昭和22(れ)331 強盗傷人、強盗、住居侵入

裁判年月日・裁判所
昭和23年4月13日 最高裁判所第三小法廷 判決 棄却 大阪高等裁判所
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【DRY-RUN】主    文      本件上告を棄却する。          理    由  弁護人安田進提出上告趣意書第一点は「一、前審判決は刑事訴訟法第三三四条第 一項を無視し絶対的に弁護人を要する事件に付、之

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主文 本件上告を棄却する。 理由 弁護人安田進提出上告趣意書第一点は「一、前審判決は刑事訴訟法第三三四条第一項を無視し絶対的に弁護人を要する事件に付、之なくして公判を開廷し審理を為したる違法あり。即ち前審たる大阪高等裁判所は昭和二十二年八月四日何等弁護人の出頭したる事実なきに被告人Aに対する公判を開廷同被告人に対し氏名年齢職業住居本籍出生地を問ひたる上、被告人は中華民国の国籍を取得する為めに国籍登録の手続をしたかと問ひ、国籍取得の手続をして居ない旨の答を受くるや、すると日本の裁判所で裁判を受けることになるが異議なきかと問ひ、異議なき旨を答ふるや之を調書に記載せしめたるものなり、二、法が重罪事件に弁護人の立会なくして開廷することを得ざる旨規定したるは弱き被告人個人の利害に影響するところ甚大なるにより裁判に通ずる者をして必ず立会はしめ被告人に防禦方法を講ずることに遺憾なからしめ之が利益を保護しつゝ裁判の適正化を期したるに外ならず。右は一見事実の審理を為ささるが如く見ゆれども国籍取得の手続の有無裁判を受けざるの権利抛棄の如きは明に充分なる法知識なくしては之が発言を為し得ざるものにして、かかる審理にこそ弁護人の立会を絶対に必要とすべきものにして、犯人の身分犯罪の成否、裁判権及ぶか否か等は重要性に於て犯罪事実に対する取調べに立会ふ必要と何等撰ぶところなし。本件は予審を経たる事件にして右公判に至る迄の勾留拘禁日数は甚だ多く国籍取得手続の如きは右勾留中初めて為すこととなりたるものなるべく中華聯盟、親族等他人に於て便宜之を代理国籍取得手続を為し居るやも知れず、或は被告人が忘却したるやも知れず、要するにかかる被告人に対する裁判権あるや否やの如きは絶対に看過するを許されざる最も重大なることにして之の点に対する 便宜之を代理国籍取得手続を為し居るやも知れず、或は被告人が忘却したるやも知れず、要するにかかる被告人に対する裁判権あるや否やの如きは絶対に看過するを許されざる最も重大なることにして之の点に対する公判廷の訊問に弁護人の立会なくして漫然開廷無智なる被告人の供述を得て以て右- 1 -に対する疑問を解決したりと為すが如きは必要弁護を規定したる趣旨を全く滅却したる不法のものと断ぜざるを得ず。前審裁判所は何の必要ありて弁護人の決定もなきに被告人を召喚し開廷したるや其の真意を解するを得ず。尚右公判に於ける取調べを其の後に於て繰返し再審理を為したる事実もなし、右は弁護人選任以前なるを以て弁護人は全く之を知らざるものと思はる。尚右違法は判決に影響あり。」というにある。 記録を調べて見ると原審は昭和二十二年八月四日被告人Aについて第一回の公判を開廷して居る、同被告人に対する本件被告事件は弁護人の立会無くしては公判を開廷し事実の審理をすることは許されない事件であるが右第一回の公判において弁護人の立会が無かつたことは論旨のいう通りであるしかし該公判において為された審理の範囲は上告理由書に書いてある丈けのことで犯罪の実体についての審理は何も為されて居ない而して第二回の公判においては弁護人立会の上被告人の人違でないかどうかの点を初めとし犯罪の実体に付き完全な手続を以て欠陥のない審理証拠調が為され此第二回公判の審理に基いて判決は為されたので第一回の公判は全然無意味無用のものだつたことがわかる、かかる無用な手続において弁護人が立会わなくてもそれによつて被告人の利益が害せられる惧は少しもないから之れを以て原判決を違法のものとすることは出来ない蓋法が弁護人の立会を必要とした趣旨は一つに被告人の利益の擁護を全うするにあるからである、論旨においては第一回の公判で被告人 られる惧は少しもないから之れを以て原判決を違法のものとすることは出来ない蓋法が弁護人の立会を必要とした趣旨は一つに被告人の利益の擁護を全うするにあるからである、論旨においては第一回の公判で被告人が日本の裁判権に服することを承諾した点について重大な意義がある様にいつて居るけれどもそれは誤である被告人が右の様な陳述をしてもそれは法律上何の効力も無いもので、それによつて初めて日本が被告人に対する裁判権を取得するものでもなければ又被告人もそれによつて何等の拘束を受けるものでもない、本件の様な事件においては外国人であることの証明がない限り日本の裁判所は裁判を為し得るものであり又被告人は右の様な陳述をした後でも何時でも国籍の登録を受け- 2 -ることによつて当然日本の裁判権を失はしめることが出来るものだからである論旨は理由がない。 同第二点は「原審判決は弁論の更新を為さざる違法あり、即ち右第一点に記述したる通り昭和二十二年八月四日公判開廷其の後は同年十月一日第二回目の公判開廷したるものにして引続き十五日以上開廷せざる場合に該当す。右更新の規定は裁判すべき裁判官の記憶の減退を考慮之を新にする為めならんも之を被告の側より見る時は之亦記憶を新にし適正なる裁判を受けしむる為めのものなることも亦否定すべからず。