平成16(行ウ)462等 退去強制令書発付処分取消等請求事件,難民の認定をしない処分取消請求事件

裁判年月日・裁判所
平成19年3月23日 東京地方裁判所 警察関係
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判決文本文42,384 文字)

主文 第1事件被告兼第2事件処分行政庁兼第2事件裁決行政庁法務大臣が第1事件原告兼第2事件原告に対して平成16年7月27日付けでした,平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。 第1事件被告東京入国管理局主任審査官が第1事件原告兼第2事件原告に対して平成16年7月27日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。 第1事件被告兼第2事件処分行政庁兼第2事件裁決行政庁法務大臣が第1事件原告兼第2事件原告に対して平成16年7月13日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。 第2事件に係る訴えのうち,第1事件被告兼第2事件処分行政庁兼第2事件裁決行政庁法務大臣が第1事件原告兼第2事件原告に対して平成17年2月1日付けでした,平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法61条の2の4の規定に基づく異議の申出に対する決定の取消しを求める部分を却下する。 訴訟費用は,被告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求 第1事件 主文第1項及び第2項と同旨 第2事件(1)主文第3項と同旨(2)第1事件被告兼第2事件処分行政庁兼第2事件裁決行政庁法務大臣が第1事件原告兼第2事件原告に対して平成17年2月1日付けでした,平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法61条の2の4の規定に基づく異議の申出に対する決定を取り消す。 第2事案の概要 第1事件は,ミャンマー連邦(ミャンマー連邦は,平成元年に名称をビルマ連邦社会主義共和国から改称したものであるが,以下,改称の前後を区別することなく,同国を「ミャンマー」という。)の国籍を有する男性である第1事件原告兼第2事件原告(以下「 は,平成元年に名称をビルマ連邦社会主義共和国から改称したものであるが,以下,改称の前後を区別することなく,同国を「ミャンマー」という。)の国籍を有する男性である第1事件原告兼第2事件原告(以下「原告」という。)が,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国審査官から平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条4号ロ(不法残留)に該当する旨の認定を受け,次いで,東京入管特別審理官から同認定に誤りがない旨の判定を受け,さらに,第1事件被告兼第2事件処分行政庁兼第2事件裁決行政庁法務大臣(以下「被告法務大臣」という。)から入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を受け,第1事件被告東京入管主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)から退去強制令書の発付を受けたため,原告が「難民」に該当するにもかかわらず原告に在留特別許可を認めなかった上記裁決には,被告法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した違法があり,上記裁決を前提としてされた上記退去強制令書発付処分も違法で ある旨主張して,被告法務大臣に対し,上記裁決の取消しを求め,被告主任審査官に対し,上記退去強制令書発付処分の取消しを求める事案である。 第2事件は,原告が,入管法61条の2第1項に基づき難民の認定を申請したところ,被告法務大臣から難民の認定をしない旨の処分を受け,さらに,入管法61条の2の4に基づく異議の申出についても,被告法務大臣から理由がない旨の決定を受けたため,原告が「難民」に該当するのにこれを認めなかった上記処分及び決定はいずれも違法である旨主張して,第2事件被告(以下「被告国」という。)に対し,上記処分及び決定の各取消しを求める事案である。 前提となる事実本件の前提となる事実は,次のとおりで 記処分及び決定はいずれも違法である旨主張して,第2事件被告(以下「被告国」という。)に対し,上記処分及び決定の各取消しを求める事案である。 前提となる事実本件の前提となる事実は,次のとおりである。なお,証拠若しくは弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実又は当裁判所に顕著な事実は,その旨付記しており,それ以外の事実は,当事者間に争いがない。 (1)原告の身分事項原告は,昭和▲年▲月▲日にミャンマーにおいて出生した,ミャンマー国籍を有する外国人の男性である。 (2)原告の入国及び在留状況原告は,平成3年6月16日,大韓民国(以下「韓国」という。)の釜山港から船舶で博多港に到着し,福岡入国管理局博多港出張所入国審査官から,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて,本邦に上陸した。原告は,本邦に上陸後,在留期間の更新又は在留資格の変更を申請することなく,上記上陸許可に係る在留期限である同年9月14日 を超えて,本邦に不法に残留した。 (3)原告の退去強制手続ア警視庁月島警察署警察官は,平成16年6月3日,入管法違反容疑により原告を現行犯逮捕した。 イ東京入管入国警備官は,平成16年6月4日,月島警察署警察官から原告の引渡しを受け,原告について違反調査を実施し,原告が入管法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,被告主任審査官から収容令書の発付を受け,同令書を執行して,原告を東京入管収容場に収容し,同日,原告を同号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。 ウ東京入管入国審査官は,平成16年6月8日及び同月10日,原告について違反審査を実施し,同日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当する旨の認定を行い,原告にこれを通知した。原告は,同日,東京入管 入管入国審査官は,平成16年6月8日及び同月10日,原告について違反審査を実施し,同日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当する旨の認定を行い,原告にこれを通知した。原告は,同日,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。 エ東京入管特別審理官は,平成16年6月22日,原告について口頭審理を行い,東京入管入国審査官の認定に誤りのない旨判定し,原告にこれを通知した。原告は,この判定について,同日,被告法務大臣に異議の申出をした。 オ被告法務大臣は,平成16年7月27日,上記エの異議の申出について理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。同日,本件裁決の通知を受けた被告主任審査官は,原告に対し,本件裁決を通知するとともに,退去強制令書(以下「本件令書」という。)を発付した(以下, この処分を「本件退令処分」という。)。 カ東京入管入国警備官は,平成16年7月27日,本件令書を執行して,原告を東京入管収容場に収容した。原告は,同年12月9日,入国者収容所東日本入国管理センターに移収された。 (4)原告の難民の認定申請ア原告は,被告法務大臣に対し,平成16年6月8日,難民の認定を申請した(以下,この申請を「本件難民認定申請」という。)。 イ東京入管難民調査官は,平成16年6月18日及び同月23日,本件難民認定申請について,原告に対し,事実の調査を行った。 ウ被告法務大臣は,平成16年7月13日付けで,本件難民認定申請につき,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,同月16日,原告にこれを通知した。原告は,同月22日,本件不認定処分につき,被告法務大臣に異議の申出をした(以下,この異議の申出に係る手続を「本件異議手続」という。)。 エ東京入管難民調査官は,平成16年8月24日及び同年 した。原告は,同月22日,本件不認定処分につき,被告法務大臣に異議の申出をした(以下,この異議の申出に係る手続を「本件異議手続」という。)。 エ東京入管難民調査官は,平成16年8月24日及び同年9月7日,原告に対し,事実の調査を行った。 オ被告法務大臣は,原告に対し,平成17年2月1日付けで,前記ウの異議の申出には理由がない旨の決定(以下「本件決定」という。)をし,同月10日,原告にこれを告知した。 (5)本件訴えの提起等ア原告は,平成16年10月26日,本件裁決及び本件退令処分の各取消しを求める第1事件に係る訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実) イ原告は,平成17年5月10日,指定住居を東京都豊島区α××番×β×××とする条件の下,仮放免の許可を受けて,仮放免された。(乙39)ウ原告は,平成17年8月8日,本件不認定処分及び本件決定の各取消しを求める第2事件に係る訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)エ当裁判所は,平成17年8月31日の第1事件第3回口頭弁論期日において,第2事件の弁論を第1事件の弁論に併合する旨の決定をした。(当裁判所に顕著な事実)オ原告は,現在,仮放免中である。 争点 本件の主な争点は,次のとおりである。 (1)難民該当性の有無。具体的には,本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,原告は,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイ王国(以下「タイ」という。)との国境付近,タイ及び日本において民主化運動を進めるという政治的意見を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者ということができるか。 (2)60日条項の効力及びその違反の有無 いう政治的意見を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者ということができるか。 (2)60日条項の効力及びその違反の有無。具体的には,入管法61条の2第2項の要件具備の点を司法審査の対象とする必要があるか。仮に必要があるとした場合に,同項ただし書所定の「やむを得ない事情」があるということができるか。 (3)本件裁決の適法性。具体的には,本件裁決がされた平成16年7月27日当時,原告は,ミャンマーに送還されれば迫害を受けるおそれがあったので,在留特別許可を付与されるべきであったのに,これを付与せずにされた本件裁決は,被告法務大臣の有する裁量権を逸脱するなどしてされた違法なものであるということができるか。 (4)本件退令処分の適法性。具体的には,本件裁決が違法であるから,これを前提とする本件退令処分も違法であるか。また,本件退令処分には,送還先をミャンマーとしたことについて,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条1項,並びに拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条違反の違法があるか。 (5)本件決定の適法性。具体的には,本件異議手続に固有の瑕疵があるか。 争点に関する当事者の主張の要旨(1)争点(1)(難民該当性の有無)について別紙1のとおり(2)争点(2)(60日条項の効力及びその違反の有無)について別紙2のとおり(3)争点(3)(本件裁決の適法性)について別紙3のとおり(4)争点(4)(本件退令処分の適法性)について別紙4のとおり(5)争点(5)(本件決定の適法性)について 別紙5のとおり第3争点に対する判断 前記前提となる事実の 別紙3のとおり(4)争点(4)(本件退令処分の適法性)について別紙4のとおり(5)争点(5)(本件決定の適法性)について 別紙5のとおり第3争点に対する判断 前記前提となる事実のほか,証拠及び弁論の全趣旨によると,以下の事実を認めることができる(認定根拠は,各事実の後に付記することとする。)