- 1 -令和6年8月22日高松高等裁判所第1部判決令和6年(う)第5号殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 主文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中190日を原判決の刑に算入する。 理由 第1 本件事案の概要及び本件控訴の趣意(以下、略称は原判決の表記に従う。)原判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、被告人は、妄想型統合失調症の精神障害の影響によって、元同僚であるAや同人が所属する「組織」 (以下、被告人の述べるところの組織を「組織」という。)から電磁波攻撃や盗聴等をされるなどの強固な被害妄想を抱くようになり、⑴令和3年10月13日午後5時46分頃、B方玄関先において、殺意をもって、応対したAの父C(当時80歳)の胸部等を持っていたナイフ(刃体の長さ約12.7センチメートル)で多数回突き刺すなどして失血により死亡させて殺害し(原判示第1)、⑵同日午後5時46分頃、B方において、殺意をもって、Aの母D(当時80歳)の胸部等を前記ナイフで多数回突き刺すなどして失血により死亡させて殺害し(原判示第2)、⑶同日午後5時46分頃、B方において、殺意をもって、A(当時51歳)の胸部等を前記ナイフで多数回突き刺し、頸部を切るなどして失血により死亡させて殺害し(原判示第3)、⑷この頃、前記ナイフ1本を携帯し(原判示第4)、⑸なお、被告人は、本件各犯行当時、妄想型統合失調症の影響のため心神耗弱の状態にあった、というものである。 本件控訴の趣意は、訴訟手続の法令違反、事実誤認、量刑不当の主張である。 第2 訴訟手続の法令違反の主張について論旨は、「組織」からの電磁波攻撃等の存在を立証するためのインターネットサイトの運営団体や愛媛県警察に 訟手続の法令違反、事実誤認、量刑不当の主張である。 第2 訴訟手続の法令違反の主張について論旨は、「組織」からの電磁波攻撃等の存在を立証するためのインターネットサイトの運営団体や愛媛県警察に対する照会請求(原審弁1、3、4号証)、被告人の精神障害の有無等に関する精神鑑定請求(原審弁2号証)、盗聴等の被害を立証するための被告人が使用する携帯電話機の検証請求(原審弁5、6号証)、各種書証及びこ- 2 -れに代わる証人請求(原審弁7ないし87号証)並びに被告人の元妻の供述調書(原審弁89号証)の各証拠請求をいずれも却下した原判断には、証拠の必要性の判断を誤った違法及び被告人の公平で適切な刑事裁判を受ける権利を害する憲法31条、32条、37条1項違反という判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というものである。 しかしながら、各種書証等(原審弁7ないし87号証)の証拠請求については、検察官の同意がなく、又は、必要性、関連性がないとの証拠意見が出されて、伝聞例外等の請求もなくいずれも撤回され、検察官の同意部分のあった元妻の供述調書(原審弁89号証)も他に伝聞例外等の請求もなかった不同意部分と併せて全体として撤回されているのであるから、これらを採用しなかった原審の手続に違法はない。精神鑑定請求については、起訴前に精神鑑定をしたE医師の鑑定書(原審甲67号証)が不同意とされており、E医師の証人尋問が予定されていたところ、鑑定資料に不足があると指摘する弁護人の主張及びこれに対する、E医師は関連する資料の提供を受けたり、被告人の元妻の事情聴取をするなどしたという検察官提出の意見書を踏まえて、鑑定資料の不足は認められず、再度の精神鑑定を実施する必要がないとして、その精神鑑定請求を却下した原判断が裁量の範囲を逸脱したものと 元妻の事情聴取をするなどしたという検察官提出の意見書を踏まえて、鑑定資料の不足は認められず、再度の精神鑑定を実施する必要がないとして、その精神鑑定請求を却下した原判断が裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。携帯電話機の検証請求については、これらを取り調べなくともE医師の証言の信用性を判断し得るものとしてその請求を却下した原判断が裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。以上のとおり、所論指摘の原判断にはいずれも違法がない。 