平成26年6月17日判決言渡平成24年(行ウ)第855号一時金申請却下処分取消請求事件 主文 1 処分行政庁が原告に対し平成23年4月19日付けでした中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律13条3項に基づく一時金の支給の申請を却下する旨の決定を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文同旨第2 事案の概要本件は,原告が,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律13条2項に規定する特定中国残留邦人等に該当するとして,同条3項の規定に基づく一時金の支給を申請したところ,処分行政庁から上記の特定中国残留邦人等に該当しないとして一時金の支給申請を却下する旨の決定(以下「本件決定」という。)を受けたことから,本件決定の取消しを求める事案である。 1 関係法令等の定め(1) 中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(以下「法」という。)1条(目的)この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的とする。 2条(定義)1項この法律において「中国残留邦人等」とは,次に掲げる者をいう。 一中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後 混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者二中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にあるものとして厚生労働省令で定める者13条(国民年金の特例等)1項永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日以後に生まれた者であって,永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって,昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)に係る昭和36年4月1日から初めて永住帰国した日の前日までの期間であって政令で定めるものについては,政令で定めるところにより,国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年法律第34号。第3項において「昭和60年法律第34号」という。)第1条の規定による改正前の国民年金法(昭和34年法律第141号)(以下「旧国民年金法」という。)による被保険者期間(以下「旧被保険者期間」という。)又は国民年金法第7条第1項第1号に規定する第1号被保険者としての国民年金の被保険者期間(以下「新被保険者期間」という。)とみなす。 2項前項に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限 る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は,旧被保険者期間又は新被保険者期間(同項の 住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限 る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は,旧被保険者期間又は新被保険者期間(同項の規定により旧被保険者期間又は新被保険者期間とみなされた期間を含み,旧国民年金法第5条第3項に規定する保険料納付済期間,国民年金法第5条第2項に規定する保険料納付済期間その他の政令で定める期間を除く。第四項において同じ。)に係る保険料を納付することができる。 3項国は,特定中国残留邦人等に対し,厚生労働省令で定めるところにより,当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(第1項の規定により旧被保険者期間とみなされた期間を含む。)及び昭和60年法律第34号附則第8条第2項各号に掲げる期間(政令で定める期間に限る。)並びに国民年金法による被保険者期間(第1項の規定により新被保険者期間とみなされた期間を含み,政令で定める期間を除く。)に応じ,政令で定める額の一時金を支給する。 4項国は,前項の一時金の支給に当たっては,特定中国残留邦人等が満額の老齢基礎年金等の支給を受けるために納付する旧被保険者期間又は新被保険者期間に係る保険料に相当する額として政令で定める額を当該一時金から控除し,当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険料を納付するものとする。 (2) 中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律施行規則(以下「規則」という。)1条(法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者)法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとおりとする。 一中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域 項第1号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとおりとする。 一中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居 住している者であって出生の届出をすることができなかったために同日において日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生の日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに限る。)二中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)を父親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者三中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者2条(法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者)法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとおりとする。 一樺太の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き樺太の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦又は樺太に本籍を有していたもの 昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き樺太の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦又は樺太に本籍を有していたもの二前号に掲げる者を両親として昭和20年9月3日以後樺太の地域で出生し,引き続き樺太の地域に居住している者 三中国の地域以外の地域において前2号に掲げる者と同様の事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者13条の2(法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者)法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者は,昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この条において同じ。)であって,その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ,明治44年4月2日から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとする。 (3) 法13条3項の一時金の支給申請に係る事務処理方針(以下「事務処理方針」という。)ア厚生労働省社会・援護局企画課中国孤児等対策室が平成20年5月9日付けで作成した事務処理方針(乙6の1)の(4)項は,「『昭和二十二年一月一日以後に生まれた方の申立書』の内容により,①先の大戦による混乱等により,出生後引き続き残留を余儀なくされた者であること。②残留を余儀なくされた間に肉親と離別する等の理由により,相当程度長期にわたり日本人としての生活を失った者であること。」という要件を満たさないものについては,申請を却下すべきであると定めた。 イ同室が平成21年5月22日付けで作成 する等の理由により,相当程度長期にわたり日本人としての生活を失った者であること。」という要件を満たさないものについては,申請を却下すべきであると定めた。 イ同室が平成21年5月22日付けで作成した事務処理方針(第1次改正)(乙6の2)は,上記(4)項に加えて(5)項を付加し,「昭和二十四年十二月三十一日までに出生した者であること。ただし,昭和二十五年以降に出生した者のうち,上記(4)の②(残留を余儀なくされた間に肉親と離別する等の理由により,相当程度長期にわたり日本人としての生活を失った者であること。)に著しく該当すると認められる者(幼少時に両親 と離別した者)については,特例として認めることができるものとする。」