。甲第22,第48号証,乙第11号証,第40号証の1及び2,第41,第45号証並びに原告の本人尋問の結果のうち,以下の認定事実に反する部分は,他の事実又は証拠と矛盾するので,採用することができない。 (1)ミャンマーの政治状況等アミャンマーは,昭和23年に独立したが,同37年3月2日,ネウィン将軍が率いるミャンマー国軍が,クーデターを決行し,全権を掌握した。 (甲1,乙32,弁論の全趣旨)イ昭和63年3月以降,ヤンゴンで学生らの反政府デモが日増しに拡大して警察やミャンマー国軍と衝突し,同年8月8日には,学生や市民による反政府ゼネストが全国で行われるなど,大規模な民主化運動が起こった。 しかし,上記民主化運動は,ミャンマー国軍によって弾圧され,同年9月18日,軍事クーデターによりSLORCが全権を掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。(甲1,2,19,乙32,弁論の全趣旨)ウSLORCは,平成元年7月,アウンサンスーチーを国家破壊分子法違反を理由に自宅軟禁し,その政治活動を禁止した。(弁論の全趣旨)エ平成2年5月27日,約30年振りに複数政党参加による総選挙が施行され,アウンサンスーチーの率いるNLDが485議席中392議席を獲得し,約8割の議席を占めて勝利したにもかかわらず,SLORCは,民 政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,NLDに政権を委譲しなかった。(甲1,弁論の全趣旨)オSLORCは,平 を獲得し,約8割の議席を占めて勝利したにもかかわらず,SLORCは,民 政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,NLDに政権を委譲しなかった。(甲1,弁論の全趣旨)オSLORCは,平成8年5月及び同年9月に,NLD主催の議員総会や党集会の前に多数のNLD関係者を拘束して,議員総会や党集会の開催を妨害した。(弁論の全趣旨)カ平成8年10月23日,ヤンゴンの学生約500人が警官の学生への暴力に抗議してデモを行ったのを始めとして,各地で学生デモが発生し,同年12月半ばまで続いたが,SLORCは学生を強制排除した。同9年1月,同8年12月のデモを扇動したとしてNLD党員11人を含む活動家34人が禁固7年の実刑判決を受けた。(弁論の全趣旨)キ平成8年12月25日,ヤンゴンの仏教寺院において爆弾が爆発して死傷者を出すという事件があり,SLORCは,同事件にP1及びカレン民族同盟(KNU)が関与している疑いがあると発表した。また,同9年4月7日,SLORCの第二書記であるP2中将の自宅に小包が届き,これが爆発して同人の長女が死亡するという事件が起こった。(弁論の全趣旨)クSLORCは,平成8年末から同9年にかけて,NLD党員ら多数を拘束し,20人以上のNLDの議員に辞職を強制した。(弁論の全趣旨)ケSLORCは,平成9年11月15日,SPDCに改組された(なお,以下では,改組の前後を区別することなく,「SLORC」という。)。 (弁論の全趣旨)コSLORCは,平成10年1月,ミャンマー政府の指導者の暗殺や公共 建築物の破壊といった陰謀に加わったことなどを理由に約40人を逮捕し,同年4月,上記約40人のうち2人に死刑を宣告し,その余に3年から14年の禁固刑を宣告したが,死刑を宣告された2人のうち,1人はP1のメンバ といった陰謀に加わったことなどを理由に約40人を逮捕し,同年4月,上記約40人のうち2人に死刑を宣告し,その余に3年から14年の禁固刑を宣告したが,死刑を宣告された2人のうち,1人はP1のメンバーであり,1人はミャンマー国内においてP1によって組織化された組織のメンバーであった。SLORCは,P1を暴力的な活動に従事する団体であり,非合法組織であると位置付けているのに対し,P1は,平和的な活動にしか従事していない旨反論している。SLORCは,同月からさかのぼって数年の間に,死刑を宣告された上記2人のほか,P1のメンバー3人又はミャンマー国内においてP1によって組織化された組織のメンバー1人に対して,死刑を宣告している。なお,上記約40人が逮捕されたのは,反政府的な政治活動をしていたことによるのであり,そのうち3人が逮捕されたのは,ミャンマー国軍が行った人権侵害の事実を記載した書面を国際連合からミャンマーに派遣された特別使節に手渡そうとしたことによるといわれている。(甲16,18,60)サアウンサンスーチーは,平成8年後半から再び自宅外に出る自由及び訪問者を受け入れる自由を次第に制限されるようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするのを強制的に自宅に連れ戻されるという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁の措置が採られ続けていたが,同14年5月6日,ようやく軟禁状態が解かれた。しかし,同15年5月30日には,アウンサンスーチーが地方遊説に出掛けていた際,それを妨害しようとした政府系の反NLD組織である連邦連帯開発協会(USDA)によって襲撃され, アウンサンスーチー,P3NLD副議長らがSLORCによって拘束されるというP4事件が起きた。(甲1,2,5,6,8,乙3 系の反NLD組織である連邦連帯開発協会(USDA)によって襲撃され, アウンサンスーチー,P3NLD副議長らがSLORCによって拘束されるというP4事件が起きた。(甲1,2,5,6,8,乙32,弁論の全趣旨)シ平成16年6月27日現在,P1のメンバーの中には,長期の拘禁刑を宣告されて刑務所に収監中の者がいる。(甲17,弁論の全趣旨)スSLORCは,現在においても,国民の政治的自由を認めずに人権抑圧の状態を継続している。ミャンマー政府は,言論,出版,集会,移動,政治活動及び結社の自由を制限しているほか,労働者の権利も制限し,労働組合を非合法化し,国民を強制労働に使用している。(甲1から4まで,弁論の全趣旨)セミャンマー政府は,政治活動家に対する嫌がらせ,脅迫,逮捕,拘禁及び身体的虐待によって政治活動家に対する管理を強化している。政治活動を抑圧するために,監視の手段として,電話の盗聴,郵便物の検閲,尾行等のし意的な干渉を行うことがある。また,非常事態法,国家保護法等の法律が,平和的な政治活動を行った市民を逮捕するためにも用いられている。そして,特にNLDのメンバーに焦点を絞った民主派への迫害が,脅迫,嫌がらせや長期刑等の形で続いている。(甲1から4まで,9,弁論の全趣旨)ソミャンマーにおいては,人権尊重の理念が浸透しているとはいい難く,ミャンマー国軍の兵士が武装していない国民に対して超法規的死刑の執行,即決死刑の執行,し意的死刑の執行,強制労働,強制移住,強制失踪,し意的逮捕,財産の破壊及び没収,強姦等を行ったことが報告されている。 (甲1から4まで,弁論の全趣旨)(2)原告の個別的事情ア原告の身分事項等(ア)原告は,昭和▲年▲月▲日にミャンマーにおいて出生した,ミャンマー国籍を有する外国人の男性であ ている。 (甲1から4まで,弁論の全趣旨)(2)原告の個別的事情ア原告の身分事項等(ア)原告は,昭和▲年▲月▲日にミャンマーにおいて出生した,ミャンマー国籍を有する外国人の男性である。(前記前提となる事実)(イ)原告は,6人兄弟の末子(三男)である。原告の父は,菓子工場を経営していたが,平成元年に工場を売却し,その代金を財産分与として子供たちに分けた。原告の父母は,菓子工場を売却した後,ミャンマーにおいて貸店舗や貸家の賃料収入で生活しており,現在は生活には不自由していない。原告の長兄は,ミャンマーでレストランを経営していたが,経営に失敗し,日本で働く目的で同10年ないし11年ころに来日し,日本で働いていたが,現在はミャンマーに帰国している。原告の次兄は,反政府デモに参加したことなどを理由に,昭和63年末に懲役5年の刑を宣告されて刑務所に収監され,出所後である平成7年に再び懲役3年の刑を宣告されて刑務所に収監され,出所後は体調を崩し,同14年に病気により死亡した。原告の1番目の姉は,同2年ころにミャンマーを出国してアメリカ合衆国に行き,その後に渡ったカナダにおいて性転換手術を受けた。原告の2番目の姉は,同3年ころにミャンマーを出国してカナダに行き,その後カナダ国籍を取得した。現在,原告の1番目の姉及び2番目の姉は,カナダにおいて生活している。原告の3番目の姉は,同12年に病気により死亡した。原告の家族には,原告の次兄以外に,ミャンマー政府によって身柄を拘束されたり危害を加えられ たりした者はいない。(甲48,乙9,11,40の1及び2,41,45,原告本人)イミャンマーにおける活動等(ア)原告は,昭和59年,ヤンゴン大学に入学した。ミャンマー政府は,同62年に高額紙幣を廃止する旨の廃貨令を出し,これに怒 ,40の1及び2,41,45,原告本人)イミャンマーにおける活動等(ア)原告は,昭和59年,ヤンゴン大学に入学した。ミャンマー政府は,同62年に高額紙幣を廃止する旨の廃貨令を出し,これに怒った学生が大学のキャンパス内において廃貨令に対する抗議行動を行ったため,ヤンゴン大学は閉鎖された。原告は,上記抗議行動に参加した1人であった。(甲48,乙11)(イ)昭和63年3月13日,学生と住民との対立を収拾しようとして出動した警察が学生に暴行を加えたり発砲したりするなどし,けがをした学生の1人であるP5が死亡するというP5事件が起きた。学生は,これを知って大学のキャンパスに集まったが,その集まりは,さながらP5事件に対する抗議集会の様相を呈していた。原告は,上記集まりに参加した1人であった。同月18日,P5事件に抗議するデモ行進が学生によって実行されたが,その際,デモ行進に参加した学生が警察によって排除されるというP6事件が起き,一部の学生が警察によって身柄を拘束され,逃げた学生の中にはインレー湖に落ちて死亡した者もいた。 原告は,上記デモ行進に参加した1人であったが,警察によって身柄を拘束されることはなかった。ヤンゴン大学は,P5事件又はP6事件後に閉鎖された。(甲48,乙11,41,45)(ウ)原告は,昭和63年8月7日,翌日にデモ行進があることを配布されたビラで知り,同月8日に行われたデモ行進に参加した。デモ行進は, 学生,労働者,公務員,農民らが参加した大規模なものであったが,同日夜,ミャンマー国軍がデモ行進に参加した学生らに暴行を加えたり発砲したりするなどして学生らを排除した。原告は,ミャンマー国軍が学生らを排除する場に居合わせたが,けがをしたり身柄を拘束されたりすることなく自宅に戻った。その後,原告は,P7に所 に暴行を加えたり発砲したりするなどして学生らを排除した。原告は,ミャンマー国軍が学生らを排除する場に居合わせたが,けがをしたり身柄を拘束されたりすることなく自宅に戻った。その後,原告は,P7に所属し,同連盟が主催するデモ行進に参加していた。同月28日,同連盟などを母体として,P8が結成され,原告もこれに参加した。(甲19,48,乙11,41,45,原告本人)(エ)原告は,昭和63年8月30日,P7の書記長から,カヤー州において民主化運動を進めていた学生グループと連絡を取って武器を調達することを依頼され,同年9月1日,カヤー州の州都であるロイコーに向かった。ロイコーに到着した原告は,P9で一緒であったP10の下を訪ねた。同人は,ロイコーにおいて民主化運動を進めていた学生グループ(以下「本件学生グループ」という。)の書記長であったことから,原告は,P10から本件学生グループを紹介された。ロイコーの学生のほとんどが本件学生グループに所属しており,その議長はP11であった。原告は,ロイコーでは,本件学生グループの活動に参加したり,P11の仲介によりP12のリーダーであったP13と会って武器の調達について交渉するなどした。(甲22から25まで,31,48,50,乙11,41,45,46,証人P11,原告本人)(オ)昭和63年9月,ミャンマー国軍と本件学生グループとの間の緊張が次第に高まり,本件学生グループがロイコーの役場に掲げた旗を降ろ すか否かをめぐってミャンマー国軍と本件学生グループとが対立したことがあった。原告及び本件学生グループは,同月18日,SLORCによる軍事政権が成立したことを知って対応を協議したが,結論は出なかった。ミャンマー国軍は,同日夜,本件学生グループに属する学生の身柄を拘束した。P10も身柄を拘束された は,同月18日,SLORCによる軍事政権が成立したことを知って対応を協議したが,結論は出なかった。