令和5(う)1481 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反

裁判年月日・裁判所
令和6年10月22日 東京高等裁判所 東京地方裁判所 令和1合(わ)219
ファイル
hanrei-pdf-93573.txt

判決文本文31,854 文字)

- 1 -令和6年10月22日宣告東京高等裁判所第12刑事部判決令和5年第1481号殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 主文 本件控訴を棄却する。 理由 第1 本件事案の概要、原審における争点等本件各公訴事実の要旨は、被告人が、①平成31年3月20日、東京家庭・簡易裁判所1階東側玄関において、夫婦関係調整(離婚)調停中の妻である被害者(当時31歳)に対し、殺意をもって、同人の背後から、持っていた折りたたみ式ナイ フでその右頸部を切り付け、失血死させて殺害し、②業務その他正当な理由による場合でないのに、同日、a公園において、折りたたみ式ナイフ4本を携帯したというものである。 原審において、被告人が、公訴事実の各行為をしたことに争いはなく、責任能力の有無が争点とされ、原審検察官は、犯行当時被告人は、少なくとも統合失調症 の重度の症状はなく、何らかの精神疾患があったとしても、正常な精神作用を失っていない、又は、正常な精神作用をある程度失っていたとしても、その程度は著しくなかったとして完全責任能力を、原審弁護人は、統合失調症の圧倒的影響による心神喪失を、それぞれ主張し、原判決は、本件各公訴事実について、統合失調症の症状である妄想、幻聴の圧倒的影響により行われたものであり、被告人は心神喪失 の状態にあったと判断して、無罪を言い渡した。 本件では、起訴前にA医師による精神鑑定が行われ(以下「第1鑑定」という。)、A医師は犯行時及び犯行前において精神疾患の有意な影響は認められないと鑑定したが、起訴後の公判前整理手続中に、裁判員法50条による精神鑑定が実施され(以下「第2鑑定」という。)、改めて鑑定を受託したA医師は、被告人は、 おいて精神疾患の有意な影響は認められないと鑑定したが、起訴後の公判前整理手続中に、裁判員法50条による精神鑑定が実施され(以下「第2鑑定」という。)、改めて鑑定を受託したA医師は、被告人は、 統合失調症にり患しており、その強い影響を受け、本件行為に至ったと鑑定してお - 2 -り、この第2鑑定の信用性が責任能力判断の中心的な争点とされている。 第2 本件控訴趣意等検察官の控訴趣意は、訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張であり、訴訟手続の法令違反の主張は、原審検察官による精神科医2名の証人尋問請求を却下した原審裁判所の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるとい うものであり、事実誤認の主張は、本件行為当時の被告人には完全責任能力があったのに、被告人に心神喪失を認めて無罪を言い渡した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというものである。 これに対する弁護人の答弁は、検察官の控訴趣意はいずれも理由がなく、本件控訴は棄却されるべきであるというものである。 訴訟手続の法令違反の控訴趣意と事実誤認の控訴趣意は関連しており、控訴趣意の構成に従い、事実誤認の控訴趣意から先に検討する。 第3 事実誤認の控訴趣意について 1 原判決の要旨原判決が被告人に心神喪失を認めた理由の要旨は、以下のとおりである。 ⑴ 妄想・幻聴の存在ア妄想・幻聴をうかがわせる事実証拠によれば、以下の事実が認められる(以下「妄想事実①」などということがある。)。 ①被告人は、アメリカにいる父に対し、平成30年春から夏にかけて、被告人が 「ダークウェブ」というプロジェクトをしていて、日本政府等の何かを暴露しようとしている旨話し、同年夏か秋の初頭、政府が被告人の脳を妨害するために音 に対し、平成30年春から夏にかけて、被告人が 「ダークウェブ」というプロジェクトをしていて、日本政府等の何かを暴露しようとしている旨話し、同年夏か秋の初頭、政府が被告人の脳を妨害するために音波を送ってくるという電子ハラスメントを受けていて、被告人や妻子に身の危険がある旨チャットや通話で相談し、父は、統合失調症を疑って精神科の受診を勧めたが、被告人は、病気であると認めず受診しなかった。 ②被告人は、同年8月5日、被害者と被害者の実家に帰省した際、被害者の母や - 3 -妹に対し、自分が警察に捕まるかもしれない、妹に毎日暗号を送る、途絶えたら警察に捕まったということなので、大使館に連絡してほしいと頼み、その場で汗をかきながらアルファベットを羅列した暗号を考え、実際に妹に約1週間、毎日暗号を送り続けた。 ③被告人が化学薬品を購入し、被害者が「自宅に薬品があるのは怖いので、警察 で引き取ってもらえないか」と相談し、同月10日頃に被告人方に警察が赴き、被害者から提出を受けて、それらの薬品を回収した。 ④被告人は、同年11月頃、被告人の父や兄弟に対し、インターネットでファイルを送信するとともに、そのファイルの中身について、父に対し、日本政府の何かを暴露するような内容であるということを説明していたが、実際には、ファイルを 開けようとしても開けられないか、開けられても中には何も入っていないものだった。また、被告人は、父に、日本政府又はマフィアが被告人を殺したら、被告人の左肩と右膝に入っているマイクロフィルムをアメリカ政府に渡すよう依頼していた。 ⑤被告人は、同年12月20日、同月25日、平成31年1月29日の3回にわたり、タトゥーショップに行き、入れ墨を入れた。入れ墨の柄は、アルファベット や数字、記号を羅列 すよう依頼していた。 ⑤被告人は、同年12月20日、同月25日、平成31年1月29日の3回にわたり、タトゥーショップに行き、入れ墨を入れた。入れ墨の柄は、アルファベット や数字、記号を羅列したものや、一見して意味の分からない図形のようなものであり、図形のようなものは背中に入れられていた。 ⑥被告人は、「私の妻は私の妻、ほかの誰も、彼女に触れることはできない」「私は彼女が好きだ」「私はシャツを一枚もっている」「私は私の仕事が好きだ」「私は私の妻を愛している」などと書かれたメモを作成していた。 イ被告人が第2鑑定時に語った本件行為に至る経緯等被告人が、第2鑑定の問診時にA医師に対してした供述内容は、以下のとおりである(以下、①ないし⑪の全体を通して「問診時供述」といい、個別に「問診時供述①」などということがある。)。①被害者が家を出て行った平成30年8月よりも五、六か月前頃から、頭の中に声が聞こえ、電子ハラスメントを受けていた、ア メリカ政府が何らかのハラスメントをするために電子的な道具を使っていると思っ - 4 -ていた、②被害者に対し、「お前が殺される」とか「お前の息子はお前のせいでレイプされて殺される」と言ったことはある、これは、もし、妻が私に従わなければ、電子ハラスメントをする人たちによって、息子が、拷問を受けて殺されるからである、③平成30年8月の化学薬品購入について、電子ハラスメントが、動画を作るために必要だから薬品を買えと言ってきて、それは良いアイデアだと考えたので、 薬品を買った、④同年12月以降に入れ墨を入れたことについては、電子ハラスメントを受けていたことの証拠についてのファイルをCIAなどいろいろなところに送っていて、入れ墨の記号は、そのファイルのパスワードである、パスワードは 月以降に入れ墨を入れたことについては、電子ハラスメントを受けていたことの証拠についてのファイルをCIAなどいろいろなところに送っていて、入れ墨の記号は、そのファイルのパスワードである、パスワードは常に自分が持っている必要があり、携帯やメモだとなくしてしまうかもしれないが、体にあれば、自分が殺された後に調べた人がアクセスでき、自分を殺したのは電子 ハラスメントの影響を受けた人であることが分かる、背中に図形の入れ墨を入れたことについて、自分が殺されるときに首を切られるかもしれず、首がなかった遺体でこれが被告人の遺体だとわかるための図形だ、⑤同年12月及び平成31年3月にナイフを購入したことについては、電子ハラスメントに影響されている人が攻撃してくると思い、ナイフを買った、⑥頭の中にかなりのノイズがあってカオスだっ たので、忘れてはいけないことを書いたメモがある、それには「IlovemywifethisismyjobIlikeher」と書いた、⑦同年2月26日と同月27日に、「Japannews」「japannewsmurder」「日本殺人事件」と検索した理由は、電子ハラスメントを受けている人が妻と子を殺したのではないかと心配したからである、⑧誰かが妻と 子を害することを恐れていた、まず、それを伝えて、そして妻を殺すという計画だった、必要ならその場から逃げるために火炎瓶を使う計画だった、もし私が妻を殺さなかったらもっと悪いことが起こると言われていた、悪いことが何かについて言われていないが、おそらく暗示的に妻と子への拷問とか、死ぬよりつらいこと、自分が何もしなければ子と妻の両方が拷問されて殺される、電子ハラスメントだと思 った、⑨同年3月20日、家を出てから裁判所まで声が常に聞こえていて、今 