訴訟手続の法令違反の論旨は理由がない。 第3 事実誤認の主張について 1 論旨論旨は、原判決が①責任能力判断に当たり、被告人が妄想型統合失調症に罹患していることを前提としたこと、②被告人には心神喪失の疑いが残るのに心神耗弱の状態にあると認定したことには判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があ- 3 -る、というものである。 2 原裁判所の判断原判決は、要旨以下のとおり説示して、被告人が妄想型統合失調症に罹患しており、本件各犯行当時、心神耗弱の状態にあったと認めた。 ⑴ 本件各犯行時の被告人の状態につき、弁護人は心神喪失を主張し、検察官は心神耗弱を主張する。 ⑵ 起訴前に被告人の精神鑑定を実施したE医師は、被告人は本件各犯行当時、妄想型統合失調症に罹患しており、これによる被害妄想が本件各犯行の動機形成過程に強く影響している旨証言する。E医師は、豊富な臨床経験及び鑑定経験を有し、その専門性や公正さに疑いはなく、鑑定の前提条件にも問題は見当たらない。被告人本人からの反対尋問に対しても丁寧かつ誠実に証言している。被告人は、E医師の診断は誤診であると強く主張するものの、E医師の証言は十分信用することができる。 ⑶ 被告人が本件各犯行に及んだ動機は、Aや同人が所属する「組織」から狙 誠実に証言している。被告人は、E医師の診断は誤診であると強く主張するものの、E医師の証言は十分信用することができる。 ⑶ 被告人が本件各犯行に及んだ動機は、Aや同人が所属する「組織」から狙われ、電磁波攻撃や、盗撮、盗聴等をされるなどの強固な被害妄想を抱くようになり、同人に対する恨みを募らせていき、その中で、車上生活を余儀なくされ、仕事がなく、所持金も残り僅かとなり、B方に向かったところ、Aがいるのを偶然発見したことから、これまでの恨みを晴らせるのは今しかないなどと考え、同人の殺害を決意した。このような被害妄想がなければ被告人が本件各犯行に及ぶことはなかったから、前記被害妄想は本件各犯行に強い影響を与えていたといえる。 他方で、被告人は、数年前からAの殺害を考えるようになったが、その都度思いとどまっていたこと、本件当日もB方でCを包丁で刺すなどしたがうまく刺さらなかったため、自車に戻りナイフを持ち出して再びB方に赴いて本件各犯行に及んでいるが、自車に戻った際や再びB方に赴いた際などに自身や自身の子供らの人生への影響を考えて殺人をためらっていたこと、被告人は、当時置かれていた状況や元々の性格もあいまって最終的に本件各犯行を決意したことが認められる。 - 4 -以上のことからすれば、被告人は、本件各犯行の際、自らの行為の意味を理解して、それに基づいて行為を選択する能力が著しく低下していたとはいえ、その能力を完全に失ってはいなかったのであり、心神喪失であった疑いは残らない。 ⑷ これに対し弁護人は、①被告人が、本件当日、殺人をためらっていた事実は被告人供述しか証拠がないから認められない、②被告人がDまで殺害したのは自らの行為を制御することが期待できるほどの正常心理が残っていなかったことを示している、③被告人の、A殺害後の自 っていた事実は被告人供述しか証拠がないから認められない、②被告人がDまで殺害したのは自らの行為を制御することが期待できるほどの正常心理が残っていなかったことを示している、③被告人の、A殺害後の自殺の予定と、「組織」の存在を公にするという動機は明らかに矛盾しており、正常心理ではなかったことの表れであるなどと主張する。 しかし、①について、少なくとも被告人がCを包丁で刺してから本件各犯行に及ぶまでの間が約5分間空いていることは客観的証拠による裏付けがあり、また、被告人があえて嘘をついているとは考えられず、殺人をためらう気持ちを勘違いや記憶違いするとも考えにくいから、被告人が殺人をためらっていた事実は認められる。 ②について、本件各犯行は一度の機会に衝動的に行われたものであり、2名の殺人に及んだ極限状態においてその場の勢いで残る1名の殺害に及ぶことは正常心理からも十分説明できる。③について、「組織」の存在を公にするとの被告人の動機は、被告人が事件後に、本件各犯行の動機について考えを深めていくうちに、他の情報も相まって整理された可能性が相応にあるし、本件各犯行前に自殺しようと考えていたとしてもどの程度現実的なものだったかは判然としない。このような事情によって、本件各犯行当時、被告人が正常な心理状態でなかったとみることはできない。 