令和4(わ)1850 傷害致死

裁判年月日・裁判所
令和7年2月14日 名古屋地方裁判所
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判決文本文20,492 文字)

- 1 - 主文 被告人を懲役9年6月に処する。 未決勾留日数中550日をその刑に算入する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は、平成27年2月当時、内装工事等を業とする有限会社A(以下「A社」という。)の代表者取締役を務め、B(以下「被害者」という。)、C、D及びEは、いずれもA社で稼働していた。 被告人は、C、D及びEと共謀の上、同月6日頃、津市内又はその周辺において、被害者(当時26歳)に対し、被告人がその胸部付近を殴り、足を複数回蹴るなどして転倒させた上、Cが仰向けになった被害者の胸腹部を足で複数回にわたり踏み付け、Dがその大腿部付近を複数回踏み付けるなどの暴行を加え、よって、被害者に肋骨多発骨折等の傷害を負わせ、同月8日頃、愛知県小牧市(住所省略)当時の被告人方(以下「本件居室」という。)において、被害者を同傷害に基づく呼吸不全等により死亡させた。 (事実認定の補足説明)第1 本件の争点等本件の争点は、被告人がC、E及びDと共謀し、その共謀に基づき、公訴事実記載の暴行を加えたと認められるか、また、同暴行により被害者が死亡したと認められるかである。裁判所は、被告人が、C、E及びDと共謀の上、被害者に判示のとおりの暴行(以下、公訴事実及びそれと同一性のある判示の暴行を「本件暴行」という。)を加え、本件暴行により被害者が死亡したと認めたから、以下、その理由について説明する。 本件では、本件暴行について、C、E及びDが出廷して証言した。もっとも、これらの各証言は、後述のとおり、暴行の日、場所及び暴行の具体的な内容について全て - 2 -異なっている。上記各証言は、本件暴行の日からほぼ10年が経過してなされたものであるから、記憶が曖昧になり、変容 、後述のとおり、暴行の日、場所及び暴行の具体的な内容について全て - 2 -異なっている。上記各証言は、本件暴行の日からほぼ10年が経過してなされたものであるから、記憶が曖昧になり、変容したりすることも当然に起こりうることである。 また、自らの刑責を免れ、又は軽く見せる見地から、真実ではない証言をしている可能性がないかについても慎重な検討を要する。他方、被告人は、本件暴行はもとより、その後の経緯についても、上記各証言と全く異なる事実を述べている。そこで、関係証拠から確実に認定できる事実を整理した上(第2)、本件暴行の有無やその内容(第3)、本件暴行により被害者が死亡したといえるか(第4)を順次検討することとする。 第2 前提となる認定事実 1 被害者の遺体の発見状況及び死因令和4年8月、青森県弘前市内の資材置き場に置かれていた鉄製の箱(以下「鉄製の箱」という。)の中から、コンクリートとともに被害者の遺体が入れられたドラム缶が発見された(甲81別添資料1ないし11、16)。司法解剖の結果、被害者の遺体には、合計15か所の肋骨骨折(肋骨多発骨折)が認められた(甲81別添資料12ないし15)。専門性があり、実務経験も豊富であることから信用できる法医学の専門家であり、上記司法解剖を行ったF医師及び救急医療の専門家であるG医師の各証言によれば、上記肋骨多発骨折は被害者の生前に生じたものであり、被害者は、上記肋骨多発骨折を負ってから24時間から48時間までの間に肋骨多発骨折に基づく呼吸不全になり、または肋骨多発骨折による衰弱に低体温症も相まって、最終的には心不全により死亡に至ったものと認められる。 2 A社における被害者に対する虐待⑴ 被害者は、平成24年6月頃から、A社で稼働するようになったが(甲82別添資料1、2)、同じくA て、最終的には心不全により死亡に至ったものと認められる。 2 A社における被害者に対する虐待⑴ 被害者は、平成24年6月頃から、A社で稼働するようになったが(甲82別添資料1、2)、同じくA社で稼働していたC、E、D及びHの証言等によれば、後述する平成27年2月(以下、日時は特に断りのない限り平成27年の出来事を差す。)津市内への出張に先立ち、次のとおり、A社内で日常的に暴力を含む虐待を受けていたものと認めることができる。 - 3 -すなわち、被害者に対しては、Cが、被害者を角材で殴りつけるなどの激しい暴力を加えることが頻繁にあり、A社に出入りしていた同業者のIもA社を訪れた際に頻繁に被害者に暴力を加えていた。Dも被害者を殴るなどの暴力を加えることがあった。被告人は、これらの暴力を容認していたほか、Dらに被害者に対して暴行を指示したり、自身もスタンガンで電撃を与えるなどの暴行を加えたりすることがあった。 また、被告人は、被害者がA社に対して多額の借金があるとして返済を約束する借用書を作成させるなどしていたほか、A社の事務所及び倉庫のある建物の一角に小部屋を設け、その外から鍵を掛けて被害者を軟禁するなどしており、十分な食事も与えていなかった。被害者は、2月頃には、体重が減り、度重なる暴行により両腕等に骨化性筋炎を発症して右肘が曲がった状態になり、動作も不自由な状態になっていた。 ⑵ 以上につき、Cは、自身が被害者に暴力を加えていたことは認めつつ、その頻度は週に1、2回であり、他方、被告人は、3日に1回程度暴行していたこと、被害者に暴行した理由として、被告人から指示され、被告人らの暴行の矛先が自分に向くのが嫌で被告人の指示に従っていたことなどを述べる。もっとも、D、E及びHは、Cが被害者に対して最もひどい暴行を行っていた 者に暴行した理由として、被告人から指示され、被告人らの暴行の矛先が自分に向くのが嫌で被告人の指示に従っていたことなどを述べる。もっとも、D、E及びHは、Cが被害者に対して最もひどい暴行を行っていたとする点で一致した証言をしており、Cが被告人の暴行の矛先が自分に向くと思ったというのも、Cの証言によっても、被告人に暴力を振るわれたことはなかったというのであり、根拠が薄弱である。