ミャンマー国軍は,同日夜,本件学生グループに属する学生の身柄を拘束した。P10も身柄を拘束された者の1人であった。これを知った原告は,以前からミャンマー国軍がロイコーにやってきた原告の行方を捜していることを知っていたこともあって,身の危険を感じて潜伏した。P10は,約10日後に釈放されたが,直ちにタイとの国境付近にあるウェゼディに向かって逃げた。原告は,そのことを知って,直ちにP10の跡を追ってウェゼディに向かい,同年10月半ばころ,ウェゼディにおいてP10やP11と再会した。同年9月18日にSLORCによる軍事政権が成立すると,タウンジー,マンダレー,ロイコーなどからウェゼディに逃れてくる学生が急増し,ウェゼディには約1000人の学生が集まった。(甲22から24まで,31,48から50まで,57,乙11,45,46,証人P11,原告本人)(カ)昭和63年11月1日,反ミャンマー政府活動を行うことなどを目的としてP1が結成され,ウェゼディからはP11やP10などがP1の結成式に参加した。P1は,ウェゼディに集まった学生で組織する部隊をP14と名付け,ウェゼディに集まった学生のうち約300人がP14に参加した。P14は,5つの中隊から成り,1つの中隊は5つの小隊から成り,1つの小隊は2つ又は3つの分隊から成る。原告は,小隊長の1人に任命された。P11は,P14の隊長であった。P10は, P1の執行委員に選ばれたので,ウェゼディからマナプローに移った。 (甲21から25まで,31,48,49,61,乙11,41,証人P11,原告本人)(キ)P14は,3か月の軍事訓練を受けた後である平成元年1月ころから,P12と共にミャンマー政 ローに移った。 (甲21から25まで,31,48,49,61,乙11,41,証人P11,原告本人)(キ)P14は,3か月の軍事訓練を受けた後である平成元年1月ころから,P12と共にミャンマー政府に対する武装闘争を始めたが,同年12月,ミャンマー国軍の攻撃を受けてウェゼディを失陥し,ウェクェウィに新たな拠点を設けた。しかし,ミャンマー国軍の攻勢は激しく,その後,P14は拠点を転々と変えざるを得ないこととなった。P14に所属していた多くの仲間が戦死したり,捕らえられて殺されるなどした。 原告は,同年3月ころにマラリアにかかったことから,以後後方支援に回り,前線からの連絡やラジオのニュースを聞くことなどによる情報収集及び食糧の配給を担当していたが,ミャンマー国軍との交戦中にけがをしたこともあった。(甲48から50まで,乙11,45,原告本人)(ク)P11は,平成2,3年ころ,タイ国軍からP1がタイ国内において自由に行動する保障を受けるために,P1の全体の構成,大隊の構成,大隊に所属する者1人1人の氏名及び役職,大隊,中隊及び小隊の所在地等を記載したメンバーリストをタイ国軍に渡していた。これによってP1のメンバーはタイ国内を自由に行動することができたが,タイ国軍は,タイとミャンマーとの国境付近においてタイ国軍と対じしていたミャンマー国軍に上記メンバーリストを渡していた。このため,ミャンマー国軍は,同年ころ当時にP14に所属していたミャンマー人の学生が だれであるかを掌握していた。(証人P11,原告本人)ウタイにおける活動等(ア)原告は,平成元年3月ころにマラリアにかかった後,マラリアが再発しては落ち着くという状態を繰り返し,タイのメーホンソンで病院に通院して治療を受けていたが,同2年11月には,高熱が続いて意識を失うとい 告は,平成元年3月ころにマラリアにかかった後,マラリアが再発しては落ち着くという状態を繰り返し,タイのメーホンソンで病院に通院して治療を受けていたが,同2年11月には,高熱が続いて意識を失うという状態に陥ったことから,タイのメーソット市に在る病院に入院して治療を受けた。しかし,原告は,退院後の体調が万全ではなかったことから,P11の指示により,タイに残って,マラリアにかかってタイにやって来る学生の面倒を見ることとなった。メーホンソンにはP12の事務所があったことから,原告は,メーソット市とメーホンソンとを行き来しながら,病気のために前線からタイにやって来た学生の面倒を見るとともに,体調の良いときは生活費を稼ぐためにミャンマー人の経営する洋服店で働いていた。(甲48,49,乙9,11,40の1及び2,41,証人P11,原告本人)(イ)原告の1番目の姉は,平成2年2月8日,ブローカーに賄ろを支払って原告のためにミャンマー政府から本件旅券の発給を受けた。原告の1番目の姉は,かねてから性転換手術を受けることを望んでおり,上記当時には既に外見は男性であったので,原告になりすまして,ヤンゴンにおいて旅券を発給する事務所に赴いて,原告の氏名及び生年月日が記載され,原告の1番目の姉の写真がはられた本件旅券に署名して,本件旅券を受け取った。原告は,同3年,タイとミャンマーを行き来する商人から,「原告の1番目の姉が原告のために本件旅券を取得したので, ブローカーから受け取ってほしい。また,原告の1番目の姉はアメリカに行くが,いずれ原告がアメリカに来ることができるように手配するので,それまでタイ以外の安全なところで待っていてほしい。」旨の言づてを聞いたので,ブローカーの下に赴き,アメリカへ行く手配が可能か否かを尋ねたところ,ブローカーは,船舶 ことができるように手配するので,それまでタイ以外の安全なところで待っていてほしい。」旨の言づてを聞いたので,ブローカーの下に赴き,アメリカへ行く手配が可能か否かを尋ねたところ,ブローカーは,船舶で日本へ行く手配なら可能である旨答えた。(甲48,55の1及び2,56,68,乙1,9,11,40の1,45,原告本人)(ウ)原告は,このままタイにいてもいつ捕まるか分からないし,タイにいてもP1に何の貢献もできないと考えていたので,日本に行くことをP11を始めとするP14の仲間に相談したところ,原告が日本に行くことに理解を示してくれたことから,タイを出国して日本に行くことを決め,ブローカーにその手配を頼んだ。タイに観光目的で滞在することができるのは3か月であることから,ブローカーは,写真を原告のものにはり替えた上,原告が3か月の滞在期間内に出入国を繰り返したように見せ掛けるために,本件旅券に出入国の証印を偽造し,本件旅券による韓国への入国を可能にするために本件旅券にその期限の延長及び渡航可能国が拡大した旨の証印を偽造するなどした。(甲48,乙1,9,11,原告本人)(エ)原告は,日本において就労する目的で,平成3年6月16日,本件旅券を用いて,日本に入国した。(前記前提となる事実,甲48,乙1,9)エ原告の日本における活動及び原告がミャンマーを出国した前後のミャン マーにおけるP14の状況等(ア)原告は,来日してから約2,3か月後である平成3年8,9月ころにメーホンソンに在るP12の事務所に電話を架けた際にP10と話をすることができたが,その際,P10から,「日本で集めた金を送ってほしい。ミャンマーとの連絡を絶やさないでほしい。」旨頼まれたので,日本で働いて得た金員の中からP14の活動資金を送金することにした。 原告は ができたが,その際,P10から,「日本で集めた金を送ってほしい。ミャンマーとの連絡を絶やさないでほしい。」旨頼まれたので,日本で働いて得た金員の中からP14の活動資金を送金することにした。 原告は,日本においてラーメン屋で働くとともに,原告が日本で知り合いになったミャンマー人が原告から託された金員を以前にメーソット市における原告の滞在先であったところに送金してP14の者がその滞在先に取りに来るという方法により,原告が現行犯逮捕された同16年6月3日まで2,3か月に1回の割合で自ら働いて得た金員の中からP14の活動資金を送金した。その送金額の合計は約150万円に上る。また,原告は,そのほかに,タイで入院している学生のために上記と同様の方法により合計約50万円を送金したり,ミャンマー国内の反政府組織のために送金するなどしており,これらを含めたこれまでの送金額の合計は約300万円に上る。また,原告は,3か月に1回の割合でメーホンソンに在るP12の事務所に電話を架けて連絡を取っていた。(甲21,22,31,48,乙9,11,40の1及び2,41,42,45,原告本人)(イ)原告がミャンマーに在る原告の実家に電話を架けて原告の母と話をした際に盗聴されている気配を感じたので,原告の実家では電話を取り外した。(乙45) (ウ)P14に所属した者の中にはタイとの国境地帯から離れ,オーストラリア,アメリカ,カナダ等において難民と認定される者もいたが,タイとの国境地帯にとどまり,ミャンマー政府に対する武装闘争を続けている者もいた。現在,P14は,組織再編によってP15となっている。 P11は,オーストラリアから難民を対象とする奨学金を得て,平成5年7月にはタイとミャンマーとの国境地帯を離れ,オーストラリアに入国し,その後,オーストラリアの市 織再編によってP15となっている。 P11は,オーストラリアから難民を対象とする奨学金を得て,平成5年7月にはタイとミャンマーとの国境地帯を離れ,オーストラリアに入国し,その後,オーストラリアの市民権を取得したが,P10は,現在もタイとミャンマーとの国境地帯にとどまり,P15に所属し,P1の中央執行委員を務めている。P14に所属していた者のうち小隊長以上の地位にいた者でミャンマーから出国した後にミャンマーに戻った者は,1人もいない。(甲22,26,27,29,31,48,49,51,52,61,乙45,46,証人P11,原告本人)(エ)P1は,外部からの資金援助に依存している。(甲71)(オ)原告は,現行犯逮捕されるまでは,日本においてミャンマーの民主化を求める活動を行っていた団体のいずれにも所属しておらず,それらの団体が主催するデモにも参加したことはなかった。(乙11,45)(3)事実認定の補足説明ア(ア)被告らは,①本件旅券の記載上は,原告はミャンマーからの出国及び同国への帰国を繰り返していること,②ミャンマーでは,旅券発給審査及び出国審査は,ミャンマー国軍を始めとする国家機関の最高幹部の関与の下,申請者の経歴や活動状況を踏まえて,安全保障の観点から極めて厳格に行われており,また,ミャンマー政府は反政府活動家として 注視している者に対し旅券の発給を拒否しているとして国際連合から憂慮を表明されており,現にミャンマー政府は反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否しているという実例があること,③(a)原告が本件旅券を取得した経緯及び本件旅券に押された出入国に関する証印の押印の経緯に関する原告の供述に変遷が見られること,(b)本件旅券の平成2年4月6日の出国印に「金のブレスレット1本」と手書きされているこ 券を取得した経緯及び本件旅券に押された出入国に関する証印の押印の経緯に関する原告の供述に変遷が見られること,(b)本件旅券の平成2年4月6日の出国印に「金のブレスレット1本」と手書きされていることからすると,本件旅券が偽造されたとは考え難いこと,(c)本件旅券にヤンゴンに在る日本大使館の査証が押された経緯に関する原告の供述が不自然かつ不合理であることに照らすと,原告の供述に信ぴょう性があるとは認め難いことを理由に,原告がミャンマーからの出国及び同国への帰国を繰り返している旨主張する。 (イ)前記認定事実のとおり,本件旅券は,ミャンマー政府が原告のために発給した真正な旅券であると認められるところ,証拠(乙1)によると,本件旅券の発給日及び発給地は,それぞれ平成2年2月8日及びヤンゴンであることが認められるから,原告が自ら本件旅券の発給を受けたとすれば,原告は,同日の時点においてヤンゴンにいたことになる。 