本件につき見るに前の公判を更新したらんには被告人は勿論其の後選任せられたる弁護人も亦前に公判ありたる事実を知り不法を指摘其他の方法により適正なる裁判に協力するを得べかりしものとも思はれ判決にも影響を及ぼすべきこと明白なり仍て右更新の看過亦許すべからず到底破毀を免れずと信ず」というにある。 本件第二回公判は第一回公判後十五日以上を経過した後に行はれたことは論旨のいう通りである、しかし弁論の更新ということは初めから弁論をやりなおすということに外なら 破毀を免れずと信ず」というにある。 本件第二回公判は第一回公判後十五日以上を経過した後に行はれたことは論旨のいう通りである、しかし弁論の更新ということは初めから弁論をやりなおすということに外ならぬ、而して上告理由第一点について説示した様に第一回の公判は全然無用のものであり第二回の公判において原審は必要な審理弁論を総べてやつて居るのであるから之以上何もすることは無い之れで十分であり何等違法はない。 被告人A提出上告趣意書は「最高裁判長様にお願ひ申上げます裁判長様愚かな私をお許し下さい一、二審と又も最高裁判長様に迄御手数を掛けます事は国家に対し裁判長様を始め各御役人方々も御迷惑を思ふと実に申訳なく相済まぬと思ふ心で胸は一杯です裁判長様罪を犯した私は勿論其の罪はうけますが十二年の刑はあまりにもひどいと思はれるのです。それにつき一、二私の不満不平が心から熟考せず上訴致しました次第です、私は小学校もろくろくいけず無学な私は字すらろくに書けず裁判長様に自分の心のままに書く事が出来ぬ悲しい私です。充分に書き現しきれぬ私の気持を汲取つて頂きたいと想ひ先づ御願ひ申上げます。私は二才の時父母につ- 3 -れられ日本の土をふんだのです、そうして日本で大きく成りましたが不幸にして戦争の為父母共に家迄焼き殺されてしまひました。後に残つた可愛い弟と共に此の世の荒波をどうして乗り越えてゆく事が出来様かと……一時は死を決して父母の後を追つて行こうとも思ひました。でも其の決心も出来ず弟と二人で泣き暮して居りました。或る日私は小さい子供が闇市でパンを売つている姿を見たのです、其の時私は一度に生き返つた様な気持で生々と大きな希望をえがいたのです。其の時の嬉しさ今も思ひ出して居ります。そうして弟と共に闇屋になつて暮しました。一生懸命に働いて二千円程の現金をためた時は不幸 其の時私は一度に生き返つた様な気持で生々と大きな希望をえがいたのです。其の時の嬉しさ今も思ひ出して居ります。そうして弟と共に闇屋になつて暮しました。一生懸命に働いて二千円程の現金をためた時は不幸にも生きがひのある嬉しさで一杯でした、其のちよつと前にB君を知つたのです。勿論闇売のかんけいから知つたのです、私は其のほかの共犯とは知りませんでしたがB君が前よりの交際して居た人々です、或る日B君が私に現金を借して呉れと言つて来ましたが私は「無い」と言つたらたつた二千円借して呉れ一生恩に来ると言つて頼のむので私はそれでも「いや」だと言つて居りましたが「明日すぐ返しに来る」との事ですから私は今日は品物をしいれにいかないのでお金はもつていましたが二千円にはすこしたらづ弟に頼んでたらぬ金を借り二千円耳をそろえて貸してやりました。それから一日たつても五日待つても返して呉れないので商売は出来ずB君をさがし歩るいて居りました。すると或る日闇市でB君に逢つたので金を返して呉れと言ふと「今夜八時頃に来い」との事でした私はほつとして二度と金は貸すまいと思つて居りましたが夜に成つて行つて見ると「金はないが俺について来たらすぐ返へす」との事でしたので私は只お金を返してほしいばつかりに共についていつたのですするとB君が私に強盗にいこうと相談しかけて来ました私は驚いてしばらくものもいえませんでした、そうして後からついて行くとB君の友だちが四、五人をりました其の時にB君のしようかいで共犯達を知つたのです私はB君に「強盗など嫌だ」と言ひましたら「ではついてくるだけで良い金はすぐ返す」との事でこわごわついて行つたのですそうしてとうとう- 4 -此の様な恐しい罪を犯したのですが話は坂のぼつて一番先の生駒の事件は私は行つたおぼへはありません。私は第二件京都の事件を犯して帰り道 す」との事でこわごわついて行つたのですそうしてとうとう- 4 -此の様な恐しい罪を犯したのですが話は坂のぼつて一番先の生駒の事件は私は行つたおぼへはありません。私は第二件京都の事件を犯して帰り道共犯より生駒の事件を聞いたので、私達の事件に傷害が二件ありますが私は一件しか犯しません傷人事件が二件も有るので十二年の刑を言渡されたのではないかと思ひます。一二審共に検事様の問ひもその通りですと答へましたが……どうして偽つたかと申しますと私がいくじなしで又法廷で裁判長様に答へもろくにようしないのです、裁判の時共犯達が先にたづねられましたが拘置所にくる迄に共犯が私も生駒の事件に行つたと言えとの事でした。私は共犯に拘置所に於いても差入や色々とお世話に成つて居りました為に私は情け無く共犯達の言ふままに「まちがい有りません」と申しました、でも拘置せられてから同居に古い人がはいつて居られて話を聞いてもらつたのですが「君は馬鹿だなぜ真実の事が言えないのだ」とこんこんと話を聞かされました、そうして裁判長様にも偽つて居るとどんな迷惑が掛るか知れないと聞かせて頂いた時本当に自分の意志の弱い事に我れながら情無く思つて居ります。そうして一つは裁判長様にたづねられても共犯の手前も有り又自分が無学の為其の問に答える事が出来ない私でした。裁判長様どうか愚かな私をお許し下さい裁判長様私が十二年も刑につとめていたら可愛弟はどうなりましようもしか私の様な罪を犯したならば私はもう生て行く気持にはなれません。