本件は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波により、石巻市立大川小学校で70名以上の児童と教職員が死亡した事件に関するものである。原告は、死亡した児童の父母であり、被告である石巻市及び宮城県に対して、国家賠償法及び民法に基づく損害賠償を求めた。主要な争点は、被告らの過失及び安全配慮義務違反の有無であり、裁判所は、被告に一定の過失が認められるとし、原告に対する損害賠償を認容した。一方で、原告のその他の請求は棄却された。判決は、被告らが連帯して原告に対し、請求額に基づく金員及び遅延損害金の支払いを命じるものであり、訴訟費用については原告と被告で負担を分けることとなった。
- 1 - 主文 1 被告らは,連帯して,別紙2請求額等一覧表の「原告氏名」欄記載の各原告らに対し,同一覧表の「裁判所の判断」,「認容額」欄記載の各金員及びこれらに対する平成23年3月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用はこれを5分し,その2を原告らの負担,その余を被告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求被告らは,連帯して,別紙2請求額等一覧表の「原告氏名」欄記載の各原告らに対し,同一覧表の「請求金額」欄記載の各金員及びこれらに対する平成23年3月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要等 1 事案の概要本件は,被告石巻市が設置運営する石巻市立大川小学校において,平成23年3月11日に発生した「平成23年東北地方太平洋沖地震」(以下「本件地震」といい,これによりもたらされた各種災害(東日本大震災)を「本件震災」という。)後の津波により,70名以上の児童が教職員10名とともに死亡したことに関して,死亡した児童のうち23名の父母である原告らが,被告石巻市の公務員であり,被告宮城県がその給与等の費用を負担していた大川小学校の教員等に児童の死亡に関する過失があるなどと主張して,被告らに対し,国家賠償法1条1項,3条1項又は民法709条,715条1項に基づき,損害賠償金及び遅延損害金(本件震災の日である同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員)の連帯支払を求めるとともに,被告石巻市に対しては,公法上の在学契約関係に基づく安全配慮義務違反等があったと主張して, - 2 -債務不履行に基づき 済みまで民法所定の年5分の割合による金員)の連帯支払を求めるとともに,被告石巻市に対しては,公法上の在学契約関係に基づく安全配慮義務違反等があったと主張して, - 2 -債務不履行に基づき同内容の損害賠償金及び遅延損害金の支払を求める事案である(原告A11の請求は6245万7642円を限度とする一部請求,その余の原告らの請求は,児童1名当たり1億円の一部請求)。 2 前提事実(当事者間に争いのない事実又は後掲各証拠により容易に認定することができる事実。一部の証拠には,[1]などの括弧付き数字で頁数等を示した。)(1) 当事者等(甲C1の1ないし19。ただし,枝番号を含む。)原告らは,それぞれ後記のとおり本件地震後の津波により死亡した大川小学校の児童のうち別紙3被災児童一覧表記載の23名(以下「被災児童」という。)の父又は母である。 被告石巻市は,大川小学校を設置運営していた地方公共団体であり,大川小学校の校長及び教員(以下,校長と教員を併せた全体又はその一部を単に「教員」といい,平成23年3月11日の事実関係にあっては,校長を除いたその余の教員全員の意味で「教員」という。また,教員と職員を併せて「教職員」という。)は,いずれも被告石巻市の公務員であった。 被告宮城県は,大川小学校の教員の給与等に係る費用を負担していた地方公共団体である。 (2) 大川小学校付近の地理等(甲A1の4,9,19,52の3,83の1,83の2,85,95,乙1,3,10,11の1,13,16の1,17の1ないし4。地形については2万5000分の1地形図である別紙5図面,校舎の配置や大川小学校周辺の状況については別紙6図面を参照)ア石巻市北東部では,北上川が概ね東北東方向に流れ下り,追波湾で太平洋に注いでおり,北上川の河口から上流3.7 形図である別紙5図面,校舎の配置や大川小学校周辺の状況については別紙6図面を参照)ア石巻市北東部では,北上川が概ね東北東方向に流れ下り,追波湾で太平洋に注いでおり,北上川の河口から上流3.7km付近には,長さ数百mの新北上大橋が架かっている。 石巻市釜谷地区は,新北上大橋付近から下流側にかけての北上川右岸(南側)に位置し,大川小学校(所在地・石巻市釜谷山根1番地)は,新北上 - 3 -大橋の若干下流側,北上川からは約200m南に離れた,釜谷地区中心部の西寄りの場所に立地していて,敷地の標高(「T.P.」,すなわち東京湾平均海面を基準として計測したもの。以下同じ。)は1ないし1.5m前後であった。 イ明治22年から昭和30年まで,北上川の河口付近にかけての右岸には,現在の石巻市の福地,針岡,釜谷,長面及び尾崎の各地区を区域とする大川村があったが,大川村は,同年の合併により河北町の一部となり,河北町は平成17年に石巻市に編入された。 北上川は,かつては宮城県北東部を北から南に流れ下り,現在の石巻市中心部で石巻湾に注いでいて,釜谷地区の北側を流れる川は追波川という地域河川であったが,明治44年から昭和9年までの河川改修工事により,追波川上流と北上川が接続されて本川が切り替えられ,追波川は北上川の下流の一部となった。 ウ大川小学校の敷地は,北側に1階建ての低学年棟と2階建ての管理・教室棟が校舎として配置され,南側は,大部分が校庭として利用され,校庭の東に体育館とプールが配置されていた。 同小学校の敷地の北側は,釜谷地区中心部を東西に貫く県道238号線(以下,単に「県道」という。)に面しており,敷地の西側から南側にかけては,敷地外周に沿って,県道から分岐した市道が通っていた。 エ大川小学校の南には,石巻市の釜谷地区と 東西に貫く県道238号線(以下,単に「県道」という。)に面しており,敷地の西側から南側にかけては,敷地外周に沿って,県道から分岐した市道が通っていた。 エ大川小学校の南には,石巻市の釜谷地区と雄勝地区を隔てる標高数百mの山地の麓が迫っており,一帯は,地元で「ダルマツ山」,あるいは大川小学校との位置関係から「裏山」などと呼ばれていた(以下「裏山」という。)。 校庭の南側は,市道を挟んだ反対側に土砂災害防止のコンクリート擁壁が築かれ,その後ろは裏山の斜面になっていたが,斜面のうち校庭の正面に当たる部分には,下部で幅にして約90m,高低差にして約50mの範 - 4 -囲で,急傾斜地対策工事により,4段の水平なコンクリート舗装と5面の法面が階段状に造成されていた(当該部分を以下「造成斜面」という。造成斜面の状況については,別紙7図面を参照)。造成斜面の両側は,概ね20度以上の傾斜の自然の斜面に竹木が生えていた。 校庭の西には,市道を挟んだ向かい側に,地域住民の集会場である釜谷交流会館(以下「交流会館」という。)とその駐車場があった。駐車場の南側には,消防団のポンプ置場である倉庫や地蔵尊があり,その裏側は,裏山の斜面になっていた。 オ新北上大橋付近の北上川右岸には,橋を渡る国道398号線と県道との交差点がある。交差点付近は,周囲の平地より小高い平坦地となっていて,地元ではここを「三角地帯」と呼んでおり(以下,本判決でもそのように呼称する。),裏山は,三角地帯間近まで尾根を張り出している。 三角地帯は,大川小学校の西,敷地西側境界からの直線距離にしておよそ150m離れたところに位置している。 カ三角地帯の交差点から国道398号線を南に数百m進んだところには,裏山を登る林道の登り口があり,更に数km先の標高100m付近のところ 直線距離にしておよそ150m離れたところに位置している。 カ三角地帯の交差点から国道398号線を南に数百m進んだところには,裏山を登る林道の登り口があり,更に数km先の標高100m付近のところには,雄勝地区に通じる釜谷トンネルがある。 (3) 本件地震直前の大川小学校の状況(乙1,31)ア平成23年3月当時,大川小学校には,児童108名が在籍し,C校長,D教頭及び教務主任のE教諭を含む教職員13名が配置されていた。 イ本件地震の発生した平成23年3月11日(金曜日。以下,同日の事実については時刻のみを表記する。),大川小学校では授業が行われ,欠席早退者等5名を除く児童103名が授業終了まで在校していた。同日,教職員のうち,C校長は休暇を取得し,事務職員1名は用務により外出中で,校内では11名が勤務していた。 ウ本件地震の発生した午後2時46分頃,一部の学年は帰りの会の終了前 - 5 -であったが,直前に児童が下校を始めた学年もあった。 (4) 本件地震の発生と津波による被災(甲A178の1[写真②],甲C13,18の1,乙1)ア午後2時46分,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9.0の本件地震が発生し,石巻市では震度6強が観測された。 イ大川小学校では,本件地震の揺れが止んだ後,教員が下校前の児童を校庭に避難させたほか,下校を始めていた児童のほとんども校内に戻り又は留まり,全体では100名余りの児童と11名の教職員が校庭に避難したが,児童のうち27名は,午後3時30分頃までに保護者等によって引き取られて教員の管理下を離れた。 校庭に避難した70名余りの児童は,午後3時30分過ぎまでここに留まった後,教員の指示の下,列を作って交流会館の駐車場を通り,三角地帯の方向に徒歩で向かったが,交流会館の敷地を列 管理下を離れた。 校庭に避難した70名余りの児童は,午後3時30分過ぎまでここに留まった後,教員の指示の下,列を作って交流会館の駐車場を通り,三角地帯の方向に徒歩で向かったが,交流会館の敷地を列の最後尾が通り抜けた頃,津波が付近に襲来した。津波から生き残ったのは,児童4名とE教諭のみで,その余の児童と教職員は全員死亡した。被災児童のうち2名(別紙3被災児童一覧表の番号16及び22の児童)の遺体は,現在まで発見されていない。 ウ大川小学校には,午後3時37分頃に津波が到達した。水面は2階建ての管理・教室棟校舎の屋根付近まで達し,校舎と体育館は水没して全壊した。 (5) 被災児童の相続等(甲C1の1ないし19。ただし,枝番号を含む。)被災児童23名の法定相続人は,それぞれ別紙3被災児童一覧表の「氏名」欄に対応する「法定相続人」欄に記載された被災児童の親である。このうち,同一覧表の番号1ないし3,7及び22の被災児童に関しては,遺産分割により,両親のうち父親(いずれも本件訴訟の原告)が被告らに対する損害賠償請求権を取得し,同一覧表の番号13,17ないし19の被災児童に関しては,父親である本件訴訟の原告らが単独で,その余の被災児童については, - 6 -父母である本件訴訟の原告らが各2分の1の割合で相続した。 第3 当事者の主張 1 原告らの主張(1) 骨子ア被告らの国家賠償責任被告石巻市の公務員である大川小学校の教員は,管理下にある児童の安全を守るべき義務を負っていたところ,津波によって児童の生命身体に危害が発生し得ることを予見しながら,又は予見し得たにもかかわらずこれを怠り,本件地震発生前に,大川小学校の地震に関する危機管理マニュアルを津波の危険に即した具体的内容に改訂しなかったばかりか,本件地震発生後も ることを予見しながら,又は予見し得たにもかかわらずこれを怠り,本件地震発生前に,大川小学校の地震に関する危機管理マニュアルを津波の危険に即した具体的内容に改訂しなかったばかりか,本件地震発生後も,児童を津波の襲来しない安全な場所に避難させずに被災させたものであるから,原告らに対し,被告石巻市は国家賠償法1条1項に基づき,教員の給与等の負担者である被告宮城県は同法3条1項に基づき,連帯して損害賠償責任を負う。 イ被告らの使用者責任教員には,上記のとおり,小学校教員として児童の安全を守るべき注意義務違反の過失があるところ,被告石巻市は教員の使用者であり,また被告宮城県も給与等の負担者である以上教員の使用者に当たるから,被告らは,原告らに対し,民法709条,715条1項に基づき,連帯して損害賠償責任を負う。 ウ被告石巻市の債務不履行責任大川小学校に在籍していた児童と被告石巻市との間には,小学校の在学契約が締結されており,被告石巻市は契約上の債務として児童に対する安全配慮義務を負っていたところ,その履行補助者である教員は,この義務を怠って上記のとおり児童を被災させたものであるから,被告石巻市は,原告らに対し,民法415条に基づき,損害賠償責任を負う。 - 7 -エ被告石巻市の事後的不法行為に基づく責任教員のうち,津波から逃れたE教諭や,本件地震当日に不在であったC校長,石巻市教育委員会関係者,石巻市教育長,石巻市長等には,津波に呑まれた児童を捜索,救命,救助すべき義務,事実関係の調査,資料収集,資料保存,真実解明,報告の各義務や原告らの心情に対する配慮義務の違反があり,被告石巻市は,原告らに対し,これらの事後的不法行為に基づき損害賠償責任を負う。 (2) 津波の予見義務及び予見可能性ア前提となる事実関係 各義務や原告らの心情に対する配慮義務の違反があり,被告石巻市は,原告らに対し,これらの事後的不法行為に基づき損害賠償責任を負う。 (2) 津波の予見義務及び予見可能性ア前提となる事実関係教員の予見可能性に関しては,以下の事実を前提とすべきである。 (ア) 9世紀の貞観地震に伴う津波が,石巻港付近の当時の海岸線から3ないし5km以上川を遡上したことは確実であり,昭和35年のチリ地震でも,津波は北上川を遡上している。 (イ) 日本各地でも,昭和39年新潟地震,昭和58年日本海中部地震,平成15年十勝沖地震等,地震に伴い津波が河川のかなり上流まで遡上した例は少なくない。 (ウ) 釜谷地区では,台風等による北上川及び地区内の富士川の増水による洪水ないし高潮が発生した際に,大川小学校も浸水被害を受けている。 (エ) 石巻市が作成したハザードマップには,浸水区域として表示されていない区域であっても浸水の可能性がある旨の警告が明示されているとともに,宮城県作成の津波浸水予測図では,大川小学校近くの北上川右岸の堤防上の津波による浸水深が1ないし2mと表示されている。 (オ) 大川小学校の平成19年度教育計画中に,緊急時の対応等に関する1つとして盛り込まれた「地震発生時の危機管理マニュアル」は,平成22年度の教育計画で改訂が行われ,津波に関する記載の追加が行われたが(以下,この改訂の前後を通じて「危機管理マニュアル」という。), - 8 -その内容は,火災・津波・土砂崩れ等で校庭等が危険なときの避難誘導に関し,避難場所として「近隣の空き地・公園等」という大川小学校周辺に存在しない場所を挙げるにとどまっていた。 (カ) 平成22年,D教頭,E教諭等が参加した石巻市の教員研修会では,地震及び津波に対する安全確保の諸施策を講じるよう指 ・公園等」という大川小学校周辺に存在しない場所を挙げるにとどまっていた。 (カ) 平成22年,D教頭,E教諭等が参加した石巻市の教員研修会では,地震及び津波に対する安全確保の諸施策を講じるよう指導されるとともに,津波が川を遡上することやその危険性,避難の重要性等も,実例やプロアクティブの原則の紹介とともに説明された。 (キ) 教員は,本件地震の数日前に,津波が北上川の堤防を越えた場合の避難について会話を交わしていた。 イ本件地震発生前における教員の予見可能性教員は,大川小学校に赴任後,直ちに平成22年度改訂の後の危機管理マニュアルの内容が実際の津波への対応には無益であることに気付くことが可能であったし,平成22年中には教員研修会で地震及び津波に対する諸施策を講じるよう指導を受け,本件地震の数日前にも津波の際の避難について話していたから,これを契機として危機管理マニュアルが避難場所に関し不十分な内容であることを知り,これを通じて津波による児童の被災の危険を予見することも可能であった。 ウ本件地震発生後における教員の予見可能性教員は,上記アの各事情のほか,本件地震発生後も,本件地震が巨大な規模であることそれ自体と,津波襲来の予兆に当たる様々な状況に基づいて,以下のとおり,各段階で予兆をもとに情報収集と分析を行うことにより,津波による児童の生命身体への危険が迫っていることを具体的に予見することが可能であったし,かつ,これを予見すべき注意義務を負っていたということができる。 (ア) 午後2時52分の段階教員は,本件地震直後に校庭に避難した後,午後2時52分には,ラ - 9 -ジオ等の放送や大川小学校に設置された防災行政無線により,本件地震の規模や大津波警報の発令,6mとの津波の高さ予想等の情報を得ていたから,津波 に避難した後,午後2時52分には,ラ - 9 -ジオ等の放送や大川小学校に設置された防災行政無線により,本件地震の規模や大津波警報の発令,6mとの津波の高さ予想等の情報を得ていたから,津波による児童の生命身体への具体的危険を予見することは可能であった。 (イ) 午後3時10分の段階教員は,ラジオ等の放送や防災行政無線で,海岸や河口付近のみならず河川の堤防にも近づかないよう呼び掛けがされているのを聞き,父兄や近隣住民からも津波から逃げるよう促されたことから,この段階で津波による児童の生命身体への具体的危険を予見することができた。 (ウ) 午後3時26分ないし午後3時28分の段階午後3時10分以降,ラジオ等では,東北の太平洋沿岸の各所で津波が規模を急速に拡大しながら襲来し,建物を押し流すなど深刻化する様子を実況しており,大川小学校北側の県道でも,午後3時20分までには消防車が避難を呼び掛け,遅くとも午後3時28分頃までには石巻市河北総合支所(以下「河北総合支所」という。)の広報車が北上川河口付近の松林を津波が越えてきたことを告げながら避難を呼び掛けているから,教員は,午後3時30分の数分前には,津波が大川小学校に現実に襲来することが確実に分かったものといえる。 エ石巻市内の他の小中学校の避難状況被告らは,教員の予見可能性及び予見義務を争うものの,石巻市内の他の小中学校では,同様の状況にありながら,教員が児童・生徒を予め高所に避難させ,学校管理下での犠牲者発生を回避しており,このことからすると,本件地震発生後においては,大川小学校の教員においても津波による児童の生命身体への危険を具体的に予見可能であったことが明らかである。 (3) 津波による被害の回避可能性 - 10 -ア裏山への避難(別紙7図面を参照) 小学校の教員においても津波による児童の生命身体への危険を具体的に予見可能であったことが明らかである。 (3) 津波による被害の回避可能性 - 10 -ア裏山への避難(別紙7図面を参照)大川小学校の裏山のうち,造成斜面に向かって左側の斜面の山林では,過去に授業で椎茸栽培の学習が行われていたことがあり,体育館と屋外ステージの間を通って校庭南東隅から市道に出て,造成斜面左側の麓から踏み跡を辿れば,小学生でも容易に裏山に登ることが可能であった(以下,このようにして斜面を登る経路を「Aルート」という。)。 また,造成斜面に向かって右側の竹藪付近へは,校庭北西の通用口又は西の入退場門を経て市道に出た後,交流会館駐車場の山側の消防団倉庫ないし地蔵尊の脇から踏み跡を道としてすぐ登ることができるが(以下,このようにして斜面を登る経路を「Bルート」という。),ここは校庭から最も近く,教員も本件地震の数日前に津波の際の避難場所として話し合っていた場所でもあった。 