また、E及びDは、後述のとおり、津市内への出張から戻る際、Cが被害者の両手の掌にボンドをつけてくっつける暴行をしていたなどと証言するが、この点もCは認めていない。そうすると、Cについては、証拠上、最も積極的に被害者に暴力を振るっていたものと認められるところ、自らの被害者に対する日常的な暴力の程度について、他の者との比較において軽く見せようとしている可能性を否定できず、その証言の信用性については慎重な吟味を要する。 他方、被告人は、被害者に対し、薬物を使用したり、盗みを働いたりしたとき以外に暴力を振るったことはないなどと述べた上、被害者の仮眠用に小部屋は設けたが軟禁はしておらず、食事も十分に与えており、被害者の右肘が曲がった状態になってい - 4 -ることには気付かなかったなどと供述する。しかし、被告人の上記供述は、被告人の暴力や被害者の薬物使用の有無を含めてCらの一致する証言に正面から反することや、被害者の右肘が曲がった状態であることは一見して明らかであり(甲81)、それに気付かないことは到底考え難いことなどに照らして、およそ信用できず、上記⑴の認定を妨げない。 3 被害者の死亡及びその後の遺体の処分について⑴ 被告人、C、E、D及び被害者は、2月3日から同月7日までの間、津市内に病院増築工事のために出張した(甲83別添資料1ないし7)。 ⑵ 被害者 3 被害者の死亡及びその後の遺体の処分について⑴ 被告人、C、E、D及び被害者は、2月3日から同月7日までの間、津市内に病院増築工事のために出張した(甲83別添資料1ないし7)。 ⑵ 被害者は、上記出張から戻った後の同月8日までに、被告人及びEと居住していた本件居室内で死亡しているのを発見された。C及びIは、同日夜から翌9日の未明にかけて本件居室に集まり、Eと共に、翌10日にかけて、被害者の遺体をI使用車両に載せ、富士の樹海に向かい、同所で処分しようとしたが、適当な場所が見つからず、そのまま持ち帰った(甲85別添資料1ないし3)。その後、被害者の遺体は、同月12日、A社の事務所や倉庫のある敷地(以下「敷地」という。)内において、生コンクリートと共にドラム缶に入れられてコンクリート詰めにされた上(甲84別添資料1ないし4)、5月22日、敷地内において、鉄製の箱に納められた(甲84別添資料7ないし9)。C及びDは、6月26日から同月28日にかけて、レンタカーである2トントラックを借り受け、同トラックで青森県弘前市へ鉄製の箱を運搬し、Cが知人から借りたユニック車を使って同市内にあるCの知人の管理する資材置き場に鉄製の箱を置いた(甲85別添資料5ないし16)。 ⑶ア C、E及びDは、被告人、C及びEがフォークリフトを用いて被害者の遺体をドラム缶に詰めたこと、被告人、C及びDがドラム缶を鉄製の箱に入れたこと、被告人がC及びDに指示して鉄製の箱を青森県内に処分させたことについて、それぞれが経験した範囲で一致した証言をしている。 これに対し、被告人は、これらの処分には一切関わっておらず、そもそも被害者の死亡の事実も令和4年頃まで認識していなかったと供述して、これを否定する。 - 5 -イまず、被害者の遺体の処分に使用された生コン 、これらの処分には一切関わっておらず、そもそも被害者の死亡の事実も令和4年頃まで認識していなかったと供述して、これを否定する。 - 5 -イまず、被害者の遺体の処分に使用された生コンクリート及び鉄製の箱は、いずれもA社名義で発注され、A社名義の口座から代金が支払われており(甲84別添資料1ないし4、8、9)、被告人自身もこれらの振込手続や、鉄製の箱を受け取りに行ったことを認めている。また、ドラム缶へ被害者の遺体を詰め込む作業及びドラム缶を鉄製の箱へ入れる作業は、生コンクリートや鉄製の箱が運び込まれた敷地内で行われたものと認められる。そして、C及びDが鉄製の箱を運搬して青森へ行く際には、被告人が、レンタカー店で、行先を青森として2トントラックを借り受け(甲85別添資料5ないし7)、DにA社のETCカード等を貸し与えている。これらの事情だけからも、A社の代表者取締役であった被告人が、ドラム缶に入れる作業以降の被害者の遺体の処分に関与し、その前提として被害者の死亡を認識していたことが強くうかがわれ、C、E及びDの上記各証言を裏付けている。もとより上記各証言は、それぞれが体験した事実が基本的な部分において無理なく整合しているものである。そうすると、上記各証言は信用性の高いものであり、被告人が、上記のとおり、被害者の遺体をドラム缶に入れたり、鉄製の箱に入れたりする作業に関わっていたことや、Cらに鉄製の箱を青森県内に処分させたことは優に認められる。 ウそして、C及びEは、2月8日から同月10日にかけての出来事について、EがCに連絡した回数やその際の被害者の容体については食い違いもあるものの、Cが迎えに来たEに連れられて本件居室に到着した後、被告人又は被告人の指示を受けたEがIを呼ぶことになり、被告人も本件居室にいた状態で相談し、被 やその際の被害者の容体については食い違いもあるものの、Cが迎えに来たEに連れられて本件居室に到着した後、被告人又は被告人の指示を受けたEがIを呼ぶことになり、被告人も本件居室にいた状態で相談し、被害者の遺体を富士の樹海に処分することになったものであり、Cが来た時点では、被告人は被害者の死亡を当然認識していたという限度では合致する証言をする。そして、この各証言は、上記イのとおり、同月12日に被告人がドラム缶に詰めるなどのその後の被害者の遺体の処分に関与していることと整合し、被告人、C及びEらの関係に照らしても、被告人の下で稼働していたC及びEが被告人に対して、同じく被告人の下で稼働していた被害者の死亡の事実を知らせず、かつ、被告人に無断で1 日以上をかけて富士の樹海に被害者の遺体を処分しに行く判断をすることは考え難いことによっても自然な - 6 -内容である。 