼したが認められなかったこと(甲28、原告A7~9頁)などの事情を挙げ、原告らもこれらを裏付ける供述等(上記各証拠のとおり)をする。 しかし、原告らが主張する上記①ないし④の事情があったとしても、父Cが民間貿易団や随行員等に面会を求めた動機や目的は明らか げ、原告らもこれらを裏付ける供述等(上記各証拠のとおり)をする。 しかし、原告らが主張する上記①ないし④の事情があったとしても、父Cが民間貿易団や随行員等に面会を求めた動機や目的は明らかでなく、父Cが展覧会で日本人と思われる者と話した内容も不明であることから、これらの事情をもって、父Cが日本に帰国する方法や機会を模索していたと推認することはできないし、原告らが出生した当時、父Cが 日本に永住帰国する意思を有していたとも認められない。原告らの上記主張は採用することができない。 なお、原告らは、父Cに帰国の意思があった根拠として、父Cが昭和47年の日中国交正常化のニュースを聞いた時にとても喜んでいたことも挙げるが(原告B2~4頁)、文化大革命の期間に父Cが日本人スパ イの嫌疑で逮捕された後の話であって、上記認定判断を左右するものではない。また、原告らは、以上のほかにも、父Cに帰国の意思があったことや引揚困難事由があったことについて、様々な事情を指摘して主張するが、いずれも上記認定判断を左右するには足りない。 (イ) 実妹宛て手紙及び元同僚証明書の信用性等について 原告らは、①父Cの実妹宛て手紙の、ここ数年来、帰国を希望し、最- 58 -近、相互に通信ができて以来、さらに帰国の希望が高まった旨の記載は、新たに帰国の希望が生じたということではなく、ずっと抱いていた帰国の希望をますます募らせていたことの現れであるとか、②元同僚が作成した元同僚証明書については、20年以上も前のことで記憶が薄れている、終戦当時父Cは4人家族(娘2人)であったのに3人家族(娘1人) と間違っている、酒乱で不健康な生活ぶりなどいった憶測が不自然に述べられているなどとして、信用性を欠く主張する。 しかし、上記①及び②の主張のと 人家族(娘2人)であったのに3人家族(娘1人) と間違っている、酒乱で不健康な生活ぶりなどいった憶測が不自然に述べられているなどとして、信用性を欠く主張する。 しかし、上記①及び②の主張のとおりであったとしても、本件の結論が左右されるものとは考え難いが、その点をひとまず措くとしても、上記①の点については、実妹宛て手紙の内容や、その頃の父Cの境遇(昭 和45年に逮捕され、1年近く身柄を拘束され、健康を害したこと)からは、父Cが実妹宛て手紙を作成した昭和49年の数年前(ここ数年来)から、日本への帰国を希望するようになったと理解するのが自然であり、原告らが主張する読み方には無理があるといわざるを得ない。また、上記②の点については、元同僚が作成した元同僚証明書には、原告らが指 摘するとおり不正確なところはあると思われるが、元同僚が何らかの意図を持って虚偽の事実を述べているとか、全くの人違いをしているとは考え難く、少なくとも、別れの小宴の際に「彼は彼の消息については絶対知らせてくれるな(故郷の肉親に)と言っていました」という部分は、実際に父Cが実妹と約30年間にわたり連絡を取っていなかったこと や、M宛て手紙にもこれに沿う記載があることからしても、信用するに足りるというべきである。原告らの主張は採用することができない。 エ小括以上によれば、原告らが出生した当時、原告らの両親について、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたもの とは認められないから、原告らについても、ソ連参戦以後の引揚困難事由- 59 -の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものとは認められない。したがって、原告らは、25年以後引揚困難要件に該当するとは認められず、支援法施行規則13条の2の要件に該当する 難事由- 59 -の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものとは認められない。したがって、原告らは、25年以後引揚困難要件に該当するとは認められず、支援法施行規則13条の2の要件に該当するとは認められないから、支援法13条1項の22年以後準ずる要件を満たさないため、原告らは「特定中国残留邦人等」に該当しない。 第4 結論よって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第7民事部 裁判長裁判官徳地 淳 裁判官太田章子 裁判官関 尭熙 - 60 -(別紙)関係法令等 1 支援法(1) 支援法1条は、同法は、今次の大戦に起因して生じた混乱等により本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なく された中国残留邦人等及びそのような境遇にあった中国残留邦人等と長年にわたり労苦を共にしてきた特定配偶者の置かれている事情に鑑み、中国残留邦人等の円滑な帰国を促進するとともに、永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援を行うことを目的とする旨定める。 (2) 支援法2条1項は、同法において「中国残留邦人等」とは、次に掲げる者 をいう旨定める。 ア中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し、引き続 き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働 て日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し、引き続 き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者(同項1号)イ中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にあるものとして厚生労働省令で定める者(同項2号)(3) 支援法13条1項は、永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日 以後に生まれた者であって、永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって、昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)に係る昭和36年4月1日から初め て永住帰国した日の前日までの期間であって政令で定めるものについては、- 61 -政令で定めるところにより、国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年法律第34号。