さらに,造成斜面は,急傾斜地対策工事により崩落の危険がなくなっており,大川小学校では,過去の授業中に児童をコンクリート舗装に上がらせたこともあるなど,児童が登ることは容易であって,Bルートと同様に市道に出た後,コンクリート擁壁の裏側に入ってから法面を登ることでも容易に避難することが可能であった(以下,このようにして斜面を登る経路を「Cルート」という。)。 以上のように,大川小学校からは,裏山の斜面を登れば,極めて短時間のうちに容易に津波の危険を回避することが可能であった。 イその他の方法校庭の南の裏山以外でも,大川小学校からは,裏山の尾根の反対側にある登り口から裏山の林道を登る方法,スクールバスと教員の自家用車に分乗するなどして釜谷トンネルや北上川上流を目指す方法,校舎 の方法校庭の南の裏山以外でも,大川小学校からは,裏山の尾根の反対側にある登り口から裏山の林道を登る方法,スクールバスと教員の自家用車に分乗するなどして釜谷トンネルや北上川上流を目指す方法,校舎2階から屋根の上に避難する方法によっても,津波の危険を避けることができた。 (4) 危機管理マニュアルに関する注意義務違反・安全配慮義務違反 - 11 -教員は,それぞれが大川小学校に赴任した後速やかに,危機管理マニュアルが,学校周辺に津波発生時にも安全な公園や空き地が存在しないのにこれを避難場所として挙げる等,避難場所に関する内容が不十分であることに気付き,これを改訂して,裏山等の具体的避難場所やスクールバス等の避難方法,避難手順等を明記した内容に改めるべき注意義務を負っていたが,これを怠り,改訂を行わずに危機管理マニュアルを不十分な内容のまま放置した。 教員の上記注意義務違反は,被告石巻市の安全配慮義務違反にも当たる。 (5) 本件地震後の避難に関する注意義務違反・安全配慮義務違反ア教員は,本件地震の発生後,大川小学校に留まったままでは児童の生命身体に危険が及ぶことを予見することが可能であった上,児童の生命に関わる災害の危険に関しては,最悪の事態を想定して判断し行動しなければならないにもかかわらず,情報の収集と分析を怠り,また状況の評価を誤り,直ちに避難が容易な裏山等の上記高所に避難することなく,津波襲来の直前である午後3時35分頃まで,何らの根拠もなく児童を校庭に拘束し続けたのであり,教員には,津波による危険の予見義務と結果回避義務に違反し,早期の校庭からの避難を怠った過失がある。 イ午後3時30分過ぎ頃の段階でも,直ちに裏山を目指せば校庭から2分以内に避難が可能であったのであるから,教員は,津波を回避することが可能な に違反し,早期の校庭からの避難を怠った過失がある。 イ午後3時30分過ぎ頃の段階でも,直ちに裏山を目指せば校庭から2分以内に避難が可能であったのであるから,教員は,津波を回避することが可能な裏山を児童の避難場所とすべき義務を負っていた。 しかし,教員は,避難場所の選択を誤り,合理的な根拠もなく児童を三角地帯の方向に移動させて,その途中で津波に襲われるという結果を招いたのであり,教員には,結果に対する回避義務違反の過失がある。 ウ教員の上記注意義務違反は,被告石巻市の安全配慮義務違反にも当たる。 (6) 事後的不法行為に関する注意義務違反ア E教諭,C校長等の捜索義務違反及び救命救助義務違反E教諭は,津波に被災した際,児童が津波に呑み込まれていくのを現認 - 12 -していたところ,児童の津波被災が教員の過失により招来された事態である以上,津波の第一波が引いた直後に,児童の救助を行うべき義務に基づいて,裏山から下りて児童を助け上げたり,避難中の地域住民に呼び掛けて助力を得るなどの方法により,救助のためのあらゆる行動をとらなければならなかったが,これを怠った。 また,C校長及び石巻市教育委員会関係者にあっても,本件地震の翌日早朝以降,船で大川小学校周辺に向かい,児童の捜索と救助に当たるべき義務を負っていたが,これを怠り,児童の捜索救助活動をしなかった。 イ石巻市教育委員会による調査,資料収集,資料保存,真実解明,報告の各義務及び原告らの心情に対する配慮義務の違反石巻市教育委員会の指導主事は,本件地震後の校庭の様子に関する児童からの事情聴取に当たり,録音を行わなかった上,聞き取り内容を書き取ったメモを廃棄した。また,E教諭は,保護者説明会で,当初は,裏山に逃げなかった理由として木が倒れていたことを挙げていたが,後に 童からの事情聴取に当たり,録音を行わなかった上,聞き取り内容を書き取ったメモを廃棄した。また,E教諭は,保護者説明会で,当初は,裏山に逃げなかった理由として木が倒れていたことを挙げていたが,後には説明を変えており,当初の説明は虚偽であったと考えられる。さらに,石巻市教育委員会は,本件地震の約1か月後まで保護者説明会を開かず,平成24年1月までに3回の説明会を開催したのみで,2回目の説明会以降はE教諭に遺族らの前での説明をさせずに真実の証言を避けさせ,説明会に当たっても不十分な情報公開や説明に終始して真実を隠し続けた。これらの被告石巻市等の行為は,真相究明を困難にし,遺族の心情を著しく傷つける違法な行為として,原告らに対する不法行為に当たる。 また,F石巻市長は,本件震災後の大川小学校保護者に対する説明会の席上,児童の被災に関して,自然災害による宿命だなどと遺族の心情への配慮を欠く発言を行い,原告らに計り知れない苦痛を与えた。この発言のみならず,被告石巻市が,死亡児童らの火葬を可能にするよう施設の確保を手配する取り計らいを怠ったことや,石巻市教育長が原告らの一部への - 13 -弔問をしなかったことは,原告らの心情に対する配慮義務の違反として不法行為を構成する。 (7) 損害額ア主位的主張(ア) 本件は,子供の安全を守るべき教員が,助かるはずの児童の命を無為無策のまま失わせたという,類を見ない責任重大な事案であり,予期せぬ子供の死に直面した原告らの悲嘆と苦悩は著しく,原告らとしては,本来であれば子供を取り戻したいという気持ちをそのまま請求とすべきところ,これに代えて,被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った苦痛の全体に対する,「制裁的要素を反映した満足感情の実現」としての損害賠償を請求するものであり,その金額は をそのまま請求とすべきところ,これに代えて,被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った苦痛の全体に対する,「制裁的要素を反映した満足感情の実現」としての損害賠償を請求するものであり,その金額は,数百億円を下らない。 (イ) また,本件の事案の上記のような特殊性からすると,原告らが被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った損害の額の主張立証は,極めて困難であるから,我が子を失った原告らの損害に対しては,民事訴訟法248条を適用し,損害額を1億円と認定すべきである。 イ予備的主張被災児童又は原告らが被った損害とその額は,以下のとおりである(別紙4損害一覧表はこれを表に整理したものである。)。 (ア) 逸失利益被災児童の逸失利益算定に用いる基礎賃金は,将来の男女間の収入格差の解消を前提に,平成24年賃金センサスの男子学歴計・全年齢平均の年収額として,529万6800円とするのが相当である。また,年少者であった被災児童が就労する将来の時期には,少子化の進行や平均余命の延長により,就労可能期間は長くなっていると考えられるから,就労可能期間に関しては,75歳までの期間を前提としたライプニッツ係数を採用すべきであり,生活費控除率は30%として計算すべきであ - 14 -る。 (イ) 死亡慰謝料被災児童が経験した,死に至るまでの恐怖や津波による死亡の苦痛を慰謝するに足りる相当額は,各被災児童につき2860万円を下らない。 (ウ) 葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立費用,法事費用葬儀費用としては,各被災児童につき150万円が相当である。 原告らが我が子を弔うために墓碑を建立し,仏壇仏具を購入することは必然のことであり,被災児童の死亡に関する被告らの責任の重大さに鑑みると,原告らのために墓碑建立や法事等のための費用を賠償 である。 原告らが我が子を弔うために墓碑を建立し,仏壇仏具を購入することは必然のことであり,被災児童の死亡に関する被告らの責任の重大さに鑑みると,原告らのために墓碑建立や法事等のための費用を賠償し,児童の冥福を祈る姿勢を示すことが,被告らに期待される謝罪の態度である。必要な費用の額は,被災児童1名当たりにして,仏壇仏具購入及び墓碑建立のためには250万円,法事のためには120万円をそれぞれ下らない。 (エ) 近親者慰謝料等被災児童の死亡により原告らが被った悲しみ,無念さ,苦悩及び苦痛は計り知れず,これを金銭によって慰謝することは不可能であるが,原告らの慰謝し難い精神的苦痛に対する慰謝料としては,被災児童1名当たり各原告につき1000万円を下らない金額が必要である。 また,現在まで遺体が発見されていない2名の被災児童に関して,その親である原告らは,長期間行方不明の我が子の捜索に明け暮れるとともに,親として胸が締め付けられる思いを抱き続けており,他の原告らに増して精神的苦痛は著しく,原告A19,原告A20及び原告A27のそれぞれについて500万円の慰謝料が更に必要である。 さらに,原告A20は,平成23年3月,行方不明の我が子を捜索するために勤務先会社を退職し,平成25年2月まで捜索を続けた。これによる逸失利益は,津波による被災児童の死亡との関係で,相当因果関 - 15 -係の範囲内にある損害に当たり,その額は,退職前の月額23万円の収入の24か月分として,552万円となる。 (オ) 不妊治療費原告A5,原告A10及び原告A15は,先祖代々の家系を承継するはずだった被災児童を失ったため,家系を存続させ,あるいはもう一度子を育てたいとの思いから,自然妊娠が期待できない年齢であったが,子供を授かることを期して不妊治療を受 5は,先祖代々の家系を承継するはずだった被災児童を失ったため,家系を存続させ,あるいはもう一度子を育てたいとの思いから,自然妊娠が期待できない年齢であったが,子供を授かることを期して不妊治療を受け,治療費として,それぞれ297万1190円,326万9219円及び22万8207円を支出した。子供を失った原告らの心情を慰謝する手段ないし原状回復の手段として,不妊治療を受けることは相当因果関係の範囲内にあるから,被告らは,これを賠償する義務を負う。 (カ) 事後的不法行為による損害被告石巻市による調査義務等の不履行により,原告らは,真相究明のために,再三にわたる情報公開請求,現地の調査,目撃者からの事情聴取,保護者説明会への参加,被告石巻市の対応等を受けての協議等の行動をとることを余儀なくされた。その費用は,原告1名当たり100万円を下らず,また,被告石巻市の事後的不法行為によって原告らが被った精神的苦痛に関する相当慰謝料額は,原告1名当たり600万円を下らない。 (キ) 弁護士費用原告らは,弁護士に本件の訴訟追行を委任し,着手金として,本件裁判によって各原告が得るであろう経済的利益の3%に69万円を加えた金額,報酬金として同利益の6%に138万円を加えた金額を支払うことを約した。 2 被告らの主張(1) 津波の予見義務及び予見可能性について - 16 -ア前提となる事実関係教員の予見可能性に関しては,以下の事実を前提とすべきである。 (ア) 大川小学校は,海岸からは約4km内陸で,北上川からも約200m離れた場所に位置しており,明治34年にこの地に学校が建てられてから,100年以上もこの場所に小学校が存立し続けてきた。また,過去に釜谷地区が津波で浸水した記録は一切なく,北上川の5mの高さの堤防を越えた溢水 位置しており,明治34年にこの地に学校が建てられてから,100年以上もこの場所に小学校が存立し続けてきた。また,過去に釜谷地区が津波で浸水した記録は一切なく,北上川の5mの高さの堤防を越えた溢水も過去に発生したことがなかった。 (イ) 宮城県は,平成16年に,平成14年度及び15年度に実施した地震被害想定調査の報告書を取りまとめたが(以下「平成16年報告」という。),平成16年報告では,県内の太平洋沿岸における津波浸水域予測が行われ,最も大きい被害が予想される,連動型の宮城県沖地震(マグニチュード8.0)の場合の津波高として,県内の他の地域では最高水位10m以上とされたのに対し,河北町に関しては,最高水位が5. 1m,予想浸水面積が4.0平方キロメートルとの予測が示され,その際に策定された津波浸水予測図上,大川小学校付近は,浸水区域外とされた。 この津波浸水域予測では,河川の遡上も考慮されており,北上川でも,大川小学校付近の北上川の堤防内は2m程度までの浸水域とされたが,北上川の堤防高は5m以上あり,堤防外は浸水区域外であった。 (ウ) 石巻市は,これに基づいて,平成21年にハザードマップを作成し,関係各所に配布した。このハザードマップ上でも,大川小学校より海側に800mのところ及び大川小学校付近の北上川の堤防内までが浸水域と表示され,大川小学校は,浸水区域外とされるとともに,津波発生時における避難場所としても指定されていた。 平成22年のチリ地震津波で大津波警報が発令された際には,大川小学校の体育館に避難所が開設され,地域住民の避難を受け入れており, - 17 -平成16年実施の宮城県沖地震を想定した総合防災訓練でも,大川小学校が避難場所とされた。 (エ) 大川小学校では,危機管理マニュアルを策定しながらも,現実問題と 受け入れており, - 17 -平成16年実施の宮城県沖地震を想定した総合防災訓練でも,大川小学校が避難場所とされた。 (エ) 大川小学校では,危機管理マニュアルを策定しながらも,現実問題として,津波を想定した避難行動や三次避難場所等の内容は盛り込んでいなかった。 イ本件地震発生前における教員の予見可能性教員の防災意識は,平成16年報告で想定されていた宮城県沖地震に向けられ,津波の被害予測としては同報告の予測及びこれを反映したハザードマップを信頼し,これらに依拠していたものであり,本件震災を経験する前の公立小学校の教員の知識や認識としては,本件地震による津波が大川小学校の児童の生命身体に危険を及ぼすことを予見することは不可能であった。 ウ本件地震発生後における教員の予見可能性(ア) 午後3時28分以前気象庁の当初の発表では,本件地震の規模はマグニチュード7.9,予想される津波の高さは6mで,宮城県の津波浸水域予測で想定していた連動型の宮城県沖地震の規模や津波予測からみて,想定外の規模の地震や津波と評価されるものではなかったし,防災行政無線の放送内容も,大川小学校に津波が到来して児童の生命身体に危険を及ぼすことを予見させる内容ではなかった。 (イ) 午後3時28分以降教員は,午後3時28分以降に,河北総合支所の広報車が高台避難を呼び掛けながら大川小学校前の県道を通過したことと,ラジオ放送によって予想津波高が10m以上に改められたとの情報に接したことから,危機感を抱き,念のために学校外への避難を決断し実行している。 しかし,この段階でも,教員が現実に入手し得た情報は極めて限られ - 18 -ており,平成16年報告における津波被害の予測やこれを反映したハザードマップ等の科学的知見,過去に大川小学校や釜谷地区 しかし,この段階でも,教員が現実に入手し得た情報は極めて限られ - 18 -ており,平成16年報告における津波被害の予測やこれを反映したハザードマップ等の科学的知見,過去に大川小学校や釜谷地区が津波で浸水した記録がないこと等の歴史的知見,大川小学校の海岸からの距離,大川小学校自体が指定避難場所であったこと等の事情を踏まえれば,教員において,大川小学校に津波が到来して児童の生命身体に危険を及ぼすことを具体的に予見することは不可能であった。 釜谷地区の住民においても,本件地震の後,津波を現認する前に予防的に津波からの避難を行った者は少数で,裏山に登った者はおらず,住民等が高い割合で津波により死亡していることからみても,教員にとって,津波現認以前には津波が襲来することについての予見可能性はなかったというべきである。 エ石巻市内の他の小中学校の避難状況について大川小学校と,石巻市内の他の小中学校とでは,地理的条件,校舎の構造及び過去の津波時の被災履歴等が異なっており,他の学校における避難行動や津波の予見可能性から,大川小学校における津波の予見可能性が推認される関係にはない。 (2) 津波による被害の回避可能性についてア裏山への避難について本件地震の前日まで大川小学校付近には積雪があり,本件地震当時も,裏山の北向き斜面には残雪があったところにみぞれが降っていたから,地面は足元がぬかるんでいて滑りやすく,相当に歩きにくい状況であった。 加えて,地面は下生えに覆われており,狭い竹木の間の急斜面を登るのも容易ではなかったため,頻繁に余震が続く中で,児童と高齢者を含む100人以上もの集団で裏山の斜面を登ることは実際上極めて困難であり,AルートないしCルートのいずれでも,津波到達時までに児童が安全な高さにまで到達することは不可能で が続く中で,児童と高齢者を含む100人以上もの集団で裏山の斜面を登ることは実際上極めて困難であり,AルートないしCルートのいずれでも,津波到達時までに児童が安全な高さにまで到達することは不可能で,結果回避可能性はなかった。 - 19 -イその他の方法について一般に,災害時の避難は徒歩によることが大原則であり,津波からの回避可能性に関して,バスや自動車による避難の方法は考慮されるべきではない。 (3) 危機管理マニュアルに関する注意義務違反・安全配慮義務違反についてア平成16年報告における津波被害の予測やこれを反映したハザードマップ等の科学的知見や,過去に大川小学校や釜谷地区が津波で浸水した記録がないこと等の歴史的知見を踏まえれば,教員が,本件地震発生までに,危機管理マニュアルに津波到来を想定した改訂を加えなかったことに注意義務違反はない。 イ危機管理マニュアルの記載を事前に改めて,具体的な避難場所や避難方法,避難手順等を明記したとしても,災害時の避難の効果や結果は,個別具体的な事情の中で行われる判断や活用の仕方次第であって,危機管理マニュアルを改訂することで確実に津波による被災が回避できたとはいえない。 ウ回避可能性に関して主張したように,裏山は,地震発生時の避難場所として予め危機管理マニュアルで設定するにはおよそ適さない場所であったし,スクールバスによる避難も,避難方法として不適切であった。また,三角地帯を経由した先から裏山の林道を登る方法は,そもそもそのような場所は地域住民や大川小学校の児童が日常的に立ち入るところではない上,登り口までの間に標高の低いところを通らなければならないから,教員に,ここを危機管理マニュアルで避難場所として設定すべき注意義務はなかった。 (4) 本件地震後の避難に関する注意 ころではない上,登り口までの間に標高の低いところを通らなければならないから,教員に,ここを危機管理マニュアルで避難場所として設定すべき注意義務はなかった。 (4) 本件地震後の避難に関する注意義務違反・安全配慮義務違反についてア教員は,校庭への避難後の情報収集,殊に午後3時28分以降,河北総合支所の広報車が高台避難を呼び掛けながら大川小学校前の県道を通過し - 20 -たことと,ラジオ放送によって予想津波高が10m以上に改められたとの情報に接したことに基づき,津波の襲来を現認する以前の段階で危機感を抱き,午後3時32分頃には,校庭に留まることなく,念のため,標高の高い三角地帯に避難することを決定し,数分のうちに児童を整列させた上で移動を開始していたのであり,教員に,津波襲来の予見に関する注意義務違反はない。 