そうすると、この点のC及びEの証言も信用でき、被告人は、遅くとも2月8日までに被害者の死亡の事実を認識した上、E、C及びIと相談し、被害者の遺体を富士の樹海に処分することを決定したものと認められる。 エこれに対し、被告人は、被害者の遺体の処分には一切関与していない旨述べるところ、上記イのとおり、被告人自身が鉄製の箱を受領し、2トントラックを借り受けていること、青森に行った際にCらにA社のETCカード等を貸し与えていることに加え、自身の手帳に、青森邸の件として、レンタカー代金、ユニック代金、ETC、鋼板等被害者の遺体の処分にかかった費用に関するものと思われる記載をしていること(甲86別添資料3)について合理的な説明をしていない。 また、被告人は、そもそも被害者の死亡の事実すら知らず、津市内への出張から戻った後、Iがその下で稼働させるために被害者を連れて行ったものと思っ (甲86別添資料3)について合理的な説明をしていない。 また、被告人は、そもそも被害者の死亡の事実すら知らず、津市内への出張から戻った後、Iがその下で稼働させるために被害者を連れて行ったものと思っていたと述べる。しかし、被告人は、その際、Iが被害者の700万円前後の借金を肩代わりして支払う約束ができていたところ、2月7日の夜にその手付けを支払ったので、被害者を連れて行くことになったと認識したなどとも述べるが、かかる多額の借金を肩代わりしてまでIが被害者を連れていく理由はうかがわれず、被告人の上記供述を裏付けているといえる証拠もない。また、被告人は、後述のとおり、津市内への出張時やその帰りに被害者がC及びEから暴行を受け、被害者の体調を気遣っていたと述べていたにもかかわらず、同月7日以降、Iに被害者の様子を尋ねたことは一切なかったというのであって、この点でも不自然である。 そうすると、被害者の遺体の処分に関わっておらず、そもそも被害者の死亡の事実を認識していなかったとする被告人の供述はおよそ信用できるものではなく、上記イ及びウの認定を妨げない。 第3 本件暴行の有無及びその内容について1⑴ C、E及びDは、暴行の日、場所及び暴行の具体的な内容については一致していないものの、いずれも、津市内への出張期間中のある日の夕方以降、被告人、C、 - 7 -E、D及び被害者が車両で同市内の海辺に向かい、Eが車両に残り、海辺の堤防付近において、被告人、C及びDが、被害者に対する暴行に及んだ旨証言する。すなわち、Cは、2月6日の作業終了後、被告人が、C、D、E及び被害者が乗り合わせた車内で、被害者について「ボケ、許さん」などと言っており、車両が海辺についた後、Cらに対して「行くぞ」と言い、Eに対して「人が来たら教えろ」と言って車両を降り、 が、C、D、E及び被害者が乗り合わせた車内で、被害者について「ボケ、許さん」などと言っており、車両が海辺についた後、Cらに対して「行くぞ」と言い、Eに対して「人が来たら教えろ」と言って車両を降り、被告人が先導して堤防沿いの雑木林のある遊歩道へ向かったこと、被告人が、同所において、複数回にわたり被害者の胸腹部を殴り、足を蹴るなどして被害者を転倒させた上、さらに仰向けになった被害者の胸腹部を足で複数回踏み付けるなどし、次にDが、仰向けになった被害者の胸腹部を足で複数回踏み付けるなどし、続いてCが、仰向けになった被害者の胸腹部を安全靴を履いた足で複数回踏み付けるなどし、さらに被告人が倒れた被害者を立たせた上、その胸腹部を膝蹴りしたことなどを証言する。 また、Dは、同月4日の作業終了後、被告人が、C、D、E及び被害者が乗り合わせた車内で、「お前、今日は許さんぞ」、「5発以内ならやっていいぞ」、「ボディを狙え」と言い、海辺に着き、車両を降りて階段を上って遊歩道へ移動すると、被告人が、被害者を正座させて説教し、その後、被害者を立たせ、胸部付近を殴り、足を複数回蹴るなどして被害者を転倒させ、続いてCが、倒れた被害者の身体の右側面の胴体から太腿付近を複数回踏み付け、D自身も、被害者の太腿付近を複数回踏み付けたこと、Dは、その後、被告人らから離れてたばこを吸っていたことなどを証言する。 さらに、Eは、暴行が同月4日にあったことについてDに沿う証言をするほか、海辺に向かう車内で、被告人が相撲の稽古をすると言っていたので、被害者をいじめるのだと思ったこと、被告人らが車両を降りる際、被告人から人が来たら教えるように言われたかもしれないことなどを証言する。 ⑵ これら3名の証言は、暴行があったとされる日、場所及び暴行の具体的内容がすべて異なっており、暴行のあった 両を降りる際、被告人から人が来たら教えるように言われたかもしれないことなどを証言する。 ⑵ これら3名の証言は、暴行があったとされる日、場所及び暴行の具体的内容がすべて異なっており、暴行のあった日の前後の出来事や暴行があった際の状況なども断片的であって、年月の経過により記憶があいまいになり、勘違い等が生じていることが多くうかがわれる。また、D及びCはいずれも自らの暴行については他の者より - 8 -軽いものであったと述べている疑いがあるほか、E及びDは自らの公判で上記暴行が死因となったことや共謀を争っていたと認められ、自らの刑責を免れる観点から暴行の程度や当時の認識等について虚偽を述べている可能性は否定できない。もっとも、上記の津市内への出張中のある日の夕方以降において、海辺で、被告人、C、Dが被害者に対する暴行に及んだという事実について、C、D、Eが事実でないのに、その存在を一致して証言するということは考え難い。そして、このような暴行があったことは、津市内への出張から戻った後、被告人、C、E及びDが意を通じて被害者の遺体の処分に関与していること(第2の3)とも整合する。したがって、具体的な内容については更に検討する必要があるものの、津市内への出張期間中に、津市内又はその周辺において、被告人、C及びDによる暴行があり、その際、Eも車両で待機していた事実は認定することができる。 