主文 被告人を懲役2年6月に処する。 未決勾留日数中70日をその刑に算入する。 その刑の一部である懲役6月の執行を2年間猶予し,その猶予の期間中被告人を保護観察に付する。 理由 (犯行に至る経緯)被告人は,昭和49年,A(以下,「A」という。)と結婚し,B(以下,「B」という。)とC(以下,「C」という。)の2人の子をもうけたところ,平成4年11月,既にAとは別居状態になっていたものの,A所有の愛知県弥富市ab丁目c番地d及びe番地f所在の土地(以下,「本件土地」という。)上に,Aが住宅ローンを支払うものとして同市ab丁目c番地d及びe番地f所在のA所有家屋(鉄骨造スレート葺2階建,床面積合計121.06平方メートル。以下,「本件家屋」といい,本件土地と合わせて「本件物件」という。)が建てられ,義母が平成18年2月頃に亡くなるまで世話をしつつ,Bらと共に本件家屋に居住し,その一部において喫茶店を営業して生計を立てながら,平成28年1月8日当時,Bと2人で暮らしていた。 被告人は,平成24年頃,Bを伴ってAの負債等につき弁護士に相談し,弁護士からは破産手続等の助言を受けたものの,特段の措置を講ずることなく過ごしていたが,Aの一般債権者である株式会社Dによる申立てを受け,平成26年9月19日,本件物件につき強制競売開始決定がされ,同年12月に独立行政法人Eによる差押えや,平成27年4月に株式会社Fによる差押えもされ,同年10月27日,入札価額1100万1000円で買受人となった有限会社Gが本件物件につき代金納付して所有権を取得した。被告人は,同年11月 差押えや,平成27年4月に株式会社Fによる差押えもされ,同年10月27日,入札価額1100万1000円で買受人となった有限会社Gが本件物件につき代金納付して所有権を取得した。被告人は,同年11月初旬以降,前記Gの代表取締役に委託を受けた株式会社Hの従業員Iから複数回にわたり立ち退きに関する説明を受けるなどしたが,自ら退去する意思を示さず,同年12月10日,前記Iととも に被告人方を訪れた名古屋地方裁判所執行官から,平成28年1月10日を引渡し期限とする明渡しの催告(民事執行法168条の2第1項本文)を受け,強制執行実施予定日時が同月8日午前10時である旨を告知されるなどして,立退同意書を提出した。なお,被告人は,平成27年夏頃,本件物件が競売にかけられていることを知ったCから,いざとなったらCが夫や子らと住む自宅に来るよう言われ,立ち退き日が決まった際には教えるようにも言われていたが,Cに対して明渡しの催告を受けたことを話さず,実妹であるJや同居するBに対しても相談することはなかった。 被告人は,所有権が前記Gに移った以上は本件家屋を明け渡さなければならないと理解してはいたものの,長年にわたり義母やBなどの家族と居住してきた住居であるとともに,経営する喫茶店店舗でもある本件家屋に対する愛着の強さや,長年別居している夫のせいで生活と仕事の本拠地を失うことに対する悔しさといった感情を拭うことはできず,心の整理が付かずにいた。そうした中,被告人は,愛着のある本件家屋を取られるのならば燃やしてなくしてしまい,自らもともに消えてしまいたいとの想念も抱くようになり,平成28年1月6日には灯油用ポリタンクを,同月7日には灯油約12リットルをそれぞれ購入しつつも,直ちに放火するまでの決心は付かず,かといって立ち退きに納得することができず何 の想念も抱くようになり,平成28年1月6日には灯油用ポリタンクを,同月7日には灯油約12リットルをそれぞれ購入しつつも,直ちに放火するまでの決心は付かず,かといって立ち退きに納得することができず何の準備もしないままに強制執行実施予定日の同月8日に至った。 (罪となるべき事実)被告人は,平成28年1月8日午前8時頃にBが出勤し,同日午前9時前に前記Iから立ち退きに関する電話連絡を受け,いよいよ立ち退くべき時刻が現実のものとして目前に迫り,追い詰められた心境に至って本件家屋を放火しようと決意し,同日午前9時頃,Bが現に住居として使用している本件家屋1階北東側和室において,床上に敷かれたカーペットに灯油をまいた上,同カーペットにチャッカマン型ライターで点火して火を放ち,その火を同家屋の柱及び天井等に燃え移らせ,よって,同家屋の一部を焼損(焼損面積合計約41.625平方メートル)したもので ある。 (法令の適用)罰条刑法108条刑種の選択有期懲役刑を選択酌量減軽刑法66条,71条,68条3号未決勾留日数の算入刑法21条刑の一部執行猶予刑法27条の2第1項保護観察刑法27条の3第1項訴訟費用の不負担刑事訴訟法181条1項ただし書(量刑の理由)被告人は,息子と2人で居住する本件家屋からの立ち退きを迫られ,本件家屋の住宅ローンを含む多額の夫の借金により本件家屋を失う悔しさや愛着のある自宅を他人に取られたくないなどの思いから,本件家屋に火を放ち,本件家屋とともに自分も死んで消えようなどと考え,本件犯行に及んだものである(なお,被告人は,公判において,他人に取られたくないという思いはなかったと述べているが, どの思いから,本件家屋に火を放ち,本件家屋とともに自分も死んで消えようなどと考え,本件犯行に及んだものである(なお,被告人は,公判において,他人に取られたくないという思いはなかったと述べているが,明渡しの催告を受けた後,退去の準備を全くしていなかったこと,執行予定日時の約1時間前に本件犯行に及んだこと,本件家屋は,被告人が長年住んで喫茶店を営業するなど生活の根幹をなしてきたものであることなどからすると,被告人の本件家屋への執着心は極めて強く,被告人が検察官に供述した(乙7)とおり,本件犯行に際して他人に取られたくないとの心情が大きかったのは明らかである。)