イ裏山は,以下のとおり,本件地震発生後の状況下では,多数の児童と高齢者を含む地域住民の全員の集団での避難場所としては危険で不適当であった。これに対し,三角地帯は,大川小学校近傍では唯一の標高の高い平坦な場所で,釜谷地区やこれより下流側の地区が地区外に出るために必ず通過する地域の交通の要衝でもあり,地域住民の中にも一旦はここに避難した者もいたから,教員が児童を校庭から避難させるに当たり,三角地帯を目指したことは,その時点における教員の認識を前提とすれば合理的な選択であり,注意義務違反には当たらない。 (ア) 裏山全般a 裏山は,全体に急峻で崩落の危険があり,昭和59年には市道との間にコンクリート擁壁が設けられ,昭和60年に急傾斜地崩壊危険区域に指定された後,平成15年には造成斜面の箇所で崖崩れが発生し,大川小学校敷地まで土砂が押し寄せてきた。このため,平成16年までに,当該部分には急傾斜地対策工事が行われて造 年に急傾斜地崩壊危険区域に指定された後,平成15年には造成斜面の箇所で崖崩れが発生し,大川小学校敷地まで土砂が押し寄せてきた。このため,平成16年までに,当該部分には急傾斜地対策工事が行われて造成斜面とされるとともに,改めて付近の斜面が急傾斜地崩落危険区域に指定されており,石巻市のハザードマップでもその旨表示されている。 このような事情は,釜谷地区の住民には広く知られていたため,本件地震の際にも,地域住民は裏山の崩壊を恐れており,津波が実際に大川小学校付近に襲来する以前の時点において,予防的に裏山に登った地域住民は皆無であった。 - 21 -そして,実際,本件地震の2日前に発生した地震により,大川小学校の学区内で崖崩れが発生し,本件地震の際にも北上川対岸で崖崩れが発生しており,本件地震の後,断続的に余震が続く中では,裏山が崩壊する危険性が高いのみならず,山林の倒木が起こる危険もあった。 b 校庭からの避難に当たっては,児童のみならず,大川小学校及び交流会館に集まってきていた高齢者を含む地域住民も一緒に移動することになるため,全体では100人以上の集団が行列を作って歩かなければならず,その速度には限界があるとともに,歩きにくい場所等で渋滞が生じるおそれもあった。このように,少人数での移動とは条件が異なる制約がある以上,裏山は,集団での避難場所として,不適当であった。 c 回避可能性について主張した裏山の斜面の当時の状況からすれば,頻繁に余震が続く中で,児童と高齢者を含む100人以上もの集団で裏山の斜面を登るのは,実際上困難であった。 また,Aルート及びBルートに踏み跡はなかった。 (イ) 各ルートAルートは,校庭の南東隅で市道に出るまでに,体育館脇の狭い通路を一列になって通る必要があり,児童と地域住民が多人数で通る た。 また,Aルート及びBルートに踏み跡はなかった。 (イ) 各ルートAルートは,校庭の南東隅で市道に出るまでに,体育館脇の狭い通路を一列になって通る必要があり,児童と地域住民が多人数で通るには特に適していなかったし,体育館の2階窓ガラスは,余震の度に大きく揺れており,体育館脇を通ることは,ガラスの落下・飛散のおそれがあって危険でもあった。したがって,児童らの安全確保を目的として校庭から避難するに当たり,教員として,Aルートによる避難は採り得ないものであった。 また,Bルートは,登り口付近が26度余りと急峻な斜面となっており,Cルートの法面は,34度を超える急斜面で登り口もなく,いずれも集団での避難経路として不適当であった。 - 22 -(5) 事後的不法行為に関する注意義務違反について争う。本件震災後の被告石巻市側の対応に,原告らに対する不法行為を構成するような違法性はない。 (6) 損害額についてア主位的主張について原告らの受けた精神的苦痛が大きいことは特段争わないが,個々的な事情は知らず,評価にわたる主張ないし法的主張は争う。 学校ないし教員の管理下で発生した被害に関する損害額が,他の事案と比べて大きくなるという関係にはないし,本件震災の津波災害の性質・甚大さに起因する事情も,損害賠償額を増大させる理由として具体的に考慮されるべき事情には当たらない。 イ予備的主張について(ア) 逸失利益基礎収入は,男子については男性労働者の全年齢・学歴計の平均賃金額を,女子については全労働者(男女計)・全年齢・学歴計の平均賃金額を用いるのが相当である。また,就労可能年数は67歳までとし,生活費控除率は,男子については50%,女子については40ないし45%とするのが相当であり,これと異なる主張は争う。 歴計の平均賃金額を用いるのが相当である。また,就労可能年数は67歳までとし,生活費控除率は,男子については50%,女子については40ないし45%とするのが相当であり,これと異なる主張は争う。 (イ) 死亡慰謝料マグニチュード9.0の巨大地震の発生という稀有な自然現象が発端となっていることを考慮すると,死亡慰謝料は,通常の事案より低額になると考えるべきである。 (ウ) 葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立費用,法事費用被災児童1名当たり合計して150万円程度に限定されるべきである。 (エ) 近親者慰謝料等近親者慰謝料が各原告につき1000万円を下らないとする主張は過 - 23 -大であり,争う。死亡慰謝料と合計で2000万円ないし2200万円程度か,あるいは被害の発端がマグニチュード9.0の巨大地震の発生という稀有な自然現象であることを考慮すると,より低額になると考えるべきである。 現在まで遺体が発見されていない被災児童の親である原告らの精神的苦痛に関しては,近親者慰謝料として上記金額の範囲内で考慮されるべきである。また,原告のうち1名が,行方不明の被災児童を捜索するために退職したことは,相当因果関係のある損害には当たらない。 (オ) 不妊治療費主張は争う。被災児童の死亡と不妊治療費の支出との間に相当因果関係はない。 (カ) 事後的不法行為による損害事実は否認し,主張は争う。 被告石巻市側の事後対応に関して,損害賠償責任の対象となるような損害は生じていない。 (キ) 弁護士費用争う。 第4 当裁判所の判断 1 事実認定前提事実,争いのない事実,証拠(項目の冒頭又は段落の末尾に個別に掲記のもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 (1) 地震及び津波に関する一般的な知見等ア 1 事実認定前提事実,争いのない事実,証拠(項目の冒頭又は段落の末尾に個別に掲記のもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 (1) 地震及び津波に関する一般的な知見等ア地震と津波(甲A56[19,48],58[1,86,87],99の5[162],155,165[12],201)(ア) 津波の多くは,深さ数十kmまでの範囲におけるマグニチュード6.5程度以上の地震によって生じる。大地震による断層運動によって,海底 - 24 -が広範囲に急激に沈降又は隆起すると,これに伴い海面にも凹凸が生じ,それが海水の波となって伝わり津波となる。 津波の高さ(水位上昇時における津波による水面の高さと津波がなかった場合に予測される水面の高さとの差の最大値)は,沖合の深い海では小さくても,海岸に近づくにつれて大きくなることが知られている。 津波の水位が人の膝を超えると,歩行速度が低下して移動の自由が奪われ,1mの水位で人命に確実に影響するようになり,2m程度以上では確実に死者が発生し,増加する。物的被害としては,津波の高さ1mで木造家屋の部分破壊が起こり,2m程度以上で木造家屋に全面破壊をもたらし,3mを超えると急激に被害率が上がり,極めて重大な災害が発生するおそれがあるとされる。津波から身を守るには,避難が唯一の方法である。 津波による被害は,海岸線及びその背後地域の地形,海底地形等の地形条件による影響を受けやすく,海岸線の背後に低い平坦地が広がっている場合には,一旦陸域側への越流が生じると,浸水域の拡大を招きやすく,かつ避難するための場所の確保が困難となってくる。 (イ) 海に注ぎ込む河川や水路には,海に面する開口部から津波が進入してくる危険があり,河川自体は,比較的津波の遡上しやすい水路とされ,平成15年の つ避難するための場所の確保が困難となってくる。 (イ) 海に注ぎ込む河川や水路には,海に面する開口部から津波が進入してくる危険があり,河川自体は,比較的津波の遡上しやすい水路とされ,平成15年の十勝沖地震では,十勝川を津波が河口から11km上流まで遡上したことが確認されている。 イ気象庁による津波警報等(甲A201)気象庁は,津波による災害発生が予想される場合,地震発生から3分を目標に,大津波警報,津波警報又は津波注意報を,津波予報区を単位として発表することとしており,宮城県は県全体で単一の予報区とされている。 大津波警報は,高いところで3m程度以上の津波が予想されるとして厳重警戒を呼び掛けるもので,併せて発表される予測の津波情報では,予想 - 25 -される津波の高さは,最小で3m,最大で10m以上とされる。津波警報は,高いところで2m程度の津波が予想されるとして警戒を呼び掛けるもので,併せて発表される予測の津波情報では,予想される津波の高さは1m又は2mとされる。 (2) 東北地方における過去の主な地震と津波被害等ア東北地方沿岸に津波をもたらした地震は,有史以来主なものだけでも数十に上るところ,そのうち本件地震以前に宮城県に大きな津波被害をもたらしたものは,以下のとおりである(甲A51,156)。 (ア) 貞観地震津波(西暦869年)三陸地方沿岸で記録がはっきり残されている地震津波としては最古のもので,地震規模はマグニチュード8.6と推定されている。 (イ) 慶長16年三陸地震津波(西暦1611年)地震規模はマグニチュード8.1と推定され,宮城県岩沼市付近では津波高が6mないし8mに達したものと推測されている。 (ウ) 明治29年三陸地震津波(西暦1896年)推定マグニチュードは7.6で,地震動の規模 ニチュード8.1と推定され,宮城県岩沼市付近では津波高が6mないし8mに達したものと推測されている。 (ウ) 明治29年三陸地震津波(西暦1896年)推定マグニチュードは7.6で,地震動の規模に比べてはるかに大きい規模の津波が発生し,東北地方全体で2万人以上,宮城県内で3452人の死者をもたらした。 (エ) 昭和8年三陸沖地震津波マグニチュード8.3で,東北地方で約3000人,宮城県内で315人の死者行方不明者をもたらした。 (オ) 昭和35年チリ地震津波南米チリ中部沿岸に発生した観測史上最大の地震で,津波により東北地方で120人余り,宮城県内で54人の死者行方不明者をもたらした。 イ上記アの5つの地震津波のうち,貞観地震津波に関しては,平成22年までの研究調査で,宮城県から福島県の沖合での断層運動により発生した - 26 -マグニチュード8以上の地震によるものであったことや,宮城県内の仙台平野及び石巻平野(石巻市南部の石巻湾に面した平野)において,当時の海岸線から,石巻平野では少なくとも3km,仙台平野では少なくとも2km内陸まで津波により浸水したこと等が明らかにされたが,三陸沿岸に当たる現在の北上川河口周辺における浸水状況は明らかではなく,慶長16年三陸地震津波での浸水状況も同様に不明である(甲A105)。 ウ明治29年三陸地震津波では,大川村の南隣の十五濱村(現在の石巻市雄勝地区)で大きな被害が出たのに対し,大川村では,釜谷等の集落が海岸から離れていて沿岸に民家がなかったことから,沿岸の長面で死者1名及び流失家屋1戸,浸水家屋60戸の被害が出たにとどまり,追波川対岸の河口左岸でも波高は比較的低く,被害も死者3名,家屋の半壊7戸等にとどまった。大川村では,昭和8年三陸沖地震津波の被害はなく,波高は3m程度 1戸,浸水家屋60戸の被害が出たにとどまり,追波川対岸の河口左岸でも波高は比較的低く,被害も死者3名,家屋の半壊7戸等にとどまった。大川村では,昭和8年三陸沖地震津波の被害はなく,波高は3m程度であり,昭和35年チリ地震津波では,床下浸水10戸との報告が残されているが,波高は昭和8年の津波より低かったと推測されている(甲A51[168~],83の1,198[379])。 エ宮城県は,昭和58年に発生した日本海中部地震による津波被害を受けて,津波被害の想定調査を実施し,現地での聞き取り調査と文献調査に基づき,「宮城県既往津波災害調査報告書」(昭和60年)に結果をまとめた。 同報告書は,河北町に関して,県北部の中では珍しく明治29年以降の3つの津波による被害が少ないところで,津波による浸水被害に比べて台風による高潮被害の方が大きかったため,住民のほとんどが津波に対する警戒心が少ないとしている(甲A51[173])。 オ東北地方では,本件地震以前,北上川で昭和35年チリ地震の津波の遡上が確認されたこと等,数例の津波の河川遡上が確認されていたが,遡上した津波が河川堤防を越流したことによる被害は過去に発生していなかっ - 27 -た(甲A57,99の5[161])。 カ東北地方では,平成20年6月14日,マグニチュード7.2の岩手・宮城内陸地震が発生し,宮城県北部等で震度6強が観測された。この地震では,津波は起きなかったものの,土砂崩れや落石により,死者が出たほか,河道閉塞により天然ダムが形成されるなどの被害が生じた(乙26)。 (3) 地震及び津波に関する地域や学校の備えア宮城県地震被害想定調査に関する報告書等(乙2,3,15[4])国の地震調査研究推進本部が平成12年に公表した「宮城県沖地震の長期評価」では,平成1 ) 地震及び津波に関する地域や学校の備えア宮城県地震被害想定調査に関する報告書等(乙2,3,15[4])国の地震調査研究推進本部が平成12年に公表した「宮城県沖地震の長期評価」では,平成15年6月を基準に,30年以内に宮城県沖地震が発生する確率が99%であることが示され,宮城県では,この発表と,平成15年の三陸南地震及び宮城県北部連続地震を受けて,専門部会を設けて地震被害想定調査を実施した。 専門部会が平成16年3月に発表した報告書(平成16年報告)は,国の地震調査研究推進本部が宮城県沖の最大級の地震として想定した,マグニチュード8.0の連動型の宮城県沖地震をはじめとする3つの地震を想定対象として各種の被害予測を示し,津波被害に関しては,北上川を含む主要な河川の河口から10kmまでの河床標高を考慮した津波の遡上に関するシミュレーション計算も行いながら,浸水域や水位の予測を行った。平成16年報告では,宮城県沖地震での被害として,河北町の津波の最高水位は5.1m,浸水面積は4平方キロメートルと予測し,昭和8年三陸沖地震津波時より大きい被害の予測が,予想浸水域分布図とともに示され,また,津波の最高水位が最も高いのは,昭和三陸地震を想定した場合の宮城県沿岸北端の唐桑町(現在の気仙沼市東部)の18.6mで,河北町の南隣の雄勝町や北上川対岸の北上町(それぞれ現在の石巻市雄勝地区及び同市北上町地区)でも10m超の水位が予測されており,河北町の最高水位の予測は,相対的に低くなっていた。 - 28 -上記予想浸水域分布図は,宮城県によって津波浸水予測図として公表され,これによると,連動型の宮城県沖地震が発生した場合の釜谷地区の津波浸水域は,北上川の堤防の内側では新北上大橋付近まで及び,浸水深は最大で2mである一方,堤防の外側では,浸 浸水予測図として公表され,これによると,連動型の宮城県沖地震が発生した場合の釜谷地区の津波浸水域は,北上川の堤防の内側では新北上大橋付近まで及び,浸水深は最大で2mである一方,堤防の外側では,浸水の範囲は大川小学校より下流側に500m以上離れたところまで及ぶのみであった(浸水深は最大1m)。 国の地震調査研究推進本部は,平成22年1月にも,同月1日を基準として30年以内に宮城県沖地震が発生する確率が99%である旨を公表した。 イ石巻市地域防災計画とハザードマップ(甲A74,95,乙1[16~],4)石巻市は,平成17年の市町合併に伴い,従前の各自治体の地域防災計画及びハザードマップに替えて新しいものを策定することとし,「石巻市地域防災計画」(平成20年)と,「防災ガイド・ハザードマップ」(平成21年)を取りまとめた。 地域防災計画の震災対策編では,平成16年報告の想定対象地震中で石巻市に最も大きな被害が想定される連動型の宮城県沖地震を計画上の想定地震とし(以下「計画想定地震」という。),平成16年報告の被害想定に基づいた対策を講じるとの方針の下,第5章「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る地震防災対策推進計画」の第6節「津波からの防護及び円滑な避難の確保に関する事項」中で,避難対策として,①避難対象地区の指定,②避難の確保,③避難勧告及び避難指示の発令,④避難誘導体制,⑤避難所の開設・運営等を掲げた。このうち,避難対象地区の指定は,平成16年報告の予想浸水域分布図に則って行われ,釜谷地区では,大川小学校の所在する釜谷字山根は指定対象外とされ,それより東の釜谷字新町裏,釜谷字谷地中及び釜谷字川前のみが指定された。また,大川小学校は, - 29 -津波時の避難場所の1つとして指定された。 防災ガイド・ハザードマップ 指定対象外とされ,それより東の釜谷字新町裏,釜谷字谷地中及び釜谷字川前のみが指定された。また,大川小学校は, - 29 -津波時の避難場所の1つとして指定された。 防災ガイド・ハザードマップは,地区別の冊子として取りまとめられ,市民や関係機関に配布された。その河北地区版では,旧河北町地域の津波ハザードマップとして,およそ5万分の1の縮尺のカラー航空写真に浸水深を色塗りする方法で,宮城県の前記津波浸水予測図と同内容の予想浸水区域が示されるとともに,大川小学校は,避難場所の1つとして表示された。津波ハザードマップに関しては,本文中で,「この地図は,…津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並び各地域の避難場所を示したものです。浸水の着色の無い地域でも,状況によって浸水するおそれがありますので,注意してください。津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避難することが大切です。いざというときに備え,あなたの家から避難場所までの経路,家族の連絡先などを確認しておき,また,危ない場所などを把握しておきましょう。」と説明されていた。 ウ津波に関する自治体の広報活動等(甲A157の4ないし8,163の1ないし22,乙23,24)河北町は,広報紙で,地震を想定した防災訓練の様子の紹介,防災意識向上のための呼び掛け及び地震時の心得やチェックポイント等の周知を繰り返し行っていたが,広報紙での津波に関する呼び掛け等は,専ら海岸付近にいる場合に注意や避難を促す内容であり,平成17年に河北町を合併した以降の石巻市でも,状況は同様であった。 また,宮城県では,昭和53年の宮城県沖地震の発生日に因んで,6月12日が県民防災の日に指定されており,河北町でも,少なくとも数年おきに防災訓練が実施されているほか,平成16年には,町全域を実施区域とした総合防災 ,昭和53年の宮城県沖地震の発生日に因んで,6月12日が県民防災の日に指定されており,河北町でも,少なくとも数年おきに防災訓練が実施されているほか,平成16年には,町全域を実施区域とした総合防災訓練も実施されたが,津波を想定した訓練は,専ら海に面した長面地区及び尾崎地区で行われ,釜谷地区ではそのような訓練は行われておらず,大川小学校を訓練会場として行われた平成16年の総合防災 - 30 -訓練の内容も,大川小学校を地震後の避難場所として想定した避難及び炊き出しと消火等の火災対応や応急救護にとどまっていた。 