H16.1.29判決平成14年(ワ)第16042号損害賠償請求事件 主文 1 被告は,原告に対し,1146万3929円及びこれに対する平成9年6月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告のその余の請求を棄却する。 3 訴訟費用は,これを5分し,その4を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求(下記1,2は,選択的請求) 1 第1請求(不法行為による損害賠償請求)被告は,原告に対し,7509万6257円及びこれに対する平成9年6月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 第2請求(債務不履行による損害賠償請求)被告は,原告に対し,7509万6257円及びこれに対する平成14年8月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は,原告が,平成9年6月9日,モルタルセメントが目に入ったことから,被告が経営する健康保険総合川崎中央病院(当時の名称。その後病院名は変更され,川崎社会保険病院となった。以下,同病院の名称にかかわらず「被告病院」という。)に行き,被告との間で,右眼へのモルタル混入に対する治療を目的とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結し,右眼の治療を受けたが,その後右眼が失明状態になったことについて,被告に対し,①被告は,モルタルセメント等を十分除去すべきであったにもかかわらずこれを怠った,②被告は,薬剤治療を行うべきであったにもかかわらず,これを怠った,③被告は,外科的治療を行うべきであったにもかかわらず,これを怠ったなどと主張して,不法行為又は本件診療契約上の債務不履行に基づき,損害賠償を求めるものである。 1 前提事実(証拠を掲げない事実は,当事者 ,外科的治療を行うべきであったにもかかわらず,これを怠ったなどと主張して,不法行為又は本件診療契約上の債務不履行に基づき,損害賠償を求めるものである。 1 前提事実(証拠を掲げない事実は,当事者間に争いがない。)(1) 当事者原告は,昭和44年12月1日生まれの男性であり(甲A1,乙A1),被告は,健康保険その他の社会保険事業の円滑な運営を促進し併せて被保険者等の福祉を図ると共に社会保障制度の確立に資することを目的とし,その目的実現のために病院等の経営を行う社団法人であって,被告病院を経営している。 (2) 診療経過等ア診療契約の締結原告は,平成9年6月9日,川崎大師インター近くの高速道路の橋脚補強工事に従事し,橋脚に鉄板を巻いた上で橋脚と鉄板との間にモルタルセメントを注入していたところ,右眼にモルタルセメントが入った(以下「本件事故」という。)ことから,右眼の治療のため,被告病院を訪れ,被告との間で,本件診療契約を締結した(以下,日時について,特に年,月を示さない場合は,全て平成9年6月である。)。 イ診療経過その余の被告病院における原告の診療経過に関する当事者の主張は,別紙診療経過一覧表記載のとおりであり,原告の視力や眼の状況等に関する当事者の主張は,別紙視力経過一覧表記載のとおりである(いずれも当事者の主張の相違する部分を除き,争いがない。)。 なお,原告の診療については,主として被告病院の医師であるA医師が担当し,原告は,被告病院における治療の後,12日,東京都葛飾区a町b番c号所在のB病院で診察を受けた後,同日以降,東京慈恵会医科大学附属青戸病院(以下「慈恵大学青戸病院」という。)で治療を受け,27日以降,慶應義塾大学医学部附属病院(以下「慶応大学病院」という。)で治療を受けるなどしたが 受けた後,同日以降,東京慈恵会医科大学附属青戸病院(以下「慈恵大学青戸病院」という。)で治療を受け,27日以降,慶應義塾大学医学部附属病院(以下「慶応大学病院」という。)で治療を受けるなどしたが,原告の右眼の視力は,平成12年1月26日ころ以降,手動弁の状態(失明状態)になった。 (3) 医学専門用語本件における医学専門用語の意味については,別紙医学用語集のとおりである(当事者間に争いがない。)。 (4) 処方薬の薬能本件における処方薬の薬能については,別紙薬能一覧表記載のとおりである(当事者間に争いがない。)。 2 争点(1) 因果関係及び責任原因(原告の主張)ア不法行為責任に基づく主張(全て選択的主張)(ア) 保存的治療等に関する不法行為責任(全て選択的主張)a 洗眼義務違反モルタルセメントは,アルカリ物質であり,アルカリ物質は細胞を破壊し組織浸透も速やかであって初期症状が軽くても時間の経過とともに重症となり,予後も悪いとされている。 そして,化学腐蝕の治療ではその重症度にかかわらず洗眼を行うとされ,洗眼には生理食塩水,リンゲル液などで,500ミリリットル1本はかけて,ペーハー(以下「pH」という。)試験紙でpHを調べた結果,中性になるまで洗眼し,重症の場合は30分以上,更に重篤な場合は入院させ持続洗眼を行う(甲B5・193頁,甲B9・3頁,甲B11・28頁,甲B17・104頁)。 なお,洗眼に際しては,上眼瞼を翻転し更には二重翻転をして結膜円蓋部まで十分に持続的に洗眼するとされている(甲B4・114頁)。 したがって,被告は,9日の初診時において,アルカリ物質であるモルタルセメントの組織破壊性を認識し,受診後直ちに生理食塩水や眼内灌流液を2リットル以上用いて,pH試験紙で調べた結果,中性になるまで したがって,被告は,9日の初診時において,アルカリ物質であるモルタルセメントの組織破壊性を認識し,受診後直ちに生理食塩水や眼内灌流液を2リットル以上用いて,pH試験紙で調べた結果,中性になるまで洗眼をすべきであったにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたものであって,不法行為責任を負う。 b モルタルセメント除去義務違反また,不十分な洗眼処置などで組織に残留している薬剤は,周囲の組織をたえず侵蝕しつづける(乙B1・135頁)ので,被告は,9日の初診時,付着,残留したモルタルセメントを直ちに除去(結膜円蓋部に残存するモルタルセメントについては,眼瞼を反転して除去する。)すべきであり(甲B5・193頁),容易にこれができたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたのものであって,不法行為責任を負う。 c アルカリ腐食組織の即時除去義務違反さらに,アルカリの水酸化イオン(OH-)は,細胞膜の脂質を鹸化により融解し容易に細胞内に入る(甲B6・1018頁)とされ,アルカリ眼外傷の腐蝕組織は水酸化イオンを放出し続ける(甲B17・102頁)のであるから,被告は,9日の初診時,アルカリ腐蝕組織を即時除去すべきであり(甲B4・114頁),容易にこれができたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたものであって,不法行為責任を負う。 (イ) 薬物治療に関する不法行為責任(全て選択的主張)アルカリ眼外傷に対する治療は,即時の長時間十分な洗眼を行うことが必要であるが,それに加えて総合的な薬物治療を行う必要がある。 薬物治療の目標は,不快感(痛み等)の除去,感染防止,消炎,眼圧コントロール,そして上皮再生の促進であり,具体的には,①感染防止のために抗生物質を局所及び全 えて総合的な薬物治療を行う必要がある。 薬物治療の目標は,不快感(痛み等)の除去,感染防止,消炎,眼圧コントロール,そして上皮再生の促進であり,具体的には,①感染防止のために抗生物質を局所及び全身に投与する,②消炎の目的のためにステロイド薬を点眼する,③急性期の眼圧上昇に対してはβ(ベータ)遮断薬等を投与する,④上皮再生促進のための薬剤を投与する必要がある(甲B1,B2,B4からB6,B10からB12,B14,B16,B17)。 そして,被告は,原告に対し,次のとおり薬剤を投与すべきであったにもかかわらず,これを怠り,これにより原告の右眼を失明状態にさせたものであって,不法行為責任を負う。 a 副腎皮質ステロイド点眼薬投与義務違反被告は,消炎目的(特に前眼部炎症抑制)のために副腎皮質ステロイド薬を点眼し,症状が悪い場合には全身投与すべきであったにもかかわらず,これを怠った。 b アトロピン投与義務違反被告は,散瞳,続発性虹彩毛様体炎の防止,虹彩後癒着防止のためにアトロピンを点眼投与すべきであったにもかかわらず,これを怠った。 c 角膜の早期上皮化防止義務違反被告は,角膜の早期上皮化をはかるために,フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGF(epidermalgrowthfactor)を投与すべきであったにもかかわらず,これを怠った。 d コラゲナーゼ抑制義務違反被告は,角膜潰瘍を形成する因子の一つであるコラゲナーゼを抑制する必要があり,そのために,EDTA,システィン,アセチルシスティン点眼又は10パーセントクエン酸ナトリウム点眼を投与すべきであり,少なくとも強力ネオファーゲンCを静注,点眼して投与すべきであったにもかかわらず,これを怠った。 (ウ) 外科的治療に関する不法行為責任(全て選択的主張)被告は,原告の ム点眼を投与すべきであり,少なくとも強力ネオファーゲンCを静注,点眼して投与すべきであったにもかかわらず,これを怠った。 (ウ) 外科的治療に関する不法行為責任(全て選択的主張)被告は,原告の右眼の洗浄後,pH試験紙で調べて中性にならないなど原告の右眼が重症の場合は,次のとおりの前房穿刺・前房洗浄又はPassowの手術をすべきであり,容易にこれができたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたのものであって,不法行為責任を負う。 a 前房穿刺・前房洗浄前房穿刺は,アルカリ腐蝕の高度な症例に対して受傷後きわめて早期の時点で行えば,房水のpHの低下の効果が認められる(甲B4・115頁)。 そして,前房穿刺,前房洗浄は,前房への移行の早い腐蝕剤の例や虹彩炎が著しい例に行い,血行の改善,角膜への細胞浸潤を防止するものである(甲B6・1022頁)。 bPassowの手術結膜壊死部は腐食薬剤を大量に含んでいるため輪部結膜壊死部を除去し,結膜下を剥離して結膜下液を排除し,血行の改善,角膜への細胞浸潤を防止する(甲B6・1022頁)。 イ債務不履行責任に基づく主張(全て選択的主張)(ア) 保存的治療等に関する債務不履行責任(全て選択的主張)前記ア(ア)記載のとおり,被告は,本件診療契約に基づき,①洗眼義務,②モルタルセメント除去義務,③アルカリ腐食組織の即時除去義務を負っていたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたのものであって,債務不履行責任を負う。 (イ) 薬物治療に関する債務不履行責任(全て選択的主張)前記ア(イ)記載のとおり,被告は,本件診療契約に基づき,①副腎皮質ステロイド点眼薬投与義務,②アトロピン投与義務,③角膜の早期上皮化防止義務(フィブロネクチン点眼,ヒア 行責任(全て選択的主張)前記ア(イ)記載のとおり,被告は,本件診療契約に基づき,①副腎皮質ステロイド点眼薬投与義務,②アトロピン投与義務,③角膜の早期上皮化防止義務(フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFの投与義務),④コラゲナーゼ抑制義務(EDTA,システィン,アセチルシスティン点眼又は10パーセントクエン酸ナトリウム,強力ネオファーゲンCの投与義務)を負っていたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたのものであって,債務不履行責任を負う。 (ウ) 外科的治療に関する債務不履行責任(全て選択的主張)前記ア(ウ)記載のとおり,被告は,本件診療契約に基づき,①前房穿刺・前房洗浄,②Passowの手術をすべき義務を負っていたにもかかわらず,これを怠ったことにより,原告の右眼を失明状態とさせたのものであって,債務不履行責任を負う。 ウ被告の主張に対する反論(因果関係)被告は,本件事故直後2,3分の洗眼が十分できず,障害が深層に及んでしまっていたため,失明に至ったと主張するが,次のとおりの事実からすれば,原告の右眼の障害の程度は,軽かったものであり,被告が前記ア又はイ記載の各治療を行っていれば,失明状態とはならなかったものである。 (ア) 原告の障害の程度と視力予後a 臨床的には,角結膜の上皮の障害の範囲,程度が経過並びに治療予後に直接関係する(甲B5・190頁,甲B6・1021頁)。 そして,障害の程度と視力予後については,結膜,角膜の障害の範囲から重症度を分類するローパー・ホール(以下「Roper-Hall」という。)の4段階評価法が最も広く受け入れられており,同評価方法の障害度Ⅰ(角膜については上皮障害,結膜については虚血を伴わない浮腫),Ⅱ(角膜については虹彩紋理が明瞭に見える角膜混 -Hall」という。)の4段階評価法が最も広く受け入れられており,同評価方法の障害度Ⅰ(角膜については上皮障害,結膜については虚血を伴わない浮腫),Ⅱ(角膜については虹彩紋理が明瞭に見える角膜混濁,結膜については虚血が輪部の3分の1以下)においては受傷直後の十分な洗眼が行われれば感染予防と消炎療法により良好な予後が得られるとされているところ,本件事故後の原告の右眼の状態は,角膜については,上皮障害のみであり,悪くても虹彩紋理が明瞭に見える角膜混濁,結膜については虚血を伴わない浮腫となっており,悪くても虚血が輪部の3分の1以下という状態であって,Roper-Hallの分類の障害度Ⅰ,悪くてもⅡに該当し,その予後は良好となるはずである(甲B5・191頁,193頁)。 b また,診療録によれば翌日の6月10日に至っても角膜「上皮混濁」と記載されており,角膜上皮欠損ではないのであるから,Hughesの分類によってもGradeⅠ又はⅡであって,予後は良好とされている。 c さらに,6月9日のアルカリによる原告の右眼の障害の程度は,角膜が混濁しているが瞳孔が外部から見える程度であり,混濁の程度は,レベル1(角膜片雲),レベル2(角膜斑),レベル3(白斑)と区分する方法でも,最も薄い混濁であってレベル1よりも薄い状態であり,視力があり(物が見える),眼圧も正常であることをあわせて考えれば,レベル1以下であることは明らかであり,障害の程度は軽いというべきである。 (イ) セメントのpHについて眼の化学腐蝕による障害の程度は,化学薬品の性状,濃度,量,接触時間,温度などの諸条件により異なり(甲B4・111頁),原因となった化学薬品によって眼の予後が全く異なる(甲B5・190頁左欄)。 そして,眼に対する障害は当然ながらpHが高いほど強くなり, 接触時間,温度などの諸条件により異なり(甲B4・111頁),原因となった化学薬品によって眼の予後が全く異なる(甲B5・190頁左欄)。 そして,眼に対する障害は当然ながらpHが高いほど強くなり,アンモニア,水酸化ナトリウム,水酸化カリウム,水酸化カルシウムの順に組織深達性は弱くなるところ(甲B4・111頁),セメントのpHがどの程度であるかは明らかではなく,必ずしも組織進達性が強いとは限らない。 (ウ) 受傷直後の原告による洗眼について原告は,本件事故直後,混入現場において,その場に置かれていた水槽(タンク)の中に顔を突っ込んで眼を開けたり閉じたりしながら手でモルタルセメントを洗い出した。そうして洗い出していた時間は約3分間である。 また,原告は,眼を洗っている最中に現場監督が来たことから現場監督が乗ってきた船で事務所に戻り,水道水を流出させて約10分間洗眼したが,船での移動に2分かかっているので,モルタルセメント混入後5分後に水道水を流して流水で洗眼した(甲A20・141頁)。 (エ) A医師の見解A医師は,「一週間したら見えるようになる」という認識を原告に示しており,担当医師は手遅れであるとは考えておらず,むしろ,良好な予後が得られると考えていた。 (被告の主張)ア原告の主張は争う。 イ原告の右眼の失明状態が生じた原因について原告の右眼については,次の(ア)から(ウ)まで記載のとおり,一見すると本件事故当初の障害の程度は軽いように見えたが,本件事故直後2,3分の洗眼が十分できず,障害が深層に及んでしまっていたため(治るものは硼酸軟膏を塗る程度でも治るはずであって,受傷後3日以内にするべき特段の治療はない。),医療機関の適切な処置で上皮がいったん再生したものの,その後,深層に及んでいた障害が発現して失明に至 治るものは硼酸軟膏を塗る程度でも治るはずであって,受傷後3日以内にするべき特段の治療はない。),医療機関の適切な処置で上皮がいったん再生したものの,その後,深層に及んでいた障害が発現して失明に至ったものであって,被告の治療行為と原告の失明状態との間に因果関係はない。 (ア) アルカリ眼外傷の一般的な予後について化学物質による眼外傷は重篤で,その初期の病態から予後を予測することが困難なことがあり,視力回復を目的とした外科的治療も奏功しないことが多い(乙B5・116頁)。 そして,アルカリ眼外傷の場合,角膜上皮欠損が小さくても実質混濁,角膜内皮障害などをきたしやすい(乙B4・248頁)。また,アルカリ性物質は接触した組織を可溶性蛋白に変えるため,残りのアルカリ性物質の組織浸透性が高く,角膜から前房,水晶体へと浸透し,重症な組織傷害を示すことが多く,動物実験では強アルカリ性の液体と角膜が接触して数分以内に前房内pHは涙液中のアルカリ物質と近似した値を示すとされている(乙B5・116頁)。さらに,アルカリによる損傷では初期像は軽微にみえても時間とともに症状は悪化し,予後は一般に不良となることがある(乙B6・366頁,367頁)。 なお,本件では,初期像が軽微である以上,被告病院でしたような保存療法を行っていくしかなく,その段階で予後が悪いと断定することもできないところ,被告病院の治療終了のわずか4日後である15日の慈恵大学青戸病院の説明(甲A20・149頁)でも,「今後障害なく治ることもあれば,失明してしまうケースもあります。治療としては炎症をおさえ経過をみていく予定です。長く時間はかかると思います。一日一日よくなってきている様だから大丈夫でしょう。」とされている。 (イ) アルカリ眼外傷における受傷直後の洗眼の重要性a 視力予後に をおさえ経過をみていく予定です。長く時間はかかると思います。一日一日よくなってきている様だから大丈夫でしょう。」とされている。 (イ) アルカリ眼外傷における受傷直後の洗眼の重要性a 視力予後に与える影響アルカリ眼外傷は,受傷後数分で前房中に薬剤が検出されてくるため,受傷直後の洗眼の有無が予後に一番影響を与える要素で重要であり,医療機関で診察,治療を開始するまでに障害が深層に及び,不可逆な状態になる可能性もあるとされている(甲B5・192頁,乙B1・133頁,135頁,136頁)。 