弟に此の様な不自由な苦しい生活はさせたくありません本国に帰るに家は無く親類は有る事は聞いて居りましが父母亡き後どこのはてか其の名すら知りません此の広い世の中に一人居る弟が気に成つて拘置せられて一年余ケ月程弟の事ばかりで悩みはたえません裁判長様どうか哀れな兄弟を救つて下さいま 事は聞いて居りましが父母亡き後どこのはてか其の名すら知りません此の広い世の中に一人居る弟が気に成つて拘置せられて一年余ケ月程弟の事ばかりで悩みはたえません裁判長様どうか哀れな兄弟を救つて下さいませそうして服罪しました暁は明るい生活に大きな希望を胸にいだききつと社会に対して此の罪のつぐない御恩返しをいたしますへたな字で御座居ますが私は一生懸命に書いたのですどうか御願ひ申上げます。」といい被告人C提出上告趣意書は「一、総章裁判長閣下並検事陪審席諸官様に謹んで申上ます、私は昭和二- 5 -十一年十月五日大阪Dホテルに於て奈良県群山署の刑事の方々に強盗容疑者として逮捕され現在まで一年有余日に渡り種々取調べを受けて参りました此の長苦しい未決生活を過しながら静に自己の愚かさを覚悟いたし、懺悔の涙を以つて神仏に謝して居ります裁判長様私しが何故に斯る恐る可き犯罪をするに至つたか其の動機と身情を何卒御情けを以つてお聞き下さる様御願申上げる次第に御座居ます二、犯罪と社会観戦争に依る敗戦と言悲しい現実がなかつたならば日本国民総ては、幸福だつたでしよ、現在の私しが惨めな姿を一国の都市にたとへて見ますに東京や大阪その他の戦災都市の姿そつくりに表して居ります。B29によつて思ふが儘に焼れた都市は今余りにも情けなく醜い姿をして、良く考えて見ると焼れる前の都市はどれだけ都市としての立派さを持つて居ただろうか又良く考えて見ますと罪を犯す前前の我身はやはり焼れる前の都市の姿と何ん等変る事はないだろうと思ます、世界の時節のかはりめ、又時の流れには、勝つ事は出来ないと信じます、誰れしも終戦後の犯罪者はすべて偶然の運命にまよつて居るで有ります戦に敗れ国内に恐る可き食量難来り戦災に依り老若男女多数焼け出され住に家無く人々の多くは悲嘆のどん底に呻吟して居りますそして此等社会の れしも終戦後の犯罪者はすべて偶然の運命にまよつて居るで有ります戦に敗れ国内に恐る可き食量難来り戦災に依り老若男女多数焼け出され住に家無く人々の多くは悲嘆のどん底に呻吟して居りますそして此等社会の敗北者の多くは、自己を呪いながら大なり小なり犯罪を一つ一つ犯して行くのでした、勿論其の罪は犯罪者自身に有るのですが又反面かかる混鈍たる社会その者にも多分に有ると思ます私も決して生れながらの犯罪者では有りません、然らば何故に私が社会の敗北者の群に落入つたか其れは次の様な悲しい事情が有るのです御聞き下さい、三、私の戦場生活私は昭和十九年四月福岡第二十九部隊に現役兵として入隊致しました、同年八月満洲に渡り第一戦隊として奮戦苦戦を続け日本男子としての名誉と日本帝国の為に全力をかけて粉身粉骨を尽してそして一死報国の誠を示されと戦つて来たので有ります而し我が軍は日に犠牲を払いながらも敵陣地目がけて肉迫致して勝利に勝利を期して戦ましたが其の苦戦苦難は私の口や筆では表現出来ません出発以来食量も満足にあたらず不眠不休- 6 -の苦痛を明け暮れながら兵隊達の食事は千切大根の乾物ばかりです水も思ふにのめません、水筒の底に一つてきの水も無のを戦友達は何回となく、のぞいてはあきられ、又水筒をさかさまにして口に当てては吸つてながらも、私達は祖国日本の為に戦つて来ました満洲での戦は悲惨でしたが総へて勝利は、我軍の手中に有りました而し太平洋戦に於ては我軍の敗戦が続き次に沖縄戦で同時に終戦を告げました、終戦と言指令が私達の部隊に達した時にどれ程に自分の耳を疑つたか知りません、生きて二度と祖国へは帰らんと固く神様に誓つて戦場に出た私達は戦友と抱合つて瞼が熱くはれる迄男涙きに涙き合つたので戦友達の顔には悲想なる色が有り有りと浮んで見えましたそれも当然の事でせう。大日本帝国軍人と 二度と祖国へは帰らんと固く神様に誓つて戦場に出た私達は戦友と抱合つて瞼が熱くはれる迄男涙きに涙き合つたので戦友達の顔には悲想なる色が有り有りと浮んで見えましたそれも当然の事でせう。大日本帝国軍人として親や兄弟妻子と別れ、此の遠い戦場に満洲で喰や喰ずに決戦に決戦を続けて来た、私達に取つて敗戦と言ふ二字の言葉がどれだけ悲しい言葉で有つたでしよ、今日迄不眠不休と餓量に苦しみながら戦つた私達は、にはかに目の先きが真闇に成りました、四、敗戦後の兵隊の苦労而し部隊長殿の暖い指揮依り懐しの日本に帰る事に成りました、私達の乗せた舟は一路内地え内地えと進み九州の南端博多港え上陸致しました然し誰一人として笑顔で私達兵隊を迎へて呉れる者は無情能で有りました、目に映る物は無惨に焼きつくされた都市の姿でした私は思はづ馬鹿の! 馬鹿! と誰に言ふともなく強く胸の中で怒鳴ました激しく熱い涙が疲れた、私の瞼にしみでるのを、どうする事も出来ません祖国を離れ流狂ふ満洲の戦場で祖国の為に決戦を続けた、私達の目に焼つくされた、都市日本の姿は、余りにも、痛いものでした、間もなく疲れた足を引ずりながら復員列車に乗り一路故郷に帰りきて見ればすでに、住んでゐた家はすでに空襲で焼かれ後形も有りませんで近所の人達に聞くと母は空襲で焼死父親一人が淋しく私の復員を待ちわびてゐたそうですが、私の復員が遅れたので、父親は私の帰りを、あきらめて、親類達が朝鮮に帰る時に連達つて帰つたと聞きました、私は、思い掛けなく母親の死と父親の帰国に驚きと悲しみで一杯いでした。