主文 1 被告が,原告に対して,平成6年10月21日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求の趣旨主文同旨第2 請求の趣旨に対する答弁 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 第3 事実 1 事案の概要本件は,訴外トヨタ自動車株式会社(以下「訴外会社」という。)に勤務していた訴外P1(以下「亡P1」という。)が,ビルから飛び降り自殺したことが業務に起因するうつ病によるものであるとして,亡P1の妻である原告が,岡崎労働基準監督署長に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金及び葬祭料の各給付を請求したところ,同労働基準監督署長から事務の移管を受けた被告が,亡P1の自殺は業務上の事由によるものとは認められないとして,原告の各請求につき不支給処分としたため,原告が,被告に対し,上記不支給処分の取消しを求めた事案である。 2 争いのない事実等(特に証拠を掲げたもの以外は,当事者間に争いがない。)(1) 原告は,亡P1の妻である。 (2) 亡P1の経歴,健康状態,性格等ア亡P1は,昭和28年5月25日に出生し,昭和47年3月に愛知県立旭丘高等学校を,昭和51年3月に東京工業大学を卒業し,昭和53年3月に同大学大学院修士課程を修了した後,同年4月に訴外会社に入社した。 訴外会社では,昭和53年11月に第1技術部車両設計課に配属されて以来,一貫してシャーシー関係の設計業務に従事しており,昭和62年2月から死亡するまでシャーシー設計部第1車両設計課(以下「第1車両設計課」という。)の第1係(以下「第1係」という。)の係長の職にあった。 イ亡P1には,健康上の 計業務に従事しており,昭和62年2月から死亡するまでシャーシー設計部第1車両設計課(以下「第1車両設計課」という。)の第1係(以下「第1係」という。)の係長の職にあった。 イ亡P1には,健康上の問題は認められず,また,うつ病の既往歴,遺伝的素因,アルコール等薬物への依存的傾向等も存せず,その他,うつ病に対する身体的要因もなかった。 ウ亡P1の性格は,几帳面で積極性も有り,真面目で明るく,人あたり,人付き合いが良く,敵を作らない誰にでも好かれるタイプで,自分の意見も説得的に言える性格であった。 反面,完全主義者で凝り性,神経質,非情になりきれないところがあり,仕事第1主義で,仕事を背負い込むところも見受けられた。 (3) 亡P1の従事していた業務(乙第9号証)ア亡P1の所属部署の概要等亡P1が勤務していた訴外会社は,愛知県豊田市〈以下略〉に所在する輸送用機械器具製造等を業とする株式会社である。 亡P1が,自殺した当時(以下,特にことわりなく「当時」というときは,「亡P1の自殺当時」をいうものとする。)所属していたシャーシー設計部は,総括課,計画課及び第1車両設計課を始めとする7つの設計課の9課に分かれており,そのうち第1車両設計課は課長以下5係で編成されていた。 イ第1係の担当業務及びその進行状況と亡P1の担当業務(ア) 第1係の担当業務及びその進行状況a 第1係は,主として,アジアカー(インドネシア等のアジア地区で現地生産を行っていた商用車)関係及びライトエーストラック関係の設計業務を担当していた。 b 訴外会社における設計業務は,先行試作設計から始まり,第1次試作設計,第2次試作設計を経て正式出図に至るというもので,これを受けて正式な生産が開始(ラインオフ)される。 第1係では,昭和63年2月ころから,アジアカーのマ は,先行試作設計から始まり,第1次試作設計,第2次試作設計を経て正式出図に至るというもので,これを受けて正式な生産が開始(ラインオフ)される。 第1係では,昭和63年2月ころから,アジアカーのマイナーチェンジに伴う開発設計とライトエーストラックの新ステアリング開発に伴う改良設計がそれぞれ開始されており,当時は,いずれも先行試作設計の段階であった。 なお,上記アジアカーのマイナーチェンジについては,正式図出図期限が平成2年6月,ラインオフが平成3年9月の予定とされており,ライトエーストラックの新ステアリング開発については,正式図出図期限が平成2年2月,ラインオフが平成2年11月の予定とされていた。 (イ) 亡P1の業務亡P1が担当していた業務の主な内容は,第1係の係長として,各係員の業務処理を管理し助言指導するとともに,各係員の業務進行状況等に応じて担当業務を割り振ること,他部署との日程調整,フリーハンドによる概略設計図(先行設計図)の作成,月例報告書の作成,各種会議への出席,特許申請の手続面での助言,製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置等であった。 ウ労働時間(ア) 就業規則所定の労働時間等亡P1の労働時間は,就業規則(昭和63年2月1日改正)上,午前8時30分から午後5時30分まで(ただし,正午から午後1時までの1時間は休憩時間である。),週合計40時間とされていた。また,休日は土曜,日曜,特定休日とされていた。 なお,当時,訴外会社とトヨタ自動車労働組合(以下「訴外組合」という。)との間で,労働基準法36条に基づく時間外労働協約が締結されており,それによると,1か月の時間外労働時間の上限は75時間とされていた(乙第5号証の4,5)。 (イ) 亡P1の時間外労働時間a 訴外会社では,時間外労働時間は,各労働者 間外労働協約が締結されており,それによると,1か月の時間外労働時間の上限は75時間とされていた(乙第5号証の4,5)。 (イ) 亡P1の時間外労働時間a 訴外会社では,時間外労働時間は,各労働者が上司の指示に従って各自報告するというものであったが,タイムカードを基準にして,庶務の職員が勤務報告表を作成するという取扱いがされることもあった。 b 上記勤務報告表によると,亡P1の昭和63年1月から自殺日である同年8月25日までの各月毎の時間外労働時間は,1月が43.0時間,2月が41.5時間,3月が44.5時間,4月が48.5時間,5月が46.0時間,6月が45.0時間,7月が68.5時間,8月が46.5時間であった(ただし,勤務報告表に記載されていない,いわゆるサービス残業等の有無については,当事者間に争いがある。)。 (4) 亡P1の自殺亡P1は,うつ病に罹患し(以下「本件うつ病」という。),その症状として起きる自殺念慮により,昭和63年8月26日午前5時30分ころ,自宅から約1キロメートル離れたビルの6階踊り場から飛び降り,全身打撲により死亡した(以下「本件自殺」という。)。なお,亡P1は死亡当時35歳であった。 (5) 本件処分等の経緯ア原告は,平成元年3月18日,本件自殺が業務に起因する本件うつ病によるものであるとして,岡崎労働基準監督署長に遺族補償年金及び葬祭料の各支給を請求した。 これに対し,その後に岡崎労働基準監督署長から事務の移管を受けた被告は、平成6年10月21日,本件自殺が本件うつ病によるものであることは認めたものの,本件うつ病は業務に起因する疾病とは認められないとして,遺族補償年金及び葬祭料の不支給処分(以下「本件処分」という。)をした。 イ原告は,本件処分を不服とし,平成6年11月7日,愛知労働者災害補償 ,本件うつ病は業務に起因する疾病とは認められないとして,遺族補償年金及び葬祭料の不支給処分(以下「本件処分」という。)をした。 イ原告は,本件処分を不服とし,平成6年11月7日,愛知労働者災害補償保険審査官に対し,その取消しを求めて審査請求をしたが,3か月が経過したにもかかわらず裁決がないので,本件訴えに及んだ。 なお,平成9年2月20日,愛知労働者災害補償保険審査官は上記審査請求を棄却する旨の裁決をしている(乙第9号証)。 (6) 労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病は,労働基準法(以下「労基法」という。)75条2項に基づいて定められた同法施行規則(以下「施行規則」という。)35条により同規則の別表第1の2に列挙されているところ,本件自殺が保険給付の対象となるためには,本件うつ病が同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。 3 争点(1) 業務起因性が肯定されるための要件として,業務と疾病の発症との間に条件関係及び相当因果関係の存在が必要か否か。必要であるとした場合,その有無の判断基準。 (2) 本件うつ病が,業務に起因したものであるか否か。 4 争点に関する当事者の主張(1) 争点1についてア原告の主張(ア) 相当因果関係の要否労働者災害補償制度(以下「労災補償制度」という。)の趣旨は,労基法1条に規定されている「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき」労働条件の最低基準を定立することを目的に,負傷,死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件として各種の労災補償給付等を行う法定救済制度であるところに求められるべきものであり,被害者,加害者間の公平な損害の填補を目的とする民事損害賠償制度とは制度目的を異にするから,労災補償においては,民事損害賠償の 災補償給付等を行う法定救済制度であるところに求められるべきものであり,被害者,加害者間の公平な損害の填補を目的とする民事損害賠償制度とは制度目的を異にするから,労災補償においては,民事損害賠償の場合よりも,その救済対象を拡大する必要がある。 それゆえ,業務起因性の判断において,民事損害賠償制度における相当因果関係論を持ち込むのは相当でなく,労基法76条,75条にいう「業務上負傷し,又は疾病にかかった場合」とは,業務と負傷,死亡又は疾病の発症との間に合理的関連性があることをいい(「その他業務に起因することの明らかな疾病」も同じである。),法的要件としてはこれで必要かつ十分というべきである。 (イ) 共働原因論a 仮に,上記「業務上」の要件が,業務と負傷,死亡又は傷病の発症との間に相当因果関係の存することをいうと解するとしても,被災労働者の救済の範囲は拡張して解する必要があるから,労災保険法上の相当因果関係は,民事損害賠償制度における相当因果関係論とは区別され,それよりも救済対象を拡大したものであると解されなければならない。 したがって,業務が他の原因と共に傷病等を誘発し又は増悪させた場合,すなわち,業務が他の原因と共働原因となって傷病等の発症を招いたと認められる場合には,業務と傷病等との間には相当因果関係が認められると解するべきである(共働原因論)。 b これに対して,被告は,業務が当該傷病に対する他の原因に比して有力な原因である場合にのみ相当因果関係を肯定するべきである(相対的有力原因論)旨主張するが,この相対的有力原因論は,業務と他の共働原因が質的に相違し量的に比較不能であるときは成り立ち得ないし,業務上の負担とそれ以外の原因とは密接に関連して当該疾病を発症させる場合が多いことに鑑みると,そもそも競合する原因を別個独立のものとし 原因が質的に相違し量的に比較不能であるときは成り立ち得ないし,業務上の負担とそれ以外の原因とは密接に関連して当該疾病を発症させる場合が多いことに鑑みると,そもそも競合する原因を別個独立のものとして対立的に捉えるという考え方自体が誤っているというべきである。 また,業務起因性の判断にあたって,被災者の個人的要因を考慮することは,労災保険法上,遺族補償等の給付の要件として,被災者の無過失が要求されていないことや,労基法上,被災者に重大な過失があっても遺族補償等の支給は制限されていないことにも反するものである。 特に,うつ病のような精神障害の場合,その発症,増悪に対して,状況因(業務上の心身的負荷及び業務以外の心身的負荷)と個体側の要因(精神障害の既往歴,生活史[社会適応状況],アルコール依存状況等の身体的要因と性格傾向)が不可分一体の共働原因となっているため,業務起因性の判断において,状況因と個体側の要因を切り離してどちらが有力な原因であるかを論ずることは誤りであり,当該被災者が業務に従事する中で,具体的にどのような業務上ないし業務以外の心身的負荷を受けて,精神障害を発症したかということを個別的・具体的に考察していくべきなのである(以下,用語の統一を図るため,うつ病の発症要因のうち,業務上のものを「業務上の心身的負荷」,業務以外のものを「業務以外の心身的負荷」といい,性格傾向,身体的要因を合わせて,「個体側の要因」という。)。なお,その場合,うつ病の発症が業務に起因している場合だけではなく,うつ病の発症が業務に起因したものか否か明らかでない場合においても,うつ病が業務に起因して増悪し,その結果として自殺に至ったと認められる場合にも相当因果関係が認められるべきである。 したがって,仮に,亡P1の几帳面で真面目な性格等の個体側の要因が, 合においても,うつ病が業務に起因して増悪し,その結果として自殺に至ったと認められる場合にも相当因果関係が認められるべきである。 したがって,仮に,亡P1の几帳面で真面目な性格等の個体側の要因が,本件うつ病の発症,増悪に対する要因の1つになっていたとしても,そのことを理由に業務起因性を否定してはならないのである。 (ウ) 条件関係の要否とその立証責任について被告は,業務起因性が認められるための要件として,相当因果関係に加えて,事実的因果関係(条件関係)が必要であると主張するが,業務起因性の判断に際しては,業務と傷病との間に相当因果関係があれば足り,2段階の因果関係を観念する必要はないし,仮にこれを要求するとしても,それを客観的・医学的に証明することは困難であるから,過重な業務上の心身的負荷によりうつ病が発症,増悪するに至ったと認められる場合には,それが業務以外の心身的負荷もしくは個体側の要因によるとの特段の反証のない限り,業務起因性が肯定されると解するべきである。 (エ) 「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」についてa 被告は,「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(以下「判断指針」という。)の考え方(いわゆる「ストレスー脆弱性」理論)に依拠し,業務起因性が肯定されるための要件として,客観的に強度の業務上の心身的負荷を受けたと認められることが必要であるとし,業務上の心身的負荷が客観的に強度であると判断されなければ,当該うつ病は,被災者の脆弱性(個体側の要因)に起因するものと判断するべきである旨主張する。 しかし,かかる考え方によると,結局は,異常なストレスに遭遇した場合以外には業務起因性が認められないことになり,労災補償制度の立法趣旨及び公平の理念に反し妥当ではない。 また,被告の主張する相対的 しかし,かかる考え方によると,結局は,異常なストレスに遭遇した場合以外には業務起因性が認められないことになり,労災補償制度の立法趣旨及び公平の理念に反し妥当ではない。 また,被告の主張する相対的有力原因論に立てば,業務上の心身的負荷と業務以外の心身的負荷ないしは性格等の個体側の要因とを相対的に比較して,業務上の心身的負荷がより有力な原因となっているか否かを検討することになるはずであり,上記のような考え方は帰結されないはずである。 そもそも,被告がその論拠とする「ストレスー脆弱性」理論からすると,業務上の心身的負荷が業務以外の心身的負荷あるいは個体側の要因に比して有力であると認められれば,業務起因性が肯定されることになるはずであるから,上記の被告が主張する基準は同理論の基本的考え方からも逸脱するものである。 b これに対して,被告は,客観的な評価を重視する理由として,労災補償制度が使用者の無過失責任に由来すること,労災保険法が罰則をもって災害補償を強制している労基法を基礎としていること,労災保険制度の財政基盤が窮していること等を挙げる。 しかし,労災保険制度は,労働者とその遺族の生活保障を主たる目的として設けられた制度であり,また,労基法が罰則をもって災害補償を強制しているのは,その履行を確保するためであるから,「客観的な評価」という基準によって労災補償の範囲を厳しく限定しようとする考え方は,かえって労基法及び労災補償制度の趣旨に反するものである。 現実的にも,労災保険により給付がなされれば,労基法に基づく災害補償がなされたものとみなされ,事業主が罰則を受けることはない(労災保険は強制加入になっており,労災保険に未加入のまま労災事故が発生した場合にも,事業主は遡及して保険料を徴収されることはあっても,罰則を受けることはない。)。 事業主が罰則を受けることはない(労災保険は強制加入になっており,労災保険に未加入のまま労災事故が発生した場合にも,事業主は遡及して保険料を徴収されることはあっても,罰則を受けることはない。)。 また,労災保険特別会計は,現在膨大な黒字を計上している。 このように,労災保険制度の趣旨・目的,さらには労災保険の財政状態からしても,被告の主張は全く理由がないものである。 c さらに,被告は,業務上の心身的負荷が客観的に被災者のうつ病を発症,増悪させるに足りるものであったか否かを判断する基準として,被災者が発症前に従事していた業務が,日常業務や同種労働者の業務と比較して,より「強度」の心身的負荷を与えるものであったことを挙げるが,「同種労働者」という概念は極めて曖昧であるため客観的基準とはいい難いし,また,被告の考え方によると,日常的に過重,過密な労働に従事している労働者の場合,すべて業務起因性が否定されることにもなりかねない。 そもそもうつ病の発症・増悪には,業務上あるいは業務以外の心身的負荷だけでなく,被災者の個体側の要因も密接不可分な要因になっていること,特に,心身的負荷に対する耐性については個体差があること(公知の事実)を併せ考えると,業務が当該被災者にどのような心身的負荷を与えたかということこそが問題とされるべきであり(本人基準説),被災者のおかれた具体的な業務の遂行状況,労働条件,労働環境等を総合的に勘案して,業務との相当因果関係の有無が考察されるべきである。 したがって,業務上の心身的負荷の強度を判断するにあたっては,他の同種労働者や日常の業務と比較するのではなく,当該被災者にとっての強度が問題とされなければならないのであり,被災者が精神障害を発症する前に従事していた業務が,日常業務や同種労働者と比較して過重な業務と認められ や日常の業務と比較するのではなく,当該被災者にとっての強度が問題とされなければならないのであり,被災者が精神障害を発症する前に従事していた業務が,日常業務や同種労働者と比較して過重な業務と認められない場合であっても,被災者が当該業務に従事することにより,うつ病が発症しあるいは増悪して自殺に至った場合には,業務起因性は肯定されるべきなのである。 d 判断指針と拘束力判断指針は,業務上外の認定処分を所管する行政庁が,処分を行う下部行政機関に対してその運用基準を示した通達にすぎず,裁判所を拘束するものではない。 なお,過労自殺の激増にともない,過労自殺を原因とする労災認定の在り方が社会の厳しい批判を浴びたことから,労働省は従前の認定基準を変更して,あらたな判断指針を公表し,それに伴って,精神障害の事例において,労災が認定される件数は若干増加したものの,過労自殺の労災認定の基本となる考え方は何等変更されていないのであり,その内容自体の不当性は上記のとおりである。 なお,労働省は,従来,精神障害が内因性うつ病に該当する場合には,それだけで業務起因性を否定するという基準を採用してきたところであり,本件処分も,本件うつ病が内因性うつ病であることを理由に不支給とされたものである。 しかるに,その後,判断指針が策定され,かかる基準が変更された以上,本件処分は,その判断基礎を誤っていたものとして,それだけで取り消されるべきである。 (オ) 労災保険法12条の2の2第1項の解釈労災保険法12条の2の2第1項には,「労働者が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は保険給付を行わない」と規定されているところ,同規定の趣旨は,労災保険制度の趣旨・目的に反する不正な手段により,意図的に保険金を取得しようとし 又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は保険給付を行わない」と規定されているところ,同規定の趣旨は,労災保険制度の趣旨・目的に反する不正な手段により,意図的に保険金を取得しようとした場合にその給付を制限するところにあるから,同条項の「故意」とは,「偽りその他不正の手段により保険給付を受けようとする意思」と解するべきである。そして,うつ病の症状としての自殺念慮により本件自殺に至った亡P1に,かかる「故意」が認められないことは明らかである。 イ被告の主張(ア) 業務起因性の判断基準a 相当因果関係論(a) 労基法による災害補償制度は,労働者が従属的労働契約に基づいて使用者の支配監督下にあることから,労働者が労務を提供する過程において,業務に内在する危険の現実化として傷病を負った場合には,労働者を支配監督している使用者は,その傷病の発症につき過失がなくても危険を負担し,労働者の損失を填補するべきであるとする危険責任の考え方に基づくものである。 しかるに,災害補償の要件として,単に業務と傷病との間の条件関係のみを要求するのであれば,労務提供の機会に偶発したにすぎない傷病についてまでも,労働者の損失を使用者に負担せしめることになり,上記危険責任の考え方に沿わないばかりか,それは使用者に対して過大な負担を強いることでもあり,ひいては,労災保険給付の原資のほとんどが使用者の負担する保険料により賄われている(労災保険法24条ないし26条)労災保険制度の存続基盤を危うくすることにもなりかねない。 したがって,業務起因性が認められるためには,傷病と業務との間に条件関係が認められることを前提として,さらに,傷病が業務に内在する危険の現実化として発症したと認められること,すなわち,業務と傷病の発症との間に相当因果関係(法的にみて労 には,傷病と業務との間に条件関係が認められることを前提として,さらに,傷病が業務に内在する危険の現実化として発症したと認められること,すなわち,業務と傷病の発症との間に相当因果関係(法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係)が存在することが必要である。そして,相当因果関係が認められるためには,客観的に業務が傷病の発症に対して,他の原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められなければならないというべきであり,このことは,災害補償責任を担保するための制度である労災保険法上も妥当するのである。 そして,上記条件関係及び相当因果関係の立証責任は,労災保険給付に係る不支給決定を争う原告にある。 (b) また,相当因果関係の前提として要求される条件関係(自然的因果関係)の存否は,具体的に認定された事実を前提として客観的に判断されるべきであって,その判断に法的価値判断を介入させてはならない。 すなわち,訴訟における自然的因果関係ないし条件関係の証明の程度については,一般に「高度の蓋然性の程度」までの証明が必要であり,かつ,その程度の証明をもって足りるとされているところ,これは訴訟における自然的因果関係ないし条件関係については,科学的確証までは必要ではないということを意味するにとどまり,純粋な自然科学的立証とは異なる側面があるということは否定できないにしても,医学等の自然科学を無視し,これと異なる観点からの認定を是認するものではない。 したがって,条件関係の有無についての判断が医学的知見等の専門的知見にかかわるものである場合には,専門的知見を離れて,素人的判断あるいは被害者保護といった価値判断を差し挟むべきではない。 b 精神障害についての業務起因性の判断基準(a) 判断指針の策定精神障害あるいは精神障害による自殺が業務に起 知見を離れて,素人的判断あるいは被害者保護といった価値判断を差し挟むべきではない。 b 精神障害についての業務起因性の判断基準(a) 判断指針の策定精神障害あるいは精神障害による自殺が業務に起因するものであるとして労災給付が請求された事案に対して,迅速・適正な対処をするための明確な基準を策定するべく,労働省は,平成11年7月に策定された精神障害等の労災認定に係る専門検討会の報告(以下「専門検討会報告」という。)を受けて,判断指針を策定し,平成11年9月14日付け労働省労働基準局長通達(基発第544号)として発出した。 なお,判断指針は,通達発出以後の事案に適用されるものであり,本件処分の適法性に直ちに影響を与えるものではないが,その内容は,最新の医学的・心理学的知見及び法的判断に基づく客観的な基準として示されたものであるので,実質的には本件処分の適法性も判断指針に従って検討されるべきである。 (b) 判断指針による業務起因性の判断基準業務起因性の判断は,判断指針にもあるように,業務上の心身的負荷,業務以外の心身的負荷及び個体側の要因について各々検討し,それらの要因のうち,当該精神障害の発病に関して有力に寄与していた要因はどれかを総合的に判断するという手法を用いるべきである。 そして,上記総合判断に当たっては,業務上の心身的負荷の強度を,一般人を基準として客観的に評価し(平均人基準説),それが精神障害を発症させるに足りると評価される場合に業務起因性が肯定されると解すべきである。 ① 「ストレスー脆弱性」理論精神障害の業務起因性の判断に当たっては,従来,まず当該精神障害を,内因性(外部環境の影響なしに内部からひとりでに起こることで,遺伝的要素が重視される。),外因性(内因に対立する概念であり,身体的・心理的な原因をすべて含むが 当たっては,従来,まず当該精神障害を,内因性(外部環境の影響なしに内部からひとりでに起こることで,遺伝的要素が重視される。),外因性(内因に対立する概念であり,身体的・心理的な原因をすべて含むが,一般的には身体的外因を外因といい,精神障害が身体的病変と関連して説明されるもののことをいう。),あるいは心因性(外因のうちで,心理,社会的環境要因が精神障害の原因となるもののことをいう。)のいずれかに区別し,その区分に従って限定的に取り扱ってきたが,脳科学の進歩と精神障害の心理社会学的研究の発展,さらには,時代の変遷による精神障害そのものの多様化,変貌もあり,外因,心因,内因の3分類では精神障害を分類できないと考えられるようになり,精神障害を「ストレスー脆弱性」理論で理解することが,多くの人に受け入れられるようになった。 この「ストレスー脆弱性」理論とは,環境由来のストレス(業務上ないし業務以外の心身的負荷)と個体側の反応性,脆弱性(個体側の要因)との関係で,精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方であり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする考え方であり,同理論に立脚する場合,業務起因性を判断するに当たっては,業務上の心身的負荷,業務以外の心身的負荷及び個体側の要因をそれぞれ検討し,それらのどの要因が当該精神障害の発病に有力な原因となったかについて総合判断を行うこととなる。 ② しかして,「ストレスー脆弱性」理論に依拠する場合,業務起因性が肯定されるためには,精神医学的見地から,業務上の心身的負荷が精神障害を発病させる可能性がある程度に強いものであれば,その精神障害は主として当該ストレスが主因となって発症したものと理解し,そうでない場合には るためには,精神医学的見地から,業務上の心身的負荷が精神障害を発病させる可能性がある程度に強いものであれば,その精神障害は主として当該ストレスが主因となって発症したものと理解し,そうでない場合には,業務以外の心身的負荷か,脆弱性等の個体側の要因が主たる要因となって当該精神障害が発病したと理解するのが相当である。 