そして,ここでいうこの受傷直後の洗眼とは,受傷直後2,3分の洗眼のことをいい(甲B5・192頁),研究結果によれば,眼内(前房水)のpHは3分20秒から3分40秒でアルカリ性のピークに達し,その後の洗浄は効果がないというものもある(乙B2)。b 洗眼方法文献上,受傷直後(2,3分)の現場でなすべき洗眼方法については,次のとおりである。 (a) 甲B5号証192頁水道水でよいから10分以上眼を洗ってから受診する。できるだけ早く大量の水で大きく眼を開けた状態で洗眼する。 (b) 甲B6号証1021頁現場で水道水で十分に洗眼・・障害の強度なものは20分程度洗眼させる。 (ウ) 本件における経過について本件では,原告の受傷から被告病院での治療開始までの時間は明確ではないが,原告は救急車で来たわけではなく,被告病院でも速やかに治療を開始しているが,受付等の手続もしており,数分ではなく数十分単位の時間が治療開始までに生じているところ,その間,原告の眼には多量のモルタルが結膜嚢内に残留したままだったのである。 そして,文献(甲B13・8頁)に,重症になってしまったケースについて,「呈示した症例のように大量の生石灰が両眼に飛入した場 ,原告の眼には多量のモルタルが結膜嚢内に残留したままだったのである。 そして,文献(甲B13・8頁)に,重症になってしまったケースについて,「呈示した症例のように大量の生石灰が両眼に飛入した場合,激痛のため洗眼は全く行えないのが実情である。」との記載があるところ,原告の被告病院来院時も,麻酔をしないと痛みで眼が開けられない状態で,看護師に痛みで耐えられないと訴えたこと,被告病院来院時にモルタルがまだ沢山残っていたことなどからすれば,原告は現場で効果的な洗眼ができなかったと考えられる。 なお,本件訴訟提起前に作成された原告の陳述書(甲A19)には,水道水による洗眼の記載はなく,橋脚での保存水での洗眼を指すと思われる記載しかなく,本件訴訟における当初の原告の主張,陳述等にしたがっても,現場での水道水での洗眼は岸に戻ってから後で,しかも5分程度のものだったというのであり,やはり不十分であった(甲A22・1頁,A23・1頁)。 (エ) 文献について原告が回復事案として提出している文献(甲B10,B13,B15,B16)については,当初の受傷の程度や洗浄の程度が不明であるか,初期に十分な洗眼が行われたものであって,結局事故の態様や現場での対応が決め手で,病院の処置は予後をあまり左右するものではないことを示すにすぎず,初期に十分な洗眼が行われなかった本件には妥当しない。 ウ被告病院における治療についてA医師は,次の(ア)から(エ)まで記載のとおり,適切な治療を行ったものであり,被告は,原告の主張する不法行為責任も債務不履行責任も負わない。 (ア) 洗眼前の視力測定について被告病院においては,まず,原告の洗眼前に,視力測定を行っているが,これは,文献上,「受診後,直ちに視力測定と前眼検 任も債務不履行責任も負わない。 (ア) 洗眼前の視力測定について被告病院においては,まず,原告の洗眼前に,視力測定を行っているが,これは,文献上,「受診後,直ちに視力測定と前眼検査,特に角膜上皮の障害と虹彩炎の有無を観察し,それから洗眼を行う。これは洗眼処置を先に行うと,機械的な上皮欠損か化学傷による上皮障害かの判断が難しくなるからである。」(甲B6・1022頁),「他の眼外傷と同様初診時は,裸眼視力だけでも測定しておく必要がある。」(甲B12・1138頁)とされていることからも,妥当である。 (イ) 保存的療法等についてa 受診後の洗眼について文献上,アルカリ眼外傷の洗眼については,注射用蒸留水等で「500ccボトル1本は用いる。強度の例には3から4本用い,20分以上は洗眼する。」(甲B6・1022頁)とされているところ,被告病院では30分以上かけて1500ミリリットル以上の生理食塩水で洗浄したのであり,妥当である(乙A2・3頁)。 なお,被告病院では,pHの検査はしていないが,その後のB病院,慈恵大学青戸病院でもpH検査をした形跡はなく,文献(甲B5・193頁)でもpH測定は「できれば」行うとされていて絶対必要とはされていない。 b モルタルセメントの除去についてA医師は,原告の右眼に残存していたモルタルセメントについて,取れるものについては,ピンセットを使って取った。 治療は,常にその時その時の患者の状態を確認しながら行うべきものであるところ,モルタルは一般的に数時間で水溶性を失い,固まるものであって不断に解け続ける性質のものではなく,被告病院での洗眼後,原告の右眼のモルタルは固まって水溶性を失い,アルカリを放出しなくなっていた。 そして,組織の再生には,上皮細胞がどれだけ残っているかが重要で に解け続ける性質のものではなく,被告病院での洗眼後,原告の右眼のモルタルは固まって水溶性を失い,アルカリを放出しなくなっていた。 そして,組織の再生には,上皮細胞がどれだけ残っているかが重要であり,容易に取れないモルタルや砂粒を切除することは,当然眼の組織自体を傷めることを伴うため,被告病院医師は,わずかに残ったモルタルをすぐに無理に組織ごと切除せず,自然に剥がれてこないか少し様子を見ることにしたのである。 仮に,原告が主張するように,残ったモルタルから不断にアルカリ成分が流出し続け,障害度が上昇したとすると,慈恵大学青戸病院でも直ちに全ての組織切除をしたはずであるが,慈恵大学青戸病院でも様子を見ながら少しずつ除去し,究極的に全部はとっていない。 また,原告の症状は次第に回復し,慈恵大学青戸病院退院時には保存療法が功を奏して,矯正視力が0.9まで回復し,手術もとりあえずしないで様子をみるということで退院しているのであって,不断に障害度が上昇し続けたのであれば,このような経過にはならないはずである。本件で固まってしまった後のモルタルはアルカリを放出しなくなっており,無理な除去はする必要はなく,文献(甲B12・1133頁)上も,鉄錆,ガラス片等についてではあるが,異物除去について,危険を冒して直ちに除去すべきとはされていない。 (ウ) 薬剤治療について薬剤については,全て投与の適応や時期が問題になり,一般に効果が強いほど,副作用も強いので,必要性がそれらの危険を上回る場合にのみ使用されるものであるので,どの治療法を選択し,どのように組み合わせていくかは実際の症状に応じて,決定されるものであって,次のとおり,本件では,各薬剤を使用する必要があったとはいえない。 a 副腎皮質ステロイド点眼薬投与について被告は,ステロイド に組み合わせていくかは実際の症状に応じて,決定されるものであって,次のとおり,本件では,各薬剤を使用する必要があったとはいえない。 a 副腎皮質ステロイド点眼薬投与について被告は,ステロイド点眼については行っており,原告の主張には理由がない。 また,ステロイドの内服については,問題になる副作用も多いことから,各文献でもほとんどがステロイド点眼は求めているが,その内服はあまり記載されていない。 なお,後眼部病変(網膜,視神経等)では,局所投与がきかないので,ステロイドの内服が必要となることもあるが,本件では,原告の傷害は前眼部で,局所投与が作用する部位であったので,ステロイドは身体の回復力を弱めてしまうこともあるので,投与は慎重に行わないといけないものであって(乙B7・228頁),原告の主張には理由がない。 b アトロピンについて原告には被告病院受診時に前房中に炎症細胞は認められず,原告は,虹彩毛様体炎は起こしておらず,その後の各医院のカルテでも虹彩毛様体炎は起こしていない。 したがって,アトロピンの投与の適応はなく,アトロピンを投与しなかったために虹彩炎を起こしたということもない。 c フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFについて(a) 角膜治療薬の使用について被告病院では角膜治療薬として適切なムコファジンを当初から使用した。 (b) フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFの適応についてこれらの薬剤投与は初期治療には行われず,中間期又は晩期での治療と考えられており,被告は,これらの薬剤を投与する必要はなかった(甲B5・193頁,甲B17・105頁,乙B7・251頁)。 また,これらについては,障害度Ⅲ以上での薬物療法であるところ,原告の当初の障害度がⅢではないことは,原告も認めている。 なお,フィブロネ B5・193頁,甲B17・105頁,乙B7・251頁)。 また,これらについては,障害度Ⅲ以上での薬物療法であるところ,原告の当初の障害度がⅢではないことは,原告も認めている。 なお,フィブロネクチンの適応があると考えられている疾患は,一般的には上皮と基底膜の接着障害の低下が問題になる疾患で(乙B7・251頁),化学薬症の急性期は適応とは考えられておらず,晩期では適応が考えられる。 (c) フィブロネクチン,EGFの入手可能性等フィブロネクチン,EGFは市販されていない薬剤で一般病院では入手不可能である上,いずれも研究段階の薬剤である。 (d) ヒアルロン酸の効果等ヒアルロン酸は点眼としては角膜上皮欠損に使われるが,ドライアイには効果的だが,遷延性の角膜上皮欠損には臨床的に効果的とはいいにくいという意見もある(乙B7・241頁)上,ヒアルロン酸は稀だが副作用で角膜障害を起こすこともある(乙B8)。 