という要件を満たさないものについては,申請を却下すべきであると定めた。 ウ厚生労働省社会・援護局が平成24年4月2日付けで作成した事務処理方針(第2次改正)は,上記(4)項及び(5)項を整理し,「(4)昭和二十四年十二月三十一日までに出生した者であること。」又は「(5)昭和二十五年以降に出生した者のうち,残留を余儀なくされた間に肉親と離別する等の理由により,相当程度長期にわたり日本人としての生活を失った者に著しく該当する者と認められる者(幼少時に両親と離別した者)については,特例として認めることができるものとする。」という要件を満たさないものについては,申請を却下すべきであると定めた。 2 前提事実(当事者間に争いがないか,文中に記載の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することができる事実)(1) 当事者等ア原告は,昭和26年▲月▲日,中華人民共和国(以下,昭和24年10月1日の中華人民共和国の成立の前後を通じて「中国」という。)遼寧省本渓市において,A(明治28年 ▲月 ▲日生,昭和51 ア原告は,昭和26年▲月▲日,中華人民共和国(以下,昭和24年10月1日の中華人民共和国の成立の前後を通じて「中国」という。)遼寧省本渓市において,A(明治28年 ▲月 ▲日生,昭和51年 ▲月 ▲日死亡)とB(明治43年 ▲月 ▲日生,平成12年 ▲月 ▲日死亡)との間に,五女(第6子)として出生した(甲2の1,4,乙2・23枚目)。 イ AとBとの間には,昭和8年 ▲月 ▲日に第1子としてC(昭和22年▲月死亡)が,昭和11年 ▲月 ▲日に第2子としてDが,昭和16年▲月▲日に第3子としてEが,昭和18年 ▲ 月 ▲ 日に第4子としてF(昭和20年 ▲月 ▲日死亡)が,昭和23年 ▲月 ▲日に第5子(四女)としてGが,それぞれ出生している(甲2の4,乙2・23枚目)。 ウ原告は,昭和52年頃,中国において,Hと婚姻し,同人との間で,昭和53年 ▲月 ▲日に長女を,昭和54年 ▲ 月 ▲ 日に二女を,それぞ れもうけた(甲2の1,原告本人)。そして,原告は,昭和61年6月14日,家族と共に本邦に永住帰国した(甲9,弁論の全趣旨)。 (2) G及び原告による一時金の申請等ア Gは,処分行政庁に対し,法13条3項に基づく一時金の支給を申請したところ,処分行政庁から,平成20年9月29日,一時金を支給する旨の決定を受けた(甲1)。 イ原告は,処分行政庁に対し,平成23年3月7日受付で,法13条3項に基づく一時金の支給を申請したところ,処分行政庁から,平成23年4月19日,法13条に定める「特定中国残留邦人等」とは認められないとして,原告の申請を却下する旨の決定(本件決定)を受けた(乙1,甲2の2)。 原告は,処分行政庁に対し,平成23年6月16日,本件決定を不服として異議申立てをした(乙2)。 とは認められないとして,原告の申請を却下する旨の決定(本件決定)を受けた(乙1,甲2の2)。 原告は,処分行政庁に対し,平成23年6月16日,本件決定を不服として異議申立てをした(乙2)。処分行政庁は,原告に対し,平成24年6月29日,「両親の中国残留により出生後の生活状況に困難があったことは推測されるものの,昭和26年▲月▲日に出生し,先の大戦による混乱等が収束した状況下で,両親,兄及び姉と共に生活をしていたことから,規則13条の2に規定する者と認めることはできない」との理由で,法13条2項に規定する特定中国残留邦人等に該当するとは認められないとして,原告の異議申立てを棄却する旨の決定をした(甲2の3)。 (3) 本件訴えの提起原告は,平成24年12月21日,本件決定の取消しを求め,本件訴えを提起した。 3 争点及び争点に関する当事者の主張法13条1項及び2項は,一時金の支給を受けることができる「特定中国残留邦人等」の要件として,①「中国残留邦人等」に該当し,明治44年4月2日以後に生まれた者であって,永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住 所を有すること,②昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)であること,③60歳以上の者であること,④昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したものであることを規定する。 本件においては,原告が本件決定時に上記①,②及び④の要件に該当するものであったことは当事者間に争いがない。 本件の主たる争点は,①規則13条の2に規定する「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚 するものであったことは当事者間に争いがない。 本件の主たる争点は,①規則13条の2に規定する「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」(以下「本件要件」という。)の意義(争点1),②原告が本件要件に該当するか否か(争点2)である。 (被告の主張の要旨)(1) 法13条1項が,特定中国残留邦人等に該当するため,昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを要するとした趣旨ア一時金の支給は,相応の財政的負担を伴うもので,一時金の支給対象者につき,一定の制限を設ける必要があるところ,①昭和20年8月9日のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)軍参戦による中国東北部地域への侵攻の開始以後の混乱等の状況が収束した後に中国の地域等で出生した者は,同状況の収束前に同地域に居住し,又は同地域で出生した者ほど,「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」(法1条)ものとはいい難く,②同日のソ連軍参戦による中国東北部地域への侵攻の開始以後の混乱等は,ソ連軍が満州から撤退し,大多数の引揚者が本邦に引き揚げた昭和21年中には収束に向かったと考えられることから,法13条1項は,同年12月31日以前に生まれた者であることを特定中国残留邦人等に該当するための要件としたものである。 すなわち,昭和21年中には,ソ連軍参戦による混乱等が収束に向かい,昭和22年以後に生まれた者は,ソ連軍参戦による混乱等の影響を直接受けたものとはいえず,ソ連軍参戦による混乱等が生じている間に出生した者ではないことから,法13条1項は,昭和21年12月31日以前に生まれた者であること た者は,ソ連軍参戦による混乱等の影響を直接受けたものとはいえず,ソ連軍参戦による混乱等が生じている間に出生した者ではないことから,法13条1項は,昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを特定中国残留邦人等に該当するための要件としたものである。 イこれに対し,原告は,法1条の「今次の大戦に起因して生じた混乱等」をソ連軍参戦による混乱等にのみ限定する理由はない旨主張する。 しかしながら,法1条の「中国残留邦人等」について,法2条1項1号では「中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者」と定められており,ここにいう「昭和20年8月9日」とは,ソ連軍参戦の日を指すことは明らかであるから,法1条の「中国残留邦人等」の状況を述べる「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」との文言中「今次の大戦に起因して生じた混乱等」との文言も,ソ連軍参戦に起因して生じた混乱等を指すものである。 (2) 規則13条の2に規定する「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」の意義(争点1)ア法13条1項の趣旨に鑑みれば,法は,ソ連軍参戦による混乱等が生じている間に中国の地域等に居住し,又は同地域等で出生したため,その混 乱等の影響を直接受け,本邦に引き揚げる (争点1)ア法13条1項の趣旨に鑑みれば,法は,ソ連軍参戦による混乱等が生じている間に中国の地域等に居住し,又は同地域等で出生したため,その混 乱等の影響を直接受け,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされたものを一時金の支給の対象者とするとの趣旨で,同項の「同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」すなわち昭和21年12月31日以前に生まれ永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものの具体化を厚生労働省令に委任したものと解される。したがって,「その生まれた日以後(中略)その者の置かれていた事情にかんがみ,(中略)昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとする。」と定める規則13条の2の規定の適用に当たっても,厚生労働大臣は,上記委任の趣旨に従い,同日以前に生まれ永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるか否かを判断しなければならない。 