2 ところで、Cは、被害者に対し日常的に最も暴力を振るっていたと認められるが、その供述内容に照らせば、自身の暴力について他の者との比較において軽く述べていることもうかがわれ(第2の2)、本件暴行についても、自らのした暴行について過少に述べている可能性は否定できない。もっとも、Cは、自らも暴行に及んだことや、同暴行により被害者が死亡したこと自体は一貫し こともうかがわれ(第2の2)、本件暴行についても、自らのした暴行について過少に述べている可能性は否定できない。もっとも、Cは、自らも暴行に及んだことや、同暴行により被害者が死亡したこと自体は一貫して認めているのであり、自認している暴行に及んだ限度では嘘をつく理由は認められない。そうすると、Cの証言は、少なくとも自認する暴行があったという限りにおいては信用できる。他方で、Cの証言する被告人及びDの暴行態様は、10年前の出来事であるのに不自然に詳細であり、転倒した状態の被害者になされた暴行については、いずれもほぼ同じ内容を繰り返して述べているものであり、C自身の記憶に基づくものと認めるには強い疑問がある。したがって、Cの証言については、自分自身が最もひどい暴行を加えたことを否定するなどの動機から、他の者の暴行を過大に述べている疑いは払拭できず、被告人及びDがした暴行についてはCの証言をそのまま信用することはできない。もっとも、Dは、被告人が、被害者の胸部付近を殴り、足を蹴るなどの暴行を加えて被害者を転倒させたとする点ではCと一致する証言をしており、D自身も、被害者の太腿付 - 9 -近を複数回踏み付けたことは自認している。もとより、Dの証言についても、自らの責任を免れ、あるいは本件暴行が被害者の死因ではなかったことを強調する観点から、被害者に対する自身や共犯者の暴行の程度については軽く述べている可能性がうかがわれる。しかし、Cの証言と合致する限度での被告人及びCの暴行やDが自認する限度でのDの暴行があったことは前提にできるというべきである。 以上によれば、被告人が、被害者に対し、その胸部付近を殴り、足を複数回蹴るなどの暴行を加えて被害者を転倒させ、Cが、仰向けに倒れた被害者の胸腹部を安全靴を履いた足で複数回踏み付けるなどの暴行を 。 以上によれば、被告人が、被害者に対し、その胸部付近を殴り、足を複数回蹴るなどの暴行を加えて被害者を転倒させ、Cが、仰向けに倒れた被害者の胸腹部を安全靴を履いた足で複数回踏み付けるなどの暴行を加え、Dが、被害者の太腿付近を複数回踏み付ける暴行を加えたことが認められる。 3 さらに、Cは、海辺に向かう車内で、被告人が被害者を許せない旨述べ、海辺に到着した後、まず被告人が車両を降り、被告人が先導する形でC、D及び被害者が海辺の方向に向かった旨証言し、Dも車内の被告人の発言や降車時の状況について整合する証言をする。このCらの証言は、相互に基本的な部分では整合する上、嘘をつく理由も考えられないことに照らして、信用できる。したがって、本件暴行に及んだ経緯として、Cの上記証言の事実を認めることができる。 また、Cは、被告人が車両から降りる際、Eに対し「人が来たら教えろ」と言い、Eもうなずくようであったと証言するところ、E自身も被告人から人が来たら教えるように言われたかもしれないと証言している。また、Cの証言する被告人の上記発言はEだけが車内に残った状況と整合するものでもある。したがって、Cの上記証言も信用できる。 以上によれば、被告人は、被害者を許せないという意思を明らかにした上、自らが先導して暴行の現場に向かい、車に残ったEに対し、人が来たら教えるように伝えたものと認められる。日常的に被告人らが被害者に対して暴行を加えていたこと(第2の2)も踏まえると、被告人、C及びDは、車両を降りた時点で、被告人の意を受けて、一緒に被害者に暴行を加えることを相互に了解したものと認められる。また、Eも、その時点で、被告人らが被害者に暴行を加えることを認識しながら、人が来たら - 10 -教えるようにとの被告人の指示を了承したものと認められる。 互に了解したものと認められる。また、Eも、その時点で、被告人らが被害者に暴行を加えることを認識しながら、人が来たら - 10 -教えるようにとの被告人の指示を了承したものと認められる。 したがって、この時点で、被告人は、C、D及びEとの間で、被害者に対し暴行を加える旨の共謀を遂げたものと認定できる。 4 これに対し、弁護人は、Cらが口裏合わせをして被告人を引っ張り込む危険があるなどと主張し、被告人が本件暴行に及んだとするCらの上記各証言の信用性を争う。しかし、Cら3名の上記各証言は、いずれも津市内の出張中に暴行があったとする点では一致している一方、上記のとおり、暴行内容や日、場所等についてその内容が食い違っているものであり、その内容に照らして、被告人を引っ張り込むために口裏合わせをしたとは考え難いものである。 ところで、Eについては、令和3年末に被告人から傷害を受けたとして被害届を提出したと認められるところ、被告人は、その容疑により逮捕されている間、EがA社の財産を窃取したと訴えており、その時点では被告人とEとの間でトラブルがあったことがうかがわれる。しかし、Eは、その際、被告人をけん制するために、被告人やC、Dその他の者が海辺で暴行に及んだことを殊更にノート等に記載するなどし、他のA社関係者に知らせるなどしているところ、被告人をけん制するという目的に照らしても、その内容を過剰に膨らませるなどしている可能性はあるものの、Eが全く存在しない暴行の事実をあったものとして上記ノート等に記載するなどしたとは考え難い。そうすると、上記ノート等にも記載された海辺の暴行に関するEの証言が全く存在しない事実に関するものということはできない。次に、Dについては、令和4年1月以降も被告人とともに働くなどしており、両者の関係が悪かったとは認めら 等にも記載された海辺の暴行に関するEの証言が全く存在しない事実に関するものということはできない。次に、Dについては、令和4年1月以降も被告人とともに働くなどしており、両者の関係が悪かったとは認められない上、自らの公判では被告人をかばって被告人の暴行を軽く供述したとも証言しており、被告人に不利益な供述をする様子はうかがわれない。