dEDTA,システィン,アセチル・システィン,クエン酸ナトリウムについて(a) 投与時期これらの薬剤の投与時期についても,初期治療ではなく,中間期である(甲B17・105頁)。 (b) 入手可能性及び適応甲B1号証は平成5年当時の文献であるが,同文献の381頁脚注によれば,EDTA,アセチル・シィステン点眼は実験的に試みられている段階と記載されており,EDTA,システィン,アセチル・システィン,クエン酸ナトリウムは点眼用としては市販されておらず,これらの薬剤については,最近の角膜に関する文献にも記載のない薬剤である(乙B7・目次参照)。 なお,強力ミノファーゲンCは,静脈注射用としては市販されており,システィンを含むが,眼化学薬症への適応は認められていない(乙B9)。 (エ) 外科的治療について前房穿刺・洗浄やPassa )。 なお,強力ミノファーゲンCは,静脈注射用としては市販されており,システィンを含むが,眼化学薬症への適応は認められていない(乙B9)。 (エ) 外科的治療について前房穿刺・洗浄やPassawの手術は今ではそもそもやるべきものではないとされており,危険も大きい。 また,原告も,これらの処置は高度な症例や虹彩炎の出ている症例で行うと主張しているところ,原告の障害度は当初は軽度であったから適応はない。 さらに,原告の角膜はいったん再生し,視力が0.9まで回復しており,これは前房のアルカリによって水晶体が障害されたりはしていないことを示すのであって,原告の失明は角膜内の問題である。 (2) 損害(原告の主張)原告は,被告の本件治療行為により,原告の右眼は,もはや光を感じるのみで視力がゼロの状態,すなわち右眼の失明となり,次のとおり合計7509万6257円の損害を被った。 ア休業損害 751万2740円原告は,本件傷害のため,慈恵大学青戸病院に入院した平成9年6月12日から症状が固定した平成14年7月31日までの1876日間休業したところ,原告の収入は,太田労働基準監督署の認定からすれば1日当たり1万6540円(年収603万7100円。甲C2・23頁,27頁,C3)であるので,原告の休業損害は,1万6540円×1876日=3102万9040円である。 もっとも,原告は,平成9年6月12日から平成14年7月31日までの休業補償給付として1763万7322円,同期間の休業特別支給金として587万8978円,合計2351万6300円の給付を受けており,同給付については,前記休業損害の一部に充当する。 したがって,原告の休業損害としては,751万2740円が相当である。 て587万8978円,合計2351万6300円の給付を受けており,同給付については,前記休業損害の一部に充当する。 したがって,原告の休業損害としては,751万2740円が相当である。 イ後遺障害による逸失利益 4800万0017円原告は,本件治療行為のため,右眼を失明し,後遺障害等級8級の後遺障害を負ったので,労働能力喪失率については,45パーセントとし,基礎年収については,年収603万7100円とし,就労可能期間については,平成9年6月9日当時29歳から67歳までの38年間とし,新ホフマン係数20.9702を用いて計算すると,603万7100円×0.45×20.9702=5696万9637円が,後遺障害による逸失利益として相当である。 もっとも,原告は,障害補償一時金として831万9620円,障害特別支給金として65万円の合計896万9620円の支給を受けており,障害特別支給金は見舞金的性格の意味を有するものであるが,これらは,逸失利益の補填の意味を有するものであるから,後遺障害による逸失利益としては,5696万9637円から896万9620円を差し引いた4800万0017円が相当である。 ウ入通院慰謝料 403万円原告の入院日数は下記のとおり289日(約9.6月)であり,通院日数は1830日(約61月)であるので,入通院慰謝料は403万円を下らない。 記(ア) 慈恵大学青戸病院について平成 9年 6月12日から同年 8月 9日まで 59日(イ) 慶応大学病院について平成 9年10月15日か 記(ア) 慈恵大学青戸病院について平成 9年 6月12日から同年 8月 9日まで 59日(イ) 慶応大学病院について平成 9年10月15日から同年11月 1日まで 18日平成 9年11月10日から同年11月22日まで 13日平成10年11月 2日から同年12月12日まで 41日平成10年12月24日から同年12月30日まで 7日平成12年11月16日から同年11月30日まで 15日平成13年 1月19日から同年 2月 6日まで 19日平成13年 3月16日から同年 4月19日まで 35日平成13年 5月 9日から同年 6月22日まで 45日平成13年 7月10日から同年 8月15日まで 37日エ後遺障害慰謝料 830万円原告は,本件治療行為のため,右眼を失明したところ,これは,前記のとおり後遺障害等級8級に該当するので,後遺障害慰謝料は830万円を下らない。 オ入院雑費 43万3500円原告は,本件治療故意のため,前記ウのとおり,慈恵大学青戸病院及び慶応大学病院に289日間入院したので,入院雑費としては,1日当たり1500円として,合計43万3500円が相当である.カ弁護士費用 682万円原告は,原告代理人弁護士に本件訴訟の追行を委任したところ,弁護士費用とし して,合計43万3500円が相当である.カ弁護士費用 682万円原告は,原告代理人弁護士に本件訴訟の追行を委任したところ,弁護士費用としては,682万円が相当である。 よって,原告は被告に対し,不法行為又は本件診療契約の債務不履行に基づき,損害金7509万6257円及びこれに対する不法行為については,不法行為の日である平成9年6月9日,債務不履行については,訴状送達の日の翌日である平成14年8月31日から,支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。 (被告の主張)原告の主張は争う。 第3 判断 1 認定事実(1) 原告が被告病院で受診するに至った経緯ア本件事故の発生原告は,6月9日,川崎大師インター近くの高速道路の橋脚補強工事のため,岸から2番目の橋脚の周りの足場の上で,鉄板を巻いた橋脚にモルタルセメントを注入していたところ,モルタルセメントを送る機械のホースが詰まったため,機械の電源を切り,ホースの先端を右眼で覗いた。すると,モルタルセメントの固まりが,ホースに詰まっていたので,原告は,その固まりを取り除こうとした。ところが,その時,ホースに詰まっていたモルタルセメントが飛び出しため,モルタルセメントが原告の顔の右側にかかり,原告が掛けていた眼鏡は吹き飛び,原告の右眼の中に大量にモルタルセメントが入った(本件事故)。(前記前提事実,甲A19,A22,A23,証人C,原告本人)イ原告による洗浄原告は,モルタルセメントが目に入ったことで,眼に強い痛みを感じたため,これを洗い流そうと思い,直ちに,前記足場に設置されていたモルタルセメントを練るための水を入れたタンクに顔を突っ込んで,その水の中で,2,3分程度,目を開いた ったことで,眼に強い痛みを感じたため,これを洗い流そうと思い,直ちに,前記足場に設置されていたモルタルセメントを練るための水を入れたタンクに顔を突っ込んで,その水の中で,2,3分程度,目を開いたり閉じたりして,眼と顔についたモルタルセメントを洗ったが,眼の痛みは変わらず,眼の中のモルタルセメントを全部取ることもできなかった。原告は,触るのも痛いほど眼に痛みを感じたため,眼を手でぬぐって洗うということは,あまりできなかった。(甲A19,A22,A23,証人C,原告本人)原告が,前記のとおり現場で眼を洗っていたその時,偶然,現場監督が船で来たので,原告は,同僚のCとともに,その船で約5分程度かけて岸に戻った。原告は,眼の中にモルタルセメントが残っており,ごろごろするような違和感を感じていたため,眼の中のモルタルセメントを取りたいと思い,岸にあった手洗い場まで約3分程度かけて歩いて行き,そこで,Cにホースを眼に向けて水を掛けてもらい,4,5分程度眼のモルタルセメントを洗い流した。(甲A19,A22,A23,証人C,原告本人)ウ被告病院への移動の経緯しかし,原告の眼の痛みは取れず,Cが原告の眼を見ると,黒目の部分が白くなっているように見えたため,原告及びCは,病院に行く必要があると考え,Cの運転で,出発したが,どこに眼科のある病院があるか分からなかったので,途中のガソリンスタンドで病院の場所を尋ね,被告病院があるということを聞き,約10分程度かけて被告病院に行った(証人C,原告本人)。 エ時間についての原告の供述についてなお,原告は,本件事故発生時から被告病院到着までの所要時間について,合計でも20分程度と供述するが,Cは,合計20分から30分と供述しているし,原告の個々の具体的行動に要した時間について,具体的かつ詳細に供述 本件事故発生時から被告病院到着までの所要時間について,合計でも20分程度と供述するが,Cは,合計20分から30分と供述しているし,原告の個々の具体的行動に要した時間について,具体的かつ詳細に供述しており(前記各所要時間の認定は主としてCの供述に基づくものである。),これを合計すれば,少なくとも30分は要したものと認められる(前記のとおり,原告はCから黒目の部分が白くなっているという指摘を受けて病院に行くことにしたもので,本件事故発生時において直ちに病院に行くことを考えていたわけではないから,実際には30分以上の時間を要した可能性が高い。)