すなわち,精神障害は個人の内面の問題であり,特に,本件のように専門の医師による治療歴がないまま自殺に及んだ事案では,当該特定人にとって,業務上の心身的負荷と業務以外の心身的負荷のいずれが精神的な負荷として大きかったかを判断するのは困難であり,また,業務以外の心身的負荷についての客観的資料に乏しいから,うつ病の発症にとって,業務上の心身的負荷,業務以外の心身的負荷あるいは個体側の要因のいずれがより有力な原因となっているかという比較対照の観点から業務起因性を判断するのは妥当ではないからである。 ③ そして,心身的負荷の強度は,当該心身的負荷を,「多くの人が一般的にはどう受け止めるか。」という客観的な基準によって評価しなければならない。 すなわち,心身的負荷の受け止め方は個々人によって異なるものであるところ,当該特定人が受け止めた心身的負荷の大きさを当該特定人を基準として判断すると,精神障害を発症した当該特定人にとっては常にその心身的負荷は大きいものと評価されることになり,心身的負荷の大きさの問題と当該特定人の個体側の反応性,脆弱性の問題とを混同してしまうからである。 そこで,「ストレスー脆弱性」理論においては,心身的負荷の大きさを客観的に観察し,それほどでもない心身的負荷に対して過大に反応したとすれば,それはその人の個体側の反応性,脆弱性の問題として理解することとなるのである。 このように心身的負荷を,「多くの人が一般的にはどう 観察し,それほどでもない心身的負荷に対して過大に反応したとすれば,それはその人の個体側の反応性,脆弱性の問題として理解することとなるのである。 このように心身的負荷を,「多くの人が一般的にはどう受け止めるか。」という客観的基準によって判断することは,結局は,精神障害が業務に内在する危険が現実化したといえるかどうかを判断することであるから,前記の危険責任の考え方に即応するものと解される。 ④ これに対して,原告は,亡P1には業務上の心身的負荷が認められ,他方,業務以外の心身的負荷及び個体側の要因は認められないのであるから,亡P1が発病した本件うつ病は,業務上の心身的負荷以外にはその原因が考えられず,業務起因性が肯定されると主張する。 しかし,当時亡P1には,当該業務以外の心身的負荷が相当存在していたことは明らかであり,原告の上記主張はその前提を欠くものであるが,仮に,業務以外の心身的負荷が存在せず,また,個体側の要因が外部からは窺えなかったとしても,前述の「ストレスー脆弱性」理論によれば,客観的に見て特に強くない心身的負荷に過大に反応して精神障害を発病した場合,それは取りも直さず亡P1の個体側の要因により発病したものと判断すべきであるから,いずれにしても原告の主張は認められないものである。 (イ) 労災保険法12条の2の2第1項の「故意」とは,自己の行為が一定の結果を生ずることを認識し,かつ,その生ずる結果を認容することと解されるところ,自殺は,死亡の結果を認識・認容しながらあえて自らを死に至らしめる行為であるから,自殺の場合には,その時の精神状態が心神喪失又はこれに近い極度の精神異常の状態にあるといった特段の状況がない限り,原則として相当因果関係は否定されると解すべきである。 本件自殺も,遺書はなかったものの,その場所が自宅から 精神状態が心神喪失又はこれに近い極度の精神異常の状態にあるといった特段の状況がない限り,原則として相当因果関係は否定されると解すべきである。 本件自殺も,遺書はなかったものの,その場所が自宅から約1キロメートル離れたビルで,時刻が午前5時30分ころであったことに鑑みると,発作的なものではなく,覚悟の上での自殺であったと解されるのであるから,「故意」があるものとして業務起因性は否定されるのである。 (ウ) 被告は,当初,本件うつ病が内因性であることを業務起因性を否定する根拠の1つとして主張してきたが,判断指針の策定により,外因,内因,心因の区別は採用しないこととした。 しかしながら,被告は当初から,亡P1の業務上の心身的負荷が本件うつ病を発症させるに足りるものではない旨の主張を行ってきたのであり,かかる被告の基本的考え方は,判断指針策定の前後で異なるところはない。 (2) 争点2についてア原告の主張(ア) 恒常的過密,過重業務等a 生産システム(a) 訴外会社では,日本国内で最も合理化された生産システム,すなわち,「ジャスト・イン・タイム」(必要な物を,必要な時に,必要な量だけ作ること)と「自働化」(自動的に不具合を監視ならびに管理するメカニズム)を柱とした在庫を持たない生産方式(ノンストップ生産)を採用して徹底的なコスト削減を図っているが,かかる生産システムの下では,労働者は,日常的に長時間,過密労働を余儀なくされるため,身体的・精神的な疲労が蓄積し心身の健康が破壊されることになる。 すなわち,「ジャスト・イン・タイム」を採用する場合,製品の納期が決まっており,1つの生産ラインの停止が工程全体に影響を及ぼすことになるので,必然的にラインを止めないようにするための注意が必要となり,その心身的負荷は大きい。加えて,ラインを止め 合,製品の納期が決まっており,1つの生産ラインの停止が工程全体に影響を及ぼすことになるので,必然的にラインを止めないようにするための注意が必要となり,その心身的負荷は大きい。加えて,ラインを止めたことによる遅延分を先送りにすることはできないので,高密度,長時間労働による処理を余儀なくされる。 また,「自働化」の下では,1人の作業者が複数の機械を担当することができるため,生産効率は向上するが,その反面,各労働者の心身的負担は大きくなる。 (b) 設計部門とジャスト・イン・タイム徹底的なコスト削減を目指すこのような生産システムは,訴外会社において,現場の生産ラインのみならず,開発から設計,販売に至るまでの全ての工程において貫徹されていた(このことを「トヨタ生産方式の進化」という。)。 また,訴外会社における新商品販売までの過程は,商品企画・販売部門からの情報と技術企画・研究部門からの研究成果をもとに新しい車が開発され,それについての製品企画室の決定,トップの承認を経て,設計部門に開発指示が下され,この指示を受けた設計部門が,絶えず相互の連関を取り,調整して試作に入り,試作設計段階での開発成果を持って生産に移行するというものである。 このように,設計部門は,工場での量産に入る直前のスタート地点に位置しており,ここでの設計の遅れは他部署に対し膨大な損失を与えることになるので,出図期限に対するプレッシャーは特に大きい。 亡P1が所属していた第1係も,設計業務を担当していたのであるから,各係員の出図期限に対する心身的負荷は大きかったのであり,特に,日程管理の責任者である亡P1の心身的負荷はさらに大きなものであった。 b 労務管理,残業規制等上記の生産システムを支えているのが,独自の労務管理,労働者教育,会社と労働組合との一体性である。 ( 程管理の責任者である亡P1の心身的負荷はさらに大きなものであった。 b 労務管理,残業規制等上記の生産システムを支えているのが,独自の労務管理,労働者教育,会社と労働組合との一体性である。 (a) トヨタマンの育成訴外会社における労務管理の基本は,いわゆる「トヨタマン」と呼ばれる人材,すなわち会社と一体性をもった従順な労働者の育成にあり,「トヨタマン」は非常に高いコスト意識をもっているのがその特質であり,必然的に高密度,過重労働に従事することになる。 (b) 少人化訴外会社は,コスト削減を徹底的に追及しており,少しでも労働に余裕がある場合には,可能な限り人員を削減する「少人化」と呼ばれる方策をとっている。かかる方策のもとでは,各労働者は異常なまでの高密度労働を強いられることになる。 なお,第1係の人員は逐次増員されているが,これは,過重な業務を担当していた同係に対する必要最小限の増員にすぎないのであり,しかも,その多くは下請会社からの応援者であった。そして,後述のように,第1係の設計業務が著しい遅延を来たしていたことからしても,第1係において弾力的・機動的な人員配置がなされていたとは到底考えられない。 (c) 自殺者の激増と残業半減運動① 訴外会社では,昭和61年1月から5月までの4か月間に4件の自殺事件が発生している。かかる状況にもかかわらず,訴外会社は,昭和61年12月から,オフィス業務の効率化を目指し,事務部門の残業半減連動を開始した。 すなわち,訴外会社は,昭和60年秋以降の急速な円高に対処するべく,経費節減を目指して厳しい合理化を推進し,昭和61年4月には,経費の「50%削減」を目指す「チャレンジ50運動」に乗り出し,同年10月には,円高緊急対策委員会を設置し,訴外会社とトヨタ関連メーカーの一層の合理化と単価の切り 合理化を推進し,昭和61年4月には,経費の「50%削減」を目指す「チャレンジ50運動」に乗り出し,同年10月には,円高緊急対策委員会を設置し,訴外会社とトヨタ関連メーカーの一層の合理化と単価の切り下げを図るとともに,従業員の賃金の見直しという方針のもとに,社内報,職制教育,様々なミーティング等で労働者の危機感を煽り意識改革を迫っていた。そして,昭和61年12月から,オフィス業務の効率化を目指して,「チャレンジ50」の合い言葉により事務部門の残業半減運動を開始したのである。 ② 当時,訴外会社においては,半期6か月毎に係員1人平均の残業時間を決め,これをもとに部,課,係ごとの総残業時間が決められ,毎月厳格に徹底されていたのである。 それまで残業しなければ処理できなかった業務をそのままにして残業半減運動を実行すれば,労働者は,それ以前に比べてより高密度な労働に従事せざるをえず,さらに所定の残業時間内に処理できない業務は,サービス残業等による処理を余儀なくされていたのである。 加えて,設計業務のように,あらかじめ作業日程を定められた業務の場合,遅れた業務を残業でとり戻すことができないということ自体が,労働者に大きな心身的負荷をもたらすのである。 c 設計業務自体の過重性,過密性設計業務は,知的かつ創造的な業務であり,単なる労働時間では計り得ない心身的負荷を伴う業務である。 そのうえ,訴外会社の設計業務は,自動車の品質及びコストについても十分に考慮することが要求されていたので,設計担当者は,単なる設計業務を超えた心身的負荷を受けることになる。また,それは,度重なる設計変更を招来するから,その意味での心身的負荷も伴うのである。 d 第1係の日常的業務の加重性第1車両設計課においては,通常,1つの係が1つの車種を担当することになってお また,それは,度重なる設計変更を招来するから,その意味での心身的負荷も伴うのである。 d 第1係の日常的業務の加重性第1車両設計課においては,通常,1つの係が1つの車種を担当することになっており,第1係も,従来は,アジアカーの設計業務のみを担当していたが,亡P1が係長に就任した後である昭和62年11月ころからは,ライトエーストラックの設計業務をも担当するようになり,極めて多忙な状態が継続していた。 (イ) 自殺前3か月の業務上の心身的負荷亡P1は,日常的に過密,過重な労働に従事していたものであるが,本件うつ病の発症ないしその増悪の過程においては,以下に述べるような強度の業務上の心身的負荷が加わっていた。 a 急激な係員増加に伴う心身的負荷の増加亡P1は第1係の係長として,各係員の業務チェック,日程の管理のほか,各係員に設計方針を与え,各係員が設計したものをまとめ,フォローすること等の管理業務に従事していたのであるから,当然,第1係の係員数の増加に伴って亡P1の業務負担も増加することになる。 加えて,訴外会社では,下請会社からの応援者と共同で製図を書いたり,論議しながら準備を行う方式(いわゆる「デザイン・イン」)が採用されていたため,社外応援者が在籍する係の管理者である係長は,応援者との調整もその負担となる。 第1係は,亡P1が係長に就任した当初は亡P1を含めて6名であったが,昭和62年3月に社外応援者のP2が,同年5月に社外応援者のP3が,同年11月に社員のP4及びP5(なお,P5は新入社員であった。)がそれぞれ加入し,昭和63年7月からは社外応援者のP6,同P7の2名が加わり,結局,亡P1死亡当時は12名が在籍していた。 従来の6名体制から新人1名を含めた8名体制に移行すること自体,係長としての管理業務は大幅にその負担を からは社外応援者のP6,同P7の2名が加わり,結局,亡P1死亡当時は12名が在籍していた。 従来の6名体制から新人1名を含めた8名体制に移行すること自体,係長としての管理業務は大幅にその負担を増したことは明らかであるし,これに社外応援者4名の増員を含めると,短期間に係員が倍増したことになるのであるから,亡P1の上記のような管理業務が死亡前の短期間に急増していたことは明らかである。 b 業務量(a) 労働時間① 勤務報告表上の時間外労働時間昭和63年1月から同年8月26日までの亡P1の各月毎の時間外労働時間は,勤務報告表によれば,同年1月が43.0時間,2月が41.5時間,3月が44.5時間,4月が48.5時間,5月が46.0時間,6月が45.0時間,7月が68,5時間,8月が46.5時間であった。 この時間外労働時間の推移を見れば明らかなように,昭和63年7月は他の月に較べて突出して多くなっている。 また,同年8月は,8月10日から17日までの8日間が夏休みであり,かつ,亡P1は8月26日早朝に死亡しているので,3分の2か月しかないのに残業時間は46.5時間であり,これを1か月に換算すれば7月以上の残業時間となる。しかも,亡P1は夏休み期間中も自宅にこもって仕事をしていたのであるから,総合的にみれば,8月は7月以上に労働加重であったというべきである。 ② サービス残業Ⅰ タイムカードが唯一存在する昭和63年8月1日から同月25日までについて,タイムカードと勤務報告表の数値を比較すると,勤務報告表は過少に報告されており,亡P1は同期間中平均して1日1時間5分のサービス残業を行っていたことが明らかとなる(ただし,8月1日,8月5日,8月22日はいずれも休日勤務であり,8月25日は亡P1はいわば遁走していて,退勤時刻は不明であるの 中平均して1日1時間5分のサービス残業を行っていたことが明らかとなる(ただし,8月1日,8月5日,8月22日はいずれも休日勤務であり,8月25日は亡P1はいわば遁走していて,退勤時刻は不明であるので,これらの4日間を除いた11日間についての平均値である。)。 被告は,訴外会社の就業規則上,午後7時から7時半までの30分間は休憩時間とされているのだから,それを控除して時間外労働時間を算出するべきである旨主張する。 しかし,亡P1は,毎日自宅で夕食をとっており,上記の休憩時間にしっかり休んでいたとは考え難い。このことは,昭和63年7月4日午後10時ころ,3女の出産のため病院に駆けつけた亡P1が,夕食をとっていないと原告に述べていたこと,さらに,亡P1が,同年8月19日に,「1時間でも多く仕事をしたい。」というメモを残していることからも明らかである。 Ⅱ 亡P1は,タイムカードには記載されていないサービス残業も行っていた。 すなわち,亡P1の帰宅時間は午後10時15分から11時ころであったところ,亡P1は外で飲んでくることなど全くなかったのであるから,タイムカードに打刻されている退社時間に約1時間の通勤時間を加えたものと帰宅時刻との差がサービス残業であった。 また,亡P1は,昭和63年8月19日は午前5時過ぎに家を出たため,遅くとも午前6時半までには訴外会社に到着していたと推測されるが,タイムカードは同時刻ではなく8時2分に打刻されている。さらに,原告が退院した同年7月11日は,勤務報告表上は年休となっているが,実際には午前8時半から会議に出席し,午後12時15分からは職場委員会に出席するなどして,結局,午後2時ころまで訴外会社で仕事をしていたのである。 ③ ふろしき残業亡P1は,昭和63年7月以降は帰宅後も仕事をしていた。 例え し,午後12時15分からは職場委員会に出席するなどして,結局,午後2時ころまで訴外会社で仕事をしていたのである。 ③ ふろしき残業亡P1は,昭和63年7月以降は帰宅後も仕事をしていた。 例えば,寝る時間を割いて仕事をするため,鉛筆とメモ用紙を常に枕元に置いておき,週に3,4回は夜中に目を覚まして,浮かんだアイデア等を書き記していた。また,同年8月24日には,午前5時ころから,自宅で今後の仕事の計画表を作成していた。 このようなふろしき残業をも考慮すると,同年7月以降の時間外労働時間は更に増加することになる。 ④ 拘束時間及び通勤時間昭和63年1月から8月までの各月毎の合計拘束時間は,1月が211時間,2月が236時間,3月が257.5時間,4月が252.5時間,5月が214. 5時間,6月が240時間,7月が273.5時間,8月が168.75時間である。 このように昭和63年7月の拘束時間が,それまでの月と比べて著しく多いことは明らかである。これに通勤時間を加算すると,同年7月の拘束時間は一日平均約15時間となり,睡眠時間を含む亡P1の自由時間は9時間しかなかったことになる。 ⑤ このように,亡P1の業務は,その労働時間からしても,昭和63年7月以降,極めて過重なものであった。亡P1は,同年8月上旬に本件うつ病を発症したものであるが,その発症,増悪と過重な労働との因果関係は労働時間の側面からも裏付けられる。 これに対して,被告は,労基法の附則に定められた例外的措置あるいは訴外会社と訴外組合との36協定上の時間外労働時間の上限を基準として,亡P1の時間外労働時間は,そのほとんどが上記例外的措置の範囲内であり,あるいは,そのすべてが上記協定の範囲内であるとして,亡P1の業務は特段過重なものではなかったと主張する。 しかし,労 して,亡P1の時間外労働時間は,そのほとんどが上記例外的措置の範囲内であり,あるいは,そのすべてが上記協定の範囲内であるとして,亡P1の業務は特段過重なものではなかったと主張する。 しかし,労働者の業務の過重性を判断する際には,当該労働者の職場の所定労働時間を基準とするべきことは当然であるし,そもそも,被告は,業務の過重性の判断基準として,日常業務との比較を挙げるのであるから,上記のような比較の仕方は被告自身が主張する判断基準とも矛盾するものである。 また,36協定は,所定労働時間を超えて労働者を働かせる場合の例外的な定めであり,これを基準に業務の過重性を判断することは不当である。 (b) 複数車両の設計第1係は,従来よりアジアカーの設計業務を担当していたが,亡P1が係長に就任した後である昭和62年11月ころから,アジアカーのシャーシー改良とライトエーストラックのステアリングの改良の2つの仕事を担当するようになった。 しかも,アジアカーには,開発車両番号670Dの4×2アジアカー標準車(以下「アジアカーの4×2車」という。)のほかに,4×4車(4×2車の派生車である四輪駆動車のことで,開発車両番号は4×2車と同じ670Dである。以下「アジアカーの4×4車」という。)があり,また,ライトエーストラックには,4WD車(開発車両番号765Dのライトエーストラック4輪駆動車。以下「ライトエーストラックの4WD車」という。)のほかに,4WS車(開発車両番号859Dのライトエーストラック4輪操舵車。以下「ライトエーストラックの4WS車」という。)があったため,同係は,当時,フルモデルチェンジを担当した場合と同じくらいの業務量を有していたのであり,極めて多忙であった。 ところで,フルモデルチェンジを担当する係は,20名程度の人員が配置される あったため,同係は,当時,フルモデルチェンジを担当した場合と同じくらいの業務量を有していたのであり,極めて多忙であった。 ところで,フルモデルチェンジを担当する係は,20名程度の人員が配置されるのが通常であるが,第1係には,当時,応援者を含めて12名しか配置されていなかったため,第1係の各係員の業務は非常に忙しく,特に,同係の責任者である亡P1の心身的負荷は極めて過重なものとなっていた。 これに対して,被告は,アジアカーはライトエーストラックを基礎としてアジア向けに改良した車種であり,両者に共通した部品も多いことから,2つの車種を担当するといっても直ちに業務が過重であることにはならないと主張するが,ライトエーストラックの4WS車,4WD車あるいはアジアカーの4×2車,4×4車は,それぞれ異なった開発車両番号が付された別の車両であり,派生車であるからといって業務負担が軽減されるわけではない。 (c) その他の業務亡P1は,当時,ライトエーストラックの4WD車のステアリング及び4WS車のギアボックスのコストが高いという問題も抱えており,また,ライトエーストラックPS油圧使用ダンプ開発計画についても,具体的計画を部長に報告する段階にあったため,これらの業務も亡P1の心身的負荷となっていた。 さらに,第1係は,既に発売済みの量産車両への苦情に対処するスポット的な設計業務も行っており,当時は,リーフスプリング異音問題の対策のために連日会議と打合せを重ねていたのであり,このようなスポット的な設計も亡P1の大きな心身的負荷となっていた。また,スポット的な業務としては,このほかにも,「トーションバー前後動き量大の件」があった。 (d) これに対して,被告は,本件自殺後,亡P1の業務が2分され,ライトエーストラックを係員のP8が,アジアカーを第5係 な業務としては,このほかにも,「トーションバー前後動き量大の件」があった。 (d) これに対して,被告は,本件自殺後,亡P1の業務が2分され,ライトエーストラックを係員のP8が,アジアカーを第5係係長のP9がそれぞれ引き継ぎ,いずれも特に問題なく処理されているとし,これを根拠に亡P1の業務の過重性を否定するようである。 しかし,亡P1が1人で担当していた業務を2分せざるを得なかったこと自体,亡P1の業務の過重性を裏付けるものである。 また,仮に,P8あるいはP9係長によって,亡P1の業務が問題なく処理されたとしても,両人の業務の具体的な状況が明らかでない以上,引継業務を含めた業務の過重性を判断することはできず,引継業務自体が問題なく処理されたという事実のみをもって,亡P1の業務の過重性を否定することはできないのであるから,被告の主張は理由がない。 c 業務の遅延(a) 設計部門は,製品企画室の決定に従って設計作業を開始することになっているところ,訴外会社における製品企画室担当主査の権限は強力であることから,訴外会社で採用されている「ジャスト・イン・タイム」の下では,一旦下された製品企画室の決定をその後に変更することは非常に困難である。 しかるに,設計計画で定められた出図期限の遵守は,設計部門の係長にとっては至上命令であり,設計業務の遅延は,係長に対し大きな心身的負荷を与えるものである。 (b) 第1係においては,昭和63年5月末がライトエーストラックの4WD車,4WS車の先行試作大物出図の納期,同年6月中旬がアジアカーの4×2車の先行試作大物出図の納期,同年7月中旬がライトエーストラックの4WD車,4WS車の小物出図の納期,同年7月末がアジアカーの4×2車の小物出図の納期であり,ライトエーストラックの4WD車,4WS車については 大物出図の納期,同年7月中旬がライトエーストラックの4WD車,4WS車の小物出図の納期,同年7月末がアジアカーの4×2車の小物出図の納期であり,ライトエーストラックの4WD車,4WS車については同年8月から第1次試作設計が始まり,アジアカーの4×2車については同年10月から第1次試作設計が始まる予定であった。 しかし,アジアカーの4×4車及びライトエーストラックの4WS車の設計が,次の①,②のとおり遅れていたことは,亡P1の手帳(甲第9号証の1)の7月21日の欄に「14時~16時4×4日程調整」と,また,8月7日の欄に「10時半~12時→1AC机4×4」と記載され,亡P1が8月7日に原告に対し,「今回の仕事は乗り切れないかもしれない。」と言っていることからも明らかである。 ① アジアカーの4×4車については,当初の大物出図の期限は昭和63年8月末とされていたが,これが2度にわたって延期され,その後,開発自体が中止された。 ② ライトエーストラックの4WS車については,昭和63年7月末に大物出図を終えたものの,いまだ小物部品の出図が残っており,そのうち重要部品のいくつかについては,当初同年8月10日とされていた出図期限が1か月も先の同年9月10日に延期されている。そして,延期後の昭和63年9月10日は,ぎりぎりの期限であり,実際,複数の係員を動員することで何とか出図期限の遵守を図ったほどであった。 さらに,ライトエーストラックについては,新ステアリングのコスト低減の課題が新たに浮上しており,亡P1は,夏休みの始まる前日,P10課長に対し,「仕事のこと(新ステアリングのコスト低減の課題と職場委員長の問題)が頭に浮かんで眠れなくなる。」と答えていた。そして,上記コスト低減の問題は,P10課長が中心となって解決に当たることになり,昭和63年 事のこと(新ステアリングのコスト低減の課題と職場委員長の問題)が頭に浮かんで眠れなくなる。」と答えていた。そして,上記コスト低減の問題は,P10課長が中心となって解決に当たることになり,昭和63年8月18日には,社内関係部署,部品メーカーとのコスト検討会が,翌19日には,設計者会議が開催されたが,亡P1にも大きな心身的負荷を与えていたものである。 また,このころ,4WS車のステアリングのギアボックスのコスト低減の問題も存在していた(甲第10号証の1の裏)。 (c) このような設計作業の遅れが,亡P1に強度の心身的負荷を与えていたことは明らかであり,亡P1は,設計業務の遅れを取り戻すべく,本件自殺前の1週間(8月19日,同月22日,同月24日)においても,作業日程調整を行っていた。 これに対し,被告は,先行試作段階での出図期限はそれほど厳格なものではなく,実際に出図期限が再三変更されていた旨主張するが,「ジャスト・イン・タイム」の生産システムの下では,出図の遅れが他部署に及ぼす影響は大きく,その期限は厳守されるべきものとされていたのであり,出図期限が変更されたのは,他の業務が忙しくて期限内に出図できる見通しが立たなかったために,やむを得ずなされただけである。 亡P1は係員に日程を遵守させる責任者であり,前述のとおり,7月21日,8月7日と日程調整を重ね,8月24日には日程の延期的変更を行ったが,その新計画は自分でも無理な計画と感じるものであった。日程を遵守すべき責任者にとって,最初から無理と思える計画を立てざるを得ないジレンマは,最大級の心身的負荷になったものと推測される。 (d) なお,被告は,アジアカーの4×4車の設計計画が中止になった旨主張するが,当時は未だその設計計画は維持されていたのであり,中止が決定されたのは少なくとも本 的負荷になったものと推測される。 (d) なお,被告は,アジアカーの4×4車の設計計画が中止になった旨主張するが,当時は未だその設計計画は維持されていたのであり,中止が決定されたのは少なくとも本件自殺の後であるから,同事実は業務の過重性の判断に影響を及ぼすものではない。 d 南アフリカ共和国への出張命令昭和63年8月20日,亡P1は,南アフリカ共和国への出張(以下「本件出張」という。なお,出張期間は,平成元年1月10日から同月25日までと予定されていた。)を命じられた。 しかし,本件出張の予定日である平成元年1月は,アジアカーとライトエーストラックの第1次試作設計の出図時期と重なっており,このような忙しい時期における出張命令は,約6か月先のことではあっても,直ちに亡P1の心身的負荷となった。 実際,亡P1は,本件出張命令の当日,帰宅してから原告に対して,「時期的に忙しい時期なので断ったが,課長は,『課長が2人いたら代わってやるけどな。』と言って取り合ってくれなかった。」,「半年先といっても日程は全て埋まっている。1月が1番忙しい時期なんだ。僕が抜けたら仕事が混乱する。とても行っていられないんだ。」などと訴えていた。 e 上司の不適切な対応亡P1の上司である第1車両設計課のP10課長は,亡P1が過重な業務負担に苦しんでいる状況について全く無理解であり,その負担を軽減するための具体的な対策を何ら講じなかったのであり,このような上司の無理解が亡P1の心身的負荷となっていた。 