Cについては、平成30年にA社を辞め、その後、ほとんど被告人やE、Dらと連絡を取っていなかったものと認められ、同様に被告人が関与していないのに本件暴行に関与したとの嘘をつく理由は認められない。 そうすると、Cらの上記各証言について、真実は被告人が本件暴行に関与していな - 11 -かったにもかかわらず、被告人の関与があったこととして口裏合わせをして虚偽を述べているとみることはおよそ無理というべきであるから、この点の弁護人の主張は採用できない。 5 被告人は、Cらとともに、津市内への出張中に海辺で被害者に暴行に及んだ事実はないと供述する。しかし、この被告人の供述は、C、D及びEの整合する証言と全く異なる孤立しているものであり、その信用性を支える事情はない。また、被告人の供述は、従前の被害者に対する虐待や被害者の死亡後の経緯についても、全体的に信用性に乏しい(第2)。被告人の上記供述の信用性は乏しく、上記1ないし3の認定を妨げない。 この点、弁護人は、被害者に暴行を加えるのであれば、ホテルの客室内で行えばよいのにあえて海辺に行ったのが不自然であると主張するが、むしろ他の客も宿泊するホテルの客室内において暴行を加えれば、隣室等の周囲に音が聞こえる可能性が高く、客室内で暴行する方が不自然といえるから、この主張も採用できない。 6 以上によれば、判示認定のとおり、被告人が、C、E及びDと共謀の上、本件暴行に えれば、隣室等の周囲に音が聞こえる可能性が高く、客室内で暴行する方が不自然といえるから、この主張も採用できない。 6 以上によれば、判示認定のとおり、被告人が、C、E及びDと共謀の上、本件暴行に及んだ事実を認めることができる。 第4 本件暴行が被害者の死因となった暴行と認められるかについて 1 本件暴行が死因となった肋骨多発骨折を生じさせ得るものであるかについてF医師は、被害者の肋骨多発骨折が生じた原因として、背中が固定された状態でみぞおちの10cm程度上の辺りに外力が加わって胸骨が前後方向に圧迫されたとすることが一番考えやすいと証言する。本件暴行については、Cが自認する地面の上に仰向けに倒れた被害者の胸腹部を安全靴を履いた足で踏み付ける暴行のみをとっても、被害者の肋骨多発骨折を生じさせ得るものであったと認められる。したがって、本件暴行は、被害者の死因となった暴行として矛盾しない。 2 被害者の死亡推定時刻について⑴ 被害者の死亡推定時刻について、検察官は、被害者の遺体の状況に関するCの証言を前提として、死後硬直に関するF医師の証言を併せて、被害者は、2月7日正 - 12 -午頃から同月8日午後3時頃までの間に死亡したと主張する。そこで、被害者の死亡推定時刻について検討する。 ⑵ まず、被害者について、津市内への出張から本件居室に帰って来るまでの間に死亡したことをうかがわせる事情は存在しない。そして、C及びDは、同月7日に津市内を出発したのが同日午後3時過ぎであったと証言しており、Eもこれと整合する証言をしている。そうすると、本件居室に帰ったのは同日夕方頃と認められ、被害者の死亡時刻はその後と認めることができる。 そして、同月8日、被害者の死亡が明らかになった後、EがCを迎えに行き、その後、被告人又は被告人に指 ると、本件居室に帰ったのは同日夕方頃と認められ、被害者の死亡時刻はその後と認めることができる。 そして、同月8日、被害者の死亡が明らかになった後、EがCを迎えに行き、その後、被告人又は被告人に指示されたEがIを呼び、Iが本件居室にやってきたところ(第2の3⑵参照)、証拠によれば、I使用車両が同日午後11時55分頃に東名阪自動車道四日市東料金所入口を通過し、同月9日午前0時13分頃に名古屋西料金所出口を通過している(甲85別添資料1ないし3)。わざわざI及びCが集められていることからして、Iが上記各料金所を通過するに先立ち、Cが本件居室に来るまでには、被害者が死亡した状態にあったことは合理的に推認できる。そうすると、被害者は、その時間は不明であるが、遅くとも同月8日夜頃までには死亡したと認められる。 ⑶ 検察官は、被害者の遺体を搬出した際に、Cが遺体を落としても体勢が変わらず、I使用車両のトランクに遺体を納める際、足が曲がらずに収納に苦労したと証言していることを踏まえて、その時点では、死後硬直が足先まで完成していたと主張する。確かに、遺体を運搬するという衝撃的な場面の記憶であり、虚偽を述べる理由もうかがわれないから、遺体の状況に関するCの上記証言は信用できる。もっとも、遺体が固くなっていたという状況は、人によって感じ方に差があるといえ、上記証言のみから死後硬直が足先まで完成していたと認定することには疑問がある。そうすると、遺体を搬出した時点で相当程度死後硬直が進行しており、死亡後相応の時間が経過したことがうかがわれるものの、死後硬直を前提に死亡時間を特定することは困難である。 - 13 -⑷ 以上によれば、被害者の死亡推定時刻は、同月7日夕方頃から同月8日夜頃までの間ということになる。そして、被害者が受傷後24時間から4 亡時間を特定することは困難である。 - 13 -⑷ 以上によれば、被害者の死亡推定時刻は、同月7日夕方頃から同月8日夜頃までの間ということになる。そして、被害者が受傷後24時間から48時間で死亡したと認められること(第2の1)を併せると、同月5日夕方頃から同月7日夜頃までの間に被害者の死因となる暴行があったとすれば、その暴行が死因を形成したとして矛盾はないことになる。また、死後硬直の点に照らせば、同月9日午前0時13分から同日午前3時5分までの間に被害者を搬出した際には、相当程度死亡から時間が経過していたことになる。被害者が肋骨多発骨折を負ったのは、少なくともそれより24時間以上前であり、F医師が死後硬直が完成するまでに少なくとも12時間を要すると証言していることを併せると、同月7日の夜に肋骨多発骨折を生じた可能性は低いものといえる。 以下、上記の死亡推定時刻を前提として、被害者の死因となった暴行について検討する。 