しかし,①証拠(甲47,乙9,11,40の1,41,45)によると,原告は,本件難民認定申請をしてから,一貫して,昭和63年9月1日にカヤー州の州都であるロイコーに向かい,その後タイとミャンマーとの国境地帯に逃れ,P1に参加し,平成2年11月にタイに移った旨供述していること,②証拠(甲21から25まで,49,証人P11)によると,(a)P1のメンバーであると名乗るP11は,昭和63 年9月以降ロイコーにおいて原告と行動を共にし,その後タイとミャンマーとの国境地帯に逃れ,P1に参加し,原告は平成2年11月にタイに移った旨陳述ないし証言し,(b)P1のメンバーであると名乗るP10,P16及びP17は,上記(a)と同様の陳述をし,(c)P1のメンバーであると名乗るP18は,原告がP1のメンバーである旨陳述しており,上記(a)から(c (b)P1のメンバーであると名乗るP10,P16及びP17は,上記(a)と同様の陳述をし,(c)P1のメンバーであると名乗るP18は,原告がP1のメンバーである旨陳述しており,上記(a)から(c)までは上記①を裏付けるものということができること,③証拠(甲48,原告本人)によると,原告は,本件旅券の発給の経緯について,原告の1番目の姉は,かねてから性転換手術を受けることを望んでおり,平成2年2月当時には既に外見は男性であったので,原告になりすまして,ヤンゴンにおいて旅券を発給する事務所に赴いて,原告の氏名及び生年月日が記載され,原告の1番目の姉の写真がはられた本件旅券に署名して,本件旅券を受け取った旨供述しており,そうすると,この供述に係る方法であれば,原告がヤンゴンにいなくても原告のために本件旅券の発給を受けることができること,④(a)証拠(乙28(法務省入国管理局局付作成の同局局長に対する報告書))には,ミャンマーでは,旅券発給審査及び出国審査は,軍を始めとする国家機関の最高幹部の関与の下,申請者の経歴や活動状況を踏まえて,安全保障の観点から極めて厳格に行われており,ミャンマー政府は,反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否している旨の記述があるが,他方,上記報告書の添付資料3には,ヤンゴンの米国大使館の元職員の供述として,「抵抗勢力の多くがジャングルや少数民族の自治地域を通ってタイやインドに逃れている。ときとして,タイのミャ ンマー大使館員からパスポートを買うことができる。ミャンマーの腐敗は組織的である。」という記述(訳文6頁)があるところ,証拠(甲48,原告本人)によると,原告は,原告の1番目の姉が,本件旅券の発給を受けるに当たって,ブローカーに賄ろを支払った旨供述しており,そうすると,上記③の方法に 記述(訳文6頁)があるところ,証拠(甲48,原告本人)によると,原告は,原告の1番目の姉が,本件旅券の発給を受けるに当たって,ブローカーに賄ろを支払った旨供述しており,そうすると,上記③の方法により本件旅券が発給されることも十分あり得るものと考えられること,(b)証拠(乙9,11)及び当裁判所に顕著な事実によると,原告は,本件旅券の取得の経緯について,平成16年6月10日の違反審査では,原告が自ら第三者に手続を依頼したかのような供述をしていたが,同月22日の口頭審理では,原告の身を案じた原告の姉が本件旅券を手配した旨供述し,さらに,本件訴えの提起後に上記③のとおり陳述ないし供述しているが,これらをもって,原告が本件旅券を取得した経緯に関する原告の供述が変遷しているとはいえないこと,(c)証拠(乙9,11)によると,原告は,本件旅券に押された同2年4月6日のミャンマーからの出国印について,同16年6月10日の違反審査では,タイに逃れた後にブローカーが作ったものである旨供述していたのが,同月22日の口頭審理では,姉から送られてきた本件旅券に押してあった旨供述し,さらに,本件訴訟の提起後に,ブローカーが,原告が3か月の滞在期間内に出入国を繰り返したように見せ掛けるために,本件旅券に出入国の証印を偽造した旨陳述ないし供述しているが,これらによると,本件旅券に押された出入国に関する証印の押印の経緯に関する原告の供述が変遷しているということができるが,その変遷をもって原告の供述は信用性に欠けるとまではいえないこと, (d)証拠(乙11)によると,原告は,本件旅券に押されたヤンゴンに在る日本大使館の査証は,ブローカーに依頼して得たものである旨供述しているが,後記⑤にかんがみれば,原告の上記供述のとおり,ブローカーに依頼してヤンゴンに在る ,原告は,本件旅券に押されたヤンゴンに在る日本大使館の査証は,ブローカーに依頼して得たものである旨供述しているが,後記⑤にかんがみれば,原告の上記供述のとおり,ブローカーに依頼してヤンゴンに在る日本大使館の査証を得ることもあり得るものと考えられるから,原告の上記供述が不自然かつ不合理であるとはいえないこと,(e)証拠(乙1)によると,本件旅券には原告の氏名を「P19」と記載しているから,原告がその氏名の頭文字をもって署名するとすれば,「○○○」となるはずであるにもかかわらず,本件旅券の署名欄には「○○○」と記載されており,そうすると,原告が本件旅券の署名欄の署名をしたとは考え難いことに照らすと,上記③の供述には十分な信用性があるということができること,⑤タイに短期滞在の在留資格により入国した外国人が短期滞在で許可された期間を超えてタイに滞在していると,不法残留者として国外退去とされるので,短期滞在で許可された期間内にいったんタイを出国し,すぐにタイに再入国することを繰り返すことは十分にあり得ることであり,本件旅券が上記③の方法により発給されたとすれば,ブローカーが,原告が3か月の滞在期間内に出入国を繰り返したように見せ掛けるために,本件旅券に出入国の証印を偽造し,本件旅券による韓国への入国を可能にするために本件旅券にその期限の延長及び渡航可能国が拡大した旨の証印を偽造するなどすることは十分にあり得るものと考えられることを総合すると,原告は,上記③の方法により本件旅券の発給を受けたものと認めるのが相当である。 したがって,原告が本件旅券の発給日である同2年2月8日にヤンゴンにいたということはできないのであり,そもそも原告が本件旅券に記載のとおりにミャンマーからの出国及び同国への入国を繰り返していたことを認めることはできない 旅券の発給日である同2年2月8日にヤンゴンにいたということはできないのであり,そもそも原告が本件旅券に記載のとおりにミャンマーからの出国及び同国への入国を繰り返していたことを認めることはできない。 (ウ)以上によれば,被告らの前記(ア)の主張は採用することができない。 イ(ア)被告らは,原告が,退去強制手続において,不法就労の目的で来日し,来日中に合計400万円をミャンマーにいる家族に送金したことを自認している旨主張する。 (イ)証拠(乙6,9,11,41,45,原告本人)によると,原告は,退去強制手続においては,当初,不法就労の目的で来日し,来日中に合計400万円をミャンマーにいる家族に送金した旨供述していたが,平成16年6月18日の事実の調査及び同月22日の口頭審理では,約150万円をP1に送金していたと供述を変更し,さらに,同年8月24日の事実の調査では,約400万円のうち,約150万円をP1に,約50万円をタイで治療を受けている人に,約100万円を両親に,それぞれ送金していたと供述を変更し,本件訴えの提起後には,約150万円をP1に,約50万円をタイで入院している学生に,それぞれ送金し,そのほかにもミャンマー国内の反政府組織のために約85万円を送金しているが,原告の両親には正月に両親に対する感謝の意を込めて3回にわたり合計約15万円を送金したことはあるものの,原告の両親にその生活費を援助する目的で送金したことは一度もないと供述を変更している。 そして,①(a)証拠(甲71)によると,P1は外部からの資金援助に依存していることが認められること,(b)前記認定事実のとおり,原告は昭和63年11月1日以降P1のメンバーであったこと,及び原告はこのままタイにいてもP1に何の貢献もできないと考えて来日したことに照らすと, ことが認められること,(b)前記認定事実のとおり,原告は昭和63年11月1日以降P1のメンバーであったこと,及び原告はこのままタイにいてもP1に何の貢献もできないと考えて来日したことに照らすと,原告が本邦に不法滞在中にP1に送金していたことは十分にあり得るものと考えられること,②上記①に,前記認定事実のとおり,原告はタイでマラリアの治療を受け,その後タイに残ってマラリアにかかってタイにやって来る学生の面倒をみていたことも勘案すると,原告が本邦に不法滞在中にタイで入院している学生に送金していたことは十分にあり得るものと考えられること,③上記①及び②に照らすと,原告が本邦に不法滞在中にミャンマー国内の反政府組織に送金していたことは十分にあり得るものと考えられること,④証拠(甲48)によると,原告は,当初から送金先を明らかにしなかった理由について,ミャンマー国内の反政府組織に送金したといえば,その組織の詳細を聞かれることとなるので,これを避けたかった旨供述しているが,上記供述に係る理由により原告がすぐに送金先を明らかにしないことも十分にあり得るものと考えられることを総合すると,原告のP1への送金額の合計は約150万円に上り,原告は,そのほかに,タイで入院している学生のために合計約50万円を送金したり,ミャンマー国内の反政府組織のために送金するなどしており,これらを含めたこれまでの送金額の合計は約300万円に上ると認めるのが相当である。 (ウ)以上によれば,被告らの前記(ア)の主張は採用することができない。 ウ(ア)被告らは,以上のほか,種々の事項について原告の供述が変遷していること,原告の供述を裏付ける的確な証拠を欠いていること,原告の供述を裏付けるものとして提出された証拠中の記述等が具体性を欠いていること及び原告の供述が他の 種々の事項について原告の供述が変遷していること,原告の供述を裏付ける的確な証拠を欠いていること,原告の供述を裏付けるものとして提出された証拠中の記述等が具体性を欠いていること及び原告の供述が他の証拠と矛盾すること等を理由に,原告の供述には信用性がない旨主張する。 (イ)確かに,上記(ア)の主張の一部には首肯し得る部分がないではないが,そのことを勘案したとしても,原告の供述に信用性がないとまでいうことはできない。 したがって,被告らの上記(ア)の主張は採用することができない。 争点(1)(難民該当性の有無)について(1)難民の意義についてア(ア)入管法61条の2第1項は,「法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があつたときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定…(略)…を行うことができる。」と規定している。そして,入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと規定している。 (イ)難民条約1条A(2)は,「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その 国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望 及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は,難民条約の適用上,「難民」という旨規定している。 (ウ)難民議定書1条2は,難民議定書の適用上,「難民」とは,難民条約1条A(2)の規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。 イ入管法にいう「難民」とは,入管法2条3号の2,難民条約1条A(2)及び難民議定書1条2を合わせ読むと,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうこととなる。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主 観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。 (2)原告の難民該当性についてア本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,原告は,①P1とい 的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。 (2)原告の難民該当性についてア本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,原告は,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイとの国境付近,タイ及び日本において民主化運動を進めるという政治的意見を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者であるか否かについて検討する。 イ(ア)前記認定事実によると,ミャンマー政府は,P1を暴力的な活動に従事する団体であり,非合法組織であると位置付けて,これを敵視しており,そのメンバーが暴力的な活動に従事したことなどを理由に当該メンバーを逮捕して有罪を宣告して刑務所に収監していること,しかし,当該メンバーが単に反政府的な政治活動をしていたにすぎない場合であっても,それがミャンマー政府にとって容認することができないものである場合には,ミャンマー政府は,暴力的な活動に従事したことなどを理由に当該メンバーを逮捕して有罪を宣告して刑務所に収監することがあるなどといわれていることを認めることができる。 (イ)前記前提となる事実及び前記認定事実のほか,証拠(乙4,6,8,9,11,40の1及び2,41,42,44から46まで)によると,①原告は,昭和63年11月1日にP1が結成されたときから現在に至 るまでP1のメンバーであり,同日以降P14に所属し,平成元年1月ころから同年3月ころまではミャンマー政府に対する武装闘争に直接従事していたが,その後は後方支援に回り,同2年11月以降はタイのメーソット市においてマラリアの治療を受け,その後そのままタイにとどまり,同3年6月16日にはP14の仲間の理解 対する武装闘争に直接従事していたが,その後は後方支援に回り,同2年11月以降はタイのメーソット市においてマラリアの治療を受け,その後そのままタイにとどまり,同3年6月16日にはP14の仲間の理解の下に就労目的で日本に入国し,以後日本にとどまって同年8,9月ころから同16年6月3日に現行犯逮捕されるまでの間2,3か月に1回の割合で自ら働いて得た金員の中からP14の活動資金を送金しており,その送金額の合計は約150万円に上ること,②原告は,現行犯逮捕されるまでは,日本においてミャンマーの民主化を求める活動を行っていた団体のいずれにも所属しておらず,それらの団体が主催するデモにも参加したことはなかったこと,③原告は,同日に現行犯逮捕された際にも,同月4日に行われた東京入管入国警備官による違反調査の際にも,自分がP1のメンバーであり難民である旨の主張を全くしていなかったが,同月8日に本件難民認定申請をするとともに,同日に行われた東京入管入国審査官による違反審査の際には自分が難民である旨主張するとともに,その後の違反調査,口頭審理及び事実の調査の際にも,自分がP1のメンバーであり難民である旨主張していることが認められる。 そうすると,前示のとおり,ミャンマー政府は,P1を暴力的な活動に従事する団体と位置付けてこれを敵視しているから,原告が本件難民認定申請の手続及び退去強制手続においてP1のメンバーであり,昭和63年11月1日にP1が結成されてから現在に至るまでP1のメンバ ーとしてミャンマー国内,ミャンマーとタイとの国境付近,タイ及び日本において活動してきた旨主張していたことが原告の帰国後にミャンマー政府の知るところとなれば,ミャンマー政府は,原告を取り調べて,原告にP1のメンバーとして知っていることをすべて話させようとするものと考 いて活動してきた旨主張していたことが原告の帰国後にミャンマー政府の知るところとなれば,ミャンマー政府は,原告を取り調べて,原告にP1のメンバーとして知っていることをすべて話させようとするものと考えられるが,前記認定事実のとおり,ミャンマーにおいては人権尊重の理念が浸透しているとはいい難いから,拷問などの身体的虐待等の方法を用いて原告にP1のメンバーとして知っていることをすべて話させようとすることは十分に考えられることである。そして,仮に,原告がP1のメンバーとして知っていることを全くないしほとんど話さないようにしたとすれば,ミャンマー政府が拷問などの身体的虐待等の方法を用いて原告を取り調べる結果,最終的には原告がP1のメンバーとして知っていることを話すとしても,ミャンマー政府がそのような原告の態度は到底容認し難いとして,例えば,原告の上記①の各行動がミャンマーの法律に定める罪のいずれかに該当するとして,原告を裁判に掛けて有罪であるとして刑務所に収監することは十分に考えられるところである。 (ウ)ところで,ミャンマー政府がP1を敵視しているからといって,あるミャンマー人がP1に所属していることをミャンマー政府が知らなければ,そのミャンマー人がミャンマーに帰国した際にミャンマー政府から迫害される危険性が高いということはできない。しかし,あるミャンマー人がP1に所属していることをミャンマー政府が知っていれば,そのミャンマー人がミャンマーに帰国した場合には,ミャンマー政府によ る取調べを受けるものと考えられる。そして,その取調べの結果,そのミャンマー人が暴力的な活動に従事していたと認定されれば,そのミャンマー人は裁判において有罪を宣告されて刑務所に収監される危険性があるということができる。また,取調べの結果,そのミャンマー人が政 ミャンマー人が暴力的な活動に従事していたと認定されれば,そのミャンマー人は裁判において有罪を宣告されて刑務所に収監される危険性があるということができる。また,取調べの結果,そのミャンマー人が政治活動に従事していたと認定された場合であっても,それがミャンマー政府にとって容認することができないものである場合には,やはり刑務所に収監される危険性があるということができる。そして,政治活動といっても,ミャンマー国内におけるものについては,ミャンマー政府が特段注目しているとは思われないものから,不快に感ずるもの,さらには脅威に感ずるようなものまで,様々な程度,種類のものを想定することができるのであり,また,国外におけるものについては,そもそも国外にいるミャンマー国籍を有する者の数は,多数に上る上,国内での活動とは異なり,国外における政治活動が必ずしもミャンマー政府にとって危険ないし脅威となるものではないから,ミャンマー国籍を有する者が,ミャンマー国外において,反政府政治活動を行ったということのみでは,ミャンマー政府が,その者の活動に格別注目しており,帰国時に迫害される可能性が高いということはできない。 本件においては,前記認定事実によると,①昭和62年に出された廃貨令に怒った学生が大学のキャンパス内において廃貨令に対する抗議行動を行ったが,原告は上記抗議行動に参加した1人にすぎないこと,②同63年3月13日にP5事件が起こったことを知った学生が大学のキャンパスに集まり,さながらP5事件に対する抗議集会の様相を呈した が,原告はこの集まりに参加した1人にすぎないこと,③同月18日にはP5事件に抗議するデモ行進に参加した学生が警察によって排除されるというP6事件が起きたが,原告は上記デモ行進に参加した1人にすぎないこと,④同年8月8日には た1人にすぎないこと,③同月18日にはP5事件に抗議するデモ行進に参加した学生が警察によって排除されるというP6事件が起きたが,原告は上記デモ行進に参加した1人にすぎないこと,④同年8月8日には学生,労働者,公務員,農民らが参加した大規模なデモ行進が行われたが,原告は前日に配布されたビラでデモ行進が行われることを知って,これに参加した1人にすぎないこと,⑤その後,原告はP7に所属し,同連盟が主催するデモ行進に参加し,同月28日に結成されたP8に参加した1人であったこと,⑥原告は,同月30日,P7の書記長から,カヤー州の学生グループと連絡を取って武器を調達することを依頼され,カヤー州の州都ロイコーに到着し,本件学生グループと接触して,その活動に参加したり,P11の仲介によりP12のリーダーであったP13と会って武器の調達について交渉するなどしたこと,⑦ミャンマー国軍は,SLORCによる軍事政権が成立した同年9月18日,P10の身柄を拘束し,これを知った原告は,以前からミャンマー国軍がロイコーにやってきた原告の行方を捜していることを知っていたこともあって,身の危険を感じて潜伏した後,ウェゼディに向かい,同年10月半ばころ,ウェゼディにおいてP10やP11と再会したこと,⑧その後,原告は,昭和63年11月1日にP1が結成された際にP1に参加し,平成元年1月ころから同年3月ころまでP14に所属してミャンマー政府に対する武装闘争に直接従事していたものの,その後は後方支援に回ったこと,⑨原告は,同2年11月以降はタイのメーソット市においてマラリアの治療を受け,その後はその ままタイにとどまり,同3年6月16日に日本に入国し,以後日本にとどまって同年8,9月ころから同16年6月3日に現行犯逮捕されるまでの間2,3か月に1回の割合で自ら働 治療を受け,その後はその ままタイにとどまり,同3年6月16日に日本に入国し,以後日本にとどまって同年8,9月ころから同16年6月3日に現行犯逮捕されるまでの間2,3か月に1回の割合で自ら働いて得た金員の中からP14の活動資金を送金していたことが認められる。 上記事実によると,P8に参加するまでの原告の活動は,昭和63年3月以降の大規模な民主化運動の中で行われたデモ行進等に参加した1人の学生の活動にすぎないのであるから,特段の事情のない限り,そもそもそのような原告の活動それ自体にミャンマー政府が特段注目することは考えられない。そして,本件全証拠を精査しても,上記特段の事情が存在することを認めることができない。そうすると,ミャンマー政府がP8に参加するまでの原告の活動に特段注目することは考えられないというべきである。 また,上記事実によると,原告がタイにおいて行っていた活動は,それだけではミャンマー政府が原告に注目する契機にはなり難いというべきであり,また,原告が日本において行っていた活動は,約12年余りにわたり自らが働いて得た金員の中からP1及びそのほかの団体等に活動資金を送るというものであるから,それだけではミャンマー政府が原告に注目する契機にはなり得ないというべきである。そうすると,ミャンマー政府がタイ及び日本における原告の活動に特段注目することは考えられないというべきである。 しかし,他方,上記事実によると,原告がP8に参加した後に武器を調達するためにロイコーに行ってからP1に参加するまでの原告の活動 は,いわばP8を代表してロイコーに派遣された者の行動であるということができ,民主化運動が高揚していた昭和63年9月18日以前における当時の状況の下においては,ミャンマー政府にとってみれば,学生を主体とする民主化運動の てロイコーに派遣された者の行動であるということができ,民主化運動が高揚していた昭和63年9月18日以前における当時の状況の下においては,ミャンマー政府にとってみれば,学生を主体とする民主化運動の高揚ないし進展を防ぐという観点から見て不快なものであり,ミャンマー政府が注目するものであったと推認することができる。また,上記事実によると,原告がP1に参加した同年11月1日からマラリアの治療のためにタイに移った平成2年11月までの間にミャンマーとタイとの国境付近においてP1のメンバーとして行っていた原告の活動は,ミャンマー政府に公然と敵対する行動であり,ミャンマー政府にとってみれば不快なものであったと推認することができる。 そして,前記認定事実によると,P14の隊長であったP11は,同2,3年ころ,タイ国軍からP1がタイ国内において自由に行動する保障を受けるために,P1の全体の構成,大隊の構成,大隊に所属する者1人1人の氏名及び役職,大隊,中隊及び小隊の所在地等を記載したメンバーリストをタイ国軍に渡していたこと,タイ国軍は,タイとミャンマーとの国境付近においてタイ国軍と対じしていたミャンマー国軍に上記メンバーリストを渡していたこと,このため,ミャンマー国軍は,同年ころ当時にP14に所属していたミャンマー人の学生がだれであるかを掌握していたことが認められる。したがって,ミャンマー政府は,原告がP8に参加した後に武器を調達するためにロイコーに行ってからP1に参加し,その後同2年11月までミャンマーとタイとの国境付近に おいてP1のメンバーとして行っていた原告の活動を不快に感じ,かつ,これに注目し,上記メンバーリストによって原告がP1に参加したことを掌握していたものと推認することができる。 そうすると,原告は,このままミャンマーに送還され 行っていた原告の活動を不快に感じ,かつ,これに注目し,上記メンバーリストによって原告がP1に参加したことを掌握していたものと推認することができる。 そうすると,原告は,このままミャンマーに送還されれば,ミャンマーにおいてP1のメンバーとして取調べを受けることが予想され,その取調べにおいて,原告が本件難民認定申請の手続及び退去強制手続において昭和63年11月1日にP1が結成されてから現在に至るまでP1のメンバーとしてミャンマー国内,ミャンマーとタイとの国境付近,タイ及び日本において活動してきた旨主張していたことがミャンマー政府の知るところとなれば,前示のとおり,ミャンマー政府が原告に対して拷問などの身体的虐待等の方法を用いたり,原告を裁判に掛けて有罪であるとして刑務所に収監したりすることは十分に考えられるところである。したがって,原告が,ミャンマーに送還されれば,ミャンマー政府が原告のP1のメンバーとしてのこれまでの活動を不快に感じて迫害を受けるおそれがあると推測したことには合理的な理由があるというべきである。 