エ国や地方公共団体における学校教育上の地震津波への備え(ア) 文部省「学校等の防災体制の充実について第一次報告」及び「学校等の防災体制の充実について(第二次報告)」(甲A5,6,160)「学校等の防災体制の充実に関する調査研究協力者会議」は,平成7年から平成8年にかけて,上記各報告書を取りまとめ,文部省に報告した。 この報告では,地震等の災害の発生に際し,児童等及び教職員の安全を確保するとともに学校教育の円滑な実施等を図るため,学校防災に関する計画を作成することが必要であるとして,学校防災計画で定めておくべき必要事項を列挙し,併せて,児童等の安全確保のための教職員の対応マニュアルの作成指針も示した。 (イ) 宮城県教育委員会「災害対策マニュアル」(甲A94)宮城県教育委員会は,平成18年3月,「災害対策マニュアル」を作成した。 (ウ) 平成20年学校保健法改正国は,平成20年法律第73号により学校保健法を改正し,平成21年4月1日に施行した。この改正により,法律の名称が「学校保健安全法」に改められるとともに,第3章として,学校安全に関する規定(26条ないし30条)が新設された。この改正により,学校において 成21年4月1日に施行した。この改正により,法律の名称が「学校保健安全法」に改められるとともに,第3章として,学校安全に関する規定(26条ないし30条)が新設された。この改正により,学校においては,学校安全計画(当該学校の施設及び設備の安全点検,児童生徒等に対する通学を含めた学校生活その他の日常生活における安全に関する指導,職員の研修その他学校における安全に関する事項についての計画)の策定実施と,危険等発生時対処要領(児童生徒等の安全の確保を図るため,当該学校の実情に応じて危険等発生時において当該学校の職員がとるべ - 31 -き措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領)の作成が求められた(27条,29条)。 (エ) 宮城県教育委員会「みやぎ防災教育基本指針」(甲A165,193)宮城県教育委員会は,平成21年2月,「みやぎ防災教育基本指針」を策定し,これを県内の市町村立小中学校を含めた各学校に周知した。 同指針は,市町村立学校に対し,各市町村教育委員会が定めるマニュアルや要領に沿って学校保健安全法29条等の規定に基づくマニュアル整備を行うよう求めるものであった。 (オ) 文部科学省学校安全参考資料「『生きる力』をはぐくむ学校での安全教育」(甲A161,162)文部科学省は,平成13年,上記書籍を編纂し,外郭団体を発行者として刊行した。この書籍は,基本的には児童生徒に対する安全指導及び安全教育の在り方を主たる内容とする中で学校における安全管理にも1章を割き,その中では,災害発生時の安全管理にも3頁が充てられたが,その内容は,あらゆる学校に当てはまる総論的な内容を説くにとどまっていた。 文部科学省は,平成22年3月,上記書籍を改訂し,学校保健法改正や学習指導要領改訂に即して内容を改めた。 (カ) 石巻市学校安全対策 あらゆる学校に当てはまる総論的な内容を説くにとどまっていた。 文部科学省は,平成22年3月,上記書籍を改訂し,学校保健法改正や学習指導要領改訂に即して内容を改めた。 (カ) 石巻市学校安全対策研修会(甲A94,97)石巻市教育委員会は,平成22年1月28日,平成21年度の石巻市学校安全対策研修会を実施し,石巻市地域防災計画の震災対策編に基づいて,学校における避難誘導や避難所の開設等について説明を行った。 石巻市教育委員会は,平成23年1月20日にも平成22年度の同研修会を実施した。 オ大川小学校教員の会議出席,研修受講等(ア) 小中学校校長会議での説明(甲A94) - 32 -石巻市教育委員会は,平成20年7月,小中学校校長会議で,平成20年策定の「石巻市地域防災計画」を引用しながら,学校における災害対応について説明した。 (イ) 石巻市教育委員会定例教頭会議(甲A98)平成21年4月22日開催の定例教頭会議では,石巻市教育委員会学校教育課から,校務の整理の一環として,危機管理,危機対応マニュアルの確認・点検整備・周知・実施・継続・評価をすることが求められた。 (ウ) 宮城県教育委員会「防災教育指導者養成研修会」(甲A165)宮城県教育委員会は,平成22年5月25日,宮城県東部教育事務所管内の学校や幼稚園の学校安全教育担当教職員や教育行政担当者を対象に,平成22年度の上記研修会を開催し,大川小学校のG教諭が参加した。研修中,仙台管区気象台職員を講師とする「緊急災害から身を守るために -局地的大雨,津波防災-」と題する講義が行われ,講師は,津波に関して,波浪との違い,速さと高さ,川や陸をも遡上すること,身を守るためには避難以外に方法がないこと,等を説明するとともに,講義の締めくくりに大地震のときの心得と津波 る講義が行われ,講師は,津波に関して,波浪との違い,速さと高さ,川や陸をも遡上すること,身を守るためには避難以外に方法がないこと,等を説明するとともに,講義の締めくくりに大地震のときの心得と津波に対する心得を紹介した。 このうち,大地震の心得は,「海岸でグラットきたら高台へ」,「気をつけよ,山崩れと崖くずれ」等の9項目であり,津波に対する心得は,地震を感じたときや津波警報が発令されたときには直ちに海浜から離れ,急いで安全な場所に避難すること,正しい情報をラジオ,テレビ,広報車などを通じて入手すること等の5項目であった。 (エ) 石巻市教育委員会教頭・中堅教員研修会(甲A10,12の4ないし6)平成22年8月4日開催の上記研修会は,石巻市総務部防災対策課のH危機管理監を講師とする「児童生徒の安全確保・文教対策」との演題での講話を内容として行われ,大川小学校から,D教頭,E教諭外1名 - 33 -が参加した。この講話のうち児童生徒の安全確保に関する部分では,風水害に関する気象警報等の発表時と,地震や洪水,原子力災害等の災害発生時とに局面を分けて説明がされ,後者の局面における対応としての避難に関しては,学校自体が危険なときの集団避難の必要性,具体的には,津波危険の場合(震度4以上の強い揺れ又は揺れの長い地震を感じたとき)には高台への避難,洪水や土砂災害に対しては危険の種類に合わせた避難を行うべきことが説かれ,講話の最後には,プロアクティブの原則として,「疑わしいときは行動せよ,最悪の事態を想定して行動(決心)せよ,空振りは許されるが見逃しは許されない」との考え方が紹介された。 カ大川小学校の危機管理マニュアル策定等(甲A8,9,160,証人I,証人C)(ア) 大川小学校では,平成18年頃,毎年度策定する教育計画に盛り込む しは許されない」との考え方が紹介された。 カ大川小学校の危機管理マニュアル策定等(甲A8,9,160,証人I,証人C)(ア) 大川小学校では,平成18年頃,毎年度策定する教育計画に盛り込む災害対応マニュアルの改訂を行い,平成19年度の教育計画の一部として,12頁にわたる「地震発生時の危機管理マニュアル」(危機管理マニュアル)を取りまとめた。 この危機管理マニュアルは,文部省の「学校等の防災体制の充実について(第二次報告)」(上記エ(ア))で示された,児童の安全確保のための教職員の対応マニュアルに関する作成指針に沿う内容で作成されており,具体的には,「1 初動体制の確立」,「2 地震発生時の基本対応」,「3 児童の引き渡しについて」,「4 地震災害時の学校とPTAの連絡体制(原則震度6以上の場合)」,「5 避難所としての学校の対応(避難所運営マニュアル)」の5項目からなっていて,このうち「2 地震発生時の基本対応」では,児童在校中における揺れが収まった後の避難誘導に関して,「第一次避難【校庭等へ】」,「(火災・津波・土砂くずれ・ガス爆発等で校庭等が危険な時)第二次避難【近 - 34 -隣の空き地・公園等】」と記載されていた。 また,危機管理マニュアルのうち,「3 児童の引き渡しについて」では,地震災害発生時には,災害対策本部(校長と教頭)が,下校等に関して,帰宅か保護か,集団下校か保護者引取りかを判断するものとし,震度6弱以上を観測した場合は保護者引渡しを原則とするものとしていた。 (イ) 大川小学校では,平成21年秋頃以降,同年4月の改正学校保健安全法の施行を受けて宮城県や石巻市の教育委員会から求められていた同法29条等の規定に基づくマニュアル整備として,D教頭が担当者となって危機管理マニュアルの改訂が行われ,平 ,同年4月の改正学校保健安全法の施行を受けて宮城県や石巻市の教育委員会から求められていた同法29条等の規定に基づくマニュアル整備として,D教頭が担当者となって危機管理マニュアルの改訂が行われ,平成22年度の教育計画には改訂版が盛り込まれた。 この改訂によって,危機管理マニュアルは,題名が「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」と改められたほか,記述も次のとおり変更された。 a 「1 初動体制の確立」で,災害対策本部である校長及び教頭の下に5つの班が設置されるものとされている中で,本部の役割の一に従前挙げられていた「情報の収集」の記載が,「情報の収集(津波関係も)」と改められた。 b 「1 初動体制の確立」で,初動体制として設置される班の1つである安否確認・避難誘導班の役割の記述に,「津波の発生の有無を確認し第2次避難場所へ移動する」との役割が追加された。 (4) 大川小学校付近の地理等(別紙5ないし7の各図面を参照)ア釜谷地区釜谷地区は,北上川の河口から上流に3.7kmの地点に架かる新北上大橋付近から下流側にかけての北上川右岸(南側)にあり,標高の低い平坦な土地が下流側に隣接する長面地区にかけて海岸まで続いている。釜谷地 - 35 -区内を流れる富士川は,釜谷地区の西にある針岡地区内を南西から北西に流れてきて新北上大橋南詰め付近に至った後,そこから下流の釜谷地区内では,左岸堤防を北上川と共有してこれと隣接しながら並行に流れ下り,およそ2.8km下流の水門で北上川に流入している(甲A52の3,99の2,99の4)。 大川小学校付近では,北上川の右岸堤防(富士川の左岸堤防)の高さは,本件地震以前,標高にして5ないし6m,測量時の川の水面からは4m以上であり,富士川の右岸堤防は標高4m前後,測量時の川の水面からは3 川小学校付近では,北上川の右岸堤防(富士川の左岸堤防)の高さは,本件地震以前,標高にして5ないし6m,測量時の川の水面からは4m以上であり,富士川の右岸堤防は標高4m前後,測量時の川の水面からは3mほどの高さがあった(甲A52の3,99の2,丙1の1)。 大川小学校の敷地は,海岸からはおよそ4km離れており,富士川の右岸堤防からの距離はおよそ75m,北上川の右岸堤防からの距離はおよそ145mで,敷地の標高は1ないし1.5m前後であった。本件震災前,大川小学校の北には,県道を挟んで反対側に民家等が立ち並んでいて,大川小学校の校舎2階からも,北上川の水面を見通すことはできなかった(甲A1の4,52の3,119の1,乙21の5ないし8)。 イ大川小学校大川小学校の所在地には,明治年代から小学校が立地していたが,河北町は,昭和60年,この地の小学校と他の1校とを統合して新たに大川小学校を開校した(甲A85,乙10)。 大川小学校の敷地は,北側で県道に,西側と南側で市道に接しており,道路と敷地の間は塀やフェンスで仕切られていて,道路と敷地との出入口としては,敷地北西に県道に面した正門があったほか,敷地西側の駐輪場近くの通用口と校庭南西の入退場門から市道に出ることができ,校庭南東では,体育館と屋外ステージの間を通って校庭の南東隅から市道に出ることも可能であったが,このうち入退場門は,普段から施錠されていた(甲A119の2,120[写真3,47,55,56],乙1,21の13, - 36 -21の16)。 大川小学校には,石巻市の防災行政無線の屋外受信設備があり,石巻市の放送は,校庭の隅に設置された屋外拡声器を通じて校庭で聞くことが可能であった(甲A120[写真52],194の3ないし5)。 大川小学校の校舎は,昭和60年竣工の2 線の屋外受信設備があり,石巻市の放送は,校庭の隅に設置された屋外拡声器を通じて校庭で聞くことが可能であった(甲A120[写真52],194の3ないし5)。 大川小学校の校舎は,昭和60年竣工の2階建て(一部平家建て)の鉄筋コンクリート造の建物で,屋上はなかった(甲A85,163の7)。 校庭の西には,市道を挟んで向かい側に,地域住民の集会場である交流会館とその駐車場があり,駐車場の南側には,消防団のポンプ置場である倉庫や地蔵尊があって,その裏側は,裏山の斜面になっていた。 ウ裏山釜谷地区の平地の南はすぐに山地となっており,大川小学校の南側も,校庭から市道を挟んだ反対側に裏山の麓が迫っていて,裏山の麓に接する部分の市道や消防団倉庫付近の平地の標高は,1m前後である(甲A52の3,乙16の1,19)。 裏山の斜面のうち大川小学校に面した付近では,平成15年3月に崖崩れが発生し,土砂が学校敷地に押し寄せたことがあり,当該箇所は,平成16年までに,急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律に基づく急傾斜地崩壊危険区域に指定され,宮城県の崩壊防止工事により,下部で幅にして約90m,高低差にして約50mの範囲で,4段の水平なコンクリート舗装と5面の法面が階段状に造成された(造成斜面)(乙1[31~33],13,14の1ないし3)。 エ Aルート裏山のうち,造成斜面に向かって左側の斜面は杉林で,標高10m付近までは20度未満と傾斜は比較的緩やかで,それより上では20度以上の急傾斜となっている(甲A66,乙16の1,17の1,19)。 この杉林のうち,下部の傾斜の比較的緩やかなところは,平成22年頃 - 37 -まで,大川小学校の3年生等が授業で行う椎茸栽培でほだ場(原木を長期間保管する場所)として利用されており,毎年3月に,児 杉林のうち,下部の傾斜の比較的緩やかなところは,平成22年頃 - 37 -まで,大川小学校の3年生等が授業で行う椎茸栽培でほだ場(原木を長期間保管する場所)として利用されており,毎年3月に,児童が,植菌した原木をここまで運ぶ作業を行っていた(甲A113,証人C,証人J)。 校庭からAルートでこの斜面を登る場合,校庭の南東で,体育館と屋外ステージのコンクリート壁との間の幅が狭い箇所を通り,フェンスの端と体育館の間から市道に出て裏山の麓に至るのが最短の経路で,校庭の中央付近から裏山の麓までの移動距離はおよそ100mで,そこから更に標高10mのところに登るまでの移動距離は水平距離にしておよそ45mである(甲A119の2,乙16の1)。 オ Bルート裏山のうち,造成斜面に向かって右側では,市道や消防団倉庫の南側すぐのところから竹藪の急斜面が始まっており,斜面下部の傾斜が若干緩やかな消防団倉庫裏手から登っても,登り口付近は限られた範囲ながらも約26度と傾斜が急で,続く斜面は標高10m程度までの範囲で20度前後であるものの,それより上は更に急になっている(乙16の1,17の2)。 校庭からBルートで裏山に登るため,敷地西側の通用口から市道に出て南に向かい,消防団倉庫横を通りその裏手から登り始める場合,校庭の中央付近から消防団倉庫裏手の山の麓までの移動距離はおよそ100mで,そこから更に標高10mのところに登るまでの移動距離は,水平距離にしておよそ20mである(乙16の1)。 カ Cルート裏山のうち造成斜面では,土砂災害防止のコンクリート擁壁の裏手からすぐに法面になっており,法面には雑草や低木が生えている。一番下の法面の傾斜は約34度,その余の法面の傾斜は約39度であり,1段目のコンクリート舗装は幅5m弱で,標高はおよそ13mであ 壁の裏手からすぐに法面になっており,法面には雑草や低木が生えている。一番下の法面の傾斜は約34度,その余の法面の傾斜は約39度であり,1段目のコンクリート舗装は幅5m弱で,標高はおよそ13mである(甲A60,乙16の1,17の3,17の4)。 - 38 -造成斜面からは大川小学校や釜谷地区を俯瞰することができ,大川小学校では,平成22年度に,3年生が,社会科学習の一環として,Bルートの竹藪を経由する方法でここに登ったことがあったほか,C校長も,ここに登って学校の写真を撮影していた(甲A3,59,70)。 市道から造成斜面を登るには,コンクリート擁壁の左右いずれかの端から裏手に回り込まなければならず,校庭の中心から通用口で市道に出て南に向かい,コンクリート擁壁の右端から裏手に回り込み,傾斜が緩くなるよう法面を斜めに横切って登る場合,コンクリート擁壁裏側の法面に到達するまでの移動距離はおよそ110m,そこから1段目の標高13m余りのコンクリート舗装に登るまでの移動距離は水平距離にしておよそ30mである(乙16の1)。 コンクリート舗装の上には,数十人から100人程度が立つことができる広さがあった(乙1[27])。 キ大川小学校周辺三角地帯付近は,堤防を隔てて並行して流れる北上川及び富士川の間近まで裏山が張り出しており,裏山と富士川の右岸堤防が接した小高い丘状の地形になっていて,標高約7mと,河川堤防を除けば,大川小学校周辺では,平常時から人が立ち入る場所として,平地より標高が高い唯一のところであった。三角地帯は,敷地西側境界から直線距離にしておよそ150m離れている。三角地帯側の裏山の斜面は,傾斜の急なコンクリート法面となっており,付近の山林も含め多数の者が登ることは困難な形状となっていた(甲A52の3,乙5の3,1 ら直線距離にしておよそ150m離れている。三角地帯側の裏山の斜面は,傾斜の急なコンクリート法面となっており,付近の山林も含め多数の者が登ることは困難な形状となっていた(甲A52の3,乙5の3,11の1,19)。 三角地帯の交差点から国道398号線を南に数百m進んだところには,裏山を登る林道の登り口があり,更に2km余り先の標高100m付近のところには,雄勝地区に通じる釜谷トンネルがある。林道を上った先の裏山の市有林では,平成19年,大川小学校の全児童が参加して植樹が行われ - 39 -た(甲A49,62,64)。 (5) 本件地震発生前日までの大川小学校における事実経過ア平成23年3月当時,大川小学校には,児童108名が在籍し,C校長(平成21年4月赴任),D教頭(平成20年4月赴任)及びE教諭を含む教職員13名が配置されていた。 大川小学校では,遠方から通学する児童のために,運送事業者に委託してスクールバスを走らせており,乗車定員46人のバス1台が,登下校時に,海に面した尾崎地区及び長面地区方面と,内陸の横川地区,福地地区及び針岡地区方面の2路線に運行していた(甲A196,乙8,9)。 イ平成23年3月9日午前11時45分,三陸沖でマグニチュード7.3の地震が発生し,宮城県内では最大で震度5弱が観測された。この地震により,東北地方の太平洋沿岸に津波注意報が発令され,宮城県では,津波高の予測0.5mのところ,0.48mの津波が観測された(甲A14,200の1)。 また,平成23年3月10日午前6時24分には,三陸沖でマグニチュード6.8の地震が発生し,石巻市で震度4が観測された。この地震により,福島県の太平洋沿岸に津波注意報が発令され,宮城県で11cmの津波が観測された(甲A15,200の2)。 これらの地震によ ュード6.8の地震が発生し,石巻市で震度4が観測された。この地震により,福島県の太平洋沿岸に津波注意報が発令され,宮城県で11cmの津波が観測された(甲A15,200の2)。 