そして,昭和24年までに,大規模な引揚げが実施され,同年10月1日には,中華人民共和国が成立しているなどの事情に鑑みれば,遅くとも昭和25年には,ソ連軍参戦による混乱等の影響が続いていた状況にあったとはいえないが,昭和24年までの間は,ソ連軍参戦による混乱等が収束に向かっていたものの,その影響がなかったとはいえず,同年以前に出生した者の中には,ソ連軍参戦による混乱等の影響を受け,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた者がいる可能性がないとはいえないから,昭和22年1月1日以降昭和24年12月31日までの間に生まれた者を一時金の支給対象者とすることは,法13条1 続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた者がいる可能性がないとはいえないから,昭和22年1月1日以降昭和24年12月31日までの間に生まれた者を一時金の支給対象者とすることは,法13条1項の趣旨に反しない。 ところで,規則13条の2の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」の判断の指針としては,厚生労働省社会・援護局援護企画課中国孤児等対策室又は社会・援護局作成の「昭和二十二年一月一日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等による『中国残留邦人等の円滑 な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律』第十三条第三項の一時金の支給申請に係る事務処理方針」(乙6の1から3まで。以下「事務処理方針」という。)が定められている。事務処理方針では,規則13条の2の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」の判断の指針として,昭和24年12月31日までに出生した者であることを要件としているところ,これは,上記の法13条1項の趣旨に従ったものであるということができる。 また,事務処理方針では,昭和25年以降に出生した者であっても,一定の事情を有する者,すなわち,残留を余儀なくされた間に肉親と離別する等の理由により,相当程度長期間にわたり日本人としての生活を失った者に著しく該当すると認められる者(幼少時に肉親と離別した者)について,特例として,規則13条の2の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」と認定する旨規定しているところ,これは,昭和25年以降に出生した者は,本来的には,同条の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」には該当しないものの,法の目的(法1条)に照らせば,事務処理方針に定める一定の事情を有する者に限って,例外的に,厚生労働大臣がこ には,同条の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」には該当しないものの,法の目的(法1条)に照らせば,事務処理方針に定める一定の事情を有する者に限って,例外的に,厚生労働大臣がこれに該当するものとして取り扱ったとしても,法13条1項の趣旨に必ずしも反するものではないからである。 イこれに対し,原告は,法13条1項による厚生労働省令への委任の趣旨は,地域の状況,年齢等による本人の判断能力,同居の有無とその同居者が引き揚げることができたか否かの状況等を本邦に引き揚げることができない程度であったか否かの観点から具体化するとの点にあり,厚生労働大臣は,このような観点から,昭和21年12月31日以前に生まれた者については無条件に,昭和22年1月1日以降に生まれた者については,それぞれの置かれていた事情に鑑み,昭和21年12月31日以前に生まれた者に準ずる事情が存しないのかどうかを判断しなければならないと主張 する。 しかしながら,原告の主張によっては,法13条1項が,特定中国残留邦人等の要件として昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを要することを掲げた実質的意味は明らかにされず,同項の「準ずる事情」の具体的内容は明らかにされないのであって,およそ採り得ない解釈である。 (3) 原告が本件要件に該当するか否か(争点2)。 ア原告は,昭和26年▲月▲日に生まれた者であるところ,ソ連軍参戦による混乱等が生じている間に中国の地域等で出生したためその混乱等の影響を直接受けて本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされたものとはいい難く,法13条1項の趣旨に照らし,同項の「同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」及び規則 外の地域に居住することを余儀なくされたものとはいい難く,法13条1項の趣旨に照らし,同項の「同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」及び規則13条の2の「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」に該当すると認めることはできない。そのことは,昭和21年12月31日以前に生まれ永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものの具体化を厚生労働大臣に委ねた規則13条の2の具体的な判断指針を示した事務処理方針に照らしても,明らかである。 イ原告は,原告の父親が,終戦前に日本軍が行った戦争に対する責任を問われて「留用」されたものであり,そのために帰国が自己の意思に反して不可能になったという事情があり,同事情は,「今時の大戦に起因した混乱等により本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」(法1条)ものであり,特定中国残留邦人等に該当する旨主張する。 しかしながら,原告が主張する上記事情は,原告の父親について生じた 事情であって,原告自身に生じた事情ではないから,原告が特定中国残留邦人等に該当することを基礎付ける事情でもない。法13条1項は,昭和22年以後に生まれた者がソ連軍参戦による混乱等の生じている間に出生した者ではないことから,昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを特定中国残留邦人等に該当するための要件としたものであって,このように一時金支給の申請者自身の出生時期をもって,特定中国残留邦人等に該当するか否かの要件としている同項の趣旨からすれば,一時金支給の申請者において,ソ連軍参戦による混乱等の影響を直接受けたか否かを検討すべきである。 請者自身の出生時期をもって,特定中国残留邦人等に該当するか否かの要件としている同項の趣旨からすれば,一時金支給の申請者において,ソ連軍参戦による混乱等の影響を直接受けたか否かを検討すべきである。 以上を踏まえると,原告の父親は,「中国政府の要請により,鉱山復興のために(中略)専門的知識と経験を持っている鉱山技師の仕事をするように」なり,「留用」されたものであり,原告の父親が鉱山技師として働くようになった切っ掛けは,役所の者が原告の父親を連れて行き,鉱山技師として働くよう要請したからであるとのことであり,いずれも,ソ連軍参戦による混乱等の影響を原告が直接受けたと評価し得る事情ではない。 ウ以上のとおりであるから,原告は,特定中国残留邦人等に該当しない。 (原告の主張の要旨)(1) 法13条1項が,特定中国残留邦人等に該当するため,昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを要するとした趣旨ア法1条所定の中国残留邦人の残留を余儀なくした「今次の大戦に起因して生じた混乱等」を,ソ連軍参戦による混乱等にのみ限定する理由は,全くない。この「混乱等」とは,法がその目的規定である1条において「今次の大戦に起因して生じた混乱等」と規定していること,すなわち,「今次の大戦による混乱等」に限らず,また,「今次の大戦に起因して生じた混乱」に限定せず,それにより「本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」と規定していることに 鑑みれば,本邦に引き揚げることができない程度の混乱と解すべきである。 さらに,法1条所定の「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」を,ソ連軍参戦等による「混乱等の影響を ある。 さらに,法1条所定の「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」を,ソ連軍参戦等による「混乱等の影響を直接受けて本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」ことに限定する理由,すなわち,「今次の大戦に起因して生じた混乱等により」を,混乱等の直接の影響に限定する理由もない。法が「今次の大戦による混乱」でなく「今次の大戦に起因して生じた混乱」と規定していること,すなわち今次の大戦は混乱の直接の原因に限られないこと,また,「今次の大戦に起因して生じた混乱」に限定せず「今次の大戦に起因して生じた混乱等」と例示の形式を採り因果の起点を広げていることからすれば,法は,今次の大戦にある程度の原因を求めることができる混乱等によって,「本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」者を対象としていると解すべきである。 