すなわち,亡P1は,昭和63年8月8日,「今後何に注意していくべきか」,「現部署にいるべきか」,「現状を話すべきか」などと記載したメモ(甲第10号証の2)を作成して原告に渡すとともに,「以前の次長であったP11さんが2月に代わったが,今の次長や課長は現場の べきか」,「現部署にいるべきか」,「現状を話すべきか」などと記載したメモ(甲第10号証の2)を作成して原告に渡すとともに,「以前の次長であったP11さんが2月に代わったが,今の次長や課長は現場の混乱に気付いていない。このままでは予定どおりには到底進まない。自分が図面を書く時間があれば何とかなると思うんだが,会議なんかで忙しくて時間がとれない。今後どうすべきか迷っているんだ。」と述べて,上司の無理解に対する悩みを打ち明けていたのである。そして,同日の帰宅後,原告に対し,「今日課長に現状を報告した。だけど課長は,『なんとかなる。夏休みに気分転換をしてまた頑張ってくれ。』と言って取り合ってくれない。」などと述べて,上司に対する不満を訴えていたのである。 P10課長は,亡P1から夏休みの前日に,「仕事のことが気になって眠れない。」と聞いており,また,夏休み明けにも,仕事が気になり夏休みの最終日に書類を取りにきたと聞いたのであるから,本件出張のような新たな業務命令を発することは慎重にすべきであり,亡P1が多忙を理由に断っているのであるから,他の者を人選すべきであった。 なお,亡P1が,仕事が乗り切れないのではないかとの不安を訴えているにもかかわらず,P10課長は,逆に亡P1を励ましているが,うつ状態に陥った者に対する励ましの言葉は,病状を増悪させる典型的な行為であり,上記P10課長の言動は不適切であった。 f 職場委員長への就任亡P1は,昭和63年7月初旬ころ,訴外組合の職場委員長に就任するように説得を受けた。亡P1は,業務の多忙さを理由に何度も断ろうとしたが断りきれず,同月末ころ,同年9月から職場委員長に就任することを承諾した。 職場委員長の仕事は,訴外会社においては,次の(a)に述べるとおり,実質的に訴外会社の業務と同じであり,亡P 断ろうとしたが断りきれず,同月末ころ,同年9月から職場委員長に就任することを承諾した。 職場委員長の仕事は,訴外会社においては,次の(a)に述べるとおり,実質的に訴外会社の業務と同じであり,亡P1の業務の過重性を判断するに当たっても,業務の中に含ましめるべきものである。 仮に,職場委員長の仕事が業務そのものとはいえないとしても,次の(c)に述べるとおり,職場委員長就任にともなう亡P1の心身的負荷は,業務と密接に関連するものとして考慮されなければならない。すなわち,亡P1が職場委員長への就任について悩んでいたのは,職場委員長の活動自体に対する不安ではなく,職場委員長の仕事に時間をとられることにより,係長としての過密な業務が遂行できなくなることに対する不安であったから,その心身的負荷は業務と密接に関連するものというべきだからである。 (a) 職場委員長と業務との関係訴外会社では,労使は対立するものではなく,一体となって訴外会社の生産システムを支えているのが実態である。 このことは,経営者に支持された「会社派」候補以外は立候補しにくく,選挙活動もできないという役員選挙の実態,組合役員の大半を,班長,組長,工長などの職制が占めている実状,さらには,組合役員への就任が訴外会社における昇格・昇進ルートの一環にすらなっていること等からも明らかである。 また,職場委員長は,職場(亡P1の場合はシャーシー設計部)の組合員を統括する立場にあり,大会,評議会,職場委員長会議に出席すること等を仕事としているが,実際には,職場の不満や要求を吸い上げて業務を円滑に遂行することによって,訴外会社の生産システムの柱である「ジャスト・イン・タイム」をうまく機能させる役割を担っている。 さらに,定期的に開催される労働組合役員と会社の役員との労使協議会,労使懇談 遂行することによって,訴外会社の生産システムの柱である「ジャスト・イン・タイム」をうまく機能させる役割を担っている。 さらに,定期的に開催される労働組合役員と会社の役員との労使協議会,労使懇談会,支部懇談会,職場懇談会等においては,労働者の労働条件の問題だけでなく,生産システム等の業務遂行を円滑に推進するためのさまざまな事項が協議,懇談されているのである。 このように,訴外組合は,訴外会社の業務の一環をも担っているのである。 (b) 職場委員長就任に伴う心身的負荷職場委員長は,支部懇談会,職場懇談会の出席メンバーとされており,月に2日は午後の時間が確実に潰れ,昼休みもそれなりに組合の仕事があるうえ,組合大会,研修等で休日が潰れることもあり,その就任は相当の心身的負荷を伴う。 実際,亡P1は,昭和63年8月25日の正午から午後1時までの間,労組職場役員と課長以上の職制との懇談会に出席し,9月から就任予定の新職場委員長として挨拶と懇談をしている。 なお,職場委員長は,上司である課長と前任の職場委員長が推薦するので,それを拒否するのは相当困難である。また,それを引き受けることが,職能資格の査定の段階で様々に加味されるため,拒否することはマイナス査定につながる。亡P1が,「労働組合の仕事は自分の仕事より優先しなければならない。会社を辞める覚悟なら断っても良いが,それはできない。」と原告に訴えていたことからも,職場委員長の就任が亡P1の心身的負荷となっていたことが窺える。 (c) 仮に,職場委員長への就任自体は業務に含まれないとしても,その就任によって多くの時間と労力が割かれるのであり,日常的に過重な労働に従事していた亡P1が,職場委員長の就任について大きな心身的負荷を感じていたことは明らかである。 すなわち,亡P1は,昭和63年8月 よって多くの時間と労力が割かれるのであり,日常的に過重な労働に従事していた亡P1が,職場委員長の就任について大きな心身的負荷を感じていたことは明らかである。 すなわち,亡P1は,昭和63年8月21日及び22日に訴外組合の研修に参加しているところ,その前後の残業状況や亡P1が研修明けにその足で休日出勤している事実からすると,当時の亡P1の業務は極めて多忙であったと推測されるが,その最中に訴外組合の研修に参加せざるを得ず,職場委員長になると仕事の時間がとられるとの危倶が具体的なものになってきたという心身的負荷及び休日が潰れた心身的負荷が,亡P1の本件うつ病を加速させたものと推測されるのである。 (ウ) 業務以外の心身的負荷等について亡P1には,家庭生活上の心身的負荷は全く存在しなかった。 被告は,原告が妊娠中に盲腸の手術を受けたこと,3女の出産,住宅ローン,引越,その他(原告のピアノレッスンの家事への影響等)が亡P1の心身的負荷になっていた旨主張するが,次のとおり,業務以外の心身的負荷は亡P1のうつ病の発症及び増悪に対する要因とはなっていない。 a 原告の妊娠中の病気,3女の出産(a) 原告は,昭和63年7月4日に3女を出産したが,全くの正常出産であり,3女にも何の異常はなく,その後も順調に生育している。また,原告の妊娠中の経過にも何ら異常なところはなく,加えて,原告が既に2児を出産した経産婦であることからすると,原告ないし亡P1が,原告の妊娠,出産に関して過度に心配することはなかった。しかも,本件うつ病の発症時期が昭和63年7月下旬ないしは8月初旬であったことからすると,3女の健康や障害への心配が本件うつ病の発症要因となっていたとは到底考えられない。 なお,原告の日赤病院の診療報酬明細書には,「胎児奇形の疑い」との記載があるが, は8月初旬であったことからすると,3女の健康や障害への心配が本件うつ病の発症要因となっていたとは到底考えられない。 なお,原告の日赤病院の診療報酬明細書には,「胎児奇形の疑い」との記載があるが,これは超音波断層写真の費用を保険で賄うために便宜的に記載されたものである(正常な妊娠・出産については健康保険が利用できないため,医師は,高額な超音波断層写真等の費用について保険を適用させるための便法として妊婦に病名を付けることがあり,このことは医療の世界では常識となっている。)。しかも,原告及び亡P1は,カルテに上記記載がなされていることを知らなかったのであるから,それにより亡P1が胎児の健康や異常を心配したということはあり得ない。 (b)① これに対し,被告は,原告が日赤病院で妊婦健診を受けず,日赤病院よりも遠い国立病院を選んだことをもって,亡P1が胎児の健康や障害に不安を抱いていたことの根拠とする。 しかし,妊婦が病院を選ぶ際の基準は,第1に,医療水準,医師の信頼度及び病院の設備,施設であって,病院の自宅からの距離はそれに比べれば小さな問題に過ぎない。そして,もう1つの候補であった名古屋大学病院では,第1子,第2子の出産の折にお世話になった医師,助産婦がすでに転出しており,国立病院には知り合いの戸谷医師が在籍していたこともあって,同病院を選択したものである。 なお,原告は,産休に入るまで名古屋市〈以下略〉所在の明和高校に通勤しており,明和高校に近い国立病院を「遠い病院」というのは被告の恣意的な主張にすぎない。 ② 被告は,亡P1は,原告が盲腸手術の際に受けた全身麻酔の胎児への悪影響を心配しており,これが亡P1の心身的負荷になっていた旨主張する。 しかし,原告が盲腸の手術を受けたのは昭和62年12月3日であり,妊娠が発覚したのは昭和63年 の際に受けた全身麻酔の胎児への悪影響を心配しており,これが亡P1の心身的負荷になっていた旨主張する。 しかし,原告が盲腸の手術を受けたのは昭和62年12月3日であり,妊娠が発覚したのは昭和63年2月23日であること,原告は,担当医師から,同手術の胎児への悪影響は心配ない旨告げられていたこと,そのため特別な検査等も受けず,原告自身,このことを必要以上に気に掛けることはなかったこと等からすると,夫である亡P1が,原告の盲腸手術のことを必要以上に心配したり,これがために心身的負荷を受けることはなかったというべきである。 b 住宅ローンについて被告は,新居購入に伴う住宅金融公庫,年金福祉事業団からの借入金1280万円の返済が,亡P1の心身的負荷となっていた旨主張する。 しかし,昭和63年当時,亡P1の住宅金融公庫への支払は月額2万4069円(ただし,ボーナス支給月は11万9660円),年金福祉事業団への支払は毎月元利均等で2万3300円ないし2万3400円であり,月々の返済額の合計は4万7369円ないし4万7469円であったところ,これは亡P1の月々の手取報酬額の15パーセント弱にすぎず,無理なく返済できる額であった。 加えて,原告一家が,当時,亡P1の収入だけで住宅ローンの支払を含め十分に生活できていたこと,特に,昭和63年はバブルの最盛期に突入する目前の時代であって,当時は右肩上がりの経済成長が当たり前と信じられていたことを併せ考えると,新居の購入に伴うローン返済から受ける心身的負荷は極めて少なかったというべきである。 c 3女の夜泣きについて3女はよく眠る子供で,そもそも「夜泣き」とはいっても母乳を求める意思表示程度のことであり,3女を直接世話していた原告すら夜泣きに悩まされることなど皆無であった。 そもそも,当時は原告と3 いて3女はよく眠る子供で,そもそも「夜泣き」とはいっても母乳を求める意思表示程度のことであり,3女を直接世話していた原告すら夜泣きに悩まされることなど皆無であった。 そもそも,当時は原告と3女が1階に,亡P1は2階で寝ていたこと,新生児との生活は過去に2度も経験済みであったこと等からすると,亡P1が3女の夜泣きに悩まされる状況にはなかったというべきであり,仮に,亡P1が3女の夜泣きに敏感であったとすれば,それは既に本件うつ病が発症し,その症状としての不眠に悩まされていたからであって,3女の夜泣き自体が原因ではない。 d 引っ越し原告一家が新居へ引っ越したのは昭和62年10月のことであるから,本件うつ病の発症時期からすると,その発症,増悪の要因となっていないことは明らかである。 e その他について亡P1は,休日(土曜日)で時間の空いていたときには,名古屋市〈以下略〉にある名古屋音楽学院まで原告を送迎していたが,休日に妻の送迎をすることが亡P1の心身的負荷になっていたとは考え難く,その他,本件うつ病発症の要因となり得るような業務以外の心身的負荷は存在しなかった。 (エ) 個体側の要因について亡P1は,身長170ないし171センチメートル,体重63キログラムの中肉中背の体型で,高校時代はボート部の選手として国体に出場し,大学時代はラグビー部に所属するなどスポーツ万能であり,身体強健で本件自殺まで病気らしい病気をしたことがなく,飲酒癖もなく,タバコも吸っていなかった。 また,社会適応も良好で,性格上の異常性も全くなかった。仕事の面では几帳面,徹底的なところがあり,仕事第一主義の会社人間ではあったが,自宅の机の上をほったらかしにするといった臨機応変さもあった。 このように,亡P1には,本件うつ病に対する身体的要因は存しなかったし, 面,徹底的なところがあり,仕事第一主義の会社人間ではあったが,自宅の机の上をほったらかしにするといった臨機応変さもあった。 このように,亡P1には,本件うつ病に対する身体的要因は存しなかったし,精神障害の既往症もなく,親族にも既往歴のある者は存在しなかった。 (オ) 業務起因性についてa 本件うつ病の発症,増悪の経過(a) 亡P1は,午前6時30分ころ(ただし,ジョギングを始めてからは午前5時30分ころ)起床して朝食を取り,午前7時10分ころ出勤して午後10時15分から11時の間に帰宅する毎日であり,帰宅後に夕食を取るために就寝は午前零時過ぎであった。 (b) 昭和63年6月ころの業務状態亡P1が係長をしていた第1係は,アジアカーの4×4車,4×2車及びライトエーストラックの4WD車,4WS車の設計業務を担当しており,極めて多忙であった。訴外会社では1部課係の業務の遅延は全体の日程に影響を及ぼすため,予定どおりに業務を消化することが至上命令であった。しかも,訴外会社はその1ないし2年前から残業規制が厳しくなり,表向きは残業を規制時間内に留めなければならないため,とりわけ日程の消化が大変であった。訴外会社では,その係の日程表の原案は係長が作成することになっており,亡P1は第1係の日程表の原案を作成し,上司の決裁を仰ぎ,日程表が決定されればそれを係全員が遵守していくよう監督する責任を負っていた。 そのため,亡P1は,昭和63年6月以降,日程消化のために日夜心を砕く状態になった。そして,亡P1が第1係の業務の進行に懸念を抱き始めた昭和63年6月ころから,亡P1の早朝覚醒が始まった。 (c) 同年7月ころの業務状態同年7月になると第1係はますます繁忙となり,亡P1の日程消化に対する不安は亢進した。そのような状況下で亡P1は,同年9 月ころから,亡P1の早朝覚醒が始まった。 (c) 同年7月ころの業務状態同年7月になると第1係はますます繁忙となり,亡P1の日程消化に対する不安は亢進した。そのような状況下で亡P1は,同年9月から労働組合の職場委員長になるように説得された。亡P1は,仕事の繁忙を理由に固辞したが,断り切れずに職場委員長に就任することになった。 亡P1は,日程遵守のため,7月からは鉛筆とメモ用紙を常に枕元において就寝し,1週間に3ないし4回は夜中に起きては浮かんだアイデアを書き付けていた。 原告は同月4日に3女を出産したが,亡P1は業務多忙のため,病院を訪れたのは,出産の日の夜遅くと退院の日だけであった。7月11日の退院の日は年休を取得したものの,実際には仕事が入り,午後2時ころまで勤務して,その後に原告を病院に迎えに来る状態であった。 当時,訴外会社は厳しい残業規制をしていたが,実際には残業規制の枠内では日程消化ができず,サービス残業や持ち帰りのふろしき残業があり,実残業時間は記録上の数字よりも相当多かったものと推測される。 しかして,亡P1は,第1係ないし亡P1の業務量,業務時間が急激に増大した昭和63年7月からは,仕事の愚痴や不安を原告に漏らすようになり,不眠症状も悪化していった。そして,昭和63年7月下旬になると,亡P1は非常に疲れた様子で帰宅するようになり,肩凝りも訴えるようになった。 (d) 同年8月初旬の業務状態同年8月初旬,亡P1は,原告に対し,「係の仕事が2台の車のマルモ級(モデルチェンジ級)の忙しさなので,職場委員長を何度も辞退したんだが,断れなかった。」と深刻な表情で漏らした。原告は,「知り合いのお医者さんに診断書を書いてもらって断ったら。」と言ったが,亡P1は,「労働組合の仕事は自分の仕事より優先しなければならない。会 んだが,断れなかった。」と深刻な表情で漏らした。原告は,「知り合いのお医者さんに診断書を書いてもらって断ったら。」と言ったが,亡P1は,「労働組合の仕事は自分の仕事より優先しなければならない。会社を辞める覚悟なら断ってもよいが,それはできない。頑張ってみるよ。」と答えた。 亡P1は,8月6日(土曜日)は休日であったが,原告の祖母の葬式のために休息することができなかった。 亡P1は,8月7日出勤し,帰宅後,原告に対し,「今回の仕事は乗り切れないかも知れない。今年の夏休みは毎日出社になるかもしれない。」と言った。 亡P1は,8月8日の朝,原告に対し,原告がときどき相談している占い師に相談してきてもらえないだろうかと言って,「今後何に注意していくべきか。現部署にいるべきか。現状を話すべきか。」と記載したメモを渡した。これは,日程消化に強い危機感を感じて上司に相談したがまともに取り合って貰えず,自分でやりたくても時間が取れず,迷った挙げ句の占い頼みであった。 上記のとおり,亡P1の日程消化に対する不安はさらに深刻化していき,原告に対し,上司の対応に対する愚痴もこぼすようになった。そして,このころから不眠解消の目的で早朝ジョギングを始めたが,不眠が解消することはなく,肩凝りの症状も深刻化していき,このころ本件うつ病が発症した。 (e) 夏休み(8月10日から8月17日まで)の様子夏休み初日の8月10日,亡P1は,「ものすごく肩が凝る。」と言って整体に行った。 8月11日,亡P1は,訴外会社に出かけて仕事に必要な書類等を自宅に持ち帰り,同日から17日の午前中まで自宅にこもって仕事を続けた。 8月17日の午後,亡P1は,「明日から休みが明けるので,朝8時30分にすぐ仕事に取りかかれるようにしておきたい。」と言って,訴外会社に書類を返しに行 7日の午前中まで自宅にこもって仕事を続けた。 8月17日の午後,亡P1は,「明日から休みが明けるので,朝8時30分にすぐ仕事に取りかかれるようにしておきたい。」と言って,訴外会社に書類を返しに行った。 (f) 夏休み明け(死亡前1週間の様子)8月18日,亡P1は,「いよいよ夏休みは終りだ。がんばるぞ。」と言って出勤した。毎朝続けていたジョギングはこの日から止めた。 8月19日,亡P1は,「早く目が覚めたから。」と言って朝5時過ぎに出勤した。「1時間でも多く仕事をしたい。」とのメモが残されていた。 8月20日,亡P1に来年1月の本件出張命令が出た。亡P1は,帰宅後,原告に対し,「時期的に出図等で忙しい時期なので断ったが,課長は,『課長が2人いたら代わってやるけどな。』と言ってとりあってくれなかった。」と漏らした。原告は,「1月のことだから,後で考えればいいのに。」と言ったが,亡P1は,「半年先といっても日程はすべて埋まっている。1月が一番忙しい時期なんだ。僕が抜けたら仕事が混乱する。とっても行っていられないんだ。」と言った。 8月21日は日曜日であったが,亡P1は,職場委員長就任に先立って8月21日,22日に行われた職場委員長セミナーに参加し,同月22日,同セミナーからの帰りにそのまま出社した。亡P1は,同日帰宅したとき,原告に対し,「肩がやけどのようにヒリヒリと痛い。」と訴え,表情も疲れていたが,「セミナーに来ていた人も皆それぞれ忙しそうだから,また,頑張ろう。」と言った。 8月23日,亡P1は,いつもより早く午後7時ころに退社したが,疲れているため運転を続けることができず,途中で何回か車を止めて車の中で休みながら2時間かけて自宅にたどり着いた。 8月24日,亡P1は,朝5時過ぎから今後の仕事の計画表を作成していた。亡P1は 疲れているため運転を続けることができず,途中で何回か車を止めて車の中で休みながら2時間かけて自宅にたどり着いた。 8月24日,亡P1は,朝5時過ぎから今後の仕事の計画表を作成していた。亡P1は,「課長が忙しさを何も分かっていない。この計画表をこのまま出したら部長,次長が無理な計画だと言ってびっくりする。課長のメンツもつぶれてしまう。 どうしようかな。」と言った。亡P1は,同日いつもどおり出勤し午後9時ころ帰宅した。亡P1は,同日の夕食を全部吐いてしまった。 8月25日,亡P1は午後8時30分ころ帰宅したが,放心状態であった。亡P1は,帰社するに際してタイムカードを押しておらず,胸には名札をつけたままで職場から遁走したものであった。亡P1は,そのままベッドで休み,午後9時30分ころ夕食を取ったが,食事後,原告に対し,「もうトヨタにはついていけない。 仕事をやる時間がない。トヨタを辞めたい。」と嘆いた。原告が驚いて,「何かあったの。」と聞いても,「もうついていけないんだ。」と言うだけであった。原告は,亡P1の状態が尋常でないことに気付き,亡P1を病院に連れて行く方便として,「明日,病院に送ってくれたら助かるんだけど。」と頼むと,亡P1は,翌日訴外会社を休んで原告を病院に送っていくことを約束した。亡P1は,午後10時30分ころ,生後50日の3女をお風呂に入れたが,原告が風呂を覗いたところ,亡P1は泣いていた。亡P1は,午後11時30分ころ,テレビで落雷のため即死というニュースを見て,「このように死ねたらいいな。」と口走った。そして,「ゆっくり眠りたい。睡眠薬が欲しいから,明日の朝病院へ行ってもらって来よう。」と言った。亡P1は,8月26日午前1時30分ころ,2階の寝室に行った。原告は,亡P1の様子が気になり,午前4時過ぎまでは亡P1の様子 たい。睡眠薬が欲しいから,明日の朝病院へ行ってもらって来よう。」と言った。亡P1は,8月26日午前1時30分ころ,2階の寝室に行った。原告は,亡P1の様子が気になり,午前4時過ぎまでは亡P1の様子を窺っていた。しかし,亡P1が寝たようなので午前4時過ぎに眠ってしまった。ところが,亡P1は,その後に自宅を抜け出し,自宅から約1キロメートル離れたビルから身を投げて自殺した。 b 以上のとおり,亡P1は,毎日睡眠6時間程度で心身的負荷の高い設計の仕事を続けて精神的,肉体的に慢性的疲労状態にあったところへ,マルモ級の仕事が2つ重なり,加えて職場委員長への就任や本件出張命令が出て,休日も惜しんで仕事に励んだものの,係長として自己の属する係が日程をこなせないのではないかと思い悩み,その結果,本件うつ病に罹患したものであり,このように本件うつ病が発症し増悪した時期は,訴外会社の業務量の増加その他による心身的負荷が加わっていた時期と重なっているのであるから,かかる過重な業務により本件うつ病が発症し増悪するに至ったことは明らかである。 (2) 被告の主張ア業務上の出来事とその心身的負荷(ア) 第1係の担当業務a 第1係では,昭和62年以降,アジアカー及びライトエーストラックの設計業務を担当しており,昭和63年2月からは,アジアカーのマイナーチェンジに伴う開発設計とライトエーストラックの新ステアリング導入に伴う改良設計がともに開始されていたが,昭和63年6月中旬にはアジアカーの4×2車の先行試作に係る大物出図が,同月末にはライトエーストラックの4WD車の先行試作に係る大物出図が,同月あるいは同年7月には,ライトエーストラックの4WS車の先行試作に係る大物出図がそれぞれ完了しており,同年7月は,これに引き続きアジアカーの4×2車の先行試作に係る小物出 試作に係る大物出図が,同月あるいは同年7月には,ライトエーストラックの4WS車の先行試作に係る大物出図がそれぞれ完了しており,同年7月は,これに引き続きアジアカーの4×2車の先行試作に係る小物出図及びライトエーストラックの先行試作に係る小物出図を行い,アジアカーの派生車種である4×4車を除いて出図が完了しており,同年8月は,出図した図面を基にした試作品に関する改良設計等が行われていた時期であった。 なお,アジアカーの4×4車については,同年7月ないし8月ころ大物出図が完了する予定であったが,その後,市場の関係で開発が中止されている。 b そして,亡P1は,第1係の係長として,各係員の業務処理を管理して助言指導するとともに,業務の進行状況に応じて担当業務を割り振ること,他部署との日程調整,フリーハンドによる概略設計図(先行設計図)の作成,月例報告書の作成,各種会議への出席,特許申請の手続き面での助言,製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置等を行っていたが,その業務は特段過重なものではなかった。 c これに対して,原告は,「亡P1が,原告に対し,『普通は1つの係が1つの車種を担当するが,自分の係は2シャーシーを受け持たなければいけない。』,『マルモ級の忙しさになる。』などと述べていた。」旨供述し,第1係の業務が過重であったと主張する。 しかし,第1車両設計課の中には,複数の車種を担当している係が他にもあり(第2係はトヨエースとハイエースを,第4係は大型トラックとダイナを,第5係は特装車として宅配車,冷凍車,ミキサー車をそれぞれ担当していた。),第1係のみが複数車種を担当していたわけではない。 また,アジアカーはライトエーストラックを基礎としてアジア向けに改良した車種であり,両車に共通した部品も多いことから同じ係で担当していたの た。),第1係のみが複数車種を担当していたわけではない。 また,アジアカーはライトエーストラックを基礎としてアジア向けに改良した車種であり,両車に共通した部品も多いことから同じ係で担当していたのであり,2つの車種を担当するといっても直ちに業務が過重であることの根拠にはならない。 さらに,当時の第1係の業務は,アジアカーのマイナーチェンジに伴う開発設計及びライトエーストラックの改良設計であったところ,フルモデルチェンジを100の仕事とした場合,マイナーチェンジは20ないし60くらい,改良設計は5ないし20くらいの仕事割合にすぎないのであるから,当時の第1係の業務負担はフルモデルチェンジを担当する場合に比べると軽いものであった。 このように,原告の供述は客観的状況に符合せず信用できないものであるから,亡P1の業務が過重であったことの根拠にはならない。 (イ) 労働時間等a 労働実態(a) 労働時間,年次有給休暇の取得状況等① 訴外会社の当時の労働時間は,就業規則上,午前8時30分から午後5時30分までとされており,また,亡P1の昭和62年9月から昭和63年8月までの時間外労働時間は,1か月平均45.37時間,1日平均2.22時間であり,これは,他の第1係係員の1日当たりの時間外労働時間の平均値と大差ないものであり,特段過重な業務とは認められない。 ② 第1係各係員の年次有給休暇の取得状況についても,昭和63年1月から同年8月までの間,アジアカーを担当していたP12は4日,P13は8日,P5は4日を取得しており,ライトエーストラックを担当していたP8は9日,P14は7日,P15は5日,P4は5日を取得していた。そして,原告が業務多忙と主張する昭和63年7月についても,休日出勤は,亡P1の2日以外は各人平均して1日であるが,年休は係全 いたP8は9日,P14は7日,P15は5日,P4は5日を取得していた。そして,原告が業務多忙と主張する昭和63年7月についても,休日出勤は,亡P1の2日以外は各人平均して1日であるが,年休は係全体(8名)で8日間(亡P1については1日)が取得されており,完全週休2日制であったことも併せ考えると,当時,第1係は休日,休暇が確保されない状況にはなかった。実際,亡P1も,昭和63年7月に,有給休暇1日を含む3連続休日を取得している。 (b) 第1車両設計課の他の係長の労働実態との比較亡P1の1か月平均の時間外労働時間は第5係係長であるP9に次いで2番目,亡P1の休日出勤は5日で,P9係長の9日,P16第4係係長の7日に次いで3番目,亡P1の年次有給休暇の取得状況は4日で,P17第3係係長の5日に次いで,P16係長と同位の2番目であり,かえってP9係長は,亡P1より休日出勤は4日多く年休取得は1日少なかった。 