支援法13条3項において「昭和60年法律第34号」という。)1条の規定による改正前の国民年金法(昭和34年法律第141号)(以下「旧国民年金法」という。)による被保険者期間(以下「旧被保険者期間」という。)又は国民年金法7条1項1号に規定する第1号被保険者とし ての国民年金の被保険者期間(以下「新被保険者期間」という。)とみなす旨定める。 (4) 支援法13条2項は、同条1項に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は、旧被保険者期間又は新 被保険者期間(同項の規定により旧被保険者期間又は新被保険 上の者に限る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は、旧被保険者期間又は新 被保険者期間(同項の規定により旧被保険者期間又は新被保険者期間とみなされた期間を含み、旧国民年金法5条3項に規定する保険料納付済期間、国民年金法5条1項に規定する保険料納付済期間その他の政令で定める期間を除く。支援法13条4項において同じ。)に係る保険料を納付することができる旨定める。 (5) 支援法13条3項は、国は、特定中国残留邦人等に対し、厚生労働省令で定めるところにより、当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(同条1項の規定により旧被保険者期間とみなされた期間を含む。)及び昭和60年法律第34号附則8条2項に規定する厚生年金保険の被保険者期間(政令で定める期間に限る。)並びに国民年金法による被保険者期間(支援法13条1 項の規定により新被保険者期間とみなされた期間を含み、政令で定める期間を除く。)に応じ、政令で定める額の一時金を支給する旨定める。 (6) 支援法13条4項は、国は、同条3項の一時金の支給に当たっては、特定中国残留邦人等が満額の老齢基礎年金等の支給を受けるために納付する旧被保険者期間又は新被保険者期間に係る保険料に相当する額として政令で定め る額を当該一時金から控除し、当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険- 62 -料を納付するものとする旨定める。 2 支援法施行規則(1) 支援法施行規則1条は、支援法2条1項1号に規定する厚生労働省令で定める者は、次のとおりとする旨定める。 ア中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦 に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって出生の届出 次のとおりとする旨定める。 ア中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦 に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって出生の届出をすることができなかったために同日において日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生の日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに限る。)(同条1号) イ中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし、かつ、同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)を 父親として同月3日以後中国の地域で出生し、引き続き中国の地域に居住している者(同条2号)ウ中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたも の及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し、引き続き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者(同条3号)(2) 支援法施行規則13条の2は、支援法13条1項に規定する厚生労働省令で定める者は、昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦 人等(永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。 - 63 -以下この条において同じ。)であって、その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれてい から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。 - 63 -以下この条において同じ。)であって、その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとする旨定める。 3 事務処理方針事務処理方針は、支援法13条3項に基づく一時期の支給申請につき、「(4)昭和二十四年十二月三十一日までに出生した者であること。」(24年以前出生要件)又は「(5) 昭和二十五年以降に出生した者であって、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる 者であること。」(25年以後引揚困難要件)を満たさないものについては、申請を却下すべきである旨定める。

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