イ被告は,昭和21年中には,大多数の引揚者が本邦に引き揚げた旨主張するが,終戦時に旧満州に配置されていた陸軍は66万4000人,中国に配置されていた陸軍は105万6000人(甲5・11頁),中国に配備されていた海軍は7万1000人(同17頁),終戦時に中国本土に居留していた一般邦人は約50万人(同31頁),昭和20年当時満州に居留していた一般邦人は約155万人(同32頁)であったところ,昭和21年中に本邦に引き揚げることができた者は,僅か250万9360人にすぎない。昭和22年以降も昭和33年までは,大規模な引揚げが継続していることは,「年次別・地域別引揚者数」表(同729,730頁)を見れば,明らかである。なお,同表において,昭和25年以降は満州及び大連からの引 2年以降も昭和33年までは,大規模な引揚げが継続していることは,「年次別・地域別引揚者数」表(同729,730頁)を見れば,明らかである。なお,同表において,昭和25年以降は満州及び大連からの引揚者が「0」となっているのは,残留邦人等は満州地方から 中国本土に流入したこと,昭和23年をもっていわゆる前期集団引揚げが終了し,この時期以降の引揚げは中国本土を経由して行われたからにすぎず,満州及び大連に残留していた者が皆無となったことを意味するものではない。 また,ソ連軍参戦による侵攻の開始以後の混乱等は,少なくとも,中国国内旅費の国庫負担制度が実施された昭和37年6月までは続いていた。 なぜなら,被告の厚生省引揚援護局庶務課による昭和27年2月25日付け通知「個別引揚者の船運賃の負担について」(甲5・499頁)において,「引揚問題をめぐる国際情勢は,依然好転を期待し得ない状況にあり」とし(前文),引揚げは「今日残留者の相当部分を占める中共地域についてみるも,現下の国際情勢下においては,従来のごとき常則のみにては,にわかに解決しがたい状況にある」とした上で(「第1 趣旨」),「中国地域(中略)において,自己の意思に反し残留を余儀なくせられている未帰還者」を船賃負担の対象としている(「第2 要領」,「1 対象」)こと,また,昭和37年6月から被告国が日本赤十字社に委託して実施された中国国内旅費の国庫負担制度の趣旨が,「帰国を希望しながら,現地の生活事情等から(中略)事実上帰国できない者が相当数いること」に鑑みてされていること(甲5・52頁)からすれば,昭和27年はおろか昭和37年にあっても,未だ「帰国を希望しながら,現地の生活事情等から(中略)事実上帰国できない者(は)相当数い」たからである。 ウ法13条1項が昭和21年1 2頁)からすれば,昭和27年はおろか昭和37年にあっても,未だ「帰国を希望しながら,現地の生活事情等から(中略)事実上帰国できない者(は)相当数い」たからである。 ウ法13条1項が昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを要件としたのは,ただ単に,一方において同年中には現地住民の反乱や飢餓疾病等,また,各地域の連合国軍及び当該国官憲の強制収容命令又は終戦に伴う現地の混乱による生活手段の喪失などが激しく,他方においては「昭和21年末までに500万人を超える引揚者を受け入れ,一応ピークを過ぎた」(甲5・3頁)ことに鑑み,国民年金法が生年を基準としてい ることに平仄を合わせて,「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」は,その者らが「置かれてい(た)事情」にかかわらず無条件に支給要件を満たすものとみなして形式的基準で対象を画し,昭和22年1月1日以降に生まれたものについては,その置かれていた各個別事情によっては支給要件を満たさない場合もある,との趣旨を規定したにとどまる。 (2) 規則13条の2に規定する「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」の意義(争点1)ア法の目的規定(1条)が「今次の大戦に起因して生じた混乱」と規定していること,すなわち,「ソ連軍参戦による」混乱に限定せず,かつ,「起因して生じた」混乱と規定して大戦の影響を「直接」受けた混乱に限定していないこと,また,法の目的が「混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれた事情にかんがみ(中略)自立の支援を行うこと」にあることからすれば,法所定の「混乱」とは,本邦に引き揚げることができない程度の混乱 邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれた事情にかんがみ(中略)自立の支援を行うこと」にあることからすれば,法所定の「混乱」とは,本邦に引き揚げることができない程度の混乱と解するべきであり,法13条1項による厚生労働省令への委任の趣旨は,中国残留邦人等の各置かれた事情は様々であり,これを一律に規定することは困難であるところ,地域の状況,年齢等による本人の判断能力,同居の有無とその同居者が引き揚げることができたか否かの状況等々を,本邦に引き揚げることができない程度であったか否かの観点から,具体化するとの点にある。このことは,規則13条の2の「その者の置かれていた事情にかんがみ」との文言からも,裏付けられる。 厚生労働大臣は,「今次の大戦に起因して生じた混乱等」により「本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」か否かを基準に,「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」については無条件に,「昭和22年1月1日以後に生まれたもの」 については各「置かれてい(た)事情にかんがみ」,「準ずる事情」が存しないのかどうかを判断しなければならない。 中国残留邦人の発生は,ソ連軍参戦だけに帰結できるものではなく,満州事変以来の日本国の満州進出,移民政策,満州国の建設,根こそぎ動員によって老人・女・子供しかいなかった状況,関東軍が開拓民を置き去りにしたこと等が複合的に原因となって発生したものである。したがって,「今次の大戦に起因して生じた混乱等」とは様々な要因があるのであって,ソ連軍参戦に限られるものではないし,ソ連軍が引き上げたことによって消滅するものでもない。 こうしてみると,一連の日本国による満州政策によって,本人の帰国の意思に反して帰国の道を閉 て,ソ連軍参戦に限られるものではないし,ソ連軍が引き上げたことによって消滅するものでもない。 こうしてみると,一連の日本国による満州政策によって,本人の帰国の意思に反して帰国の道を閉ざされ,中国の地域に居住することを余儀なくされたという事情は,準ずる事情に当たるものというべきである。取り分け,終戦前に日本軍が行った戦争に対する責任を問われて留め置かれた「留用」等は,そのために帰国が自己の意思に反して不可能になったという事情であって,まさしく「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」事情に当たる。 イ被告は,昭和24年12月31日までに出生した者や昭和25年以降でも肉親と離別した者を準ずる事情として認めている。しかし,昭和24年を境に劇的に状況が変わったわけではないので,昭和24年と昭和25年を区別する理由はない。また,肉親と離別し孤児となったことは,確かに帰国ができなくなった事情ではあるが,孤児とはならなくても,親が留用等されたために帰国の意思があっても帰国できないという事情は,孤児になったために帰国できない事情と変わるところはないのであって,やはり区別する理由はない。 (3) 原告が本件要件に該当するか否か(争点2)。 ア原告の父が帰国できなかった事情Aは,昭和11年3月6日からI系のJ株式会社に在籍し,終戦に至るまで,鉱脈探査・採鉱技師として働き,鉱山技師としての専門的知識と経験を有していた。Aは,昭和20年終戦後より帰国することを強く望んでいた。 しかし,昭和21年3月,終戦までのこの鉱山技師としての専門的知識や技能を評価され,Aは,吉林省延吉市吉林省政府工鉱山のエンジニアとして留用されることとなった 帰国することを強く望んでいた。 しかし,昭和21年3月,終戦までのこの鉱山技師としての専門的知識や技能を評価され,Aは,吉林省延吉市吉林省政府工鉱山のエンジニアとして留用されることとなった(証人E調書2頁から3頁まで,甲10)。 Aは,昭和22年6月まで上記鉱山で勤務した後,同年11月から昭和23年12月まで吉林省K製紙工場にて採掘技術担当として,同月から昭和28年9月まで遼寧省本溪市α硫鉄鉱山の採掘技師担当として,同月から昭和32年6月まで廣東省英徳硫鉄鉱山の副技師長として,同月から吉林省盤石県β石灰石鉱山の副技師長として,留用され続けた(甲10)。 中国政府により留用を指示された日本人は,その指示を断って帰国することなどできず,Aは,昭和21年以降日本に帰国することができなかった。 なお,Aが留用され給料を取得するようになったが,その額は多額ではなく原告ら家族が経済的に厳しい状況はさほど変わらなかった。上記のとおりAは日本に帰国することを切望しており,給料を取得し家族を養うために留用されることを自ら希望したとの事情はない。 イ昭和26年当時の状況原告が生まれた昭和26年は,前述のとおり,いまだ戦争の混乱が残り,混乱している状況であった。Aは,第1子から第4子までは全員出生届を提出していたが,昭和23年生まれの原告の姉であるGと昭和26年生まれの原告だけが出生届を提出できていなかった。しかも,上記のとおり,Aの留用は続いており,母が日本人ではない原告が日本に帰国できる状況 にはなかった。さらに,Aは探鉱という業務故に,原告を含む家族を連れて山中での生活が続いており,他の日本人と接触する機会は少なく(証人E調書11頁,15頁,18頁),帰国についての情報を入手することすら困 った。