このような労働実態からして,亡P1の係長としての業務が他の係長との比較において特に過重であったとはいえない。 なお,亡P1死亡後,同人の業務の一部が最も時間外労働・休日労働の多いP9係長に引き継がれていることからしても,亡P1の業務は特段の過重性を有していなかったというべきである。 (c) 法定労働時間,労働協約上の労働時間を基準とした亡P1の労働実態の評価昭和63年4月1日からの法定労働時間は,常時使用する労働者が100人以上の製造業等一部の業種と規模の事業場については週46時間,それ以外の事業場については平成3年までの間は週48時間(1部の小規模事業場を除く。)とされていた(労働基準法32条,同附則131条)。 しかして,訴外会社では,当時,既に完全週休2日制を採用し,週の所定労働時間は40時間とされていたのであるから,法 (1部の小規模事業場を除く。)とされていた(労働基準法32条,同附則131条)。 しかして,訴外会社では,当時,既に完全週休2日制を採用し,週の所定労働時間は40時間とされていたのであるから,法定労働時間を基準にすると,亡P1の所定休日における労働は,法定休日労働ではないことはもとより,そのほとんどは法定労働時間内の労働ということになる。 これらを基準に,本件自殺前1年間のうち時間外労働時間が最も多い昭和63年7月について検討すると,時間外労働時間の合計が68.5時間であったのに対し,法定労働時間を超えるのは1日8時間を超える55.5時間と1週46時間を超える7月23日とを合計した57.5時間にすぎないことになる。 また,訴外会社では,当時,週40時間を基準として36協定(労働基準法36条に基づく時間外労働協定)が締結されていたが,当該協定では1か月の時間外労働の時間は75時間とされており,亡P1の時間外労働時間はすべてその協定の範囲内であり,労使間で合意された枠を超えるものではなかったのである。 b サービス残業,持ち帰り残業当時,亡P1がサービス残業,持ち帰り残業をしていた事実は認められない。 原告は,訴外会社においては厳しい残業規制の下,サービス残業が日常化していたとし,亡P1の昭和63年8月の勤務時間報告表とタイムカードとを対比して,亡P1が一日当たり,平均1時間5分のサービス残業を行っていた旨主張する。 しかし,原告の上記主張は,就業規則に定められた午後7時からの30分間の休憩時間を算入していないこと,出勤時のタイムカードの打刻から所定始業時間までの間をも労働時間に含めていること,退勤時はタイムカードの打刻時間までを労働時間に含めていることの諸点において労働時間を過度に算定している。 また,仮に,上記休憩時間中に自主的 から所定始業時間までの間をも労働時間に含めていること,退勤時はタイムカードの打刻時間までを労働時間に含めていることの諸点において労働時間を過度に算定している。 また,仮に,上記休憩時間中に自主的に仕事を行っていたことがあったとしても,それが常態化していたとまではいい難いし,亡P1が帰宅後食事をしていたことをもって,直ちに上記30分間の休憩時間を取っていなかったことにはならない。 c 原告は,訴外会社の残業時間半減運動により,業務が一層過密になった旨主張している。 しかし,訴外会社は,①業務の実施見送りと廃止,②徹底的な業務の効率化,③所定就業時間内での業務遂行が基本であることの徹底の3点を重点として種々の方策を講じたうえで,残業時間の半減運動を実施したものであり,業務の削減,効率化がなされていることからすれば,残業時間の半減が直ちに業務の過密化に結びつくものではない。 d 判断指針では,「出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労働者が,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合」には,それ自体で心身的負荷の強度を修正するとしているが,上記のとおり,亡P1は深夜時間帯に及ぶような時間外労働を行っていたわけではなく,心身的負荷の強度を修正するべき事情は見当たらないというべきである。 (ウ) 業務の遅延等についてa 出図期限について第1係が当時担当していた設計業務はいずれも先行試作設計の段階であり,先行試作設計は改良が全体的に成り立つかを見る設計業務であり,試作車との兼ね合いも見ながら進めていくものであるから,ラインオフとの関係で期日厳守となる正式出図期限に比べると,それほど厳格に期限を遵守する必要のないものであり,実際,第1係の出図期限は であり,試作車との兼ね合いも見ながら進めていくものであるから,ラインオフとの関係で期日厳守となる正式出図期限に比べると,それほど厳格に期限を遵守する必要のないものであり,実際,第1係の出図期限は再々変更されていた。 特に,アジアカーの開発計画はマイナーチェンジであり,それが外部に発表されることもないから,スケジュール的にも融通がきくものであった。 b 業務の遅延ついて当時の第1係の業務は,特段の遅延もなく順調に進行していた。 このことは,本件自殺後,第1係の増員ないしは人員再配置等の特段の措置を講じることなく,その担当業務が計画どおり終了していることからも明らかである。 なお,本件自殺後,第1係が担当していた業務は2分され,ライトエーストラックは部下のP8が,アジアカーは第5係のP9係長がそれぞれ引き継ぐことになったが,ライトエーストラックは特に問題もなく昭和63年9月末に図面が提出されているし,アジアカーも12月末には終了した。 これに対して,原告は,亡P1が,「今の次長や課長は混乱に気づいていない。 このままでは予定どおりには到底進まない。自分が図面を書く時間があれば何とかなると思うんだが,今後どうすべきか迷っているんだ。」,「課長が忙しさを何もわかってくれない。この計画表をそのまま出したら,部長,次長が無理な計画だといってびっくりするだろう。」と述べた旨陳述し,業務が遅延していたことの根拠とするが,これは,亡P1のうつ病エピソードが進み,そのような病態の中での亡P1の心理であり,業務に特段の支障が生じた事実は認められないから,当時の客観的状況に符合するものではなく信用性が低い。 (エ) 上司の管理態度についてP10課長は,その都度亡P1の相談に乗り懇切な助言をしていたのであり,亡P1の上司として適切な対処をしていた。すなわち 観的状況に符合するものではなく信用性が低い。 (エ) 上司の管理態度についてP10課長は,その都度亡P1の相談に乗り懇切な助言をしていたのであり,亡P1の上司として適切な対処をしていた。すなわち,夏休み前にはステアリング開発についての話合いをしたり,夏休み明けには,「私が中心になってやるからがんばろう。」と励ましたり,「係のP8君に少し任せてやってもらったらどうか。」と助言していたのである。 このことは,P10課長が,「もし,P1君がうつ病だとわかっていたら,あるいは何か具体的に異常な言動でもあったとしたら,すぐに休ませ治療に専念させていたはずです。P1君の係は10名もの係員がいましたし,P8君というベテラン担当者がいましたから,P1君が休んでも同じ係内かあるいは課内もしくは部内の他の者で十分フォローが可能であり,心身に故障をきたした者に無理に仕事をさせるようなことはありません。実際,P1君がいなくなった後は,私が係長を兼務することになり,増員なしで業務を処理しております。」と陳述していることからも明らかである。 これに対して,原告は,亡P1の生前の言動を根拠に,業務の遅延,進行状況に関する上司の無理解等を指摘するが,上記のとおり,当時の第1係の業務に特段の遅延は認められなかったのであるから,原告の主張は客観的状況に符合せず,認められないというべきである。 (オ) 本件出張について南アフリカ共和国出張への人選は,昭和63年8月2日付けで製品企画室から各担当部署に派遣依頼がなされ,これを受けたP10課長が,亡P1の了解を得た上で,同年8月19日に推薦したもので,亡P1にとって予想外の業務とはいい難い。 また,その業務目的も,南アフリカ共和国向けにV/N型車を導入するため,現地使用条件,環境条件下でNVH・ほこり入り・商品性その 月19日に推薦したもので,亡P1にとって予想外の業務とはいい難い。 また,その業務目的も,南アフリカ共和国向けにV/N型車を導入するため,現地使用条件,環境条件下でNVH・ほこり入り・商品性その他の確認を行うという,ほとんど準備を要しないものであって,隊長も別に選任されていた。しかも,亡P1は,過去に台湾出張の経験も有していたのであるから,本件出張命令自体が亡P1に過度の心身的負荷を与えるものでもなく,さらに,それは約半年先のことであるから,本件うつ病の要因となるような心身的負荷を与えるものではない。 反面,このように半年近くも先の,しかも,出張用務が特段の心身的負荷を伴うものとも認められない本件出張について,亡P1が心身的負荷を感じていたこと自体,将来の不安を強く感じる亡P1の個人的気質を表しているといえる。 これに対して,原告は,本件出張命令が本件うつ病悪化の要因となった旨主張し,「夫は,時間的に出図などで忙しい時期なので断ったが,課長は『課長が2人いたら代わってやるけどな。』と言ってとりあってくれなかった。夫は,『半年先といっても日程はすべてうまっている。1月が1番忙しい時期なんだ。僕が抜けたら仕事が混乱する。とっても行っていられないんだ。』と言っていた。」旨陳述するが,原告の上記陳述は信用することができない。 イ業務以外の出来事とその心身的負荷について(ア) 職場委員長への就任亡P1は職場委員長への就任が決まっており,それは相応の心身的負荷を伴うものであることは否定できないが,職場委員長としての職務が訴外会社の業務とは関係がないことは事柄の性質上明らかであり,その就任に関して訴外会社の業務命令が出されることは一切ない。 加えて,P10課長は,亡P1の職場委員長就任による業務への影響について,亡P1に対し,夏休み明け ないことは事柄の性質上明らかであり,その就任に関して訴外会社の業務命令が出されることは一切ない。 加えて,P10課長は,亡P1の職場委員長就任による業務への影響について,亡P1に対し,夏休み明けに,「係長としての仕事の一部をP8君に少し任せてやってもらったらどうか。」と述べるなどして,上司として適切な対処をしていた。 (イ) 住宅ローン亡P1は,昭和62年10月の新居新築に伴い,合計総額2680万円(内訳は,住宅金融公庫が880万円,年金福祉事業団が400万円,三井銀行が560万円,東海銀行が840万円である。)のローンを組んでおり,給料天引による月々の返済額は5万6900円ないし5万7000円,ボーナス月は22万7000円程度に及んでいたのであり,これにより心身的負荷を受けていた。 (ウ) 原告の手術及び3女の出産原告は,昭和63年7月4日に3女を出産したが,それに先立つ昭和62年12月3日急性虫垂炎,急性穿孔腹膜炎の手術を受けている。亡P1は,上記手術の胎児への影響を相当心配しており,このため非常に大きな心身的負荷を受けていた。 (エ) 引っ越し亡P1は,昭和62年10月に引っ越しをしており,引っ越し自体は本件うつ病が発症する9か月以上前ではあるが,昭和63年6月に引っ越し祝いが行われており,このころまで引っ越しに伴う心身的負荷があった。 ウなお,亡P1の家庭での言動等は,すべて原告の陳述ないし証言に依拠しているところ,それらのいくつか(上記で述べてきたところ以外に,亡P1が夏休み期間中原告の実家に帰った日数等)は客観的事実と齟齬しており,原告の陳述ないし証言のすべてを信用することはできない。 エ亡P1は,昭和63年7月末ころから精神神経症状が現れ,自殺直前にはICD-10分類F32うつ病エピソードを発病していた蓋然性が高 ており,原告の陳述ないし証言のすべてを信用することはできない。 エ亡P1は,昭和63年7月末ころから精神神経症状が現れ,自殺直前にはICD-10分類F32うつ病エピソードを発病していた蓋然性が高いが,最新の医学的・心理学的知見及び法的判断に基づく客観的基準として示された新しい判断指針に照らしても,亡P1の業務上の心身的負荷は客観的に精神障害を発症させるおそれがある程度に強いとは判断できず,むしろ亡P1の脆弱性(個体側の要因=病的とはいえないが性格傾向としてうつ病親和型の気質の存在)が本件うつ病の発症の大きな役割を果たしていたと評価すべきである。 したがって,本件うつ病の発症が業務に起因するものでないと判断して,原告の遺族補償年金及び葬祭料の請求を不支給とした本件処分が適法であることは明らかである。 第4 当裁判所の判断 1 前提となる事実等前記当事者間に争いのない事実等及び各項目ごとに掲記した証拠及び甲第8号証,第9号証の1,2,第11,第12号証,第31ないし第36号証,第54号証の1,2,乙第4,第6,第9号証並びに証人P10,同P8,同P18の各証言,原告本人尋問の結果(第1回,第2回)並びに弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。 (1) 亡P1の経歴,家族状況,健康状態,生活状況,性格等ア経歴(甲第1号証の3,第13号証の3,4,乙第4号証)亡P1は,昭和28年5月25日に名古屋市西区で出生し,昭和47年3月に愛知県立旭丘高等学校を,同51年3月に東京工業大学を各卒業した後,昭和51年3月に訴外会社の奨学金を受けて同大学大学院理工学研究科(材料科学専攻)に進学し,同53年3月に同大学院を修了して,同年4月に訴外会社に入社した。 訴外会社に入社後は,昭和53年11月に第1車両設計課の前身である第1技術部車両設計 学大学院理工学研究科(材料科学専攻)に進学し,同53年3月に同大学院を修了して,同年4月に訴外会社に入社した。 訴外会社に入社後は,昭和53年11月に第1車両設計課の前身である第1技術部車両設計課に配属され,以来一貫してシャーシー関係の設計業務に従事し(昭和53年11月から昭和59年まではハイエース系シャーシー関係の設計業務に従事し,昭和59年から昭和62年1月まではトヨエース,アジアカー系シャーシー関係の設計業務に従事していた。),昭和62年2月からは第1係係長の職に就していた。 なお,亡P1は,同期入社者の中でも比較的早く係長に昇進したものであり,その仕事振りは周囲から高く評価されていた。 イ家族状況(甲第1号証の3ないし5,第23号証,乙第10号証の1,2)亡P1は,昭和53年4月1日,中学時代からの知合いであった原告と結婚し,その間に3女(昭和54年生まれ,同58年生まれ,同63年生まれ)を得ており,家族関係は格別の問題もなく円満であった。 原告夫婦は,昭和62年10月16日,結婚後居住していた名古屋市〈以下略〉から,現在の住所地である名古屋市〈以下略〉(原告の実家の隣地)へと居宅新築のうえ移転した。 なお,原告は,水曜日の午前,午後及び土曜日の午後に名古屋音楽学校,愛知県立明和高等学校,桐朋学園東海分室でピアノの講師をし,自宅でもピアノの個人レッスンを行っていたが,亡P1の仕事優先主義を理解し,実家の両親の支援を受けて家事育児の一切を引き受けていた。 ウ健康状態(甲第14,第15,第35号証)亡P1は,高校時代にはボート部に所属して国体に出場したことがあり,また,大学時代にはラグビー部に所属していたほか,一般の山岳会にも所属しているスポーツマンであり,重篤な病気に羅患したこともなく,当時も健康上の問題は存在し ト部に所属して国体に出場したことがあり,また,大学時代にはラグビー部に所属していたほか,一般の山岳会にも所属しているスポーツマンであり,重篤な病気に羅患したこともなく,当時も健康上の問題は存在しなかった。 また,亡P1には,精神病関係の既往歴はなく,その親族関係にも精神病関係の既往歴を有する者は存在せず,精神障害の遺伝的素因は全くなかった。さらに,アルコールは週末にビール1本程度でアルコール等薬物への依存的傾向もなかった。 エ生活状況(甲第8号証,第13号証の5)亡P1は,訴外会社に入社後,午前6時40分ころに起床し,午前7時ころ(現在の住所地に転居した昭和62年10月以降は午前7時10分ころ)に自家用車で出勤し,午後10時15分から午後11時ころの間に帰宅し,その後に夕食をとり入浴等して午前零時30分ころから午前1時ころに就寝するのが日課であり,就寝時間は約6時間ほどであった。 なお,通勤時間は,朝が約1時間15分,夜が約45分であった。 オ性格(甲第29,第34号証,第50号証の1,2,第51,第52,第55号証,乙第6号証)亡P1の性格は,几帳面で積極性もあり責任感が強い,真面目で明るく,人あたり,人付き合いが良く,家族思いで,敵を作らない誰にでも好かれるタイプで,自分の意見も説得的に言える性格であった。 反面,完全主義者,神経質,非情になりきれないところがあり,仕事第一主義で,全部自分でやろうとして仕事を背負い込むところも見受けられた。 上司のP10課長も,「バランスがとれていて,優等生的であり,職場にとっては申し分のない人物」と高く評価していた。 (2) 業務上の出来事等ア亡P1の業務内容(ア) 所属部署の概要等(甲第16号証の1,2,6,7,第37号証の1ないし4,乙第4,第9号証)a 亡P1が勤務して 人物」と高く評価していた。 (2) 業務上の出来事等ア亡P1の業務内容(ア) 所属部署の概要等(甲第16号証の1,2,6,7,第37号証の1ないし4,乙第4,第9号証)a 亡P1が勤務していた訴外会社は,愛知県豊田市〈以下略〉に所在する輸送用機械器具製造等を業とする株式会社であり(平成8年9月末の資本金は3189億円,従業員数は約7万人),当時のシャーシー設計部は,総括課,計画課と第1車両設計課を始めとする7つの設計課の9課に分かれており,そのうち第1車両設計課は課長以下5係で編成されていた。そして,亡P1は,当時第1車両設計課第1係の係長であり,直属の上司は,第1車両設計課のP10課長であった。 なお,当時の第1車両設計課の各係長は,第2係がP10課長の兼務,第3係がP17係長(昭和58年2月1日に同係係長に就任,当時37歳),第4係がP16係長(昭和61年2月1日に同係係長に就任,当時36歳),第5係がP9係長(昭和58年2月1日に同係係長に就任,当時46歳)であった。 b 亡P1が係長に就任した当初の第1係の係員は,P8,P12,P14,P13,P15の5名であったが,昭和62年3月に社外応援者のP2が,同年5月に同P3が,同年11月に社員のP4とP5がそれぞれ加わり,昭和63年7月からは社外応援者のP6も手伝うようになり,亡P1が当時指導監督していた人数は11名に増加していた(なお,P7は,亡P1死亡以前から外注先として第1係の設計業務に関与していたが,社外応援者として訴外会社に来たのは昭和63年9月であった。)。なお,P8は係長一歩手前のベテラン社員であり,P5は新入社員であった。 また,当時の第1車両設計課の他の係の在籍状況は,第2係がP10課長外7名,第3係がP17係長外5名,第4係がP16係長外6名,第5係がP 長一歩手前のベテラン社員であり,P5は新入社員であった。 また,当時の第1車両設計課の他の係の在籍状況は,第2係がP10課長外7名,第3係がP17係長外5名,第4係がP16係長外6名,第5係がP9係長外3名であった(ただし,上記は社員の人数であり,社外応援者の人数は不明。)。 (イ)a 訴外会社の生産方式(甲第76,第80号証)訴外会社では,生産過程において,「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」を特徴とした独自の生産方式を採用しており,これにより高い生産効率と人件費等のコスト削減を目指していた。 b 訴外会社の設計業務の特殊性(甲第72号証)訴外会社においては,新車の開発や量産車のマイナーチェンジ等は,製品企画室があらかじめ設定した日程に基づいて行われていた。そして,設計業務の遅れは他の部署の日程に大きな影響を及ぼすため,設計図の出図期限は遵守すべきものであり,設計部門においては出図時期が一番の繁忙期であった。 (ウ) 第1係の担当業務について(甲第9号証の1,2,第10号証の1,第16号証の2,3,7,第21号証の1ないし4,16,第25号証,第37号証の2ないし7,乙第4,第6,第7号証)a 担当車種,業務内容等(a) 第1係は,シャーシー関係(サスペンション,ステアリング,シャーシーフレーム,排気管,燃料系関係部品)の設計業務を担当しており,亡P1が係長に就任後は,生産ラインからの変更依頼による改良設計や,ユーザーからの要望に対するスポット的な改良設計等,量産品の改良設計を主として行っていたが,昭和63年2月以降は,主として,アジアカー(インドネシア等のアジア地区で現地生産を行っていた商用車のことで,標準車である4×2車とその派生車である4×4車の2車種があり,開発車両番号は共に670Dであった。)のマイナーチェンジに アジアカー(インドネシア等のアジア地区で現地生産を行っていた商用車のことで,標準車である4×2車とその派生車である4×4車の2車種があり,開発車両番号は共に670Dであった。)のマイナーチェンジに伴う開発設計及びライトエーストラック(開発車両番号765Dの4WD車と開発車両番号859Dの4WS車があった。)の新ステアリング開発に伴う改良設計を行うことになった。 ところで,アジアカーの4×4車は前々から計画されていたものであったが,このころ製品企画室から具体的な日程の問い合わせがあったため,出図期限を昭和63年8月末と定めたものであり,また,ライトエーストラックの新ステアリングの開発は,ライトエーストラックに4WS車を導入するためのものであった。 なお,自動車の開発設計は,フルモデルチェンジ,マイナーチェンジ,改良設計の3つに大別され,フルモデルチェンジを100の仕事量とした場合、マイナーチェンジは20ないし60くらい,改良設計は5ないし20くらいの仕事量であるとされる。 (b) 第1係は,上記の主たる業務を遂行するとともに,従前から行っていた生産ラインからの変更依頼による改良設計業務や,既に量産化された車両に対するユーザーからの苦情に対処するためのスポット的な設計業務も行っており,当時は,ライトエーストラックのリーフスプリング異音問題(昭和63年8月23日及び同月25日に中央発條の担当者との打合せが行われ,同25日に製品企画室のP26主査との会議が行われている。)やトーションバー前後動き量大の問題について検討がなされていたほか,ライトエーストラックのPS油圧使用ダンプ開発計画(昭和63年8月2日及び同月8日にトヨタ車体の担当者らと打合せが行われている。)にも関与していた。 b 作業状況(a) 設計業務は,先行試作設計から始まり,第 ストラックのPS油圧使用ダンプ開発計画(昭和63年8月2日及び同月8日にトヨタ車体の担当者らと打合せが行われている。)にも関与していた。 b 作業状況(a) 設計業務は,先行試作設計から始まり,第1次試作設計,第2次試作設計を経て正式出図に至るというものであり,これを受けて正式な生産が開始(ラインオフ)されることになる(このうち,先行試作設計は,当該企画が成り立ちうるか否かを確認する意味合いを持つもので,基本的な部分を確認するためにされるものである。)。 前述のとおり,第1係では,昭和63年2月から,アジアカーのマイナーチェンジに伴う開発設計及びライトエーストラックの新ステアリング開発に伴う改良設計がそれぞれ開始されていたところ,アジアカーの4×2車は,昭和63年7月末までに先行試作設計を完了し,同年10月から第1次試作設計を開始する予定であり,アジアカーの4×4車は,昭和63年8月末までにその主要部分の先行試作設計を終える予定であり,また,ライトエーストラックの4WD車及び4WS車は,昭和63年7月末までに先行試作設計を完了し,同年8月から第1次試作設計を開始する予定であった。 しかし,アジアカーの4×2車はなんとか予定どおりに先行試作が完了したが,アジアカーの4×4車に手を付けるほどの余裕がなかったため,亡P1は,P10課長に相談し,昭和63年7月21日に日程調整を行って出図期限を同年9月末に変更したものの,その後も業務が計画どおりに進行しなかったため,亡P1は同年8月7日に再び日程調整を行って出図期限を同年10月中旬ないし同月末に再延長した。また,ライトエーストラックの4WD車及び4WS車についても予定どおりには先行試作設計が完了せず,例えば,Rrサス廻り,フレキシブルホース(ブレーキ,PS)については8月10日が出図期限で 長した。また,ライトエーストラックの4WD車及び4WS車についても予定どおりには先行試作設計が完了せず,例えば,Rrサス廻り,フレキシブルホース(ブレーキ,PS)については8月10日が出図期限であったが,試作日程に対しリミットである9月10日に変更されているし,同年7月末までに出図されたものについても,この段階で生産コストが高くつくことが判明したため,第1次試作設計を行っていく中で解決していくこととされ,同年8月18日には社内関係部署及び部品メーカーとのコスト検討会が,翌19日には設計者のみによる検討会が開催された。 上記のとおり,第1係においては,昭和63年7月は2車種の車両の出図期限が重なって忙しい時期であったし,同年8月も仕事の遅れを取り戻すために忙しい時期であった。 (b) 係員ごとの担当部品とそれぞれの作業状況Ⅰ アジアカーについてⅰ P5が担当した部品①フューエルキューブ配管(SKE/G,CE/G)(出図期限は7月初旬で済み),②スペアタイアキャリア(9月下旬が出図期限),③4×4のフレーム関係(7月末が出図期限であったが未了),④4×4Frフレキシブルホース,左右ブレーキ配管(8月末が出国期限であったが9月末に変更され,さらに10月末に変更された。),⑤台湾ペダル変更(8月3日ころが出図期限で済み),⑥CE/G用クラッチ(RHD,LHD)(11月以降が出図期限),⑦エンコパ内ブレーキキューブ(11月以降が出図期限であったが,荒川車体(株)のP25主担に依頼することになった。)ⅱ P12が担当した部品①4×4Frアクスル(8月中旬が出図期限であったが9月末に変更され,さらに10月15日ころに再変更された。),②4×4Rrエンジンマウント(9月3日ころが出図期限),③4×4Frエンジンマウント(8月13日ころが スル(8月中旬が出図期限であったが9月末に変更され,さらに10月15日ころに再変更された。),②4×4Rrエンジンマウント(9月3日ころが出図期限),③4×4Frエンジンマウント(8月13日ころが出図期限であったが9月20日ころに変更された。),④タイア包絡線(8月中旬が出図期限で済み),⑤4×4フレーム関係(8月末が出図期限であったが9月末に変更され,さらに10月15日ころに変更された。)ⅲ P19が担当した部品①4×4用エキパイFr(CE/G用)(当初は8月末までに計画して外部に設計を依頼する予定であったが,9月末までに計画して10月中旬に出図することに変更され,さらに11月23日ころまでに計画して11月以降に出図することに変更された。),②台湾エキパイマウント(9月下旬が出図期限)ⅳ P13が担当した部品①4×2ブレーキ配管(7月上旬が出図期限で済み),②4×2PSラック&ピニオン搭載(SKE/G)(11月以降が外部設計依頼の期限),③4×4M・SギヤBOX(10月上旬が外部設計依頼の期限)ⅴ P3が担当した部品①4×4タイヤ(8月下旬が外部設計依頼の期限),②4×4ディスクホイール(CE/G)(8月下旬が外部設計依頼の期限),③4×4Rrアクスル(9月上旬が出図期限),④PSギアBOX(CE/G)(10月3日ころが外部設計依頼の期限),⑤PS配管(10月末が出図期限),⑥PSポンプ搭載(CE/G)(8月上旬が出図期限であるが8月26日ころに変更された。),⑦4×2Rrフレキシブルホース(ブレーキ・キューブ)(7月初旬が出図期限で済み)ⅵ P8が担当した部品①フューエルタンク部品図(7月中旬が出図期限で済み),②フューエルタンクプロテクタ(9月中旬が出図期限)ⅶ P4が担当した部品①エキパイ(CE/G,S 図期限で済み)ⅵ P8が担当した部品①フューエルタンク部品図(7月中旬が出図期限で済み),②フューエルタンクプロテクタ(9月中旬が出図期限)ⅶ P4が担当した部品①エキパイ(CE/G,SKE/G)(11月以降が外部設計依頼の期限)Ⅱ ライトエーストラックⅰ P4が担当した部品(ただし,②,③についてはP15とP3が,⑤についてはP7が,それぞれ応援する予定に変更された。)