よって、弁護人の前記主張はいずれも採用できない。 3 当裁判所の判断原判決の上記説示は、論理則、経験則等に照らして不合理な点はなく、当裁判所も是認することができる。 所論は、被告人に対する電磁波攻撃、盗聴、盗撮、集団ストーカー等が事実であり、被告人は長年にわたるその被害が甚大であったことから精神的肉体的に追い詰- 5 -められ、心神耗弱又は心神喪失状態に陥り、本件各犯行に及ばざるを得なかったもの 撮、集団ストーカー等が事実であり、被告人は長年にわたるその被害が甚大であったことから精神的肉体的に追い詰- 5 -められ、心神耗弱又は心神喪失状態に陥り、本件各犯行に及ばざるを得なかったものであって、E医師は、見るべき資料を確認せずに被告人の訴えを「妄想」であるとする誤った診断をした、などという。 しかしながら、E医師が、精神鑑定にあたり、被告人と全部で9日、合計約21時間面接を行い、被告人の元妻から被告人の生活状態や病気だと思われる症状等について聞き、心理検査、脳波や頭部のMRI検査や血液検査をし、鑑定留置先施設から入手した被告人の精神状態に関する回答及び検察庁から提供された一件記録を参照していることなどからすると、同医師は、所論の指摘する被告人の訴えの主な内容も把握した上で鑑定をしており、被告人が求めるような細かな資料や出来事の訴えまで把握しないと精神鑑定ができないなどとは述べていないから、鑑定資料を含めて鑑定の前提条件に問題ないなどとした上で、被告人が妄想型統合失調症に罹患しているとする同医師の証言を信用できるとして責任能力判断の前提とした原判断に誤りはない。所論は採用できない。 なお、所論に関係して、弁護人は、盗聴や遠隔操作できるようなアプリ等のインストールの有無を鑑定事項として、あらためて、当審における被告人所有にかかる携帯電話機2台の鑑定請求(当審弁2、3号証)をしているが、仮に被告人所有にかかる携帯電話機から事後的に何らかのその種アプリが発見されたとしても、被告人が犯行時点で客観的な事情の認識もないのに盗聴等を確信していたことは変わらない以上、鑑定の結果がどうであろうと同医師の判断を左右するとは考えられず、当裁判所は、両鑑定請求はその必要性がないと判断してこれらを却下したものである。 所論は、被告人が妄想 いたことは変わらない以上、鑑定の結果がどうであろうと同医師の判断を左右するとは考えられず、当裁判所は、両鑑定請求はその必要性がないと判断してこれらを却下したものである。 所論は、被告人が妄想型統合失調症に罹患していることを前提としても、①Aがいるのを見て、犯行に及ぶことを決めた上、そこからAのみならずC及びDの2名をも殺害したのは精神障害の影響が強く、正常心理として理解しがたい、②購入時期がかなり前の、安物の包丁を持っていたのは殺意を抱く者の行動として不自然である、③包丁やナイフを隠すように持ったのは、関係ない人に怖い思いをさせない- 6 -ためであり、殺害が実行できなくなるからと思ったからではないとの被告人の説明も理解しがたい、④犯行動機に照らせば、3名の者に対し、複数回にわたってナイフや包丁を刺したという行為自体不自然である、⑤警察官が臨場した際、素直に凶器を手放さず、ナイフを構えるそぶりをしているのは、冷静ではなく精神障害の影響がうかがえる、⑥臨場した警察官との話では、ほぼ無言状態である上、警察官に電磁波攻撃の話をしており、精神障害の強い影響があったことがうかがわれる、⑦犯行に及ぶにあたって飲酒していたことがうかがわれるのに、その点が考慮されていない、⑧被告人は元妻に対して事件を起こしているが理由のあるものであってそれ以上に暴力行為を起こすような人物ではなく、発病前には3人もの人間を殺すとは考えられないのであって、発病の前後で被告人の人格に大きな変わりはないというE医師の判断は極めて不合理である、という。 しかしながら、①については、殺害対象を発見することで決意を固めることは十分にあり得る上、殺害の邪魔になったり、周囲にいる者をその場の勢いで殺害することは、正常心理を前提としてもあり得ないこととはいえない。②及び③の ついては、殺害対象を発見することで決意を固めることは十分にあり得る上、殺害の邪魔になったり、周囲にいる者をその場の勢いで殺害することは、正常心理を前提としてもあり得ないこととはいえない。②及び③の点も正常心理を疑わせるほど不自然とはいえず、⑤の点も通常の殺人犯を想定しても起こり得ることであって、原判断を揺るがすような事情とはいえない。