さらに,Aは探鉱という業務故に,原告を含む家族を連れて山中での生活が続いており,他の日本人と接触する機会は少なく(証人E調書11頁,15頁,18頁),帰国についての情報を入手することすら困難であり,実際,原告が勤務し始めるまで原告家族が帰国についての情報を入手することはできなかった。 ウ準ずる事情の該当性父であるAの留用という原告側ではない,むしろ中国政府が留用の理由として「戦争の責任」を掲げていたことからすると被告側の事情により,原告は帰国できず,中国において文化大革命を経験する等非常に過酷な生活を過ごした。そのような原告の特殊な状況に鑑みるならば,原告が昭和26年に生まれているとはいえ,「本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」者に準ずる事情がある。 第3 当裁判所の判断 1 争点1(規則13条の2に規定する「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるもの」の意義)について(1) 認定事実証拠(乙11,12のほか,文中記載のもの)及び弁論の全趣旨によれば,中国東北部(旧満州)地域からの引き揚げに関する一般的な事情及び法の制定の経緯に関して,以下の事実が認められる。 ア終戦時における一般状況昭和20年当時,中国東北部地域においては,開拓団を含め,一般邦人約155万人が居留していたが,同年6月以降,壮年男子の多くがいわゆる根こそぎ動員により,逐次関東軍に招集されていた。 昭和20年8月9日,ソ連軍の不意の攻撃を受け,辺境地域の一般邦人 は,混乱のうちに避難を開始し,多くは徒歩で長途にわたる退避行動をとった。この間,ソ連軍の侵攻と現地住民の反乱や飢餓疾 昭和20年8月9日,ソ連軍の不意の攻撃を受け,辺境地域の一般邦人 は,混乱のうちに避難を開始し,多くは徒歩で長途にわたる退避行動をとった。この間,ソ連軍の侵攻と現地住民の反乱や飢餓疾病等により多くの犠牲者を出し,更には進退窮まり集団自決をする等悲惨な事件も発生した。 戦闘による混乱も昭和20年10月頃にはようやく収まり,ソ連軍に収容され,あるいは国民政府軍,L党軍に留用された軍人及び邦人を除き,在留邦人は避難行動から逐次越冬態勢に移った。なお,「留用」とは,旧体制の人員をそのままとどめて新体制で雇用することをいい,留用された者としては,強制的に留用された技術者や知識人とその家族のほか,日本に帰国しても生計を立てる見込みがないため自ら留用を希望した者がいた(甲8・5頁)。 中国東北部地域の中部,南部の都市においては,北部から多数の邦人が難民となって流入してきた。これらの邦人は,窓や床板をはがされ荒れ果てた学校,寺院,病院等の公共の建物に収容された。この人々に対し,各地に邦人が結成した難民救済委員会が食糧,衣服,住居,医療,死亡者の処理等の援護を行ったが,住居の狭さと不良,食糧,衣服の不足等のため,栄養失調となり,また,生活環境が良くないため,発疹チフス等が流行し,多数の死亡者を出した。 イ前期集団引揚げ引揚者の海外からの輸送計画は,GHQの立案する引揚げ計画及びソ連からのGHQ宛通告に基づく輸送計画に従って実施された。その輸送に当たってGHQは,各地の連合国軍及び各国政府と連絡を取り,軍人軍属の復員と緊急を要する地域の邦人の引揚げを優先し,一般邦人については,各国の協定によって順次帰還させる方針を採った。これにより,軍人軍属及び一般邦人の海外からの集団引揚げが行われることとなり,ソ 属の復員と緊急を要する地域の邦人の引揚げを優先し,一般邦人については,各国の協定によって順次帰還させる方針を採った。これにより,軍人軍属及び一般邦人の海外からの集団引揚げが行われることとなり,ソ連軍管理地域以外の地域からの集団引揚げは昭和22年末頃までに概了した。 しかし,ソ連軍管理地域であった中国東北部地域について,ソ連軍は, 日本人の本国送還については何らの措置をしないまま,昭和21年4月に撤退した。その後,中国(国民政府)軍とアメリカ軍との間で同年5月11日に成立した協定やL党軍との間で同年8月に成立した協定により引揚げが行われた。日本側は,難民救済委員会を改組した「日本人民会」を奉天(瀋陽)に設置し,中国東北部地域に残留している日本人の送還を計画し,実行することとした。もっとも,中国の内戦等の影響を受け,昭和23年8月の引揚げをもって集団引揚げが中断され,また,ソ連軍管轄の遼東半島(旧関東州)地域については,昭和24年10月の引揚げをもって集団引揚げが中断されており,この両地域については,中国地域として,同月1日に樹立された中華人民共和国のL党政府との邦人の引揚げについての交渉等を待つこととなった。 また,ソ連軍管轄地域のうち,北朝鮮地域については,南朝鮮への脱出等による引揚げのほか,米ソ協定により昭和23年7月まで集団引揚げが行われたが,以後新政権の樹立及びソ連軍の撤退等により引揚げは中断されており,樺太・ソ連本土地域については,昭和25年4月22日,タス通信がソ連政府の発表として日本人捕虜の送還は完了した旨の報道により,一方的に集団引揚げは中断されることとなった。 この時期に行われた引揚げは,「前期集団引揚げ」と呼ばれている。中国東北部地域からは,前期集団引揚げにより,①第1期 完了した旨の報道により,一方的に集団引揚げは中断されることとなった。 この時期に行われた引揚げは,「前期集団引揚げ」と呼ばれている。中国東北部地域からは,前期集団引揚げにより,①第1期引揚げとして,昭和21年5月から同年10月頃までの間に,約101万人が,②第2期引揚げとして,同年11月下旬から同年12月下旬までの間に,約4300人が,③第3期引揚げとして,昭和22年6月下旬から同年8月上旬までの間に,約1万8000人が,同年9月下旬から同年10月下旬までの間に,約1万1000人が(なお,第3期引揚げにおいては,内戦下の長春(新京)で国民政府軍に留用されていた一般邦人約6500人が,昭和22年8月から9月までの間に長春を脱出して奉天に到着し,列車と引揚船 により佐世保へ引き揚げた。),④第4期引揚げとして,昭和23年6月及び同年8月に,3320人が,それぞれ帰国した。 ウ前期集団引揚げ終了後の中国地域における日本人の概況終戦後相次いで中国東北部地域に進駐した国民政府軍及びL党軍は,共にその戦力の強化を図るため,多数の日本人を留用した。昭和20年11月から中国東北部地域の中部,南部において,国民政府軍とL党軍との間に激しい内戦が繰り返され,その結果,昭和24年10月,中華人民共和国が樹立された。国民政府軍に留用されていた日本人は同軍の敗退に伴い,その大部分は順次留用を解除され帰国したが,L党軍に留用されていた者は新政権樹立後も引き続いて留用され,その数は家族を含め,3万5000人は下らないと推定されていた。昭和25年に勃発した朝鮮戦争及びベトナム独立戦争により,残留日本人もその影響を受けることになったが,昭和26年後半からは順次留用を解除され,各地の職場に配置され,労働のほか学習などを受けていた。 昭和25年に勃発した朝鮮戦争及びベトナム独立戦争により,残留日本人もその影響を受けることになったが,昭和26年後半からは順次留用を解除され,各地の職場に配置され,労働のほか学習などを受けていた。そして,終戦直後の中国東北部地域の混乱の中で,肉親等と死別又は生別した日本人婦女子のうち自活の手段を失い,やむなく現地住民に救いを求めるなどした後,その妻となった者は,約4000人と推定され,また,両親を失った孤児及び親等が養育できないため,現地住民に託された子供等は,約2500人と推定された。これらの中国人の妻となり,また,孤児として現地住民の家族に入った者は,次第に現地住民の生活に同化して残留することとなった。 エ前期集団引揚げ終了後の中国地域からの個別引揚げ前期集団引揚げ終了後,中国新政権の樹立直後と朝鮮動乱を経過した時期における中国からの邦人の引揚げは,中国政府の特別の許可を得るか,又は密航船によるか等により個別的に引き揚げる方法であった。残留日本人が帰国の機会を得るためには,極めて繁雑な手続を要し,帰国許可を得られても帰国に必要な諸費用の問題があった。また,中国に残留している 邦人から,帰国の希望が,日本の家族等を通じて,日本政府にもたらされた。この中国地域の残留邦人の事情等をも考慮し,引揚げの促進を図る方策として,個別に引き揚げる者の経済的負担を軽減するため,昭和27年3月1日から帰国に要する船運賃を国が負担することとし,残留者が引揚げの機会を得られるように措置が行われた。 中国政府の特別の許可を得るか,又は密航船によるか等により個別的に引き揚げる方法で,昭和25年には,151人が,昭和26年には,91人が,昭和27年には,214人が,それぞれ帰国した。 オ後期集団引揚げ前期集 ,又は密航船によるか等により個別的に引き揚げる方法で,昭和25年には,151人が,昭和26年には,91人が,昭和27年には,214人が,それぞれ帰国した。 オ後期集団引揚げ前期集団引揚げが中断した後,なお海外に残留させられている一般邦人は,中国地域においては,留用されている者,戦犯関係者及び中国人の家庭に入った婦人と子供達であり,北朝鮮地域においては,留用されている少数の技術者と外国人と結婚している日本婦人等であり,ソ連地域においては,留用されている者,戦犯関係者と指定された者及び外国人と結婚した日本婦人等であり,その他北ベトナム地域においては,M軍に参加した元軍人軍属及び留用されている者等であった。 昭和27年4月28日,サンフランシスコ平和条約の発効と同時に,海外からの邦人の引揚げは,日本政府の自主的事業となった。そして,中国地域については,昭和28年3月から昭和33年7月までに掛けて,北朝鮮地域については,昭和31年4月に,ソ連地域については,昭和28年12月から昭和34年9月までに掛けて,北ベトナム地域については,昭和29年及び昭和34年から昭和36年までに掛けて,集団引揚げが行われた。 