①Rrアクスル単品図(4WS)(7月初旬が出図期限であったが8月25日ころに変更されて済み),②Rrサス廻り,フレキシブルホース(ブレーキ,PS)(8月10日が出図期限であったが,試作日程に対しリミットである9月10日に変更された。),③ケーブル(②に同じ),④スペアタイヤ・キャリア(10月中旬が出図期限),⑤PS配管(未定)ⅱ P14が担当した部品①4WS用フューエルタンク(7月16日ころが出図期限で出図されたものの,8月6日ころまでに予定されていた調整が未了),②キャンピングカー・サス(9月中旬が出国期限であったが10月末に変更された。なお,これはスポット的な業務であった。),③2CーT用(キャンピングカー)エキパイ(9月中旬が外部設計依頼の期限であったが,9月末に変更された。),④2CーT用(4WS)エキパイ(10月中旬が外部設計依頼の期限であったが,第1次試作設計には不要になった。)ⅲ P2が担当した部品①2CーTリモート(9月上旬が出図期限で済み),②エキパイBKT(8月上旬が出図期限で済み),③スペアタイアキャリア(9月15日ころが出図期限であったが9月20日ころに変更された。),④2CーTフロアシフト(9月13日ころが出図期限。なお,これはスポット的な業務であった。)ⅳ P15が担当した部品①Rrアクスル部フレキシブルホース配 あったが9月20日ころに変更された。),④2CーTフロアシフト(9月13日ころが出図期限。なお,これはスポット的な業務であった。)ⅳ P15が担当した部品①Rrアクスル部フレキシブルホース配管(9月初旬が出図期限),②4WS配管・ケーブル追加によるブレーキ配管変更(9月6日ころが出図期限で済み),③Rrバウンド・ストッパBKT(7月末が出図期限で済み),④NO1デッキマウント,Rrキャブマウント(7月末が出図期限で済み),⑤インナチャンネル継ぎ部(7月末が出図期限で済み),⑥アラタメンバ・サイドレール(7月末が出図期限で済み),⑦4WS,NO3ハンガ部(7月下旬が出図期限で済み),⑧4WSRrシャッフル(8月6日ころが出図期限で済み),⑨4WSバウンドストッパBKT(8月3日ころが出図期限で済み),⑩アブソーバBKT(8月下旬が出図期限で済み),⑪サスメン公差巾増,号口設計変更(8月初旬が期限で済み),⑫ラジエタブレースロッドフレーム側不要穴設計変更(7月初旬が期限であるが,完了したか否か不明),⑬シートベルトアンカ用ウェルドナット設計変更(7月下旬が期限であるが,完了したか否か不明),⑭デッキ変更によるフレーム延長(7月初旬が出図期限で済み)ⅴ P6が担当した部品①4WSエキパイCE/G(7月末が外部設計依頼の期限で済み),②4WSエキパイYE/G(8月末が外部設計依頼の期限であったが,その後不要になった。)ⅵ P7が担当した部品①4WSプライオリティバルブ搭載(7月23日ころが外部設計依頼の期限で済み),②リザーブタンク搭載(8月16日ころが外部設計依頼の期限で済み),③Frラック&ピニオンYA(9月末が外部設計依頼の期限),④Frラック&ピニオン・リヤ部配管(8月25日ころが外部設計依頼の期限であったが,9月3日 載(8月16日ころが外部設計依頼の期限で済み),③Frラック&ピニオンYA(9月末が外部設計依頼の期限),④Frラック&ピニオン・リヤ部配管(8月25日ころが外部設計依頼の期限であったが,9月3日ころに変更された。)ⅶ P8が担当した部品①キーインタロック・シフトロック(9月6日ころが外部設計依頼の期限),②7:1”Rrアクスルベアリング強度アップ織込み(8月6日ころが期限で済み。 ただし,これはスポット的な業務であった。)ⅷ P3が担当した部品①4WSポンプ~ラック&ピニオン・プライオリティ・ホース・配管(7月23日ころが出図期限であったが,8月26日ころ外部設計依頼の期限に変更されて完了した。),②4WS(~L25)Frラック&ピニオンケーブルの配索(8月末が出図期限)ⅸ 担当者未定の部品①4WSエキパイ(YE/G用)(期限未定)c 第1車両設計課の他の係の担当車種第1車両設計課では,第2係がトヨエース(2トン未満)とハイエーストラックを,第3係がコースタを,第4係が大型トラックとトヨエース(2トンないし3. 5トン)を,第5係が特装車(宅配車,冷凍車,ミキサー車)をそれぞれ担当しており,2車種を担当していたのは第1係だけではなかった。 (エ) 亡P1の担当業務等a 第1係係長としての主な業務(乙第4,第9号証)(a) 月例報告の作成訴外会社では,部内方針の斉一性を図るべく,各部毎に月例会議を開催することになっているところ,その際の報告書を作成する業務である。なお,月例会議は月に2回開催されるが,報告書を作成するのは原則として後半の1回だけであり,前半については必要に応じて作成することとされていた。 (b) 製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置について,こ として後半の1回だけであり,前半については必要に応じて作成することとされていた。 (b) 製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置製造現場,販売店からのクレームに対する改良処置について,これを検討するとともに,各係員の業務進捗状況をみて,その担当を割り振る業務である。 (c) 業務処理の管理等設計図を予定どおり課長に提出できるようにするため,各係員の業務進捗状況をみて仕事を割り振り,係員が設計業務を行うに際して助言,指導するとともに,係員が作成した図面をチェックする業務,すなわち,日程表の原案を作成して上司の決裁を仰ぎ,日程決定後は日程が遵守されるように係員を指揮監督する業務である。 (d) 先行設計図の書き込みフリーハンドで配置などの概略を図示することであり,係員とともに図面,パソコン画面を見ながら原案を決定する業務である。 (e) 他部署との調整係を代表して関係部署との連絡調整を図る業務である。 (f) 生産工程現場に赴いて,改良設計の打合せを行う。 (g) 各種会議等への出席(h) 特許申請の助言(主に手続面)b 亡P1の担当業務の引継(甲第31号証,乙第4号証)本件自殺後,亡P1が担当していた業務は,ライトエーストラック関係を第1係のP8係員が,アジアカー関係を第5係のP9係長がそれぞれ引き継ぎ,第1係の係長はP10課長が兼務した。 そして,P9係長が引き継いだアジアカーの4×2車の第1次試作設計は昭和63年の暮れころに終了した。また,P8係員が引き継いだライトエーストラックの先行試作設計の未了部分は昭和63年9月末ころに終了した。 なお,アジアカーの4×4車は,コストの関係で市場の強い要望がなかったため,昭和63年の9月か10月ころに開発計画が中止された。 イ亡P1の労働時間等(甲第17号証の1ないし6, ころに終了した。 なお,アジアカーの4×4車は,コストの関係で市場の強い要望がなかったため,昭和63年の9月か10月ころに開発計画が中止された。 イ亡P1の労働時間等(甲第17号証の1ないし6,第18号証の1ないし4,第19号証の1ないし15,第20号証の1ないし14,第75号証,乙第5号証の4,5)(ア) 昭和63年当時,訴外会社の就業規則(昭和63年2月1日改正)によれば,労働時間は午前8時30分から午後5時30分までとされ,休憩は正午から午後1時までの1時間,休日は土曜,日曜,特定休日とされていた。 また,平成10年法律第112号による改正前の労基法36条に基づき訴外会社と訴外組合との間で締結された協定(36協定)によれば,労基法上の労働時間である1週間40時間を基準として,1か月の時間外労働時間の上限は75時間とされていた。 (イ) 亡P1の時間外労働時間a 昭和62年9月から昭和63年8月25日までの,勤務報告表上の時間外労働時間,休日出勤日数,年次休暇取得日数は,別表1,2に記載したとおりであり,同期間中の1か月の時間外労働時間の平均は45.37時間であり,昭和62年9月から昭和63年6月までの平均は42.95時間であった(ただし,勤務報告表上表れていない残業の有無については後述する。)。 上記別表1,2によれば,昭和63年7月の時間外労働時間数は68.5時間で,それまでの平均42.95時間に比べて格段に多く,また,昭和63年8月の時間外労働時間数46.5時間も,同月25日までの分であること,8月は8日間の夏休みがあったことを考慮すれば,従前に比べて格段に多いものであった。また,亡P1は,それまでしていなかった休日出勤を,昭和63年7月には2日,同年8月には3日している。 b 第1係各係員の時間外労働時間昭和62 を考慮すれば,従前に比べて格段に多いものであった。また,亡P1は,それまでしていなかった休日出勤を,昭和63年7月には2日,同年8月には3日している。 b 第1係各係員の時間外労働時間昭和62年9月から昭和63年8月25日までの、第1係各係員の各月毎の時間外労働時間,休日出勤日数,年次休暇取得日数は,別表1のとおりであり,同期間中の1か月の時間外労働時間の平均値は,P8が41.33時間,P13が43. 95時間,P14が46.20時間,P12が45.50時間,P15が45.54時間,P4が50.25時間,P5が44.55時間(ただし,P4とP5については昭和62年11月から昭和63年8月25日までの平均値)であった。 また,上記別表1によれば,昭和63年7月の時間外労働時間数は,ベテラン係員のP8を除く全員が他の月よりも多く,同年8月の時間外労働時間数も,P15とP4は50時間を超えていたことが認められる。 c 第1車両設計課の各係長の時間外労働時間昭和62年9月から昭和63年8月25日までの,第1車両設計課の他の係長の各月毎の時間外労働時間,休日出勤日数,年次休暇取得日数は,別表2に記載したとおりであり,同期間中の1か月の時間外労働時間の平均値は,第3係P17係長が38.37時間,第4係P16係長が39.25時間,第5係P9係長が50. 20時間であった。 上記別表2によれば,亡P1の時間外労働時間数は,P17係長及びP16係長のそれよりも多かったが,P9係長のそれよりも少なかったことが認められる。 4 残業規制(ア) 訴外会社における残業半減運動(甲第79号証,乙第13号証)訴外会社では,急激な円高による経営悪化に対処するべく,昭和61年12月から昭和62年6月まで,事務・技術部門等の管理部門の社員を対象に,平均月間残業時 残業半減運動(甲第79号証,乙第13号証)訴外会社では,急激な円高による経営悪化に対処するべく,昭和61年12月から昭和62年6月まで,事務・技術部門等の管理部門の社員を対象に,平均月間残業時間を半分にすることを目標とした残業半減運動を行った。その内容は,業務の優先順位付けの徹底と今やらなくてもいい業務を見送ること,形式化した業務をやめること,徹底的な業務の効率化,所定時間内での業務遂行が基本であることを徹底すること等であった。 そして,残業を行おうとする者は,残業の必要性を自ら上司に申告し,上司の指示を受けて残業を行うという取扱いがなされ,また,1週間に2日以上「一斉定時退場日」が設定されていた。 (イ) 第1車両設計課における残業規制(甲第9号証の2,第19号証の2,3,第20号証の10,第24号証)第1車両設計課においても,各月毎に係員1人平均の目標残業時間数をあらかじめ設定し,その時間内を目指した残業規制が敢行されていたが,それ以上の残業をしなければどうしても業務をこなせない者は,係長に申し出て課長の指示で残業するものとし,年間を通して調整することにしていた。 そして,上記目標残業時間数は,昭和62年7月以降徐々に緩和され,昭和62年12月には1人1か月平均42時間となり,昭和63年4月には同46時間とされたが,昭和63年4月下旬,課全体の残業時間数が目標よりもオーバーしてきたため,これを抑制するために,「明日より19時以降の残業中止」の指示がなされ,同年5月においても現状を維持するものとされた。さらに,同年6月には,同年7月から12月までも現状を維持する旨の指示がなされたが,これに対しては,’89プロジェクトがあるため後期は残業時間を増やして欲しい旨の要望が出されていた。 しかして,上記別表1,2の昭和62年9月か から12月までも現状を維持する旨の指示がなされたが,これに対しては,’89プロジェクトがあるため後期は残業時間を増やして欲しい旨の要望が出されていた。 しかして,上記別表1,2の昭和62年9月から昭和63年8月までの時間外労働時間数の推移は,上記目標残業時間数の変化及びそれ以上の残業をしなければ業務をこなせない場合の取扱いに合致していることが認められる。 エ本件出張命令(甲第22号証の1,2,乙第4号証)製品企画室は,南アフリカ共和国向けにV/N型車を導入するため,現地使用条件,環境条件下でNVH・ほこり入り・商品性等の確認のための出張を決定し,昭和63年8月2日,第1車両設計課課長宛てに,シャーシー関係全般の評価を行う派遣員として,同課のTUV担当の係長を推薦するように依頼した。なお,出張期間は,平成元年1月10日から同月25日までと予定されていた。 そこで,P10課長は,昭和63年8月20日,亡P1に本件出張を依頼したところ,亡P1が業務への影響を心配して断ろうとしたので,P10課長が,「出張期間中は僕やP8君がフォローする。」と述べて説得すると,亡P1はやむなくこれを承諾した。 なお,本件出張が予定されていた平成元年1月は,アジアカーとライトエーストラックのいずれもが第1次試作設計の最終段階に近い時期であり,亡P1の上記心配は同業務への影響を懸念したものであった。 オ上司の対応について(甲第36号証,乙第4号証)P10課長は,夏休みの前日である昭和63年8月9日ころ,亡P1の顔色がすぐれなかったため声を掛けると,亡P1が,「子供の夜泣きで目が覚めると仕事のことが浮かんできて眠れない。」などと述べたため,ライトエーストラックの新ステアリング開発のコスト低減の問題は自分が中心となってみんなで一緒にやりましょうと述べると 子供の夜泣きで目が覚めると仕事のことが浮かんできて眠れない。」などと述べたため,ライトエーストラックの新ステアリング開発のコスト低減の問題は自分が中心となってみんなで一緒にやりましょうと述べるとともに,夏休みはしっかり休むようにと助言した。 また,P10課長は,夏休み明けにも,亡P1が職場委員長の仕事に時間がとられて業務に支障が出ることを心配している様子であったので,ベテランのP8係員に少し仕事を任せたらどうかと助言した。 さらに,P10課長は,社外応援のP7を昭和63年9月から第1係に配属することにした。 カ職場委員長の就任(甲第9号証の1,第23号証,第32号証,第60号証の1,2,第75号証)(ア) 亡P1は,訴外組合の評議員をしていたが,昭和63年7月初旬ころ,訴外組合の職場委員長(任期は同年9月から翌年8月までの1年間)に就任するように説得を受けた。亡P1は,業務の多忙さを理由に何度も断ろうとしたが断りきれず,同月下旬ころ,職場委員長への就任を承諾した。 (イ) 職場委員長の職責,具体的職務内容a 訴外組合では,労使関係は相互信頼を基盤とするものとし,生産性の向上を通じて企業の繁栄と労働条件の維持改善を図るものとされ,訴外組合の活動は,職場での活動がその基礎になるとされていた。 そして,かかる職場活動を円滑に進めるために,職場委員長は,職場の代表として,また,職場役員のリーダーとして,各種会議に出席して審議決定に参画したり,諸課題の改善を進めるなど,組合員の種々の悩みや意見,要望を吸い上げ,ひとつひとつ改善し,職場を一つにまとめていくという重要な役割と重い責任を担うものとされていた。 b 職場委員長が出席するべき会議としては,年1回休日に開催される組合大会,月に1,2回平日の午後に開催される評議会,通常は評議会と同じ とめていくという重要な役割と重い責任を担うものとされていた。 b 職場委員長が出席するべき会議としては,年1回休日に開催される組合大会,月に1,2回平日の午後に開催される評議会,通常は評議会と同じ日に開催される支部評議会,必要に応じて開催される支部評議員会議,通常は評議会の日の昼休みに開催される職場委員長会議,年に3,4回開催される支部懇談会,毎月の月末に開催される支部生産説明会,各種研修会,労使協議会の傍聴,上部団体の大会,中央委員会があった。 また,職場委員長の任務としては,上記のような各種会議への参加の他,①職場役員の一覧表の作成・提出,②職場役員カードの作成・提出,③職場役員の役割分担の明確化,④職場役員の所持品管理,⑤職場役員手当の受領・管理,⑥組合員の把握,人員報告書の提出,⑦職場委員会,職場懇親会,職場評議員会議等の開催などがある。 (ウ) 組合役員は,訴外会社の通常の勤務時間内に組合活動を行うことが許されていたが,その場合,上司は組合役員の業務スケジュールを調整するなど組合活動に十分配慮するものとされていた。 亡P1も,評議員として,昭和63年6月28日評議会に,同年7月1日職場委員会に,同月8日支部評議会に,同月11日職場委員会に,同月13日及び同月27日職場懇親会に,同月29日評議会に,同年8月4日支部評議会に,同月7日職場委員会にそれぞれ出席し,同月21日から22日まで職場委員長セミナーに参加し,同月25日職場懇親会に出席した。そして,同月27日には評議員1日研修,同月29日ないし31日には訴外組合への挨拶等が予定されていた。 (3) 業務以外の出来事ア 3女の妊娠,出産(甲第8号証,第53号証の1,2,第101,第102号証)原告は,昭和63年7月4日に3女を出産した。出産は,特段異常なところも認められ ていた。 (3) 業務以外の出来事ア 3女の妊娠,出産(甲第8号証,第53号証の1,2,第101,第102号証)原告は,昭和63年7月4日に3女を出産した。出産は,特段異常なところも認められず,いわゆる正常分娩であった。 亡P1は,原告が妊娠後の昭和62年12月に盲腸炎の手術をしていたため,3女への影響について心配していたが,出産直後の3女は,体重3232グラム,身長49.1センチメートルで,生後3日から4日に黄疸のため光線療法を24時間施行されたほかは(なお,上記黄疸は生後5日目には治癒している。),特段の異常もなく,その後の発育も順調であった。 イ住宅ローン(甲第1号証の9,第13号証の8,10,第94号証の1ないし3,第95号証の1ないし3,第98ないし第103号証,乙第10号証の1,2)亡P1は,新居新築に伴い,住宅金融公庫から880万円,社団法人愛知県年金福祉協会から400万円,三井銀行から560万円,東海銀行から840万円,合計2680万円の貸付けを受け,住宅金融公庫に対しては月額2万4069円(ただし,ボーナス支給月は11万5591円),社団法人愛知県年金福祉協会に対しては毎月2万3300円ないし2万3400円をそれぞれ給料天引きで返済し,三井銀行と東海銀行の関係は毎月合計約6万円を別途返済していた。 ところで,亡P1の収入は,上記給料天引きにかかる返済金控除後の手取額で,月額約27万円ないし32万円であり,他に夏と冬のボーナス(それぞれ約100万円)もあり,新居新築に伴うローンの返済を含めても家計は亡P1の収入で十分賄うことができた。そして,原告の桐朋学園東海分室,名古屋音楽学校,愛知県立明和高等学校からの収入の合計額は手取りで1か月約18万円から約20万円であり,ピアノの個人レッスンの収入は1か月合計4 分賄うことができた。そして,原告の桐朋学園東海分室,名古屋音楽学校,愛知県立明和高等学校からの収入の合計額は手取りで1か月約18万円から約20万円であり,ピアノの個人レッスンの収入は1か月合計4万円ないし5万円であったが,原告はこれを貯金に回していた。 ウ 3女の夜泣きについて(甲第8号証)原告は昭和63年7月4日に3女を出産し,原告と3女は同月11日から亡P1と生活をともにするようになった。しかし,原告は,亡P1に配慮し,亡P1は2階で就寝し,原告と3女は1階で就寝するようにしていた。 なお,亡P1は,夏休みの前日である昭和63年8月9日,P10課長に対し,「子供が夜泣きしてよく眠れない。夜泣きで目が覚めると,仕事のことが頭に浮かんで眠れなくなる。」旨述べたことがあった。 エ引っ越し原告夫婦は,昭和62年10月16日,名古屋市〈以下略〉から現在の住所地である名古屋市〈以下略〉(原告の実家の隣地)へと居宅新築のうえ移転した。 オその他について亡P1は,休日(土曜日)で時間に余裕のあるときは,原告を車で名古屋市〈以下略〉にある名古屋音楽学院に送迎していた。 (4) 事故前3か月間の亡P1の言動等(甲第8号証,第9号証の1,2,第10号証の2,第18号証の3,4,第24,第25,第35号証,第39号証,第54号証の1,2,乙第4,第6,第14号証)ア昭和63年6月の言動亡P1は,それまで原告に仕事の話をすることはめったになく,仕事上の愚痴をこぼしたり,弱音を吐いたりすることもなかったが,昭和63年6月ころから原告に仕事上のことで愚痴を言うようになり,そのころから明け方に目を覚ますようになった。 イ昭和63年7月の言動(ア) 亡P1は,昭和63年7月ころから仕事の日程消化に不安を覚えるようになり,鉛筆とメモ用紙を枕元に 愚痴を言うようになり,そのころから明け方に目を覚ますようになった。 イ昭和63年7月の言動(ア) 亡P1は,昭和63年7月ころから仕事の日程消化に不安を覚えるようになり,鉛筆とメモ用紙を枕元に置いて就寝し,1週間に3,4回夜中に起きて,浮かんだアイデア等をメモするようになった。 (イ) 原告は,昭和63年7月4日に3女を出産し,同月11日まで入院していたが,亡P1は仕事が忙しく,病院を訪れたのは出産の日と退院の日のみであった。しかも,出産の日は,午後10時ころになってようやく病院に来れる状態であり,退院の日は年休を取得したものの,会議等があったため,その日も午後2時ころまで勤務し,その後に病院に来たものであった。 (ウ) 亡P1は,昭和63年7月初旬,同年9月から訴外組合の職場委員長に就任するように説得され,仕事の繁忙を理由に固辞していたが,同年7月下旬,断り切れずに職場委員長への就任を承諾した。 (エ) 亡P1は,昭和63年7月6日,未出図についてチェックした。 (オ) 亡P1は,昭和63年7月12日,原告に対して,「今日は本当に忙しかった。」と述べた。 (カ) 亡P1は,昭和63年7月14日,P3とP12の業務進行状態をチェックした。また,同月21日にはアジアカーの4×4車の日程調整をした。 (キ) 亡P1は,不眠状態もさらに悪化し,昭和63年7月の終わりころになると,非常に疲れた様子で帰宅するようになり,原告に対して,「足が重い。」と訴えるようになった。 ウ昭和63年8月の言動(ア)a 亡P1は,昭和63年8月の初めころから,午前5時過ぎに目が覚めるようになり,そのため,睡眠時間は4時間ないし4時間30分となった。 b 亡P1は,昭和63年8月1日,休日出勤した。 亡P1は,そのころ,原告に対し,「係の仕事が2台の車のマルモ級の忙 に目が覚めるようになり,そのため,睡眠時間は4時間ないし4時間30分となった。 b 亡P1は,昭和63年8月1日,休日出勤した。 亡P1は,そのころ,原告に対し,「係の仕事が2台の車のマルモ級の忙しさなので,職場委員長を何度も辞退したんだが,断りきれなかった。」と深刻な表情で訴えた。そのため,原告が,医師に診断書を書いてもらって断ることを助言したが,亡P1は,「労働組合の仕事は自分の仕事より優先しなければならない。会社を辞める覚悟なら断ってもよいが,それはできない。頑張ってみるよ。」と答えた。 c 亡P1は,昭和63年8月2日から同月4日まで通常どおり勤務した。 亡P1は,昭和63年8月4日に原告の祖母が死亡し,同月6日に葬式が催されることを原告から聞いて,「休みの日でよかった。」と述べた。 d 亡P1は,昭和63年8月5日も休日出勤し,午後5時過ぎに原告の祖母の通夜に行き,午後9時過ぎに帰宅した。 e 亡P1は,昭和63年8月6日(休日)は午前9時30分ころに家を出て原告の祖母の葬儀に出席し,午後2時過ぎに帰宅した。 f 亡P1は,昭和63年8月7日,通常どおり勤務し,アジアカーの4×4車の日程調整を行った。そして,帰宅後,原告に対し,「今回の仕事は乗り切れないかも知れない。今年の夏休みは毎日出社になるかもしれない。」と述べた。 g 亡P1は,昭和63年8月8日の朝,原告に対し,原告がときどき相談している占い師に相談してきてもらえないだろうかと述べて,相談事項を記載したメモ(甲第10号証の2,以下「相談メモ」という。)を手渡した。相談メモには,「今後何に注意して行くべきか。現部署にいるべきか。現状を話すべきか。」と記載されていた。そこで,原告が,どうしたのかと尋ねたところ,亡P1は,「以前の次長であったP11さんが2月に代わったが,今の 「今後何に注意して行くべきか。現部署にいるべきか。現状を話すべきか。」と記載されていた。そこで,原告が,どうしたのかと尋ねたところ,亡P1は,「以前の次長であったP11さんが2月に代わったが,今の次長や課長は現場の混乱には気付いていない。このままでは予定どおりには到底進まない。自分が図面を書く時間があれば何とかなると思うんだが,会議なんかで忙しくて時間がとれない。今後どうすべきか迷っているんだ。」と述べた。そして,同日の帰宅後,亡P1は,原告に対し,「今日は課長に現状を報告した。だけど,課長は,『なんとかなる。夏休みに気分転換をしてまた頑張ってくれ。』と言って取り合ってくれない。」と訴えた。そして,亡P1は,このころから,「身体が疲れれば眠れるかも知れない。」と言って,早朝に30分ないし1時間のジョギングを開始するようになった。 h 亡P1は,夏休みの前日である昭和63年8月9日,朝早く家を出て午前7時1分に出勤した。同日,亡P1の顔色がすぐれなかったため,P10課長が亡P1に声を掛けると,亡P1は,「子供が夜泣きしてよく眠れない。夜泣きで目が覚めると仕事のことが浮かんできて眠れない。」と述べた。そこで,P10課長は,「ライトエーストラックのコスト低減の問題は私が中心になってやるから,夏休みはゆっくり休んで元気回復するように。」と述べた。 (イ) 昭和63年8月10日から同月17日までは夏休みであった。 亡P1は,同月10日,「ものすごく肩が凝る。」と言って整体で治療を受けたが,あまり効果はなかった。同日,亡P1と原告らは亡P1の実家を訪れた。 亡P1は,翌11日の午後2時ころ,訴外会社に出かけて,仕事に必要な書類を持ち帰った。 そして,亡P1は,同月17日の午前中まで,午前5時ころに起きて約1時間ジョギングし,その後,3度の食事 。 亡P1は,翌11日の午後2時ころ,訴外会社に出かけて,仕事に必要な書類を持ち帰った。 そして,亡P1は,同月17日の午前中まで,午前5時ころに起きて約1時間ジョギングし,その後,3度の食事と午後3時の休息時間を除いて午後10時ころまで自宅で仕事をし,午前零時ころに就寝する生活を続けた。ただし,同月13日は昼ころから夫婦と子供2人で亡P1の実家に赴き,亡P1は,疲れているからと言ってソファーで横になったり,子供の相手をしたりし,同月16日は,亡P1と子供の2人で昼前に亡P1の実家を訪れ,亡P1は用事がある旨述べて子供2人を置いて帰った。そして,同月17日の午後,亡P1は,「いよいよ明日から休みが明けるので,朝8時30分にすぐに仕事に取りかかれるようにしておきたい。」と言って,持ち帰っていた書類を返すため訴外会社に出かけた。なお,仕事ははかどった様子で,帰宅後晴れ晴れとした顔をしていたが,「自分で仕事をしてしまうと係の人達の力がつかないな。」とも述べていた。 (ウ)a 夏休み明けの昭和63年8月18日,亡P1は,この日からジョギングを中止し,「夏休みも終わりだ。またがんばろう。」と言って出勤した。