これらの地震により,大川小学校の学区内である針岡地区で落石と斜面の亀裂が発生し,河北総合支所では,地震の当日から,今後崩壊の危険性がある警戒の必要な箇所として注意を払っていた(乙20)。 ウ平成23年初め頃,C校長,D教頭及びE教諭の間で,万が一津波が大川小学校まで来た場合の対応をどうするかが話題となったことがあり,校舎の2階に逃げるか又は裏山に逃げるかという話も出たが,特段の結論には至らなかった。また,この3人の間では,同年3月9日の上記地震発生後にも同様の話題が出て,C校長から,造成斜面右側の竹藪から登って逃 - 40 -げるほかないという考えも述べられたが,このときも特段の結論には至らなかった(乙31,証人C)。 (6) 本件地震当日,津波襲来までの事実経過ア平成23年3月11日,大川小学校では授業が行われ,欠席早退者等5名を除く児童103名が授業終了まで在校していた。同日,教職員のうち,C校長は休暇を取得して石巻市外におり,職員1名は用務により外出中で,校内では11名が勤務していた。 イ本件地震の発生した午後2時46分頃,一部の学年は帰りの会の終了前であったが,直前に児童が下校を始めた学年もあった。 ウ午後2時46分,本件地震が発生し,宮城県北部では最大で震度7,石巻市内では震度6強が観測され,石巻市内の観測地点では,震度4以上の揺れが約160秒間継続した(甲A53)。 エ地震発生当初,大川小学校では,各教室で,教員の指示により児童を机の下に入らせ,揺れが収まった後,校舎内の全児童を校庭に避難させた。 午後3時頃までには,下校直 160秒間継続した(甲A53)。 エ地震発生当初,大川小学校では,各教室で,教員の指示により児童を机の下に入らせ,揺れが収まった後,校舎内の全児童を校庭に避難させた。 午後3時頃までには,下校直後に地震を感じて学校に戻り又は校内に留まった児童も併せ,総勢で100名余りの児童が,11人の教職員全員とともに校庭への避難を終え,教員は,校庭で児童を整列させて点呼を取るとともに,校舎等を見回って逃げ遅れた児童がいないことを確認した。学校施設は,地震発生とともに停電となった(甲A24,39)。 スクールバスは,尾崎地区及び長面地区への便が午後2時58分出発予定であったが,これに児童は乗らず,スクールバスは出発せずに小学校の正門付近で待機を続けていた(乙8,証人J,証人K)。 オ大川小学校には,本件地震発生の前後から,保護者等が児童を迎えに訪れ,また,本件地震発生後,ここを避難場所として避難してきた住民が校庭周辺に集まり始めた(甲A22の15)。 午後3時30分頃までに,校庭に避難した児童のうち27名は,迎えの - 41 -保護者等に引き取られて教員の管理下を離れ,校庭に残った児童は,70名余りとなった。 カ河北総合支所は,午後2時52分頃,防災行政無線で,サイレンを鳴らすとともに,「ただ今,宮城県沿岸に大津波警報が発令されました。ただ今,宮城県沿岸に大津波警報が発令されました。海岸付近や河川の堤防などには絶対近づかないでください。」と呼び掛け,この音声は,大川小学校校庭の屋外拡声器から流れ,校庭でも聞こえた。校庭では,午後3時10分頃にも,「現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。海岸付近や河川の堤防などには絶対近づかないでください。」との防災行政無線の呼び掛けが流れた(甲A21)。 も,「現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。海岸付近や河川の堤防などには絶対近づかないでください。」との防災行政無線の呼び掛けが流れた(甲A21)。 キ NHKは,午後2時48分以降,ラジオ放送で,NHK総合テレビ放送の音声をそのまま放送する「T-Rスルー放送」を行うとともに,午後2時49分には,アナウンサーによる情報の読み上げや避難の呼び掛けと各地の地震発生以降の映像等による本件地震に関する報道に放送内容を切り替え,これ以降,NHKのテレビ及びラジオで,津波等に関する情報や呼び掛けとして,以下の内容を音声で放送した(甲A20,69)。 (ア) 午後2時49分「午後2時46分頃,東北地方で強い地震がありました。震度7が宮城県北部です。」などと各地の震度を伝えた。 (イ) 午後2時51分宮城県では,大津波警報が出ており,午後3時に高さ6mの津波の到達が予想されていること等を伝え,大津波警報が出ている海岸や川の河口付近には絶対に近づかないでくださいなどと呼び掛けた。 (ウ) 午後2時54分から午後3時まで大津波警報が岩手県,宮城県,福島県に出ていること,宮城県沿岸には午後3時に高さ6mの津波が来ると予想されていること,この時刻と - 42 -高さはあくまでも目安であることを伝え,早く安全な高台に避難してくださいなどと呼び掛けた。 (エ) 午後3時から午後3時5分まで宮城県には午後3時に6mの津波が到達する見込みであること,宮城県石巻市鮎川で午後2時52分に50cmの津波が観測されたこと,津波は繰り返し押し寄せるおそれがあること,宮城県七ヶ浜町では防災無線で住民に避難指示を出したこと,を伝え,大津波警報と津波警報が出されている沿岸の方は,早く安全な高台に避難してくださいと たこと,津波は繰り返し押し寄せるおそれがあること,宮城県七ヶ浜町では防災無線で住民に避難指示を出したこと,を伝え,大津波警報と津波警報が出されている沿岸の方は,早く安全な高台に避難してくださいと呼び掛けた。 (オ) 午後3時5分から午後3時10分まで宮城県に午後3時に予想高6mの津波の到達が予想されていることを伝え,海岸や川の河口付近には絶対に近づかず,沿岸付近にいる方は早く安全な高台に避難してくださいと呼び掛けた。 (カ) 午後3時10分から午後3時15分まで午後2時46分頃宮城県栗原市で震度7を観測したこと,宮城県,岩手県及び福島県に大津波警報が出たこと,宮城県石巻市鮎川で午後2時52分に50cmの津波が到来し,今後も2回,3回と繰り返し押し寄せるおそれがあることを伝え,海岸や川の河口付近の方は絶対に近づかず,早く安全な高いところに避難してくださいと呼び掛けた。 また,この間の午後3時14分には,大津波警報が青森県太平洋沿岸,千葉県九十九里外房及び茨城県に追加されたことを伝えた。 (キ) 午後3時15分から午後3時20分まで岩手県釜石市では,津波が押し寄せて海水があふれ陸上に上がってきており,津波で岸壁と海面との境が分からなくなっていて,トラックや多くの車が浮いて流されていること,岩手県大船渡市では,津波が川の辺りを逆流し,海から海水が押し寄せ,車が海水に浸かっており,岸壁から海水が陸地にもあふれてきていることを伝え,早く安全な高台に避 - 43 -難してくださいと繰り返し呼び掛けた。 (ク) 午後3時20分から午後3時25分まで大津波警報が出ている岩手県,宮城県,福島県の沿岸付近の方は早く安全な高台に避難してくださいと呼び掛けるとともに,沿岸に津波が到達している様子として,岩手県釜石市では道路に勢いよく海 時25分まで大津波警報が出ている岩手県,宮城県,福島県の沿岸付近の方は早く安全な高台に避難してくださいと呼び掛けるとともに,沿岸に津波が到達している様子として,岩手県釜石市では道路に勢いよく海水があふれて何台もの車が流され,道路に大きな船も流れていること,福島県いわき市小名浜では建物がほぼ波に呑み込まれて,波がかなりの高い位置まで上がってきていること等を伝えた。 (ケ) 午後3時25分から午後3時30分まで青森県から千葉県にかけての太平洋沿岸に大津波警報が出ていること,各地に到達した津波の高さが,岩手県釜石港で午後3時21分に4m20cm,岩手県大船渡港で午後3時15分に3m30cm,岩手県宮古港で午後3時19分に2m80cm,宮城県石巻市鮎川で午後3時20分に3m30cmであることを伝えるとともに,沿岸に津波が到達している様子として,宮城県気仙沼市では,大きく波が白波を立てて渦巻き,海面なのかあるいは陸上なのか分からない状況となっており,大きな船や住宅の屋根のようなものや港で使われていた箱などが流されていること,千葉県銚子市では,津波の波に流されて船が岸壁にぶつかっていること,を伝え,津波は繰り返し押し寄せ,2回目,3回目のほうが高くなることもあり,津波の高さは検潮所で観測されたものであって,場所によっては更に大きな津波が到達している可能性があるとして,海岸や河口付近には絶対に近づかず,早く安全な高台に避難するよう呼び掛けた。 この間の午後3時28分,アナウンサーは,本件地震の規模が推定でマグニチュード7.9であることを,初めて述べ伝えた。 ク気象庁は,午後3時14分,宮城県に到達すると予想される津波の高さを10m以上に変更した。 - 44 -この変更後の津波の予想高の情報は,NHKでは,発表直後にテレビ放送 述べ伝えた。 ク気象庁は,午後3時14分,宮城県に到達すると予想される津波の高さを10m以上に変更した。 - 44 -この変更後の津波の予想高の情報は,NHKでは,発表直後にテレビ放送の字幕で伝えられ,株式会社FM仙台のFM放送では,午後3時20分から午後3時25分までの間に音声で放送されたが,NHKのテレビ音声とラジオでは,午後3時32分に初めてアナウンサーが情報を口頭で述べ伝えた(甲A20,乙12)。 ケ河北消防署の消防車は,午後3時20分又はそれより早い時点で,サイレンを鳴らしながら大川小学校前の県道を通過し,拡声器で大津波警報が発令されたことを伝えるとともに避難を呼び掛けた。 コ河北総合支所からは,3台の広報車が,本件地震発生後間もなく,住民への避難呼び掛けのために長面方面に向け出発した。このうち2台は,午後3時20分から午後3時21分までの間に,新北上大橋を通過して釜谷地区に入り,もう1台の広報車も,同じ頃に釜谷地区内に入り,午後3時23分頃に大川小学校に立ち寄った後,長面方面に向かった。3台の広報車は,釜谷地区内の県道を東に進んだ(甲A22の45,22の47,22の48,乙32,証人K)。 サ教職員は,本件地震の揺れが収まった直後から午後3時30分頃までの間,児童らとともに校庭を避難場所として避難を続けていた。この間,大川小学校では,次のようなことがあった(甲A22の1ないし55のほか,個別に掲記のもの)。 (ア) 教員は,校庭への避難後,早い段階から,D教頭の指示の下,役割分担をしながら行動し,担任の児童に付き添い,迎えに来た保護者には名簿で確認の上で児童を引き渡し,学校を避難場所として集まってきた地域住民に応対するなどしていた(甲A28)。 (イ) 一部の地域住民の中には,教職員に対し,「津波 に付き添い,迎えに来た保護者には名簿で確認の上で児童を引き渡し,学校を避難場所として集まってきた地域住民に応対するなどしていた(甲A28)。 (イ) 一部の地域住民の中には,教職員に対し,「津波だから高いところに登れ。」,「津波が来るから逃げろ。」と言う者がおり,児童を迎えに来た保護者の中にも,教員に対し,裏山を指しながら「山に逃げて。」 - 45 -と言う者がいた(甲A72の10,証人J)。 (ウ) D教頭は,ラジオ放送を聴いて,地震関連の情報を収集していた。 (エ) 教員は,D教頭を中心に,津波の襲来を念頭に,児童を校庭から更に別の場所に避難させるべきかどうかを早い段階から協議検討しており,教員の中には,裏山への避難を提案する者もいた(甲A28)。 D教頭は,校庭に来ていた釜谷地区の区長に対し,「山に逃げた方が良い。」,「山に逃げよう。」,「山に上がらせてくれ。」,「裏の山は崩れるんですか。」,「子供達を登らせたいんだけど。」,「無理がありますか。」などと言って裏山に避難することへの意見を求めたが,釜谷地区の区長は「ここまで来ないから大丈夫」,「学校にいた方が安全だ。」と答えた。また,教員の中には,校庭に集まっていた地域住民に,「山に登っても危なくないですか。」,「小さな子どもたちが登っても大丈夫ですか。」と尋ねる者もいた。 (オ) E教諭は,児童に着用させる上着や靴を取りに校舎に何回か出入りしたり,児童の用便に付き添うほか,無断で体育館に入ろうとする住民を制止するなどの対応に当たっていた(甲A24,28,39)。 当時,大川小学校付近では,平地に積雪はなく,曇空の下,みぞれや雪が,積もらない程度に断続的に降る天候であった(甲A80,乙1[58])。 (カ) 午後3時23分頃,河北総合支所の職員が広報車で立ち寄り,教 小学校付近では,平地に積雪はなく,曇空の下,みぞれや雪が,積もらない程度に断続的に降る天候であった(甲A80,乙1[58])。 (カ) 午後3時23分頃,河北総合支所の職員が広報車で立ち寄り,教員に,体育館での避難者の受入れが可能かどうかを確認した。 (キ) 正門付近で待機を続けていたスクールバスの運転手は,同僚と無線交信する中で,大川小学校側の判断がはっきりしないと言った。 (ク) 校庭での避難中,余震が繰り返し発生しており,石巻市内の観測点では,本件地震から午後3時30分までの間に,震度1以上の余震が20回発生し,そのうち震度3以上のものは6回あった(乙1[60])。 - 46 -シ本件地震から40分余りが経過した頃,追波湾沿岸や北上川の河口付近には,本件地震による巨大な津波が襲来し,河道を遡上し始めた。北上川河口付近左岸の石巻市北上町十三浜地区では,津波が堤防を越流し,建物を押し流しながら内陸に広がり始め,これと前後して,河口付近右岸の長面地区でも,沿岸の松林を抜けて津波が内陸に進み始めた(甲A80,81,乙15[17],証人K)。 長面方面に向かっていた河北総合支所の3台の広報車のうち,先頭の広報車を運転していたKは,県道を走行中,約2km前方の追波湾沿岸の松林付近で,津波が樹木を超える高さの水煙とともに林を通り抜けて内陸に襲来しているのを見て,危険を避けるために方向転換して引き返し,その余の2台もこれに続いた。Kは,県道を西に進む途中,釜谷地区の谷地中集落や新町裏集落を通りながら,松林を津波が抜けてきたのですぐ高台へ避難するよう拡声器で呼び掛け,遅くとも午後3時30分頃までには,大川小学校前を同様の広報を行いながら通り過ぎ,三角地帯に至った(甲A22の45,22の47,22の48,乙32,証人K)。 ちなみ 難するよう拡声器で呼び掛け,遅くとも午後3時30分頃までには,大川小学校前を同様の広報を行いながら通り過ぎ,三角地帯に至った(甲A22の45,22の47,22の48,乙32,証人K)。 ちなみに,河北総合支所の広報車が大川小学校前を通過した時間は厳密には認定し得ないものの,原告らは午後3時25分頃であると,被告らは午後3時28分から30分頃であると主張し,また,Lに対する聴取書(甲A22の48)によれば,同人の乗車する広報車が午後3時30分頃に三角地帯に到着した際,他の2台の広報車は既に到着し,誘導をしていたということからすると,いかに遅くとも,午後3時30分頃までには広報車が大川小学校の前を通過していた事実を認めることができる。 ス E教諭は,遅くとも午後3時30分頃までに,河北総合支所の広報車が,上記のように避難を呼び掛けながら県道を通るのを聞き,D教頭に,「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか。」と問い掛け,D教頭は,E教諭に,校舎2階への避難が可能かどうか確認するよう指示 - 47 -した。しかし,E教諭が校舎内を見回っている間に,それ以外の教員は,校庭から三角地帯に移動することを決め,児童らに「三角地帯に逃げるから,走らず,列を作っていきましょう。」などと指示して列を作らせ,午後3時30分頃以降,遅くとも午後3時35分頃までに徒歩で校庭を出発し,これに付き従う地域住民もいた(甲A28,39)。 教職員と児童の列は,敷地西側の通用口から市道に出て,おおよそ別紙8図面に示したような経路で,市道を南に若干進んで交流会館駐車場入り口のところで西に曲がって駐車場に入り,ここを通って更に三角地帯の方向に西に進んだ。交流会館の敷地西側の境界を列の最後尾が越えた頃,北上川を遡上した津波が,新北上大橋付近の右岸堤 交流会館駐車場入り口のところで西に曲がって駐車場に入り,ここを通って更に三角地帯の方向に西に進んだ。交流会館の敷地西側の境界を列の最後尾が越えた頃,北上川を遡上した津波が,新北上大橋付近の右岸堤防から越流して一帯に襲来し,教職員と児童は津波に呑まれた(甲A107)。 行列して歩いていた70名余りの児童は,4名を除いて全員が死亡し(うち23名が原告らの子である被災児童),教職員は,E教諭以外の全員が死亡した。 セ大川小学校には,午後3時37分頃に津波が到達し,周辺一帯が水没し,校舎内の複数の時計がその前後の時刻で停止した。 津波の水面は,最終的には,校舎付近では2階建ての管理・教室棟の屋根まで達し,校舎2階の天井には,標高8.663mの位置に浸水の痕跡が残った(甲A178の1[写真②],乙1,18)。 ソ津波が新北上大橋付近の右岸堤防から越流した時点で,三角地帯の交差点では,K等の石巻市職員6名が車の誘導に当たっていたが,北上川から押し寄せる津波を見てとっさに間近の裏山に駆け上り,逃げ遅れて津波に呑まれた1名を除く5名が生き残った。そのうち1名は,裏山の上から,津波の濁流が新北上大橋付近を上流方向に際限なく流れ続ける様子を撮影した。映像に残された濁流の水位は,標高7.5m前後の橋上の路面と同程度であった(甲A22の47,101,乙32,証人K)。 - 48 -(7) 津波襲来以降の事実経過ア E教諭と生存児童のうち1名は,裏山の斜面で津波から逃れ,当日夜には連れ立って裏山の尾根を越え,反対側の麓の民家に辿り着いた。また,生存児童のうち残り3名も,水に浸かるなどしながらも津波から生き残り,裏山に逃れていた地域住民や石巻市職員とともに,繰り返し津波が押し寄せる中で下山することができないまま,Bルートの標高15m付近のと 存児童のうち残り3名も,水に浸かるなどしながらも津波から生き残り,裏山に逃れていた地域住民や石巻市職員とともに,繰り返し津波が押し寄せる中で下山することができないまま,Bルートの標高15m付近のところで,たき火をしながら夜を明かした(甲A39,80,乙1[86])。 大川小学校周辺を含む釜谷地区では,平成23年3月12日の昼頃までに津波の水は引いたものの,一帯の平地はぬかるんだ土砂と瓦礫で埋め尽くされていた(甲A178の1)。 イ C校長は,本件地震後,教職員と一切連絡を取ることができないまま,石巻市外から車で大川小学校に向かったが,道路の寸断や交通渋滞により釜谷地区まで行くことができず,その後数日間,河北総合支所等で,児童や教職員の安否確認等の情報収集をしたり,石巻市教育委員会に報告に行くなどして過ごした後,平成23年3月17日に大川小学校の現場に行った(乙31,証人C)。 ウ大川小学校周辺では,津波に呑まれた児童の多くは,本件地震の翌日以降,1か月程度の間に遺体で発見されたが,一部の児童は長く行方不明のまま発見されず,原告らの子(被災児童)の中では,2名が現在まで発見されていない(乙1[126])。 エ石巻市教育委員会は,平成23年4月9日と同年6月4日の2回,大川小学校の津波による被災に関して保護者説明会を開催し,平成24年1月ないし2月には,児童の遺族に対する説明会を開き,さらに,同年3月から平成26年3月までの間には,7回にわたり,遺族との話合いの機会を設けた(甲A39ないし48)。 E教諭は,初回の保護者説明会に出席して本件地震当日の経緯等を説明 - 49 -し,質疑に応じたものの,それ以降は,平成23年6月3日にC校長宛てに送信したファクシミリ文書の中で保護者宛てに状況説明と謝罪をしたのみで,心身の不調 て本件地震当日の経緯等を説明 - 49 -し,質疑に応じたものの,それ以降は,平成23年6月3日にC校長宛てに送信したファクシミリ文書の中で保護者宛てに状況説明と謝罪をしたのみで,心身の不調を理由に保護者説明会等の公の場に一切姿を見せなくなるとともに,その頃から現在まで,うつ病の治療を受けている(甲A27,28,39,乙35)。 