そして,前記認定事実のとおり,原告がミャンマーに在る原告の実家に電話を架けて原告の母と話をした際に盗聴されている気配を感じたので,原告の実家では電話を取り外しているのであり,本件全証拠を精査しても,ミャンマー政府が,本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時には,P1のメンバーであると掌握している原告に注目することをやめていたことを認めるに足りる 証拠はない。 (エ)以上によれば,原告は,本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイとの国境付近,タイ及び日本において民主 不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイとの国境付近,タイ及び日本において民主化運動を進めるという政治的意見を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているものと認めるのが相当である。 ウこれに対し,前記認定事実のほか,証拠(乙4,6)によると,①ミャンマー政府が原告がP1に所属していることを掌握していたにもかかわらず,原告の次兄を除いて原告の家族が投獄されたり危害を加えられたりしたことはなかったこと,②原告の1番目の姉は,平成2年2月8日,原告のために賄ろを支払ってミャンマー政府から原告名義の本件旅券の発給を受けたこと,③原告は,就労目的で来日したこと,④原告は,現行犯逮捕された直後及び退去強制手続の当初の段階では,帰国の意思を示していたこと,⑤原告は,日本に入国した同3年6月16日から現行犯逮捕された直後である同16年6月8日まで約13年間にわたり難民認定申請をしていないことが認められる。 上記①及び②は,原告が迫害を受けるおそれなど有していなかったことや,ミャンマー政府が原告の活動を特段重視していなかったことの1つの徴表と見ることができなくはない。しかし,上記①及び②は,そもそも前記イの(エ)の判断を左右するに足りる決定的な事実であるということはできない。 また,上記③から⑤までは,前記イの(エ)の判断を左右するに足りる決定的な事実であるということはできない。 エ以上によれば,原告については,本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイとの国境付 よれば,原告については,本件不認定処分がされた平成16年7月13日及び本件裁決がされた同月27日当時,①P1という特定の社会的集団の構成員であること,並びに②ミャンマー国内,同国とタイとの国境付近,タイ及び日本において民主化運動を進めるという政治的意見を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているものと認めることができる。したがって,原告は,本件不認定処分及び本件裁決当時,入管法に規定する難民に該当していたものということができる。 争点(2)(60日条項の効力及びその違反の有無)について(1)60日条項(入管法61条の2第2項)は,平成16年法律第73号による入管法の改正により削除され,同改正後の出入国管理及び難民認定法(以下「改正後入管法」という。)では,難民の認定については61条の2第1項だけが要件とされ,難民認定の申請が本邦上陸後60日以内にされなければならないという要件は求められなくなっている。本件の口頭弁論終結時におけるこのような法律改正の状況を考慮すると,以下に述べるとおり,本件では,本件不認定処分の適否の司法審査に当たり,入管法61条の2第2項の要件具備の点は,これを審査判断の対象とする必要はないというべきである。 (2)確かに,抗告訴訟における行政処分の違法性判断の基準時は処分時であり,処分後の法令の改廃は司法審査に当たり考慮しないとされているが(最高裁 昭和25年(オ)第220号同27年1月25日第二小法廷判決・民集6巻1号22頁参照),その理由は,そのような処分後の法令に基づく新しい要件については行政庁の第1次判断権が行使されていないという点にある。ところが,平成16年法律第73号による改正の内容を見ると,難民認定につき新たな要件を付け加えたり,従来の要件 法令に基づく新しい要件については行政庁の第1次判断権が行使されていないという点にある。ところが,平成16年法律第73号による改正の内容を見ると,難民認定につき新たな要件を付け加えたり,従来の要件の内容を変更するものではなく,単に60日以内の申請を義務付けていた2項という手続的要件を削除したにすぎないのであるから,改正後入管法の定める要件,すなわち,1項の要件具備の点に絞って本件不認定処分の適否の司法審査をしたとしても,1項の要件の点については行政庁は既に判断しているから,行政庁の第1次判断権の侵害の問題は生じず,そこに特段の不都合は生じないと考えられる。仮に,裁判所が,口頭弁論終結時に効力を有する改正後入管法に従って,1項の要件具備の点だけを判断して本件不認定処分を取り消したとすると,その拘束力に従って行政庁は改めて処分を義務付けられることになるが,その場合に行政庁がよるべき法律は改正後入管法であるから,60日以内の申請を義務付けていた2項の要件具備の判断は当然に不要になるのであり,同項の要件具備について判断を示していない裁判所の判断に従って行政庁が処分をしたとしても,行政庁に法律に反する処分を強いることにはならないし,第1次判断権の侵害の問題も生じない。 (3)他方,1項の要件は具備されているが,2項の要件が具備されていないという理由で難民不認定処分が維持されると,改正後入管法の下では難民と認定されるべきものが難民と認定されないことになるという状態が生ずる。このような現行法に適合しない状態を解消するためには,原告の方で改めて難 民認定の申請をせざるを得ないことになる。そして,処分後に法令の改廃という事情変更があった場合であるから,再度の申請は当然許されると解され,この再度の申請においては,改正後入管法が基準となるから,60 認定の申請をせざるを得ないことになる。そして,処分後に法令の改廃という事情変更があった場合であるから,再度の申請は当然許されると解され,この再度の申請においては,改正後入管法が基準となるから,60日以内の申請を義務付けていた2項の要件具備はもはや問題とならないのであり,1項の要件具備だけが問題となる。しかし,その場合,裁判所が1項の要件具備について判断していたとしても,棄却判決には拘束力が認められないから,原告は,再度の申請の審理において,改めて1項の要件具備を一から立証していかなければならないことになるのであり,難民であると主張する側に無用の負担とリスクを負わせることになる。しかしながら,そもそも難民認定を行政処分に係らしめたことには,行政処分という形で難民であることを統一的に認定判断し,それに従い,統一的に各行政機関が難民としての保護的措置を実施しようとする趣旨が含まれていると解され,そこには難民であると主張する者の便宜を図るという趣旨が含まれていると解されているのであって,それにもかかわらず,難民であると主張する者の便宜を図るため行政処分を介在させるという形が採られたために,上記のような不利益を生じさせることは必ずしも合理的ではない。 (4)このような点を考慮すると,平成16年法律第73号のような内容の法改正の場合には,例外的に,裁判所は,口頭弁論終結時に改正後入管法の定める要件に従って処分の適否を審査判断すれば足りるのであり,口頭弁論終結時には削除されていた2項の要件具備の点についてまで審査判断する必要はないと解するのが相当である。 本件不認定処分の適法性について 以上によると,本件不認定処分及び本件裁決の各当時,原告に難民該当性を認めることができるから,本件不認定処分は違法であるというべきである。したがって,本 。 本件不認定処分の適法性について 以上によると,本件不認定処分及び本件裁決の各当時,原告に難民該当性を認めることができるから,本件不認定処分は違法であるというべきである。したがって,本件不認定処分は,取消しを免れない。 争点(3)(本件裁決の適法性)について(1)入管法50条1項3号は,入管法49条1項所定の異議の申出を受理したときにおける同条3項所定の裁決に当たって,異議の申出が理由がないと認める場合でも,法務大臣は在留を特別に許可することができるとし,入管法50条3項は,この許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなす旨定めている。 ところで,このような在留特別許可を付与するか否かの判断は,法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられていると解すべきである(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。したがって,上記の在留特別許可を付与するか否かについての法務大臣の判断が違法とされるのは,その判断が全く事実の基礎を欠き,又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した場合に限られるというべきである。 そこで,以上の判断の枠組みに従って,原告に在留特別許可を付与しないとした被告法務大臣の判断に裁量権の逸脱又は濫用があるといえるか否かについて検討する。 (2)ア前記前提となる事実によると,原告は,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて,本邦に上陸し,その後,引き続き本邦に不法に在留していた者であるから,入管法24条4号ロ所定の 退去強制事由に該当するというべきである。 イしかしながら,入管法61条の2の8の規定振り及び入管法上の難民の意義,性質等からすると,当該外国人が入管法上の難 るから,入管法24条4号ロ所定の 退去強制事由に該当するというべきである。 イしかしながら,入管法61条の2の8の規定振り及び入管法上の難民の意義,性質等からすると,当該外国人が入管法上の難民に当たるか否かは,法務大臣が在留を特別に許可することをせずに入管法49条1項に基づく異議の申出に理由がない旨の裁決をするか否かについて判断する場合に当然に考慮すべき極めて重要な考慮要素であるというべきである。そして,前記のとおり,原告は,入管法2条3号の2,難民条約1条,難民議定書1条2に規定する「難民」に該当するというべきである。 ところが,被告法務大臣の本件訴えにおける主張からすれば,被告法務大臣が原告が入管法上の難民に該当する者であることを考慮せずに本件裁決を行ったことは明らかである。すなわち,本件裁決は,原告が入管法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ない。 したがって,本件裁決は,被告法務大臣の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。 ウさらに,難民条約32条1項は,「締約国は,国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか,合法的にその領域内にいる難民を追放してはならない。」と規定し,難民条約33条1項は,「締約国は,難民を,いかなる方法によつても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と規定している。 被告法務大臣は,原告が入管法上の難民に該当するのであるから,本件裁決が上記各規定に反する結果とならないかについても吟味する必要があったところ,このような吟味をしたことをうかがわせる事情はない。 したがって,この点において 管法上の難民に該当するのであるから,本件裁決が上記各規定に反する結果とならないかについても吟味する必要があったところ,このような吟味をしたことをうかがわせる事情はない。 したがって,この点においても,本件裁決は,被告法務大臣の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。 (3)以上によれば,本件裁決は,被告法務大臣の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分であるから,取消しを免れない。 争点(4)(本件退令処分の適法性)について法務大臣は,入管法49条1項による異議の申出を受理したときには,異議の申出が理由があるかどうかを裁決して,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときには,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条5項)。 