に妻と子への拷問とか、死ぬよりつらいこと、自分が何もしなければ子と妻の両方が拷問されて殺される、電子ハラスメントだと思 った、⑨同年3月20日、家を出てから裁判所まで声が常に聞こえていて、今日は - 5 -妻は裁判所に来ないという声や、野球のファールファールと叫んでいる声が聞こえていた、被害者を見たとき、少し躊躇はあった、殺すまでの間に本当はしたくないという非現実的な感覚があり、こんなことをしなければいけないとは信じられなかったが、子と妻に責任を感じていたので、二人にひどいことが起きてほしくなかったし、声が「やる時間だ」と言ってきて、その声がはっきり聞こえたので、それを 避けることはできなかった、自分の責任を果たすために殺さなければならなかった、今までその声で妻を殺さなければいけないということを長い間言われていたので、「やる時間だ」という声の意図が殺すということだとはっきりわかった、⑩妻と同様に自分も殺さなければいけないと思っていた、本件行為後に自殺するために両手首を切ったのは、刑務所がひどいところなので、捕まるよりは死んだほうがいいと 考え、逃げることは計画していた、⑪今(第2鑑定時)は、「声」は悪魔だと思う、論理的には精神症状だとわかるが、統合失調症の症状だとしたらもっとランダムになっていたと思う、電子ハラスメントのことを今は信じていない、悪魔が自分の魂を欲しがっている。 ウ被告人の問診時供述における説明内容の信用性 被告人が問診時供述で語った妄想体験とその内容は、妄想事実①ないし⑥と極めてよく整合している。特に、入れ墨を入れた理由については、被告人の妄想の説明なくしては到底理解しがたいものであって、妄想の存在を強力に裏付けている。 また、被告人に妄想があったとの事実は、平成30年7月以降の被告 いる。特に、入れ墨を入れた理由については、被告人の妄想の説明なくしては到底理解しがたいものであって、妄想の存在を強力に裏付けている。 また、被告人に妄想があったとの事実は、平成30年7月以降の被告人の言動に関して、被害者が周囲に相談していた下記の状況ともよく符合し、上記の妄想の存 在を裏付けている(以下「裏付事実①」などということがある。)。すなわち、被害者は、①被告人の父に対し、被告人の行動について相談し、被告人の父から、被告人の行動が被告人の母の行動に似ているとの説明を受け、②同年8月初めころ、被告人がり患していたADHDの主治医である精神科医(以下「B医師」という。)のいる病院に電話で相談しており、その際のカルテに、「夫の父に電話」「被告人 の母は精神病で自殺、30代で妄想、幻視」「子供の命が危ない」「72時間失踪 - 6 -したらアメリカ大使館に連絡してくれ」という文言が記載されており、③同月4日、被害者の母に対し、「7月に入ってから被告人の様子がおかしい、子供に怖い動画を無理やり聞かせている、被告人から怖い話をされている」などと相談し、④同月21日、被害者自身が受診した精神科の医師に対して被告人についての相談をし、「7月から易怒性、妄想的発言が目立つようになった」と訴え、「殺される、組織 に追われる、妻が洗脳されている、妻がひどい母親だから殺される」といった被告人の言動を伝え、⑤同年9月末頃、被告人との夫婦関係調整調停等に関する交渉全般を依頼したC弁護士に対し、「それまで温厚だった被告人が、7月に入ってからは、被害者に対し、被害者が殺されるとか、息子が被害者のせいで殺されるとか、被害者の頭にチップが埋め込まれているなどと言い出した」と相談し、被告人にア メリカで精神科の治療を受けて欲しいとの希望 、被害者に対し、被害者が殺されるとか、息子が被害者のせいで殺されるとか、被害者の頭にチップが埋め込まれているなどと言い出した」と相談し、被告人にア メリカで精神科の治療を受けて欲しいとの希望を伝えていた。 以上に加え、問診時供述の妄想内容全体を見ても、被告人にとって有利か不利かを考えた上で語られている様子はうかがわれず、被告人が逮捕されて以降に考えて作り出された話とは到底考え難い。 以上によれば、問診時供述の内容は、証拠によって認められる事実関係に合致し、 作り話とは考えられないものとして、信用性が高い。 エ第2鑑定について第2鑑定は、①被告人は、平成30年7月までに統合失調症を発症していたことは確実であり、本件行為時も現在も統合失調症にり患している、②被告人が語る電子ハラスメントをテーマとする妄想や幻聴は統合失調症として典型的な体験の説明 であり、入れ墨を入れる、ナイフを買う、殺人事件のネット検索をするといった行動は、妄想に影響された行動の現れであり、統合失調症の悪化を示すものであって、その経過は統合失調症の症状の典型的な発展の仕方を示している、③被告人は、平成31年2月時点で、電子ハラスメントにかかわる妄想により、妻子の生命への切迫した危険を現実のものとして確信し、本件行為時の「やる時間だ」という幻聴に 結実したもので、本件行為時には、被害者と息子への切迫した危険があると確信し、 - 7 -その危険から逃れるためには被害者を殺害するしかないと確信していた、④問診時供述の内容は統合失調症の主観的体験(症状)として合理性があり、詐病としては不可能な複雑さ、深さ、広がりがあり、客観的事実と整合性があり、本件行為時、本件行為後の経過の全てが統合失調症として合理性があり、詐病は否定できる、というもので 状)として合理性があり、詐病としては不可能な複雑さ、深さ、広がりがあり、客観的事実と整合性があり、本件行為時、本件行為後の経過の全てが統合失調症として合理性があり、詐病は否定できる、というものである。 被告人の問診時供述は、上記のとおり信用でき、鑑定手法等に問題はなく、専門家であるA医師が自ら行った第1鑑定結果を批判的に検証しつつ、再度の問診結果や新たに得られた被告人の父からの情報、一件記録を見直した上で、慎重に検討して行われた第2鑑定の分析結果は、十分に信用できる。したがって、被告人が本件行為当時に統合失調症にり患し、その妄想症状が活発化、悪化した状態であったこ とに疑いの余地はない。 ⑵ 被告人の統合失調症の症状が本件行為に与えた影響の有無及び程度ア信用できる第2鑑定結果によれば、被告人は、平成30年7月頃から、被告人が電子ハラスメントを受けており、電子ハラスメントをする人たちから被告人や被害者、息子が殺されるとの妄想を抱いており、次第にこの妄想の確信度が高まり、 被告人にとって、被告人や被害者、息子が殺されるとの危険は切迫したものとなっていき、この妄想が活発化して統合失調症が悪化する中で、被害者を殺さなければ被害者や息子が拷問されて殺されるという妄想が強まり、本件行為当日に「やる時間だ」という幻聴が生じていたと認められる。そうすると、被告人がいつから被害者に対する計画的殺意を抱いていたのかは証拠上不明であるものの、家族に危害が 及ぶとの切迫した妄想内容に照らせば、被告人が、本件行為当時、統合失調症の症状である上記妄想と、本件行為直前に生じた、「やる時間だ」という幻聴の強い影響を受けて被害者殺害を決意し本件行為に及んだと認められる。 イ他方で、被害者は、平成30年8月30日、息子を連れて被告人と同 ある上記妄想と、本件行為直前に生じた、「やる時間だ」という幻聴の強い影響を受けて被害者殺害を決意し本件行為に及んだと認められる。 イ他方で、被害者は、平成30年8月30日、息子を連れて被告人と同居していた家を出て、その後、被告人が調停を通じて被害者から離婚を求められていたと いう現実の状況に照らせば、現実に基づいた正常心理としての被害者に対する何ら - 8 -かの感情が、本件行為を決意させた側面があるかどうかについて、慎重に考える必要がある。 関係証拠により認められる被告人と被害者の婚姻時から夫婦関係調整(離婚)調停に係る事実関係を踏まえて被告人の心理状態を検討すると、被告人は、被害者と息子がいなくなった際には、被害者が息子を連れ去った可能性を考えつつも、主とし て、統合失調症による妄想の影響を受けて、電子ハラスメントによって、被害者と息子の安全が脅かされているのではないかと心配していた様子が認められる一方、その後、被害者と息子が安全な場所にいると知って安心した様子を示しており、それ以後、被害者が息子を連れ去ったとして怒りを感じていたとか、恨んでいたといった様子はうかがわれない。また、被害者から金銭的請求を受けていたことについ ても、被害者に対して怒りを感じていた様子を示す証拠はない。本件行為以前に、被害者に対して直接的に暴力を振るったことをうかがわせるような形跡は全くなく、平成30年頃からの被害者に対する粗暴な言動は統合失調症の妄想等の影響によるものと認められる。調停経過に照らせば、被告人は、被害者に対して不満や苛立ちの感情を抱いた可能性はあるものの、被害者を殺害したいと被告人が思うほどの強 い怒り、憎しみ、恨みといった感情を持っていたことをうかがわせる事実は一切見当たらない。結局、調停の手続や被害 立ちの感情を抱いた可能性はあるものの、被害者を殺害したいと被告人が思うほどの強 い怒り、憎しみ、恨みといった感情を持っていたことをうかがわせる事実は一切見当たらない。結局、調停の手続や被害者からの請求に対して、被告人がどのように感じていたのかを合理的疑いなく認定できるような証拠はない。したがって、本件証拠上、被告人が被害者を殺害することについて、被告人の正常心理に基づいた動機があったとは認められない。 