F石巻市長は,平成23年6月4日の第2回保護者説明会に出席し,児童の遺族から被害が人災であることを認めるよう詰め寄られたのに対し,「もちろん気持ちは分かりますけれども,私としてはもし自分の子供が亡くなったら,自分の子供に思いを償っていくという,自分自身に,もう問うということしかないと思います。これが自然災害における宿命だということでしょうか。」と発言した(甲A40の1)。 オ石巻市教育委員会は,本件地震以降の大川小学校の状況を把握するため,平成23年3月25日以降,生存児童やE教諭,児童を迎えに行った保護者,当時大川小学校近くにいた地域住民や石巻市職員等の多数の関係者から事情の聞き取りを行い,さらに,被聴取者ごとに,聞き取り時の手書きメモをもとに内容を整理し清書した聞き取り記録を作成したが,聞き取りの際に録音は行われなかった。また,平成23年8月頃までに,石巻市から,E教諭や一部児童に対する聞き取り時の手書きメモが廃棄されていることが明らかにされた(甲A31の1ないし3)。 2 判断順序等(1) 原告らは,被告らの損害賠償義務の根拠として,国家賠償法1条1項及び3条1項に基づく責任,民法709条及び715条1項の不法行為責任並びに在学契約に基づく安全配慮義務違反の債務不履行責任の3つを主張するところ,まず国家賠償法に基づく責任について検討する。 (2) 小学校において事故,加害行為,災害等に 15条1項の不法行為責任並びに在学契約に基づく安全配慮義務違反の債務不履行責任の3つを主張するところ,まず国家賠償法に基づく責任について検討する。 (2) 小学校において事故,加害行為,災害等により児童に生ずる危険を防止し,児童の安全の確保を図ることは,小学校の設置者の責務であるから(学校保 - 50 -健安全法26条),市町村立の小学校にあっては,校務をつかさどり所属職員を監督する立場にある校長,校長等を助け,校務を整理し,必要に応じ児童の教育をつかさどる立場にある教頭,児童の教育をつかさどる教諭のいずれにおいても,設置者たる市町村が上記責務を果たすための補助者として,児童の安全の確保に関して公務員としての職務上の注意義務を負っているものと解することができる(学校教育法37条)。 そして,小学校が義務教育課程の一部である以上,市立小学校の校長,教頭又は教諭が危険防止及び安全確保に必要な注意義務を怠ったため,児童が小学校において災害により損害を被ったときは,公権力の行使に当たる公務員が過失によって違法に損害を加えたものとして,国家賠償法1条1項に基づき地方公共団体が賠償責任を負うものと解される。 このような観点から,以下,原告らの注意義務違反に関する主張について検討を行う。 3 本件地震発生前における教員の注意義務違反の有無(1) 原告らは,本件地震発生前における教員の注意義務違反の有無に関して,本件地震以前から津波による児童の被災の危険を予見することが可能であったと主張するとともに,これを前提に,教員が,危機管理マニュアルを改訂して,津波発生時の具体的な避難場所や避難方法,避難手順等を明記した内容に改めるべき注意義務を負っていたと主張する。 (2) しかしながら,認定事実によると,小学校において策定する災害発生時用の して,津波発生時の具体的な避難場所や避難方法,避難手順等を明記した内容に改めるべき注意義務を負っていたと主張する。 (2) しかしながら,認定事実によると,小学校において策定する災害発生時用のマニュアル類に関して,平成21年4月の改正学校保健安全法施行前には特段の法規制はない中,大川小学校が,平成19年度の教育計画の一部として取りまとめた危機管理マニュアルは,文部省「学校等の防災体制の充実について(第二次報告)」で示された作成指針に沿う内容で作成されていたものであるし,同法施行により,学校に危険等発生時対処要領の作成が求められるようになった後も,その内容としては,当該学校の実情に応じたもので - 51 -あることが求められているにすぎず(同法29条1項),個々の学校が定めるべき具体的な内容が明らかになるような規範が示されていたものではない。 (3) そこで,津波に関して危機管理マニュアルのあるべき内容を検討するために大川小学校を取り巻く実情についてみると,認定事実からは,次の点を指摘することができる。 ア宮城県に大きな津波被害をもたらした地震は,国内のものとしては貞観地震,慶長16年三陸地震,明治29年三陸地震,昭和8年三陸沖地震があり,昭和35年チリ地震も宮城県内に大きな津波被害をもたらしたものの,大川村ないし河北町にあっては,明治29年三陸地震で長面地区に1名の死者が出た以外には人命被害は出た記録がなく,沿岸部に襲来した津波の規模も,昭和8年三陸沖地震で波高3m程度の大きな津波が襲来したのが,明らかになっている範囲では最大であった。 また,津波が河川を遡上することは,知見として知られており,北上川でも,昭和35年チリ地震津波が遡上したことは確認されていたが,東北地方で,過去に津波が河川堤防を越流したことによる被害は本 った。 また,津波が河川を遡上することは,知見として知られており,北上川でも,昭和35年チリ地震津波が遡上したことは確認されていたが,東北地方で,過去に津波が河川堤防を越流したことによる被害は本件地震以前には発生していなかった。 イそのような中,宮城県の地震被害想定調査の結果である平成16年報告では,津波被害に関して北上川を含む主要な河川について遡上のシミュレーション計算も行いながら,最大の被害として,連動型の宮城県沖地震が発生した場合の河北町の津波の最高水位は5.1m,予想浸水域は4平方キロメートルと,昭和8年三陸沖地震津波時より大きい内容が示されたものの,具体的な予想浸水域としては,大川小学校近くでは北上川の堤防内に堤防の高さを超えない最大2mの浸水が予測されたのみで,堤防外の陸地では,浸水は,海岸から約4km離れた大川小学校には及ばず,最も近くても下流側に500m以上離れたところに最大で1mの浸水があるにすぎないとされていた。平成16年報告の被害想定に基づいて策定された石巻 - 52 -市地域防災計画(平成20年)の震災対策編でも,平成16年報告に準拠して連動型の宮城県沖地震を計画上の想定地震とし,大川小学校所在地は津波からの避難対象地区外とされるとともに,かえって大川小学校は津波時の避難場所に指定されており,石巻市が市民や関係機関に配布したハザードマップも,平成16年報告の予想浸水域と同内容で作成されるとともに,大川小学校は避難場所として表示されていたものである。 河北町や石巻市も,広報での津波に関する注意喚起は,海岸付近からの避難等の呼び掛けにとどまっており,防災訓練でも,津波を想定した訓練は海に面した地区で実施していたにすぎない。 ウ宮城県教育委員会は,「みやぎ防災教育基本指針」(平成21年2月)で,各学 からの避難等の呼び掛けにとどまっており,防災訓練でも,津波を想定した訓練は海に面した地区で実施していたにすぎない。 ウ宮城県教育委員会は,「みやぎ防災教育基本指針」(平成21年2月)で,各学校に対し,各市町村教育委員会が定めるマニュアルや要領に沿って危機管理マニュアルの整備を行うよう求めていたところ,石巻市教育委員会は,平成22年とその翌年に学校安全対策研修会を開催し,石巻市地域防災計画の震災対策編に基づいて,学校における避難誘導等について説明を行ったほか,平成20年7月の小中学校校長会議でも,石巻市地域防災計画を引用しながら学校における災害対応について説明を行っていた。 (4) 以上で検討したところに照らすと,平成21年4月の改正学校保健安全法施行後にあっても,大川小学校の実情として,同法29条に基づき作成すべき危険等発生時対処要領に,津波発生時の具体的な避難場所や避難方法,避難手順等を明記しなければならなかったとまでいうことはできず,したがって,同法を根拠に,教員が,そのような内容に危機管理マニュアルを改訂すべき注意義務があったともいえない。 そして,このほか原告らが主張するようなマニュアル改訂をすべき注意義務を教員に課すべき理由は認められないから,同注意義務違反をいう原告らの主張は,前提を欠いたものとして,採用できない。 (5) また,前記認定事実によれば,大川小学校の教員において,本件地震発生 - 53 -前の段階で,地震津波が襲来して児童が被災する危険が迫っていることを具体的に予見することが可能であったとはいえず,原告らの危機管理マニュアルに関する注意義務違反の主張は,予見可能性の観点からも,採用し得ない。 4 本件地震後の避難に関する注意義務違反の有無(1) 本件地震発生直後の状況の整理ア本件地震後の の危機管理マニュアルに関する注意義務違反の主張は,予見可能性の観点からも,採用し得ない。 4 本件地震後の避難に関する注意義務違反の有無(1) 本件地震発生直後の状況の整理ア本件地震後の教員の判断と行動に関して注意義務違反の有無を判断するに当たっては,最初に,当時の状況を整理しておくことが有益であるので,まずこの点に触れる。 イ教員は,本件地震発生当初,下校前の学校管理下の児童を,揺れが収まるまで机の下に入らせ,揺れが収まった後には校庭に避難させ,続いて,下校直後に学校に戻り又は留まって校庭に避難した児童も併せて100名余りを,下校させないまま継続的に管理下に置いたのであるが,認定事実によれば,教員のこのような対応は,在校中児童の校庭への避難誘導を行った上,体感された本件地震の規模の大きさ,午後2時52分頃に防災行政無線から流れた宮城県沿岸への大津波警報発令の情報やラジオから得られた地震津波関係の情報,余震が繰り返し発生している状況等を踏まえ,本件地震の揺れが収まった後も,下校途中や帰宅後の児童の安全が十分に確保されていないものと判断し,保護者等の迎えにより安全が確保されている児童を個別に下校させる以外,大津波警報が解除されたり余震が収束するなどして安全が確認されるまでの間,スクールバスを利用するものも含めて児童の下校を見合わせるという,児童の安全確保のために必要な措置を執ったものと認められ,それ自体は,危機管理マニュアルにも則った適切なものであったということができる。 そして,石巻市の防災ガイド・ハザードマップ上,大川小学校が津波時の避難場所として指定されていたこと,保護者等の迎えがあった児童は個別に下校させる必要があったこと,校庭では防災行政無線の放送を聞くこ - 54 -とができたこと,といった事情からする が津波時の避難場所として指定されていたこと,保護者等の迎えがあった児童は個別に下校させる必要があったこと,校庭では防災行政無線の放送を聞くこ - 54 -とができたこと,といった事情からすると,教員において,当面は大川小学校を離れずに校庭に留まり,ラジオや防災行政無線を通じて本件地震や津波に関する情報収集を行い,余震の推移を見極めるなどしようとしたとしても,これを不相当と評価すべきではない。 ウとはいえ,教員が下校前の児童に対し危険防止と安全確保の責務を負っている以上,収集された情報や四囲の状況をもとに,校庭で避難を継続することに具体的危険があると合理的に判断できる場合には,教員としてもその危険を予見しなければならず,これを怠ったことにより危険を避け得なかったときには,予見義務違反の過失があることになるし,危険を予見したにもかかわらず回避を怠ったり,あるいは予見された危険の種類内容との関係で不適切・不十分な回避行動しかとらなかったため危険を回避できなかった場合にも,結果回避義務違反の過失があることになる。 エそうすると,教員の注意義務違反の有無について判断するためには,教員がいかなる情報を収集していたかが重要な事実的前提になるところ,教員が実際に得た情報の一部は事実認定が可能であるものの,公共放送からの情報に関しては,D教頭がラジオ放送を聴いて地震関連情報を収集していた事実が認められるのみで,テレビ放送からも情報収集していたのか否かは証拠上確定し得ない。したがって,テレビ放送については,教員が収集した情報としては考慮しないこととする。 (2) 本件地震発生後の注意義務違反についてア原告らは,教員が,本件地震の発生後,早ければ午後2時52分頃の段階で,次いで午後3時10分頃の段階で,あるいはそうでないとしても遅く する。 (2) 本件地震発生後の注意義務違反についてア原告らは,教員が,本件地震の発生後,早ければ午後2時52分頃の段階で,次いで午後3時10分頃の段階で,あるいはそうでないとしても遅くとも午後3時28分頃までには,津波による児童の生命身体への具体的危険を予見することが可能であったと主張し,これを前提に,教員が情報の収集を怠り,また分析及び状況の評価を誤り,直ちに避難が容易な裏山等の高所に避難することなく,何らの根拠もなく津波襲来の直前まで児童 - 55 -を校庭に拘束し続けたとして,教員に早期の校庭からの避難を怠った過失があると主張する。 イまず,教員の津波に関する予見可能性と予見義務に関して,午後3時10分頃までの段階について検討する。 (ア) 原告らは,教員の予見可能性に関して,午後2時52分頃の段階と,午後3時10分頃の段階とを区別して主張するところ,この2つの時点の間には,収集した情報の量的違いがあるのみで,結果回避可能性等のその余の検討内容は異ならないことから,このうち時点が後の午後3時10分頃の段階についてのみ検討を行えば足りる。 (イ) 当時の状況は,本件地震発生からは約24分が経過し,校庭では,児童100名余りが避難してきてから10分以上が経過したところである。 この間,午後2時52分頃と午後3時10分頃との2回,石巻市の防災行政無線が,大津波警報の発令を伝え,海岸線や河川の堤防に近づかないよう注意を呼び掛ける放送をしており,これは大川小学校校庭でも聞こえている。 次に,この時点までのラジオ放送の内容のうち,津波関連のものとしては,本件地震の震度が宮城県北部で震度7であったこと,大津波警報が岩手県,宮城県,福島県に出ており,宮城県沿岸には午後3時に高さ6mの津波の到達が予想されていること,この予 ち,津波関連のものとしては,本件地震の震度が宮城県北部で震度7であったこと,大津波警報が岩手県,宮城県,福島県に出ており,宮城県沿岸には午後3時に高さ6mの津波の到達が予想されていること,この予想の時刻と高さはあくまでも目安であること,石巻市鮎川で午後2時52分に50cmの津波が観測されたこと,宮城県七ヶ浜町では防災無線で住民に避難指示を出したこと,といった情報と,海岸や川の河口付近に絶対近づかないよう,また沿岸付近にいる人は早く安全な高台に避難するよう促す呼び掛けが放送されていた。 さらに,児童と教員が校庭に避難を続ける間に,地域住民や保護者の中には,教職員に対し,津波を理由に高所への避難を促す者がいたとも - 56 -認められるところ,その具体的時刻は不明であるものの,午後3時10分頃の段階では,本件地震発生から約24分が経過していたことからすると,その間にも上記避難の促しがあったものと推認できる。 (ウ) 他方で,認定事実によれば,平成16年報告は,北上川に関する津波の遡上シミュレーションも行いながら津波被害の想定調査を行い,昭和三陸地震を想定した場合,宮城県内では太平洋沿岸北端で最も高い18. 6mの最高水位を予測し,石巻市雄勝地区や北上町地区でも10m超の水位を予想する中,河北町では5.1mの最高水位を予測し,河川堤防の外側では大川小学校から下流側に500mも離れたところまで及ぶのみとの予想浸水域分布図も併せて示したところである。そして,石巻市では,平成16年報告の被害想定に基づいて,計画想定地震を念頭に石巻市地域防災計画の震災対策編の対策を講じ,日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に際しての避難場所の1つとして大川小学校を指定するとともに,その所在地より海側の地区のみを同地震における避難対象地区に指定したのであり, の震災対策編の対策を講じ,日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に際しての避難場所の1つとして大川小学校を指定するとともに,その所在地より海側の地区のみを同地震における避難対象地区に指定したのであり,併せて策定された防災ガイド・ハザードマップでも,平成16年報告の津波浸水予測図と同内容の予想浸水区域を示しながら,大川小学校は予想浸水区域外でかつ避難場所として表示されることとなった。 そして,石巻市地域防災計画は,本件地震前に石巻市学校安全対策研修会や教育委員会の小中学校校長会議で説明対象として取り上げられ,直近では平成23年1月20日に平成22年度石巻市学校安全対策研修会が開催されて,市内の公立小中学校に周知されており,防災ガイド・ハザードマップは,市民や関係機関に配布されていたものである。 (エ) 以上の事情に照らすと,まず,本件地震の規模に対する評価の材料としては,防災行政無線やラジオ放送の内容を前提とする限り,本件地震に関する宮城県内での予想津波高は,平成16年報告の被害想定中で最 - 57 -も予測水位が高い場所の最高水位18.6mを大きく下回っており,計画想定地震の規模がマグニチュード8.0であるのに対し,本件地震の地震規模はこの段階ではラジオ放送で明らかにされていなかったから,本件地震が,計画想定地震の規模を上回るものと考えるべき根拠は得られていなかったものといえる。また,石巻市や教育委員会から平成16年報告の被害想定に基づいた石巻市地域防災計画が周知され,同じく平成16年報告の津波浸水予測図と同内容の予想浸水区域を示した防災ガイド・ハザードマップも大川小学校に配布されていたことからすると,地域住民や保護者から津波を理由に高所への避難を促されていたとしても,少なくとも,午後3時10分頃までに得られた情報に基づく限り, ガイド・ハザードマップも大川小学校に配布されていたことからすると,地域住民や保護者から津波を理由に高所への避難を促されていたとしても,少なくとも,午後3時10分頃までに得られた情報に基づく限り,これに依拠して大川小学校に津波が襲来することを予見すべきであったとまでいうことはできない。 (オ) 無論,ラジオ放送では,津波到達予想の時刻と高さはあくまでも目安であることが伝えられ,石巻市の防災ガイド・ハザードマップでも,浸水予測のない場所でも状況によって浸水するおそれがあるとの注意喚起がされていた以上,そのことは教員においても十分に留意されるべきであるし,一部の地域住民や保護者が切迫感をもって避難を促す様子からすれば,津波が大川小学校に到来する危険に対する警戒を解くべきでないことも明らかである。 また,ラジオ放送によれば,宮城県沿岸には6mの津波の到達が予想されるとされていたところ,北上川の河口があり,追波湾に面している長面地区から大川小学校のある釜谷地区までの間は北上川沿いに平坦な地形となっていて,その途中に津波の進行の妨げとなるような高台等もないことや,大川小学校が海抜1ないし1.5mほどの低地に位置していることからすると(その間の地形については,別紙5図面を参照),高さ6m程度の津波であっても,これが大川小学校にまで到来すること - 58 -が予想可能であったという余地もある。 