しかしながら,上記のような退去強制令書発付処分の前提となる裁決が違法である場合には,これに従ってされた退去強制令書発付処分も違法であるというほかない。そして,本件裁決が違法であることは前記5のとおりであるから,本件退令処分も違法であり,取消しを免れない。 本件決定の取消しの訴えの適否について原処分の取消しを求める訴えとこれに対する裁決の取消しを求める訴えが併合提起されている場合には,裁決が原処分に対する不服申立てに関する判断であることからすれば,原処分が取り消されれば,裁決の取消しを求める法的利 益はなくなるから,裁決の取消しを求める訴えは却下されるべきものである。 本件においては,原処分である本件不認定処分とその裁決である本件決定の各取消しを求める訴えが併合提起されているところ,前示のとおり,本件不認定処分は違法であるとして 訴えは却下されるべきものである。 本件においては,原処分である本件不認定処分とその裁決である本件決定の各取消しを求める訴えが併合提起されているところ,前示のとおり,本件不認定処分は違法であるとして取り消されるから,その裁決である本件決定の取消しを求める訴えの利益はないというべきである。したがって,本件決定の取消しを求める訴えは不適法として却下されるべきである。 結論 よって,原告の請求のうち,本件決定の取消しを求める部分は,不適法であるからこれを却下し,その余の部分は,いずれも理由があるからこれらを認容することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,64条ただし書,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第38部杉原則彦裁判長裁判官鈴木正紀裁判官 松下貴彦裁判官 別紙1 原告の主張(1)ミャンマーの一般情勢アミャンマーにおける政治の変遷(ア)ミャンマーでは,昭和37年,ネウィンが軍事クーデターにより全権を掌握し,ビルマ社会主義計画党によってミャンマーを一党支配した。 同63年3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が体制に対して命懸けの抵抗を始め,同年8月後半から同年9月前半にかけて最も民主化運動が高揚した。しかし,同月18日,ミャンマー国軍の幹部20人を構成員とする国家法秩序回復評議会(以下「SLORC」という。)による軍事政権の成立が宣言され,それまで建前上は政治の表舞台に立つことがなかったミャンマー国軍が政治権力を行使することになった。 (イ)国民民主連盟(以下「NLD」という。)は,その書記長であったアウンサンスーチーが平成元年7月から自宅に軟禁されていたにもかかわらず,同2年5月27日,ミャンマーにおいて30年振りに複数政党 (イ)国民民主連盟(以下「NLD」という。)は,その書記長であったアウンサンスーチーが平成元年7月から自宅に軟禁されていたにもかかわらず,同2年5月27日,ミャンマーにおいて30年振りに複数政党が参加して実施された総選挙において,軍事政権の後押しした民族統一党に圧勝した。しかし,SLORCは,NLDに政権を委譲しなかった。軍事政権は,NLDを合法的な政党と認めているものの,その日常の政治活動を阻止し,明白な法的根拠のないままに国内各所の多くの党事務所を閉鎖したり,厳しい治安対策と脅威によって政治活動を抑圧している。例えば,アウンサンスーチーについては,同8年後半から再び自宅外へ出る自由及び 訪問者を受け入れる自由を次第に制限するようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするアウンサンスーチーを強制的に自宅に連れ戻すという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁措置を採り続け,同14年5月6日,ようやく軟禁状態を解いた。また,同15年5月30日には,アウンサンスーチーらNLD党員が襲撃されるというP4事件があり,アウンサンスーチーらNLD党員がミャンマー国軍の施設等に拘束され,その後釈放されたものの,自宅軟禁状態が現在まで続いている。現在も,NLDのメンバーらや国民の政治活動等の自由には制約が課されたままである。 イミャンマーにおける人権の抑圧の状況(ア)ミャンマーでは,国民及び政治活動家を尋問のために家族に通知することなく逮捕するので,これらの者が数時間から数週間にわたり行方不明となることがある。 (イ)ミャンマーでは,拘留者を尋問するときの手段として拷問を用いている。 (ウ)ミャンマーでは,司法機関は行政機関から独立しておらず,政治的な裁判の場合には,裁判は公 不明となることがある。 (イ)ミャンマーでは,拘留者を尋問するときの手段として拷問を用いている。 (ウ)ミャンマーでは,司法機関は行政機関から独立しておらず,政治的な裁判の場合には,裁判は公開されていない。 (エ)ミャンマー政府は,多くの国民の移動及び活動を綿密に監視しており,治安部隊関係者は,選択的に,私的な通信及び手紙を遮り,無令状で私有地及びその他の財産の捜索を行っている。 (オ)ミャンマーには,緊急事態法,非合法団体法,国家保護法,印刷出版登録法及びその改正法,1985年ビデオ法等,多くの政治犯を生み出す ことを可能にする法律が存在する。ミャンマーにおいては,反政府の立場にある者を様々な法律を使って極めて簡単に処罰することが可能となっており,現に,これらの法律により多くの者が政治犯として捕らえられている。 (カ)ミャンマーでは,拷問や虐待が制度化されており,ミャンマー国軍の情報部員,刑務所の看守や警察官は,政治的理由による拘留者を尋問するとき,また,暴動をけん制するための手段として,拷問や虐待を用いている。治安部隊は,情報を引き出したり,政治犯や少数民族の人々を罰したり,軍事政権に批判的な人々に恐怖を植え付ける手段として,拷問を用いている。 (2)原告の個別的事情アミャンマー,ミャンマーとタイとの国境付近及びタイにおける活動状況(ア)原告は,昭和63年当時,ヤンゴン大学の学生であったが,同年3月に行われた同大学の学生による蜂起集会及びデモ行進に参加し,その後,学生の主催する演説会にも参加し,同年8月8日に起こった大規模な民主化運動の際にはデモ行進に参加し,P7が同月28日にP8を結成した際には,その委員に就任した。 (イ)原告は,昭和63年8月末ころから,P8の代表としてカヤー州の州都であるロイコーに 大規模な民主化運動の際にはデモ行進に参加し,P7が同月28日にP8を結成した際には,その委員に就任した。 (イ)原告は,昭和63年8月末ころから,P8の代表としてカヤー州の州都であるロイコーに赴き,学生組織の指導者たちとミャンマーの民主化に向けての方策について議論を重ねた。原告は,同年9月18日に軍事政権の成立が宣言されたときには,上記指導者の1人であったP10宅にいたが,ミャンマー国軍及び警察は,同日,P10の身柄を拘束したので,原 告は,危険を感じてP10宅を出て,複数の家を転々とした。P10は,11日間身柄を拘束された後に釈放されたが,その後ミャンマー国軍が再びP10を捕らえようとしていることを知って,同年10月6日,P12の支配地域に逃れ,同月15日,P12の本部に到着した。原告は,同月16日,P12の本部に到着し,P10と再会した。 (ウ)原告は,P10などと共にP14(なお,現在は組織再編によりP15となっている。)に属し,P14委員会のオーガナイザーとして活動し,P1が昭和63年11月1日に正式に発足した際には,原始メンバーの1人となった。 (エ)原告は,平成2年後半ころからしばしば苦しんできたマラリアの症状が悪化したので,タイのメーソット市において2か月ほど治療を受け,その後,P1の指示により同市において組織の編成業務や資金の収集業務等に当たっていた。 (オ)ところが,原告は,メーソット市においてタイの警察から取調べを受けるなどして安定して在留することが困難であったことから,原告の兄が原告の代わりに旅券の取得に必要な署名等をして原告のために旅券を取得した(以下,この旅券を「本件旅券」という。)。原告は,本件旅券を所持して,平成3年6月16日,日本の博多港に到着した。 イ日本における活動状況原告は,日本 要な署名等をして原告のために旅券を取得した(以下,この旅券を「本件旅券」という。)。原告は,本件旅券を所持して,平成3年6月16日,日本の博多港に到着した。 イ日本における活動状況原告は,日本において,P12やP1の幹部らと連絡を密に取り合いながら,資金援助や啓もう活動などを行ってきた。 ウ原告の家族の状況 (ア)原告は,ミャンマーにいる母と実家にある電話で連絡を取り合っていたが,盗聴されていると感じたため,現在は実家の電話は取り外している。 (イ)原告の次兄は,昭和63年の民主化運動に身を投じたが,それを原因に2度にわたって投獄され,そのために健康を害し,平成14年に死亡した。 エ被告らの主張に対する反論(ア)a有効な旅券を所持していることは,当該旅券の所持者の難民性を否定する理由とはなり得ない。 b難民の認定の申請者が在外の公館において旅券の新規発給を求め,又は旅券の更新等の手続をした場合,当該申請者は国籍国の保護を求めるものとして難民であるとは認めないという考え方があるが,当該申請者を難民であると認める考え方もあり得る。 c本件旅券には原告がミャンマーへの帰国と再出国を繰り返している旨の記載があるが,原告が上記記載のとおり帰国及び再出国を繰り返している事実はない。 (イ)①違反調査の件数は格段に多いこと,②収容を前提として警察から送られた退去強制事由該当容疑者については,余り日本語を話すことができない場合でも,通訳人を付けずに,短時間で退去強制事由の存否に絞って違反調査が行われるのが通例であること,③そのため難民認定の申請をしようとするのであれば,収容されてから難民認定の申請をした方がよいといわれていること,④原告は,平成16年6月3日に逮捕されたが,警察では寝付けないために疲れ切ったままの状態で,同月4 定の申請をしようとするのであれば,収容されてから難民認定の申請をした方がよいといわれていること,④原告は,平成16年6月3日に逮捕されたが,警察では寝付けないために疲れ切ったままの状態で,同月4日に行われた違反 調査に臨んだので,入国警備官から「帰らなきゃ駄目でしょう。」と言われるままに,「はい」と答えてしまったことに照らすと,原告が違反調査において「ミャンマーに帰ります。」と言ったことは,原告の難民該当性を否定する論拠とはなり得ない。 (ウ)①難民の家族であれば必ず迫害を受けるわけではないこと,②原告の母は,平成2年より前に原告に関して2度にわたり尋問を受けたことがあり,同年以降は原告の家族で尋問を受けた者はいないが,原告の家族は同年に引っ越しているから,それによって追及を逃れられている可能性があることを勘案すると,原告の家族の平穏さは,原告の難民該当性を否定する論拠とはなり得ない。 (エ)原告の送金額の内訳は,P1への送金が150万円,タイとの国境で治療を受けている人たちへの送金が50万円,ミャンマー本国への送金は100ないし200万円であり,難民の認定の申請をしようとする者が日本において稼働する目的を有することと日本においてミャンマーの民主化運動を行うことは両立するものである。 (3)原告の難民該当性①ミャンマー政府は,武装テロリストグループ,又は暴動や威嚇などの脱法行為を支援し,協力する組織若しくはそのように振る舞うことなどを行っている構成員によって構成された団体であることを理由にP1を非合法組織と位置付けており,P1のメンバーの多くが政治犯として長期の刑を言い渡されて獄中にあるなど,P1及びそのメンバーに対し,激しい弾圧を行っていること,②原告は,現在もP1のメンバーであること,③したがって,仮に,原告がミ メンバーの多くが政治犯として長期の刑を言い渡されて獄中にあるなど,P1及びそのメンバーに対し,激しい弾圧を行っていること,②原告は,現在もP1のメンバーであること,③したがって,仮に,原告がミ ャンマーに帰国してP1のメンバーであることが明らかとなれば,原告は,身柄を拘束されるなどミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあることは間違いないということができ,また,原告と同じ大隊に所属していたP20などがロイコーに強制送還された際に,当局の取調べに対し,P14の構成員を漏らし,また,P11がタイ国軍に渡したP1のメンバーリストがミャンマー国軍の手に渡っていることなどからすると,ミャンマー政府は,原告がP1のメンバーであることを把握していると考えるのが自然であることに,前記(1)のミャンマーの一般情勢及び前記(2)の原告の個別的事情を加えて勘案すれば,原告には,P1という特定の社会集団の構成員であること,並びにミャンマー本国,同国とタイとの国境付近,タイ及び本邦において民主化運動を進めるという政治的意見を理由として,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖が存在するというべきであるから,原告は難民に該当する。 