。 (2) 被告病院における治療の大まかな経緯ア 6月9日(前記前提事実,乙A1・4頁,A2,証人A,原告本人)(ア) 被告病院の看護師は,原告の眼が痛みで開かなかったことから,麻酔薬であるベノキシールを2,3回点眼し,その間,A医師は,既に診療室(中待合室)で待っている他の患者2,3人の診察を終え,その後,原告の診察をした。 (イ) A医師は,細隙灯顕微鏡で,原告の右眼の前眼部を診察したところ,右角膜表面に混濁があったが,虹彩紋理はよく見える状態であり,モルタルセメントが球結膜表面に散在し,上下の結膜嚢内に多量に充満していた。 (ウ) A医師は,その後,左眼の前眼部を診察し,左眼には異常がないことを確認した後,両眼の眼圧を測定したところ,結果は正常であった。また,A医師が,両眼の眼底検査を行ったところ,右眼底はよく見えず,左眼底は正常であった。 (エ) A医師は,その後,原告の両眼について,フラクトメーターによる視力検査を行った後,検眼レンズによる視力検査を行ったところ,裸眼視力は,右眼0.1,左眼0.04であり,矯正視力は,右眼0.8,左眼1.0であった。 なお,A医師は,視力検査については ターによる視力検査を行った後,検眼レンズによる視力検査を行ったところ,裸眼視力は,右眼0.1,左眼0.04であり,矯正視力は,右眼0.8,左眼1.0であった。 なお,A医師は,視力検査については,助手に任せ,助手が視力検査を行っている間,既に診療室(中待合室)に入っていた2,3人の患者の診察をした。 (オ) A医師は,その後,原告を外来手術用ベッドに寝かせ,洗眼瓶で生理食塩水をかけ,ガーゼでモルタルセメントをこすりながら,原告の右眼の洗浄を行い,ステロイド剤であるネオメドロールと抗菌剤であるタリビットの眼軟膏を原告の右眼に点入し,タリビット,ムコファジン(角膜保護剤)の点眼,メイアクト(抗生剤),ダーゼン,ランツジール(いずれも消炎剤),セデス(鎮痛剤)の内服,ボルタレン(鎮痛剤)の座薬を処方し,翌日も来るよう指示した。 なお,モルタルセメントは,球結膜表面全体に散在していたほか,下結膜嚢に1cc,上結膜嚢内に2cc程度,充満していた(乙A2,証人A)。 (カ) なお,A医師は,前記洗浄後,原告に対し,「眼の中のモルタルセメントは,ほとんど取れたし,この程度なら,1週間くらいで治る。」「角膜が再生するのに,1週間くらいかかるから,そうしたら見えるようになる。」と話した。 イ 6月10日(前記前提事実,乙A1・5頁)原告は,6月10日,A医師の指示どおり,被告病院に行き,同医師が細隙灯顕微鏡で前眼部を診察したが,角膜上皮に浮腫状の混濁があり,結膜の浮腫も見られた(なお,A医師は,後日確認したところ,角膜上皮の混濁ではなく角膜実質の混濁であった旨供述するが,診療録にはそのような記載は一切無く,これを認めることはできない。)。そして,同医師は,同日,特に洗浄をすることはなく,ネオメドロール,テラマイシン(抗生剤)を処方した。 ウ 6月1 た旨供述するが,診療録にはそのような記載は一切無く,これを認めることはできない。)。そして,同医師は,同日,特に洗浄をすることはなく,ネオメドロール,テラマイシン(抗生剤)を処方した。 ウ 6月11日(前記前提事実,乙A1・5頁)原告は,6月11日にも,被告病院に行き,A医師が細隙灯顕微鏡で前眼部を診察したが,モルタルセメントが結膜とくっついている状態であり,原告自身,痛みは感じていない状態であった。A医師は,分泌物(目やに)を綿棒で除去したが,同日も特に右眼を洗浄をすることはなく,前日と同様の薬を処方した。 (3) 初診時における洗浄等についてのA医師及び原告の供述ア A医師の供述A医師は,原告の初診時における洗浄等について次のとおり供述する(乙A2,証人A)。 (ア) A医師は,原告の到着後,眼科受付から,「眼にモルタルが入った患者さんがいらっしゃいました。」と言われたので,診察をしている席を立って,眼科受付の前のところまで行くと,タオルで眼を押さえ,痛みで眼を開けられない状態の原告がおり,麻酔の点眼をして痛みを取らないと診察できない状態であったので,ベノキシールの点眼を指示した。 なお,この時は,いつごろ,モルタルセメントが目に入ったかについては確認していない。 (イ) 原告がベノキシールの点眼を受けている間,既に診察室内(中待合室)に入っていた患者2,3人について診察を行った。 (ウ) 原告に対して,約1,2分毎に数回のベノキシールの点眼をしたところ,眼が開くようになったので,診察し,眼底検査,視力検査等を行った後,洗眼を開始した。 なお,原告が受付に来てから洗眼開始までの所要時間は約10分程度である。 (エ) 洗眼については,洗眼瓶やシリンジ(注射筒)を使用して,生理食塩水を用いてガーゼでモルタルセメントをぬぐうな た。 なお,原告が受付に来てから洗眼開始までの所要時間は約10分程度である。 (エ) 洗眼については,洗眼瓶やシリンジ(注射筒)を使用して,生理食塩水を用いてガーゼでモルタルセメントをぬぐうなどして行い,受付担当者や視能訓練士に手伝ってもらうなどした。洗浄によって球結膜表面や上下の結膜嚢のモルタルセメントはほとんど除去できたが,円蓋部結膜には粘膜内にモルタルが浸潤しており,さらに生理食塩水を流してもらいながら,ピンセットでガーゼを保持するなどしてガーゼでこすり取った。 その後,擦っていたガーゼにも全くモルタルセメントが付着しなくなったことから,ピンセットでもモルタルセメントを取ろうとしたが,モルタルセメントは微細顆粒状にびまん性に結膜内に存在し,約10分程度擦っても変化がなかったことから,それ以上取り除くことはできなくなった。 なお,使用した生理食塩水は1500ミリリットル以上で,洗浄時間も30分から40分程度であった。 (オ) 原告の予後については,粘膜下に浸潤するほどの化学腐食だったため,不安だったが,あまり心配させてもいけないと考え,1週間くらいで治るのではないかと話した。 (カ) なお,モルタルセメントがアルカリであることを知ったのは,10月6日であり,原告を診察していた当時は,モルタルセメントがアルカリか酸か,強アルカリか弱アルカリかは分かっていなかった。しかし,初診時は,モルタルセメントが混入してから30分以上経過しており,1分1秒を争うような状態ではないと思っていた。 イ原告の供述原告は,A医師による初診時における洗浄等について次のとおり供述する(甲A19,A22,A23,原告本人)。 (ア) 原告は,Cに初診受付をやってもらう一方,モルタルセメントが眼の中に入った旨看護師に告げると,先に診察してくれるというこ 等について次のとおり供述する(甲A19,A22,A23,原告本人)。 (ア) 原告は,Cに初診受付をやってもらう一方,モルタルセメントが眼の中に入った旨看護師に告げると,先に診察してくれるということで,診察室に入れてもらうことができた。 なお,原告は,眼が痛かったので,手の平で眼を押さえていた。 (イ) A医師は,原告の被告病院到着後,20分から30分かけて2,3人の患者を診ており,その間,原告は看護師から目薬を点眼してもらっていたが,被告病院到着時点から,目を開くことはできた。 なお,A医師が,診察をしている席を立って眼科受付の前のところまで出てきて,原告を診た上,看護師に対し,麻酔薬の点眼を指示したということはない。 (ウ) 原告は,A医師から問診を受けた後,顕微鏡で診察された。原告は,同時点でモルタルセメントは,ほとんど取れたと思っていたが,A医師から,モルタルが入っているので洗い流すと言われ,処置室に行き,ベッドに寝かされたが,A医師は,洗眼すると言ったまま,10分から20分くらいの間,その場を離れ,その間,看護師が洗顔用の水などを用意しながら顔に付着したモルタルセメントを除去してくれていた。 (エ) A医師は,その後,洗眼を開始したが,そのやり方は,ピッチャーのような形の容器に入れた生理食塩水で流し,モルタルセメントを綿棒かガーゼでこすり取っては流すという方法で,同容器1杯分しか洗わず,ピンセットは使用しなかった。 なお,この時は,痛くてたまらなかった。 (オ) 原告は,A医師による治療後,Cとともに,1週間くらいで治るという話を聞いたので,たいしたことないと思い,安心した。 なお,A医師は,6月11日に,被告病院に通院した際も,原告が1週間で治るのか尋ねたところ,大丈夫と答えていた。 (4) 被告病院における治療後の を聞いたので,たいしたことないと思い,安心した。 なお,A医師は,6月11日に,被告病院に通院した際も,原告が1週間で治るのか尋ねたところ,大丈夫と答えていた。 (4) 被告病院における治療後の原告の治療の経緯ア B病院原告は,6月12日朝,眼の動きが悪く,動かしづらかったので,勤務先の会社の代表取締役に,B病院を紹介してもらい,同病院へ行ったところ,右眼の洗眼を受けたのみで,直ちに慈恵大学青戸病院を紹介され,同日,紹介書をもらった(甲A21,A23)。 イ慈恵大学青戸病院等(ア) そこで,原告は,同日,慈恵大学青戸病院に行き,D医師による診察を受けたところ,右眼の矯正視力は0.02であり,右眼にモルタルセメントの粒が残っている状態であり,同医師から,モルタルセメントが未だたくさん入っている旨告げられた。