咳止め用市販薬の濫用の影響等についての検察官の主張を採用できないことも踏まえると、被告人が被害者を殺害するという本件行為に及ぶ意思決定を最終的に行った決定的要因は、正常心理によるものではなく、被害者を殺さなければ被害者や息子が拷問されて殺されるとの妄想と、本件行為直前の「やる時間だ」という幻聴にあり、本件行為は、これらの妄想、幻聴の圧倒的影響により行われたものと認め られる。 - 9 - 2 当裁判所の判断原判決の上記認定、判断に論理則、経験則等に反する不合理な誤りはなく、被告人に心神喪失を認めた結論も含め、当審としても是認できる。 検察官の主張は多岐にわたるので、以下、原判決の構成に従い、妄想・幻聴の有無に関する主張等と、統合失調症の症状が本件行為に与えた影響の有無及び程度に 関する主張とに整理して、検討する。 ⑴ 妄想・幻聴の有無に関する主張等について㈠検察官は、証拠上明らかに認められる本件の事実経過によれば、被告人に被害者を殺さなければ被害者や息子が拷問されて殺されるという妄想及び本件行為直前に生じた「やる時間だ」という幻聴(以下、検察官の主張にかんがみ、この妄想 及び幻聴に絞って「本件妄想等」といい、これ以外の妄想等も含めた内容の問診時供述と区別して用いる。)が存在したと疑わせ に生じた「やる時間だ」という幻聴(以下、検察官の主張にかんがみ、この妄想 及び幻聴に絞って「本件妄想等」といい、これ以外の妄想等も含めた内容の問診時供述と区別して用いる。)が存在したと疑わせる事情は一切認められないのに、本件妄想等の存在を認めたことが誤りである旨主張する。 ア検察官は、仮に、本件当時、本件妄想等が発現していたとすれば、被告人が、被害者や息子をめぐる問題に相当な期間にわたり直面していた中で、本件妄想等が 発現していた事実がうかがわれてしかるべきなのに、そのような妄想等を疑わせる症状や形跡が認められないのは不合理である旨主張する。さらに、被害者が息子を連れて被告人の自宅から出て行った平成30年8月以降、被告人は、被害者の実家や友人に被害者の行方を聞いたり、警察に相談するなど、状況を認識し当該事態に適合した真っ当な対応をしており、その後、被害者の代理人となったC弁護士から 連絡を受け、被害者の所在を知って安心し、その直後に被告人自ら離婚届不受理手続を行うなどしていたこと等を指摘し、これら一連の経緯においては、被告人に被害者及び息子の生命への危険が切迫した現実的なものであるとの本件妄想等が発現していたとはうかがわれず、かえって、被告人はその時々の状況等を認識して正規の手続で権利行使を行える精神状態にあったと評価でき、被告人は、主治医である B医師に対して、本件妄想等をうかがわせる言動を一度もしておらず、B医師も被 - 10 -告人に特段の異常を認めていなかったとも主張する。 しかし、原判決は、妄想事実①ないし⑥のとおり、平成30年以降に現実に基づかない何らかの妄想が生じていたことを推認させる事実や、裏付事実①ないし⑤のとおり、同年7月以降に被告人の言動に関して被害者が周囲に相談し、被告人の問 ①ないし⑥のとおり、平成30年以降に現実に基づかない何らかの妄想が生じていたことを推認させる事実や、裏付事実①ないし⑤のとおり、同年7月以降に被告人の言動に関して被害者が周囲に相談し、被告人の問診時供述を裏付ける事実を認定して説示しており、本件妄想等をうかがわせる事情 がない旨の主張は、その前提を欠いている。 また、検察官が指摘する警察等に対する被告人の言動については、A医師は、統合失調症は、どのような場面でも、常にまともな行動ができなくなるといった疾患ではなく、その症状の現れ方自体が多彩で、その症状の強さにも時期による波がある旨説明しており、したがって、本件行為やそれに至るまでの被告人の対応を個別 に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があることはあり得る、と原判決は説示しており、このA医師の説明や原判決の説示は不合理ではない。さらに、A医師は、統合失調症にり患していても、仕事を持ち、コミュニケーションが普通、あるいは普通に見える者はたくさんいる上、被告人は、外国人であるために、微妙な挙動の異常等が分かりにくい旨説明しており、この説明も不合理ではな い。 イ検察官は、原判決が指摘する妄想事実①ないし⑥は、本件妄想等を基礎付けるとはいい難いのに、これらを根拠に被告人の問診時供述の信用性を肯定した原判決の認定は誤りである旨主張する。具体的には、本件行為時及びその前後の客観的な事実経過を観察して、その時々の被告人の精神状態を推知した上で、妻子に対す る危害を内容とする特異な内容の本件妄想等がうかがわれるかどうかを検討し、被告人の問診時供述の信用性を判断すべきであり、原判決が、本件妄想等とは区別されるべき何らかの妄想が生じていたと推認し、この何らかの妄想の存在を本件妄想等の根拠とするのは誤りである旨 うかを検討し、被告人の問診時供述の信用性を判断すべきであり、原判決が、本件妄想等とは区別されるべき何らかの妄想が生じていたと推認し、この何らかの妄想の存在を本件妄想等の根拠とするのは誤りである旨主張する。その上で、妄想事実①について、被告人の父が、第2鑑定に際しての聴取時には説明していなかった内容であり、同説明 には不合理な変遷があり、当時の被告人と父との間のメッセージにこれに沿うもの - 11 -はなく、平成30年9月2日に被告人が父に送信した「被害者に子を傷つけてほしくない」等のメッセージと矛盾し、信用できない、妄想事実②について、被告人がインターネットで知り合った女性との間で生じていたトラブルという現実の事情に基づいて、被告人が日本の警察に不信感を抱いた等による反応と評価でき、妄想や幻聴をうかがわせる事情ではない、妄想事実③について、被告人は、これらの化学 薬品を危険なもの等と認識していなかったし、被害者や息子に関わる何らかの危害の可能性を懸念したものとも認められないから、本件妄想等を推認させない、妄想事実④について、何者かによる被告人自身に対する危害を懸念したものであって、本件妄想等とは直接関係しない、妄想事実⑤について、自らが殺害された場合に備えて証拠を保全するなどの理由でなされたものに過ぎず、本件妄想等を直ちに推認 させるものではない、妄想事実⑥について、それ自体では、妄想や幻聴等の存在を何ら推認させない、などとして、原判決には、妄想や幻聴等の存在を推認させる根拠となる前提事実の認定に誤りがある、あるいは、妄想や幻聴を基礎付けない事情を挙げている、本件妄想等と異質のものを本件妄想等を肯定する根拠とするなどの誤りがある旨主張する。 たしかに、問診時供述の内容には、本件妄想等のほか、本件妄想等 妄想や幻聴を基礎付けない事情を挙げている、本件妄想等と異質のものを本件妄想等を肯定する根拠とするなどの誤りがある旨主張する。 たしかに、問診時供述の内容には、本件妄想等のほか、本件妄想等と同一ではない様々な内容の妄想等が含まれている。しかし、A医師は、問診時供述は、具体的内容は変遷するが、電子ハラスメントというテーマは維持され続けていること、被告人は、平成30年8月から本件行為時まで統合失調症が悪化しており、それは、妄想の確信度が強まり、行動の中に現れてくるという一般的にみられる統合失調症 の悪化の経過に一致していること、統合失調症の症状は、被害妄想とともに思考障害が伴い、説明に一貫性がある部分と理解し難い奇妙な部分が混在することは普通であること、被告人の電子ハラスメントに関する妄想が、被害者を殺すという不合理な本件妄想等に至ることは、統合失調症の妄想の特徴として理解できることを説明しており、問診時供述①ないし⑪の内容に照らしても、この説明は合理的である。 そうすると、この期間を通じて、統合失調症の悪化に伴って妄想の内容が変化する - 12 -とともに、一貫性を欠く妄想内容が混在することによって、問診時供述のとおりの経過を経て、本件妄想等に至ったことは、不合理ではない。問診時供述においては、本件妄想等とそれ以外の妄想等が一連のものとして語られていることも明らかであり、これらの妄想等が直接結びつくものでも連関するものでもないと断定する検察官の主張には、弁護人が指摘するとおり、根拠がない。また、検察官の主張が、妄 想事実①ないし⑥について、いったん問診時供述を横において、その事実自体から被告人の精神状態を推認すべきという趣旨であるなら、その限りでは理解できるものの、その事実自体が、正常な精神状態に基づく言 想事実①ないし⑥について、いったん問診時供述を横において、その事実自体から被告人の精神状態を推認すべきという趣旨であるなら、その限りでは理解できるものの、その事実自体が、正常な精神状態に基づく言動として説明が困難であって、問診時供述と併せて理解可能となるものであり、精神状態の悪化や何らかの妄想等の存在を推認させるのであれば、本件妄想等と一連の問診時供述の補助事実として 証拠価値を有するから、原判決が、現実に基づかない何らかの妄想が生じていたことを推認させる事実として、妄想事実①ないし⑥を認定したことに何ら誤りはない。 