被告らの主張(1)旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対し当該国政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,更にはその者の引取りを保証する文書であるから,ミャンマー政府が反政府活動を理由に原告を処罰しようとしていたことが事実であるとすれば,旅券の取得は容易ではなかったものと考えられる。なぜなら,ミャンマーでは,旅券発給審査及び出国審査は,ミャンマー国軍を始めとする国家機関の最高幹部の関与の下,申請者の経 いたことが事実であるとすれば,旅券の取得は容易ではなかったものと考えられる。なぜなら,ミャンマーでは,旅券発給審査及び出国審査は,ミャンマー国軍を始めとする国家機関の最高幹部の関与の下,申請者の経歴や活動状況を踏まえて,安全保障の観点から極めて厳格に行われており,また,ミャ ンマー政府は反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否しているとして国際連合から憂慮を表明されており,現にミャンマー政府が反政府活動家として注視している者に対し旅券の発給を拒否しているという実例があるからである。 そして,①原告が本件旅券を取得した経緯に関する供述及び本件旅券に押された出入国に関する証印の押印の経緯に関する原告の供述に変遷が見られること,②本件旅券の平成2年4月6日の出国印に「金のブレスレット1本」と手書きされていることからすると,本件旅券が偽造されたとは考え難いこと,③本件旅券にヤンゴンに在る日本大使館の査証が押された経緯に関する原告の供述が不自然かつ不合理であることに照らすと,原告の供述に信ぴょう性があるとは認め難い。そうすると,本件旅券は,その記載どおり,原告が同年2月8日にミャンマー政府から何ら問題なく正規に発給を受けたものであり,原告は,同3年2月13日にはヤンゴンにおいて本件旅券の有効期間の延長許可を受けたものであるというべきである。 また,本件旅券の記載によると,原告は,本件旅券の発給を受けた後,ミャンマー国営航空を利用してミャンマーからの出国及び帰国を繰り返している。 以上によれば,原告が反政府活動に深く関わっているとミャンマー政府が考えない者であったことが強く推認される。 (2)原告の供述によると,原告の家族は,ミャンマー国内において継続して安定的に平穏な生活を営んでいる。 (3)原告は,平成16年6月4日に行わ ー政府が考えない者であったことが強く推認される。 (2)原告の供述によると,原告の家族は,ミャンマー国内において継続して安定的に平穏な生活を営んでいる。 (3)原告は,平成16年6月4日に行われた違反調査において,稼働目的で来日したものであり,「警察に捕まったので,ミャンマーに帰ります。」旨供述し ていたにもかかわらず,同月8日に行われた違反審査においては,P1に所属してミャンマー政府と戦っていたので,ミャンマーに帰国すると,必ず逮捕される旨申し立てて,上記供述を翻しているが,このように唐突に難民である旨主張し始めたことからすると,原告の上記申立てには信ぴょう性がないというべきである。 (4)原告は,相当長期間にわたり,摘発されるまで,合理的な理由もなく,本邦において難民認定の申請をしていない。 (5)原告は,退去強制手続において,不法就労の目的で来日し,来日中に合計400万円をミャンマーにいる家族に送金したことを自認している。 (6)原告の供述によると,原告の本邦における活動は単に資金を送金することのみで,原告はそれ以外の政治的活動を全く行っていないのであり,そうすると,原告がミャンマー政府から危険視されるほどの高い政治的信念を有していたとは考え難い。 (7)以上によれば,原告が難民であると認めることはできない。 以上 別紙2 原告の主張(1)入管法61条の2第2項は,平成16年法律第73号により削除されているから,平成16年法律第73号の施行後には難民認定申請が入管法61条の2第2項に違反しているか否かを判断する必要はない(東京高裁平成18年(行コ)第38号同年8月30日判決・公刊物未登載)。 (2)入管法61条の2第2項は,努力規定又は訓示規定であるから,本件難民認定申請が同項本文に違反していることを 必要はない(東京高裁平成18年(行コ)第38号同年8月30日判決・公刊物未登載)。 (2)入管法61条の2第2項は,努力規定又は訓示規定であるから,本件難民認定申請が同項本文に違反していることをもって,本件不認定処分が適法であるということはできない。 (3)入管法61条の2第2項ただし書所定の「やむを得ない事情」とは,入国後速やかに難民としての保護を求めなかったことが必ずしも難民でないことを事実上推認させるものではないことをいうところ,本件では,原告は,平成12年ころに至って初めて我が国の難民認定制度を知ったが,難民認定申請が簡単ではなく,申請すると捕まってしまうおそれがあるという話を聞いたので申請をしなかったのであり,その後現行犯逮捕されたことからミャンマーに送還されることを避けるために本件難民認定申請をするに至ったのであるから,本件難民認定申請が60日を経過したことには「やむを得ない事情」があるというべきである。 被告国の主張(1)入管法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」とは,病気,交通の途絶等の客観的又は物理的な事情により,本邦に上陸した日又は本邦に ある間に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実を知った日から60日以内に入国管理官署に出向くことができなかった場合や,申請者が第三国において難民としての保護を求めることを希望し,その目的で当該第三国への入国申請等具体的な手続を行っていたものの,結果的にこれが認められず,その時点では既に申請期間が経過していた場合のように,本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解すべきである。 (2)しかし,原告には上記(1)にいう特段の事情があるとは認められないから,原告が本邦上陸後 か否かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解すべきである。 (2)しかし,原告には上記(1)にいう特段の事情があるとは認められないから,原告が本邦上陸後から60日以内に本件難民認定申請をしなかったことについて「やむを得ない事情」があったということはできない。 以上 別紙3 原告の主張原告が「難民」に該当するにもかかわらず,原告に在留特別許可を認めなかった本件裁決には,被告法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した違法がある。 被告法務大臣の主張(1)そもそも,国家は,外国人を受け入れる義務を国際慣習法上負うものではなく,特別の条約又は取決めがない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを自由に決することができる。 また,憲法上も,外国人は,我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん,在留の権利又は引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもない。我が国に適法に在留し,期間更新について申請権も付与されている在留期間更新の許否についてさえ,我が国への入国と在留が憲法上当然に保障されたものではなく,国家の自由な裁量に任されていることに基づき,それを前提として入管法が立法されているものと考えられ,更新事由の有無の判断は法務大臣の裁量に任されているのである。これに対し,入管法24条各号の退去強制事由に該当する外国人は,類型的にみて,我が国社会に滞在させることが好ましくない外国人であるところ,在留特別許可は,入管法上,退去強制事由が認められ退去させられるべき外国人に恩恵的に与え得るものにすぎず,当該外国人に申請権すら認められていないものである。そ して,在留特別許可の許否を的確に判断するに 可は,入管法上,退去強制事由が認められ退去させられるべき外国人に恩恵的に与え得るものにすぎず,当該外国人に申請権すら認められていないものである。そ して,在留特別許可の許否を的確に判断するには,外国人に対する出入国の管理及び在留の規制目的である国内の治安と善良な風俗の維持,保健衛生の確保,労働事情の安定など国益の保持の見地に立って,当該外国人の在留中の一切の行状等の個人的な事情のみならず,国内の政治,経済,社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲など諸般の事情が総合的に考慮されなければならないのであり,このような見地から,入管法は,在留特別許可の付与を国内及び国外の情勢について通暁する法務大臣の裁量にゆだねたものであり,この点からも,その裁量の範囲は極めて広範なものであることが明らかである。 以上のとおり,在留特別許可は,在留期間更新許可における法務大臣の裁量の範囲よりも質的に格段に広範なものであるから,これを付与しないことが違法となる事態は容易には考え難く,極めて例外的にその判断が違法となり得る場合があるとしても,それは,在留特別許可の制度を設けている入管法の趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事情が認められる場合に限られる。 (2)原告は,退去強制事由である入管法24条4号ロ(不法残留)に該当するから,法律上当然に退去強制されるべき外国人であるところ,前述のとおり,原告がミャンマーに送還されても迫害のおそれがあるとは認められず,かつ,他に在留を認めるべき特別の事情があることも認められないから,本件裁決には何らの違法もないというべきである。 以上 別紙4 被告主任審査官の主張(1)退去強制手続において,法務大臣から異議の申出には理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けた場合,入管法49条5項によると,東京入管主 きである。 以上 別紙4 被告主任審査官の主張(1)退去強制手続において,法務大臣から異議の申出には理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けた場合,入管法49条5項によると,東京入管主任審査官には,退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はない。したがって,上記通知があった以上,本件退令処分も適法である。 (2)前述のとおり,原告がミャンマーに帰国した場合に,迫害といえる程度の取扱いを受けるおそれがあるとは認められないから,本件退令処分が難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に違反しないことは,明らかである。 原告の主張(1)本件裁決が違法である以上,本件退令処分も違法である。 (2)難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項は,難民をその迫害を受けるおそれのある領域に追放することを禁止している(ノン・ルフールマン原則)から,原告をミャンマーに向けて強制送還することは,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に違反して違法である。 以上 別紙5 被告国の主張被告法務大臣が,原告が難民であることを看過して本件決定をしたことをもって,本件異議手続に固有の瑕疵があるということはできず,また,本件異議手続に固有の瑕疵は存しない。 原告の主張被告法務大臣が,原告が難民であることを看過して本件決定をしたという点において,本件異議手続には固有の瑕疵がある。 以上

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