主文 本件控訴を棄却する。 理由 本件控訴の趣意は,主任弁護人青木貴央及び弁護人板根富規連名作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから,これを引用する。論旨は,要するに,原判決の事実誤認を主張するものであり,被告人には,その飼育する中型雑種犬Aが被害者に襲いかかり咬みついたことについて,結果の予見可能性及び回避可能性がなかったから,過失はなく,被告人は無罪である,というのである。 そこで,検討すると,原判決の(罪となるべき事実)の認定事実及び(弁護人の主張に対する判断)の説示は,当裁判所も概ね相当なものとしてこれを是認することができるから,原判決に所論のいう事実誤認はない。所論にかんがみ付言する。 第1 予見可能性について所論は,要するに,過失犯における予見可能性は,当該事件の具体的状況に即して検討すべきであるのに,原判決は,抽象的にAが被害者に咬みつく可能性があったか否かのみを検討し,特に加害前歴を重視して,これを肯定しているのは不当である。本件においては,(ア)Aは,散歩中に人に咬みついたことはない,(イ)被告人は,散歩中のAを制御することが不可能になった経験がない,(ウ)被告人は,身長約157センチメートル,体重約72キログラム,右利きで握力が約30キログラムあり,平均的な女性と同程度以上の腕力を有しているのに対し,Aは体長約65センチメートル,体重約12キログラムであって,体格差がある,(エ)被告人は,ロープの輪に右手をかけ,ロープを掌に2重に巻いて持ち,Aの首輪まで約90センチメートル弱の状態にして,両足をやや開いて立っていた,(オ)被告人は,被害者と約3.2メートル離れていたことを前提に検討すると,一般人において,Aが被害者に咬み 巻いて持ち,Aの首輪まで約90センチメートル弱の状態にして,両足をやや開いて立っていた,(オ)被告人は,被害者と約3.2メートル離れていたことを前提に検討すると,一般人において,Aが被害者に咬みつくことを予見することは不可能であった,というのである。 1 まず,被告人のAの飼育状況,Aの加害前歴,本件直前の状況,被告人及びAの体格等については,原判決が(弁護人の主張に対する判断)の1(1)ないし(4)に認定したとおりである(なお,被告人と被害者との距離について,約2メートルであったのか,約3. 2メートルであったのかについて争いがあるが,被告人はAを繋いでいたロープの持ち手に右手を入れた上,ロープを2重巻きにして右手片手で持っていたから,Aは,半径90センチメートル弱の範囲内で被告人の周囲を自由に動き回ることが可能であったところ,首輪からAの頭部までの長さや被告人の腕の長さ,被告人がAの力で約1.5メートル引きずられて,Aが被害者の右足首に咬みついたことなどを考慮すれば,原判決が指摘するとおり,被告人と被害者との距離が3.2メートル程度離れていたとしても,過失を論じる前提事実として,有意の差があるとはいえない。)。 2 そして,犬は,中型犬であっても,その性質上,警戒心から突然,加害行為に出ることがあるところ,被告人方の敷地内であるとはいえ,Aには人に咬みついた加害前歴が2回あること,Aは被害者の飼い犬と日頃から相性がよくなく,散歩等ですれ違うとお互いに吠えること,被告人もそのことを認識していたこと,被告人は,本件以前にも,Aの散歩の際に片手でロープを持っていた際,不意に二,三歩引っ張られたことがあったこと,本件当時,被告人は,右手片手でロープを持っていたこと,被害者との距離は約2メートルであり,更に離れていたとしても3.2メートル程 でロープを持っていた際,不意に二,三歩引っ張られたことがあったこと,本件当時,被告人は,右手片手でロープを持っていたこと,被害者との距離は約2メートルであり,更に離れていたとしても3.2メートル程度であって,向かい合う状態で月極駐車場の駐車位置について立ち話をしていたこと,被害者は,立ち止まっていた状態から右前方に一歩足を踏み出したこと,次の瞬間,Aが猛スピードで被害者に襲いかかったこと,被告人は約1.5メートル引きずられたこと,他方,被害者がAをけしかけたような事情はないことが認められる。 本件のこのような具体的状況のもとにおいて,一般人を基準にして検討すると,犬の飼い主としては,当該犬の性格や加害前歴,相手方との関係,距離などを考慮して,飼い犬が被害者に襲いかかり咬みつくことがあるかもしれないと予見することは十分可能であり,その結果を未然に防止するための措置を講じる義務があったというべきである。 3 被告人は,捜査段階において,「Bさんの飼い犬とAの相性が悪い事は,十分承知しておりましたが,その時Bさんは犬を連れておらず,Aもまったく吠えることなく,おとなしかったため,私自身油断していたことは間違いありません」「私は,油断をしていたため,突然のAの行動に1メートル余り引っ張られ,どうすることもできませんでした。」とか,「Aは,過去に2回も人に咬みついているわけですから,私としては,散歩をさせる時,Aの首輪に付けているロープをしっかり持ってAの行動をよく注意し,人が近くにいる時は,ロープを強く引っ張る等して,行動を抑制しなければならない事はよくわかっておりました。」と供述している。その内容は,本件の具体的状況において,一般的な犬の飼い主に要求される注意義務及び被告人が中型犬であるAの行動を制御できなかった理由について,自然で合理 はよくわかっておりました。」と供述している。その内容は,本件の具体的状況において,一般的な犬の飼い主に要求される注意義務及び被告人が中型犬であるAの行動を制御できなかった理由について,自然で合理的なものであるから,その信用性は十分であり,上記の認定判断を裏付けるものといえる。これに反する原審公判廷の被告人の供述は信用することができない。 4 以上によれば,原判決は,具体的状況に基づいて,本件結果の予見可能性を検討した上,これを肯定したものであり,所論が指摘する(ア)ないし(オ)の事情を考慮してみても,原判決の認定及び判断を左右するものではない。所論は理由がない。 第2 結果回避可能性について所論は,要するに,原判決は,飼い犬のロープを短くして両手で持ち,相手方との距離を十分に保つ,飼い犬のロープを近くの電柱等の定着物に結び付ける,犬に口枷をするなどの方法により結果回避のための措置を取ることができたから,結果回避可能性があったと判断しているが,被告人は,上記第1の(エ) 及び(オ)のとおり,少なくとも被害者と約2メートルの距離を置いて,Aを繋いだロープを掌に二重に巻き付けて保持し,足をやや開いた体勢を取っていたから,一般の飼い主に要求される結果回避措置を講じていたというべきであり,本件結果の発生は不可避であった,というのである。 しかしながら,被告人とAには,所論が指摘するとおりの体格差があり,被告人が右手片手ではなく,両手でロープをしっかり持ち,あるいは左手をロープの首輪に近い部位に添えて被害者との距離を保持するなどの方法によりAの行動を制御して,被害者に襲いかかり咬みつくことを防止することは容易であり,かつ,十分可能であった。それにもかかわらず,被告人は,上記のとおり油断して,被害者との間の距離を十分取ることなく,漫然と 行動を制御して,被害者に襲いかかり咬みつくことを防止することは容易であり,かつ,十分可能であった。それにもかかわらず,被告人は,上記のとおり油断して,被害者との間の距離を十分取ることなく,漫然と右手片手でロープを持っていたのであるから,結果回避義務を尽くしていたということはできない。 したがって,被告人に対し,結果の回避可能性を肯定し,被告人が結果回避義務を尽くしていなかったと認定し判断した原判決は相当である。所論は採用することができない。 論旨は理由がない。 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。 平成15年12月18日広島高等裁判所第一部裁判長裁判官久保眞人裁判官芦高源 裁判官島田一
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