その上で、妄想事実①について、同事実が被告人と被告人の父との間のメッセージとして残っておらず、被告人の父がA医師に同事実を説明していなかったこともうかがわれるが、これらの理由、経緯は明らかでなく、不合理な変遷といえるかど うかは不明であること、検察官が指摘する「被害者に子を傷つけてほしくない」等のメッセージと矛盾するともいえないこと、平成30年夏頃の時点で、被告人が妄想に基づくとうかがわれる言動をしていたことは、裏付事実①ないし⑤とも整合していることを踏まえると、子細な部分は不正確である可能性があるとしても、大筋の部分では妄想事実①に相当する妄想がなかったということはできない。 妄想事実②及び④は、検察官の主張を踏まえて検討しても、被告人の言動自体から、被告人が現実的ではない事情で自分の身に危険が及んでいると認識していることは明らかであり、正常な精神状態として説明できない妄想等が認められる。 妄想事実③について、被害者が警察に相談して回収してもらうような化学薬品を、被告人が、合理的な必要もなく収集していたという事実は、被告人の精神状態の悪 化をうかがわせ、検察官の主張は、収集の合理的な必要性を いて、被害者が警察に相談して回収してもらうような化学薬品を、被告人が、合理的な必要もなく収集していたという事実は、被告人の精神状態の悪 化をうかがわせ、検察官の主張は、収集の合理的な必要性を説明するものとはいえ - 13 -ない。 妄想事実⑤について、被告人がそれまで入れ墨を入れたことがなかったことや入れ墨のデザインが不可解であることを踏まえると、直ちには理解が困難であり、問診時供述の内容を踏まえて初めて理解可能と評価できる上、検察官が主張する、自らの殺害に備えて証拠を保全するなどの理由でそのような行動がなされたこと自体、 精神状態の深刻な悪化をうかがわせるものであり、原判決が説示するとおり、妄想の存在を強力に裏付けている。 妄想事実⑥について、原判決の趣旨は、メモの内容が事実と反するものではなくても、これら単純な内容の文章をわざわざ記載したこと自体が、自我障害の反映として精神状態の悪化をうかがわせるというものと理解され、問診時供述の裏付けと することは不合理ではない。 ウ以上のとおり、原判決が妄想事実①ないし⑥を認定して問診時供述の信用性を肯定する根拠とし、本件妄想等の存在を認めたことに誤りはない。 ㈡検察官は、問診時供述は、証拠上明らかに認められる事実関係と矛盾し、あるいは整合せず、また、供述経過が極めて不自然であるのに、原判決はその信用性 を全面的に肯定しており、論理則、経験則等に違反している旨主張する。 ア検察官は、問診時供述について、㋐妄想されている被害の発端は電子ハラスメントによる被害である旨の供述は、被告人が、被害者らが被告人方から出ていった平成30年8月以降、LINE等において、電子ハラスメントの関係者らが妻子を誘拐したとの懸念、不安を表明していないことと整合しない、㋑被告人が離 旨の供述は、被告人が、被害者らが被告人方から出ていった平成30年8月以降、LINE等において、電子ハラスメントの関係者らが妻子を誘拐したとの懸念、不安を表明していないことと整合しない、㋑被告人が離婚届 不受理手続をした理由は電子ハラスメントの影響であった旨の供述は、被告人が同手続をしたのはC弁護士からの連絡を受けた2日後であり、その連絡を受けての行動であったと認められ、そこには電子ハラスメントによる妄想等の介在はうかがえないことと整合しない、㋒被告人は、妻子の行方が知れたことで安堵した旨のメッセージを知人に送り、父や主治医に安心して落ち着いた様子を示しているから、電 子ハラスメントの関係者が妻子に危害を加えるとの妄想に苛まれていた旨の供述は、 - 14 -これらと整合しない、㋓平成30年11月以降も本件妄想等があった旨の供述は、その後行われていた調停手続の中で、そのような言動は全くうかがわれないことと整合しない、㋔電子ハラスメントについて、アメリカ政府からのものであり、電子ハラスメントを受けた者が被害者らを誘拐したと思った旨の供述は、平成30年8月5日頃、被害者の家族に自分がいなくなったら大使館に連絡するよう依頼し、被 害者らが出て行った後は、自ら米国大使館等に連絡するなどしていることと矛盾する、㋕本件妄想等が出始めた時点ははっきりしないが、被害者らがいなくなった後くらいである旨の供述は、同年11月5日の第1回調停期日以後本件までの間、被害者らの殺害を実行せず、仮に本件妄想等があったとしてもこれを制御できていたと考えられることと矛盾する、㋖本件妄想等が本件犯行の動機であったとすれば、 被告人は被害者を殺害することにより妻子を何者かからの拷問から守ったのであり、逃走や自殺する理由がないはずであり、捕まりたく れることと矛盾する、㋖本件妄想等が本件犯行の動機であったとすれば、 被告人は被害者を殺害することにより妻子を何者かからの拷問から守ったのであり、逃走や自殺する理由がないはずであり、捕まりたくなかったから自殺しようとした、刑務所はひどいところなので捕まりたくなかった旨の供述は、本件妄想等に支配された者の心理とは考え難い、などと主張する。 しかし、㋐㋒については、知人とのメッセージや被告人の父親とのメールの内容、 被告人の父親及びB医師の供述によれば、被告人は、第三者により妻子が誘拐された可能性について被告人の父親及びB医師に伝えて妻子の身を案じていたことが認められ、また、B医師も、後に妻子が家を出たことを知らされるまでは、幻覚妄想の可能性を考えていたというのであり、そのような第三者による誘拐という懸念自体、突飛であると評価できるから、妄想をうかがわせる事実があるといえる。そし て、㋒の事実は、それ自体、被告人がC弁護士から連絡を受けるまでの間、妻子が誘拐されたとの妄想を抱いていたことを否定する事情ではなく、また、その後に、妻子が第三者から危害を受けるとの妄想を抱くことを否定する事情でもないから、問診時供述と特段矛盾するともいえない。 ㋑については、離婚届不受理手続をとった契機が、C弁護士から連絡を受けたこ とにある可能性はあるとしても、そのことは、被害者らを誘拐した者が離婚届を出 - 15 -すことをおそれた旨の妄想と両立するのであって、問診時供述の矛盾を指摘するものとはいえない。 ㋓については、調停という発言する機会が限られ、被告人の代理人弁護士も伴った場面であることを踏まえれば、被告人が妄想等を抱きながらその内容を表明しなかったとしても、むしろ自然であり、問診時供述と整合しない事情とはいえない。 する機会が限られ、被告人の代理人弁護士も伴った場面であることを踏まえれば、被告人が妄想等を抱きながらその内容を表明しなかったとしても、むしろ自然であり、問診時供述と整合しない事情とはいえない。 ㋔㋖については、検察官の主張は、平成30年8月頃から本件行為時までを通じて、妄想の内容が一貫しており、妄想に支配された行動も妄想の内容に照らして合理的であることを前提とするものであるが、上記のとおり、統合失調症の被害妄想は、一貫性がある部分と理解し難い奇妙な部分が混在しているのが普通である旨のA医師の説明によれば、㋔㋖の事実は、かえって、被告人が統合失調症に起因する 妄想を有していたことに沿う事情といえる。 ㋕については、問診時供述において、被害者を殺さなければ被害者及び息子が拷問されると考えたのは、はっきり覚えていないが、被害者及び息子がいなくなった後あたりだと思う旨被告人は供述する一方で、A医師は、被告人自身もはっきり覚えていないというのが正しいと考えている旨説明しており、被告人自身がはっきり 覚えていない旨供述することに加え、上記のとおり、A医師は、被告人は、平成30年7月以前に統合失調症を発症してから、異常な言動が生じ、被害者の立ち去りにより統合失調症が更に悪化し、平成31年2月時点で妻子への切迫した危険を現実のものとして確信し、その危険を最小限にするための本件行為を決意し、その実行に及んだ旨説明しており、統合失調症の悪化に伴い妄想内容が変化したとの説明 も考慮すれば、被害者を殺害する妄想の発生時期についての被告人の供述に関わらず、第1回調停期日等の時点では被害者の殺害等には及ばず、本件時に本件行為に及んだことは、統合失調症の症状として理解可能であり、本件妄想等を否定できる事情ではない。 イ検察官は、問診時 に関わらず、第1回調停期日等の時点では被害者の殺害等には及ばず、本件時に本件行為に及んだことは、統合失調症の症状として理解可能であり、本件妄想等を否定できる事情ではない。 イ検察官は、問診時供述が不合理な変遷に当たると主張して、㋗被告人は、事 件から約2年8か月後の第2鑑定の問診時までに、他者との意思疎通等に問題がな - 16 -かったのに、A医師を含め誰にも妄想の存在等を供述せず、悟られることもなく、第2鑑定時に至って供述し始めたのは、自己に有利な鑑定結果を得たいとの功利的な動機からである、㋘被告人が第2鑑定の問診時まで妄想の存在等を述べなかった理由は、鎮静剤の影響で記憶が曖昧だったからである、あるいは、電子ハラスメントから、裁判で無罪と言え、電子ハラスメントのことは言うなと言われたからであ る、第1鑑定の問診時は電子ハラスメントの方を信じていたが、弁護士から真実を話すよう助言されて、第2鑑定の問診時に本件妄想等を述べることにしたなどの被告人の供述は、被告人が鎮静剤を投与されていたのは逮捕前の入院中のことであり、第1鑑定の問診時には鎮静剤の影響はなかったこと、被告人は捜査段階の取調べでは無罪を主張するのではなく黙秘したこと、第1鑑定の問診でも犯行そのものに関 する質問に対しては記憶がないとか、弁護士と相談していないから話せないなどと供述しており、質問の相手や質問内容によって供述態度を変えていること、原審公判では第1鑑定時と同様黙秘するなどし、第2鑑定時も幻聴等は盛んである旨供述していることとも整合しないことから、信用できない旨主張する。 