3 本件暴行のあった日について⑴ Cは、本件暴行が2月6日の夕方以降にあったと証言するところ、D及びEは、本件暴行があったのは同月4日の夕方以降であったと証言する。上記2によれば、本件暴行があったのが同月6日又は同月5日の夕方以降であるなら、本件暴行は被害者の死亡の原因として矛盾しないが、仮に同月4日と認められるのであれば、被害者が死亡する48時間よりも前になされたことになるから、死因となったものではないことになる。 この点、本件暴行があったのは同月6日であるとするCの証言は確たる裏付けがあるとはいえず、記憶違いの可能性がないとはいえないが、その日時について嘘をつく理由は見当たらず、その内容も特に不自然な点は認められない。他方、D及びEが本件暴行の日が同月4日とする根拠は、Eが作成していたA社の出納帳 違いの可能性がないとはいえないが、その日時について嘘をつく理由は見当たらず、その内容も特に不自然な点は認められない。他方、D及びEが本件暴行の日が同月4日とする根拠は、Eが作成していたA社の出納帳に、この日のみ他の出張日に立ち寄ったのとは異なるコンビニエンスストアに立ち寄った記載があるという点である。しかし、そもそも上記出納帳は領収書等と併せて整理されているものではなく、遡って記載するなどもされていた手書きのものであり、税務処理等に - 14 -用いられることがあったとしても、その記載の正確性については疑問がある。また、Eは、自身の公判において、当初は同月5日又は同月6日に本件暴行があったと述べていたところ、本件暴行があった日を同月4日であると同定するに至った根拠は、Eと併合して審理されていたDが上記公判において上記出納帳を根拠として同日に本件暴行があったとするのを聞いて思い出したというものにすぎず、同日であることの確かな記憶があるものとは認められない。 Dは、被害者が失禁した衣服を洗濯したのを見たという証言をするところ、Eは、本件暴行があった日の夜、被害者が、宿泊先のホテルの客室内において、手錠を用いて拘束されたことがあり、その際に失禁したこと、その翌日に失禁で汚れた衣服を被害者が洗濯しているところにDが居合わせたとDから聞いたことがあったことを証言する。被害者が津市内への出張の最終日である同月7日に洗濯をしたとは考え難いことに照らせば、上記各証言を前提とすると、本件暴行があった日はその前日の同月6日ではないことになる。しかし、Eは、本件暴行後、被害者がフロントに逃げ込まないように被害者を拘束したものであるから、被害者を拘束したのは本件暴行の日のみであるなどと証言するが、被害者を日常的に虐待していたことに照らせば、本件暴 は、本件暴行後、被害者がフロントに逃げ込まないように被害者を拘束したものであるから、被害者を拘束したのは本件暴行の日のみであるなどと証言するが、被害者を日常的に虐待していたことに照らせば、本件暴行と無関係に拘束することもありうるし、本件暴行の発覚の防止のためとしても、被害者が逃げ出す可能性は本件暴行日以外にもあったといえ、本件暴行日のみ被害者を拘束した根拠としてEが述べる事情は合理的とはいえない。 そうすると、D及びEの上記各証言は、いずれもその信用性が高いとはいえず、本件暴行があったのが同月5日又は6日の夕方以降である可能性を排斥するものとはいえない。 ⑵ 弁護人は、Cらは作業現場から車両1台に乗り合わせて海辺に向かったと証言しているところ、被告人の供述によれば、同月6日は、作業現場からホテルに戻る際に車両2台で帰っているのであるから、本件暴行があったのは同日ではないと主張する。しかし、弁護人がその主張の前提とする被告人の供述は、出張初日の同月3日は、車両2台で作業現場からホテルに向かったが、同月4日及び同月5日は車両1台で作 - 15 -業現場からホテルに戻ったとするものであるが、出張を共にした被告人以外の3名はいずれも同月6日に車両2台でホテルに戻ったという供述はしていない。また、被告人が、同日に2台で戻ったとする根拠は、ホテルの駐車場が1台しかなかったので、同月3日と同月6日以外は、車両1台は現場に駐車していたという点にあるが、この点も裏付けのあるものではない。さらに、被告人は、2期日にわたって実施された被告人質問の間に上記事実を思い出したとして、2回目の期日に至って突然に供述するに至ったものである。そうすると、この点についての被告人の供述が信用できるものとはいえず、このような供述を踏まえても、本件暴行があったのが 記事実を思い出したとして、2回目の期日に至って突然に供述するに至ったものである。そうすると、この点についての被告人の供述が信用できるものとはいえず、このような供述を踏まえても、本件暴行があったのが同月6日である可能性を排斥するものとはいえない。 ⑶ E及びDは、本件暴行の翌日も、被害者は変わりなく仕事をしていたと証言し、Cは、本件暴行の翌朝の朝礼の際に、被害者が自身の目の前でラジオ体操をしていたと証言する。F医師及びG医師の各証言によれば、被害者が本件暴行により肋骨多発骨折の傷害を負ったとすると、良好な健康状態にある人間と同様の運動をすることができたとは考え難い。しかし、被害者は両腕及び両脚に骨化性筋炎を負っており、特に右腕のものは重篤で、腕が90度より少し開いた状態で肘が固まった状態になっており、歩く動作もゆっくりとしていたと認められる。このように被害者は、本件暴行以前から日常の動作が不自由な状態にあったことに加え、F医師及びG医師の各証言によれば、ラジオ体操をしているような身体の動き自体はできたと認められることからすれば、被害者が肋骨多発骨折を負った状態だったことにCらが気付かなかった可能性がある。また、Cらは、これまでも被害者に日常的に暴行を加えていたものであり、本件暴行の結果を意に介さずに被害者の様子を意識して見ていなかった可能性があり、現にCらが被害者の様子をつぶさに見ていた様子もうかがわれない。