しかしながら,前記のとおりのハザードマップ等による情報や,少なくとも,過去に同小学校付近に津波が到来した事実を示す知見はなかったこと,大川小学校は北上川の河口から約4kmの地点にあり,同小学校が海岸付近に位置していたわけではないことなどからすると,宮城県全体を対象とした上記大津波警報等の情報を聞き及んだにすぎない時点において,現実に津波が大川小 の河口から約4kmの地点にあり,同小学校が海岸付近に位置していたわけではないことなどからすると,宮城県全体を対象とした上記大津波警報等の情報を聞き及んだにすぎない時点において,現実に津波が大川小学校に到来し,児童の生命身体に具体的な危険が及ぶ事態についてまで,教員に予見可能であったということは困難というべきである。 (カ) 以上に対し,原告らは,教員が,教員研修会で,津波の川の遡上の危険性や避難の重要性を,実例やプロアクティブの原則とともに説明されていたことや,教員が,本件地震の数日前に北上川の堤防を越える津波の場合の避難について会話を交わしていたことを指摘するとともに,児童らの生命に関わる災害の危険に関しては,最悪の事態を想定して判断し行動しなければならないにもかかわらず,教員が情報の収集と分析を怠り,また状況の評価を誤ったとも主張する。 このうち,事実関係としては,大川小学校の教員が,平成22年度中の各種研修会で津波防災や児童の安全確保をテーマに含む講義講話を聞き,津波に関する知識や心得,学校自体が危険なときの集団避難の必要性等を説かれ,特に,学校危険時の集団避難に関しては,プロアクティブの原則が併せて紹介されたこと,また,平成23年に入って,教員の間で,万が一津波が大川小学校まで来た場合の対応をどうするかが話題となり,校舎の2階に逃げるか又は裏山に逃げるか,竹藪から登るか,などという話が出たことは,認定のとおりである。 とはいえ,広報車が津波到来と高台への避難を釜谷地区で呼び掛ける以前の,宮城県全体を対象とした大津波警報しか情報として得られてい - 59 -なかった段階では,津波の校地への襲来は,抽象的に懸念される危険の1つであったにすぎず,注意義務違反の判断上は,前記説示のとおり,危険が具体的に予見可能であったと として得られてい - 59 -なかった段階では,津波の校地への襲来は,抽象的に懸念される危険の1つであったにすぎず,注意義務違反の判断上は,前記説示のとおり,危険が具体的に予見可能であったとまではいえない。また,その間も保護者による児童の引取りが続いていたことからすると,その時点において,校庭を離れ,より高所に避難すべきであったとまでいうことはできない。 (キ) さらにいえば,巨大な本件地震の発生後,断続的に余震が続く中では,津波以外にも様々な地震関連災害の危険が懸念されるのであり,特に,裏山に関しては,平成15年に校庭まで土砂が押し寄せる崖崩れが発生していること,本件地震直近に東北地方にもたらされた大きな地震被害は,平成20年岩手・宮城内陸地震による土砂崩れや落石であったこと,本件地震の前日と前々日の2度の地震で,大川小学校の学区内で落石が生じ,斜面崩壊の危険が警戒されていたこと,本件地震後大川小学校に避難していた地域住民の中には,津波の危険より裏山の土砂災害の危険を強く懸念する者がいたこと,という事情があり,また,最初の地震の発生後も,なおそれより強い地震が発生する可能性があったのであるから,裏山への避難には,土砂災害により児童の生命身体が害される抽象的危険があったといわざるを得ない。 裏山で土砂災害が発生しなかったという結果論によらない以上,広報車が津波到来と高台への避難を釜谷地区で呼び掛ける以前の,宮城県全体を対象とした大津波警報しか情報として得られていなかった段階では,裏山への避難には,津波と同じように児童の生命身体への抽象的危険が予見される状況にあったのであり,プロアクティブの原則によってあらゆる可能性について最悪の結果を想定すべきという前提に立ったとしても,この段階で裏山に避難しなかった教員の判断が不相当で 抽象的危険が予見される状況にあったのであり,プロアクティブの原則によってあらゆる可能性について最悪の結果を想定すべきという前提に立ったとしても,この段階で裏山に避難しなかった教員の判断が不相当であるということはできない。 - 60 -(ク) このほか,原告らは,石巻市内の他の小中学校で,教員が児童・生徒を予め高所に避難させることで学校管理下での犠牲者の発生を回避していることからすると,本件地震発生後においては,大川小学校の教員においても津波による児童の生命身体への危険を具体的に予見可能であったと主張する。 しかし,他の学校の避難状況を根拠に大川小学校の教員の予見可能性の有無を認定するには,各学校について,いかなる情報がいかなる方法でいつ収集されたのか,学校への津波到来の有無を左右する地形や海岸からの距離等の条件がいかなるものであったか,その学校の教員等が何時何分の段階で津波の危険を理由に避難を実行したのか,といった具体的事実をそれぞれに認定し,避難をしなかった学校も含めた多数の学校の中で,個別の条件の違いを分析しながら検討を行う必要があるところ,本件においてそのような検討を行うための網羅的な事実認定を行うのに足りる十分な証拠はない。そして,単に他の学校の中に教員が児童を本件地震後に避難させていたところもあったとの事実のみから,大川小学校の教員の津波の予見可能性を論じることが相当でないことは明らかであるから,他の学校の避難状況を理由とする原告らの主張は,採用できない。 ウ次に,原告らは,津波に関する予見可能性と予見義務に関して,午後3時26分頃ないし午後3時28分頃の段階において,教員としては,河北総合支所の広報車が長面地区沿岸の松林を津波が越えてきたことを告げながら避難を呼び掛けているのを聞いて,津波が大川小学校に ,午後3時26分頃ないし午後3時28分頃の段階において,教員としては,河北総合支所の広報車が長面地区沿岸の松林を津波が越えてきたことを告げながら避難を呼び掛けているのを聞いて,津波が大川小学校に現実に襲来することが確実に分かったと主張する。 (ア) まず,NHKラジオ放送では,午後3時30分までに,宮城県三陸沿岸の気仙沼市で,海から海水が押し寄せて陸地に溢れ,さらには大きな船や住宅の屋根のようなものが流されているという状況が生じているこ - 61 -とを伝えるとともに,石巻市鮎川では午後3時20分に3m30cmの津波が到達したことも伝えていたのであるから,ラジオを聴取していたD教頭,あるいはその他の教員としては,本件地震による津波が,2日前の三陸沖地震による津波等,近時東北地方で経験している数十cm程度のものとは異なり,格段に大きな規模で現に三陸沿岸に到来していることを認識していたものと認められる。また,大津波警報に関しては,当初,岩手県,宮城県,福島県という3県のみが対象であったが,午後3時14分,青森県から千葉県にかけての範囲に拡大されたことがNHKのラジオ放送で伝えられ,宮城県内の予想津波高は,午後2時51分以降,6mと伝えられていたところ,午後3時14分,気象庁は宮城県に到達すると予想される津波の高さを10m以上に変更し,午後3時20分から午後3時25分までの間に,その旨が株式会社FM仙台のFM放送で報じられ,午後3時32分には,NHKラジオでも,その旨が報じられていたものである。 (イ) そのような中,河北総合支所の広報車による呼び掛けに関しては,前記認定のとおり,遅くとも午後3時30分頃までには,広報車が大川小学校の前を広報しながら通り過ぎて三角地帯に至り,それを聞いたE教諭がD教頭に対して,「津波が来ますよ 車による呼び掛けに関しては,前記認定のとおり,遅くとも午後3時30分頃までには,広報車が大川小学校の前を広報しながら通り過ぎて三角地帯に至り,それを聞いたE教諭がD教頭に対して,「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山に逃げますか。」などと問い掛けていたものと認められる。 このように,E教諭は,河北総合支所の広報車による呼び掛けを聞いたものであるが,これは,ラジオによる宮城県全般に関する情報などではなく,大川小学校に面した県道を走行中の広報車からの,津波が長面地区沿岸の松林を抜けてきており,大川小学校の所在地付近に現実の危険が及んでいることを伝えるものであった。 そうすると,この時点で,大川小学校の教員は,「宮城県内」という幅をもたせたものではなく,大川小学校の所在地を含む地域に対し,現 - 62 -に津波が迫っていることを知ったということができ,また,前記のとおり,長面地区から大川小学校が所在する釜谷地区にかけては平坦で,特に北上川沿いには津波の進行を妨げるような高台等の障害物もない地形であり,大川小学校の標高も1ないし1.5m前後しかないことからすると,教員としても,遅くとも上記広報を聞いた時点では,程なくして近時の地震で経験したものとは全く異なる大規模な津波が大川小学校に襲来し,そのまま校庭に留まっていた場合には,児童の生命身体に具体的な危険が生じることを現に予見したものと認められる。 (ウ) 大川小学校の教員が上記広報車の情報を聞いた時間は正確には認定できないものの,上記広報車は,遅くとも午後3時30分頃までには,大川小学校の前を過ぎ,三角地帯に至っていたものと認められることからすると,その時点では,教員は,速やかに,かつ,可能な限り津波による被災を避けるべく,児童を高所に避難させるべき義務を負っていたものと 小学校の前を過ぎ,三角地帯に至っていたものと認められることからすると,その時点では,教員は,速やかに,かつ,可能な限り津波による被災を避けるべく,児童を高所に避難させるべき義務を負っていたものと認められる。 (エ) この点,被告らは,午後3時30分以降の段階でも,教員が現実に入手し得た情報が極めて限られていたことのほか,宮城県の地震被害想定調査の報告書における津波被害の予測やこれを反映したハザードマップ等の科学的知見や,過去に大川小学校や釜谷地区が津波で浸水した記録がないこと等の歴史的知見,大川小学校の海岸からの距離,大川小学校自体が指定避難場所であったこと等の事情を理由に,教員の津波到来に関する予見可能性を争う。しかしながら,午後3時30分頃までに教員が得た地震津波関連情報の内容は前記のとおりであって,決して限られたものとはいえないし,大川小学校等が過去に津波で浸水した記録がなかったとしても,河北総合支所の広報車が,大川小学校の前面の県道において,津波が長面地区沿岸の松林を抜けてきたことを告げていたことを現に認識していた以上,ハザードマップ等で大川小学校が避難場所と - 63 -して指定されているなどしていたとしても,同小学校にまで津波が到来することを予見し得たし,また,予見すべきであったというべきである。 よって,予見可能性を争う被告らの主張は,採用できない。 (3) 避難場所としての三角地帯の適否についてア上記によれば,河北総合支所の広報車による情報を聞いた,遅くとも午後3時30分頃の時点では,大川小学校の教員は,同小学校に津波が到来することを具体的に予見したものと認められるところ,このように,現実に津波の到来が予見される場合,宮城県教育委員会の「防災教育指導者養成研修会」における講義や,石巻市教育委員会教頭・中 に津波が到来することを具体的に予見したものと認められるところ,このように,現実に津波の到来が予見される場合,宮城県教育委員会の「防災教育指導者養成研修会」における講義や,石巻市教育委員会教頭・中堅教員研修会の内容を踏まえるまでもなく,高台に避難すべきことは広く一般にも認識されていた知見ということができる。 そして,本件地震は,これまでに経験したことがないほどの大規模なもので,石巻市内では震度6強を観測し,震度4以上の揺れが160秒間も続き,その後も余震が続発していたこと,児童を校庭に避難させた後,教員は,午後2時52分頃には,防災行政無線により宮城県沿岸に大津波警報が発令されたことを聞き,その後も大津波警報を伝え警戒を呼び掛ける続報に接していたこと,D教頭を中心とした教員は,比較的早い段階から,津波の襲来を想定した場合の避難場所をどこにするかについて話し合い,裏山への避難も検討されていたことが,いずれも認められる。 このように,教員としては,河北総合支所の広報を聞き,あるいは予想津波高が10m以上に変更されたことを知る以前から,具体的な避難場所を検討していたものと認められるところであり,また,午後2時46分頃の本件地震発生後,午後3時30分頃までの間に40分以上あったことからすると,次なる避難場所を検討する時間的な余裕がなかったということはできない。 そのような中,実際には,校舎内の安全を確認していたE教諭以外の教 - 64 -員は,避難を開始し,児童を引率して交流会館の駐車場脇を通り,三角地帯を目指していた途中で津波により被災したものと推認できる。 イそこで,児童の避難場所として,三角地帯あるいは同所方面を想定したことの当否について検討するに,三角地帯付近は,新北上大橋付近の北上川右岸に位置する標高約7mの小高い丘状 たものと推認できる。 イそこで,児童の避難場所として,三角地帯あるいは同所方面を想定したことの当否について検討するに,三角地帯付近は,新北上大橋付近の北上川右岸に位置する標高約7mの小高い丘状の地形で,河川堤防を除けば,大川小学校周辺では,平常時から人が立ち入る場所として,平地より標高が高い唯一のところであり,大川小学校からは直線距離で150m離れた場所に位置している。 このような位置関係からすると,三角地帯は,北上川からの距離は近いとはいえ,少なくとも大川小学校の校庭より標高が高く,また,北上川の状況を確認することができるという面において,津波襲来の危険がいまだ抽象的に予見されるにすぎない段階であれば,校庭と比較して,避難場所としては適しているといえなくもない。 ウしかしながら,河北総合支所の広報によれば,津波は北上川河口付近の長面地区沿岸の松林を越えたというのであるから,その後,津波が北上川を遡上し,あるいは,高台等もなく,進行を妨げるもののない川沿いの土地上を進行してくることは,大川小学校に在職していた教員としては容易に想定し得たものと推認できることに加え,襲来する津波の高さが,当初の大津波警報による6mであったとしても,これは,標高4m前後(水面からの高さは3mほど)の富士川の堤防の高さを超え,標高5ないし6m(水面からの高さは4m以上)程度の北上川の堤防の高さに匹敵するものである上,その後に変更された予想津波高10mは,上記各堤防の標高の2倍にも迫り,あるいはこれを超えるものであることや,三角地帯付近にはより高い避難場所がなく,津波が三角地帯にまで到達した場合,次なる逃げ場が全くなくなってしまうことからすると,同所は,当面の避難場所としてであればまだしも,6ないし10mもの大きさの津波が程なくして - 65 がなく,津波が三角地帯にまで到達した場合,次なる逃げ場が全くなくなってしまうことからすると,同所は,当面の避難場所としてであればまだしも,6ないし10mもの大きさの津波が程なくして - 65 -到来することが具体的に予見される中での避難場所として適していなかったことは明らかである。 (4) 避難場所としての裏山の適否についてア次に,原告らが避難場所とすべきであったと主張する裏山について検討するに,この点に関しては,まず,最初に津波が襲来した際の裏山での津波の到達高が問題になるところ,証拠上は,大川小学校校舎付近での津波水面の到達高が標高8.663mとは認定できるが,裏山斜面での津波の到達状況は明らかでなく,押し寄せてきた津波の運動エネルギーによって水面が斜面のより高いところまで達したとも考えられる一方で,校舎付近でも,津波襲来後直ちに水面が上記高さまで到達したと断定できる根拠はない以上,最初の津波襲来後に,海側から押し寄せ続ける海水によって水位が次第に上がり続けた結果が標高8.663mである可能性も否定できない。 そこで,当裁判所としては,津波からの結果回避可能性に関して,津波を確実に逃れるための高さの一応の目安として,標高10mの地点に関する距離関係の事実認定を行いながらも,この高さに到達できたか否かで直ちに結果回避可能性を切り分けることはせず,他の事情も併せ考慮しながら総合的な判断を行うこととする。 イところで,裏山は,大川小学校のすぐ南側に位置し,標高も高く,現にE教諭や河北総合支所の広報車に乗車していたKなどは,同所に避難し,難を逃れているところであり,避難場所として想定されるべき場所であることは間違いがなく,校庭に避難していた際にも,E教諭がD教頭に対して裏山に避難してはどうかと発言していたものと認められ に避難し,難を逃れているところであり,避難場所として想定されるべき場所であることは間違いがなく,校庭に避難していた際にも,E教諭がD教頭に対して裏山に避難してはどうかと発言していたものと認められる。 ウこの点につき,被告らは,本件地震当時も,裏山の北向き斜面には残雪があったところに,みぞれも降っていたこと,地面は足元がぬかるんでいて滑りやすく,相当に歩きにくい状況であったこと,地面が下生えに覆わ - 66 -れており,狭い竹木の間の急斜面を登るのも容易ではなかったこと,頻繁に余震が続く中で,児童と高齢者を含む100人以上もの集団で裏山の斜面を登るのは実際上極めて困難であること,を指摘して,結果回避可能性を否定する。 しかしながら,本件地震当時は,平地に積雪はなく,みぞれや雪も積もらない程度に断続的に降るだけの天候だったのであり,裏山に積雪があったとは証拠上認められないし,裏山の地面も,冬季である本件地震当時,斜面を登るのに支障が生じるような下生えが生い茂っていたとまでは認め難い。 次に,被告らは,狭い竹木の間の急斜面を登ることの困難をいうものの,Aルートの斜面では,過去に,3年生等の児童が,毎年3月に椎茸の原木をここまで運ぶ作業を行っていた以上,同じ3月に児童がここを登るのが困難であったとはいえない。また,Bルートに関しても,登り口付近は約26度と傾斜が急で,続く斜面も傾斜が20度前後と決して緩やかではないものの,C校長のみならず3年生児童もここを経由して造成斜面に登っていた以上,避難のために登るのが困難であったとまでいうことはできない。 さらに,被告らは,児童と高齢者を含む集団で斜面を登ることの困難をいうが,地域住民は,原則として自らの責任の下に避難の要否や方法を判断すべきものであり,教員は同住民に対する責任を負わ できない。 さらに,被告らは,児童と高齢者を含む集団で斜面を登ることの困難をいうが,地域住民は,原則として自らの責任の下に避難の要否や方法を判断すべきものであり,教員は同住民に対する責任を負わないのに対し,児童は,これらの点を全面的に教員の判断に委ねざるを得ないことからすれば,校庭からの避難行動に当たっても,教員としては,児童らの安全を最優先に考えるべきものであって,地域住民の中に高齢者がいることは,児童らについての結果回避可能性を左右しないものというべきである。 この点,余震が続く中,70名余りの児童を率い,隊列を組んで斜面を登っていくことは必ずしも容易でないことは確かであり,児童を預かる教 - 67 -員としては,けがなどがないように配慮せざるを得ない面が否定できないとしても,それは,平常時における話であって,現実に津波の到来が迫っており,逃げ切れるか否かで生死を分ける状況下にあっては,列を乱して各自それぞれに山を駆け上ることを含め,高所への避難を最優先すべきであり,いたずらに全体の規律ある避難に拘泥すべき状況にはなかったというべきである。 また,被告らは,地域住民は裏山の崩壊を恐れており,津波が実際に大川小学校付近に襲来する以前の時点で予防的に大川小学校の裏山に登った住民は皆無であったとも主張するが,かかる事情が認められたとしても,そのことにより,児童の生命身体を保護すべき義務を負う教員が注意義務を免れるものということはできない。この点,本件震災当時5年生であった児童に対する聞き取りによれば,D教頭は,釜谷地区の区長に「山に上がらせてくれ。」