しかし、㋗及び㋘を通じて、被告人が電子ハラスメントについて話し始めた時期 が統合失調症の治療薬であるオランザピンの投与開始時期とほぼ一致するとして、投薬の効果によ 信用できない旨主張する。 しかし、㋗及び㋘を通じて、被告人が電子ハラスメントについて話し始めた時期 が統合失調症の治療薬であるオランザピンの投与開始時期とほぼ一致するとして、投薬の効果により被告人の状態に何らかの変化が生じたと説明できる旨のA医師の供述には合理性があり、このA医師の供述を踏まえれば、本件妄想等についての供述の変遷が合理的に理解可能である旨、原判決は説示しており、この原判決の説示は不合理ではない。したがって、被告人が第2鑑定の問診時まで電子ハラスメント について話さなかった理由は、鎮静剤の影響ではなく、統合失調症の治療や投薬がなかったからであると考えられ、供述の変遷が不合理とはいえない。 また、原審公判で再び黙秘した理由について、被告人は、令和5年8月23日に行った補充的な問診において、法廷で話したら悪魔から何らかの報復がある旨A医師に説明しており、この点についてのA医師の説明は、オランザピンの投薬の効果 によって、電子ハラスメントについて話せるようになったが、本格的な統合失調症 - 17 -の治療がされたのではなく、その症状も残っているという趣旨と理解される。したがって、統合失調症の症状が改善していない以上、被告人の妄想体験がA医師に対してしか語られず、原審公判において黙秘を続けたことについても、統合失調症の症状による影響として合理的に理解可能である旨の原判決の説示も不合理ではない。 被告人が質問の相手や内容によって供述態度を変えていることについても、上記 のとおり、統合失調症はどのような場面でも常にまともな行動ができなくなるといった疾患ではなく、被告人の対応を個別に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があり得ることを前提とすれば、被告人の供述態度は、その全てが統合失調症の 常にまともな行動ができなくなるといった疾患ではなく、被告人の対応を個別に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があり得ることを前提とすれば、被告人の供述態度は、その全てが統合失調症の症状の影響とは限らず、A医師が指摘する被告人がアメリカ人であるための訴訟手続上の権利意識に基づくものも含まれていると理解することも可能で あり、問診時供述が虚偽供述といえるほどの事情ではない。 検察官は、問診時供述が免責を意図しての詐病ないし虚偽供述であると主張するが、仮に、被告人に統合失調症の症状としての妄想・幻聴が存在しないのに、免責を意図して虚偽供述をしているのだとすれば、妄想事実①ないし⑥や裏付事実①ないし⑤と整合しない上に、弁護人が主張するように、第1鑑定や原審公判で虚偽の 妄想や幻聴を訴えていてもおかしくないのにそれをせず、被告人自身は精神疾患を否定していることを合理的に説明できない。 ウ以上のとおり、問診時供述について、妄想事実①ないし⑥と整合し、裏付事実①ないし⑤によって裏付けられること、その妄想内容全体を見ても、被告人にとって有利か不利かを考えて語られている様子はうかがわれず、被告人が逮捕されて 以降に考えて作り出された話とは考え難いことから、被告人の供述経過を踏まえても、信用性が高いとした原判決の判断に、論理則、経験則等に反する不合理な誤りはない。 ㈢検察官は、原判決は、第2鑑定の信用性を無批判に全面的に認めた結果、被告人の責任能力の有無・程度についての事実認定を誤っている旨主張する。 ア検察官は、第2鑑定は、信用性を認め難い問診時供述に依拠し過ぎており、 - 18 -他方で、客観的な状況として証拠上明らかに認められる本件行為に至る経緯、本件行為態様及び犯行後の被告人の言動等につい 、第2鑑定は、信用性を認め難い問診時供述に依拠し過ぎており、 - 18 -他方で、客観的な状況として証拠上明らかに認められる本件行為に至る経緯、本件行為態様及び犯行後の被告人の言動等については、有意な影響はない、統合失調症には様々なパターンがあり整合する、として、考慮に入れずに鑑定結果を導いており、その鑑定手法及び判断過程等は偏頗的で合理性に欠けており、その鑑定結果も信用できない旨主張し、その根拠として、本件行為に至る経緯、本件行為態様、犯 行後の言動等の被告人に妄想、幻聴等がないことをうかがわせると主張する諸事情を指摘し、A医師はこれらの諸事情について十分な説明をしていない旨主張する。 また、A医師が、本件犯行後の入院時に異常言動がなかったことや第1鑑定時に被告人が供述と黙秘を使い分けていた供述態度等に対する第1鑑定における評価を、第2鑑定において変更したことに合理的な理由がない旨主張する。 しかし、上記のとおり、第2鑑定の前提となる問診時供述の信用性が高いとした原判決の判断に誤りはないから、第2鑑定が問診時供述に依拠してなされたことが誤りである旨の上記主張は、その前提を欠いている。 また、被告人に妄想、幻聴等がないことをうかがわせると検察官が主張する諸事情が存在するとしても、A医師は、その供述内容を踏まえれば、第1鑑定において も検討した諸事情を改めて検討した上で、精神科医としての専門的知見に基づき、被告人が統合失調症にり患しており、本件妄想等を含めた妄想、幻聴等があったとの鑑定結果に影響しないと判断し、その理由についても、精神医学の知見に基づき、原審検察官の尋問等に対し、上記検討と同旨の説明をしていると認められる。 第1鑑定から判断を変更した理由について、A医師は、被告人から問診時供述を 得たこと ついても、精神医学の知見に基づき、原審検察官の尋問等に対し、上記検討と同旨の説明をしていると認められる。 第1鑑定から判断を変更した理由について、A医師は、被告人から問診時供述を 得たことだけでなく、被告人の父から新たな情報を得たことも踏まえ、証拠書類等の記録を見直すなどして、第1鑑定において先入観にとらわれて評価していた前提事実等を改めて評価し直した結果、第2鑑定の結論に至った旨供述しており、その鑑定手法、判断過程等は、偏頗的で合理性を欠くものとはいえず、かえって、鑑定人として率直で真摯な姿勢を示しているといえる。 以上のとおり、検察官の上記主張は採用できず、第2鑑定の分析結果は十分に信 - 19 -用できるとの原判決の判断に誤りはない。 イ検察官は、他の精神科医であるB医師、D医師及びE医師が第2鑑定に対し否定的な評価をしており、少なくとも本件行為当時、被告人が重度の統合失調症であったなどとは認められず、第2鑑定は信用に値しないのであって、本件行為時に被告人に本件妄想等が存在していたとは到底認め難いなどと主張する。 しかし、当審における検察官の上記精神科医師3名の意見書等の事実取調べ請求は、弁護人の意見を踏まえて却下されており、D医師及びE医師の意見に関する主張は、証拠に基づかないものである。なお、原審検察官が原審でも請求したD医師(当審検6)及びE医師(当審検5)の証人尋問の必要性が認められないことは、後記第4のとおりであり、E医師作成の精神鑑定書(当審検2)については、原審 で請求することができなかったやむを得ない事由が認められないことに加え、既に検討したとおり妄想事実や裏付事実により裏付けられるなど信用性の高い問診時供述に基づく第2鑑定の信用性及び原判決の認定を否定するに足りるものとはい かったやむを得ない事由が認められないことに加え、既に検討したとおり妄想事実や裏付事実により裏付けられるなど信用性の高い問診時供述に基づく第2鑑定の信用性及び原判決の認定を否定するに足りるものとはいい難く、取調べの必要性は認められない。 また、被告人の主治医であったB医師は、原審公判において、平成29年9月の 初診以来、妻である被害者と一緒に受診した被告人からADHD(注意欠陥多動性障害)と訴えられ、その旨診断し、毎回5分から10分程度の診察時間であり、同医師は被告人の母語である英語が話せないことから、被告人と日本語で問診し、被害者が付き添っているときは、被害者が必要な援助をしていた旨供述し、また、平成30年8月4日、被害者から被告人の言動についての連絡を受けて幻覚妄想を検 討対象に入れた時期があったものの、被告人に具体的事情を尋ねることができなかった旨供述している。この供述に加え、同医師の診療記録(原審甲118)の内容を踏まえれば、同医師の診察時間が短く、被告人の言動に関する正確な情報も得られていなかったことに照らし、同医師が被告人を統合失調症と疑わなかったことは第2鑑定の信用性を左右するものではないとの原判決の判断に誤りはない。そうで ある以上、B医師の証人尋問(当審検7)の必要性は認められない。 - 20 -ウ以上のとおり、原判決が第2鑑定の信用性を肯定して、被告人の本件行為当時の精神状態を認定したことに、論理則、経験則等に反する不合理な誤りはない。 ⑵ 統合失調症の症状が本件行為に与えた影響の有無及び程度に関する主張について㈠検察官は、客観的な事実関係に基づき論理則、経験則等に照らして判断すれ ば、本件行為の動機形成の基盤・主要因は本件妄想等ではなく、正常心理によって本件行為の動機が形成 関する主張について㈠検察官は、客観的な事実関係に基づき論理則、経験則等に照らして判断すれ ば、本件行為の動機形成の基盤・主要因は本件妄想等ではなく、正常心理によって本件行為の動機が形成されたと認められるにもかかわらず、被告人が被害者を殺害するという本件行為に及ぶ意思決定を最終的に行った決定的要因は、正常心理によるものでないとした原判決の認定は、誤りである旨主張する。具体的には、被害者が息子を連れて被告人に無断で自宅を出て行った平成30年8月以降、㋐同年9月、 被告人は、被害者は「誘拐犯」であり「終身刑級の違法なこと」をしたと認識・理解した旨のメッセージを知人に送信したこと等から、被害者に強い怒りや不満を有していたと合理的に推認できる、㋑同月12日、被告人は、妻子がいなくなったことを警察に相談したものの、希望に沿う対応を得られなかったこと等から、警察等に対する不満も募らせていったと認められる、㋒同年10月9日、被害者の代理人 であるC弁護士から離婚調停を申し立てたこと等の連絡を受け、同月11日、自ら離婚届不受理手続を行った上、代理人弁護士を選任し、同年11月5日以降に開始された離婚調停期日においては、被告人との離婚を求める被害者の主張を全面的に否定して離婚を拒否するなどしており、このような経過等に照らすと、息子を一方的に連れ出した上で離婚を要求してきた被害者に対し、強い不満を有していたと合 理的に推認される、㋓同年12月以降、被害者から、現住居からの退去、被害者が立替払いしていた家賃等及び婚姻費用の支払を要求されており、被害者の意向等により預貯金も自己の管理下にない状態に置かれた上に、自らの月収のみで生活しなければならない状況を作出され、経済的な面においても、被告人に追い打ちをかけるように支払を要求してくる り、被害者の意向等により預貯金も自己の管理下にない状態に置かれた上に、自らの月収のみで生活しなければならない状況を作出され、経済的な面においても、被告人に追い打ちをかけるように支払を要求してくる被害者に対し、更に不満等を募らせていったと合理的 に推認できる、㋔これらに続いて、同年12月以降、本件行為時に携帯していたナ - 21 -イフ4本を順次購入し、平成31年2月27日、第3回調停期日を欠席して、調停開始時刻の約30分前から約2時間半もの間、東京家裁近辺に滞在するといった行動をとっており、期日出廷のために来庁する被害者の行動をうかがったと考えられ、被害者に対して不満等をより一層募らせていたことが合理的に推認できる、㋕被害者が息子を連れて自宅を出ていく前から易刺激性亢進の副作用がある鎮咳薬を乱用 しており、被害者らが自宅を出た後その服用量を増やしていることから、同鎮咳薬による易刺激性の亢進によって、被害者に対する不満や怒りが増幅されたと認められる、㋖以上を基に判断すれば、本件行為の動機を形成するに至った基盤・主要因は、被害者が被告人の意に反して一方的に息子を連れて自宅から出て行ったこと、その後の離婚調停等の状況が被告人に不本意に推移していたこと等にあり、これら によりその発端を作った被害者に対する怒りや不満等の悪感情が高じていったと合理的に推認でき、正常心理による動機形成と認められる一方、このような認定作業を一切行わず、不満や怒りを募らせて抱いた殺害の決意を周囲に悟られないよう、自己の言動に注意しながら事を進めることは通常あり得るのに、殺害を決意するほどの怒り等を周囲にあらわにした状況がないという一事で、正常心理に基づく動機 を否定した原判決の判断は、論理則、経験則等に違反する旨主張する。 しかし、原 通常あり得るのに、殺害を決意するほどの怒り等を周囲にあらわにした状況がないという一事で、正常心理に基づく動機 を否定した原判決の判断は、論理則、経験則等に違反する旨主張する。 しかし、原判決は、検察官が指摘する上記㋐ないし㋕の事情も含めて、正常心理に基づく動機を推認させる可能性のある事実関係を広く取り上げた上で、被害者が家を出て行ったことについて、最初は、自分の意思で出ていった可能性と電子ハラスメントを受けている人に誘拐された可能性の両方を考えていたが、時間がたつに つれて誘拐されたという考えが強くなってきた旨の問診時供述が事実関係に整合しており、他方で、被害者を殺害したいと思うほどの強い怒り、憎しみ、恨みといった感情を持っていたことをうかがわせる事情はない、と判断しており、客観的な事実関係に基づく認定作業を行っていない旨の検察官の主張は、原判決を正解していない。 検察官が指摘する諸事情のうち、㋐及び㋑については、原審で取り調べられた被 - 22 -告人のメッセージ、メール、診察記録といった関係証拠を全体として検討すれば、被害者が家を出た当初の時期には、被告人が、被害者が「誘拐犯」であり「終身刑級の違法行為をした」と認識したとみる余地のあるものや、被告人の思うような対応を取らない警察や被害者の父親等に対するいら立ちがうかがわれるものが認められるが、同時に、被害者と息子の二人が誘拐されたとして心配する心情がうかがわ れるものが少なくなく、しかも、被告人が非現実的な妄想を抱いていることがうかがわれるものも少なくない上、被害者と息子の所在が判明した時期の言動からは、安全な場所にいると分かって安心した旨の心情がうかがわれ、いずれにせよ、被害者に対する怒り、恨み、殺意と評価できるような言動は見当たらない。した ない上、被害者と息子の所在が判明した時期の言動からは、安全な場所にいると分かって安心した旨の心情がうかがわれ、いずれにせよ、被害者に対する怒り、恨み、殺意と評価できるような言動は見当たらない。したがって、㋐及び㋑に関し、被告人は、被害者と息子がいなくなった際には、被害者が息子を 連れ去った可能性を考えつつも、主として、統合失調症による妄想の影響を受けて、電子ハラスメントによって、被害者と息子の安全が脅かされているのではないかと心配していた様子が認められる一方、その後、被害者と息子が安全な場所にいると知って安心した様子を示して以後、被害者が息子を連れ去ったとして怒りを感じていたとか、恨んでいたといった様子はうかがわれない、被告人のいら立ちを示す言 動も、警察や被害者の家族に対するものでしかない、と説示し、正常心理に基づく動機の根拠にならないとした原判決の判断は、支持できる。 ㋒及び㋓について、検察官が主張するように、被告人が被害者に対し強い怒りや不満等を抱き、あるいは、これを増幅させる可能性のある事情であると考えられなくはないが、上記「誘拐犯」等のメッセージ等に加えて、被告人と被害者との間の 調停経過に関する証拠を検討しても、上記のとおり、被害者と息子が安全な場所にいると知って安心した様子を示し、息子との面会交流が実現されており、被害者に対する怒りや恨みを示すといった特異な言動を示した事情は見当たらない。金銭的請求に対しても、経済的に困窮していたといった事情はうかがわれず、当初から家賃の立替金の支払にも応じる返答をしており、金銭的請求によって被告人が追い詰 められていた様子もなく、被害者に対し怒りや恨みを表明したといった事情は見当 - 23 -たらない。したがって、調停経過に照らせば、被害者を殺害したいと 銭的請求によって被告人が追い詰 められていた様子もなく、被害者に対し怒りや恨みを表明したといった事情は見当 - 23 -たらない。したがって、調停経過に照らせば、被害者を殺害したいと被告人が思うほどの強い怒り、憎しみ、恨みといった感情を持っていたことをうかがわせる事実は見当たらないとした原判決の評価は、支持できる。 ㋔について、期日出廷のために来庁する被害者の行動をうかがう目的の行動とみる余地があることは検察官が主張するとおりであるとしても、電子ハラスメントを 受けている人が被害者と子を殺したのではないかと心配したからである(問診時供述⑦)、あるいは、本件妄想等に基づく計画の一環である(問診時供述⑧)と理解することが可能であり、いずれにせよ、電子ハラスメントに関わる妄想により、被害者と子の生命への切迫した危険を現実のものとして確信していたとの評価に沿う余地があり、被害者に対する不満等を一義的に推認させるとはいえない。 ㋕について、原判決は、A医師が、鎮咳薬の影響について、被告人が過剰に飲んでいたとはいえ、市販薬であることから、その薬理作用の大きさについて懐疑的な意見を示していること、鎮咳薬が易怒性を亢進するとしても、そもそも被告人の被害者に対する怒りがなければ、正常心理に基づく動機とはならない旨説示しており、この説示も不合理ではない。 検察官が主張するように、被告人が、被害者が被告人の意に反して一方的に息子を連れて自宅から出て行ったことや、その後の離婚調停等の状況が被告人に不本意に推移していたこと等に起因して、被害者に対する不満、怒り、憎しみ等の感情を動機として殺意を抱いたと仮定した場合、殺害の決意を周囲に悟られないよう注意して事を進めることはあり得るとしても、検察官が殺害の動機を形成したと主張す て、被害者に対する不満、怒り、憎しみ等の感情を動機として殺意を抱いたと仮定した場合、殺害の決意を周囲に悟られないよう注意して事を進めることはあり得るとしても、検察官が殺害の動機を形成したと主張す る長期間を通じて、これらの感情が生じたことすら周囲に悟られないことが、通常あり得るといえるかには疑問があり、かえって、弁護人が主張するとおり、そのような感情を抱いていることが主治医であるB医師など周囲から観察される方が自然というべきである。