④については、被害妄想に基づいて強い殺意を有していた被告人が殺害行為の実行に伴って生じた興奮状態から、あるいは殺害の目的を遂げようという意図から、各被害者に対し、多数回の刺突行為に及んだとしても不自然とまではいえず、犯行態様が原判断を揺るがすほど不自然であるとはいえない。⑥については、精神障害の強い影響があることを示す事情であることは所論の指摘するとおりであるが、これのみをもって責任能力について心神喪失であるといえるものではなく、各事情を総合的に考慮した原判断を大きく左右するまでの事情とはいえない。⑦については、被告人は本件各犯行前に飲酒していたとうかがわれるものの、犯行現場に臨場した警察官は被告人の様子につき飲酒の兆候を感じておらず(Fの原審公判供述)、本件各犯行から約6時間半後の飲酒検知で被告人の呼気からアルコールが検出されず(原審甲95号証)、- 7 -被告人も、原審公判廷において、飲酒によって勢いづくことはあったと思うが犯行の原因ではない旨供述していることに照らすと、上記精神鑑定が所論指摘の事情を検討していないことはその信用性を左右するものとはいえない。⑧については、所論は被告人の人格が大きく変化しなければ本件各犯行には至らないことを前提としているが、そのような前提は経験則上採用しがたく、E医師の証言等を踏まえて被告人が最終的に本件各犯行を決意したことには元々の性格もあいまっていたとみた原判 ければ本件各犯行には至らないことを前提としているが、そのような前提は経験則上採用しがたく、E医師の証言等を踏まえて被告人が最終的に本件各犯行を決意したことには元々の性格もあいまっていたとみた原判断が不合理とはいえない。所論はその他るる主張して、心神喪失を認めなかった原判断を争うが、前記第3の2のとおり説示して心神喪失の疑いは残らないとした原判断が誤っているとはいえない。所論は採用できない。 事実誤認の論旨は理由がない。 第4 量刑不当の主張について論旨は、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であるというものである。 そこで、原審記録を調査して検討すると、原判決が(量刑の理由)の項において説示する量刑事情の認定及び評価は相当であり、その結論も妥当である。 所論は、長年にわたり電磁波攻撃等を受けていたと考え、実際にかなり辛い苦痛を感じていた中、被害を免れるために本件犯行に及ばざるをえなかったという事情を原判決は過小評価している、という。 しかしながら、被告人は、電磁波攻撃等についていろいろなことをしたが万策尽きたなどと述べてはいるものの、他方で、本件各犯行前頃、特に電磁波攻撃が強いとは感じておらず、また、Aを殺害しても攻撃がなくなるとは思っていなかったなどと述べており、被害を免れるためにやむなくAを殺害したという切迫した精神状態に陥っていたわけではなく、本件各犯行時の精神状態が心神耗弱にとどまると認められることなどに照らすと、被告人が殺害以外の選択肢も取り得たとした原判断に誤りはない。そして、本件が何の落ち度もない3名の命が奪われた極めて重大な結果の事案であり、被告人の被害妄想を前提としてもDまで殺害する理由はなく、- 8 -生命軽視の度合いが甚だしいことなど、被告人の刑事責任が極めて重大であることに照らす 命が奪われた極めて重大な結果の事案であり、被告人の被害妄想を前提としてもDまで殺害する理由はなく、- 8 -生命軽視の度合いが甚だしいことなど、被告人の刑事責任が極めて重大であることに照らすと、精神障害の影響を踏まえても本件各犯行に及んだ被告人の意思決定は厳しく非難されるべきであるとし、責任能力の点を除けば本来極刑をもって臨む事案であるとしつつ、心神耗弱を理由として無期懲役への減軽にとどめた原判断が心神耗弱の影響を過小評価したものとはいえない。所論は採用できない。 量刑不当の論旨は理由がない。 第5 結論よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を、当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。 令和6年8月22日高松高等裁判所第1部 裁判長裁判官佐藤正信 裁判官田中良武 裁判官荒井智也
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