そもそも、C、D及びEについては、本件暴行が死因となったことや、その程度がひどいものであったことを否定したい心情にあることがうかがわれるから、そのために本件暴行の翌日の被害者の様子について正確でない証言をしていることも考えられる。 そうすると、本件暴行の翌日の被害者の様子に関するCらの上記各証言は、そもそ - 16 -も ら、そのために本件暴行の翌日の被害者の様子について正確でない証言をしていることも考えられる。 そうすると、本件暴行の翌日の被害者の様子に関するCらの上記各証言は、そもそ - 16 -も信用性が高いものとはいえない上、肋骨多発骨折を負った被害者の不調に気付かなかったとしても不自然とはいえないから、同月6日の夕方以降に本件暴行があったことを否定するものとまではいえない。また、被害者が同月6日及び同月7日と稼働したことになることを踏まえても、本件暴行がなされたのが同月5日の夜であるという可能性を排斥するものともいえない。 ⑷ 以上によれば、本件暴行の日に関するE及びDの各証言や被告人の供述等を踏まえても、本件暴行がなされたのは同月5日又は6日の夕方以降であった可能性は否定されず、本件暴行が被害者の死因となったとしても矛盾はしないといえる。 4 被害者の死亡の原因となる可能性のある他の暴行について⑴ 2月7日の鍋会での暴行についてEは、津市内への出張から戻った後の同月7日に本件居室において開催された鍋会において被害者に対する暴行があったとして、次のとおり証言する。同日、本件居室において、被害者、E、被告人及びIで鍋会をした。その際、Iが被害者の腕を殴り、包丁で刺すなどの暴行を加えたので、被告人とEが制止した。その後、Eは自室に戻ったが、被告人らがいる部屋からドンドンドンという音や「おいやめろ」と言う被告人の声がしたので扉を開けて見ると、被害者が壁に背中をもたれ、腹部を押さえて床に座り込み、被害者の目の前にIが立っていた。 鍋会での上記暴行について証言するのはEのみであるが、Eが令和3年末に被告人とトラブルになった際に作成したノート等において、被告人やIが鍋会において暴力を振るったことについての記載がある。また、Iが2月9日 上記暴行について証言するのはEのみであるが、Eが令和3年末に被告人とトラブルになった際に作成したノート等において、被告人やIが鍋会において暴力を振るったことについての記載がある。また、Iが2月9日から同月10日にかけて、C及びEとともに被害者の遺体の処分に参加したのは、被害者の死亡に関与したとI自身が考えざるを得ないような状況があったからとも考えられる。そうすると、津市内の出張から戻った同月7日夜、Iが被害者に何らかの暴行を加えた可能性は否定できない。そして、ドンドンドンという音がして被害者が腹部を押さえて座り込んでいたという上記証言は、Iが壁を背にした被害者の腹部に暴行を加えたことをうかがわせるものであり、仮にその際に腹部のやや上部にある胸骨に打撃が加えられたのであ - 17 -れば、肋骨多発骨折が生じた原因に関するF医師の証言とも矛盾するとまではいえないとも考えられる。 しかし、上記2のとおり、死後硬直の点を併せ考えると、被害者の死因となった暴行が同月7日夜に生じた可能性は低いといえる。 そして、鍋会の暴行に関するEの上記ノートの記載等は、鍋会の参加者、被告人及びIによる暴行の内容や鍋会が開催された日等の点において、公判供述や捜査段階の供述と大きく異なっている。Eは、捜査段階では、Iは主に被害者の上腕を殴り、腹部を殴っていたかもしれないが、被害者を包丁で刺した後に帰ったなどと述べており、ドンドンドンという音がしたなどという点は、E自身の公判になって初めて供述したものと認められる。ドンドンドンという音がして被害者の下に駆け付けたという事実は、強く印象に残るはずのものであるから、真に体験したのであれば、捜査段階において、供述していてしかるべきといえる。そうであるにもかかわらず、Eは、捜査段階においても一切供述しておらず、そ いう事実は、強く印象に残るはずのものであるから、真に体験したのであれば、捜査段階において、供述していてしかるべきといえる。そうであるにもかかわらず、Eは、捜査段階においても一切供述しておらず、その理由について合理的な説明をしていない。 以上のとおり、令和3年に作成されたノート等において公判供述と全く異なる内容の記載がされており、その後、捜査段階と重ねて変遷していることに照らせば、鍋会の暴行に関するEの公判供述がどの程度記憶に基づくものであるかについては、そもそも疑問を容れる余地がある。そして、ドンドンドンという音がしたなどという上記供述部分がEの公判で突然現れたことは、E自身の公判で明らかになったと考えられる被害者の死因等を踏まえて虚偽を述べていることをうかがわせるものである。また、そもそも、Iは、日常的に被害者に暴行を加えていたものであるが、鍋会の際に急に上記のような激しい暴行を加えた理由も不明である。 以上によれば、同月7日の鍋会において被告人及びIが被害者に暴行を加えた可能性が否定できないとする限度においては、Eの証言は排斥できないものであるが、他方で、Eがドンドンドンという音を聞き、被害者が壁に背を向けて腹部を押さえていたなどとする点の証言は信用できない。そして、Eが具体的に述べている捜査段階の - 18 -暴行の態様は被害者の死因となるものとは認められない。したがって、同月7日の暴行があったとしても、それが被害者の死因となった合理的な疑いがあるとはいえない。 ⑵ 同月6日夜のホテルでの暴行について被告人は、同日の夜に津市内の宿泊先のホテルにおいて、Cらが、被害者に対し、暴行を加えていたのを目撃したと供述する。すなわち、頭、手首及び足首を養生テープで巻かれた状態で仰向けに寝かされた被害者に対し、Cがその胸腹部 に津市内の宿泊先のホテルにおいて、Cらが、被害者に対し、暴行を加えていたのを目撃したと供述する。すなわち、頭、手首及び足首を養生テープで巻かれた状態で仰向けに寝かされた被害者に対し、Cがその胸腹部を踏みつけ、ベッドの上から被害者の体の上にずり落ちるなどし、Eも木の棒で被害者をつつくなどの暴行を加えていた。 