被告人が、被害者を殺害したいと思うほどの強い怒り、憎しみ、恨みといった感情を持っていたことをうかがわせる事情が見当たらないことは上記 のとおりであるから、調停の手続や被害者からの請求に対して、被告人がどのよう - 24 -に感じていたのかを合理的な疑いなく認定できるような証拠はない旨の原判決の判断は支持することができ、検察官の上記主張は採用できない。 そのほか、上記のとおり、本件行為に至る調停経過の事実関係及び問診時供述を評価し、飲酒したことの意味合いが不明であること等も考慮した上で、本件証拠上、被告人が被害者を殺害することについて、被告人の正常心理に基づいた動機があっ たとは認められないと判断した原判決に、その判断過程の説示も含めて、論理則、経験則等に違反する不合理な誤りはない。 ㈡検察官は、本件行為及びその前後の状況に照らすと、被告人が熟慮して殺害手順やその後の逃走への備えを事前に計画、準備し、それに従って合理的、合目的的に本件行為に及んだことは明らかであるのに、原判決が、本件行為が本件妄想等 の圧倒的影響によって行われたと認定したことは誤りである旨主張する。具体的には、㋐被告人は、被害者殺害及び殺害後の逃走のためナイフや火炎瓶を用意するなど事前の計画を立てており、本 本件妄想等 の圧倒的影響によって行われたと認定したことは誤りである旨主張する。具体的には、㋐被告人は、被害者殺害及び殺害後の逃走のためナイフや火炎瓶を用意するなど事前の計画を立てており、本件行為時も、被害者を待ち伏せ、被害者に気付かれないようタイミングを冷静に見極めて被害者の背後から忍び寄り、本件行為に及んでおり、殺害目的を完遂するために合理的、合目的的な行動を自制的に実行できて いた、㋑被告人は、被害者を殺害後、警備員に火炎瓶を投げるなどして逃走し、ナイフで自己の手首を切り付けており、被告人は、本件行為により、警備員・警察官等から追われることを認識・理解していたこと、被害者の殺害後に自殺を図る意図があったことが合理的に推認でき、したがって、被告人は、本件行為当時から、被害者を殺害することが警察に捕まる原因となり、やがては刑務所で服役せざるを得 なくなる行為であることを認識、理解していた、また、被告人がそのような事態を回避するため、逃走するための道具として火炎瓶を用意し、実際に使用した点でも被告人の行動は合理的で合目的的であった、㋒したがって、被告人は正常な心理状態で本件行為を遂行したものであり、何らかの精神障害が本件行為に影響を与えたと疑わせる事情は見当たらないのに、これらの被告人の行為の合理性、合目的性に 関する検察官の主張を排斥して、妄想・幻聴の影響が圧倒的であったとした原判決 - 25 -の認定、判断は、上記主張を排斥した理由も含めて誤っており、論理則、経験則等に違反する旨主張する。 しかし、上記㋐について、統合失調症の症状についてのA医師の説明を踏まえ、本件行為やそれに至るまでの被告人の対応を個別に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があり得ることは、既に検討したとおりであり について、統合失調症の症状についてのA医師の説明を踏まえ、本件行為やそれに至るまでの被告人の対応を個別に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があり得ることは、既に検討したとおりであり、A医師の 上記説明について、検察官において、誤りであるとの立証はされていない。他方で、検察官は、一見理性的・合理的に見える対応が認められる事案においては、そのような理性的・合理的に見える対応を軽視することなく、十二分に考慮に入れた上で、本件妄想等が真実存在するのか否かを厳正に判断するべきであると主張する。その主張にかんがみ、敷衍すると、A医師は、本件行為時においては、被告人は、被害 者を殺害しなければ、被害者と息子は拷問されて殺されるという強固な妄想を基盤に、幻聴や思考障害の強い影響を受けて本件行為に及んだものであり、被害者と息子への切迫した危険があると確信し、同危険から逃れるためには被害者を殺害するしかないと確信していた旨説明しており、自分の中に本来の自分ではない意思や思考が発生するとの自我障害についての説明も併せ考慮すれば、本件妄想等の確信に 従った行動が、殺害目的を完遂するために合理的、合目的的であったとしても、本件妄想等を否定する理由とはならない。したがって、検察官が指摘する上記㋐の事情を考慮しても、合理的な行動があったとの事実は、妄想の圧倒的影響のもとで行った行為であることを否定する根拠にはならないとの原判決の判断に、誤りがあるとはいえない。 ㋑について、原判決は、被告人は、本件行為を行う直前に至るまで、被害者を殺害することに対して罪の意識を持ち合わせていたことがうかがわれるが、そうした罪の意識を有していたにもかかわらず、本件行為に及んだ理由、動機として、正常心理に基づくものが見当たらない本件においては 殺害することに対して罪の意識を持ち合わせていたことがうかがわれるが、そうした罪の意識を有していたにもかかわらず、本件行為に及んだ理由、動機として、正常心理に基づくものが見当たらない本件においては、そのような罪の意識を凌駕するものとして妄想と幻聴が現れ、その妄想・幻聴にあらがえなかったからこそ、被告 人は、被害者を殺害するという本件行為を行うとの意思決定に至ったものと認めら - 26 -れる、このことは、本件において、一般的な倫理観を乗り越えさせるほどに妄想・幻聴が強かったことを示すものといえる、したがって、本件行為直前まで罪の意識があったことや、本件行為後に逃走したとの事実は、妄想・幻聴の影響が圧倒的であったとの判断を左右するものではない、と説示する。これに対し、検察官は、原判決が前提とする、正常心理に基づく理由、動機が見当たらないとの事実認定は、 本件に至るまでの一連の事実経過の中に本件妄想等が発現していたとの事実がなく、むしろ本件妄想等と整合しない事実が複数あることを見落とす、あるいは無視する一方で、本件妄想等を基礎付けるとはいい難い複数の事実を本件妄想等に整合するものとした誤った事実認定である旨主張する。しかし、被害者を殺害したいと思うほどの強い怒り、憎しみ、恨みといった感情を被告人が持っていたことをうかがわ せる事実が一切見当たらないことからは、本件証拠上、被告人が被害者を殺害することについて、正常心理に基づいた動機があったとは認められないとの原判決の判断に誤りがないこと、問診時供述の信用性が高いこと、被告人が本件行為当時に統合失調症にり患し、その妄想症状が活発化、悪化した状態であったことに疑いがないことについての原判決の判断に誤りがないことは、既に検討したとおりである。 検察官の主張は、前提を 本件行為当時に統合失調症にり患し、その妄想症状が活発化、悪化した状態であったことに疑いがないことについての原判決の判断に誤りがないことは、既に検討したとおりである。 検察官の主張は、前提を欠いており、原判決の判断の誤りを指摘するものとはいえない。 本件妄想等が存在せず、正常心理に基づく動機があったことを認定するためには、妄想事実①ないし⑥や裏付事実①ないし⑤といった事情があるにもかかわらず、本件妄想等を述べる問診時供述が虚偽であり、第2鑑定が採用できず、第1鑑定が妥 当することを合理的な疑いを超えて立証できなければならない。上記㋐ないし㋒を通じた検察官の主張は、本件の立証責任の構造に照らして、そのことだけでは、原判決を覆すに足りるものではない。 ㈢以上の検討によれば、上記のとおり、被告人が被害者を殺害するという本件行為に及ぶ意思決定を最終的に行った決定的要因は、正常心理によるものではなく、 被害者を殺さなければ被害者や息子が拷問されて殺されるという妄想と、本件行為 - 27 -直前の「やる時間だ」という幻聴にあり、本件行為は、これらの妄想・幻聴の圧倒的影響によって行われたものであると認めた原判決の判断に、論理則、経験則等に反する不合理な誤りはない。 ⑶ 以上のとおり、事実誤認の控訴趣意は理由がない。 第4 訴訟手続の法令違反の控訴趣意について 1 控訴趣意検察官による訴訟手続の法令違反の主張は、本件は、同一鑑定人による二つの鑑定結果が、精神疾患の内容から、同精神疾患の症状が本件に及ぼした影響の程度等に至るまで、すべての点において大きく異なっており、かつ、それぞれの鑑定における前提条件も大きく異なり、特に第2鑑定においては、鑑定人であるA医師が最 も重視した鑑定の前提条件は、被告人 度等に至るまで、すべての点において大きく異なっており、かつ、それぞれの鑑定における前提条件も大きく異なり、特に第2鑑定においては、鑑定人であるA医師が最 も重視した鑑定の前提条件は、被告人のA医師に対する問診時供述であり、同供述は、再伝聞供述であることから、その信用性はもとより、第2鑑定の信用性についても、極めて慎重な検討を要するものであった、原審検察官は、第2鑑定等の信用性を弾劾するとともに事案の真相にかなった事実認定を求めるべく、専門的知見として、精神科医であるD医師及びE医師(以下「両医師」ということがある。)