そして,D医師は,持続洗眼により,モルタルセメントを除去したが,モルタルセメントは全部は取りきれず,角膜の状態は悪かった。(甲A19,A20・6頁,7頁,A23,原告本人)(イ) 原告は,6月13日,慈恵大学青戸病院に入院したところ,この日の状態は,虹彩紋理が見えるという状態であり,同日もモルタルセメントの除去が行われた(甲A20・7頁,47頁)。 (ウ) 原告の右眼については,6月16日,角膜混濁が少し軽快しており,同日もモルタルセメントの除去が行われ,同月19日にもモルタルセメントの除去が行われた。 (エ) その後,6月20日には角膜浮腫が軽快し,6月27日には,慶応大学病院において通院診療が開始され,同日は,MUCL(メディカルユーズコンタクトレンズ)治療用のソフトコンタクトレンズを使用したところ,よく見える状態で右眼の矯正視力も0.5となり,7月4日には0.7となり,右眼の矯正視力は上下には変動しながらも,8月9日 ユーズコンタクトレンズ)治療用のソフトコンタクトレンズを使用したところ,よく見える状態で右眼の矯正視力も0.5となり,7月4日には0.7となり,右眼の矯正視力は上下には変動しながらも,8月9日ころには,0.9になり,原告は,同日,慈恵大学青戸病院を退院した(前記前提事実,甲A20・8頁,36頁,50頁,54頁,57頁)。 なお,7月8日の状態でも,上下眼瞼結膜にモルタルセメントが残っており,8月2日には,黒目の上皮が欠損した状態になった(前記前提事実,甲A20・59頁,200頁)。 ウ慶応大学病院(ア) 原告の右眼の矯正視力は,8月22日には,0.5であったが,10月15日には,30センチメートル手動弁(矯正不能)となり,慶応大学病院に入院し,10月17日,全表層角膜移植術を受けたところ,11月1日には,右眼の裸眼視力0.5,矯正視力0.7となり,経過良好であったため,同日退院した(甲A9,A20・35頁)。 (イ) しかし,11月10日,拒絶反応が生じ,右角膜浮腫及び潰瘍,毛様充血が認められたため,慶応大学病院に再入院し,ステロイド大量療法が施行された結果,11月22日,右眼の裸眼視力0.5,矯正視力0.6となり,経過は良好であったため,同日退院した(甲A9,A20・38頁)。 (ウ) そして,平成10年8月24日ころには,原告の右眼の矯正視力は,0.6となっていたが,その後,原告は,角膜潰瘍,角膜感染症等を生じて,角膜表層移植術を受けるなどしたが,拒絶反応が生じるなどし,平成13年2月3日には手動弁の状態(失明状態)となり,以後も表層角膜移植術,結膜被覆術,羊膜移植術,結膜縫合術を受けるなどしたが,平成13年12月28日,角膜混濁(瘢痕性角結膜症)と診断され,失明状態は回復しなかった(前記前提事実,甲A9,A10,A14 表層角膜移植術,結膜被覆術,羊膜移植術,結膜縫合術を受けるなどしたが,平成13年12月28日,角膜混濁(瘢痕性角結膜症)と診断され,失明状態は回復しなかった(前記前提事実,甲A9,A10,A14,A16,A18,C2)。 (5) アルカリ眼外傷についてアモルタルセメントは,アルカリ性であり,アルカリは,接触した組織を可溶性タンパクに融解して速やかに浸透するため,アルカリ腐蝕は,融解壊死となり,不溶性たん白を形成し,凝固壊死となる酸よりも障害が強い(甲B6・1018頁,B12・1136頁)。 イそして,アルカリが目に入った場合(アルカリ眼外傷)には,受傷直後の現場において,水道水で十分に洗眼することが予後にとって重要である(甲B5・192頁,B6・1021頁,B16・260頁)。 ウアルカリ眼外傷の臨床経過については,Hughesによって,①急性期(受傷後1週間以内),②回復期(受傷後1から3週間以内),③晩発性合併症期(受傷後3週間以上経過)に分類され(但し,名称は論者によって異なる。),急性期には,結膜の虚血性壊死,角膜上皮欠損,角膜実質の浮腫性混濁,輪部の血行障害,急性虹彩炎等が生じ,修復期には,角膜上皮再生,血管新生の出現,虹彩炎の終息が生じ,晩発性合併症期には,眼球癒着,再発性角膜潰瘍等が生じるとされている(甲B2・165頁,B5・191頁,B6・1021頁)。 エまた,熱・化学腐蝕の重傷度については,障害の程度に応じて,Roper-Hallによって,4段階に評価した分類がされており,①障害度Ⅰは,角膜については上皮障害のみで,結膜については,虚血を伴わない浮腫,②障害度Ⅱは,角膜については虹彩紋理が明瞭に見える角膜混濁,結膜については虚血が輪部の3分の1以下,③障害度Ⅲは,角膜については全上皮欠損,実質混濁のため虹 ,結膜については,虚血を伴わない浮腫,②障害度Ⅱは,角膜については虹彩紋理が明瞭に見える角膜混濁,結膜については虚血が輪部の3分の1以下,③障害度Ⅲは,角膜については全上皮欠損,実質混濁のため虹彩紋理が不明,結膜については虚血が輪部の3分の1から2分の1に及ぶ,④障害度Ⅳは,角膜については白濁し,虹彩、瞳孔がみえない,結膜については,虚血壊死は輪部結膜の2分の1以上という分類になっており,予後については,障害度I,Ⅱでは,良好,Ⅲでは,障害度視力障害が生じ,稀に穿孔が生じる,障害度Ⅳでは不良とされている(甲B5・191頁,B6・1021頁)。 また,重度の腐蝕眼では,時間と共に非可逆的な組織破壊が進行するため,木下茂は,角結膜の上皮障害の大きさに輪部のパリサズ・オブ・ボグト(PalisadsofVogt,これが存在すれば輪部上皮基底細胞の再生により比較的なめらかに上皮層が修復し,存在しなければ表層性血管侵入を伴う結膜組織で覆われる。)の存在の有無を加味した分類をしており,グレード1から4までのうち,グレード3aまでは予後が比較的良いとされているが,グレード3b以上は,予後が悪いとされている(甲B6・1021頁)。 2 争点(1)(責任原因及び因果関係)について(1) 不法行為責任に基づく主張についてア責任原因(過失)の有無について(ア) 保存的治療等に関する過失の有無についてa 洗眼義務違反の有無について被告は,原告の洗眼前に,視力測定を行っているが,これは,文献上も妥当であり,アルカリ眼外傷の洗眼については,文献上,注射用蒸留水等で「500ccボトル1本は用いる。強度の例には3から4本用い,20分以上は洗眼する。」(甲B6・1022頁)とされているところ,被告病院では30分以上かけて1500ミリリットル以上の生理 蒸留水等で「500ccボトル1本は用いる。強度の例には3から4本用い,20分以上は洗眼する。」(甲B6・1022頁)とされているところ,被告病院では30分以上かけて1500ミリリットル以上の生理食塩水で洗浄したものであって,洗眼義務違反はない旨主張する。 しかし,①アルカリ眼外傷の治療に当たり,治療後の経過と比較するために,最初に眼底検査や視力検査を行うことが相当でないとまではいえないが,モルタルセメントが原告の眼の中に残留していた場合,モルタルセメントは,アルカリであって,水酸化イオンを出し,組織融解を生じることから,できる限り速やかに洗浄する必要があったところ,前記のとおり,A医師は,原告が被告病院に到着した後も,他の患者を診察し,10分以上かけて,各種検査(特に視力検査については,両眼について2種類の検査を行った。)を行っており,そのために不相当に洗眼が遅れた(前記のとおり,原告は,被告病院到着後,洗眼まで30分以上かかったと供述している。)というべきであり,適切を欠く処置であったと認められる。 そして,診療録には,モルタルセメントがくっついているとの記載と角膜が混濁しているとの記載のほかはなく,A医師が初診時の診察後には,前記のとおり1週間くらいで治るのではないかと述べていたことなどからすれば,A医師は,6月9日当時,アルカリの危険性について認識しておらず(A医師自身,同医師がモルタルセメントがアルカリであることを認識したのは10月6日であると供述している(証人A)。),そのために洗浄が遅れたものと認められる。 A医師は,前記のとおり,原告は本件事故後30分以上経っていたから1分1秒を争うような状態ではないと思っていたと供述するが,同医師は原告の受傷時刻の確認もしていないし,モルタルセメントが,アルカリか酸か,強アル のとおり,原告は本件事故後30分以上経っていたから1分1秒を争うような状態ではないと思っていたと供述するが,同医師は原告の受傷時刻の確認もしていないし,モルタルセメントが,アルカリか酸か,強アルカリか弱アルカリか等の区別もついておらず,1週間くらいで治るのではないかと述べていたのであるから,同医師に,速やかに洗浄しても原告の予後に影響がないほど本件事故後時間が経過しすぎているという認識があったとは到底認められない。 また,洗眼の程度についても,A医師には,モルタルセメントのアルカリの危険性についての認識がなかったのであるから,中性になるまで洗眼する(甲B4・114頁)など,徹底した洗眼が行われたとも認められない(前記のとおり,6月12日に原告が慈恵大学青戸病院を受診した際にも多くのモルタルセメントの粒が残っている状態であった。)。 A医師は,洗浄によりモルタルセメントは擦り洗いをしても取れなくなったから,もはや水溶性を失った旨供述するが,モルタルセメントが取れなくなったということと水溶性を失ったということは別問題であり,A医師にモルタルセメントの成分についての知識がない以上,予後やその後の治療を検討する上では,少なくとも採取したモルタルセメント(又は涙液等)のpHを確認する必要があったというべきである(甲B2・164頁,B4・114頁,B5・193頁,B6・1022頁,甲B17・101頁)。 