この時期に行われた引揚げは,「後期集団引揚げ」と呼ばれている。中国地域からは,後期集団引揚げにより,①第1次引揚げから第7次引揚げまでとして,昭和28年3月から同年10月までの間に,2万6051人 が(これらの引揚者は,主に終戦後に中国側の軍又は政府機関等に留用されていた者とその家族であった。),②第8次引揚げとして,昭和29年9月27日,520人が(一般邦人は103人であり,他はL党軍の捕虜となっていた元軍人であった。),③第9次引揚げから第11次引揚げまでとして,同年11月,昭和30年2 8次引揚げとして,昭和29年9月27日,520人が(一般邦人は103人であり,他はL党軍の捕虜となっていた元軍人であった。),③第9次引揚げから第11次引揚げまでとして,同年11月,昭和30年2月及び同年3月に,2292人が(これらの引揚者の多くは,朝鮮戦争当時に安東,旅順,大連等に居住しており,その後,他の地区に移住させられた者であり,一部は,中国軍に留用され,朝鮮,ベトナム等において戦務に従事した者や,中国人の妻になっていた日本婦人等であった。),④第12次引揚げとして,同年12月18日,引揚者141人のほか,戦後の渡航者及び外国籍の者の合計283人が,⑤第13次引揚げから第16次引揚げまでとして,昭和31年7月から昭和32年5月までの間に,1368人が(一般邦人は350人であり,他は戦犯として抑留され不起訴となった者であった。),⑥第17次引揚げから第21次引揚げまでとして,昭和33年4月から同年7月までの間に,2153人が(これらの引揚者の多くは,中国各地において共産学習を受けた者,中国の軍や政府に留用された者であった。),それぞれ帰国等した。 カ後期集団引揚げ終了後の中国地域からの個別引揚げ後期集団引揚げ終了後は,中国からの邦人の引揚げは,個別引揚げとなり,船運賃国庫負担制度によって,ほとんどが香港経由で帰国した。邦人の引揚げは,年に約100人前後あったが,昭和43年及び昭和44年の文化大革命の時期には減少した。その後,昭和47年9月29日には,日中国交正常化を迎え,中国の出国許可が容易となった。 キ法の制定及び改正の経緯昭和47年の日中国交正常化を契機に,残留孤児からの身元調査依頼や帰国の希望が寄せられるようになり,残留孤児の肉親探し,残留邦人が永 住帰国する際の帰国旅費の支給等の帰国 及び改正の経緯昭和47年の日中国交正常化を契機に,残留孤児からの身元調査依頼や帰国の希望が寄せられるようになり,残留孤児の肉親探し,残留邦人が永 住帰国する際の帰国旅費の支給等の帰国援護施策,永住帰国後の生活や就労等の面での定着自立援護施策が,予算措置により行われるようになった。 平成6年,関係各省及び地方自治体で講じられた諸施策を法律上明文化し,中国残留邦人等の帰国や自立の一層の推進を図るため,議員立法により,法が成立し,同年10月1日,施行された。また,その後の法改正により,国民年金に関する特例が定められ,平成8年4月1日から施行された。 その後,平成13年以降,中国残留邦人による国の自立支援義務違反等を理由とする国家賠償請求集団訴訟が提起されたところ,平成19年7月9日,与党中国残留邦人支援に関するプロジェクトチームにより新たな支援策が決定され,議員立法である「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律の一部を改正する法律」(平成19年12月5日法律第127号)が成立した。これにより,国民年金に関する取扱いが改正され,特定中国残留邦人等については,帰国前の公的年金に加入できなかった期間のみならず,帰国後の期間についても,特例的に保険料の納付を認めるとともに(法13条2項),納付に必要な額は国において負担することにより(法13条3項),満額の老齢基礎年金等を支給するものとなった。 (2) 検討ア被告は,法13条1項の趣旨について,一時金の支給は相応の財政的負担を伴うものであり,一時金の支給の対象者(特定中国残留邦人等)につき一定の制限を設ける必要があるところ,大多数の引揚者が本邦に引き揚げた昭和21年中にはソ連軍参戦による混乱等が収束に向かい,昭和22年以後に生まれた者は 金の支給の対象者(特定中国残留邦人等)につき一定の制限を設ける必要があるところ,大多数の引揚者が本邦に引き揚げた昭和21年中にはソ連軍参戦による混乱等が収束に向かい,昭和22年以後に生まれた者は,ソ連軍参戦による混乱等の影響を直接に受けたものではないことから,昭和21年12月31日以前に生まれた者であることを「特定中国残留邦人等」に該当するための要件としたものであり,こ のような法13条1項の趣旨に照らして,規則13条の2の「準ずる事情」を判断すべきであるとした上,昭和24年までには大規模な引揚げが実施され,同年10月には中華人民共和国が成立していることからすれば,遅くとも昭和25年には,ソ連軍参戦による混乱等の影響が続いていたとはいえないから,同年以降に出生した者については,本来的には同条所定の「準ずる事情」があるとは認められないと解すべきである旨主張する。 イそこでまず,「特定中国残留邦人等」の前提となる「中国残留邦人等」の意義について検討するに,①法2条1項1号が,「中国残留邦人等」を定義するに当たり,ソ連軍の対日参戦日である「昭和20年8月9日」以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく引き続き中国の地域に居住している者などをその対象として規定していること,②同項2号は「中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にある」者をその対象として規定していることからすると,法1条に規定されている「今次の大戦に起因して生じた混乱等により本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等」という文言における「今次の大戦に起因して生じた混乱等」とは,主として,ソ連軍参戦に起因して生じた混乱を指すものであると解することが自然である。 しかしながら,③法2条1 れた中国残留邦人等」という文言における「今次の大戦に起因して生じた混乱等」とは,主として,ソ連軍参戦に起因して生じた混乱を指すものであると解することが自然である。 しかしながら,③法2条1項1号が,「中国残留邦人等」を定義するに当たり,「昭和20年8月9日以後の」混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく引き続き中国の地域に居住している者と定め,「混乱等」については,その始期による限定しかしていないこと,④また,法1条が,中国残留邦人等につき,「今次の大戦」に「起因して」生じた混乱「等」により本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされたものとして定めていることからすると,法2条1項1号にいう「中国残留邦人等」とは,ソ連軍が参戦したことによる直接の 影響として生じた混乱(すなわち,ソ連軍の攻撃を受け,一般邦人が自らの努力により長途にわたる避難行動を余儀なくされたことなどによる混乱)の下において,本邦に引き揚げることなく引き続き居住することを余儀なくされた者に必ずしも限定されるものではなく,ソ連軍が日本人の本国送還について何らの措置を採らないまま撤退したことによる影響,国民政府軍又はL党軍による留用による影響,中国の内戦による影響,集団引揚げ以外の個別引揚げが中国政府による帰国の不許可などにより困難であったことによる影響など(以下,これらを「ソ連軍の参戦以後の引揚困難事由による影響」という。)の下において,これに起因して,本邦に引き揚げることなく引き続き中国の地域に居住することを余儀なくされた者も含むものと解されるところである。 これに対し,被告は,法1条の「今次の大戦に起因して生じた混乱等」を,ソ連軍参戦による混乱等に限定すべきである旨主張するようであるが,法2条1項の「中国残留 者も含むものと解されるところである。 これに対し,被告は,法1条の「今次の大戦に起因して生じた混乱等」を,ソ連軍参戦による混乱等に限定すべきである旨主張するようであるが,法2条1項の「中国残留邦人等」の解釈に関する限り,上記主張は採用することができない。 