私しは其- 7 -の日より食ふに食なく住むに家なく、悲しい姿と化しました、五、復員の私の生活、私は国を拾つてて大阪へ出て来ました、私の身持品は満洲で貰つた、軍服一着と「モオーフ」一枚それに「リクサク」靴一足水筒其の外小雑品少しです、私は むに家なく、悲しい姿と化しました、五、復員の私の生活、私は国を拾つてて大阪へ出て来ました、私の身持品は満洲で貰つた、軍服一着と「モオーフ」一枚それに「リクサク」靴一足水筒其の外小雑品少しです、私は、餓飢をしのがす為にそれ等の身持品を、a駅の闇市で売つてそれに得た、金わ、はずかに三百円たらず此の三百円を、生命の綱とたより乍ら、寒い風に疲れ切た身を、さらしながら、親類を探し廻りましたが皆朝鮮に帰つて仕舞た後でした早や手には、三百円の金も使い果し一文も有りません、私は三日四日喰べづに過した事は二度や三度では有りません、如何なる事があつても、住む家と職を探さねば成りません、何十軒となく探し出しては懇々と復員書を見せて事情を話し、就職を籟んでも一軒として使て呉れる店は有りませんでした、行くとこ行くとこ総てが冷い社会で受付ては呉れませんでした或る日の事私は、飢えた身を、力ら無く引ずりなから、gの闇市を足て居る時偶然にも昔しの知人に当る、E某にばつたり合いました、私の喜びは如何ばかりであつた事とでしよ、復員致し現在非常に苦しんでゐるをE某に話しましたすると、それわ気毒な事と同情致してE氏が国へ帰る迄自分の店で働らいて見るかと親切に引立て呉れましたかが間もなく、十五日も達たぬ内に急に帰国するに致つたので而し復員して以来一日として暖い家庭の下に暮した事もない私しに取つて此の十五日間E氏の店で働らいて居た事はなにより幸福な暮しでした、其の夢も此々に消え去り又私しは寝る家なく、食なく冷たい社会に流されたのです何幾か私しは敗戦で悲味み社会を、呪つたか知れません、六、Fと知合ふ、私はE氏の帰国以来誰一人りとして杖えと、便る人は有りません而し、私は生んが為にわづかな、小金で煙草を、買つて其れを路場で売辛くも生命を、たもつて居ました、或る日dの闇市で煙草を売つて Fと知合ふ、私はE氏の帰国以来誰一人りとして杖えと、便る人は有りません而し、私は生んが為にわづかな、小金で煙草を、買つて其れを路場で売辛くも生命を、たもつて居ました、或る日dの闇市で煙草を売つて居ますと私の前に、一台の自動車が止まりました、私は直くに自動車の傍に走り依つて煙草を買つて下さいと、願いました自動車の中の男は気前よく、三個を買つて呉れた上に多小のつり銭もそれは宜しいと言つてくれま- 8 -した私わお礼を述て自動車の傍で煙草を、他の人々に売つて居ると、自動車の中より先の男がおいおい若者煙草商売は、もうかろと尋ねられました、私たたいした事は、有りません、と話しますと、男はもうからなきやその様な煙草売りをしないだらう、もうかるから君もやつてゐるのだろうと言われたので私わ復員後の苦しい身境を、物語りました、私の此の哀れな、話を聞いた彼れは、其の様な気毒な人なら、御世話致しますから、明日にでも自分の家に来なさい、及づなから力になりましよと言われ所書、氏名を書いて私に呉れました、私は、明日直ぐに大阪府南河内郡b町大字方を、訪ねたのです、そもそも此れが私の悪えの転落にならうとは夢にも知りませんでした此々で初めてFと彼の名前を聞されたのです、其の時Fは、「よく来て呉れた」と言つて笑顔で迎えて呉れました間もなくFの努めて居る鉄工所に私は、働らきに出ました、Fも色々と親切に面倒を、見て呉れるで感謝致して働きましたが而しら、Fと私と働らいて居る鉄工所も資材が切れたので働らく事も出来ず私しと、Fは、毎日休み続きで仕方なしに、私しは、前の様に煙草を、売りに出てました、七、第一回犯罪事実の告白或る日Fが私に向つて今日は、煙草売を止めて俺れに連達つて遊に行こうと、さそわれましたので、私はFと一諸に大阪に参りcの、有る家に、入りました、此れがGの宅だつ 出てました、七、第一回犯罪事実の告白或る日Fが私に向つて今日は、煙草売を止めて俺れに連達つて遊に行こうと、さそわれましたので、私はFと一諸に大阪に参りcの、有る家に、入りました、此れがGの宅だつたのです、そこで初めて、GH某J等に紹介されました、其れから皆と同家に遊で居りました、Fが私に「俺達は、用事が有るから、お前は、映画でも見てこい」と言れましたので、私は皆と別れてdの映画館に行つて映画を見て昼間紹介された、G宅に、Fを尋ねて行きました、Fは私を見るなり「あいつもきたから行こう」と一人語を言ひながら、私に向つて此れから、eに親友が居るから、遊びに行くからお前も一諸に連いてこいと誘われましたので、私とFとGJH某等五人でeえ行きました時間は、午後十一時を過てゐました故、私はこんなに夜遅く友達の家に行たら、迷惑しませんかと話すとFは、「心配する事はないと言つて只笑ふばかりでした」私達五人は、e駅で下車して南- 9 -に向つて約三十分程歩きました、多分淀川堤防にさしかかつた時だつたと思ひます、Fは、此の辺んで休息しよかと言つて立止ました、Fは私をとらえて、堤防の下に在る民家に強盗を、する事をすすめました、私しわ、驚きの為にものも言えませんでした、いやですと只一言反対した切何にも言えませんでした、Fは、堅い表情で私に迫りました、今更帰ると言つて電車はなし、其れより今晩は付合つてくれと頼まれました、私としても何回となく反対しました而しFの家庭で食事や寝起の世話までしてもらつて居る私は、Fに対する義理からでもFの言葉に同意せざるを得ませんでした、今考へて見ると実に愚かな事で有ります、突然H某が手持の鞄より拳銃と短刀を取り出し私に、其の拳銃を使えと、手渡しました、短刀は、Gに渡して居りました、Fはすでに、自分の拳銃を、持つて居り私は初てFが 