同日,P10課長が亡P1に声を掛けると,亡P1が,「9月から職場委員長になったら時間をとられて仕事に影響するんじゃないかと不安です。」と述べたので,P10課長は,亡P1に対し,「組合の負担が重くなるようなら,P8君に分担してもらったらよい。」と助言した。なお,同日,ライトエーストラックのコスト低減の問題について,社内関係部署及び部品メーカーが集った検討会が開かれた。 b 亡P1は,昭和63年8月19日,「早く目が覚めたから。」と言って午前5時過ぎに出社した(ただし,タイムレコーダーは午前8時2分に打刻されていた。)。その時,「1時間でも多く 検討会が開かれた。 b 亡P1は,昭和63年8月19日,「早く目が覚めたから。」と言って午前5時過ぎに出社した(ただし,タイムレコーダーは午前8時2分に打刻されていた。)。その時,「1時間でも多く仕事がしたい。」と記載されたメモが残されていた。同日,ライトエーストラックのコスト低減の問題について,設計者のみによる検討会が開催された。また,同日,亡P1は,P10課長と開発プロジェクトの作業日程調整を行った。 c 昭和63年8月20日,亡P1に対して本件出張命令が出された。亡P1は,帰宅後,原告に対し,「時期的に出図などで忙しい時期なので断ったが,課長は,『課長が2人いれば代わってやるけどな。』と言って取り合ってくれなかった。」と原告に訴えた。原告が,「6か月も先の1月のことだから,後で考えればいいのに。」と助言したところ,亡P1は,「半年先といっても日程は全て埋まっている。1月が1番忙しい時期なんだ。僕が抜けたら仕事が混乱する。とても行ってられないんだ。」と答えた。 d 昭和63年8月21日及び同月22日は休日であったが,亡P1は,職場委員長の研修セミナー(1泊2日)に参加し,同22日午後3時38分,研修セミナーの帰りにそのまま出社し,午後5時42分まで開発プロジェクトの作業日程計画作成に関する仕事をした。そして,亡P1は,同日の帰宅後,「肩がやけどのようにヒリヒリ痛い。」と原告に訴え,疲れている様子ではあったが,「セミナーに来ていた人も皆それぞれ忙しそうだから,また,頑張ろう。」と述べた。 e 亡P1は,昭和63年8月23日,午後9時37分ころに退社した。亡P1は,このころ,P8係員から見ても顔色が悪く,表情も険しく,疲れている様子であった。 f 亡P1は,昭和63年8月24日,午前5時過ぎころから,自宅で今後の仕事の作業日程表を作成 に退社した。亡P1は,このころ,P8係員から見ても顔色が悪く,表情も険しく,疲れている様子であった。 f 亡P1は,昭和63年8月24日,午前5時過ぎころから,自宅で今後の仕事の作業日程表を作成していた。その際,原告に対し,「課長が忙しさを何も分かっていない。この計画表をこのまま出したら,部長,次長が無理な計画だと言ってびっくりする。課長のメンツも潰れてしまう。どうしようかな。」と言った。亡P1は,同日,P10課長らと,開発プロジェクトの作業日程調整を行った。そして,原告が,同日午後9時ころ帰宅した亡P1に対し,上記日程表のことを尋ねると,「まあ,何とかね。」と答えただけであった。亡P1は,その後すぐに夕食を取ったが,直後にすべて吐いてしまった。 g 亡P1は,昭和63年8月25日,午前8時15分に出社し,午前中は業務報告書の作成やライトエーストラックの新ステアリン関係の仕事に従事し,昼休みに行われた職場懇談会で職場委員長交替の挨拶をし,午後はメーカーの技術者とライトエーストラックのリーフスプリング異音対策について事前打合せをしたうえ,午後3時から4時まで製品企画室のP26主査らと同異音対策について打ち合わせ,その後,P26主査と並んで歩きながら,「労働組合の役員になって仕事が大変です。」と述べた。 そして,亡P1は,午後4時から予定されていた次長月例報告会を欠席し,タイムカードも押さずに胸に名札をつけたまま,誰にも何も言わずに訴外会社を抜け出し,午後8時30分ころ帰宅した。亡P1は,放心状態で2階に上がってしまったので,原告が様子を見に行くと,ベットで休んでいた。亡P1は,午後9時30分ころに夕食を食べた後,原告に対し,「もうトヨタにはついていけない。仕事をやる時間がない。トヨタを辞めたい。」と述べたので,原告が驚いて,「何かあっ くと,ベットで休んでいた。亡P1は,午後9時30分ころに夕食を食べた後,原告に対し,「もうトヨタにはついていけない。仕事をやる時間がない。トヨタを辞めたい。」と述べたので,原告が驚いて,「何かあったの。」と尋ねると,「もうついていけないんだ。今日,会社の屋上まで行ったんだが,子供の顔が浮かんできた。今死んだらこの子は親の顔を覚えていないだろう。 だから,飛び降りられずに帰ってきた。」と答えた。そのため,原告が,「死ぬ気になれば何でもできる。明日,会社を休んで元の次長のP11さんに相談した方がいい。」旨助言したが,返答はなかった。同日午後10時30分ころ,亡P1は,3女をお風呂に入れたが,その際,何も言わずに泣いていた。その後の午後11時30分ころ,亡P1は,落雷による死亡事故のニュースをテレビで見て,「このように死ねたらいいな。」と言った。また,「ゆっくり眠りたい。睡眠薬が欲しいから明日の朝病院へ行ってもらってこよう。」と言った。その後,亡P1は,翌26日午前1時30分ころ,2階の寝室に上がって行った。原告は,亡P1の様子が気になり,午前4時過ぎころまでは起きていたが,亡P1が寝たようであったため自分も眠ってしまった。ところが,亡P1は,その後に自宅を抜け出し,昭和63年8月26日午前5時30分ころ,自宅から約1キロメートル離れたビルから飛び降り,全身打撲により死亡した。 (5) 医学的知見(甲第46,第59号証,第63ないし第68号証,第82,第83,第93,第107号証,乙第15ないし第19号証,第21号証及び証人P20,同P21の各証言)アうつ病とその症状うつ病は,抑うつ気分と病的悲哀を特徴とする感情障害の状態(うつ状態)である。 うつ病の症状は,精神症状と身体症状に区分され,中核的症状として,ゆううつ,気持が滅入る,希 アうつ病とその症状うつ病は,抑うつ気分と病的悲哀を特徴とする感情障害の状態(うつ状態)である。 うつ病の症状は,精神症状と身体症状に区分され,中核的症状として,ゆううつ,気持が滅入る,希望がないなどの抑うつ感情を呈し,これが進行すると,表情は暗く,言葉の調子も低くなり,時に茫然となったりする。趣味,家族団らん,友人との交際等に対して何らの楽しさも感じられず,集中力,活力の低下と疲労感,焦燥感,不安感が現れるほか,行動及び思考が抑制されたりする。不相応に自分を責めたり過小評価し,無力感にさいなまれ,現実的事柄を悲観的に解釈するようになったり,刺激に対する反応や他の動作への移行が緩慢になり,極限に達すると抑うつ昏迷状態となって日常生活が不可能になる。また,身体的症状としては,多彩な自律神経症状が現れ,頭痛,肩こり,吐き気,嘔吐及び口渇等が挙げられるほか,入眠障害,多夢,悪夢及び浅眠等の睡眠障害,性欲低下,食欲不振などもこれに含まれる。 なお,これらの症状は,朝方増悪し,夕刻には軽快するという日内変動が見られることもあり,うつ病患者は,これらの症状の集約の末に希死念慮を持ち,自殺を企図することが多いと考えられており,自殺企図は,抑うつ感情が強いまま行動の抑制がわずかに取れ,焦燥感が前景に出ているうつ病発症の初期段階もしくは寛解期に多いとされている。 イうつ病の分類等(ア) 内因性うつ病と反応性うつ病何らかの遺伝的ないし生体の要因によって自然に発症するものが内因性うつ病,心理的・社会的要因によって発症するものが反応性うつ病であるが,両者の中間に位置するものもあり,現在では発症要因によって両者を区別することは非常に困難であるとされている。 (イ) 「ICD-10・第V章」診断のためのガイドラインうつ病の症状のうち,前記の諸症 者の中間に位置するものもあり,現在では発症要因によって両者を区別することは非常に困難であるとされている。 (イ) 「ICD-10・第V章」診断のためのガイドラインうつ病の症状のうち,前記の諸症状が単一で出現することは稀であり,通常はいくつかの症状が重複して生じ,また,病気によってその内容と程度は様々である。 そのため,うつ病の診断には困難を伴うことも少なくないところ,近時は,世界保健機構(WHO)の1992年に出版された「ICD-10・第V章」が診断のためのガイドラインとして用いられることが多い。 上記ガイドラインには,うつ病の症状として,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失,③活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少,④集中力と注意力の減退,⑤自己評価と自信の低下,⑥罪責感と無価値観,⑦将来に対する希望のない悲観的な見方,⑧自傷あるいは自殺の観念や行為,⑨睡眠障害,⑩食欲不振といった10個のエピソードを挙示し,そのうち①,②,③を通常うつ病にとって最も典型的な症状と規定した上で,これらのうち少なくとも2つが存在し,それ以外の症状から少なくとも2つが存在する場合を軽症,3ないし4つの症状が存在する場合を中等症とし,さらに,上記典型症状全部と,その余の項目から4項目(ただし,いくつかが重症でなければならない。)の症状が認められる場合を重症と診断する旨の基準が提示されている。また,それぞれの診断において,各症状の持続期間は2週間を要するものとされているが,重度の急性症状を呈する場合は,2週間未満でも重症うつ病の診断をすることを妨げないとされている。 ウうつ病の原因等うつ病が発症するメカニズムについては,いまだ決定的な見解が定まっているわけではないが,ある出来事がそれのみでうつ病を発症させるというものではなく,それを受け止める個 ている。 ウうつ病の原因等うつ病が発症するメカニズムについては,いまだ決定的な見解が定まっているわけではないが,ある出来事がそれのみでうつ病を発症させるというものではなく,それを受け止める個人の特徴をはじめとする様々な要因の絡み合いによって,ある特定の人にうつ病が発症するとされる。 また,うつ病が発症する状況としては,①負荷状況(心身に負荷がかかっている状況で,過重な仕事や不慣れな仕事,仕事の不振や失敗などから不全感,自信喪失感・焦燥感を抱き,心と体の疲労が持続した場合),②脱負荷状況(今までの負担が解消してホッとした状況のこと)等が特徴的であるとされる。 そして,うつ病の発症の要因としては,以下のようなものが挙げられている。 (ア) 個体側の要因a うつ病になりやすい性格(病前性格)(a) 執着気質(基本的特徴は,「1度生じた感情が正常人のように時とともに冷却することなく,長くその強度を持続し,むしろ増強する」ことであり,具体的には,仕事熱心,徹底的,正直,几帳面,正義感や義務責任感が強い,ごまかしやずぼらができないなどの性格であり,模範社員といわれるような人を指す。なお,執着気質は,過労に陥っても休養が取れず,活動を継続することでますます過労に落ち込むという悪循環が生じ,その疲労の頂点でうつ病が発症するとされる。)(b) メランコリー型性格①秩序に対して特有なこだわりをもち,何事に対しても几帳面で真面目な性格〔秩序性〕,例えば,臨機応変の態度がとりにくい人で,無理な仕事を押しつけられても嫌といえないため仕事を抱え込んでしまい,仕事の量と質との問題で葛藤するような人,②何事に対しても真面目に取り組み,ちょっとした不正でもひどく心が痛み,罪深く思いがちな性格〔過度の良心〕,③他人に気を遣い,相手の立場でものを考え,他人に 事の量と質との問題で葛藤するような人,②何事に対しても真面目に取り組み,ちょっとした不正でもひどく心が痛み,罪深く思いがちな性格〔過度の良心〕,③他人に気を遣い,相手の立場でものを考え,他人に尽くすことに気を配り,他人との対立を避け,同調しようとする性格〔対世配慮〕で,職場では上司にも部下にも気を遣い協調を第一とし,家庭では,父,母としての役割が何の違和感もなく身についているのが特徴である。 b その他の要因上記性格傾向の他には,精神障害に対する遺伝的素因,アルコール等の薬物依存傾向等が挙げられる。 (イ) うつ病の発症要因となりやすい出来事(心身的負荷の発生要因)うつ病の発症要因となりやすい出来事は様々であるが,男性の場合,次のような出来事が挙げられている。 a 業務上の出来事慢性化した長時間労働による過労,質的に過大な仕事負担,量的に過大な仕事負担,納期のきつさ,指導的地位の責任からくる過度の緊張,組立ラインでの過大な緊張,仕事上のミス,労働条件の大きな変化,上司とのトラブル,抜擢に伴う配置転換,業績不振,ノルマ不達成,課員の増加,勤務時間の変化,自分を理解してくれていた人の異動,仕事量の増加等が挙げられている。 b 業務以外の出来事精神的打撃,経済問題,引越,親族の死,配偶者の協力の欠如,妊娠・出産等が挙げられている(ただし,妊娠・出産については,女性に比して,それから受ける心身的負荷は小さいとされている。)。 (ウ) なお,最近では,状況因(心身的負荷)と性格等(個体側要因)とを分けて考えるのは妥当ではなく,両者が一体となってうつ病の発症要因となっているとする見解が有力に主張されている。 (6) 労働省による判断指針の策定とその内容等(甲第93号証,乙第8号証の1,2)ア専門検討会による報告書(ア) 労働省は, てうつ病の発症要因となっているとする見解が有力に主張されている。 (6) 労働省による判断指針の策定とその内容等(甲第93号証,乙第8号証の1,2)ア専門検討会による報告書(ア) 労働省は,業務によるストレスを原因として精神障害を発症し,あるいは自殺したとして労災保険給付が請求された事案に対して,同請求の処理を直接実施する労働基準監督署職員が,迅速かつ適正に対処するための判断のよりどころとなる一定の基準を明確化すべく,精神医学,心理学,法律学の研究者等に,精神障害等の労災認定について専門的見地からの検討を依頼し,これを受けた精神障害等の認定に係る専門検討会は,延べ16回の全体会議及び5回の分科会を開催して,平成11年7月,その結果を精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書(甲93,以下「報告書」という。)として取りまとめた。 (イ) 報告書の要旨は,次のとおりである。 a 精神障害を器質性,内因性,心因性に区分し,内因性精神障害については補償の対象とはしないとの従来の取扱いを見直し,対象とする疾病を,原則としてICD-10第V章に示されている「精神及び行動の障害」とする。 b 精神障害の発病には,単一の病因ではなく,素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因が関与していると考えられているが,上記ICD-10の分類は成因に重点を置いていない。しかし,労災保険給付請求事案では,業務起因性があるか否かの判断が不可欠であるから,精神障害の成因を問題とせざるを得ない。 そして,精神障害の成因を考えるに当たっては,「ストレスー脆弱性」理論(環境から来るストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方であり,この理論による場合,ストレスの強度は,環境から来るストレスを多くの人々が一般的にどう受け止めるかと るストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方であり,この理論による場合,ストレスの強度は,環境から来るストレスを多くの人々が一般的にどう受け止めるかという客観的な評価に基づくものによって理解されなければならないとされる。)が適当であると考える。 客観的な評価に基づく必要があるのは,ストレスはもともと個人が外界あるいは内界のあるストレス要因を主観的に受け止め形成されるものであるが,精神障害発症の業務起因性を考える場合,個人がある出来事を主観的にどう受け止めたかによってではなく,同じ事態に遭遇した場合,同種の労働者はどう受け止めるであろうかという基準により評価されたストレス強度によるべきだからである。 c(a) 労災保険給付請求を受けた行政機関が斉一的かつ適切に対処できるよう,業務上の心理的負荷の強度を客観的に評価する基準となる「職場におけるストレスの評価表」(報告書別表1)及び業務以外の個人的なストレス要因の強度を客観的に評価する基準となる「職場以外のストレス評価表」(報告書別表2)をそれぞれ作成し,各々の評価を総合判断して,業務上外の判断をすることとする。 (b) そして,上記各評価表は,業務に関連しあるいは業務以外の場面で一般的に経験する一定以上のストレスを伴うと考えられる出来事を例示しているが,ここで出来事とは,変化が生じ,その変化が解決あるいは自己の内部で納得整理されるまでの状態を意味するものである。業務によるストレスの具体的評価に当たっては,第1に請求された理由が報告書別表1のどの出来事によるストレスとなるか,あるいは類似しているかを判断する。具体的出来事の平均的ストレス強度は,「Ⅰ」,「Ⅱ」,「Ⅲ」(なお,ストレス強度Ⅰは,日常的に経験する心理社会的ストレスで,一般的に問題とな るストレスとなるか,あるいは類似しているかを判断する。具体的出来事の平均的ストレス強度は,「Ⅰ」,「Ⅱ」,「Ⅲ」(なお,ストレス強度Ⅰは,日常的に経験する心理社会的ストレスで,一般的に問題とならない程度のストレス,Ⅲは,人生の中で稀に経験するような強い心理的社会的ストレス,Ⅱは,それらの中間に位置するストレスである。)のいずれに位置付けられるかを検討し,さらに個別具体的な内容からその位置付けを変更する必要がないかを,前記「職場におけるストレス評価表」の「直面した出来事を評価する視点」(ストレス強度を変更する際の着眼事項)及び「出来事に伴う変化を評価する視点」(出来事に伴う問題,変化への対処等)の各欄に記載された事項の有無,程度等を検討して判断し,それらの総合評価として,当該業務によるストレスを「弱」,「中」,「強」で評価することとする。 なお,複数の出来事の評価については,当該出来事に通常伴う範囲の出来事は包括的に評価することとし,一番強く評価される出来事によることにするが,そうでない場合は別のストレス要因として複数の出来事のストレスを総合的に評価するものとする。 ところで,平均的ストレス強度は,各出来事が,それを経験した,ストレス脆弱性において平均的な人々に,一般的にはどの程度のストレスを与えるものなのかを示す値であるが,平均的なストレス強度Ⅲの程度では一般的に精神障害発病の重要な原因となるものではなく,その出来事に関連して生じる様々な出来事(例えば慢性的な長時間労働,支援・協力状況の欠如等)が総合評価され,それらによるストレスが「強」と認められる場合に業務起因性が認められるストレス要因となり得るものである。 そして,出来事の評価期間は,精神障害発病前おおむね6か月の間とし,その際,常態的な長時間労働は精神障害の準備状態を形 」と認められる場合に業務起因性が認められるストレス要因となり得るものである。 そして,出来事の評価期間は,精神障害発病前おおむね6か月の間とし,その際,常態的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性が高いとされていることから,業務による心身的負荷の評価に当たっては十分考慮することとする。 (c) 業務以外のストレス要因については十分な情報が得られないことが多い。 したがって,労災請求事案の業務起因性は,職場におけるストレスが当該精神障害にどのように関与したかを客観的に把握して決定する以外に方法はないが,職場以外の出来事が明らかになった場合は,前記「職場以外のストレス評価表」に基づいて,当該出来事の平均的ストレス強度を「Ⅰ」,「Ⅱ」,「Ⅲ」に分けて評価する。 (d) 個体の脆弱性の評価個体側の脆弱性については,既往歴,生活史(社会的適応状況),アルコール等依存状況,性格傾向等の面からこれを評価する。 d 労災保険法12条の2の2第1項は,労働者の「故意」による負傷,疾病,障害,死亡については保険給付を行わないと定めているところ,従来の行政解釈は,同項の「故意」を,「結果の発生を認識・認容しているだけでなく結果の発生を意図した場合」をいうとし,その具体的運用に関しては,業務に起因するうつ病等により「心神喪失」の状態に陥って自殺した場合に限り,故意がなかったとみる取扱いがなされてきたが,精神障害に係る自殺については,「精神障害によって正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態」で行われた場合は,同項の「故意」には該当しないこととする。 イ判断指針(乙第8号証の1,2)前記専門検討会報告を踏まえて,労働省労働基準局長は,判断指針(平成11年9月 く阻害されている状態」で行われた場合は,同項の「故意」には該当しないこととする。 イ判断指針(乙第8号証の1,2)前記専門検討会報告を踏まえて,労働省労働基準局長は,判断指針(平成11年9月14日付け基発第544号)及び「精神障害による自殺の取扱いについて」(同日付け基発第545号)を通達した。 (判断指針の要旨)(ア) 労災請求事案の処理に当たっては,まず,精神障害の発病の有無,発病の時期及び疾患名を明らかにした上で,業務上の心理的負荷,業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し,それらと当該労働者に発病した精神障害との関連性について総合的に判断する必要があり,その際,当該精神障害の発病に関与したと認められる業務上の心理的負荷の強度ないしは業務以外の心理的負荷の強度を評価するに当たっては,労災保険制度の性格上,本人がその心理的負荷の原因となった出来事をどのように受け止めたかではなく,多くの人々が一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価する必要がある。 (イ) 対象疾病は,ICD-10第V章「精神および行動の障害」に分類される精神障害とする。 (ウ) 労基法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病と認定するためには,①対象疾病に該当する精神障害を発病していること,②対象疾病の発病前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること,③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないことの3要件を全て備えていることが必要である。 (エ)a 業務による心理的負荷の強度を評価するに当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等について,別表1「職場における心理的負荷評価表」(以下「判断指針 要である。 (エ)a 業務による心理的負荷の強度を評価するに当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等について,別表1「職場における心理的負荷評価表」(以下「判断指針別表1」という。なお,検討結果の別表1と同じ表である。)を指標にして総合的に判断する。 なお,具体的な評価方法については,検討結果のそれ(上記ア(イ)c(b))と同じである。また,出来事の個別状況,内容等に即して心理的負荷の強度を修正し,さらに出来事に伴う変化等を検討するに際し,本人がその出来事及び出来事に伴う変化等を主観的にどう受け止めたかではなく,同種の労働者(職種,職場における立場や経験等が類似する者をいう。)が,一般的にどう受け止めるかという観点から検討されなければならないとすることも,検討結果のそれと同じである。 b 出来事に伴う変化等による心理的負荷がどの程度過重であったかにっいては,①仕事の量(労働時間等)の変化(基本的には労働時間の長さ等の変化によって判断するが,仕事の密度等の変化が過大なものについても考慮する。),②仕事の質の変化(職種の変更,仕事内容の大きな変化,一般的に求められる適応能力を超えた要求等),③仕事の責任の変化(職場内で通常行われる昇進に伴う責任の変化等,通常の責任の増大を大きく超えるものについて考慮する。),④支援・協力等の有無(出来事に対処するための仕事の見直し改善,応援体制の確立,責任の分散等,上司,同僚等による必要な支援,協力がなされていたか等について検討し,これが十分でない場合に考慮する。)等を考慮する。 c 「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」とは,判断指針別表1の総合評価が「強」と認められる程度の心理的負荷,すなわち,①判断指針別表1の(2)欄による修正を加えた心理的負荷の 「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」とは,判断指針別表1の総合評価が「強」と認められる程度の心理的負荷,すなわち,①判断指針別表1の(2)欄による修正を加えた心理的負荷の強度が「Ⅲ」と評価され,しかも,同(3)欄の出来事に続いて,又はその出来事への対処に伴って生じる変化によるストレスの過重等の評価が,相当程度過重(同種労働者と比較して業務内容が困難で,業務量も過大である等が認められる場合)である場合,②判断指針別表1の(2)欄により修正された心理的負荷の強度が「Ⅱ」と評価され,かつ,判断指針別表1の(3)欄による評価が特に過重(同種の労働者と比較して業務内容が困難であり,恒常的な長時間労働が認められ,かつ,過大な責任の発生,支援・協力の欠如等特に困難な状況が認められる状態)であると認められるときに限る。 ただし,極度の長時間労働,例えば,数時間わたり生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働により,心身の極度の疲弊,消耗を来し,それ自体がうつ病等の発病原因となる様な場合等には,総合評価を「強」とすることができる。 d 業務以外の心理的負荷の強度は,客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事について,判断指針別表2により評価する。ただし,この場合も,出来事の具体的内容等を勘案の上,平均的な心理的な負荷の強度を変更し得る。 e 個体側要因については,既往歴,生活史(社会適応状況),アルコール依存状況,性格傾向について調査し,客観的に精神障害を発症させるおそれのある程度のものであるか否かについて検討を行う。なお,性格傾向については,性格特徴上偏りがあると認められる場合には個体側要因として考慮するが,それまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題がなければ,個体側要因として考慮する必 いて検討を行う。なお,性格傾向については,性格特徴上偏りがあると認められる場合には個体側要因として考慮するが,それまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題がなければ,個体側要因として考慮する必要はない。 f 出来事の評価期間精神障害発病前のおおむね6か月の間の出来事を評価の対象とする。 g 業務上外の判断について(a) 業務以外の心理的負荷ないしは個体側要因が特段認められない場合で,業務による心理的負荷の強度が「強」であれば,業務起因性が肯定される。 (b) 業務以外の特段の心理的負荷,個体側要因が認められる場合には,業務による心身的負荷の強度が「強」と認められる場合であっても,業務以外の心理的負荷の強度及び個体側要因のすべてを総合評価して,なお上記(c)の②の要件を充足している場合に業務起因性が認められる。 (オ) 労災補償の対象とされる多くの精神障害では,精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が医学的に高いと認められることから,業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し,原則として業務起因性を認める。 (7) 医証ア P20医師の意見書(甲第30号証)P20医師は,亡P1の死亡について,被告に提出された原告の陳述書及び被告職員のP10課長に対する聴取書に基づき,要旨,次のとおり述べている。 (ア) 昭和63年7月以来,モデルチェンジによる残業時間の増加,同年9月からの職場委員長就任予定による心理的負荷(組合業務の日常業務への時間的圧迫),3女の出生に伴う家庭生活の変化等から,P1氏には心身の疲労が強まっていた。8月に ェンジによる残業時間の増加,同年9月からの職場委員長就任予定による心理的負荷(組合業務の日常業務への時間的圧迫),3女の出生に伴う家庭生活の変化等から,P1氏には心身の疲労が強まっていた。8月に入り休日出勤が増えるとともに不眠,早朝覚醒,時間の切迫感,仕事への焦りと不安が出現し,うつ状態が発症していたと思われる。8月中旬の夏休みも自宅で仕事を続け,なんとか仕事のめどを付けて8月18日には比較的元気に出勤した。しかし,8月20日に本件出張命令が出て,業務日程との間で苦慮していたP1氏は,21日と22日の職場委員長の研修セミナー参加後は,うつ状態と自律神経症状(肩痛や嘔吐等)のため車の運転も困難になる程であった。8月25日,P1氏は勤務時間の途中から行方不明となり,午後8時ころ,放心状態で帰宅し,「もう会社についていけない。会社を辞めたい。」と話し,落雷のため即死というテレビニュースを見て,「このように死ねたらいいな。」と希死念慮を漏らした。そして,26日未明,遺書も残さず投身自殺した。 以上の経過から,P1氏には7月ころから心身の疲労が重なり,8月ころから自律神経症状をともなってうつ状態が出現していたと思われる。8月26日の自殺の時点では,うつ状態が急速に悪化しており,自殺はうつ状態による病的な意識状態(いわゆる心神耗弱状態)で企図されたと思われる。 (イ) P1氏は,執着的心性と強迫的心性を内包したいわゆるうつ病親和的な性格であったと推察されるが,これまで職場を含めて社会適応は良好であり,また,精神疾患の既往歴がないことから,その病前性格が病的であったとは決していえない。逆に,強い責任感と完璧さをもって精力的に仕事に取り組む,将来を嘱望された模範的で優秀な技術者であったと推察される。 (ウ) 本件うつ病の発症と関係あると思われる諸要因 的であったとは決していえない。逆に,強い責任感と完璧さをもって精力的に仕事に取り組む,将来を嘱望された模範的で優秀な技術者であったと推察される。 (ウ) 本件うつ病の発症と関係あると思われる諸要因は,モデルチェンジのための残業時間増加による心身の疲労,労組職場委員長就任予定にともなう心身の負荷,既にうつ状態に陥っている時期に出された南アフリカ共和国への2週間の出張命令,いわゆるうつ病親和的性格,第3子出生という家庭上の負荷要因等が考えられる。特に,職場委員長への就任予定とその準備は,完壁主義への強迫的心性をもつが故に時間的余裕と融通性を保つことができなくなっていったP1氏にとっては,大変な負担になったと推察される。組合役員就任以後のP1氏は,時間との戦いの中で消耗し,発病していったと推察される。 (エ) P1氏は仕事に追われ,1人で仕事を背負い込み,1人で苦闘し,極度の疲労状態から仕事の展望を失ってしまったようである。 (オ) (結論)P1氏は,昭和63年7月ころからの業務や労働組合についての心身の負荷や疲労が重要な要因となってうつ状態になり,うつ状態において自殺したと思われる。 しかし,P1氏のうつ状態の発症が,組合を含めた業務上の要因によるものか,あるいは,P1氏の性格的要因によるものかを決定するのは,極めて難しい問題である。いずれか一方であると二者択一することはできないし,いずれが優位であると選択することもできない。本件うつ病の発症において,状況要因と性格要因が1組の発症要因となっていると推察されるからである。P1氏の業務はP1氏自身にとってはうつ状態を発症させるのに充分な要因と考えられる。しかし,それは客観的にみてまた社会的にみて質量ともに過重であったか否か,その判断は被告で行っていただきたい。 イ P20医師の証言(ア) とってはうつ状態を発症させるのに充分な要因と考えられる。しかし,それは客観的にみてまた社会的にみて質量ともに過重であったか否か,その判断は被告で行っていただきたい。 イ P20医師の証言(ア) 本伴うつ病の発症時期は,断定はしにくいが7月末か8月初めと推察する。 (イ) アフリカ出張も,既にうつ病になっていたP1氏にとっては,通常であればそれほど負担でないことでも,また,将来のことであっても,非常に大きな負担になって焦りとか不安感を高めたと思う。 (ウ) P1氏の性格は,正常人の通常の範囲を逸脱しているものではない。 ウ P21医師の意見書(甲第40号証の1)P21医師は,被告の意見照会に対し,要旨,次のとおり述べている。 (ア) 自殺時のP1氏はうつ状態にあったと推定され,自殺はうつ状態に起因するものと思われる。 (イ) 概ね7月から始まり徐々に昂じていった不眠,疲労感,身体的不調,不安,焦燥感,将来に対する悲観的判断,自信喪失,希死念慮等の症状は,P1氏の病前の性格(完壁主義,凝り性,仕事第一主義,几帳面さ,律儀さ等,いわゆる「メランコリー親和型性格」)及び発病に前駆し症状を加速したと考えられる出来事(アジアカー+ライトエースの設計業務,3女の出産,職場委員長への就任予定,本件出張予定等)と合わせて考えるとき,少なくとも昭和63年7月以降,P1氏がうつ状態にあったと診断することは可能である。また,P1氏の自殺に至る2か月間の全体的な流れに沿ってみる時,P1氏の自殺はうつ状態によるものと推定できる。 (ウ) P1氏のうつ状態が内因性によるものか,心因性によるものかについては,その発症に病前の状況が関与している可能性は否定できないが,所轄労働基準監督署の調査報告書によっても,病前の勤務状況も他の職員との比較において平均を大きく逸脱し のか,心因性によるものかについては,その発症に病前の状況が関与している可能性は否定できないが,所轄労働基準監督署の調査報告書によっても,病前の勤務状況も他の職員との比較において平均を大きく逸脱したものではなく,また家庭生活上の出来事においても日常の範囲内のものと推定される。このような事情から総合的に判断すれば,P1氏のうつ状態は心因性というよりは内因性と判断するのが妥当と考えられる。 (エ) P1氏のうつ状態に関して,業務上の負荷が一因子として関与したことは否定できないが,しかし,だからといって業務上の負荷が直接的な原因であったとすることはできない。なぜなら,これらの業務は職場内における「日常的」なことがらであり,この負荷は自らが調整し,克服しなければならないものだからである。ましてや,このような負荷が「避けようもなく」与えられ,それによって自殺に追い込まれたと考えることには無理がある。 エ P21医師の証言(ア) 本件うつ病は確実には7月に発症したと考えるのが無難である。 (イ) P1氏にも一定のストレスがあったが,病前の勤務状況が他の職員との関係,あるいはP1氏がそれ以前に入っていた環境との比較において平均を大きく逸脱していないことから,それを受けとめるP1氏の側の問題によりウェイトがあると判断した。 (ウ) 仕事は労働時間を勘案して他の人と比べて過重でないし,それ以前と比べて特別に過重でない。労働時間と被告担当職員のP10課長に対する聴取書から,業務は過重でないと判断した。部下の数が多い少ないは考慮していない。客観的には設計の日程の遅れはなかったと判断している。日程表の遅れぐらいはあるということで,そう計画どおりにはいくものではないと考えている。仕事は順調に進んでいたのに,うつ病の取越し苦労でP1氏は悩んでいたと考えている。 (エ なかったと判断している。日程表の遅れぐらいはあるということで,そう計画どおりにはいくものではないと考えている。仕事は順調に進んでいたのに,うつ病の取越し苦労でP1氏は悩んでいたと考えている。 (エ) 仕事がうつ病を増悪させたことはあり得る。 (オ) 原告の出産はそれほど大きい要因ではない。 オ P22医師らによる心理的負荷に関する専門検討会の意見書(以下「専門検討会意見書」という。乙第11号証)専門検討会意見書は,亡P1の自殺について,要旨,次のとおり述べている。 (ア) P1は,昭和63年7月末ころから,主として睡眠障害,自律神経失調症状を主徴とする精神・神経症状が現れ,8月になってからは仕事の不安,将来への不安が生じ,8月25日には自殺念慮も出現していることから,自殺直前にはICD-10分類F32うつ病エピソードを発病していた蓋然性が高いといえ,P1の自殺は,そのような異常心理の中で行われたものであると判断する。 (イ) 部下のP8は,「アジアカーの出図期限が8月末となっており,ライトエースも小物部品の出図がその時期で重なっていたように思う。(中略)出図時期が重なると係の力が分散するし,出図時期を守らなければならないし大変である。」と証言しており,P1の心理状態としては,このことが業務における最大の気がかりであったと考えられる。しかし,P10課長の「昭和63年7月末には先行試作設計の出図が済み,開発設計に伴う技術的な問題もなく順調に進行していた。」との証言,部下P13の「繁忙期ではあったが,P1が亡くなる前はアジアカーについてはラインOFF前後で,特に問題となるようなことはなかった。」との証言,部下P12の「毎日午後9時ころまでは仕事をしていたが,P1が亡くなった時期,先行車の見通しが立った時期で通常ペースで仕事が進んでいた。」との 前後で,特に問題となるようなことはなかった。」との証言,部下P12の「毎日午後9時ころまでは仕事をしていたが,P1が亡くなった時期,先行車の見通しが立った時期で通常ペースで仕事が進んでいた。」との証言,部下P15の「仕事上のトラブルはなかった。」との証言,P1の死亡後仕事を引き継いだP9の「引き継いだらすぐそれを終えなければならないようなものでも状態でもありませんでした。」との証言等から,昭和63年7月から8月にかけて出図の締め切り,業務の輻輳ということで忙しい時期ではあったが,大きなトラブルもなく仕事が進められていたこと,さしたる遅延もなく業務が進行していたことが認められる。したがって,P1の仕事は一定程度忙しかったことは認められるが,そうではあっても通常の業務と異なる特別な出来事というようなものはない。8月末までの出図が間に合わないのではないかとのP1の過度の心配は,既にうつ状態となっていたP1の心理がなした部分もあったと推定できる。このようなことから,P1の昭和63年8月末のアジアカー(4×4)の出図期限という出来事は,判断指針別表1の(1)の具体的出来事のいずれにも合致しない。したがってあえて,どの具体的出来事に近いかを類推して心理的負荷を評価するとすれば,判断指針別表1の(1)の「ノルマが達成できなかった」に近いこととなる。同分類の平均的な心理的負荷強度は「Ⅱ」とされている。しかし,作業自体は順調に進み,結果としてその完成を見ているのであるから,P1の必要以上の心配であったと言えるし,このような期限がつけられて作業することは一般的に会社活動の中では日常なことであり,その期限も様々な検討の結果実現可能な時期が設定されていたのであって,心理的負荷強度を強く修正する必要はなく,むしろその心理的負荷強度は「Ⅰ」に近い「Ⅱ」と評価 に会社活動の中では日常なことであり,その期限も様々な検討の結果実現可能な時期が設定されていたのであって,心理的負荷強度を強く修正する必要はなく,むしろその心理的負荷強度は「Ⅰ」に近い「Ⅱ」と評価できる。なお,P1の労働実態は特に過重とは認められず,また,7月に入って休日労働により所定外労働時間が増加しているが,深夜時間帯にも及ぶような長時間の時間外労働をたびたび行っているような状態も認められないので,その心理的負荷の強度を修正する必要は認められない。 (ウ) 次に,アジアカー(4×4)等の出図期限という出来事に伴う変化等について評価するに,P1の労働時間等の仕事量は同僚の係長と比較しても特段の違いは認められず,特に過大な責任が発生したという事実もない。 (エ) 本件出張については,6か月も先のことであり,P1も了承しており,P1のキャリアから見て,特別過重な負荷として評価すべきではない。 (オ) 職場委員長への就任については,組合業務は本来の業務とはいえないことから,業務による心理的負荷として評価するのは適切ではない。 (カ) P1のうつ病の発症時期である昭和63年7月ころ以前6か月前に起きた業務以外の出来事を判断指針別表2に当てはめて評価すると,①住宅ローンの発生は「Ⅰ」,②妻の病気は,手術の胎児への影響についてP1も心配していたことから「Ⅱ」ないし「Ⅲ」,③妻の出産は「Ⅰ」,④職場委員長への就任は「Ⅰ」ないし「Ⅱ」と評価するのが妥当といえる。 (キ) 個体側の要因については,P1に精神障害等の既往歴はない。生活史において特に問題と認める点はない。P1の病前性格は,完壁主義,凝り性,几帳面,律儀等いわゆるメランコリー親和型の性格といえる。 (ク) (判断)業務による心理的負荷が客観的に精神障害を発病させる恐れがある程度に強いとは判断で 。P1の病前性格は,完壁主義,凝り性,几帳面,律儀等いわゆるメランコリー親和型の性格といえる。 (ク) (判断)業務による心理的負荷が客観的に精神障害を発病させる恐れがある程度に強いとは判断できない。また,業務以外の出来事もそれのみで精神障害を直接発症させるほどの強度とは考えにくい。このような場合,精神医学的経験上,P1の心理面の脆弱性が本件うつ病エピソードの発病の主な役割を果たしたというべきである。 カ P23医師の意見書(甲第96号証)P23医師は,亡P1の自殺と業務の関連性について,要旨,次のように述べている。 (ア) 被災者は8月に入って職場の状況を話し出すのだが,その内容は具体性があり,病的な取越し苦労とばかりは言い切れない。かなり忠実に職場の状況を反映し,被災者の気持ちを表現していると考えられる。 (イ) 7月末の被災者の状態を明らかなうつ病の発症とみなすには資料不足であるが,重い疲労状態であったことは確かであろう。8月に入って妻の印象や,8月7日,8日の妻への話,占いの依頼内容などを考えると,このころすでにうつ病が発症していたと推定することはできる。 (ウ) 会社人間の被災者にとって,仕事の業務負担は最も重い意味を持つ。 日程調整に全力をあげ,「1時間でも多く仕事をしたい」と考えていた被災者にとって,職場委員長の就任に伴う「仕事をする時間の削減」は苦痛に近い実感をもって受けとめられていたとしても不思議ではない。これは広い意味で業務に伴うストレスと考えてよいのではあるまいか。 (エ) 業務外の心理的負荷は(認定指針の)別表2に例示されているが,あえて該当項目を拾うと,62年10月にマイホームを新築移住したこと及び63年7月4日3女P24の出産・育児に伴う生活の変化であろうか。いずれも特別に重要な心理的負荷を与えた事実は 示されているが,あえて該当項目を拾うと,62年10月にマイホームを新築移住したこと及び63年7月4日3女P24の出産・育児に伴う生活の変化であろうか。いずれも特別に重要な心理的負荷を与えた事実は認められない(3女の夜泣きは被災者の不眠の加重要因になった可能性は否定できないが,階を分けた配慮はされ,妻も気遣っていたことであり,もともと不眠はそれに先立って起きていたことであるので,それを重要な負荷とみなすには無理がある。)。また,新居の土地の取得,設計新築,工費負担,その後の生活上や心理的な負担についても,特に取り上げるべき問題は見られない。要するに,私生活上,うつ病の発症に関与したと考慮すべき出来事や状況は見当たらないのである。 (オ) (亡P1の性格と本件うつ病の関係については,)被災者の性格が発症に無縁であったとは考えない。が同時に性格が主要な要因で発症に至ったとも考えられない。 (カ) (まとめ)被災者は頑健で有能なトヨタマンで,大学院卒入社後10年,係長に昇格後1年半の事故であった。入社後結婚して2女あり,事故1か月半前に3女が出生していた。性格的に特に片寄りはなく,社内でも信頼され人望が厚かった。個人生活上に特に取り上げる事情は認められない。業務は,ライトエーストラックとアジアカーのシャーシー関連の改良開発の設計業務であるが,4WDの導入期でもあり,2種それぞれが2×4と4×4にわかれ,トラックのダンプ化の課題もあり,かなりに複雑多様であった。係員は,係長就任当時6名であったが,漸増し,事故当時は12名であった。事故前4か月(5月以降)はそれぞれ出図期限をもち,特に7月,8月は2種の期限が重なって多忙であった。長時間の時間外労働は常態化していたが,7月,8月は特に過重であった。業務の課題自体の困難性のほかに,上司との理解 以降)はそれぞれ出図期限をもち,特に7月,8月は2種の期限が重なって多忙であった。長時間の時間外労働は常態化していたが,7月,8月は特に過重であった。業務の課題自体の困難性のほかに,上司との理解・意思疎通が充分でなく,部下の能力不足を自分でカバーするなど,業務日程の達成に困難があった。これに加えて7月末労働組合の職場委員長に推薦内定し,8月20日に翌年1月の南ア出張を告知され,日程消化に強い不安を持った。 そのような事態と平行して7月末には目に見えて不眠,肩凝り,全身倦怠疲労感が強まっていった。8月に入り,その疲労疲弊状態に自己激励と精神的動揺が交錯する状態を経て,夏休み明け4日ほどして,22日以降急激に症状が増悪し,8月25日会社を無断退社し,26日未明自宅近くで自死した。自死は急性うつ病増悪期の強い希死念慮によるもので,遅くとも8月上旬に発病し,22日以降増悪したと判断される。希死念慮はうつ病の症状そのものであり,強い苦悶と絶望を伴っていた。 ICD-10によれば,事故直前の状態は少なくとも中等症うつ病エピソードの基準をみたし,重症も疑われる。症状経過は典型的な内因性うつ病のそれとは異なり,抑うつ症状や活動性の低下はあまり目立たず,不安・焦燥を伴い,身体化症状(不眠・疲労倦怠感・肩凝り・疼痛)が目立ち,相対的に抑制が軽いという印象を受ける。従来の診断名で言えば広義の反応性うつ病に属する。 すなわち,その疾病の発症は業務上の心身の負荷に起因し,慢性疲労状態からうつ病の発症,増悪をきたし,自死したと判断される。 2 争点1について(1) 条件関係及び相当因果関係の要否とその立証責任ア労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病については,労基法75条2項に基づいて定められた施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙され 件関係及び相当因果関係の要否とその立証責任ア労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病については,労基法75条2項に基づいて定められた施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙されているところ,精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには,同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。 ところで,労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は,労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について,その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害を生じた場合に,使用者の過失の有無にかかわらず,被災労働者の損害を補填するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するところに求められるところ,このような労基法及び労災保険法の制度趣旨に照らせば,業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには,単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること,すなわち相当因果関係の存在が必要であると解するのが相当であり,この理は,上記「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かの判断においても異なるところはないというべきである。 原告は,労基法及び労災保険法上の業務起因性の判断基準としては,条件関係も相当因果関係も必要なく,業務と結果発生との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが,同主張は採用できない。 イそして,業務災害に関する遺族補償及び葬祭料の各給付は,労基法79条,80条に規定する事由が生じた場合に,補償を受けようとする遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行われるところ(労災保険法12条の8第2項),同請求は,労働基準監督署長 祭料の各給付は,労基法79条,80条に規定する事由が生じた場合に,補償を受けようとする遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行われるところ(労災保険法12条の8第2項),同請求は,労働基準監督署長に対し,請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に,これを証明することができる書面を添付してしなければならないとされている(施行規則13条1項,2項)ことからすると,遺族補償及び葬祭料の各給付を受けようとする遺族あるいは葬祭を行う者は,同請求にかかる各給付について,自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきである。すなわち,業務起因性の立証責任は,同請求をした同遺族ないし葬祭を行う者にあると解するのが相当である。 (2) 相当因果関係の判断基準等ア(ア) ところで,前記認定のとおり,非災害性の疾病のうちでも精神疾患は,当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患,当該労働者の性格傾向及び生活歴等の個体側の要因,その他環境的要因等が複合的,相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから,当該業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に業務が他の原因と共働原因となって精神疾患を発症させたと認められるだけでは足りず(したがって,原告主張の共働原因論は採用できない。),当該業務自体に,社会通念上,当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要であると解するのが相当である。 (イ) しかして,前記認定のとおり,ある出来事によって生じる肉体的,精神的緊張等に基づく心身的負荷(以下「ストレス」ともいう。)の蓄積は,うつ病の発症を誘発あるいは増悪させる要因の1つであることは明らかであるものの,他方,心身的負荷の発生要因たる出来事は様々であって,業務上のもののみならず業務以外のものも考えられるほ 。)の蓄積は,うつ病の発症を誘発あるいは増悪させる要因の1つであることは明らかであるものの,他方,心身的負荷の発生要因たる出来事は様々であって,業務上のもののみならず業務以外のものも考えられるほか,うつ病の発症は,ある出来事をどの程度の心身的負荷として受け止めるのかという個々人の心身的負荷に対する受容の程度(個体側の要因)によっても左右されるものであり,うつ病の発生機序については,医学上もいまだ完全には解明されていない分野であるところ,その発病要因となった出来事のすべてを特定すること自体が困難な場合も多い上,これに現在の医学水準においては心身的負荷の蓄積というものを客観的,定量的に数値化することが困難であることを併せ考慮すれば,うつ病と心身的負荷との相当因果関係を完全に医学的に証明することは困難な場合があることは否定できないところである。 しかしながら,法的概念としての因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りる(最高裁昭和50年10月24日判決・民集29巻9号1417頁参照)のであるから,業務とうつ病の発症との間の相当因果関係を判断するに当たっても,発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心身的負荷の有無,程度,さらには当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や,うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上,これをうつ病の発症・増悪の要因等に関する医学的知見に照らし,社会通念上,当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによって 格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上,これをうつ病の発症・増悪の要因等に関する医学的知見に照らし,社会通念上,当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによって当該業務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと認められる場合に,当該業務とうつ病との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。 (ウ) ところで,前記認定のとおり,うつ病の発症メカニズムについてはいまだ決定的な見解があるわけではないが,専門検討会報告書及び判断指針は「ストレスー脆弱性」理論を採用しているところ,現在の医学的知見によれば,同理論を採用するのが合理的であると認められる。 しかして,「ストレスー脆弱性」理論は,環境由来のストレス(業務上ないし業務以外の心身的負荷)と個体側の反応性,脆弱性(個体側の要因)との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まるという考え方であり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする考え方である。 そうすると,前記の相当因果関係の判断基準である「社会通念上,当該精神疾患を発症させる一定以上の危険性」について,誰を基準として判断するかが必然的に問題となる。 原告は,この点にっいて,被災者本人を基準とすべきである旨主張するが,心身的負荷の大きさを被災者本人を基準として判断すると,精神障害を発症した被災者本人にとっては常にその心身的負荷は大きいものと評価されることになり,心身的負荷の大きさの問題と被災者本人の個体側の反応性,脆弱性の問題が混同されてしまうから,同主張は採用することができない。 これに対し,被告は,業務上の心身的負荷の強度は一般人を基準として客観的に評価すべきである(平均人基準説)と主張し,専 反応性,脆弱性の問題が混同されてしまうから,同主張は採用することができない。 これに対し,被告は,業務上の心身的負荷の強度は一般人を基準として客観的に評価すべきである(平均人基準説)と主張し,専門検討会報告書及び判断指針は,同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から検討すべきであるとする。 