2 名の証人尋問を請求したのに、原審裁判所は、これらを必要性なしとしていずれも却下し、原審検察官の異議申立てもいずれも棄却したのであり、これらの決定には訴訟手続の法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というものである。 2 前提事実 原審記録によれば、A医師が被告人に対する第1鑑定及び第2鑑定を行うに至った経緯並びに第1鑑定及び第2鑑定に係る鑑定結果の概要は上記第1のとおりであるが、より具体的には、公判前整理手続における原審弁護人からの精神鑑定の請求に対し、しかるべくとの意見が原審検察官から述べられ、令和3年10月6日、A医師を鑑定人に指定して、被告人の本件当時及び現在の精神障害の存否及びその程 度、被告人の精神障害が本件に与えた影響の有無、程度及びその機序、その他関連 - 28 -する事項を鑑定事項として、鑑定決定がされたこと、鑑定人尋問等所要の手続を経て、令和5年7月12日、原審検察官及び原審弁護人に加えて、鑑定人であるA医師を交えたカンファレンスが実施され、原審裁判所が、鑑定結果の報告において、①被告人が本件行為当時にどのような精神疾患にり患していたか 年7月12日、原審検察官及び原審弁護人に加えて、鑑定人であるA医師を交えたカンファレンスが実施され、原審裁判所が、鑑定結果の報告において、①被告人が本件行為当時にどのような精神疾患にり患していたか、②本件行為当時に、被告人にどのような精神症状(妄想の有無を含む。)があったか、③その精神 症状が、本件行為に至る被告人の精神状態や被告人の行動にどのような影響を与えたか、について、第1鑑定と第2鑑定のそれぞれの判断結果とその根拠を中心に分かりやすく説明されたい旨A医師に要請したこと、同年9月25日の第9回公判において、A医師は、まず、第1鑑定のときにどう考えていたかという観点で、第2鑑定で得た情報や考えたことは含めずに説明する、などと前置きした上で、被告人 がADHDにり患していること、薬物依存、薬物使用による攻撃性亢進及び薬物による精神病(幻覚・妄想)の疑いがあること、被告人は本件行為についての記憶がないと述べているが、同供述を信用することは困難であること、本件行為時及び本件行為前において被告人は、本件行為という目的に向けて十分に合理的な行動を取っており、そこには精神疾患の有意な影響を認めることはできない、などの結論を 含めた第1鑑定の内容を報告したこと、続いて、被告人の精神変調に関し、追加資料も含めて資料を検討し直し、被告人が新たな内容を語り、被告人の父から新たに重要な情報を得た、とした上、本件行為は悪化した統合失調症の症状の只中でなされたものである、動機は妄想から発生し、妄想と思考障害により発展した、全経過を通し、幻聴体験も盛んであった、最終的な本件行為の実行時には、被害者を殺害 しなければ、被害者と息子は拷問されて殺されるという強固な妄想を基盤に、幻聴や思考障害の強い影響を受けていたもので、被害者と息子への切迫 んであった、最終的な本件行為の実行時には、被害者を殺害 しなければ、被害者と息子は拷問されて殺されるという強固な妄想を基盤に、幻聴や思考障害の強い影響を受けていたもので、被害者と息子への切迫した危険があると確信し、同危険から逃れるためには被害者を殺害するしかないと確信していた、などの結論を含めた第2鑑定の内容を報告したこと、続いて、同第9回公判及び同月27日の第11回公判において、原審弁護人、原審検察官及び原審裁判所からの 尋問を受けたことが認められる。 - 29 -他方、原審検察官は、第2鑑定を争い、公判前整理手続中の同年2月1日、D医師(立証趣旨は、精神医学の論理的観点、精神鑑定の理論的合理性の観点からみた50条鑑定の問題点等というもの)及びE医師(立証趣旨は、臨床医学的観点、診断基準との整合性、合理性の観点からみた50条鑑定の問題点等というもの)の各証人尋問請求をしたこと、同月24日、両医師の証人尋問請求に対し、原審弁護人 から、関連性(ないし相当性)、必要性がなく、異議がある旨の意見が述べられたこと、さらに、両当事者からの必要性に関する意見の応酬を経て、原審裁判所は、基本的には被告人を鑑定したA医師の鑑定報告を聴くことで、第1鑑定及び第2鑑定を踏まえて、責任能力を判断することになるので、検察官はD医師及びE医師の知見を踏まえて、A医師に反対尋問することで、第1鑑定及び第2鑑定の評価に向 けた立証をされたい、ただし、被告人が鑑定時とは大きく異なる供述を公判廷でするなど、現時点での想定とは異なる事態が生じた場合には、その時点での証拠関係等を踏まえて、証拠の必要性を判断すべき場合もあり得る、などとして、両医師の証人尋問請求に対する採否の判断を留保する方針を示し(同年5月24日の原審第21回公判前整理 場合には、その時点での証拠関係等を踏まえて、証拠の必要性を判断すべき場合もあり得る、などとして、両医師の証人尋問請求に対する採否の判断を留保する方針を示し(同年5月24日の原審第21回公判前整理手続期日)、A医師の尋問実施後に、予備の公判期日として、D 医師が証人採用された場合の尋問期日を予定する審理計画を策定したこと(同年8月30日の原審第25回公判前整理手続期日)、そして、原審裁判所は、同年9月27日の原審第11回公判期日までに、被告人の精神科受診歴等の被告人の精神障害に関連する証拠を取り調べるとともに、上記A医師の尋問終了後、同公判期日において、両医師の証人尋問請求を却下し、同却下決定に対する原審検察官の異議申 立ても棄却したことが認められる。 3 当裁判所の判断検察官が証拠の必要性が極めて高度と主張する両医師は、その立証趣旨、原審公判前整理手続における同証拠請求に関する当事者の意見書の内容等に照らすと、両名とも精神医学の専門的知見を有する医師であり、第2鑑定の内容に疑問を提起し、 あるいは、第2鑑定よりも第1鑑定を支持する意見を表明する旨の供述を予定して - 30 -いたとうかがわれる。しかし、両医師とも、被告人に対する精神鑑定を行ったのではなく、被告人に対する問診や一件記録の検討も行っておらず、第1鑑定及び第2鑑定の内容並びにE医師については逮捕当初の取調べの録音録画等を資料としたにとどまる旨の原審弁護人の主張、上記立証趣旨も考慮すると、検討の基礎資料が少ないことから、被告人の責任能力について鑑定に比肩する意見を表明することは予 定されていないと考えられ、原審弁護人が主張したとおり、必要性、関連性に疑問がある。 原審検察官の意見書も踏まえて両医師の立証事項として理解されるのは、特に、第2 する意見を表明することは予 定されていないと考えられ、原審弁護人が主張したとおり、必要性、関連性に疑問がある。 原審検察官の意見書も踏まえて両医師の立証事項として理解されるのは、特に、第2鑑定の内容について、専門家の目から見て解消されていない疑問点が残っているということであり、だとすれば、このような疑問点について両医師が公判で供述 すること自体に意味はなく、その疑問に対し、A医師がどのような説明や応答をするのか、それによって第1鑑定及び第2鑑定の信用性がどう評価されるのかが重要というべきである。上記のとおり、実際の原審公判の訴訟経過としても、A医師の鑑定結果報告において、第1鑑定及び第2鑑定の各内容が説明された上で、A医師に対し、第2鑑定の信用性に関して原審検察官からの尋問がなされている。したが って、両医師の証人尋問の必要性が極めて高度とする検察官の主張は採用できず、むしろ、あくまで検察官の訴訟活動の準備の問題であって、証人として取り調べる必要性は低い。 なお、原審検察官は、両医師が提起する疑問点の前提となる専門的な精神医学の知見に基づいて、精神医学の専門家であるA医師に対する尋問を行うことの困難性 をも主張している。しかし、原審検察官においては、そのような精神医学の知見を理解し咀嚼した上で訴訟活動を行うことは、不可避である上、尋問や弁論等の訴訟活動に当たっては、精神医学の知見はもちろん、責任能力の判断構造における精神科医と法律家のそれぞれの役割を踏まえた上、争点整理の結果や立証責任の所在をも意識して行う必要があり、これらは法律家の役割であるから、同主張は理由にな らない。 - 31 -したがって、原審裁判所が、公判前整理手続において、検察官は、両医師の知見を踏まえて、A医師に反対尋問す り、これらは法律家の役割であるから、同主張は理由にな らない。 - 31 -したがって、原審裁判所が、公判前整理手続において、検察官は、両医師の知見を踏まえて、A医師に反対尋問することで第1鑑定及び第2鑑定の評価に向けた立証をされたい旨の方針を示して、両医師の証人尋問請求の採否を留保した上、公判において、A医師の鑑定人尋問後、公判前整理手続での想定とは異なる事態が生じたとはいえないことを踏まえて、両医師の証人尋問請求を却下した措置について、 異議申立てを棄却したことも含めて、違法はない。 したがって、原審裁判所の訴訟手続に法令違反はなく、控訴趣意には理由がない。 第5 結論よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。 令和6年10月22日東京高等裁判所第12刑事部 裁判長裁判官田村政喜 裁判官井下田英樹 裁判官髙橋正幸

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る