。被告人が本件家屋からの立ち退きを余儀なくされるに至った経緯には気の毒な面があり,その点のみを捉えれば同情を禁じ得ないものの,将来を悲観すべき深刻な状況に追い詰められて放火を余儀なくされたものではなく,かえって本件家屋への愛着や本来ならば夫に対してのみ向けるべき悔しさや怒りなどの感情を,放火という形で全く落ち度のない他人や社会一般に対して転嫁し発散したとみるべきことからすれば,その動機は短絡的かつ身勝手なものである。しかも,本件犯行は,その約1か月前 にされた明渡しの催告と約1時間後に行われる予定の明渡執行の間にされたもので,明渡執行の妨害の要素もあり,催告制度を踏みにじるものであったことも併せると,本件犯行経緯,動機については相応に厳しい非難を加えざるを得ない。また,周辺の家屋への延焼可能性が乏しかったとはいえ,灯油を用いて一軒家に放火した行為は危険性が高く悪質であり,しかも,周辺住民に不安を与えたことや,既に競売で取得した他人が所有する本件家屋の3分の1余りを焼損させて居住不可能にしたことも併せ考慮すれば,幸いにも死傷者が出なかったことや本件家屋所有者の財産的被害の大半が 民に不安を与えたことや,既に競売で取得した他人が所有する本件家屋の3分の1余りを焼損させて居住不可能にしたことも併せ考慮すれば,幸いにも死傷者が出なかったことや本件家屋所有者の財産的被害の大半が保険により回復したことを踏まえても,その結果は重い。 以上からすれば,本件は,とりわけ典型的な自殺や心中の目的の事案とは異なり,自殺目的は副次的であり,他人に本件家屋を取られたくないという心情が強く,そのような動機から本件犯行に及んだのは身勝手であるといわざるを得ず,動機に対する非難の程度は強く,本件を自殺や心中の目的の範ちゅうに属する現住建造物等放火の事案としてみてもやや悪質な部類に入るといえるから,法定刑の最下限では重すぎるとして酌量減軽をすべきであるとはいえるものの,その刑の全部の執行を猶予することが相当な事案とまではいえず,被告人を実刑に処することは免れない。 そして,前記のとおり,経緯においては同情できる事情があることのほか,被告人に前科前歴がないこと,従前義母の面倒も看つつ真面目に稼働してきたこと,深まりが足りないとはいえ被告人なりに反省していることなど被告人に有利な事情が認められることも併せ考慮すると,被告人に対しては,酌量減軽をした最下限の刑に処するのが相当であるもっとも,被告人は,頼ることができるはずの家族を持ち,生活する上で他に採り得る手段がない状況にまで追い込まれていたわけではなく,しかも,明渡しの催告を受けてからだけでも約1か月ほどの時間があったにもかかわらず,転居の準備を全くせず,かといって誰にも相談することもしないで,常識に照らして何の解決にもならず,かえって他に著しい迷惑をかけることが分かりきっている放火を選択したものである。このように被告人が短絡的に重大な放火事案に及んでおり,規範 意識に問題があっ 常識に照らして何の解決にもならず,かえって他に著しい迷惑をかけることが分かりきっている放火を選択したものである。このように被告人が短絡的に重大な放火事案に及んでおり,規範 意識に問題があったことは明白である上,被告人の家族は,被告人の更生への協力を申し出ているが,被告人の更生に向けた十分な態勢を講じているわけではなく,それぞれの家族関係や生活状況等にも照らすと,家族による被告人の指導監督に多くを期待するには無理があることや,被告人が家族に対してすら弱みを見せることをよしとせず,困難に直面した際に家族等に頼ったり相談したりすることが難しい性格の持ち主であることにも照らせば,本件のような放火の挙に出ることは考えにくいものの,再び自暴自棄になるなどした際に反社会的な行動に出るおそれは否定できず,再犯の防止のためには社会復帰の際には保護観察所の指導を含む公的な支援を一定期間受けさせる必要がある。また,被告人が自発的に頼ることができるかという問題はあるものの,その家族が前記のとおり被告人の更生への協力の意向を申し出ていることや,被告人自身が更生への意欲を見せていることも併せ考慮すれば,被告人に対しては,懲役刑の一部について一定期間その刑の執行を猶予することは相当であるということができ,また,家族との関わり方を良好なものとさせるべく,その猶予の期間中保護観察に付することで,公的な支援を受けつつ社会復帰後の更生に臨ませるべきであると判断した。 (求刑懲役5年,弁護人の量刑意見執行猶予付き判決)(検察官木原直哉,同渡部洋子,国選弁護人浦田昭各出席)平成28年6月24日名古屋地方裁判所刑事第1部 裁判長裁判官山田耕司 席) 平成28年6月24日 名古屋地方裁判所刑事第1部 裁判長 裁判官 山田耕司 裁判官 渡邉健司 裁判官 小暮純一
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