確かに,業務上の心身的負荷の強度は,同種の労働者を基準にして客観的に判断する必要があるが,企業に雇用される労働者の性格傾向が多様なものであることはいうまでもないところ,前記「被災労働者の損害を補填するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を保障する」との労災補償制度の趣旨に鑑みれば,同種労働者(職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で,業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。したがって,被告の主張並びに専門検討会報告書及び判断指針の見解は採用することができない。 ところで,同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者を基準とするということは,被災労働者の性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り,当該被災労働者を基準として,当該業務に,「社会通念上,当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性」があったか否かを判断すればよいことになる(なお,これは,判断指針の,「性格傾向については,性格特徴上偏りがあると認められる場合には個体側要因として考慮するが,それまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題がなければ,個体側要因として考慮する必要はない。」との見解にも合致するものである。)。 そして,前記認定のとおり,亡P1にはこ 因として考慮するが,それまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題がなければ,個体側要因として考慮する必要はない。」との見解にも合致するものである。)。 そして,前記認定のとおり,亡P1にはこれまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題はなく,うつ病親和的な性格ではあったが,正常人の通常の範囲を逸脱しているものではなく,模範的で優秀な技術者であったのであるから,亡P1の性格傾向は,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでなかったと認められる。 そうすると,本件においては,亡P1を基準として,当該業務がうつ病を発症させる危険性があったか否かを判断すればよいことになる。 イ労災保険法12条の2の2第1項は,労働者の故意による事故を労災保険の給付の対象から除外しているが,労災保険法が業務に起因する災害に対して労災保険給付を行おうとする趣旨に鑑みれば,同規定が故意による事故を除外した趣旨は,業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果,業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。したがって,自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為と見られる行為によって事故が発生した場合であっても,その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には,労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから,同規定にいう故意には該当しないものと解される。 そして,前記認定のとおり,判断指針は,業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し,原則として業務起因 自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し,原則として業務起因性を認めるものとしているが,当裁判所もこの考え方は妥当なものと判断する。 被告は,亡P1の本件自殺が,発作的なものではなく覚悟の上での自殺であったとして,業務起因性が否定される旨主張するが,本件全証拠によるも,本件自殺が覚悟の上でのものであったことを認めることはできないから,同主張は採用できない。 3 争点2について(1) 本件うつ病の発症及びその時期並びに本件自殺について前記認定の事故前3か月間の亡P1の言動等及び医証(第4の1の(4),(7))によれば,亡P1は7月下旬ないし8月上旬ころ本件うつ病に罹患し,本件うつ病による心神耗弱状態の下で本件自殺をしたものであり,訴外会社における亡P1の業務が本件うつ病発症の要因の1つになっていたこと(すなわち,業務と本件うつ病発症との間に条件関係が存在していたこと)が認められる。 (2) 業務上の出来事による心身的負荷についてア係長就任後から昭和63年6月ころまでの業務(ア) 亡P1は,係長として,第1係の業務全般を円滑に遂行していく職責を担うことになったが,その主な業務は,設計図を予定どおり課長に提出できるようにするため,各係員の業務の進捗状況をみて仕事を割り振り,各係員が設計業務を行うに際して指導,助言するとともに,各係員が作成した設計図をチェックすること,係を代表して関係部署との連絡調整を図ること及び各種会議等への出席であった。 しかして,これらの業務は,いわゆる中間管理職の業務として,一般職員の業務よりもストレスが強いとされている(乙第16,第19号証)。 (イ) 亡P1が係長に就任後 及び各種会議等への出席であった。 しかして,これらの業務は,いわゆる中間管理職の業務として,一般職員の業務よりもストレスが強いとされている(乙第16,第19号証)。 (イ) 亡P1が係長に就任後の第1係の業務は,生産ラインからの変更依頼による改良設計や,ユーザーからの要望に対するスポット的な改良設計等,量産品の改良設計が主たるものであったが,昭和63年2月以降は,上記業務に加えて,アジアカーの4×2車及び4×4車のマイナーチェンジに伴う開発設計並びにライトエーストラックの4WD車及び4WS車の新ステアリング開発に伴う改良設計を行うことになり,業務量が格段に増加した。 ところで,訴外会社では昭和62年6月まで残業半減運動が行われ,昭和63年当時も1人1か月平均の目標残業時間数が定められていたところ,形式化した業務の廃止や業務の効率化等が行われたとしても,残業規制により労働密度が高まることは容易に推定されるところである。しかして,亡P1の時間外労働時間数は別表1のとおりであり,昭和62年11月から昭和63年6月まで毎月40時間以上の時間外労働をしているが,これは上記毎月の目標残業時間数にほぼ合致するものであることからすれば,亡P1の昭和63年2月以降の労働密度は,それ以前の労働密度に比べて高いものであったと推認される。 したがって,亡P1の業務による心身的負荷を評価するに際しては,労働時間だけではなく,労働密度も十分考慮する必要がある。 (ウ) 上記(ア),(イ)によれば,亡P1は,昭和63年6月までの恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により,相当程度の心身的負荷を受けて精神的,肉体的疲労を蓄積していたものと認められる。 イ昭和63年7月の業務(ア)a 第1係では,昭和63年7月末がアジアカーの4×2車並びにライトエースト 働により,相当程度の心身的負荷を受けて精神的,肉体的疲労を蓄積していたものと認められる。 イ昭和63年7月の業務(ア)a 第1係では,昭和63年7月末がアジアカーの4×2車並びにライトエーストラックの4WD車及び4WS車の先行試作設計の出図期限であり,2車種の出図期限が重なって極めて多忙となり,亡P1の同月の時間外労働時間数も68. 5時間となった。 しかるに,アジアカーの4×2車は予定どおりに出図できたものの,ライトエーストラックの4WD車及び4WS車については,一部設計未了となり出図期限を延長したものや,出図されたものについても,生産コストが高くつくことが判明したため,第1次試作設計を行っていく中で解決していくこととされたものがあり,さらに,昭和63年8月末までにその主要部分の先行試作設計を終了する予定であったアジアカーの4×4車については,これに手を付ける余裕がないため,昭和63年7月21日に日程調整を行って出図期限を同年9月末に変更せざるを得なかった。 ところで,訴外会社においては,設計業務の遅れは他の部署の日程に大きな影響を及ぼすため,設計図の出図期限は遵守すべきものであるところ,先行試作設計の段階ではその期限は比較的緩やかであり,上記のとおり出図期限の延期が認められたとしても,それは出図期限に間に合わなかったためやむを得ずなされたものにすぎず,第1係を統括する係長としてはマイナス評価を受けざるを得ないうえ,その後の第1次試作設計の出図期限は遵守しなければならないのであるから,結局,先行試作設計の出図期限を延期すれば,第1次試作設計の出図期限までの間の業務が過重となるのである。 したがって,亡P1は,昭和63年7月の上記過重,過密な業務及び出図の遅れにより,極めて強い心身的負荷を受けたものと認められる。 b ところで 設計の出図期限までの間の業務が過重となるのである。 したがって,亡P1は,昭和63年7月の上記過重,過密な業務及び出図の遅れにより,極めて強い心身的負荷を受けたものと認められる。 b ところで,原告は,亡P1の昭和63年8月の勤務時間報告表とタイムカードとを対比して,亡P1が1日当たり平均1時間5分のサービス残業を行っていた旨主張する。 しかし,上記1時間5分の差は,午後7時から30分間の休憩時間を控除していないこと,出勤時のタイムカードの打刻から所定始業時間までの間をも労働時間に含めていること,退勤時はタイムカードの打刻時間までをも労働時間に含めていることによるものであるところ,亡P1が上記休憩時間中に自主的に仕事を行っていたことがあるとしても,それが常態化していたことを認めるに足りる証拠はないから,原告の上記主張は採用することができない。 しかしながら,亡P1は,昭和63年7月11日は年休をとりながら通常どおり出勤して午後2時ころまで仕事をし,また,夏休み期間中も自宅で仕事をし,さらに,昭和63年8月24日には午前5時ころから自宅で仕事をしていたことがあり,これが常態化していたとまでは認められないとしても,午後7時から30分間の休憩時間中にも仕事をしていたことがあったことを総合考慮すると,亡P1の時間外労働時間は,別表1の時間外労働時間数をある程度上回るものであったと認められる。 (イ) 職場委員長の就任について亡P1は,昭和63年7月初旬ころ,訴外組合の職場委員長に就任するように説得され,業務多忙を理由に何度も断ったが断り切れず,同月下旬ころ,職場委員長への就任を承諾した。職場委員長は,職場をまとめていく重要な役割と重い責任を担うものであり,勤務時間中や昼休み等に行われる各種会議に出席するものとされていた。職場委員長へ ,同月下旬ころ,職場委員長への就任を承諾した。職場委員長は,職場をまとめていく重要な役割と重い責任を担うものであり,勤務時間中や昼休み等に行われる各種会議に出席するものとされていた。職場委員長への就任は昭和63年9月からの予定であったが,亡P1が悩んでいたのは,職場委員長の活動自体に対する不安ではなく,組合活動に時間と労力をとられることによって業務に当てる時間と労力が少なくなり,設計図の出図期限を遵守できなくなることに対する心配(不安,焦燥)であったから,同心配(不安,焦燥)は業務に起因するものというべきである。 そして,上記心配(不安,焦燥)は,当時も加重,過密な労働に従事し,さらに9月以降も加重,過密な労働に従事することが予定されていた亡P1に対し,相当強い心理的負荷を与えたものと認められる。 ウ昭和63年8月の業務(ア)a 第1係では,昭和63年8月初旬は,ライトエーストラックの4WD車,4WS車の先行試作設計の未了部分やコスト低減の問題検討及びPS油圧使用ダンプ開発計画の検討等が行われ,同年7月に続いて業務繁忙であり,アジアカーの4×4車まで手掛ける余裕はなく,同車については同年8月7日に再び日程調整を行い,出図期限を同年10月中旬ないし同月末に再延長せざるを得ない状態であり,亡P1は,同年8月1日及び同月5日に休日出勤をしなければならなかった。 しかして,亡P1は,上記加重,過密な業務及び出図期限の再延長により,極めて強い心身的負荷を受けたものと認められる。 b これに対し,被告は,第1係の業務は遅延しておらず,昭和63年8月はアジアカー及びライトエーストラックの大物出図が完了し,比較的余裕のある時期であった旨主張し,P10課長も,「2車種とも7月末に出図をほぼ完了し,8月は比較的ゆったりした時期であり,次の第1次試作 アジアカー及びライトエーストラックの大物出図が完了し,比較的余裕のある時期であった旨主張し,P10課長も,「2車種とも7月末に出図をほぼ完了し,8月は比較的ゆったりした時期であり,次の第1次試作設計の構想を練るなど順調に仕事を進めていた。」旨証言し,また,P8係員も,「大きな設計上の支障や予定変更もなく,7月の出図期限はほぼ守られ順調であった。」旨供述(乙第6号証)している。 しかし,前記認定のとおり,アジアカーの4×4車の主要部品の出図期限及びライトエーストラックの4WS車及び4WD車の一部部品の出図期限が延長されていることからすれば,第1係の業務が遅延していたことは明らかであり,さらに,ライトエーストラックの新ステアリングのコスト低減の問題が新たに浮上していたこと,その他,PS油圧使用ダンプ開発計画もあったことからすれば,同年8月が多忙な状態であったことは明らかというべきである。P10課長の証言及びP8係員の供述は,第1係の業務全体の実体を十分に把握しているものとは認められない。 また,被告は,第1係の業務は,亡P1の死亡後,特段の問題なく終了したのであるから,第1係の担当業務は格別過重でもなく遅延もしていなかった旨主張するが,作業が1番遅れていたアジアカーの4×4車の開発計画が昭和63年9月か10月ころに中止されていることを考慮すれば,それ以外の担当車種の設計業務が順調に終了したとしても,当時の亡P1の業務が加重でないことや遅延していなかったことが推認されるわけではないから,上記被告の主張は失当である。 (イ) 亡P1は,昭和63年8月10日から同月17日まで夏休みであった。しかし,亡P1は,訴外会社から書類を持ち帰り,夏休み期間中も大部分自宅で仕事をしていた。 これらの事情を総合考慮すると,亡P1は,上記期間中は,いくぶん 月10日から同月17日まで夏休みであった。しかし,亡P1は,訴外会社から書類を持ち帰り,夏休み期間中も大部分自宅で仕事をしていた。 これらの事情を総合考慮すると,亡P1は,上記期間中は,いくぶん疲労を回復したものと推認するのが相当である。 (ウ) 夏休み明けの昭和63年8月18日から死亡前日の同月25日まで,亡P1は,ライトエーストラックのコスト低減の問題検討,開発プロジェクトの作業日程調整及びライトエーストラックのリーフスプリング異音問題検討等の業務を遂行し,同月初旬に引き続いて多忙であった。 亡P1は,このころ既に本件うつ病を発症しており,その言動の中には,うつ状態となっていた亡P1の心理がなした部分も存在していたであろうし,出来事による影響も,正常な時よりも過大に感じられたものと推認される。そして,そのような状態の下で,開発プロジェクトの作業日程調整は,亡P1に対して,強い心身的負荷を与え,本件うつ病を増悪させたものと認められる。 (エ) 本件出張命令亡P1は,昭和63年8月20日,南アフリカ共和国への16日間の出張を命じられた。 本件出張命令は6か月も先のことであったが,その予定日がアジアカーとライトエーストラックの第1次試作設計の出図時期と重なっていたこと及び当時亡P1が業務の遅延に相当悩んでいたことからすると,亡P1が,本件出張により上記出図時期が遵守できなくなるのではないかとの不安,焦燥を抱いたことは,既に本件うつ病を発症していた亡P1の心理状態を併せ考慮すれば十分に理解可能であるから,本件出張命令は,亡P1に対し,強い心身的負荷を与えて本件うつ病を悪化させたものと認められる。 (3) 業務以外の出来事による心身的負荷及び亡P1の個体側の要因についてア業務以外の出来事による心身的負荷(ア) 住宅ローンについて 身的負荷を与えて本件うつ病を悪化させたものと認められる。 (3) 業務以外の出来事による心身的負荷及び亡P1の個体側の要因についてア業務以外の出来事による心身的負荷(ア) 住宅ローンについて専門検討会意見書は,住宅ローンの発生は判断指針別表2によれば「Ⅰ」に該当するとしている。 しかし,前記第4の1(3)イで認定したとおり,新居新築に伴う住宅ローンの返済を含めても,原告一家の家計は亡P1の収入で十分賄うことができ,原告の20万円余りの収入は全部貯金に回していたのであるから,住宅ローンの返済は亡P1にとって特段過重な負担であったとは解されず,そこから受ける心身的負荷もほとんどなかったと推認される。 (イ) 原告の妊娠中の手術及び3女の出産について専門検討会意見書は,判断指針別表2に当てはめて評価すると,原告の妊娠中の手術は,亡P1も胎児への影響について心配していたことから「Ⅱ」ないし「Ⅲ」,出産は「Ⅰ」と評価している。 亡P1が3女に対する原告の手術の影響を心配していたことは前記認定のとおりであるが,本件うつ病の発症時期は昭和63年7月下旬ないし8月上旬であるところ,3女は同年7月4日に正常分娩で出生し,その後の発育も順調であったから,時期的にみて,原告の手術が3女に与える影響についての心配は,本件うつ病発症の要因にはなっていないものと解される。したがって,専門検討会意見書の「Ⅱ」ないし「Ⅲ」の評価は不当である。 また,3女の出産についても,原告が3女中心の生活になること,亡P1も3女の育児について何がしかの負担をせざるを得ないこと等からすれば,ある程度の心理的負荷が加わったことは否定できないが,原告夫婦は既に長女,2女の妊娠,出産を経験していること,夫が妻の妊娠,出産により受ける心身的負荷は妻のそれよりも低いとされている 等からすれば,ある程度の心理的負荷が加わったことは否定できないが,原告夫婦は既に長女,2女の妊娠,出産を経験していること,夫が妻の妊娠,出産により受ける心身的負荷は妻のそれよりも低いとされていることからすれば,3女の出産による亡P1の心身的負荷は,「Ⅰ」の中でも低い方であったと評価するのが相当である。 (ウ) 3女の夜泣きについて3女の夜泣きは,それが通常のものである限り,3女の出産と包括的に評価すべきものであり,専門検討会意見書もこれを独立の出来事として評価していない。 ところで,前記認定のとおり,亡P1は,昭和63年8月9日,P10課長に対して,「子供が夜泣きしてよく眠れない。夜泣きで目が覚めると仕事のことが頭に浮かんで眠れなくなる。」旨べていたことがあるが,このころは既にうつ病を発症し不眠も相当進行していた時期であること,前記認定のとおり,原告の配慮により,亡P1と3女とは別々の階で就寝していたことからすると,亡P1が3女の夜泣きで目が覚めることがあったとしても,それは多分に亡P1のうつ病の影響によるものと解されるから,3女の夜泣きは通常の範囲内のものであり,前記3女の出産と包括的に評価するのが相当である。 (エ) 引っ越しについて前記認定のとおり,新居への引っ越しは昭和62年10月のことであり,本件うつ病の発症時期から約9か月も前のことであるから,これを本件うつ病の発症,増悪の要因として考慮することは相当でない。判断指針も,考慮すべき出来事の評価期間を6か月に限定しているところである。 (オ) その他について亡P1は,休日で時間に余裕のあるときは,原告を車で名古屋市中区伏見にある名古屋音楽学院に送迎していたが,休日に車で妻の送迎をすることが心身的負荷になるとは考え難い。 イ個体側の要因第4の1(1)で認定したと 時間に余裕のあるときは,原告を車で名古屋市中区伏見にある名古屋音楽学院に送迎していたが,休日に車で妻の送迎をすることが心身的負荷になるとは考え難い。 イ個体側の要因第4の1(1)で認定したとおり,亡P1の性格は,几帳面,真面目で責任感が強く,仕事第一主義であり,医学的知見に照らすと,うつ病親和的なものであった。 しかし,前記認定のとおり,通常人の正常の範囲を逸脱しているものではなく,判断指針によっても,個体側の要因として考慮する必要のないものであった。 (4) 総合評価上記(2),(3)のとおり,亡P1は,従前からの恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により,相当程度の心身的負荷を受けて精神的,肉体的疲労を蓄積していたこと,昭和63年7月の2車種の出図期限が重なったことによる加重,過密な業務及び出図の遅れにより,極めて強い心身的負荷を受けたこと,職場委員長に就任することにより出図期限が遵守できなくなるのではないかとの不安,焦燥が相当強い心理的負荷となったこと,昭和63年8月初旬の加重,過密な業務及び出図期限の再延長により,極めて強い心身的負荷を受けたこと,昭和63年8月10日から同月17日までの夏休み期間中,いくぶん疲労を回復したこと,夏休み明け後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が,既に本件うつ病を発症していた亡P1に対して,強い心身的負荷を与えたこと,住宅ローン,原告の妊娠中の手術及び引っ越しは,いずれも亡P1に対して特段の心身的負荷を与えたものとは認められないこと,3女の出生に伴う家庭環境の変化(3女の夜泣きを含む)は,亡P1に対してそれほど強い心身的負荷を与えたものではないこと,亡P1はうつ病親和的性格傾向(ただし,通常人の正常な範囲を逸脱するものではない。)を有していたことに加えて,亡P1の不眠 を含む)は,亡P1に対してそれほど強い心身的負荷を与えたものではないこと,亡P1はうつ病親和的性格傾向(ただし,通常人の正常な範囲を逸脱するものではない。)を有していたことに加えて,亡P1の不眠,早朝覚醒,肩凝り,全身疲労の出現が,上記業務による心身的負荷の蓄積度合いと符合していること,亡P1が原告に対して漏らしていた不安,愚痴が仕事に関するものばかりであったことを総合考慮すれば,本件においては,業務外の要因による心身的負荷はさほど強度のものとは認められず,亡P1の本件うつ病は,上記の加重,過密な業務及び職場委員長への就任内定による心身的負荷と亡P1のうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発症したものであり,さらにその後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ,亡P1は,本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。 要するに,上記の加重,過密な業務等による心身的負荷は,少なくとも亡P1にとっては,社会通念上,うつ病を発症させる一定程度以上の危険性を有するものであったと認められるから,前記2(2)ア(ウ)で説示した当裁判所の判断基準によれば,業務と本件うつ病の発症との間には相当因果関係を肯定することができる。 そして,本件自殺は,本件うつ病の症状として発現したものであるから,労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないものである。 (5) 医証についてア P20医師の意見書及び証言についてP20医師の上記意見書に記載された見解及び証言内容は,当裁判所の前記認定に符合するものである。 イ P23医師の意見書についてP23医師の見解は,本件うつ病の業務起因性を肯定するものであり,業務の加重性の判断において,当裁判所の前記認定に符合するものである。 ウ 定に符合するものである。 イ P23医師の意見書についてP23医師の見解は,本件うつ病の業務起因性を肯定するものであり,業務の加重性の判断において,当裁判所の前記認定に符合するものである。 ウ P21医師の意見書及び証言についてP21医師は,本件うつ病が内因性のものであると判定し,その根拠として,亡P1の勤務状況が他の職員と比較して平均を大きく逸脱しておらず,特別に過重なものとは認められないことを述べ,同事実を認定した資料として,亡P1,各係員及び各係長の労働時間及び被告担当職員のP10課長に対する聴取書を挙げている。 しかし,同種労働者の平均人を基準として業務起因性を判断すべきでないことは,前記説示のとおりであるうえ,残業規制が行われていた本件においては,労働時間だけでなく労働密度も考慮すべきであるし,また,被告担当者のP10課長に対する聴取書の内容が,そのまま信用することができないことも前述のとおりである。 したがって,P21医師の意見書及び証言内容は,これを採用することができない。 エ専門検討会意見書について(ア) 専門検討会意見書は,判断指針に基づいて本件事案を検討し,「業務による心理的負荷が客観的に精神障害を発症させるおそれがある程度に強いとは判断できない。また,業務以外の出来事もそれのみで精神障害を直接発症させるほど強度のものとは考えにくい。このような場合,精神医学的経験上,亡P1の心理面での脆弱性が本件うつ病エピソードの主な役割を果たしたというべきである。」と判定している。 しかし,判断指針の同種労働者基準説が採用できないものであることは,前記説示のとおりである。 (イ) また,専門検討会意見書は,「昭和63年7月から8月にかけて,出図の締切り,業務の輻輳ということで忙しい時期ではあったが,大きなトラブル 用できないものであることは,前記説示のとおりである。 (イ) また,専門検討会意見書は,「昭和63年7月から8月にかけて,出図の締切り,業務の輻輳ということで忙しい時期ではあったが,大きなトラブルもなく仕事が進められていたこと,さしたる遅延もなく業務が進行していたことが認められる」とし,8月末までの出図が間に合わないのではないかとの亡P1の過度の心配は,「既にうつ病状態になっていた亡P1の心理がなした部分もあったと推定できる」としているが,昭和63年7月の第1係の設計業務が遅延していたことは前記認定のとおりである。 (ウ) また,専門検討会意見書は,業務の遅延から受ける心身的負荷の評価についても,判断指針別表1のどの「具体的出来事」に近いかを類推すると,「ノルマが達成できないこと」に近いこととなり,その心身的負荷は「Ⅱ」とされているが,作業自体は順調に進み,結果としてその完成を見ているのであるから,亡P1の必要以上の心配であったといえるし,このような期限がつけられて作業することは一般的に会社活動の中では日常のことであり,その期限も様々な検討の結果実現可能な時期が設定されていたのであって,心身的負荷強度を強く修正する必要はなく,むしろその心身的負荷強度は「Ⅰ」に近い「Ⅱ」であるとしている。 しかし,前記認定のとおり,設計作業は順調に進んでいなかったし,アジアカーの4×4車は完成していないのであるから,上記見解は前提事実を誤っているものである。 (エ) 専門検討会意見書は,本件出張及び職場委員長への就任について,その出来事自体を評価の対象としているが,亡P1の悩みは,その出来事によって業務を遂行する時間及び労力がなくなることであるから,視点を誤っているというべきである。 (オ) 以上のとおり,専門検討会意見書は,当裁判所と判断基準を異にし るが,亡P1の悩みは,その出来事によって業務を遂行する時間及び労力がなくなることであるから,視点を誤っているというべきである。 (オ) 以上のとおり,専門検討会意見書は,当裁判所と判断基準を異にし,かつ,判定の前提となる事実につきその重要な部分を誤っているから,これを採用することができない。 4 結論以上によれば,本件うつ病の発症とそれに基づく本件自殺には業務起因性が認められるから,これを否定した本件処分は違法である。 よって,原告の請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第1部裁判長裁判官林道春裁判官佐藤久文なお,裁判官田近年則は転補のため署名,押印することができない。 裁判長裁判官林道春
▼ クリックして全文を表示