と言ったのに対し,同区長が反対していたのを聞いたというのであるが(甲A22の18),このようなやり取りがあったとしても,D教頭としては,区長の意見をいたずらに重視することなく, 上がらせてくれ。」と言ったのに対し,同区長が反対していたのを聞いたというのであるが(甲A22の18),このようなやり取りがあったとしても,D教頭としては,区長の意見をいたずらに重視することなく,自らの判断において児童の安全を優先し,裏山への避難を決断すべきであったというべきである。 エ次に,被告らは,以上のほか,Aルートに関して,校庭の南東隅で市道に出るまでに,体育館脇の狭い通路を一列になって通る必要があり,児童と地域住民が多人数で通るには,特に適しておらず,体育館脇を通ることには,ガラスの落下,飛散の危険もあったと主張する。 しかし,経路の途中に一部狭いところがあるとしても,そのことによってここを通って避難することが不可能になることにはならないし,ガラスの落下,飛散の危険に関しても,津波の危険と比較すれば,持ち物等で身を守りながら歩けば生命身体への危機の度合いはそもそも格段に低い上,当時現にガラスの一部が落下し飛散していたのでもない以上,ここを通る - 68 -ことが困難であったということはできない。Aルートの結果回避可能性に関して,被告らの主張は採用できない。 (5) 裏山に避難するに当たっての時間的な余裕についてア次に,裏山への避難に必要な時間的余裕の問題についてみると,遅くとも,午後3時30分頃までには,広報車の呼び掛けをE教諭が聞き,D教頭に避難を開始するかどうかを確認していたものであるが,津波が大川小学校に迫っている事実を知ったその時点において,速やかに避難を開始したとすれば,津波が到来したと考えられる午後3時37分頃までには,少なくとも7分以上の時間的余裕があったことになる。 イところで,いずれも校庭の中央付近を基点とした場合の,裏山のAルートの麓までの移動距離は約100m,そこから標高10mの地点 7分頃までには,少なくとも7分以上の時間的余裕があったことになる。 イところで,いずれも校庭の中央付近を基点とした場合の,裏山のAルートの麓までの移動距離は約100m,そこから標高10mの地点までの移動距離は水平距離にして約45m,Bルートの消防団倉庫裏手の山の麓までの移動距離は約100m,そこから標高10mのところに登るまでの移動距離は水平距離にして約20m,Cルートのコンクリート擁壁の右端から裏手に回り込み,傾斜が緩くなるように法面を斜めに横切って登る場合,コンクリート擁壁裏側の法面に到達するまでの移動距離は約110m,そこから1段目の標高13m余りのコンクリート舗装に登るまでの移動距離は水平距離にして約30mである。 そして,原告らが行った実験によれば,校庭の中央付近から裏山の標高10m付近(原告らが津波到達地点と主張する地点)に至るのに要した時間は,体育館脇を通るAルートでは,徒歩で2分01秒,小走りで59秒であり,Bルートは,自転車小屋脇の通用口を通るコースでは,徒歩で1分45秒,小走りで1分08秒,入退場門を通るコースでは,徒歩で1分18秒,小走りで55秒,通用口を通るCルートでは,徒歩で1分49秒,小走りで1分08秒であったものと認められる(甲A128の1,128の2)。 - 69 -ウ原告らによる上記実験が行われた時と本件震災時とでは,季節も異なり,また,樹木が伐採され,あるいは繁茂し,又は道が踏み固められるなど,裏山における各ルートの状況が異なっている可能性はあるものの,前記のとおり,大川小学校では,Aルートを登った先まで原木を運んで椎茸栽培を行っていたり,Bルートの竹藪を経由して,Cルートの造成斜面に上がるなどしていたものであり,上記ルートを通じて避難するに当たっての具体的な障害があったことを認 トを登った先まで原木を運んで椎茸栽培を行っていたり,Bルートの竹藪を経由して,Cルートの造成斜面に上がるなどしていたものであり,上記ルートを通じて避難するに当たっての具体的な障害があったことを認めるに足りる証拠はない。 また,避難開始時,70名余りの児童が校庭にいたことからすると,原告らの実験結果に比較して現実の避難にはより時間を要することも考えられるが,津波が間もなく周辺に押し寄せ,児童らの生命身体に危険が及ぶことを具体的に予見することが可能であったことは前記説示のとおりであり,かかる状況下にある教員としては,児童らの生命身体への危機を回避するため,速やかに避難を開始するとともに,多少の混乱を厭わずに児童らをせかし,小走りで移動させてでも早期の避難を最優先にすべきところであり,そうしていれば,津波に呑まれるまでにわずかでも時間を稼ぐことは可能であったと推認できる。 さらに,AルートやBルートの裏山は,三角地帯に向かった実際の経路と比べれば,北上川から離れており,北上川の右岸堤防を越流した津波が到達する時点としては,短時間であったとしても,津波を逃れるには有意な時間の違いがあったと認められる。 加えて,津波による死の危機を免れるという観点からいえば,足が一部水に浸かる程度で,津波に引き込まれずに済むような場合も,斜面を駆け上がることにより,結果回避が可能となる場合に含めて考えて差支えないというべきである。 エ以上からすれば,広報車の呼び掛けを教員が聞いた時点においても,児童を校庭から裏山に避難させるに足りる時間的余裕はなおあったものと認 - 70 -めることができる。 (6) 教員が負っていた注意義務の内容についてア以上によれば,遅くとも,午後3時30分頃までには,教員は,程なくして大川小学校に大規模な津波が到来 と認 - 70 -めることができる。 (6) 教員が負っていた注意義務の内容についてア以上によれば,遅くとも,午後3時30分頃までには,教員は,程なくして大川小学校に大規模な津波が到来し,校庭で待機していた児童の生命身体に対する具体的な危険が生じることを予見していたのであるから,教員は,自らの判断で自主的に避難することのできない児童らを,可能な限り津波による被災を回避し得ると合理的に予想される場所に避難させるべき義務を負っていたものと認められるところ,E教諭以外の教員は,津波による被災が回避できる可能性の高い裏山ではなく,避難場所として適切とはいえない三角地帯に向かって児童を引率し,避難しようとした結果,児童らは津波に巻き込まれたものと認められる。 イこの点,E教諭を除く教員が,避難場所を三角地帯とした理由には明確ではないところもあるが,本件地震後の余震が続いている中で,必ずしも足場がよいわけでもない裏山に向けて児童を避難させることにより,児童がけがをするなどの事態が生じることを避け,より安全に移動することが可能で,校庭よりも比較的高い場所にある三角地帯に避難しようとしたものと考えることができる。 しかし,津波による児童への危険性が抽象的なものにとどまる時点であればまだしも,大規模な津波が間もなく大川小学校周辺にまで押し寄せ,児童の生命身体に対する現実の危険が迫っているとの認識の下においては,裏山に避難することによって児童がけがをするかもしれないという抽象的な危険を,津波に被災するという,児童の生命身体に対する現実的,具体的な危険に優先させることはできないはずである。 E教諭を除く大川小学校の教員としては,大規模な津波に対する避難場所として不適切というほかない三角地帯ではなく,津波による被害を避け得る高所であると 的な危険に優先させることはできないはずである。 E教諭を除く大川小学校の教員としては,大規模な津波に対する避難場所として不適切というほかない三角地帯ではなく,津波による被害を避け得る高所であるとともに,短時間のうちに,かつ,比較的容易に登ること - 71 -が可能な裏山に向けて児童を避難させるべき義務を負っていたというべきである。 (7) 小括上記の判断によれば,遅くとも午後3時30分頃までには,教員は,津波が大川小学校に襲来し,児童の生命身体が害される具体的な危険が迫っていることを予見したものであるところ,E教諭以外の教員が,児童を校庭から避難させるに当たり,裏山ではなく,三角地帯を目指して移動を行った行為には,結果を回避すべき注意義務を怠った過失が認められる。 5 事後的不法行為に関する注意義務違反の有無(1) E教諭,C校長等の捜索義務違反及び救命救助義務違反について前記のとおり,児童らは,釜谷地区内の平地を歩いて移動している間に津波に呑まれたものであるところ,このときに襲来した津波の規模等に照らすと,被災した児童らに関しては,津波から裏山に逃れたE教諭がその後にいかなる救助活動を行おうとも,救命救助の可能性は極めて乏しかったと認められ,また,当時の状況下において,E教諭が,原告らが主張するような救助活動を行うべき注意義務を負っていたとは認められない。 まして,児童らの津波被災当時に石巻市外にいたC校長をはじめ,石巻市教育委員会所属の被告石巻市の公務員らにも,本件地震の翌日以降に自ら救助活動をすべき注意義務があったと認めることもできない。 よって,救命救助活動等に関するE教諭等の義務違反をいう原告らの主張は,理由がない。 (2) 石巻市教育委員会による調査,資料収集,資料保存,真実解明,報告の各義務及び原告 めることもできない。 よって,救命救助活動等に関するE教諭等の義務違反をいう原告らの主張は,理由がない。 (2) 石巻市教育委員会による調査,資料収集,資料保存,真実解明,報告の各義務及び原告らの心情に対する配慮義務違反について原告らは,平成23年4月以降に石巻市教育委員会が行った聞き取り調査で,録音が行われず,聞き取り時の手書きメモの一部がその後廃棄されたことや,児童の遺族に対する説明会等の説明内容に関して,被告石巻市が不法 - 72 -行為責任を負う旨主張するところ,教育委員会が行う聞き取り調査や,説明会等の内容に関して,原告らをはじめとする被災児童の遺族らが強い関心を寄せることは当然のことであるとはいえ,聞き取り調査における記録方法いかんや,清書後の手書きメモの処理処分に関して,被告石巻市又はその公務員が,原告らに対して何らかの注意義務を負っていたとまではいえない。また,本件証拠上,説明会等における説明の内容や態様に関しても,被告石巻市又はその職員が,個々の原告らとの関係で法的な義務を負っていたとはいえない。 このほか,平成23年6月4日の第2回保護者説明会に出席したF石巻市長の発言に関しては,児童の遺族から詰め寄られた場面でのとっさの受け答えであるとはいえ,児童を失った親族等が出席している場での発言に求められる慎重な配慮を欠いた面が否定できないものの,当該発言も,原告らの権利又は法的に保護される法的利益を侵害したと評価するに足りる程度に至っているとはいえず,F石巻市長に,原告らに対する注意義務違反は認められない。また,被告石巻市等が,死亡児童の火葬を可能とするような施設を確保し,あるいは原告らへの弔問をしなければならないとする注意義務を負っていたと認めることもできない。 (3) 小括よって,事後的不法行為に 告石巻市等が,死亡児童の火葬を可能とするような施設を確保し,あるいは原告らへの弔問をしなければならないとする注意義務を負っていたと認めることもできない。 (3) 小括よって,事後的不法行為に関する注意義務違反をいう原告らの主張は,いずれも採用できない。 6 責任論に関する総括以上によれば,平成23年3月11日の遅くとも午後3時30分頃,大規模な津波が大川小学校周辺に迫りつつあり,速やかに避難すべきことを認識した大川小学校の教員は,本件地震後,校庭で避難中であった児童らを裏山に避難させるべき注意義務を負っていたにもかかわらず,不適切な避難場所というべき三角地帯に移動しようとし,このことが原因で,教員の管理下にあった児童 - 73 -らが,移動中,釜谷地区に襲来した津波に呑まれて死亡したものであるから,原告らの子である被災児童の死亡の結果に関して,被告石巻市は国家賠償法1条1項に基づき損害賠償責任を負い,教員の給与等の負担者である被告宮城県も,同法3条1項に基づき被告石巻市と連帯して損害賠償責任を負うものと認められる。 他方,津波による被災後の行為につき,被告らが,原告らに対し,国家賠償法1条1項,3条1項,民法709条,715条あるいは安全配慮義務違反による損害賠償義務を負うものとは認められない。 7 損害額(1) 主位的主張についてア原告らは,損害額に関して,主位的に,本件損害賠償請求の事案が,教員が被災児童の命を無為無策のまま失わせたという類を見ない責任重大かつ特殊なものであると主張し,これを理由として,原告らが抱く,子供を取り戻したいという気持ちを本来そのまま請求とすべきところに代えて,被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った苦痛の全体に対する,金額にして数百億円を下らない「制裁的要素を反映した満足 く,子供を取り戻したいという気持ちを本来そのまま請求とすべきところに代えて,被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った苦痛の全体に対する,金額にして数百億円を下らない「制裁的要素を反映した満足感情の実現」としての損害賠償が認められるべきであると主張する。 しかしながら,不法行為に基づく損害賠償制度は,被害者に生じた現実の損害を金銭的に評価し,加害者にこれを賠償させることにより,被害者が被った不利益を補てんして,不法行為がなかったときの状態に回復させることを目的とするものであり,加害者に対する制裁や,将来における同様の行為の抑止を目的とするものではなく,加害者に対して損害賠償義務を課することによって,結果的に加害者に対する制裁等の効果を生ずることがあるとしても,それは被害者が被った不利益を回復するために加害者に対し損害賠償義務を負わせたことの反射的,副次的な効果にすぎないと解するのが相当であって(最高裁判所大法廷平成5年3月24日判決・民 - 74 -集47巻4号3039頁,同裁判所第二小法廷平成9年7月11日判決・民集51巻6号2573頁参照),このことは国家賠償法に基づく損害賠償請求においても同様である。 原告らの上記主張は採用できない。 イ次に,原告らは,本件の事案が特殊であることから,被災児童の死亡及び事後的不法行為により被った損害の額の主張立証は極めて困難であるとして,損害額の認定に関して民事訴訟法248条を適用すべきと主張する。 しかしながら,原告らの請求のうち事後的不法行為に基づく部分に理由がないことは前記説示のとおりであり,被告らの賠償責任の対象である損害は,被災児童の死亡に関するものに限られる。そして,若年者の死亡の損害に関して,その性質上損害額の認定が極めて困難とはいえないから,同条を適用することは おりであり,被告らの賠償責任の対象である損害は,被災児童の死亡に関するものに限られる。そして,若年者の死亡の損害に関して,その性質上損害額の認定が極めて困難とはいえないから,同条を適用することはできない。 (2) 予備的主張についてア逸失利益被災児童の逸失利益の算定に用いる基礎収入に関しては,男女の雇用機会や賃金の格差が将来の被災児童の就労可能期間のうちに解消され,双方の雇用条件がその中間に収束することを前提とするのが相当であることから,賃金センサス平成23年男女計学歴計全年齢平均賃金である470万9300円を用いることとする。 次に,被災児童の就労可能期間は18歳から67歳までの49年間とするのを相当と認め,中間利息の控除は,ライプニッツ方式により,当事者間に争いのない別紙3被災児童一覧表の「年齢」欄記載のとおりの被災当時の年齢に応じて同一覧表の「係数」欄記載の係数を乗じることとする。 このほか,生活費控除に関しては,男女の別にかかわらず40%の控除率を採用することとする。 以上に基づき計算した逸失利益の現在価格は,同一覧表の「裁判所の判 - 75 -断」,「逸失利益」欄記載のとおりとなる。 イ慰謝料被災児童が本件地震後の津波により死亡したことに対する慰謝料は,被災児童各人につき2000万円,その親である原告らの子の死亡に関する近親者固有の慰謝料は子である被災児童1名当たり各原告100万円とするのが相当であるほか,現在まで遺体の発見されていない被災児童の親である原告A19,原告A20及び原告A27に関しては,1名当たり別途50万円の固有の慰謝料を相当と認める。 ウ葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立費用,法事費用弁論の全趣旨によれば,原告らは,その子である被災児童の葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立 り別途50万円の固有の慰謝料を相当と認める。 ウ葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立費用,法事費用弁論の全趣旨によれば,原告らは,その子である被災児童の葬儀費用,仏壇仏具購入費用,墓碑建立費用又は法事費用として,児童1人当たり150万円を超える支出をし又は将来支出を予定しているものと認められるところ,このうち150万円を,E教諭以外の教員の注意義務違反と相当因果関係のある損害と認める。 エ原因調査費用原告らは,原因調査費用を損害として主張するが,原因調査の具体的な内容や支出にかかる額等を認定し得る証拠はなく,これを相当因果関係のある損害と認めることはできない。 オ津波被災後慰謝料前記のとおり,事後的不法行為を認めることはできないから,津波被災後の慰謝料を認めることはできない。 カその他(ア) 原告A5,原告A10及び原告A15は,支出した不妊治療費を損害額として主張するものの,これらの損害とE教諭以外の教員の注意義務違反との間に相当因果関係を認めることはできない。 (イ) 原告A20は,子である被災児童の遺体が発見されていないことに関 - 76 -して,捜索のために勤務先を退職し収入を失ったとして,24か月分の収入を逸失利益たる損害として主張する。 しかし,現在まで遺体の発見されていない被災児童を捜索すべく,同原告が勤務先を退職し,収入を失っていたとしても,このことによる損害と,E教諭以外の教員の注意義務違反との間に相当因果関係を認めることはできない。 キ弁護士費用原告らが本件訴訟の追行を訴訟代理人に委任したことは明らかであり,本件の事案の性質内容や原告らに認めた損害額等に照らすと,被告らに負担させるべき原告らの弁護士費用は,別紙2請求額等一覧表の「裁判所の判断」,「弁護士費用」欄記載の金額 委任したことは明らかであり,本件の事案の性質内容や原告らに認めた損害額等に照らすと,被告らに負担させるべき原告らの弁護士費用は,別紙2請求額等一覧表の「裁判所の判断」,「弁護士費用」欄記載の金額とするのが相当である。 8 結論ここまで説示したところによれば,その余の点を判断するまでもなく,原告らの請求は,被告らに対し,国家賠償法1条1項及び3条1項に基づき,それぞれ別紙2請求額等一覧表の「裁判所の判断」,「認容額」欄記載の各金員及びこれらに対する本件震災の日である平成23年3月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由がある。 よって,上記原告らの請求を上記の限度で認容して,その余の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。なお,仮執行宣言は,相当ではないので付さないこととする。 仙台地方裁判所第1民事部 裁判長裁判官高宮健二 - 77 - 裁判官宮崎謙 裁判官平沢由里絵
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