したがって,A医師には,9日の初診時,速やかに生理食塩水や眼内灌流液を用いて,中性になるまで徹底した洗眼をすべきであったにもかかわらず,これを怠った義務違反があると認められる。 b モルタルセメント除去義務被告は,A医師は,原告の右眼に残存していたモルタルセメントについて,取れるものについては,ピンセットを使って取ったものであり,被告病 た義務違反があると認められる。 b モルタルセメント除去義務被告は,A医師は,原告の右眼に残存していたモルタルセメントについて,取れるものについては,ピンセットを使って取ったものであり,被告病院での洗眼後,原告の右眼のモルタルは固まって水溶性を失い,アルカリを放出しなくなっていたことから,わずかに残ったモルタルをすぐに無理に組織ごと切除せず,自然に剥がれてこないか少し様子を見ることにした旨主張する。 しかし,①前記のとおり,モルタルセメント(アルカリ)は極めて危険であるので,除去できるものは,全て除去する必要があると認められるところ,原告の右眼については,A医師が6月11日まで治療していたにもかかわらず,6月12日に,慈恵大学青戸病院において,多くのモルタルセメントの粒が取れていること,②したがって,ピンセットを使ってモルタルセメントを取った旨のA医師の供述の信用性には疑問があり,ピンセットは使っていない旨の原告の供述の方が信用性があること,③前記のとおり,A医師にはモルタルセメントのアルカリの危険性について認識がなかったのであるから,モルタルセメントを完全に除去しなければならないという認識があったとは認めがたいこと,④確かに,モルタルセメントも時間の経過とともに水溶性を失うことはあると考えられるが,A医師の洗浄行為が終了した時点でモルタルセメントがアルカリを放出しなくなっていたと認めることもできないこと,以上の事実によれば,A医師が,モルタルセメントを除去できる限りは除去したと認めることはできない。 したがって,A医師は,付着,残留したモルタルセメントを直ちに十分除去(結膜円蓋部に残存するモルタルセメントについては,眼瞼を反転して除去する(甲B5・193頁)。)すべきであったにもかかわらず,これを怠った義務違反があると認め したモルタルセメントを直ちに十分除去(結膜円蓋部に残存するモルタルセメントについては,眼瞼を反転して除去する(甲B5・193頁)。)すべきであったにもかかわらず,これを怠った義務違反があると認められる。 c アルカリ腐食組織の即時除去義務原告は,A医師は,9日の初診時,アルカリ腐蝕組織を即時除去すべきであった旨主張する。 しかし,①被告病院における9日の初診時に,原告の右眼について,アルカリで腐食している組織の存否及びその範囲が明確になっていたとは認められないこと,②仮に,そのような組織が存在したとしても,切除をすれば,正常な組織まで傷つけてしまう危険性があるので,切除をすべきであるとまでは認められず,原告が提出した文献上も,ピンセットやガーゼ等を用いて,除去するという趣旨の記載は認められるが,直ちに切除すべきであるというようなものはないので,A医師が,アルカリ腐食組織を即時に除去すべきであったと認めることはできない。 (イ) 薬物治療に関する過失の有無についてa 副腎皮質ステロイド点眼薬投与義務違反原告は,A医師は,消炎目的(特に前眼部炎症抑制)のために副腎皮質ステロイド薬を点眼し,症状が悪い場合には全身投与すべきであったにもかかわらず,これを怠ったと主張する。 しかし,①A医師は,6月10,11日には,副腎皮質ステロイド薬であるネオメロドールの点眼投与を行っていること,②原告が提出する文献(甲B号証)上も,ステロイド薬の点眼をすべきとの記載はあるものの,ステロイド薬の内服をすべきであるとの記載はほとんどないこと(なお,乙B6号証には,症状に応じてステロイド薬の内服という記載はあるが,これがどのような症状の場合に,どのような根拠から投与するのかは不明である上,被告も,後眼部病変(網膜,視神経等)では局所投与がきかないの 号証には,症状に応じてステロイド薬の内服という記載はあるが,これがどのような症状の場合に,どのような根拠から投与するのかは不明である上,被告も,後眼部病変(網膜,視神経等)では局所投与がきかないので,ステロイドの内服が必要となることもあるが,本件では,原告の傷害は前眼部で,局所投与が作用する部位であった旨主張し,これを覆すに足りる証拠もないので,原告について,ステロイド薬の内服をすべきであったと認めることはできない。),③ステロイドは身体の回復力を弱めてしまうこともあるので投与は慎重に行わないといけないものであること(乙B7・228頁)などからすれば,A医師が,ステロイド薬の全身投与をすべきであったと認めることはできず,原告の主張には理由がない。 なお,ステロイド薬の全身投与をしていれば,原告が右眼失明状態になるのを免れたと認めるに足りる証拠もない。 b アトロピン投与義務原告は,A医師は,散瞳,続発性虹彩毛様体炎の防止,虹彩後癒着防止のためにアトロピンを点眼投与すべきであった旨主張する。 しかし,A医師の診察当時,原告の右眼の前房中に炎症細胞は認められず,原告は,虹彩毛様体炎は起こしていなかったこと,その後も虹彩毛様体炎を起こしていないこと(甲A20,証人A,弁論の全趣旨)などからすれば,A医師が,アトロピンを点眼投与すべきであったと認めることはできない。 なお,アトロピンを投与していれば,原告が右眼失明状態になるのを免れたと認めるに足りる証拠もない。 c 角膜の早期上皮化防止義務原告は,A医師は,角膜の早期上皮化をはかるために,フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFを投与すべきであった旨主張する。 しかし,①A医師は,角膜治療薬であるムコファジンを,6月9日の初診時から使用していること,②フィブロネクチン点眼,ヒア ィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFを投与すべきであった旨主張する。 しかし,①A医師は,角膜治療薬であるムコファジンを,6月9日の初診時から使用していること,②フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFについては,初期治療には行われず,中間期又は晩期での治療に用いられる(甲B5・193頁,甲B17・105頁,乙B7・251頁)上,障害度Ⅲ以上での薬物療法であるところ,原告の当初の障害度はⅢではなかったこと,③フィブロネクチン,EGFは研究段階にあり,市販されていない薬剤で,一般病院では入手不可能であること(乙B7・247頁,251頁,証人A,弁論の全趣旨)などからすれば,A医師が,フィブロネクチン点眼,ヒアルロン酸,EGFを投与すべきであったと認めることはできない。 なお,上記薬剤を投与していれば,原告が右眼失明状態になるのを免れたと認めるに足りる証拠もない。 d コラゲナーゼ抑制義務原告は,A医師は,角膜潰瘍を形成する因子の一つであるコラゲナーゼを抑制するため,EDTA,システィン,アセチルシスティン点眼又は10パーセントクエン酸ナトリウム点眼を投与すべきであり,少なくとも強力ネオファーゲンCを静注,点眼して投与すべきであった旨主張する。 しかし,①EDTA,システィン,アセチルシスティン点眼又は10パーセントクエン酸ナトリウム点眼は,受傷直後から3日目以内の初期治療ではなく,受傷から3日以降中間期であること(甲B17・105頁),②強力ミノファーゲンCは,静脈注射用としては市販されており,システィンを含むが,眼化学薬症への適応は認められていないこと(乙B9・1498頁)などからすれば,A医師の診察時に,これらの薬剤を投与すべきであったと認めることはできない。 なお,上記薬剤を投与していれば,原告が右眼失明状態にな 適応は認められていないこと(乙B9・1498頁)などからすれば,A医師の診察時に,これらの薬剤を投与すべきであったと認めることはできない。 なお,上記薬剤を投与していれば,原告が右眼失明状態になるのを免れたと認めるに足りる証拠もない。 (ウ) 外科的治療に関する不法行為責任の有無について原告は,A医師は,前房穿刺・前房洗浄又はPassowの手術をすべきであった旨主張する。 しかし,①前房穿刺・前房洗浄については,その効果が十分認められず,組織に対する手術侵襲を考慮して行わないという文献も存在する(甲B5・193頁)上,これらの処置は,前房への移行の早い腐食剤の例や虹彩炎が著しい例に行われるとされているところ,原告がそのような例であったとは認められないこと,②Passowの手術は,著しい球結膜壊死例について,輪部結膜壊死部を除去するために行うとされている(甲B4・116頁,B6・1022頁)ところ,原告については,著しい球結膜壊死していたわけではないこと,などから判断すると,A医師が,前房穿刺・前房洗浄又はPassowの手術をすべきであったと認めることはできない。 イ因果関係について(ア) 原告は,A医師に,洗眼義務違反及びモルタルセメント除去義務違反(以下「本件義務違反」という。)がなければ,右眼が失明状態になることはなかった(損害の主張と併せ考えると,本件事故前の視力に回復していたとの趣旨に理解される。)と主張し,確かに,A医師が診察していた時点では,原告の右眼の状態については,一般に予後が良いとされる,Roper-Hallの分類で障害度Ⅱ,木下の分類でもグレード2から3aの中間程度であったと認められる(証人A)。 (イ) しかし,①アルカリ眼外傷は,受傷後数分で前房中に薬剤が検出され,動物実験では強アルカリ性の液体と角膜が 障害度Ⅱ,木下の分類でもグレード2から3aの中間程度であったと認められる(証人A)。 (イ) しかし,①アルカリ眼外傷は,受傷後数分で前房中に薬剤が検出され,動物実験では強アルカリ性の液体と角膜が接触して数分以内に前房内pHは涙液中のアルカリ物質と近似した値を示すとされている(乙B2,B5・116頁)ことなどから,受傷直後の洗眼の有無が予後に一番影響を与える要素で重要で,受傷直後に洗眼を行った13眼は,矯正視力が全て0.6以上となり,そのうち約60パーセントが1.0以上となったのに対し,受傷直後に洗眼を行っていなかった17眼は約半数の症例で0.5以下,約25パーセントの症例で0.1未満までしか回復しなかったという報告もあり(以下「本件報告」という。甲B13・6,7頁),医療機関で診察,治療を開始するまでに障害が深層に及び,不可逆な状態になる可能性もあると考えられること(前記認定事実,甲B5・192頁,乙B1・133頁,135頁,136頁,B5・116頁),②文献上も,受傷直後の現場でなすべき洗眼方法については,水道水でよいから10分以上眼を洗ってから受診する,できるだけ早く大量の水で大きく眼を開けた状態で洗眼する(前記認定事実,甲B5・192頁),現場で水道水で十分に洗眼・・・障害の強度なものは20分程度洗眼させる(前記認定事実,甲B6・1021頁,1022頁)などとされているが,原告が行った洗浄は,モルタルセメントがかかった直後に,タンクで2,3分程度,目を開けたり閉じたりし,その後,ホースで水を4,5分程度掛けた程度である(前記認定事実)上,原告は,触るのも痛いほどの痛みを感じており(原告本人),A医師の診察当時も,原告の右眼には,モルタルセメントが大量に残存していたこと(前記認定事実)から判断しても,十分な洗浄ができていたと )上,原告は,触るのも痛いほどの痛みを感じており(原告本人),A医師の診察当時も,原告の右眼には,モルタルセメントが大量に残存していたこと(前記認定事実)から判断しても,十分な洗浄ができていたとは考えられないこと,③アルカリは接触した組織を可溶性蛋白に変えるため,組織浸透性が高く,角膜から前房,水晶体へと浸透し重症な組織傷害を示すことが多い(前記認定事実)が,原告が被告病院を受診したときには,少なくとも,本件事故後30分を経過していたと認められること(前記認定事実),以上の事実から判断すると,A医師の診察時点で障害度が低かったからといって,A医師に本件義務違反がなかったら,原告の右眼の矯正視力が本件事故前の状態にまで回復したとまでは認めることはできない。 (ウ) そこで,本件義務違反がなければ,原告の右眼の状態はどのような状態になっていたかを検討すると,前記のとおり,被告病院の受診時における視力検査では,原告の右眼の矯正視力は0.8であったこと,本件報告によれば,受傷直後に洗眼を行っていなかった症例でも,矯正視力が0.1未満となっているのは,約25パーセントであること,本件義務違反があっても,慈恵大学青戸病院の6月15日の説明(甲A20・149頁)では,「今後障害なく治ることもあれば,失明してしまうケースもあります。治療としては炎症をおさえ経過をみていく予定です。長く時間はかかると思います。一日一日よくなってきている様だから大丈夫でしょう。」とされ,慶応大学病院でも,視力の回復と悪化を繰り返していることなどから判断すると,本件義務違反がなければ,失明状態にまでは至らず,矯正視力0.1程度は保持できたものと認めるのが相当である。 (2) 債務不履行責任に基づく主張について不法行為責任に基づく主張についての判断は,債務不履行に基づく ければ,失明状態にまでは至らず,矯正視力0.1程度は保持できたものと認めるのが相当である。 (2) 債務不履行責任に基づく主張について不法行為責任に基づく主張についての判断は,債務不履行に基づく主張についての判断においても異なるところはない(損害金の起算点の点から,不法行為に基づく請求の方が原告に有利になる。)。 3 争点(2)(損害)について前記のとおり,A医師の本件義務違反がなかったら原告の右眼は矯正視力0.1程度は保持できたと認められるので,その損害については,次のとおり,合計1146万3929円と認められる。 (1) 休業損害原告は,本件義務違反のため,慈恵大学青戸病院に入院した平成9年6月12日から症状が固定した平成14年7月31日までの1876日間休業したと認められるところ,前記のとおり,本件事故により,仮に本件義務違反がなかったとしても本件事故前の状態にまで回復したとまでは認められず,矯正視力0.1程度を保持できたと認められるにとどまるから,基礎収入として,とび職をしていることを前提とする本件事故当時の原告の収入1日当たり1万6539円(平成9年2月21日から同年5月20日までの収入の総額を総日数で除した額(1円未満切り捨て)。甲C2・23頁)を採用することはできず,賃金センサス平成9年男子労働者(25歳から29歳まで)平均賃金年収430万4900円(弁論の全趣旨)を基準にすべきであり,休業損害としては,430万4900円÷365日×1876日=2212万6006円であると認められる。 しかし,原告は,同期間の休業補償給付及び休業特別支給金の合計金2351万6300円を休業損害に充当すると主張しているので,被告に損害賠償として請求しうる休業損害は存しないこ と認められる。 しかし,原告は,同期間の休業補償給付及び休業特別支給金の合計金2351万6300円を休業損害に充当すると主張しているので,被告に損害賠償として請求しうる休業損害は存しないことになる。 (2) 後遺障害による逸失利益 343万0429円原告は,前記のとおり,本件義務違反がなくとも矯正視力で0.1程度に保持できるにとどまるものと認められるので,本件義務違反による労働能力喪失率については,18パーセントと認めるのが相当であり,基礎年収については,前記のとおり430万4900円と認められるので,就労可能期間については,34歳(平成14年8月1日当時は33歳であるが,4か月で34歳となるので,始期については34歳として計算する。)から67歳までの33年間とし,ライプニッツ係数(原告は,新ホフマン係数を用いているが,同係数を採用することはできない。)16.0025を用いて,後遺障害による逸失利益を計算すると,430万4900円×0.18×16.0025=1240万0049円となる。 しかし,原告は,障害補償一時金及び障害特別支給金の合計金896万9620円を後遺障害による逸失利益に充当すると主張しているので,被告に請求しうる逸失利益は,343万0429円になる。 (3) 入通院慰謝料 400万円原告の入院日数は,下記のとおり合計289日(約9.6月)であり(前記前提事実,甲A6からA18,A20),通院日数は1830日(約61月)であるので,入通院慰謝料としては400万円と認めるのが相当である。 記ア慈恵大学青戸病院について平成 9年 ,通院日数は1830日(約61月)であるので,入通院慰謝料としては400万円と認めるのが相当である。 記ア慈恵大学青戸病院について平成 9年 6月12日から同年 8月 9日まで 59日イ慶応大学病院について平成 9年10月15日から同年11月 1日まで 18日平成 9年11月10日から同年11月22日まで 13日平成10年11月 2日から同年12月12日まで 41日平成10年12月24日から同年12月30日まで 7日平成12年11月16日から同年11月30日まで 15日平成13年 1月19日から同年 2月 6日まで 19日平成13年 3月16日から同年 4月19日まで 35日平成13年 5月 9日から同年 6月22日まで 45日平成13年 7月10日から同年 8月15日まで 37日(4) 後遺障害慰謝料 260万円原告は,前記のとおり本件義務違反がなくとも矯正視力で0.1程度を保持できるにとどまるものと認められることを考慮すると,後遺障害慰謝料としては260万円が相当である。 (5) 入院雑費 43万3500円原告は,本件治療故意のため,前記(3)のとおり,慈恵大学青戸病院,慶応大学病院に合計289日間入院したので,入院雑費としては,1日1500円として,合計43万3500円が相当である.(6) 弁護士費用 意のため,前記(3)のとおり,慈恵大学青戸病院,慶応大学病院に合計289日間入院したので,入院雑費としては,1日1500円として,合計43万3500円が相当である.(6) 弁護士費用 100万円原告は,原告代理人弁護士に本件訴訟の追行を委任したところ,弁護士費用相当損害金としては,100万円が相当である。 4 結論よって,原告の請求は,不法行為による損害賠償請求権に基づき,1146万3929円及びこれに対する不法行為の日である平成9年6月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余の請求については理由がないから,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第30部裁判長裁判官福田剛久裁判官新谷晋司裁判官平田晃史
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