しかし、被告人は、その暴行の際にホテルの部屋のドアにドアガードが挟まれ、ドアが開放されている状況で、Cらが大声を出していたのでCらの暴行に気が付いたと供述する。しかし、そのような状況は、他の客にもすぐに暴行に及んでいることが察知されうるものであるから、そのような状況で暴行に及ぶということ自体、内容として不自然である。また、上記のずり落ちるなどの暴行は公判まで述べていなかったものと認められる。さらに、被告人は、Dに対し、翌7日にこの暴行を目撃したことを話したとするが、Dはこれに沿う供述をしていない。したがって、この点の被告人の供述は信用できない。 また、被告人は、同月7日の朝、被害者から、上記の前日夜の暴行があった後、さらにCらから暴行を受けたと聞いた旨述べるが、信用できない上記暴行に関する供述を前提とするものであるから、この供述も信用することはできない。 以上によれば、被告人が供述する上記各暴行が存在したことを前提とすることはできず、これらが被害者の死因となったという疑いは認められない。 ⑶ 同月7日の車内での暴行について被告人は、同日に津市での出張から愛知県内に戻る途中の高速道路のサービスエリアや高速道路上において、Cが被害者をゴム製のハンマー様のもので殴るなどの暴行を加える場面を目撃したとも供述する。しかし、被告人の供述を前提とすると、E及 - 19 -びDは、これらの暴行を目撃したはずであるが、これら両名は ゴム製のハンマー様のもので殴るなどの暴行を加える場面を目撃したとも供述する。しかし、被告人の供述を前提とすると、E及 - 19 -びDは、これらの暴行を目撃したはずであるが、これら両名は、Cがサービスエリアにおいて、被害者の両手の掌にボンドを塗り、くっつけて離れなくしていた状況を見たとは述べるものの、被告人が述べるような暴行は一切証言していない。また、被告人は、暴行の状況について、サービスエリアにおいて、Cが車両が揺れるほどの暴行を加えていたなどとしているが、公衆の面前でそのような激しい暴行に及ぶということ自体不自然であるし、高速道路上では、走行中の車両内のCの暴行を目撃して大声を出して制止したとするが、そのような状況も現実味に欠ける。したがって、これらの点の被告人の供述も信用できず、車内での暴行が被害者の死因となったという疑いも認められない。 5 以上によれば、本件暴行は、被害者の死亡の原因となった肋骨多発骨折を生じさせたものとして矛盾がないと認められる上、その発生した日は証拠上特定できないが、被害者が死亡する24時間から48時間前までの間に行われたものである可能性は否定されず、本件暴行が死因となったとしても矛盾はない。他方、証拠上、本件暴行以外の他の暴行が被害者の死因となったという合理的な疑いを生じさせる事情は認められず、その他の原因により、被害者の死亡が生じたことをうかがわせる事情もない。そうすると、本件暴行が被害者の死因となった暴行であると認めることができる。そして、その事実及び肋骨多発骨折が生じてから被害者が死亡するまでに24時間から48時間が経過したと認められることによれば、本件暴行は、2月6日頃、すなわち同日又はその前日の夕方以降にあったものと認められる。 第5 結論よって、被告人が、C、E及びDと共謀の 24時間から48時間が経過したと認められることによれば、本件暴行は、2月6日頃、すなわち同日又はその前日の夕方以降にあったものと認められる。 第5 結論よって、被告人が、C、E及びDと共謀の上、本件暴行に及び、被害者に肋骨多発骨折等の傷害を負わせ、同傷害に基づく呼吸不全等により被害者を死亡させたという事実が認められる。 (量刑の理由)本件は、被告人らから日常的に暴力を振るわれるなどの虐待を受けていた被害者に - 20 -対し、その胸腹部を足で踏みつけるなどの暴行を加え、よって、被害者に肋骨多発骨折等の傷害を負わせ、同傷害に基づく呼吸不全等により死亡させた事案である。 本件暴行は、日常的な虐待を背景とする常習的な犯行であり、被告人らは、さしたる理由なく、抵抗感も覚えることなく犯行に及んだものと認められる。また、被告人らの暴行の態様は、上記虐待により心身ともに抵抗できない状態にあった被害者に対する執拗かつ一方的なものであるから、非常に悪質である。また、当然のことながら、被害者が死亡したという結果は極めて重大である。 そして、被告人は、本件暴行に及ぶに当たり、被害者に集団で暴行することを決め、被告人の意を受けた共犯者らを加担させている。また、被害者に対する日常の虐待についても、自ら行うことがあったのみならず、会社代表者の立場にありながら、同社で稼働する共犯者らの虐待行為についてもこれを容認し、助長していたものであり、共犯者らが抵抗感なく本件暴行に及ぶに至った原因についても相応の責任がある。そうすると、被告人は、共犯者らを巻き込んで、本件を主導し、実現したものとして、他の共犯者らと比較して重い責任を負うべき立場にあると認められる。 他方、証拠上、被告人が被害者にどの程度の暴行を加えたか、加えるつもりであったかに 巻き込んで、本件を主導し、実現したものとして、他の共犯者らと比較して重い責任を負うべき立場にあると認められる。 他方、証拠上、被告人が被害者にどの程度の暴行を加えたか、加えるつもりであったかについては判然とせず、最も苛烈な暴行を加えたのはCであった可能性は否定できない。 以上の犯情に加え、被告人がおよそ不合理な弁解に終始し、反省の態度が全く見られないことや、共犯者らに指示を与えるなどして被害者の死亡後に周到な罪証隠滅工作に及んでおり、犯行後も自らの責任と向かい合う姿勢がおよそ見られないことなどを考慮し、同種事案の量刑傾向、さらに共犯者らの処罰状況を踏まえると、被告人を主文の刑に処するのが相当である。 (求刑:懲役12年)令和7年2月18日名古屋地方裁判所刑事第6部 - 21 - 裁判長裁判官蛯原意 裁判官村瀬恵 裁判官塚本貴大

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