ウそこで,中国の地域における「中国残留邦人等」,すなわち,「中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住」していた者及び「これらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住」していた者の実情についてみると,上記認定事実のとおり,①昭和20年8月9日のソ連軍の参戦により,辺境地域の一般邦人は混乱のうちに避難を開始したが,ソ連軍の侵攻,現地住民の反乱,飢餓疾病等により,多くの犠牲者を出したこと,同年10月頃からは,在留邦人は避難行動から越冬態勢に移ったこと,その当時,在留邦人の中には,国民政府軍やL党軍に留用された者がいたこと(上記ア),②中国東北部地域は,ソ連軍の管理地域となったが,ソ連軍は昭和21年4月に撤退 したものの,日本人の本国送還について何らの措置も採らなかったこと,③その後,「日本人民会」が奉天(瀋陽)に設置され,中国東北部地域からの引揚げが開始されることとなり,前期集団引揚げにより,第1期引揚げとして,昭和21年5月から同年10月頃までの間に,約101万人という多数の者が帰国し,また,第2期引揚げとして,同年11月下旬から同年12月下旬までの間に,4300人が帰国したこと(同イ),④第2期引揚げ後も,L党軍地区から奉天に流入してくる日本人が相次ぎ,難民化している者もいたところ,これらと国民政府軍地区に残留していた者も合わせて,昭和22年には 00人が帰国したこと(同イ),④第2期引揚げ後も,L党軍地区から奉天に流入してくる日本人が相次ぎ,難民化している者もいたところ,これらと国民政府軍地区に残留していた者も合わせて,昭和22年には,合計約2万9000人が引き揚げ,昭和23年6月及び8月にも,約3320人が引き揚げたが,その後,中国の内戦等により,引揚げ実施の諸条件が悪化し,いわゆる前期集団引揚げが中断したこと(同イ),⑤昭和24年10月,中華人民共和国が樹立されたところ,国民政府軍に留用されていた日本人は,同軍の敗退に伴い,その大部分は順次留用を解除され帰国したが,L党軍に留用されていた者は,新政権樹立後も引き続いて留用されたこと(同ウ),⑥昭和25年から昭和27年までの間,中国政府の特別の許可を得るか,又は密航船によるか等により個別的に引き揚げる方法で,四百数十人が帰国したが,引揚げの促進を図る方策として,個別に引き揚げる者の経済的負担を軽減するため,同年3月1日から帰国に要する船運賃を国が負担することとし,残留者が引揚げの機会を得られるように措置が行われたこと(同エ),⑦前期集団引揚げが中断した後,中国地域においてなお残留させられている一般邦人は,留用されている者,戦犯関係者,中国人家庭に入った婦人と子供達であったところ,昭和28年3月から昭和33年7月までの間に,後期集団引揚げにより,三万数千人が帰国したこと(同オ),⑧後期集団引揚げ終了後も,個別引揚げにより,年に約100人前後が帰国したことが認められる(同カ)。 エ以上を前提として,法13条1項及び2項の趣旨について検討するに,これらの条項が「中国残留邦人等」のうち「特定中国残留邦人等」に限って国民年金の特例等の適用を受けるという特別の保護を与えることとし,その要件として,法13条 1項及び2項の趣旨について検討するに,これらの条項が「中国残留邦人等」のうち「特定中国残留邦人等」に限って国民年金の特例等の適用を受けるという特別の保護を与えることとし,その要件として,法13条1項が「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」と規定した趣旨は,上記ウ③のとおり,同日までの間には中国の地域に居住していた者の大部分が引き揚げるに至っていたところ,中国残留邦人等のうち,同日以前に生まれたが引き揚げるに至らなかった者(例えば,子供であれば肉親と離別して中国人に引き取られるなどして育った者,婦人であれば生活の手段を失い中国人の妻となるなどしてとどまった者,男性であれば国民政府軍又はL党軍から留用された者など)については,それがソ連軍が参戦したことにより生じた混乱によること又はソ連軍の参戦以後の引揚困難事由の影響によることが強く推定されるため,一律に特別の保護を与えることが適切であるとの考え方によるものと解することが相当であり,また,法13条1項が「(同日後に生まれたものであって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)」と規定した趣旨は,上記④から⑧までのとおり,同日後においても,同日後に生まれた中国残留邦人等が置かれていた具体的な事情によっては,ソ連軍の参戦以後の引揚困難事由の影響の下において,本邦へ引き揚げることには困難があって引き続き中国の地域に居住することを余儀なくされたという場合もあったことから,これを,同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして,事案に応じて保護を与えるものとしたと解することが相当である。このように解することは,法13条1項の委任を受けて定められた規則13条の2の文言が,中国の地域において「その生まれた 情にあるものとして,事案に応じて保護を与えるものとしたと解することが相当である。このように解することは,法13条1項の委任を受けて定められた規則13条の2の文言が,中国の地域において「その生まれた日以後(中略)中国の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ」「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人 等に準ずる事情があるもの」と定められていることと整合的である。 オこれに対し,被告は,法13条1項が「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」と規定した趣旨は,大多数の引揚者が本邦に引き揚げた昭和21年中にはソ連軍参戦による混乱等の直接の影響が収束に向かったと考えられることから,その前後において区別することとしたものである旨主張する。 しかしながら,法13条1項は,「昭和21年12月31日以前に生まれたもの」と一定の日を規定するのみであって,ソ連軍参戦による混乱等の直接の影響との関係は何ら明示されていないことからすると,被告の上記主張のように解さなければならない理由はなく,上記エで判示したとおり,同日までの間には中国の地域に居住していた者の大部分が引き揚げるに至っていたところ,中国残留邦人等のうち,同日以前に生まれたが引き揚げるに至らなかった者については,それがソ連軍が参戦したことにより生じた混乱の直接の影響又はソ連軍の参戦以後の引揚困難事由の影響によることが強く推定されるため,一律に特別の保護を与えることが適切であるとの考え方によるものと解することも十分可能であり,むしろ,このような解釈のほうが,「中国残留邦人等」に関する上記イの解釈と整合するものであることは明らかである。 また,被告は,平成21年5月に改正した事務処理方針に基づき,昭和24年12月31日までに出生した者については, が,「中国残留邦人等」に関する上記イの解釈と整合するものであることは明らかである。 また,被告は,平成21年5月に改正した事務処理方針に基づき,昭和24年12月31日までに出生した者については,一律に規則13条の2に該当するものと取り扱っているところ,ソ連軍は,中国東北部から昭和21年4月に撤退し,その後は中国の内戦が集団引揚げを阻害する原因となり,昭和23年8月に前期集団引揚げが終了したこと(上記イ)に照らすと,昭和22年1月1日から昭和24年12月31日までの期間における引揚げの困難さを,昭和20年8月にソ連軍が参戦したことによる直接の影響として生じた混乱のみに帰するとすることには無理があることは 否めない(もっとも,事務処理方針による上記の取扱いは,結論において不合理なものとまではいえない場合も多いものと推測される。)。 さらに,被告は,その事務処理方針に基づき,昭和25年以降に出生した者のうち,残留を余儀なくされた間に肉親と離別する等の理由により,相当程度長期間にわたり日本人としての生活を失った者に著しく該当すると認められる者(幼少時に肉親と離別した者)については,本来的には規則13条の2には該当しないものの,例外としてその該当性を認める取扱いを行っていると主張するところ,このような主張は,ソ連軍が参戦したことによる直接の影響として生じた混乱等とは関係がない場合にも,規則13条の2には該当することがある場合があることを認めるものであり,被告の立場は一貫しないといわざるを得ない。 したがって,被告の上記主張は採用することができない。 カ小括以上のとおりであるから,厚生労働大臣は,「昭和22年1月1日以後に生まれた者が,その生まれた日以後中国の地域(中略)においてその者の置かれていた事情にかんがみ,(中 ができない。 カ小括以上のとおりであるから,厚生労働大臣は,「昭和22年1月1日以後に生まれた者が,その生まれた日以後中国の地域(中略)においてその者の置かれていた事情にかんがみ,(中略)昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にある」か否か(規則13条の2)の判断に当たり,ソ連軍が参戦したことにより生じた混乱の影響の有無のみを検討すれば足りるということはできず,ソ連軍の参戦以後の引揚困難事由の影響の下において,本邦へ引き揚げることに困難があり,引き続き中国の地域に居住することを余儀なくされたという事情の有無についても,「その者の置かれていた事情」の一つとして検討すべきものと解される。 2 争点2(原告が本件要件に該当するか否か。)について(1) 認定事実上記前提事実,争いのない事実,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨によれ ば,原告に関する事情として,以下の事実が認められる。 ア Aは,明治28年▲月に愛知県 ○ 市で出生し,高等専門学校を卒業した後,1914年6月に朝鮮漢城に渡り,大正4年8月から大正8年8月までの間,朝鮮漢城において,牛畜飼育管理業務に従事し,同年10月から昭和11年10月までの間,朝鮮黄海道延白郡γ金山や平安北道宣川郡δ金山等において鉱山技師としての業務や採鉱技術業務,錬金技術業務等に従事した。 そして,Aは,昭和11年10月から昭和20年8月までの間,遼寧省ε鎮砂金鉱山や吉林省延吉県ζ銅鉛鉱山等において鉱山技師としての業務や鉱山調査業務等に従事し,終戦を迎えた。 この間,Aは,昭和7年頃にBと事実上の婚姻をし,同人との間で,昭和8年 ▲月に第1子としてC(昭和22年 ▲月に肺結核により死亡した。)を,昭和11年▲ 業務等に従事し,終戦を迎えた。 この間,Aは,昭和7年頃にBと事実上の婚姻をし,同人との間で,昭和8年 ▲月に第1子としてC(昭和22年 ▲月に肺結核により死亡した。)を,昭和11年▲月に第2子としてDを,昭和16年▲月に第3子としてEを,昭和18年 ▲ 月に第4子としてF(昭和20年に死亡した。)