今考へて見ると実に愚かな事で有ります、突然H某が手持の鞄より拳銃と短刀を取り出し私に、其の拳銃を使えと、手渡しました、短刀は、Gに渡して居りました、Fはすでに、自分の拳銃を、持つて居り私は初てFが斯る人間であつたかと嘆きました、用意が出来ると、Fが今夜入る家は酒造家で現金も相当持つて居るのだと話し五人で家の前に行H某が見張に付き後の四人が家内に侵入し拳銃と短刀を家人に突付、主人I氏を、脅迫して、現金三百五拾円を、強奪し其の間に、二階に上り金を探してゐたFと私の二人は、金が見つからないので、下に降りて来るとGJH某の姿が見えませんでした、夜は明けかけ、通行人がほつりほつり有りましたので早く引揚ようと思ひ表に出とすると早や警官が来てゐて、私等の姿を見るなり、発砲してきたので私等二人はあわてて裏口より、別れ別れに逃げ出しました、其の足でGの家を尋ねてゐくとすでに四人は帰宅して私を待つて居りましたH某の話しでは、タベ強盗で得た金は、三百五拾円で有つたと聞パンと煙草を買つて皆で分配しました、此れが私の第一回の犯罪で有ります、其の後に於る六件の強盗も総て私の意志薄弱に依る弱るのと、Fに世話を受けて来た義理の為に犯した愚かな私しの犯罪であります私が以上に渡る強盗七件を犯した事は、返す返すも情けない次第で御座居ます、裁判長閣下以上申上げた私の身境を宜敷く御判断下されまして哀れな犯罪動機を御吸み下さらん事を衷心より哀願申上げる次第にて御座居ます、- 10 -八、第二回犯罪事実の告白eで強盗を働いたその晩Gの家で晩めしを喰べながら、Fが「今からfの方面に遊に行こと言出し私とFとGの三人はfへ出かけ、そして城東線f駅で下車して西の方へ約一丁程歩行中、西から東へ向ふ「オートバイ」が有りました、其の時Fが私に向つて「お前有の「オートバイ」を、止め」と言われ、 こと言出し私とFとGの三人はfへ出かけ、そして城東線f駅で下車して西の方へ約一丁程歩行中、西から東へ向ふ「オートバイ」が有りました、其の時Fが私に向つて「お前有の「オートバイ」を、止め」と言われ、私わ一時心安しましたがけつきく度胸をきめて、「オートバイ」を止めましたFは車のそばへ寄つて行き、運転手に向つてgを廻つてhに行つてくれと頼んで居りますと運賃をいくらくれるかと運転手が聞いたので、Fが「百円やると」言ふと、運転手は承知し三人を乗せてgに向かひました、其の途中二丁程進行してゐると、Fが「私等二人に此の車を、取るかと」話しかけてきました、やつぱりFは最初から、そいう腹であつたと、今さらながらFの恐しさにおののきました、しようなしに賛成した、私等二人は、三人で内Gが持つて居た鞄より拳銃二ツを取出し一ツをFに渡し後の一ツをつかえと言つて私に持たしました、そしてFは用便したゐからと言つて車を、停車させ車を、降りて右に廻り私が左に廻り拳銃を、突付脅迫し運転手を、附近の焼あとに連出し、其の間にGが「エンジン」をかけ動き出しに私とFは飛乗り三人で逃げました、車に乗つた三人は、dのDホテルの附近で私とGとが降りFが一人が車を売つてくるからと、言つて乗て行Gは自宅に帰ると言つて家に帰りました、私一人がDホテルに入つて一時間程居ると、Fが帰つて来て私に「貴郎は、今晩此々で泊れと」言つて宿賃を払つてくれFが言ふのには「私は今日は家へ帰るから」明日私が此々へ来る迄待つて居れと言つて帰りました、明日午前十時頃にFがホテルを、おとずれ二人して、Gの家へ行きました、家へ着くなりFが私とGに向つて車売つた金を、今から貰ゐに行つてくると、言つて出掛け私は其の間Gの家で待つて居りました、するとそこへH某やJが遊びに来共に四人でFの帰りを、待ちました、昼過Fが金を持 へ着くなりFが私とGに向つて車売つた金を、今から貰ゐに行つてくると、言つて出掛け私は其の間Gの家で待つて居りました、するとそこへH某やJが遊びに来共に四人でFの帰りを、待ちました、昼過Fが金を持つて帰つて来て有の車は一万円で売つてきたと言其の金でGに分前として二千円をやりH某に拳銃を貸つたお礼として四百円をやりJに- 11 -も小遣として四百円をやり残金より五人が喰べためし代として二千五百円を差入後の金は、Fが取り私に千五百円を、くれました、九、第三回犯罪事実の告白、自動車を強奪してからと言ふ物は、毎日反省の涙に明け暮れ幾度か自首しようと考へた事も有りますしかし現在の生活を考へ又Fの手前にも一月間と言ふものわ金も無しでFの家で、めしを喰してもらい、宿だけは、Fの姉が宿屋を経営して居る、関係上其所で世話に成り、日に三十円と言ふ宿賃で宿つて居りた所日々に其の宿賃にも差つかえる様に成り月末には九百円と言ふ借金まで出来又もや一躍千金の夢を見て悪事を重ねたので有ります、同年九月中頃或る日の事Fが「今日一寸用事が有るから、付合つてくれと言われこへで電車に乗りi川附近の駅で下車してぶらぶら歩いて橋の上迄くると、Fが「魚釣を見て行こうと」言ひ、橋の上からのぞいて居ました、ちうど其の時一台の大阪に向「小型自動車」が有りました、Fは、それを、見るなり、私に今日は、用事をやめてあの事に乗せてもらて帰らうと言ひ、Fが其の車を、止め「いも」が有るのだがすまんが一諸に集んで乗してくれと言ふてました、すると、運転手が「c迄なら」乗せましよと承知したので、畠の所に「いも」が置いて有るからとFが言つて車をそこへ置き運転手だけを附近の畠迄連出しFが持つてゐた鞄より拳銃一ツ取り出しそれをもつて運転手を脅迫し私は運転手が持つて居た綱で手と足をしばり、Fが車に「エンジン」 