を,それぞれもうけた。(以上につき,甲2の4,甲9,10の1,2,乙2・18枚目から23枚目まで)イ Aは,昭和20年8月,終戦により職を失い,戦後の混乱を避けるため,吉林省延吉県ζ銅鉛鉱山を離れ,η鎮に避難した。 そして,Aは,昭和21年3月,家からトラックで連れて行かれ,政府に留用され,鉱山復興のため,鉱山技師として業務に従事することとなり,同月から昭和22年6月までの間,吉林省延吉市吉林省政府工鉱科において,鉱山技師として業務に従事したが,同月から同年11月までの間,腸チフスにより在宅療養した。Aは,その後,昭和22年11月から昭和23年12月までの間,吉林省汪清県K造紙广(K製紙工場)において採鉱技師として業務に従事し,同月から昭和28年9月までの間,遼寧省本溪市α硫鉄鉱において,採鉱技師として業務に従事し,同月から昭和32年 6月までの間,廣東省英徳県英徳硫鉄鉱において,副技師長として開鉱建設業務に従事し,同月から,吉林省磐石県β石灰石鉱において,副技師長として業務に従事した。しかし,Aは,文化大革命により,約1年9か月の間,収容所に収容され,「日本軍国主義分子」と書かれた看板を首から提げられ,街中を引き回されたり,強制労働をさせられたりした後,文化大革命が終結する頃に,収容所から釈放されたが,昭和51年▲月,胃穿孔,腹膜炎により死亡した。 この間,Aは,昭和22年▲月にはBと 中を引き回されたり,強制労働をさせられたりした後,文化大革命が終結する頃に,収容所から釈放されたが,昭和51年▲月,胃穿孔,腹膜炎により死亡した。 この間,Aは,昭和22年▲月にはBと婚姻し,同人との間で,昭和23年▲月に第5子(四女)としてGを,昭和26年▲月に第6子(五女)として原告を,それぞれもうけた。(以上につき,甲2の4,甲9,10の1,2,乙2・18枚目から23枚目まで)ウ Aは,毎年元旦には,料理をCの遺骨に供えるとともに,日本に居住する父母及び兄弟の無事を祈り,Aが家族と帰国することができたときには,元気な姿で会えるようにと祈っており,Cの遺骨は日本に持って帰って埋葬すると物心ついた原告に話していた。 また,Aは,原告が小学生の頃,「小日本鬼子」と呼ばれていじめられ,泣きながら家に帰ると,「けんかしちゃいかん。勉強で勝負しなさい。」,「私たちは日本人だ。いずれ必ず日本に帰る。でも,今はしばらく帰れないから我慢しながらよく勉強しなさい。」と原告に言っていた。 Aは,上記のとおり,文化大革命の終結する頃に,収容所から釈放された後,自分の身体が日本までの長旅に耐えられるほどに回復したら,すぐに日本に帰ろうと家族に話しており,G及び原告には,中国で結婚したら夫との関係で日本への帰国が困難になるから,結婚しないで待っていてくれと話していた。しかし,Aは,持病の胃潰瘍をこじらせ,入院し,上記のとおり昭和51年▲月に死亡したが,入院中,「今度は,多分,助からない。みんなを連れて帰国することはできない。もし,私が死んだら,遺 骨を日本の故郷の先祖の墓に持っていってほしい。そして,母と妹たちをよろしく頼む。」とE夫婦に話していた。 なお,Aは,留用後,上記のとおり,鉱山があ い。もし,私が死んだら,遺 骨を日本の故郷の先祖の墓に持っていってほしい。そして,母と妹たちをよろしく頼む。」とE夫婦に話していた。 なお,Aは,留用後,上記のとおり,鉱山がある場所に転勤を命令されたが,鉱山があるのは辺ぴな場所であったり,鉱脈探査のため,無人の深山に泊まり掛けとなることが多く,時には何か月間も野外テントに泊まるなど,他の日本人との連絡が取りにくく,帰国するための情報を入手しにくい状況にあり,鉱山の保安課及び県の公安局に監視されていた。また,特に,昭和25年からは,朝鮮戦争が始まり,食糧難に陥るなど,生活は貧しく,帰国するための費用もなかった。(以上につき甲9,乙2・18枚目から23枚目まで,証人E,原告本人)エ原告は,上記のとおり小学校においていじめられたり,中学校において日本人という理由で差別を受けたりした上,同学年の中国人の子弟が申込みにより書類選考を受けて大学や専門学校に進学していく中で,どの学校からも音沙汰がなく,市の教育部門に2度にわたり請願をしたり,手紙を書いたりしたところ,衛生医療専門学校への入学を許可され,同校に進学し,後に「医士」の資格を得た。そして,原告は,日中国交正常化の後の昭和49年,吉林省吉林市において,「医士」として働くことができるようになった。 原告は,Aの死亡後,日本に帰国することを強く望んでいたAの遺志を継ぎ,日本に帰国したい,Aの遺骨を日本で埋葬したいという思いから,吉林省吉林市において,公安局が主催していた残留邦人のための交流会に出席し,帰国するために必要な手続を知ったり,原告の従兄で愛媛県大洲市に居住するNと連絡を取ったりした。 そして,E家族が,昭和54年12月25日,Nを保証人として,A及びCの遺骨と共に帰国し,その するために必要な手続を知ったり,原告の従兄で愛媛県大洲市に居住するNと連絡を取ったりした。 そして,E家族が,昭和54年12月25日,Nを保証人として,A及びCの遺骨と共に帰国し,その後,2人の遺骨を先祖の墓に埋葬し,原告家族及びG家族が,昭和61年に,Eを保証人として,それぞれ帰国した。 (以上につき甲2の4,甲9,乙1,2・18枚目から23枚目まで,証人E,原告本人)オ Gは,厚生労働大臣に対し,法13条3項に基づく一時金の支給を申請し,厚生労働大臣は,Gに対し,平成20年9月29日,一時金を支給する旨の決定をした(甲1)。 (2) 検討上記1の認定事実のとおり,①終戦後相次いで中国東北部(旧満州)地域に進駐した国民政府軍及びL党軍は,共にその戦力の強化を図るため,多数の日本人を留用したこと(上記1ウ),②留用された者は,昭和26年後半からは順次留用を解除されていったが,後期集団引揚げによる昭和28年の引揚者や昭和33年の引揚者にも中国の軍や政府に留用された者がいたこと(同ウ,オ)が認められる。 そして,上記の認定事実のとおり,③Aは,戦前,鉱山技師としての業務に従事し,終戦を迎え,戦後の昭和21年3月から,政府に留用され,吉林省延吉市や,吉林省汪清県,遼寧省本溪市,廣東省英徳県,吉林省磐石県において,鉱山技師としての業務に従事し,留用を解かれることなく,文化大革命により,収容所に収容され,文化大革命が終結する頃に,収容所から釈放されたが,昭和51年▲月に死亡したこと(上記イ),④この間,Aは,日本に帰国することを強く望んでいたが,政府に留用されており,また,帰国するための費用もなかったことなどから,帰国することができなかったこと(同ウ),⑤原告は,Aが昭和21年3月に政府に鉱 ,Aは,日本に帰国することを強く望んでいたが,政府に留用されており,また,帰国するための費用もなかったことなどから,帰国することができなかったこと(同ウ),⑤原告は,Aが昭和21年3月に政府に鉱山技師として留用された後の昭和26年▲月にAの五女として出生し,Aに養育されていたこと(同ウ)が認められる。 以上で摘示したような原告が置かれていた事情,すなわち,中国残留邦人等の中には,国民政府軍及びL党軍により留用された者がおり,留用された者の中には,昭和26年以降も引き続き中国の地域に居住することを余儀な くされた者がいたこと,原告の父親であるAは昭和21年3月から留用され,帰国の意思があったにもかかわらずそれが叶わないまま死亡したこと,原告はAに養育されていたという事情に加え,既に一時金を支給する旨の決定を受けている原告の姉が,中国の地域において居住していた当時は原告と同様の生活状況にあったことがうかがわれるという事情にも鑑みると,原告が本邦に引き揚げることなく引き続き中国の地域に居住していたのは,ソ連軍の参戦以後の引揚困難事由の影響の下において,本邦へ引き揚げることに困難があり,引き続き中国の地域に居住することを余儀なくされたという事情に基づくものであると認めることが相当であるから,原告については,昭和21年12月31日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情があるというべきである。 これに対し,被告は,原告の父親について生じた事由は,原告自身について生じた事情ではないから,原告が特定中国残留邦人等に該当することを基礎付ける事情に当たらない旨主張する。しかしながら,既に判示した法13条1項の趣旨及び規則13条の2が「その者」の「置かれていた事情」を考慮すべき旨規定していることに照らせば,原告を養育してい を基礎付ける事情に当たらない旨主張する。しかしながら,既に判示した法13条1項の趣旨及び規則13条の2が「その者」の「置かれていた事情」を考慮すべき旨規定していることに照らせば,原告を養育していた父親についての事由が,考慮すべき事情に当たらないと解すべき理由はないといわざるを得ない。したがって,被告の上記主張は採用することができない。 3 本件決定の適否以上のとおり,原告については,本件要件に該当すると解すべきであり,また,特定中国残留邦人等の他の要件(前記第2の3参照)にも該当するから,法13条に定める「特定中国残留邦人等」とは認められないとしてされた本件決定は,違法なものであり,取消しを免れない。 4 結論よって,原告の請求は理由があるから認容することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決 する。 東京地方裁判所民事第38部 裁判長裁判官谷口豊 裁判官竹林俊憲 裁判官貝阿彌亮は,転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官谷口豊
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