が置いて有るからとFが言つて車をそこへ置き運転手だけを附近の畠迄連出しFが持つてゐた鞄より拳銃一ツ取り出しそれをもつて運転手を脅迫し私は運転手が持つて居た綱で手と足をしばり、Fが車に「エンジン」を掛二人して逃走しました、そして私は、d駅前で車よりFが此の車を、売つてくるから其の間Dホテルで待つて居つてくれと言われ、約一時間程待つて居るとFが帰つてきて、車売た代金は今日はまだ貰つて無いからと言つて二人でFの家へ帰りました、明日Fが昨日の金を貰つてくるから君は家で待つててくれと言われ、晩迄待つて居りました、晩食を喰べてゐると、Fが帰つて来、有の車は、一万で売つて来つたと言つて私に四千円をくれ残りの、六千円をFが取りました、其の時私は何時も世話に成つてゐる関係上Fの妻に四千円の内より千五百円で買つた白の夏服を御礼として上げました又宿賃の借金- 12 -千円も払ひました、十、第四回犯罪事実の告白、再び九月十九日朝Fは私に今日大阪へ廻つて奈良へ遊びに行こうと誘ひかけ、二人してd迄出て来ました、此の朝もFは、私に内諸で強盗に入る手はず出来て有つたのです、dの駅前の喫茶店に入り「コーヒ」をのんで居るとFが「君は此々で一寸待つて居てくれ、私は一寸友達の所へ寄つてくるからと、言つて出て行き半時間ばかりすると、G及びAと言ふ男を連れて来て、Fが私とG及Aに向ひ、自動車に乗つて行きたいが此々では「タクーシ」が無いからa迄行つて探してきてくれそして午後一時半頃にK映画館の前で待つて居てくれ俺も用事すみしだい行くからと言私等三人はa迄行き其所で車を、拾ひ一時半頃に映画館の前で待つて居りました、すると時間通りにFがやつてくるなり私等拾つた、車の運転手に「チツプ」として三百円をやり此れから奈良迄往復してくれと頼んだ所運転手は承知し其の時、Gが用事が有るからと言 映画館の前で待つて居りました、すると時間通りにFがやつてくるなり私等拾つた、車の運転手に「チツプ」として三百円をやり此れから奈良迄往復してくれと頼んだ所運転手は承知し其の時、Gが用事が有るからと言つて自宅に帰りましたそこでFとAと私の三人は車に乗り奈良に向ひました、そして奈良公園で車を、止め同公園で三人して夕方迄遊びやがて時間もおそいから帰らうとFが言つたので、そこより又車に乗りしばらく行くFが腹がへつたから飯を食べようと言ひ出し運転手と四人で食事を、喰べました、食事後一路奈良街道を、大阪に向つて進行中j村附近にさしかかつたさいFが運転手に車を、止めてくれと言つて停車した所、其所にはすでにH某、J及Gの三名が待つて居りました、其の時初めてFが今晩H某の知合の家で金を、持つて居る家が有るからと言つて話かけられ其所で、初めて気が付いたのですがしかし其の時はすでにおそく帰るにも帰れん様な、立場になり私もついに、承知したので有ります、其の時H某が私が案内するから、と言今の所まだ時間が早いからと言ふので附近の墓場の所で六人して時間待ちをしました、やがて時間が立午前一時半頃に成りましたのでH某が案内して其の目的の家の附近まで行きH某は此々の主人と自分は顔見知りだから工合が悪いと言つて自身持つて居た二ツの拳銃を一ツを、Gに渡し後の一ツを私に使えと言つて持たしました、それ- 13 -で私等五人は家内に侵入主人L氏をFとGとAの三人が拳銃を持つて脅迫し私とJの二人は降に寝て居た二人の男に拳銃を突付Jが二人を縛上た上私わ、二人の番をしてJは、主人の部屋に行つた所主人があばれるので、其所にあつた得物で主人の顔に裂傷をおわせ、F、J、A、Gの四人で主人を脅迫中、突然発砲の音が聞えたので私わびつくりして二人の男を、其のままほつとき、主人の部屋にきて見ると、 所主人があばれるので、其所にあつた得物で主人の顔に裂傷をおわせ、F、J、A、Gの四人で主人を脅迫中、突然発砲の音が聞えたので私わびつくりして二人の男を、其のままほつとき、主人の部屋にきて見ると、Gがあやまつて空砲をうつたのだと言、私は附近の人が皆起きるから、帰らうと言私はさつそく表へ出ました後より皆追かけて出て来そして一同自動車に乗り一路大阪に引揚ました、大阪へ帰る途中、車の中でGが一万五千円を出しFが五千円を出し此が今日のもうけだと言ひ運転手に其の金で四千円を運賃としてやり、G、A、J、私等四人に二千円づつをくれ残りの内より奈良で食べた、食事代としてFが三千円を差引、後の三千円をFが取りました、此の時すでにFは五千円と言ふ物は、私達に内諸で取つてゐたので有ります、かかる極悪悲道の悪人とも知らず、何事も親かなにかの様にたよつてみた私わ、何と言ふ馬鹿者であつたでしよ、十一、第五回犯罪事実の告白奈良県で強盗を働た私等一同は、自動車に乗つて其の朝Dホテルに着きました其所でG、H某、J等の三人が自宅に帰り残つたFとA、私の三人が朝食を喰べながら今日は大阪にゐたら危険やから京都にでも遊びに行こうとFが言つたので私等三人は、電車に乗つて京都のkで下車しましたそこより約一丁半程歩つて有る喫茶店に入り「コーヒ」をのんで居りながら時間を、つぶしてゐると、Fが今日は、疲れたから此のまま大阪に帰らうじやないかと話し私等三人は其の店を出ました、其所で私わ買物が有るからと言とFがそれなら早く行つて居いと言、私が買物をして帰つてくるとFとAの二人が「タクーシ」を拾其の車に乗つて待つて居りました、私も車に乗り、lに向ひ二丁程走つた頃、Fが車の運転手に向ひ此のまま大阪迄行つてくれと頼んだ所、運転手は、「ガソリン」が無いからいかれんと言ひ千五百円はりこんでくれたら一 に乗つて待つて居りました、私も車に乗り、lに向ひ二丁程走つた頃、Fが車の運転手に向ひ此のまま大阪迄行つてくれと頼んだ所、運転手は、「ガソリン」が無いからいかれんと言ひ千五百円はりこんでくれたら一度会社に帰つて自分の手持の「ガソリン」で行- 14 -きましようと言つたので一度会社に帰り自分の「ガソリン」を積込み出発の時に私が運転手に千五百円を払い大阪に向ひました其の途中、京都から三十分ばかり走つた頃、Fがふゐに、此の車を取らうじやなゐかと話しかけ、私等二人もそれに賛成し其所より約一丁程行くと、竹藪が有つたのでFが其の時運転手に向ひ用便したいから止めてくれと言車を停車させ、私等三人は、車より降り用便しFが言ふには、此々では、人通が有るから、此の先にもう一つ竹藪が有るから、其所で仕事を仕様と言其こより又車に乗り二丁程行くと又藪が有り、Fが此々だと言ひながら、自分の鞄より拳銃一ツを取出し私にお前使へと言つて私に持たしました、車は、俺が止めるから、合図したら仕事にかかれと言ひ、運転手に車を、止めさし、私等三人が降りると運転手も降りて「ハケ」を持つて「ガラス」をふゐて居りました、Fは、元きた道の方え三間程下り見張りの役をしました、Aと私の二人は運転手に拳銃を突付竹藪の中迄連出しAが綱で運転手の足と手を縛らうとすると、運転手が反抗するので私が其所に有つた長さ一尺くらいの棒で運転手を殴り、Aが運転手を縛上、其所にほつとき、私等二人が竹藪より出てくると、すでにFが車に「エンジン」を掛持つて居りました、其所より私等三人は、大阪m駅の近く迄くるとFが貴郎二人は此々より電車に乗つてDホテルへ行つて待つて居てくれ私は車を、売つて後からすぐ行くからと言、其所で別れ、私等二人は、電車でDホテルへ行き、約二時間程待つて居ると、Fが帰つて来つて有の車は、すぐ売れん 此々より電車に乗つてDホテルへ行つて待つて居てくれ私は車を、売つて後からすぐ行くからと言、其所で別れ、私等二人は、電車でDホテルへ行き、約二時間程待つて居ると、Fが帰つて来つて有の車は、すぐ売れんから、一時預けて来たと言、Fと私はFの家へ帰りAと別れました、其れから約十日程何事もなく暮し十日過にFと二人でDホテルへ出て来ました、其所へAも来合し、Fは私等二人に此の前の車を、売つてくるからと、言つて出て行三時間程待つて居ると、帰つて来て有の車は、二万円で売つて来たと言現在の所では現金一万円しか有たらんから後の一万円は一週間程待たなんと言、其の一万円で私とAに三千円づつくれ残りの四千円を、Fが取りました、後の一万円は、私等が逮捕され、貰わずじまいでした、十二、第- 15 -六回犯罪事実の告白、或る日の事Fと私の二人がGの家へ遊びに行つた所、H某、J等も来合つて居り、H某が、Fを見るなり今から貴郎所へ行こうと思つてた所ですと言、其所で又、強盗に入る話が出H某が私の近所に大きな、皮工場が有るから入つたら度やと相談しかけられ、Fが承知したので私等一同も皆賛成したわけです、其の日は、打合だけをし、その明日、F、H某、A、J、G、私等の六人がDホテルに集り、Fが私とGにお前二人はH某に案内して貰現場を見て居いと言、私等二人がH某に案内して貰い現場を見て帰る時、H某が自分わ、此々で別れると言つて自宅に帰りました、私とGの二人はDホテルに帰つて来て、Fに現場の事を話しそれよりFとAGMと言ふ見知らぬ男と私と其の日仕事の為に雇つた自動車の運転手及助手と七人で晩食を喰べながらFが私にお前と、GとMの三人は「トラツク」に乗つて先に現場の附近で待つとれと言つたので私等三人は承知しFは俺は、後から、電車に乗つて現場附近の駅迄行くから、其の時に誰でもかまわんから 食を喰べながらFが私にお前と、GとMの三人は「トラツク」に乗つて先に現場の附近で待つとれと言つたので私等三人は承知しFは俺は、後から、電車に乗つて現場附近の駅迄行くから、其の時に誰でもかまわんから一人駅迄迎に来てくれと言ひ、三人は「トラツク」で現場附近に着私とGの二人が駅前に行くと、すでにF、A、Jの三人と、見知らぬ男五六人が待つて居りました、其所より全部で自動車の所迄引かへし、Fが時間が早いからと言つて附近の畠の所で時間待ちする事になりました、やがて午前二時頃Fがぼちぼち仕事に掛ると言、私に拳銃を使えと言つて、自身二ツ持つて居た中より一ツを私に持しました、其所でFとA、私の三人は、皆より先に会社の門の前迄行き、用すを見ると、人が居つたのでやつと十分程その附近で待つて居りました、すると其の時中より守衛が一人出て来て守衛室より約三回程はなれた所へきた時私等三人は拳銃を突付会社中迄案内せいと脅迫し会社内に侵入、守衛室に入つた所、守衛室には、まだほかに二人の守衛が寝て居りました、其の時後の一味が全部、内へ入つてきました、そしてFは、J煥一及Aに向つて守衛室の事は、お前等にまかす言Fと私と見知らぬ男二人して、前の守衛に案内さし主人の居間に行つた所、主人の部屋には、形勢を、さつしすでに主人の- 16 -姿わ無く、主人の事を、あきらめ、守衛室にもどろうとすると突然其の時「サイレン」が鳴つたのであわてた、私等は守衛室にもどり来て見ると主人は、すでに傷をおわされて居りました、そしてFが今の「サイレン」誰が鳴らしたかと聞くと、Aがあやまつて「スイチ」きつたとA自身言ふて居りました、それでは引揚ようとFが言つたので其の場よりすぐ全部引揚ました、十三、第七回犯罪事実の告白皮工場襲撃を失敗に終つた明日、Fと私は、映画で見に行こうと言二人でDホテル迄出て来 A自身言ふて居りました、それでは引揚ようとFが言つたので其の場よりすぐ全部引揚ました、十三、第七回犯罪事実の告白皮工場襲撃を失敗に終つた明日、Fと私は、映画で見に行こうと言二人でDホテル迄出て来ました所、Fが俺わ一寸用事を思出したからお前一人で映画を見て午後五時半頃に此々にきつて待つててくれと言つたので、私は映画を見に行、四時半頃にDホテルに帰つて来るとF以下A、M、Jの四人が待つて居りました、Fが私を見つて今晩、俺の目的の仕事に行く様に相談が出来てゐるからお前も行けと進められ私も誘われたので有ります、其の時一台の自動車がホテルの前に止りました、此の自動車はFが仕事の為に雇つた自動車でした、此の時MとJの二人が飯を喰べに帰ると言ふとFがお前等飯を喰べてから大鉄線「n」駅附近で待つとれ俺達も飯を喰べて自動車で行くから、其所で一諸に乗つて行こうと言、私達も食事後、自動車に乗り「n」の駅附近にさしかかると、すでに、J、Mの二人はすでに、きて待つて居りました、其所で自動車を止め二人も乗り同勢五人で奈良に向ひました、そして大阪を出てから約二時間程行くと現場附近に着きました、其の時時間は、午後十時頃でした其所で私等五人は自動車より降り、Fが運転手に私達は一寸用事が有るから一丁程先で待つててくれと頼み車を、一丁程先きに待たしました、Fは、それより、今夜入る家を教へ時間が早いかと言つて、畠の所で約四時間程待つて居るとFがJ、私に向ひ、お前ら二人は、中へ入つて扉を開よと、言つたので私等二人は塀を乗こえ内らより扉を開けました外で待つて居た、三人も中へ入つて来つて様子を見るとまだ人が起きてゐる、皆が寝る迄待つ事になり、三十分程待つてFが私に拳銃を使えと命じ私に持たしました、Jは、門の所で見張りをする事を、命ぜられ私等四人- 17 -が裏により「クワ」見 様子を見るとまだ人が起きてゐる、皆が寝る迄待つ事になり、三十分程待つてFが私に拳銃を使えと命じ私に持たしました、Jは、門の所で見張りをする事を、命ぜられ私等四人- 17 -が裏により「クワ」見たいな、物であまどを、こじ開其所より家内に侵入しF、A、私の三人は、各々拳銃を突付同家人を脅迫しMが綱で家人全部を縛上、現金九千三百円を強奪しAは私等に内諸で腕時計一個を取つて居りました其所より一同は、自動車でDホテルに引揚早朝五時過にホテルに着きました其所で運転手に強奪して来金より運貸として四千円を払残りの五千三百円の内より食事代として千五円を差引結果残りの三千八百円を一人頭七百円づつ取り残つた三百円でタバコを買つて皆で分配しました、十四逮捕の顛末奈良で強盗を働き無事大阪に帰つた私は、Dホテルで皆と別れFと二人で二階の部屋で昼寝し其の日の夕方午後四時半頃迄寝て居りました、起きた、私等二人は晩食を喰べ、食事二人して映画を見み行午後九時半頃映画館を出、Dホテルに帰つてくると、二人の見知らぬ男が「今晩リンケンが有るから、どこにも外出せん様にと注意され、此の時初めて警察の人と知り、しかし此の時にはまさか自分達逮捕の非常線とは気が付かず私服の刑事が部長の来る迄待つてくれと言つたので約十五分其所で待ちました、其所へ部長が部下三十人程連れてホテル内へ入つて来て私等二人を見る成り其の者に手錠を掛けよと命じ阿部野署迄一寸来てくれと言刑事と一緒に警察迄行きいましも、一歩刑事部屋に足をふみ入れたとたん其所には全暁使つた自動車の運転手が手錠を掛けられあわれな姿が目にうつりました噫来る物は遂に来た、不正は何時しか其の報が来る短い幸福の夢は此々に破れ運転手と私等の三人は冷い夜風を受けて大阪の町をただ一筋警官に護送されて罪悪の思出もまた新しき奈良県群山署に連行され此々で ました噫来る物は遂に来た、不正は何時しか其の報が来る短い幸福の夢は此々に破れ運転手と私等の三人は冷い夜風を受けて大阪の町をただ一筋警官に護送されて罪悪の思出もまた新しき奈良県群山署に連行され此々で種々取調を受け此の世の置土産に私が強盗で得つた六千円の金を納め今は一点のくもりもなく留置場に辛吟する身と成つたので有ります、十五更生への決意現在朝鮮には六十二才に成る年老た父親と妹が私の復員致した事も知らず淋しく暮らして居ります、私の出獄が御遅れたならば年老いた父親は、果して生きて居て呉れるでしようか獄中に在りて家族の事を考える時私しの、胸中は痛むばかりです、何にも優る此の心の苦しみを只一筋- 18 -信仰にすがり乍かり裁判長閣下並検事陪審席諸官様の御同情を御期待しつつ此の上申書を草して居るので御座居ます、幸にして刑も減じ再び社会にまみえた其の時は親日朝鮮人の一員として日鮮協力に身命を賭す決心であります、十六、後章以上は私しの天地信明誓つて偽らざる私の心の告白で有ります、学浅くして要領を得ざりし此の上申書を御多忙中の折にも拘らず御精読下さつた裁判長閣下並関係諸官様に対しい衷心より感謝致す次第いで御座居ます愚か成る私の為数々の御迷惑と御手数をわずらわした事は誠に申訳なく、七重の膝を八重に御詑び申上ると共に来る最高裁判に於て以上申上げた、真実に対し哀れと思召し下されば何卒一掬の御同情を寄せられん事を切に切に御願申上げる次第で御座居ます」というにある、しかし上告は原判決が法令に違反して居ることを理由とするときに限り許されるのであるが右の理由書はいずれもこれを理由として居ない、原判決の事実の認定を批難し又は刑の量定の重きに過ぎることを主張する丈けである、これ丈けでは上告の理由としては採用出来ない。 其以上説示した様に本件上告はいずれも理由がない これを理由として居ない、原判決の事実の認定を批難し又は刑の量定の重きに過ぎることを主張する丈けである、これ丈けでは上告の理由としては採用出来ない。 其以上説示した様に本件上告はいずれも理由がないから刑事訴訟法第四百四十六条に従ひ主文の如く判決する。 以上は当法廷裁判官全員一致の意見である。 検察官十蔵寺宗雄関与昭和二十三年四月十三日最高裁判所第三小法廷裁判長裁判官長谷川太一郎裁判官井上登裁判官庄野理一裁判官島保裁判官河村又介- 19 -

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